翻訳を進めてきたジェリー・ルイスの回顧録『ディーン&ミー(ラブ・ストーリー)』も、いよいよ終盤です。
今日、マーティン&ルイスのコンビ仲が決定的に決裂してから、コンビとしての最後のライブを終えるまでの章を訳していました。そもそも本のプロローグ(こちらにアップしています)が、この最後のライブから語り起こす構成になっているので、ようやくひとめぐりした格好。それにしても・・・ああ、気が滅入る。
コンビとして活動した10年間で「最悪の10ヶ月」とジェリー・ルイスがふりかえる時期の話ですから、気が滅入るのはあたりまえ。翻訳となると、読み流していたちょっとした単語に、じつはジェリーの強い想いがさりげなくこめられているのを発見したりもする。
だから、ここしばらく、ジェリーと相方のディーン・マーティンがなめた「最悪の10ヶ月」の辛酸を追体験してきたようなものです。本の中で最後のライブツアーが終わったときには、悲しいと同時にホッとさえしてしまったのは、奇妙でした。
それにしても、この本を読んでいると、「コンビっていったいなんだろう」と、つくづく考えさせられます。
コンビとしてあまりにも成功したために、膨大なカネや人がふたりを取り巻きはじめ、まるでひとつの巨大企業のようにふくれあがってゆく。取り巻きができ、中傷や横やりが入る。家族ができる。年をとる・・・
さまざまな要因が澱のように静かに重なってゆき、ついにはコンビが口をきかなくなる。ジェリー・ルイスはその当時のことをこう書いています。
「プライベートで口をきかない相方とコメディを演じてみるといい。セットですれちがうときも、仕事が終わって車にむかうときも、僕らはまったく目を合わさなかった。冷えきっていた。男の意地のはりあいだった」
わたしがマーティン&ルイスというコンビに魅了されたのには、いろんな理由があったのですが、やはり大きいのは、彼らがとんねるずを強烈に思い起こさせることです。
アメリカと日本のちがいはあれ、どちらも、ショウビジネスの歴史においてもっとも成功した「アイドルコンビ」である。そして、どちらも、コンビ愛をウリにした。とんねるずとマーティン&ルイスのこれらの共通点は、芸能史というものをかんがえる上でも、非常に大きな意味をもっていると思う。
だからこそ、とんねるずが、30年間というとんでもなく長い歴史をふたりで歩んでいることに、わたしは驚嘆してしまうし、敬意をはらわずにいられないのです。
マーティン&ルイスは、アメリカのショウビズの伝説です。彼らが伝説になれたのはなぜか?それは、ハチャメチャなおもしろさや、二枚目ぶりや、超絶的な人気のためだけではない。それは、彼らが解散したからです。しかも、人気の絶頂期に。
それは、お笑いコンビのそれというよりむしろ、キャンディーズやピンクレディなどのスーパーアイドルの解散と比較するほうが正しい。「普通の女の子になります」という芸能史にのこるキャッチフレーズを残したキャンディーズの解散コンサートは、彼女たちをリアルタイムで見ていない世代でさえ知っている。「伝説」だからです。
マーティン&ルイスは、おそらくお笑いコンビとしては史上初の「解散コンサート」をやった。しかも驚くべきことに、コンビ結成10周年記念日である1956年7月24日がコンビの最後のライブとなったのです。こんな離れ業はキャンディーズにもできなかった。
かんがえてみれば、あまりにも出来過ぎです。「解散コンサート」をわざわざ10周年記念日にぶつけるというのは、あきらかに伝説を残す意図をもって、慎重に計画されたことだという気がしてならない。
ジェリー・ルイス自身は、本の中でこのことについて、意図的だとも偶然だとも書いていません。しかし、彼が実質的にコンビのプロデュースをとりしきっていたことを考えると、コンビの最後の花道をいかに周到に用意すべきかを、考えなかったはずはない(プロデュース能力に長けているという意味で、ジェリー・ルイスはタカさんに非常に似ています)。
では、日本ではどうでしょう。
日本の芸能におけるコンビとは、そもそもは「漫才コンビ」を指した。伝統芸能の万歳における「太夫・才蔵」がその原型です。一般に、漫才コンビは「生涯添い遂げるもの」と考えられている。
