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『喜劇の王様たち』を改題して、10年後の1973年に刊行された小林信彦著『世界の喜劇人』は、どうやら『王様たち』を大幅に加筆・修正した本のようです(そんなこともしらんかったんかい、と叱られそうですが)。
そうすると、『喜劇の王様たち』を読む意味はあるのか、とか、『世界の喜劇人』を読まずに感想を言うのはいかがなものか、といった一抹の疑問はよぎります。よぎりつつも、ひとこと言わずにおれない自分が、なんだかはしたないのだけれども。
『世界の喜劇人』には賛否両論あるようで、おそらく『喜劇の王様たち』にかんしてもそうなのではないかと思う(ネットで見ても本書へのレビューはほとんど出てこない、ってあたりまえか)。
しかし、わたしはあえて『喜劇の王様たち』の感想を書き、擁護してみたいと思います。ものすごい大きなお世話ですけど・・・
事実関係の誤りが多いのは、本書が書かれた1961~63年の時点で海外の古い映画人の情報が得にくかった、という事情によるものなので、いちいちアゲアシをとるのは馬鹿げている。
コメディアンの評価については、本書のテーマを「スラップスティック」と銘打ちながら、バスター・キートンにほとんどふれていないのは不自然だ、と思う読者がいるかもしれません。現代では、スラップスティック喜劇の王者はバスター・キートンだ、というのが、映画ファンにほぼ共通した認識でしょうから。
なぜそういうことになってしまったかというと、理由は単純で、キートンの映画が日本でほとんど紹介されていなかったからなんですね。ハロルド・ロイドもしかり。
キートンやロイドも観ることができない状態で、サイレント喜劇を、あるいはスラップスティック喜劇を論じるということ自体が、ちょっと理解に苦しむところではあります。
これは筒井康隆氏も『不良少年の映画史』で書いていますが、どうやらキートンは、戦前戦後の日本では、さほどすごいスターと思われてなかったフシがある。
筒井さんは戦前にたくさんロイドを観ていたから、キートンを観てないはずはなかった。観ていたのに同時代にはさほど高い評価をしてなかった、というのが、奇妙というか、おもしろい。
それと、前の記事で書いたように、わたしが『世界の喜劇人』を読むのをあえて避けていた理由のひとつは、小林信彦がジェリー・ルイスをケチョンケチョンに書いているというのを聞いていたからです。
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ディーン・マーティンとジェリー・ルイス
当ブログを見ていただくとわかるように、わたしはジェリー・ルイスの大ファンなので、小林信彦の的を射た悪口(笑)を読むのがコワかった。ムカッ腹をたてながら納得させられるのがイヤだったし。
でも、『喜劇の王様たち』のジェリー・ルイスの記述にかぎっていえば、やはり多少ムカムカしつつも、おもしろく読めました。
マーティン&ルイスのコンビ主演映画をクサしつつも、『画家とモデル』と『底抜けのるかそるか』の2本だけはホメているところに、やはり彼の批評のまっとうさを感じます。この2本は、フランク・タシュリン(『女はそれを我慢できない』で有名)の監督作で、マーティン&ルイスの最高傑作といわれている作品です。
『画家とモデル』は、わたしがマーティン&ルイスとの劇的な出会いを果たした思い出の作品。映画のなかで、ジェリーがジェスチャーで必死に意図をつたえようとする場面があり、それに爆笑させられて、ジェリー・ルイスに恋してしまった。若き中原弓彦も、そのシーンを高く評価しています。なんか、無条件にうれしくなるのよね・・・そんな優柔不断な自分がかなしひ(笑)
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“ジェリー・ルイスの芸には芯がない”というのが、中原弓彦/小林信彦のジェリー批判の焦点。「芯のなさ」こそがジェリーを新時代のスターにしたのだが、マーティン&ルイスの映画を観ているだけではそれはなかなか理解できない。ジェリー・ルイスは、チャップリンやキートンのような伝統的な「芸の人」ではなく、「スーパーアイドル」だったのだから。
映画でジェリーが危険なアクションに吹替えを使っていることも批判されているが、やりたくてもできなかったのが実情だろう。大事な“商品”であるスターに危険なことをさせないというのは、映画会社側の方針であって、俳優本人の意思でどうなるものでもない。
無声喜劇論にはいかにも食いたりなさを感じるものの、小林信彦がリアルタイムで観ていたコメディアンについての記述は、俄然おもしろいです。たとえば、1940年代に絶大な人気を誇ったアボット&コステロ(凸凹コンビ)の映画について、
正直にいって、私はこのコンビが嫌いだった。はじめは好きだったが、同じギャグのむし返しが多いので、イヤになったのだ。
と、あからさまな批判ができるのは、この極東の地でドライに観ていた彼くらいかもしれない。欧米では、アボット&コステロは偉大なコンビ芸人だった、という前提からしか出発できないので。
実は最近わたしは、アボット&コステロの作品を毎晩1、2本ずつDVDで観ているのですが、初期の作品がものすご~~~~くつまらない!!
