悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

敗戦の日、18歳だった母

2017-08-15 21:53:08 | 雑記

聴力が次第に落ち、加えて物忘れの程度が激しくなる母に、ウンザリもし、疲れもする。
最初のうちは、傍で話しかけたり、音楽を聴かせたりとしたが、手を抜くようになった。
手を抜けばその結果は、母の諸能力の低下と不安の増大につながり、介護者の疲労へと、
直結していく。原因と結果は想定していたのだが、つい、いっときの安楽に寄りかかり、
老老介護の悪循環に落ち込んでいる。

息子の誕生日を忘れた母は、18歳で敗戦を迎え、今年、満で90歳になった。
学校を出て地元の郵便局に勤めたが、父親が徴用で不在となったので、1年で局を辞め、
家業の商店の手伝いを始めた。
母が今でも繰り返し語るのは、郵便局にいた時、若い男たちがよく切手を買いに来る話。
はっきり言葉にする訳ではないが、「私を目当てに来るのだ」ということが、自慢の種。
若い頃は1度も口にしたことのない話で、倒れてから時々話すようになったエピソード。
この話をするときは、本当に嬉しそうな顔をする。
ときに、他人にこの話をする母を、息子は恥ずかしく思い、止めて欲しいとさえ思った。

目が見えないとか、父に迎えに来てほしいとか、後ろ向きの話ばかりするようになった。
そんな母への対応に疲れ切ってしまい、きつい言葉を返している自分を止められない。
私が母の傍から離れると、すぐに名前を呼ばれる。時にはとうに亡くなった弟の名前で。
そんな母が、「敏夫(私)がいないと寂しいんだ」と、昨日から言うようになった。
その言葉を聞いて、「共依存」に陥っているかと、ぎくりとした。

敗戦の日に、母は18歳であったことを思うに付け、いくらかでも母の笑顔を見たくて、
昨日から郵便局の話を振っている。

今日は1日小雨が降っていたので、歩かなかった。