12月4日にフジテレビで放送されたFNS歌謡祭。
内容もすばらしかったのですが、スタッフのクレジットを確かめたくて最後まで見ました。
なるほど。演出は港浩一。石田さんは「respect」って出てましたっけ?よく見えなかったんだけど。ともかく石田班の制作だったんですね、なるほどなるほど。
石田さんが作る画って、とてもゴージャスですよね。会場が広く見える。生のオーケストラ伴奏で最高の歌手たちがその才能を最大限に発揮する。これぞ音楽番組!って感じでした。日本には、たくさんいい歌があるんだね~
と同時に、やはり「みなさんのおかげです」を思い出してしまいますね。
歌あり、コントあり。きらびやかなスターたちの競演。その中心にはとんねるずが。
「した」の特番でも、生バンドをバックに歌を聴かせてくれるとんねるずがいました。
石田さんが学んだ古き良きアメリカのエンターテイメントを、日本で最後に花開かせたのが「おかげです」でした。とんねるずと石田さんが出会ったということもまた、とんねるずにまつわる奇蹟のひとつだったのかもしれませんよね。
さて、前回記事コンビとは(6)テレビか映画か 上を書いてからはやくも5ヶ月近くたっちゃって、このシリーズでいったい何を言いたかったのか、自分でも忘れかけてきましたが(笑)ま、なんとなーく思いつくまま書き進めてみましょう。
前回記事のポイントは、
●ディーン・マ-ティン&ジェリー・ルイスはテレビで育った時代の寵児だった。
●彼らは新興メディアであるテレビそのものと戯れた。
●彼らの真の魅力は映画では十分表現できず、テレビでこそ発揮された。
と、いうことでした。
マーティン&ルイスのプロフィールについては、こちらの過去記事を参照してください↓
マーティン&ルイス→貴明&憲武
コンビとは(1)
彼らが出演していたテレビ番組「コルゲイト・コメディ・アワー」は、まさに歌ありコントありのバラエティ・ショーでした。この番組でマーティン&ルイスが輝くことができた理由としてジェリー・ルイスがあげているのが、「生放送だった」ということです。
5年にわたる放送期間のうち前半はほぼ生放送されていたらしい。確かにDVDを見ていると、録画に変わったとおぼしきあたりから、番組は急激につまらなくなってしまいます(マーティン&ルイスの不仲も原因のひとつではあるのですが)。
もともと彼らはナイトクラブのショー出身。だから、テレビの生放送というのは、マーティン&ルイスがナイトクラブでやっていたショーの延長のようなものだったわけです。
ナイトクラブで彼らがやっていたのは、ほぼすべて即興の、筋書きもストーリーもない、なんとも名付けようのないアクトでした。
ディーン・マ-ティンがしっとりと歌っているところへ、ウエイターに扮したジェリー・ルイスが乱入。その場で思いつくかぎりの悪戯をしかけてディノの歌を邪魔しようとする。いきなり緞帳をおろしたり、照明を消したり、料理を投げつけたり。それでもしれっと歌い続けるディノだが、とうとうキレて、客席を逃げるジェリーを追いかけ回す。
こうして言葉で説明してもなにがおもしろいんだかよくわからないと思われるでしょうが、当時現場で人々が感じた熱気は、尋常ではなかった。
即興によるクレイジーなドタバタは、一回性のものであって、同じアクトを二度と見ることはできません。その緊張感が、彼らのショーを、爆発的で、ある意味エロティックにすら見せていたのではないかと、わたしは想像するのです。若くてセクシーなふたりの男が大暴れするんですから、なおさらです。
彼らがテレビに活躍の場をうつしたとき、ナイトクラブ・アクトの熱気はすでに半減させられました。テレビが生放送だとしても、やはり構成が必要であり、ストーリーのあるコントが必要だったから。しかし、それでもそこにはまだ、即興や偶然性のはいりこむ余地はのこされていた。
「コルゲイト・コメディ・アワー」を見ていてもっとも笑わせられるのは、マーティン&ルイスが筋書きをはみだして、おたがいのアドリブに戸惑ったり吹き出したりする場面です。
時には、おたがいに何かをささやきあってふたりだけで笑っていることもある。そのささやきは観客のどよめきにかきけされてしまって聞こえないので、ふたりが完全に観客や視聴者を無視してじゃれあっているのがわかる。
