ソレリの楽屋には幾つかの版画が飾られています。p13
その中の一つ「ヴェストリス」
ニジンスキーは生前、「ヴェストリスの再来」と騒がれたそうです。(ヴェストリスは18世紀のロマンティック・バレエ時代の名ダンサーです)
1909年5月18日、パリのシャトレ座でロシア・バレエの『アルミードの館』でニジンスキーとカルサーヴィナとバルディナーはパ・ド・ドロアを踊りました。
この日の公演はレペテション・ジェネラル、いわゆるゲネプロだったのですが、ニジンスキーは翌日の新聞で「ヴェストリスの再来」「舞踊の神」「天才児あらわる」と騒がれたのです。
また、元『バレエ・リュッス(ロシア・バレエ団)』の最後のスターでありオペラ座に君臨したセルジュ・リファールはパリ、モンマルトル墓地に自分とニジンスキーと、18世紀に生まれた”舞踊の神”オーギュスト・ヴェストリスの三人のお墓を並べたいという夢を抱き、モンマルトル墓地にニジンスキーのお墓を移したそうです。
凄いですね~!「ヴェストリス」「ニジンスキー」「セルジュ・リファール」なんて。
しかし、自分の死後,夫と同じお墓に入りたいと願うロモラと、ニジンスキーのお墓の所有権を持つリファールとの間に確執が起こり、ロモラは、同じモンマルトルに別にお墓を買い、いつかニジンスキーと一緒に埋葬してほしいと願いながら、1978年に亡くなったのです。 リファールも、1986年にこの世を去り、パリの南のサント・ジュヌヴィエーヴ・デ・ボワのロシア人墓地に埋葬されました。(ここには、ヌレエフ、クシェシンスカ、プレオブラジェンスカなど多くのロシア人亡命舞踊家たちが眠っています) |
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なお、ニジンスキーのお墓の上に飾られたペトルーシュカの彫刻は、後から付け足されたもの。もともと第5区画にあるヴェストリスのお墓と、そっくり同じ形をしていたそうです。
・・・という訳で「ソレリの楽屋」の版画からニジンスキー、セルジュ・リファールと言う希代のダンサーを連想してしまいました。全然原作には関係していませんでしたね(^^;
ちなみにシャトレ座だけでなくパリ・オペラ座でもニジンスキーは踊っています。1910年カルサヴィーナと「ジゼル」です。
ルルーの調査の協力者とされているメサジェ支配人時代です。
※ 1912年、コールド・バレエが昇給を求めて初めてストライキを起こしました。
写真は管理人の撮影したオペラ座図書室のセルジュ・リファールの絵です。