goo blog サービス終了のお知らせ 

島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

背広・ネクタイ姿で「脱原発」

2012-07-11 23:55:47 | 時評
 小沢新党が旗揚げし、党名も今日発表された。それも驚くなかれ、「国民の生活が第一」なのだと言う。 これでは社民党、共産党のお株を奪いかねない党名だ・
 どうせなら、社民、共産のいずれかにでも集団入党してもよかったようなものである。
 消費税増税に反対するのも国民の生活が第一だかららしい。ともかくも長ったらしい名前の党名であり、選挙カーのウグイス嬢も大変になることであろう。
 政策の第一はむろん「消費税増税反対」であるが、「脱原発」も主要な政策になるらしい。
 でも、今日の小沢さんの姿を見ていると、真夏にも背広・ネクタイ姿で脱原発が可能とは思えない。今日に限らず、民主党が野党の時代から小沢氏は真夏でも背広・ネクタイ姿を通してきているから、よほど彼はこの姿が好きなのであろう。。
 わが山形は梅雨の真っ最中ながら連日の真夏日で、庶民たるブログ主はとてもスーツにネクタイ姿で外出などできるものではない。
 むろん、屋内では半袖ワイシャツすら脱ぎ捨てては肌着姿になってしまう。
 これが「国民の生活」というものである。
 屋内でも背広・ネクタイ姿でいるなら、それこそエアコンをがんがん効かせる必要がある。そのためにも原発は必要だということになりはしないか。
 壊し屋の小沢党首は早速、自らの党是の「脱原発」すら壊し始めたかのようである。

身近にもスカイツリーが

2012-06-08 05:24:23 | 時評

 自宅から徒歩6分の所に城跡公園がある。
 この城跡公園は「国指定史跡」になっているだけあって、城跡としての輪郭が明確で、環濠と土塁に囲まれた全体が史跡公園となっている。
 だが、本来城には必要最小限の樹木しかないはず。
 あまり樹木が多いと、敵軍がこの城を攻めてきた場合、敵兵の姿が樹木に隠れて見えなくなってしまう。
 だから、桜の木が千本も何千本もあるなどということはありえないことで、それらの多くの桜の木は明治以降に植樹されたものである。
 ともかくも、この公園内には桜の他にも様々な樹木が多く、市街地の貴重な緑地であり、「現代山形の肺」の役割を担っている。
 そしてこの公園内で最も樹高があるのが、上の写真のススカケノキで、高さは34メートル。
 ゆえに「霞城公園のスカイツリー」と呼ばれている。
 今や世は東京の新名所のスカイツリーの話題でもちきり。
 でも、身近な所にもスカイツリーがいくらでもあるのだ。
 しかもこれらこそ本当のスカイツリーのはずである。
 もっとわが街のスカイツリーを大事にしなくちゃ!

 これは2年前の4月の東京スカイツリー
 筆者は完成後のスカイツリーにはあまり関心がない。
 東京スカイツリー展望室からの眺めは不気味でしかないが、わが町の近くの山の頂からの盆地の眺めこそ壮観で雄大そのもの。

橋下監督VS本田選手 ②

2012-05-24 06:46:46 | 時評
 前回に続く
・・・とりわけスポーツ選手の場合はそれぞれの郷土の代表や“英雄”になったり、中にはオリンピックなどの大国際大会での日本代表となる場合もある。
 このような場合は単なる私人または民間人と言えようか?
 もはや立派な“公人”であり、立派な“公務員”である。
 もし、大阪の橋下市長がワールドカップなどサッカーの国際試合における日本チームの監督だったら本田選手が日本チームの選手として金髪頭で出場するのにクレームをつけることになるのであろうか。
 なでしこジャパンの女子選手たちが北欧チームを除くヨーロッパチームの選手たちよりも数多く茶髪頭での出場だったことに「ヤマトなでしこ」の名が泣いたと思われたが、江戸初期の英国人ウィリアム・アダムズ(日本名・三浦按針)ではあるまいし、生粋のヤマト男児の日本人選手が金髪では「サムライ・ブルー」の名も泣くのではないか。
 それでも、彼の技巧が優れていれば“日本人の誇り”として称賛されるだけなのだろうか。
 これでは刺青の大阪市職員が仕事をきっちりやっていれば問題なしとするのと大差ないような気もする。

