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縄文人骨91体

2014年02月11日 | Weblog
縄文人骨91体 ルーツ解明に期待 2月11日 8時54分 NHK サイエンスより抜粋

 大量の人骨が見つかったのは、富山市にある「小竹(おだけ)貝塚」。北陸新幹線の工事に伴って2年がかりで発掘調査したところ、厚さが最大2メートルの貝殻の層が見つかりました。今からおよそ6000年前、縄文時代前期の貝塚で、日本海側では最大級の規模だということです。同じ場所に住居や墓も作られていたことも分かりました。
 その後、確認された人骨は、少なくとも91体。「貝の地面に貝で埋めていた」状態だったということです。1万年以上にわたる縄文時代のうち、早期と前期は人骨の出土例が少なく、これまで全国で確認されているのは、合わせておよそ80体です。
 人骨は、国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)に持ち込まれ、詳しい調査が行われています。形や大きさから、その人の年齢や性別、身長などを読み解きました。91体のうち、身長の推定が可能だったのは29体。 推定身長の平均は、男性が159センチ、女性が148センチで、その後の縄文人とほぼ同じでした。縄文時代を通じて身長が大きく変わっていないことを示す明確なデータが、初めて得られたということです。
 DNA分析も行われました。骨の細胞の中にあるミトコンドリアのDNAを分析して塩基配列を調べ、その違いから「ハプログループ」と呼ばれるタイプ分けを行いました。今回、ハプログループが判定できたのは13体で、最も多かったタイプは、北海道の縄文時代人などに見られる「北方系」でした。ところが次に多かったのは、東南アジアや中国南部に多く見られる「南方系」。縄文時代早期の北陸では、「北方系」と「南方系」が混在していたのです。一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多く見られるタイプは、今回は出なかったということです。
 小竹貝塚では、出土品の量の多さと多彩さも目を引きます。土を袋に入れて持ち帰り、洗いながら細かな遺物まで調べた結果、▽土器13トン、▽石器1万点、▽動物の骨などを使った道具や装身具2300点、▽丸木舟などの木製品100点、などが確認されたということです。
 出土品から見えてきたのは、他地域との活発な交流です。土器は、関東や近畿の様式のものに加えて、東北の土器の特徴を持つものもありました。さらに、九州など温暖な地域でしか採れない「オオツタノハ」という貝で作ったアクセサリーも、日本海側の縄文遺跡で初めて見つかりました。鮮やかな緑色をした「ひすい」は新潟産で、国内でも最古級の加工品だということです。

 現代の日本人に多く見られるハプログループタイプは、3000年前頃から育まれているものと思われます。日本列島内の100ぐらいの集団が交流しあい、2000年前頃から統一国家の動き。

 西暦57年、後漢書に「倭奴国」の記述があるのが最古。その後、184年頃卑弥呼邪馬台国女王の記述。

 倭人の風俗「土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。籩豆(たかつき)を用い、手で食べる。長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。盗みは無く、訴訟も少ない。法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。宗族には尊卑の序列があり、上の者の言い付けはよく守られる。女は慎み深く嫉妬しない。」魏志倭人伝

 埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣に「辛亥年ワカタケル大王」(辛亥年は471年、ワカタケル大王は雄略天皇の名)の銘。

 日本に現存する最古の歴史書は712年の「古事記」。720年の日本書紀によれば、神武天皇即位紀元の元年は、キリスト紀元(西暦)前660年とされる。

 民主主義国家としてのスタートは、1946年。国連世界人権宣言は1948年。


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