だいぶ前に、ナイツが内海桂子師匠と「デート」する番組をたまたま見ていたのですが、師匠の「相方は夫婦よりも大事なものだ」という言葉が印象的でした。それはすなわち、コンビは簡単に別れたりはできないものだし、別れるべきでものでもないのだという意味だと、わたしは解釈した。
しかしそれでも、近代漫才の開祖といわれる横山エンタツ・花菱アチャコは、昭和5年結成、昭和10年解散。漫才コンビとしての活動はわずか5年で、その後は映画で共演するのみだったと言います。『日本の喜劇人』では、エンタツ・アチャコの「解体」は多分に吉本興業の戦略という要素が大きかったと書かれている。
「ローレル&ハーディは私生活で喧嘩つづきであり、マーティン&ルイスは分裂した。多くのコンビの不幸な例をみるとき、人気絶頂で別々にして、人気の幻影の上に商売を組み立てた吉本は、まことにしたたかである」
一言だけ説明させていただくと「ローレル&ハーディは私生活で喧嘩つづきであり」というのはじつは事実とちがう。スタン・ローレルが喧嘩していたのはプロデューサーのハル・ローチだった。その対立が「コンビの喧嘩」として誤って報道された時期がありました。
(それに、ローレル&ハーディは解散も分裂もせず、オリバー・ハーディが亡くなるまでコンビとして添い遂げた。こちらの記事に書きました→とんねるずイズム「男男-3」)。
それはともかく、確かに小林信彦の言うとおり、昭和初期の時点ですでにコンビ史を冷静に分析していた吉本は「まことにしたたか」としか言いようがありません。
横山やすし・西川きよしの名コンビは西川きよし氏の参院選出馬で事実上の解散。それにつづくMANZAIブームのコンビたちもことごとく解散していった。
演芸場や寄席の舞台を活動拠点にする漫才コンビは別としても、テレビで活躍したコンビのほとんどは、分裂・解散の道をたどってきたのです。
コント55号もしかり。やはり『日本の喜劇人』をひくと「マーティン=ルイスとも、エンタツ・アチャコともちがう、およそ類のない形での分裂」と書かれている。コンビの主導権をにぎっていたはずの萩本欽一が、坂上二郎の人気の高まりによって徐々に居場所をうしなっていったことが「分裂」の遠因だと、小林信彦は分析しています。
ふと思ったのですが、コンビが長続きするために、テレビというのはもっとも向かない媒体なのかもしれない。テレビで四六時中コンビの姿をお茶の間にさらし、“消費” されつづけることは、コンビ仲を悪化させる最大の原因なのかもしれない。
テレビを活動の拠点にしてきたとんねるずが、これほど長く続いているというのは、もしかしたら彼らがコンビとしてブレイクし成功したことよりも、もっと奇跡的なことで、そしてもっと価値のあることなのかもしれません。
いや、ただ長続きしているというだけではない。コンビ愛というスタンスを、これだけ長い歳月にわたり変わらず打ち出しつづけていることは、奇跡というほかない。
レギュラー番組を最小限におさえてきた、時にはそのレギュラーも「休養」したりした、正月番組も最小限にしてしっかりワイハで休んだ・・・とんねるずが「そんなにがんばりたくないんだもん」とネタにしながらやってきた、ひとつひとつの事が、おそらくはじつに大事な方法論だったんだろう。
それは、とんねるず自身が「コンビであること」の重要性を深く認識してきたからできたことなのでしょう。コンビとして、一年でも、一日でも長くいつづけることを、すべてに優先させてきた。「コンビであること」に対して、とんねるずほど真剣に、執拗にこだわってきたテレビタレントは、他にはいない。
だけど、コンビ仲はどうなの?コンビでいつづけることと、コンビ仲がいいこととは、比例するの?---と、問う人もいるでしょう。
冒頭にあげた、ジェリー・ルイスの言葉をもう一度思い出してほしい。
「プライベートで口をきかない相方とコメディを演じてみるといい」
それは、逆に言えば、良いコメディをいっしょに演じられる相方とは、プライベートでも当然口をきくものだ、そうでなければならないのだ、ということではないでしょうか?