橋下監督 VS本田選手 ①

2012-05-22 11:14:55 | 時評
 橋下大阪市長が市職員の刺青(いれずみ)禁止を発言したのが話題になっている。
 その理由はむろん、刺青は公務員としてふさわしくないからという。
 これに対して刺青の有無は問題でなく、仕事をきちんとやっていればそれでよいのではないか、行政の長が職員の外見についてとやかく言う方が問題だとする意見も少なくない。
 橋下氏自身も大阪市長の前の大阪府知事になる以前は茶髪頭だったこともあるが、大阪府知事就任以降(正確にはたぶん立候補表明以降)は茶髪をやめたらしい。
 刺青(最近は“タトゥー”という外来語の使用が増えている)というとすぐにヤクザや暴力団員を連想するが、むろん刺青人士のすべてがヤクザや暴力団員関係者ではない。
 これに対して、茶髪・金髪でヤクザや暴力団員を連想することは少ない。確かに外見がやや派手ではあるが、大部分が“善良な市民”なのであろう。
 それでも公務員で、とりわけ事務系・窓口系で茶髪・金髪はごく少数である(ただし女性職員を除く)。やはり茶髪・金髪は公務員としてふさわしくないという意識や雰囲気があるからであろう。
 ところで“公務員”とは官公庁や関係施設(公立学校など)で働く人びとだけのことであろうか。芸能人やスポーツ選手などには金髪・茶髪がきわめて多いが・・・次回に続く・・・

「コンクリートから人へ」は何処へ

2012-05-12 23:00:00 | 時評

 先の総選挙で民主党が大勝して民主党政権が誕生した際に、ブログ主は友人・知人に対して次のような「大予言」を発布していた。
 つまり、「民主党は早いうちに空中分解する」と。
 その「大予言」がやはり的中しつつあるのが現今の政局であるが、その民主党は野党時代から「コンクリートから人へ」を公言していたものの、東日本大震災の発生から次なる巨大地震や津波の不安、そして竜巻被害の頻発により、「人命最優先」そして「安全安心」至上主義のためにはやはり「コンクリートこそが国民のいのちを守る」という方向に再び舵がきられつつあると言える。
 ブログ主はむろん木造の伝統建築が好きで親しみを感じるし、また、多くの人たちも木造建築に温もりを感じると言うが、「人命最優先」と「安全安心」のためにはそんなのは感傷でしかなく、公人や“識者”にも木造建築など全廃すべきとまで公言して憚らない人も少なくない。
 実際に防災最優先の都市改造のためには木造家屋の密集地を解体して耐震耐火のコンクリート造りの集合住宅に造りなおしていくことが必要とまでされている。
 つまりは、安全安心、人命最優先の前では木造の歴史的建造物や歴史的街並みなど寸分の価値もないことになる。
 最近「木造建築の哀しみ」という表題のシンポジウムが東京で開催されたというが、それは安全安心、人命最優先至上主義の横行の前でのことであろう。

  ↑ 低層住宅の住民を日陰者にする古くからの市街地に突如建つ高層マンション

  ↑ 長野県の伝統的建造物群の海野宿

茶髪のヤマトなでしこが世界の頂点に

2011-07-19 10:19:43 | 時評
 詳細な内容は下記姉妹ブログの同日付けの記事にてご覧いただきたし。
  「山形の過去、現在、未来」←クリック

 「あくことなき洋風化により欧米を圧倒」「夷をもって夷を制す」というべき現象か?

