島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

知らぬが仏

2011-08-23 23:07:39 | 原子力発電所
 原発事故に伴う放射性物質の被害が広がっている。
 その情報が伝われば伝わるほど住民の多くが不安を拡大させる。
 今までも現代社会では数多くの化学上の有害物質が大気中に飛散したり、地下水に浸透したり河川に流出したりしてきたが、これほどまでに不安がられたことはかつてなかった。
 放射性物質は見えない、臭わないなど五感で感じることができないがゆえに一層怖く思われるようだ。
 だが、他の有害物質とて多くは同様に見えない、臭わないものなのだ。
 それでも放射性物質は五感で感じられないだけでなく、数値で示されてもわかりにくいこと夥しい。
 例えば、放射線量について「0.2ミリシーベルト」の測定値が示されたとしても、その放射線の放射源たる物質がどこにどのような状態で存在しているのかがわからない。
 つまり、地上の表面に一粒だけあるのか、地表のわずかに下に複数あるのか。
 放射線量の高低は物質の種類によるものなのか、それとも数の多い少ないの差異によるものなのか。
 また放射線の放射源たる物質がセシウムなのかヨウ素なのかストロンチウムなのか、カリウムなど自然放射能なのか。
 セシウムの場合、それがすべて福島原発からのものなのか、それとも中国の核実験によるものなのか。
 例えばセシウム137の場合、5ミリシーベルトという高い数値が測定されたとすると、数多いセシウムが高密度の状態になっているから高い数値になったということなのか。
 知人の計測器を借りて街を歩きながら数値を見てみたが、見れば見るほどそれらの数値が語る意味がわからなくなった。
 ああ、いいかげん、数値の高低などどうでもよくさえなってしまう。
 その数値の変動のたびに一喜一憂するのも精神衛生上好ましいとはいえない。
 いっそうのこと無関心、三猿主義(見ざる聞かざる言わざる)に徹したくもなる。
 悟りの境地のようになれば、まさしく何も知らないことによってホトケに同化できそうだ。

 でも、私は人間だ。やはり知りたくもなる。
 そして、行政や電力会社はできるだけ詳細な調査や測定、そして情報提供をこまめにやってほしいものだ。

◆写真は山形市鮨洗宝積院の十一面観音。国の重要文化財。
 このような澄み切った顔になかなかなれないのが人間。


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