そんな彼らのすがたはとてもほほえましくて、おいてきぼりにされているにもかかわらず、見ているほうも何だかうれしくなるのです。
時々、とんねるずの笑いについて「視聴者を無視した内輪ネタがけしからん」という批判を目にします。もちろん人それぞれの見方ですから、反論しようという気にもならないのですが、そんな批判にたいしては、喜劇王ジェリー・ルイスの言葉をぜひかみしめていただきたいなーと思う。
ジェリー・ルイスはこう言っています。
「僕らが観客を熱狂させた理由のひとつは、僕ら自身が心から楽しんでいたということだ。観客というものは、自分が好きな芸人と同じような喜びを同じように感じたいという欲求をもっている。ディーンと僕は、観客を受け身ではなく参加者にさせる特別な才能を持ってたんだ」
ジェリー・ルイスのこのことばは、わたしには衝撃でした。このことばは、とんねるずのありかたやその人気の理由をも、誰よりあざやかに説明してくれていると、わたしは思うのです。
ファンを、参加者にする。芸人の笑いの世界にとびこんで、共に感じ、笑い、泣く。その喜びを、マーティン&ルイスやとんねるずのような芸人は、感じさせてくれる。
ジェリー・ルイスはさらにつづけてこう言っています。
「舞台やテレビのように観客を参加させるやりかたを、映画で実現するのはむずかしかった。というより、まったくもって不可能だった。結局映画ってものは、即興は無理で、物語がなきゃいけないんだ。男と女が出会う。男と女が別れる。男と女がよりをもどす---あいもかわらぬ筋立てさ。だけど人間の心には、こんなありがちな筋だけでは語りきれない領域があるんだ」
こうして映画芸術の限界を語りながらも、マーティン&ルイス解散後テレビではぱっとせず、ジェリー・ルイスが映画の世界に生き続けたというのは、皮肉というか、興味深いことです。
しかしそれでも彼は、テレビがもつ即興性や偶然性を、なんとかして映画と融合させようと孤軍奮闘したのではないだろうか。彼の映画を観るとそう感じます。それが成功したか失敗したかはべつとして、そのような無謀ともおもえる試みをすることによってのみ、芸術は生き続けられるんじゃないかと思う。
ジェリー・ルイスのような映画への挑戦を実行した人が、世界でどれだけいるのかはわかりませんが、いま映画芸術が勢いをうしなっている状況を思うと、ジェリー・ルイスの功績がいかに大きかったかを、そしてそれがかならずしも正当に評価されてこなかったことへの憤りを、映画ファンとして感じずにはいられません。
話がだんだんあさってのほうへずれてきてしまいました。
とんねるずの場合はどうでしょう。
「みなさんのおかげです」はそもそも生放送ではなかったので、おのずとマーティン&ルイスのスタンスとはちがってくるでしょう。もしかしたらとんねるず自身、生放送という、テレビだけにゆるされた手法の重要性がわかっていたので、「生でダラダラいかせて」にトライしたのかもしれない。もっとも、「生ダラ」もすぐ録画放送になってしまいましたが、それは当時の日本のテレビ界の規制の問題でしょうから、それほど重要ではない。
重要なのは、「みなさんのおかげです」の笑いに、生放送にも匹敵するような偶然性や、即興の熱気がみちみちていた、という事実です。そして、その熱気を映画で再現することが不可能だったという点でも、とんねるずとマーティン&ルイスは共通していると、わたしは考えます・・・
今日はここまで!バーイ、サンキュ。
内容もすばらしかったのですが、スタッフのクレジットを確かめたくて最後まで見ました。
なるほど。演出は港浩一。石田さんは「respect」って出てましたっけ?よく見えなかったんだけど。ともかく石田班の制作だったんですね、なるほどなるほど。
石田さんが作る画って、とてもゴージャスですよね。会場が広く見える。生のオーケストラ伴奏で最高の歌手たちがその才能を最大限に発揮する。これぞ音楽番組!って感じでした。日本には、たくさんいい歌があるんだね~
と同時に、やはり「みなさんのおかげです」を思い出してしまいますね。
歌あり、コントあり。きらびやかなスターたちの競演。その中心にはとんねるずが。
「した」の特番でも、生バンドをバックに歌を聴かせてくれるとんねるずがいました。