「被災地の復興のために勇気を与えてくれた!」などの賛辞があふれているが、とっくに日本の街並みは文化的に崩壊の一途を辿っている。
 日本人としての誇りを外見で表すことを知らぬ若人たちから勇気を与えられたとしても、それはあくまで「物質的復興」だけのことで、地方都市は一層地方色を失い、郊外型商業ゾーンだけにクルマがあふれる殺風景な状態のみの回復にとどまるであろう。
 とどのつまりは「原発はやはり必要」との声も“復興”しかねない。

島国根性のままの脱原発

2011-06-20 17:07:58 | 時評

 このブログの名前は「島国ニッポンの山国から」である。
 とかく日本人は「島国根性」が根強く、国際的視野に立って物事を考えるのが苦手と言われているが、さらにその中でも山形の人間は島国の中の山国という周囲が山で囲われた自然環境的にも閉鎖的な地域に住んでいるから、それこそ国際的視野での思考なんぞ「苦手中の苦手」ということになりそうである。
 ブログ主である私もまた先祖代々の「山形人」なのであるが、それでも何とか閉鎖的思考からの脱却を目指して、このブログを運営し、更新に努めているところである。
 最近は当然のことだが国内外での「反原発」「脱原発」の動きが活発である。
 ブログ主自身も言わば筋金入りの脱原発論者である。
 それなのに特に日本国内での「反原発・脱原発」の言動に対しては少々「欺瞞」を感じざるをえない。
 つまり言動と発想に一貫性が見当たらないからである。
 それはあまりにも原発問題を日本だけの国内問題に矮小化している向きが強いからである。
 日本の54基の原発をすべて停止さらには廃炉にさえすればそれで彼らのお得意の言い草「子どもたちの安全安心」が達成され、それでメデタシメデタシとなるかのような錯覚に陥っているのではないか。
 しかし「一難去ってまた一難が訪れる」ことはほぼ間違いがないのである。
 北朝鮮が核開発に執心なのは6か国協議の停滞からもわかるし、韓国でも原発の新規建設の動きがあり、中国に至っては日本が原発事故に伴う放射能汚染問題で大揺れのさ中に原発の新規建設にゴーサインを出しているばかりでなく、なんと200基以上までに増設するのだという。

 また中国と工業化による発展を競うインドでも原発建設の欲求は強いし、石油産出大国の雄のサウジアラビアまでが十数基の原発建設の計画を公言したばかりである。
 さらに中東の人口大国イランでも核開発疑惑が濃厚とされ、これに対してイラン政府は核兵器開発のためではなく「平和利用」のためだというが、むろん「平和利用」とは原発設置のことである。
 はたしてこれらの諸国の安全管理は万全だと言えるのだろうか。
 日本の政府と東京電力は信頼できないが、アジア諸国や中東諸国の原発管理なら信頼できるというのだろうか。中国大使館やイラン大使館などの前にデモ隊を押しかけ、原発撤廃を大使に申し入れるなどの勇気があるのか。
 日本政府や東電に対する抗議はできても中国やイランなどに対しては抗議できないどころか、その発想すらないならば、「甘え」以上の欺瞞でしかない。
 もし、これらの諸国の原発で大きな事故があれば(ただししばらくは隠蔽される可能性)、偏西風に乗った放射能が日本国中を覆うようになりかねない。
 本気で日本の子どもたちの「安全安心」を将来にわたって守り通そうとするならば、日本の原発だけでなく諸外国の原発の停止はむろん、新規建設などは絶対に許さない姿勢をグローバル(全地球的)に示す必要があるのだ。

 もっとも、放射能を浴びても特に大量でなければガンなどで患うようになるには10年とか20年とかの後年になるようだが、それ以前に地球温暖化の急速な進展により異常気象は加速度的に顕著となり、豪雨災害や竜巻などで犠牲になる子どもたちが増加する事態の到来も考えておくべきであろう。