つまり「コンビ仲が悪くてもおもしろい芸はできる」などというのはウソだということです。ショウビズ史上もっとも成功したコンビのかたわれだったジェリー・ルイスが言うのだから、それは真実なのです。よしんばステージ上だけですばらしい芸がやれたとしても、長続きはしない。
最後の和解をもとめて、ジェリーがディーンに語りかけた言葉を聞いてほしい。
「僕らがやってきたことって、たいしたことじゃないと思うんだ。どんなコンビにだってやれるだろう。だけど、どんなにうまいコンビでも、僕らを人気者にしたあるものだけは、どうしても持てないんだよ」
「そうか?何のことだ?」
「つまり、愛なんだ---いまでも感じてるものだよ---たがいにたいして」
「コンビ愛」とは、けっして簡単なものではないのだ・・・
いつの日か、これからずっと、ずーっと先、とんねるずも若い日をふりかえって語ってくれることがあるのでしょうか?そのとき、わたしたちの知らないどんなとんねるずが見られるのでしょうか。
とにかく大好きですよね。
私もとんねるずのその手の話にはとにかく弱いw
でも最近の特に若手コンビを見ていて思うのは、「僕たちは仲イイんだよね」
っていう雰囲気をやたらと見せつけてるような気がしてならないんです。
前にリンカーンである若手芸人が「コンビで仲悪いフリするのはもう古い!」
とか言ってて、私はそれを聞いた時何とも言えない気持ちになりました。
仲の良さをアピールするより、仲の悪さをアピールする方がいかに難しいかと
いうことを彼らは知らないんだと。
とんねるずは昔から不仲説が囁かれ、50歳になる今も相変わらず解散説を含
め何だかんだと言われてますよね。
でも30年もの長い時間連れ添って、「女房子供よりも濃い関係」とまで貴さ
んに言わしめる2人の距離感やコンビ愛は、仲の悪さをさんざんアピールして
きた(本人たちにその自覚があるかどうかは別にして)からこそワンフーの心
にズッシリと響くんだと思います。
年末のポッドキャストでの貴さんの言葉を聞く限り、とんねるずは一生添い遂げる
コンビでいてくれると信じています。
(少なくとも憲さんの口から『解散』なんて言葉は絶対に出ないと・・・何でし
ょう、この確信にも似た気持ちはww)
ただ真面目にやるかは解りませんね(笑)
テレがあるでしょうし情熱大陸のような感じになったりして。
ヨーロッパ行って一緒の部屋に泊まったことありましたよね。
ああいう感じでスタッフも入れず二人だけにしてカメラを回して
今までを振り返る企画があると色々語るかもしれません(笑)
あとタカさんが「憲武はこういう話するのがだいっきらい」と言ってたのが、
意外なような納得なような気がしたんですが、
chiriraさんは、いかがでした?
リンカーンは見てないのですけど、アメトーークとかでも
「愛方大好き芸人」的な回をやってますね。
でも見てても、なーんか無理してる感がミエミエで、逆にしらけたり。
わたしが見た回でいちばんリアルにぐっときたのは博多華丸・大吉さんでした。
司会者も「これガチやないか~」と苦笑してましたが。
chiriraさんがブログであげてくださるとんねるずのエピソードなどには、
わたしもモロ弱いです。
タカ&ノリが仲良しだと、なぜこんなにうれしくなるんでしょうね??
ふしぎです。
ああ~いいですね!それ、いい!
きっといずれは、やってくれるとわたしは思ってます。
どんな形かはわからないけど。
そういうことを、マジメにやれるのはとんねるずだけだろうと。