悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

もっともで当たり前のこと

2017-08-30 20:43:22 | 雑記

「ウォーカー心得」や「ウォーキングマナー5ヶ条」は、かけ声だけで尊重されない。
標語というのは、いつの世もそのような運命を辿るようだが、意識だけはしたいもの。
標語は、ウォーキングを世に広めていく上で、問題点が指摘され支障があるからだ。
だが、多くはふんふんと聞き置かれるだけで、何とかしようという動きにはならない。
ウォーキング大会が、地元と小競り合いになったり、締め出しされたりする例がある。
もっとも嫌われるのは、道路を占領してしまうことだ。想像するに不愉快だと思う。
たかが1~2日のことであるが、不快感は後を引く。
東京スリーデーが縮小したのは、つとにこの問題であった。加えて大音響もあった。

信号無視はウォーカーに限らず誰でもやっているが、ゼッケンを背負っているだけに、
敵視されやすい。
人は、運転者の立場になると、自分が歩行者の時の行動はきれいに忘れることができる。
これはわが身を省みても、日々実感している。人間心理の不可思議なところではある。

だから、1人の時はどうあれ、例大会では、できるだけ守ろうとしたい。
できるだけそうした方がよいが、周囲に人がいないような、人里離れた場所では、
判断はお任せする。臨機応変を旨とするが、事故に結びつく行動だけは避けたい。
(傍に子どもがいれば、どちら様も必ず守っていることだろう。)
大会などで、信号無視をすると、地元や運転手に嫌われるだけでなく、
最初の無視者はまず無事だが、後からついていくウォーカーに危険が待っている。

ウォーキング大会がこれからも継続して開催されるためにも、工夫していきたい。