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ばあちゃんのひとりごと

ヨーガを始める

2011-01-04 00:36:17 | Saranyaのひとり言
ヨーガは
私たちが暮らしていく中で基本的な生活そのものです。

私がヨーガを始めたのは34歳の時です。
姑が急死し、すべての家事、家業の経理、育児を引き受けた私ですが、とてもそれらは負担でした。
そのことに素直になれなくて、すべてを完璧に行為しようとした為、心身に異常が起こり「自律神経失調症」を患いました。病院に通いましたが治らず、知人の紹介でヨーガを始めました。
アーサナがヨーガと勘違いをして頑張り続けたのですが一向に身体はいい方向に向かいませんでした。
しかし、毎日1時間のアーサナを休まず行うようにましたところ、体の不調は心がかなり関係していること、そして私の性格が関係していること、アーサナは体操ではないことに気づきはじめたのです。「何か、もっと、大切な存在」があるように思えました。しかし、その時は気づくことは出来ませんでした。


「インテグラル・ヨーガ」の本に巡り会い、心が辛かったり、悲しくなったりしたとき。
そこには、いつも心を静めることができる言葉がありました。
「すべてに、真知という光があること、今、経験している事柄は幻(マーヤー)なのだから」私の心がつりだす幻なのだと理解できるようになり、アーサナと本によって私は徐々に快復していきました。
それからは、ヨーガしかないと思い生きてきたのです。
私の経験から、皆さんの心の浄化はヨーガだと思い活動も始めました。



そして、ヨギに巡り会い、「グル」の意味を知り、心身はますます軽やかになり、アーサナは楽に出来るようになったことはいうまでもありません。グルは、“今” 私に必要な知恵を光として与えてくださいます。
ですから、芯にエネルギーが満ちあふれ、心を静かにするだけで、中心から熱い叡智が湧き上がるのを感じられるようになったのです。これぞ「本当のヨーガだ」と確信しました。
その後、アーサナは少なく「真理を学び、純粋な自己に触れるためヨギの下に」毎週土曜日京都に通うようになりました。その空間に入り、深い呼吸をすると、手足は即座に温かくなり、同席したいるかくらぶの会員さんもびっくりせれるくらい、体に光が入るようになりました。(これは体感するしかないと思います、素晴らしい感覚ですよ)




ヨーガはアーサナ???
アーサナは、確かに終了後は身体も軽やかになりすっきりします。
ヨギにお会いして「真理」の教えを何度も聞くうちに「大切なもの」が少しずつ理解できるようになりました。

アーサナは「ラージャ・ヨーガ」に含まれます。それは「王道のヨーガ」と訳されます。
ラージャ・ヨーガは心を科学的に分析して、自らが制御していくセルフコントロール法です。そして、最終的には真理を悟り「慈愛」に満ち充ちていく道です。
アーサナは健康や痩身などが目的ではなく「よりよく生きるため」に自分自身が「慈愛」に気づくための準備段階なのです。そして、その道のりは八つの支分で示します。

私が一番心に残るヤマ(禁戒)は
アヒンサー(非暴力)です。他者を暴力、言葉、思いで傷つけないということです。一番守りたいことがらです。
すべて平等なるものであることを理解し、同じであること、ですから他者を被害者、加害者というような見方をしないのです。

この世のすべての生きとし生けるものはすべて平等であり、大切な存在であるということです。
それは人間だけでなく、動物、昆虫、鳥、植物、形あるものすべてです。
アヒンサーを守るだけでも、心は軽やかになります。


そして、サティヤです。
正直という意味ですが「誠実であること」と訳されます。
私は、姑が亡くなり、すべてを任され苦痛になったとき、素直に無理であることが言えませんでした。できることをするだけでよかったはずです。
正直や誠実であることは、自分に素直になることも含まれるとヨギから学びました。



これらは
他者のことを前提に行われることになります。相手への思いやりや優しさが必要だということです。
しかし、我慢はかえって不満になり愚痴になっていきます。
心に苦痛を生み出す原因になります。
サティヤは矛盾や偽りのない思いと行為を意味します・・・自分自身にも他者に対しても・・・

この真理を学び、実践することがヨーガです。
真理はすでに私たちの中に在るとヨギはいつもおっしゃいます。

そして子育て中のお母さん、妊婦さん、おばあちゃん、おじいちゃん、どのような状況であろうと同じです。
このことが理解できれば、寂しくなったり、悲しくなったり、不安を解消することはできます。
日々の暮らし方が大切なのです。