天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

100歳のバーを越えて ~日野原重明氏

2011年10月11日 | Weblog
 今月4日に誕生日を迎えた私は、ついに100歳のバーを飛び越えました。
 振り返ると、30歳になるまでは、結核などの病気で青白い青年でした。徴兵検査では丙種。同級生の半数は戦死しましたが、病身だった私には軍隊への召集がありませんでした。聖路加国際病院を定年退職する前には、乗っていた日航機よど号がハイジャックされる事件もありましたが、韓国の金浦空港で無事釈放され、命は助かりました。
 病院を定年退職してからも、今日まで、理事長として研修医や看護師の教育を続けることができています。また、様々な団体のボランティア理事長としても現役を続けられています。
 天からの贈り物をたくさん頂いてきた私は今、新たな思いで100歳からのスタートラインに立っています。
 5年ほど前には、自宅の書斎の改造や、40年以上住んだ母屋のリニューアルを終え、若い人を大勢招いてのパーティーができるようになりました。2020年までの10年日記の3年先、5年先の欄に何を書き込もうか、熟慮したいと思います。
 ただ、いくら今まで体の調子がよかったと言っても、100歳を超えてからは、適正な食事、睡眠、運動、そして仕事量の限界も見定める勇気を持ちたいと願っています。
 「生活は質素に、思想は高潔に」。英国の詩人ウィリアム・ワーズワースの詩のように、淡々とこれからを生きていければよいなと思います。
 プラトンは人間の持つべき大切なもの、元徳を次のようにあげています。
 第1は知恵、第2は勇気、第3は節制、そして第4は正義。このうち第2の、勇気を持った行動こそ、これからの私の人生を強く導くものだと思います。青年が持つような熱い情熱のこもった行動力を持ち続けること、それが私の最大の願いです。この決意を読者の皆さんにも伝えたいと思います。~日野原重明「私の証 あるがまゝ行く」朝日新聞

 四元徳(cardinal virtues)の概念は古代の哲学において共通の話題。プラトンの『国家』、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』に見られます。キリスト教哲学者にも広く受け容れられ、カトリック神学の要諦となりました。キリスト教において神学的徳は、コリント書に由来する信仰、希望、愛 (charity) 。これら徳の調和とこれらへの思慮がキリスト教神学の特色。キリスト教の成立によって、謙遜も徳として挙げられるようになりました。
 儒教においては孔子が、仁・義・礼・智・信を五徳と表しました。

 仏教においては、戒、定、慧。100歳のバーを越えた日野原重明氏も56歳で逝ったジョブズ氏も、自分を信じる「勇気」。徳を深く思慮することにより、常識を覆してきました。法に忠実であることこそ、潜在能力を引き出してくれるというお手本ですね。先人の教えを今に活かしてくれること、飽くなき情熱に感謝。

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