英語が苦手だ。
中学生の時、
文法的なことを一生懸命やってきたけど日本人ばっかりの中で、外国語を習う照れくささが苦手だった。
なので、
今でも、日本人の前で、英語を使うことは躊躇われる。
そう思う人がいても仕方が無いんじゃないかな…って思う。
あの頃の英語の授業を振り返って思う。
中学校や高校の英語では不安で
英会話教室に行っている子どもの、
いったいどれくらいの割合の子どもが
立派に海外で通用する英語力を身につけるのだろう。
たしかに、
素地をしっかり作ることで
本当に英語が必要な場面で
「素直」に英語が使えるようにはなるよさはあるんでしょうな。
小学校で、
担任の先生が
英語を教える時代がきた。
現在小学校の先生のうち、
英語を教えるためのスキルをきちんと持つ人間はごく限られている。
(英語ができるのに、好きなのに、小学校じゃなかなか生かせないと考えるから、小学校に英語のできる先生はあまりいないのかな。)
苦手意識のある方のほうが
多いかもしれないね。
(そういえば、日本で英語の教材が
売れるのも、
たくさんの日本人の「英語の苦手感」
を、表しているんじゃないかな。)
世の中の人たちって「英語が小学校に入ってきた…」
みたいにしか思ってないけど、
こんな
「英語が苦手な先生が教える英語の授業」 を
世の中の保護者や
文科省は
どう考えるのかな。
各校にやってくる英語のアシスタントとなる外国人も
年間にたった3日ほどしかいてくれない。
確かに、小学校の英語なんて、
とても簡単なものだ。 でも、
授業で教える言い回し以外に、
授業のすべてを日本語無しに進めることが求められる先生。
教えるための英語は大丈夫だけど
小さいことの確認だったり指示だったりを
すべて英語でがんばろうって言うんだから
普段英語を使うことの無い先生方にとっては
一大事だと思う。
痛いよ…正直。
こんな、英語のにがてな先生が
英語の楽しさを教えるために、できることは、
「一生懸命コミュニケーションをとろうと、相手と歩み寄る姿を見せること」
に、他ならないんじゃないかって思う。
なんてったって 、昨今の小学生って、
日本語のあいさつや会話もままならないのに
英語でそれをやるなんて、本来本末転倒な話だしな。
伝えるために
どうしたらいいのか必死に考える場面で一番必要な力は
単語をいっぱい知っていることや英文法をいっぱい知っていることではなく
伝えようと、汗だくになっても
必死になれる気持ちなんじゃないかな。カリキュラムにあってしかたなく教える昔の中学みたいな英語ならやらなくていいよなー。(独り言)