とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

アンチノスタルジア

2013年02月28日 19時25分50秒 | バスター・キートンと仲間



もともと本を読むのがあまり得意じゃないので、著名な映画批評家や文芸評論家とよばれるひとびとの本も、読んでないものがいっぱいあります。


本を体系的に読めないのが、小学生のころからのわたしの大きな悩みでした。ひとりの作家を読破する、とか、ある国、ある年代の小説をまとめて読むとかいうことが、どーしてもできないんです。最近はもうあきらめて、乱読(濫読にあらず)上等!と開き直ってますが。


そんななかでも、小林信彦氏のエッセイは、自分基準ではまあまあ読んでいるほうです。しかし、わたしはこの方の文章に対して、ある種複雑な、屈折した感情を抱いている。はっきり言うと、この方の文章を読むのが「こわい」。

なぜかというと、


1:好みの対象、評価するエンタテイメントの傾向、気になってしまうツボ、などなどがあまりにも自分とかさなるのがコワイ(決してうぬぼれで言ってるのではないですよ、そうじゃなく、かような大大大師匠が存在してくれる奇跡に驚愕しているのです)。

2:あまりに自分のツボに直球ストレートなので、彼の意見や文体や批判にすぐ影響されそうでコワイ。

3:あまりにツボを刺激されすぎ、インスパイアされすぎて、頭の中がストーム状態になるからコワイ。

4:あまりに尊敬しているので、自分の好きなものをけなされたらわたしきっと立ち直れない、と思うとコワイ(まあ実際そんなことはないんだけど)。


そうはいうものの、いったん読み始めてしまうと、脳みそがスポンジ化したみたいに夢中で吸収してしまう。「貪り読む」という表現がぴったりなくらいに。


『喜劇の王様たち』(中原弓彦名義の著作)を、最近ネットで古本を見つけて、購入しました。昭和38年(1963年)発行。

神戸映画資料館で定期開催しているトークイベント「コメディ学入門」で、次回3ばか大将をとりあげることになり(あらためて告知させていただきます!)やはりこの本は読んでおかなくてはいかんだろう、と思ったのです。

「スラップスティック」や「ギャグ」についてまじめに論じた本が、日本では非常にすくないので。


で、ついさっき本が家に届いて、ぱらぱらページをはぐっているとき「ん?」と思った。ネットで見てみると、この『喜劇の王様たち』が後年『世界の喜劇人』と改題されて出版されていたことがわかった。


じつは、『世界の喜劇人』は、わたしがずっと読むのを積極的に避けていた一冊なのです。


事実の誤認があったり(書かれたのが昭和38年だからしかたない面はある)、『日本の喜劇人』とくらべるとどうしても見劣りする、といったうわさを聞いていたからでもあるんですが、もっと大きな理由は、上にあげた2と4でした。特に2かな。


サイレント喜劇、および50年代頃までのアメリカ喜劇は、わたしのスペシャリティです。作品を鑑賞し、批評し、みなさんにそのおもしろさを伝えることを、自分の仕事としています。

だからこそ、自分にしかない視点をゆるがせにはできない。その点に関しては、他からの影響を受けすぎるわけにはいかないのです。

だからこそ、これまで『世界の喜劇人』を避けて来たというのに・・・自分の無知のせいで、あっさりオリジナル買っちゃいましたよ(笑)こうなったら、もう、あきらめて読みますけどね、ええ。


で、さっそくこんなフレーズをめっけてしまったりなんかする。


・・・が、私にとって不満なのは、その(*アメリカの無声喜劇評論を指す・いいを註)いずれもが “ノスタルジア” としての角度からしか無声喜劇をとらえていないことである。これは日本でもそうなのだが、無声喜劇というと、<ラムネ><おせんにキャラメル>的ノスタルジアの人ばかりが発言するのは歎かわしい。といって、これがまた“流行”になったりすると(そんなことは、よもや、あるまいが)、お先っ走りな連中がさも新しげに珍重したりして、これはいよいよイケマセン。


「スラップスティック再説」の章からの引用。もう、プラスマイナスの必要一切なしに、完全同意してしまう(だから、コワイ)。“ノスタルジー”ほど気色の悪いものはない、と、わたしもいつも感じています。


百年近く前の喜劇映画を専門にしているくせに、ノスタルジア否定とはどういうことやねん、と思われるかもしれない。しかし、「過去に生きる」ことと「過去を懐古する」こととは、似て非なるものでしょう。


「あの頃は良かった。いまはダメ」と、なにかにつけ「いま」を否定する向きは多いし、その気持ちもすごくわかる。そういう現状批判こそ、前へ進んでいくためのカンフル剤だったりもします。

でも、それとまったく同じフレーズを、20年前、50年前、200年前、1000年前の人々も言ってたのだとしたら。そして、20年後、200年後、2000年後の人々も、やっぱり「いまはダメ」と嘆くのだとすれば・・・

長い人類の文明史のなかで、自分が生きてる「いま」が最悪だなんて、冷静にかんがえれば、妙な話です。


ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』がすばらしかったのは、「あの頃は良かった」なノスタルジア映画に陥らなかったからで、そこにウディ・アレンの天才がある。

主人公があこがれていた1920年代の人々も、さらにその前のベル・エポックの人々も、「いまはダメだ~」と不満タラタラで、みんな過去にあこがれている。そんな姿を見て、主人公は、自分が生きる「いま」にもきっとすばらしいものがいっぱいあるに違いない、と気づくわけです。


もちろん、過去へのあこがれは、わたしにもあります。もしもタイムトラベルできるとしたら、迷わず1920年代のハリウッドへ行くでしょう。

あの偉大な笑いの神々たち---キートン、ロイド、ローレル&ハーディ、チャーリー・チェイス、ハリー・ラングドン---が、街角からひょっこり姿をあらわしたら・・・想像しただけで、体がふるえそう。


