悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

身体で考える

2017-08-13 20:36:28 | ウォーキング

武術家甲野善紀とフリーライター田中聡著『身体から革命を起こす』を読み始めたが、
今ひとつピンとこず、中断していた。

彼の繰り出す技や考え方は、介護の分野や各種スポーツ選手にも影響を与えている。
何かヒントが得られないかと思い読み始まったのだが、技そのものは真似はできない。
考え方にしても、文章はほとんど田中聡がまとめているので言い回しも含めて難しく、
腑に落ちないまま、ただページをめくるような読み方でいた。

そんな読書も後半に入り、何となく腑に落ちる言葉にであった。
彼は、「ナンバ歩き」を世に広めたことでも知られているが、その実際は理解できない。
このナンバ歩きに関連して、「歩きが変われば、思考も変わる」という捉え方に出あう。

中身の深いところまでは理解できないが、10km歩くのがやっとの人が、鍛錬をし、
次第に楽に長い距離を歩けるようになると、風景や歩きの世界の見え方が変わってくる。
このことは、私の40年にわたるウォーキングの体験の中で、理解可能な捉え方である。

表面的な側面だけを取り上げたものであり、時々「マイペースウォーカー」に言われる、
「そんなに速く歩いていては景色を楽しむ余裕がないだろう」に反する捉え方ではある。

余裕のない遅歩で見る世界と、余裕のある速歩きで見る世界は、同じかもしれないし、
それ以上かもしれない。

速読の世界は、鍛錬すると1時間で文庫1冊読み、内容も十分に理解できるそうである。
この例えはわかりやすい。まさに、目の周囲筋を鍛えると速読が可能になるそうである。

脚力を鍛える内に、脚の筋肉がアップグレードし、思考回路にも変革をもたらすのか。
そういうことではないだろうか。
私の受けとめ方は皮相的な段階に留まっていると思うが、歩きの一面は捉えていると思う。

甲野の言葉は、「別の歩行をする身体が、別の思考をするのである」とあった。

たんぼの脇を通るといつも気になるのだが、名前を覚えられない植物、「オモダカ」。
去年の今頃、「もう覚えた」と書いた記憶があるが、今年も覚えていなかった。