ただうるさいだけのルー・コステロと、単なるいじめっこにしか見えないバッド・アボット(*)、そしてクソおもしろくもないミュージカルシーンに、毎晩イライラさせられてる。小林信彦がばっさり斬ってくれて、スッキリしました(笑)
(*コステロとアボットを逆に表記していました。訂正しました。どっちがどっちか覚えられないくらい、このコンビには興味が持てない・・・と、言い訳)
もっとも、このコンビは『凸凹フランケンシュタインの巻』といったユニバーサルらしい傑作を残しているし、有名な "Who's on first?" のネタだけで不滅の存在になったしゃべくり漫才の達人ではあったのですが。
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思うのですが、「トーキー以降のスラップスティック」というテーマに収束させようとしたことに、そもそも本書のキビしさがあったのかもしれない。小林信彦が明らかにひいきにしているマルクス兄弟やクロスビー&ホープを、スラップスティックというジャンルにはめこむのは、どう考えても無理があります。
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つまらない男だった、と本書でばっさり斬られてるゼッポだが、寄席時代は兄弟中いちばんおもしろかったらしいことが、いまではわかっている。
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ビング・クロスビーとボブ・ホープ
スラップスティックがテーマでありながら、3ばか大将に一切ふれていないのも妙です。3ばか大将の映画がいつごろ日本に輸入されはじめたのかが、わからないのですが・・・
それと、本書では、映画のギャグに通し番号をつけて記録していくという試みをやっています。これは本当に必要なことだったのかしらん?とてもじゃないけどキリがないし、それに、スラップスティックギャグを言葉で完全に“再現”するなど、まず不可能です。
(もちろん、映画を劇場で観た記憶と記録だけで、ここまでギャグをこまかく記述しているのは、人間業とは思えない)
『喜劇の王様たち』の本当の価値は、たとえばレッド・スケルトンといった、いまでは本国アメリカでさえ忘れられたコメディアンを日本語で記録した、といったところにある。なんと当時、伴淳三郎がレッド・スケルトンに会いにアメリカへ行ったらしく、
先日、伴淳のうつしてきたフィルムをTVで見たが、スケルトンの邸宅の大きいことに一驚した。・・・伴淳の質問に答えて、「私はいつまでも道化師でありたい」といい、サーカスのクラウンの人形を大事そうに抱えていた。
な~んて記述が出てくると、もう、ドキッとしてしまう。そして、レッド・スケルトンに質問する伴淳の映像を、猛烈に見てみたくなる。
やはり小林信彦というひとは、彼が直接ふれたもの、彼にとっての「今」(たとえそれが過去の一時点であっても、その時点での「今」)を通して「笑い」を語るときに、いちばん読者をドキリとさせるんだろうと思う。そこが、『日本の喜劇人』が時の試練にたえていまだに放つ輝きとの、最大のちがいでしょう。
しかし、彼の発言は非常に影響力をもってしまうため、もし本書を通して現代の読者に誤解をあたえていることがあるとしたら、そこは現代のコメディマニアであるわれわれが正してゆかなくてはいけません。
たとえば、『王様たち』執筆の時点でキートンの作品をほとんど観ていないにもかかわらず、
永生きしても、テレビで老醜をさらしているキートンなどはミジメなものである。
と、書いている。この記述をうのみにして「キートンは生活に困ってテレビで醜態をさらすほど哀しい晩年だった」などと信じている方がもしもおられたら、それは事実とはまったくちがうのだ、ということを知っていただきたい。
事実:キートンは、1950年代以降、テレビのバラエティ番組やCMにひっぱりだこだった。全盛期とかわらないほどのギャラを稼ぎ、一族郎党を養い、暮らすには十分すぎる土地と家をハリウッドのサンフェルナンド・バレーに買って、最愛の妻エレノアとふたりで、穏やかな生活を送った。
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自宅の敷地にキートンが建てた“ニワトリ小屋”。普通のニワトリ小屋はあまりにあじけないと気の毒に思ったバスターは、ニワトリたちにちっちゃな“学校”を建ててあげた・・・
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エレノアとバスターと「将軍号」
キートンが引退せず、死ぬまでパフォーマンスしつづけたのは、彼が根っからのコメディアンだったからでした。パフォーマンスすることが、文字通り彼の生命だったからでした・・・
こういった点が、『世界の喜劇人』でどう修正され、ブローアップされているのか。いままで避けてきた本ですが、いまは逆に、読むのが楽しみになってきました。
それにしても、使われている写真の豊富さにはびっくりだわ・・・当時はまだ、肖像権だとかなんだとか、うるさく言われなかったんだろうなあ。映画の本を出す時、ネックになるのが画像の使用料なんですよね。まったく、うらやましい時代です・・・
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