石田さんが学んだ古き良きアメリカのエンターテイメントを、日本で最後に花開かせたのが「おかげです」でした。とんねるずと石田さんが出会ったということもまた、とんねるずにまつわる奇蹟のひとつだったのかもしれませんよね。
さて、前回記事コンビとは(6)テレビか映画か 上を書いてからはやくも5ヶ月近くたっちゃって、このシリーズでいったい何を言いたかったのか、自分でも忘れかけてきましたが(笑)ま、なんとなーく思いつくまま書き進めてみましょう。
前回記事のポイントは、
●ディーン・マ-ティン&ジェリー・ルイスはテレビで育った時代の寵児だった。
●彼らは新興メディアであるテレビそのものと戯れた。
●彼らの真の魅力は映画では十分表現できず、テレビでこそ発揮された。
と、いうことでした。
マーティン&ルイスのプロフィールについては、こちらの過去記事を参照してください↓
マーティン&ルイス→貴明&憲武
コンビとは(1)
彼らが出演していたテレビ番組「コルゲイト・コメディ・アワー」は、まさに歌ありコントありのバラエティ・ショーでした。この番組でマーティン&ルイスが輝くことができた理由としてジェリー・ルイスがあげているのが、「生放送だった」ということです。
5年にわたる放送期間のうち前半はほぼ生放送されていたらしい。確かにDVDを見ていると、録画に変わったとおぼしきあたりから、番組は急激につまらなくなってしまいます(マーティン&ルイスの不仲も原因のひとつではあるのですが)。
もともと彼らはナイトクラブのショー出身。だから、テレビの生放送というのは、マーティン&ルイスがナイトクラブでやっていたショーの延長のようなものだったわけです。
ナイトクラブで彼らがやっていたのは、ほぼすべて即興の、筋書きもストーリーもない、なんとも名付けようのないアクトでした。
ディーン・マ-ティンがしっとりと歌っているところへ、ウエイターに扮したジェリー・ルイスが乱入。その場で思いつくかぎりの悪戯をしかけてディノの歌を邪魔しようとする。いきなり緞帳をおろしたり、照明を消したり、料理を投げつけたり。それでもしれっと歌い続けるディノだが、とうとうキレて、客席を逃げるジェリーを追いかけ回す。
こうして言葉で説明してもなにがおもしろいんだかよくわからないと思われるでしょうが、当時現場で人々が感じた熱気は、尋常ではなかった。
即興によるクレイジーなドタバタは、一回性のものであって、同じアクトを二度と見ることはできません。その緊張感が、彼らのショーを、爆発的で、ある意味エロティックにすら見せていたのではないかと、わたしは想像するのです。若くてセクシーなふたりの男が大暴れするんですから、なおさらです。
彼らがテレビに活躍の場をうつしたとき、ナイトクラブ・アクトの熱気はすでに半減させられました。テレビが生放送だとしても、やはり構成が必要であり、ストーリーのあるコントが必要だったから。しかし、それでもそこにはまだ、即興や偶然性のはいりこむ余地はのこされていた。
「コルゲイト・コメディ・アワー」を見ていてもっとも笑わせられるのは、マーティン&ルイスが筋書きをはみだして、おたがいのアドリブに戸惑ったり吹き出したりする場面です。
時には、おたがいに何かをささやきあってふたりだけで笑っていることもある。そのささやきは観客のどよめきにかきけされてしまって聞こえないので、ふたりが完全に観客や視聴者を無視してじゃれあっているのがわかる。
そんな彼らのすがたはとてもほほえましくて、おいてきぼりにされているにもかかわらず、見ているほうも何だかうれしくなるのです。
時々、とんねるずの笑いについて「視聴者を無視した内輪ネタがけしからん」という批判を目にします。もちろん人それぞれの見方ですから、反論しようという気にもならないのですが、そんな批判にたいしては、喜劇王ジェリー・ルイスの言葉をぜひかみしめていただきたいなーと思う。
ジェリー・ルイスはこう言っています。
「僕らが観客を熱狂させた理由のひとつは、僕ら自身が心から楽しんでいたということだ。観客というものは、自分が好きな芸人と同じような喜びを同じように感じたいという欲求をもっている。ディーンと僕は、観客を受け身ではなく参加者にさせる特別な才能を持ってたんだ」
