大空を見上げて

日頃感じていること

ちょっとブレイク -父の小噺-

2008-04-15 | Weblog
 私たちが子供の頃はテレビもなくゲームもなく、そんなに多くの楽しみはなかった。父は近所の子供たちをたくさん集めて、面白い話やタメになる話をよくしてくれた。亡くなる前、妻にもいろいろ話していた。
その一つを紹介すると、

            「たくわん風呂」
 昔、ばかだ、ばかだと言われている子供がいた。父親は親戚へのご祝儀を持たせてその子を使いに出した。行く前に、○○の家に行ったら、挨拶をしてその家の玄関の壁を見るんだ。そこに傷があるから、ここに絵でもかけたらいいですね、と言いなさい。息子は言われたとおりに言った。親戚の人々は、この子はばかだ、ばかだと言われているけれど賢いじゃないかと思った。そこへ馬を連れた人がやって来た。皆は立派な馬ですねと言った。持ち主は、いやお尻にちょっと傷があるんですよ。それを聞いた息子はすかさず、そこに絵でもかけたらどうですか・・・。
この子はやっぱりばかだった。
 また父は言った、熱いお茶を出されたら冷ますのに、たくわんを一切れもらって湯のみに入れてかき混ぜてから飲みなさい。言われたとおりにした息子を見て皆は、この子はばかだ、ばかだと言われているけれど賢いじゃないかと言った。さて夜も遅くなり泊まる事になった。お風呂に入ったら熱い! そこで、すみませんがたくわんを一切れくださーい・・・。  この子はやっぱりばかだった。 
                      オソマツ

遠い昔の雪の思い出

2008-04-15 | Weblog
今年2月関東に久しぶりに積もる雪が降った。雪を見ると幼少の頃を思い出す。
私が小学2年の時、父が子連れの女性と結婚した。私に母と弟がいっぺんに出来て嬉しくて、新しくできた四つ年下の弟を可愛がりながらいつも連れて遊んでいた。
何ヶ月か過ぎてから、母は私と弟との差別を始めた。それが段々エスカレートして親戚や近所の人にも薄々分かり、陰から私を励まし助けてくれる人もいた。それが母には余計面白くなかった。父も何度かこの事で怒り母に注意してたようだ。母方の親戚は弟にグローブ、顕微鏡等いろいろお土産を持って来た。私は無視され何ひとつ貰った覚えがない。確か小4の時前の日から降り続いた雪が大雪となり弟(小1)は靴で、私は藁ぞうりで学校へ100mも行かない内に藁草履は破れ裸足で5kの雪道を裸足で学校に行った。先生から母が悪く思われるのがいやで足を雑巾で隠し、帰りも裸足で帰った。あまりの寒さと冷たさと辛さに涙をためて帰った事を覚えている。でも私は弟が可愛くて恨んだ事はない。弟も兄ちゃん兄ちゃんと言いながら私の側にいつもいた。弟が学校でいじめにあったらよく助けに行った。また川で溺れた時飛び込んで水を飲みながら助けた思い出がある。だって弟には何も罪はなく、何も悪くないのです。これが私の遠い昔の悲しくも忘れられない雪の思い出です。人間て素晴らしいけどまた悲しい生き物です。