BUT!それは、なかば「妄想」である。


実際に会ってみたら、これほど激愛しているバスター・キートンも、とんでもないダメ人間かもしれないじゃないですか?それに、1920年代の生活はきっとものすごく不便だろうし、だいたいの人はオシャレじゃないだろうし、お風呂だってそう頻繁には入れないだろうし・・・

ウディ・アレンもインタビューで言ってましたよ、「抗生物質のない時代へは行きたくないね」と(笑)


でも、だからこそ、おもしろい。

サイレント喜劇について話したり書いたりするとき、わたしはいつも、同時代の感覚をできるだけ伝えようと気をつけてます。つまり、その喜劇が実際につくられ、観られた時代の状況をふまえながら解説したい。実際以上に過大評価はしたくないからです。


と同時に、「いま」とのつながりも、大事だと思う。

サイレント喜劇のギャグが、どのように受け継がれて、いまに生きているのか。誰に影響をあたえて、それがどう変化していったのか。いまを生きるわたしたちにとって、そのギャグはどんな意味をもっているのか。


すべてはつながっているし、すべてはぐるぐるくりかえされる。時代が変わったからといって、笑いが良くなったり悪くなったりはしません。笑いは、笑いです。



ところで、さっき引用した『喜劇の王様たち』にもどりますが、引用した章の冒頭に、


いま、見たい映画をあげろ、と言われたら、一本しかない。
それは "Harold Lloyd's World of Comedy" というロイドの傑作をつなぎあわせたやつで、とにかく、メチャメチャに面白いらしい。



と、いう一節があります。

いまでは、このロイドコンピレーションをDVDで買うことができるし、なんならネット動画で全編観ることだってできる。


ああ、なんと恵まれた時代になったのでしょう。現代は、観客にとって、いまだかつてない“サイレント喜劇の黄金時代”です。映画祭、テレビ、DVD、ネット動画と、あらゆるメディアで世界中のサイレント映画を観ることができるんだから。


ビデオさえない時代に、外国のサイレント喜劇を観ることが、いかに大変だったか。その苦労を思うと、コメディオタクの先輩たちに敬意を抱かずにはいられません。そして、現代の恵まれた環境に感謝せずにはいられないのです。


・・・とはいえ、日本で国内版DVDがほとんど販売されていない以上、サイレント喜劇が観づらい状況は、いまもさほど変わりないのかもしれないけど・・・


ちなみに、小林信彦氏が猛烈に観たかったロイドコンピレーション映画ですが、現代のサイレント喜劇ファンの間では「まあまあかな」という評価が一般的です・・・






HAROLD LLOYD'S WORLD OF COMEDY (1962)






こちらはロイド主演の短編『父に聞いて』。10分ほどの短い映画。
とってもおもしろい。若いロイドがかっこいい♪

好きな彼女にプロポーズするも「わたしわかんない。父に聞いてよ」とつれなく言われ・・・パパが経営する会社へいざ乗り込むハロルド!

Ask father 1919









最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (aiko)
2013-03-03 20:00:02

たいした人間じゃなく、たいした能力もなく、欠点の方が多いけど、やっぱり今の自分が一番いいと思うんです。政治や経済は悪くなったかもしれないけど、昔はよかったなんて、考えたことはないなあ。漠然となんですかねえ、ノスタルジックって。
自分が好きでいられるってのはやっぱ自分を認めてくれたり受け入れてくれた周りの人たちのおかげだし、その大切さを考えると昔がどうのって、言う気にはなれないのですが、きっとノスタルジーを語る方はそういう視点ではないのでしょうね。

ノスタルジックかどうかはおいといて、うちの子ども達はこないだ黄金狂時代を観て大笑いでしたww
CGもない古典的な映像で大ウケ(^u^)やっぱ本物は世代も時代も超えて受け継がれるんですよね。

関係ありませんがスクリーン表紙でベネさんがしてたのはどうやらオメガの時計らしいです。はあ、またあの表紙を思い出して(カッコよすぎて)気が遠くなってきました…w

今回S3のセットにバスルームがあるって知ってましたか!!誰が!誰が入るのでしょうか!(奮)



返信する
aikoさん (ファイアー)
2013-03-03 21:16:09
そうですね、わたしも同じで、あの頃は良かったって自分をふりかえることって
ほとんどないんですよ。じつは。
学生時代なんて学校が嫌いでたまらなかったし、
もう一度学生をやれなんて言われたら地獄ですね(笑)
もちろん、人それぞれでしょうけれどね。
幸せな過去があれば、その思い出をバネにがんばれるかもしれないし。
ノスタルジー全否定でもないんですけど、妙な懐古趣味はいやなんですね。

>うちの子ども達はこないだ黄金狂時代を観て大笑い

そうですか!すばらしいですね~!
サイレント喜劇好きとして、すなおにうれしいです。
どうぞぜひ、バスター・キートンやハロルド・ロイドも見せてあげてください。
キートンのパブリックドメインの廉価版などはけっこう手軽に観れますから^^
http://www.amazon.co.jp/s?ie=UTF8&field-keywords=バスター・キートン&search-alias=dvd

>今回S3のセットにバスルームがあるって

えええええっ!!!!!
し、しりませんでしたっ(呼吸困難)
どっちのお風呂なんだろ?ていうか、221Bにはいくつバスルームが!?
だって、S3E3でジョンはキッチンの奥から風呂上がりで出てきましたもんね。

あと、ジョンの寝室もまだ出てきてないですよね。
S3では、寝てるジョンを起こすシャーロックを見たいんですよー!
・・・つい興奮しました(笑)
返信する

コメントを投稿