The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ん?キスの相手?

2007年06月26日 | 「オペラ座の怪人」
いつものオリキャラですよー。
「毛皮商人」とも「公爵」ともいう。今日は奥さんも描いてみたり・・・。



うんにゃ~、クリスティーヌは一応シャニュイ夫人だし、ダロガと・・・っていうのもパリで再会してから、フォール判事チクリ事件や拷問巻き込まれ事件と考えると設定的に無理なので時々オリキャラと絡ませて遊んでます。


(暑くなったので髪をバッサリ切ったので面影がないんですね)



楽屋裏クリスは・・・油断すると元気?なクリスになっちゃうんですよね(^^;

先日、合作イラストを描いていて、しみじみうちのクリスは「奥ゆかしい」とか「楚々として」にならない!目指しているにもかかわらず。という事が判明しました。

怪人も想像の中ではクリスティーヌと大人しくピアノの連弾とか歌のレッスンとかお手玉とかしていて、あんまりセクシャルじゃありません。ううっ・・・貧困な想像力。基本的に「恥ずかしがり屋」だったりしますよ。ヘタレだっ。ううううっ・・・。



ちゅっ♪楽屋裏

2007年06月26日 | 「オペラ座の怪人」


下の方の絵の続き。

キスのタイミングはクリスティーヌはなかなかのものという妄想が。


怪人がモジモジしているすきに「ちゅ♪」と唇を奪ったりします。


そして怪人さんは真っ赤になってたりするのです。それが可愛くてちゅーっと繰り返してしまうクリスティーヌ。きゃはは



・・・・。

・・・・。


それじゃ怪人受けじゃ・・・?
サディストなのだけど変な場面でへたれていそうな予感。こまった・・・。




お返事

2007年06月26日 | Weblog
26日コメントを下さった天使様♪


「勝利のドン・ファン」衣装は黒いズルズルとしたマントの方が場面全体が私なりには理解しやすいかなぁ、と言う感じです。


怪人には明るい外の世界とそこに生きる人々を憎悪する部分があると思うのです。

クリスティーヌと「墓場」での場面でのデュエットも二人の魂がひきつけ合い、絡まっているようで聴いていて恍惚となるのですが、最後のあたりでちょっと邪悪な感じに変わる。


私はお前の音楽の天使
私のもとにおいで 音楽の天使のもとへ


のあたりです。

クリスティーヌに憧れ、愛してはいるのでしょうが、底辺ににじみ出る自己愛・エゴイズムみたいなものを感じます。その裏の世界への憎しみというか・・・。


ラウルの温め、心を解放するような愛、思いやりに満ちた愛とは別種。


「勝利のドン・ファン」でクリスティーヌは、怪人を捕まえる計画すら忘れて彼の声の魅力、死の匂いのする甘美な世界に引きずり込まれる。二人は高まりあってすっかりクリスティーヌは怪人の虜なのですが、怪人がラウルの歌(一つの愛 一つの人生を・・・の歌)を歌うと覚醒してしまう。


ラウルの愛の歌がなかったらそのまま闇の中へ、怪人の憎しみの支配する世界に行ってしまったと思うのですが、真の愛がエゴイズムに汚れた愛を照らし出してしまったのではないか・・・。だから急に湧き出るような「嫌悪感」に襲われて仮面をはがすのではないか・・・、などと思いました。


何故あの場面で怪人がラウルの歌などを歌ったのか・・・と言うのは実は




僕が君を自由にしてあげよう
日の光で 君の涙をかわかそう

僕が君を守る隠れ屋になろう
僕が君を照らし出す光になろう




と言うクリスティーヌへの思いやりに満ちた歌を怪人も歌えるものなら歌いたかったから。でも、身のうちから出てくるのは自分を愛して欲しい、とか自分の憎悪・厭世観にともに支配されて欲しい、というものでしかない。心にもないものを歌えるはずもないから。(そんな歌しか与えてくれなかった世界、過去の人生すら、あの夜屋上で呪ったのではないか・・・とも)

怪人はクリスティーヌが手に入る、というかすでに入っているのでラウルの歌を歌ってみた。でもそれは偽りでしかないとクリスティーヌは直感する。

愛は光ある世界でクリスティーヌが生きる事を妬んだりはしない。もっと伸びやかものだとラウルが包み込むように教えてくれた。本当の愛を知ったからそ、偽りの愛が分る・・・というか。
嘘を告発するように、嫌悪感をもって偽りの仮面をはがす。


だからあの場面のクリスティーヌの拒絶する対象が「生身の男性の激しい愛」と言うより「死臭漂う怪人の魂」をも表わしていた方が分りやすいかな・・・、と思いました。

それに嫌いなのは歌を教え、音楽に恍惚と溶け合ったエリックではなくてその身にしみこんだ想像を絶する明るい世界への憎しみ、のようなものの方が救われます。
それなら醜さに関らず純粋な部分は愛していたと思えますし、二人の歌い魂が結びついた瞬間は真実美への炎に燃えていて清らかだったと思えますから。



その反面そういうゆがみを持たざるを得なかった怪人を分ってほしい、とも強く思うのです。
憎みたくて憎んでるわけでも、好き好んで世をすねてるわけでも、他人を愛せないわけでもないんですものね。


「暗闇に棲む哀れな生き物よ」

とか悲しすぎます。見下している感じ?が痛いです。


原作が好きなのはクリスティーヌが、愚かで、狂っていて、しかし無垢な怪人を「可哀相で、不幸なエリック」と何度も泣いているからなんだと思います。

そして最後はラウルもエリックも救うために自分が犠牲になるのです。
ラウルを解放させるためでもあり、わかりすぎるほどのエリックの痛みへの同情に従ったとも言えるんじゃないかなぁ、と思います。

エリックの半面を切り捨てると言うよりは、音楽の天使の部分を愛し、怪人の部分には嫌悪しつつ泣いているのだと思います。
その心にはさすがの怪人もやはり平伏すのですね。



すべて私見ですが。