天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

五月雨

2012年06月16日 | 夏は夜
 323年前のちょうど今頃、平泉を訪れた芭蕉は、源義経の居館があったとされる高館の丘陵にのぼり、500年前に想いを馳せていました。

 「夏草や 兵どもが 夢の跡」

 続いて地蔵尊六体を脇にした中尊、阿弥陀如来を本尊とする中尊寺を訪れた芭蕉は、五月雨の中、北条氏によって建てられたといわれる覆堂に護られた金色堂へ。

 「五月雨の 降り残してや 光堂」

 金色堂には、無量の光を放つ阿弥陀さま。

 前九年の役・後三年の役で家族も全て失った清衡が、この世に築こうとした浄土の世界。脇を地蔵尊としたのは、敵味方なく全ての民が浄土に導かれますようにとの清衡の思いから。




 「荒海や 佐渡によこたふ 天河」

 この句を詠んだ日も雨。荒海に無量の光の天の川。