ジェリー・ルイスのこのことばは、わたしには衝撃でした。このことばは、とんねるずのありかたやその人気の理由をも、誰よりあざやかに説明してくれていると、わたしは思うのです。
ファンを、参加者にする。芸人の笑いの世界にとびこんで、共に感じ、笑い、泣く。その喜びを、マーティン&ルイスやとんねるずのような芸人は、感じさせてくれる。
ジェリー・ルイスはさらにつづけてこう言っています。
「舞台やテレビのように観客を参加させるやりかたを、映画で実現するのはむずかしかった。というより、まったくもって不可能だった。結局映画ってものは、即興は無理で、物語がなきゃいけないんだ。男と女が出会う。男と女が別れる。男と女がよりをもどす---あいもかわらぬ筋立てさ。だけど人間の心には、こんなありがちな筋だけでは語りきれない領域があるんだ」
こうして映画芸術の限界を語りながらも、マーティン&ルイス解散後テレビではぱっとせず、ジェリー・ルイスが映画の世界に生き続けたというのは、皮肉というか、興味深いことです。
しかしそれでも彼は、テレビがもつ即興性や偶然性を、なんとかして映画と融合させようと孤軍奮闘したのではないだろうか。彼の映画を観るとそう感じます。それが成功したか失敗したかはべつとして、そのような無謀ともおもえる試みをすることによってのみ、芸術は生き続けられるんじゃないかと思う。
ジェリー・ルイスのような映画への挑戦を実行した人が、世界でどれだけいるのかはわかりませんが、いま映画芸術が勢いをうしなっている状況を思うと、ジェリー・ルイスの功績がいかに大きかったかを、そしてそれがかならずしも正当に評価されてこなかったことへの憤りを、映画ファンとして感じずにはいられません。
話がだんだんあさってのほうへずれてきてしまいました。
とんねるずの場合はどうでしょう。
「みなさんのおかげです」はそもそも生放送ではなかったので、おのずとマーティン&ルイスのスタンスとはちがってくるでしょう。もしかしたらとんねるず自身、生放送という、テレビだけにゆるされた手法の重要性がわかっていたので、「生でダラダラいかせて」にトライしたのかもしれない。もっとも、「生ダラ」もすぐ録画放送になってしまいましたが、それは当時の日本のテレビ界の規制の問題でしょうから、それほど重要ではない。
重要なのは、「みなさんのおかげです」の笑いに、生放送にも匹敵するような偶然性や、即興の熱気がみちみちていた、という事実です。そして、その熱気を映画で再現することが不可能だったという点でも、とんねるずとマーティン&ルイスは共通していると、わたしは考えます・・・
今日はここまで!バーイ、サンキュ。
まったくそうですね!
とんねるずの音楽活動って、どんなにおちゃらけてても、いわゆる「コミックソング」の域をはるかに超えてるんですよね。
>お笑いでもとんねるずは別
とんねるず以後、お笑いと役者、歌手の境界がなくなったかといえば、そうでもないんですよね。
芸人軽視はなくなったにしても、やっぱり芸人は芸人の世界でわきまえていなきゃ、みたいな空気を感じます。
そっちが普通でとんねるずが特異なんですかね(笑)
これが何年にも渡って、しかもヒット曲を連発したのはとんねるずだけと言っていいと思います。
そして、その周りでバックアップしていたのは石田さん、秋元さんなど一流のスタッフですよね。
また、お笑いと音楽の番組の制作というのも石田さんくらいしかいないのかもしれません。
ミュージシャン、役者、お笑いって一緒にできない対立みたいな事を聞いたことありませんか?
とくにお笑いが、「お笑いのくせに!」っていう標的の的になったとも聞きます。
しかし、とんねるずって交友関係みても「お笑いでもとんねるずは別」って感じですよね。
舘さんや渡さんが「お笑いのくせに!」と言うとは思えないけど、
普通だったら別の世界で一生話すこともない状態だったと思います。
普通、「こんな事出来るか!」っていう企画もミュージシャン、役者達がやってくれたりします。
80年代、まだとんねるずの方向性が固まっていなかったときに、
石田さんのような総合的でエンターテナー性が高い番組作りという
レールに乗ったおかげで今のとんねるずの形があると思いますね。