昔の人(団塊の世代と呼ばれる人ら前後)が、今の若者(小・中学生から高校などの学生、または幼稚園に通う幼い子ども)が抱えてる悩みなんかを聞いて、俺らがその時分の頃にはそんなこと考えてなかった、そんなに深く考えてなかった、などと言っているのをよく耳にする。
しかし、昔の人は今の人とは違って、これは前にも書いたかもしれないが、どこか若くして大人な感じだったような気がする。育ちや環境にもよるだろうけど、私の親なんかは中学を卒業してすぐに働き始めた。高校というものに行かなくて、15歳かそこらでいきなり社会人になるわけだ。仕事場ではもちろんそれなりのものを要求されたりする。
若いときにはそんなに物事を考えてなかったという割りには、行動やら言動やらはとても大人な感じがする。この矛盾のようなものは一体何だろう、と考えた。
今よりも寿命が短かったせいかもしれない。それに、若い頃に働き出したために、そんなことを考える暇なんてなかったのかもしれない。考えなくてもやっていけたからかもしれない。考える必要性を感じなかったかもしれない。それはわからない。
もちろん今のように考えている人はちゃんといただろうと思うけど、今みたいに石ころ投げたらそんな悩みを抱えている人にぶつかるというようなことがなかったほど、あからさまに悩み考えている人が少なかったのではないかと私は思う。
60年安保・70年安保なんかを考えてみると、今の人たちが同じ立場や出来事に遭遇した時に、同じ日本人なのに同じように行動するかどうかといえば、私はあそこまでにはならないように思う。
それは今の人たちが大人で、そんなことをしてはいけない、という意見を持っているわけではなく、その頃の情熱やなんかが無くなっていると私は感じる。
とか書いているが、60・70年安保を私自身その内容をよく知らない。少しネットで調べた、その程度だ。知らないくせにこういうことを書くのは無責任かもしれないが。
もう少し色々書きたいのだけど、考えが上手くまとまらない。
しかし、昔の人は今の人とは違って、これは前にも書いたかもしれないが、どこか若くして大人な感じだったような気がする。育ちや環境にもよるだろうけど、私の親なんかは中学を卒業してすぐに働き始めた。高校というものに行かなくて、15歳かそこらでいきなり社会人になるわけだ。仕事場ではもちろんそれなりのものを要求されたりする。
若いときにはそんなに物事を考えてなかったという割りには、行動やら言動やらはとても大人な感じがする。この矛盾のようなものは一体何だろう、と考えた。
今よりも寿命が短かったせいかもしれない。それに、若い頃に働き出したために、そんなことを考える暇なんてなかったのかもしれない。考えなくてもやっていけたからかもしれない。考える必要性を感じなかったかもしれない。それはわからない。
もちろん今のように考えている人はちゃんといただろうと思うけど、今みたいに石ころ投げたらそんな悩みを抱えている人にぶつかるというようなことがなかったほど、あからさまに悩み考えている人が少なかったのではないかと私は思う。
60年安保・70年安保なんかを考えてみると、今の人たちが同じ立場や出来事に遭遇した時に、同じ日本人なのに同じように行動するかどうかといえば、私はあそこまでにはならないように思う。
それは今の人たちが大人で、そんなことをしてはいけない、という意見を持っているわけではなく、その頃の情熱やなんかが無くなっていると私は感じる。
とか書いているが、60・70年安保を私自身その内容をよく知らない。少しネットで調べた、その程度だ。知らないくせにこういうことを書くのは無責任かもしれないが。
もう少し色々書きたいのだけど、考えが上手くまとまらない。