大空を見上げて

日頃感じていること

人それぞれの人生

2022-12-21 | Weblog
高齢者となった私は健康を保つ為、社交ダンスとプールに週二回ずつ行っている。コロナでダンスもプールもマスクをかけ挨拶だけで余計な話はしないよう気配りをしている。
数年前東京の江戸川区民プールでの話で再掲載だが、そこである男性との「寂しき人生」の会話があまりにも強烈だったので思い出した。

500m(20回往復)疲れたのでプールから上がって休憩しているとある60代の男性が話しかけてきた。
スポーツドリンクを飲みながら世間話しをしていると、何故か過去の体験をいろいろ話始めた。
その人は2年前脊髄癌になり、東大病院で大手術をしたとの事。
今は毎日リハビリの為プールに来て、水の中を歩いているうちだんだん良くなり、自転車に乗れるようになったと喜んで健康が本当に有難いと言っていた。
若い頃麻薬の売人をして億のお金を儲けたとの事、2回逮捕され裁判官に「貴方のような人間が日本を駄目にする」と言われて刑務所に入所したこと、懲役10年の判決だったがまじめだったので8年半で仮釈放になり出て来れたとか、大麻、麻薬、覚せい剤をなんでもやったがこの味を知ったら人間生きていくのにいつも楽しくルンルン気分になるとの事。
しかし、現在は生活も貧しく苦しく嫁にも逃げられ狭いアパートで一人暮らし生活保護で国に申し訳ないと言っていた。
新聞紙上やニュースで芸能界やミュジシャン、一般の人たちにも次から次へと薬(大麻)関係の事件が絶えない。
それだけ誘惑があるものだが本当に怖しいものだと言っていた。
今迄5回結婚し今年突然いなくなった今の妻は6人目で韓国人だそうだ。
その男性は今バチがあたってこんな身体になってしまったと後悔しているとの事。
まだまだ、驚くような経験談をいろいろ聞かせてくれた。
私には別世界の話でビックリすることばかりであった。
最後に私の事を聞いてきた「私はただ社会の片隅で人の迷惑にならぬよう静かに暮らしていて、悪い事をする度胸もなく何の取得もなく目だないように生きてきた!」と応えた。
その人は別れ際、伏目がちにしみじみと「だんな、それが一番だよ!」と 二度繰り返し、ビッコを引いて歩いて帰る背中を見て無性に寂しさを感じた。
私は人それぞれいろいろな人生があるものだと思った。
肝臓もかなり悪いらしい。
残り少ない人生を幸せにと祈った事を今でも時々思い出す。

以前山口国体があり(千葉県連の体育指導員で役員)の関係で50年振りに故郷へ、昔住んでいた住所へ向かった。確か近くで幼馴染が床屋をやっていると聞いていたので、訪ねて見ようと思い、お互いにいい年だし元気かどうか不安はあったが見つけて、扉をあけて名前を告げるとビックリ懐かしく握手して昔話に花が咲きました。
彼はいろいろ情報を知っていて、誰々ちゃんは防府で大病院の経営者で医院長をやっている、又誰ちゃんは神戸でヤクザの大幹部になったが10年前殺された、誰は痴呆になった又アルコール中毒や宗教に被れ誰も相手にしなくいま大病してる等ガキ仲間等何人もの消息をいろいろ話してくれました。
彼とは2時間位話込んで、名残り惜しいがお別れして、卒業した華浦小学校、中学、県立防府の高校へ向かいました。
その頃通った同じ道を歩きながら、懐かしい小学校時代仲の良かった2,3の同級生の実家や商店を見つけ、消息を尋ねてみましたが、あまりにも時が経ち過ぎ情報が乏しが、高校時代の部活の友人の消息が少しJR職員や警察官、商船会社をそれぞれ定年退職後、日本各地にと親族から元気だと聞いた。


  



先日、皇居の銀杏の並木を歩きながら、残り少なくなった「たそがれの人生」を感じながら徳川家康公遺訓を考えていた。
「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、いそぐべからず不自由を常に思えば不足なし心望おこらば困窮したる思い出すべし・・・」
 

   兼六園(12月、富山、福井、石川)久し振りの旅行
    
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