わたし作る人、ぼく食べる人

2011-06-06 23:03:13 | 時評

 懐かし~い、実になんづがすい(懐かしい)フレーズである。
 昔むかし、民放テレビの食品コマーシャルで、最初に女の子が登場してその食品について「わたし作る人」と語り、次に男の子が登場して「ぼく食べる人」と言って、早速その男の子がむしゃむしゃと食べ始めた場面が毎日繰り返された。
 一見、なんとも他愛のないコマーシャルと思われていたが、このテレビコマーシャルに対して女性評論家や女性団体が猛然と反発した。
 これこそまさに「男女の役割分担」であり、「男は女をかしづかせ、女は男のために働く」という封建時代と変わらない考え方の表れであるということであった。
 この昔のコマーシャルをもじった感じになるが、最近森の中でもない、村はずれでもない、なんと街なかで動いている水車を見つけて爽やかさを覚えた
 戦前にはこのあたりの用水路では水車が多く粉ひきなどで稼働していたようだから、この水車はその名残をとどめる歴史的財産と言えるようだ。
 この水車は水路にかかって回ってはいるが、むろん現在では特に生産的に稼働しているわけではない。
 だとすれば少々もったいない気がする。
 この回転エネルギーを発電に利用することは可能であろう。
 こうすれば、まさに「わたしエネルギーを作る人」ということになる。

 一方、下の写真の物体にはどれも複数の車輪がついているが、エネルギーを産み出す車輪ではない。
 外から供給されたエネルギー源により回転するだけの車輪であり、まさに「ぼくエネルギーを食べる人」ということになる。

 これからは灼熱の陽光が照り付ける本格的な夏となるが、郊外の大型スーパーの広大な駐車場を埋め尽くすクルマの大群を見ると、これまた実にモッタイナイ思いをせざるをえなまなる。
 それぞれの車内は「蒸し風呂」以上の高温になり、屋根の部分はまさしくバーベキューが可能なほど熱い鉄板のようになっていることだろう。
 そんなことなら、それぞれのクルマの屋根の部分には太陽光パネルを取り付けるのを義務づけるべきであろう。
 それをバッテリーに蓄電すれば、家庭電器にもかなり電力を供給できるのではないか。

文字通りのチャイナシンドロームの時代?!

2011-06-01 23:22:34 | 時評
 考えてみれば21世紀はまことに空恐ろしい時代になりそうだ。
 福島第一原子力発電所の冷却機能がなかなかうまく進捗せず、放射性物質の大気や地下、海水への拡散がとどまる所を知らない状況でありながら、一旦原発の新規建設を控えていた中国がもう建設にとりかかり始めたということである。
 中国は2050年までに原発を200基以上にまで増設するのだという。
 それがすべて「絶対安全」というなら構わないかもしれないが、技術力の高さと管理能力が世界的に評価されていた日本の原子力発電所でさえも福島のような大事故を招いてしまったのであり、やはり「絶対安全」ということはありえないと申すべきであろう。
 しかも中国という国家と社会の「隠蔽体質」は事故の発生すら隠蔽してしまうのではないかという懸念が強く抱かれているし、「絶対安全」という言葉の使用頻度は東京電力や経済産業省の何倍も多いようだから、かえって不安になる。
 もし中国の原発にも重大事故(「炉心溶融」の場合はそれこそ文字通りのチャイナシンドロームになろう)が発生したら、放射性物質の多くが偏西風により日本に運ばれる。
 原発推進は中国だけでなく韓国でも熱心だ。
 韓国の場合は日本海沿岸に多く立地されている。だから韓国の原発に重大事故が発生してもやはり偏西風と対馬海流により日本に放射性物質が多く運ばれる。
 たとえ日本のすべての原発を「廃炉」にしたとしても中国と韓国の原発は今後も増え続け、将来にわたり事故発生の確率はますます高くなるであろう。
 だから日本のすべての原発を廃炉にしてさえも中国と韓国は原発の新設推進をやめようとはしないであろう。ましてや日本が既存の原発のすべてを廃炉にしないならば、なおさら中国と韓国は原発推進に努めるであろう。
 
 ◆写真の左が中国の原発地図(緑マルが現在稼働中=1か所で複数基)、右が韓国の原発地図(大都会のプサンや世界遺産都市の慶州に近いのが驚き)