北村薫の『スキップ』という本を読んだ。
読み進めていくのはそう早い方ではなかった。
先が気になって気になって仕方ない!というほどじゃあなかった。
しかし、読み終わった今、あぁこの本を読んで良かった、と思った。
私がなりたいものが書かれていたように思う。
少し大げさかもしれないが、私は美しく年を重ねていきたい、と考えているのだと気付いた。
この「美しく」というのは外見では、そうなればいいなー、というほどのものだが、それよりも内面。まぁ、外見は今さらどうこう出来ないので、諦めているというのも無きにしも非ずだが。
この間、駅のホームで困っている(だろう)人を見かけた。
そのホームは乗換する線がとても多く、混雑する駅のホームだった。
その人は車椅子でホームにいた。
普通ならば、車椅子の人のそばには駅員の人が居て、乗り降りしやすいようにボードのようなものを持って一緒に居る。しかし、その時のその人の傍には駅員の姿は見当たらなかった。
私は人の波に流されるようにして、その人を見ていたが、結局何も声をかけることが出来なかった。乗りたそうに見えたのだが、私は何もしないまま通り過ぎたのだ。
それが一週間ほど前の出来事だろうか。一カ月前だったか。定かではないが、それが今でもとても悔やまれている。どうして一言声をかけられなかったのか。声をかけないというのは、何も思っていない、感じていない、と同じことなのに。
この本に出てくる女のひとたちは、特に主人公はとても真っ直ぐで素敵だった。
私はまだまだ慣れなければならない。
少し前だっただろうか。いつだったかは忘れた。
友達と駅の階段を上がっていると、前の女の人がタバコの箱を落とした。
私は考えるよりも先にそれを拾い、落ちましたよ、と声をかけた。
その後、友達と話をしていて、こういう咄嗟の出来事というのは、頭で考えることではなく勝手に体が動くものだ、という結論に達した。
考えている間に人の波は流れていく。考える隙を与えずに、体が動くようでなくてはならない。
道は遠いようだ。
読み進めていくのはそう早い方ではなかった。
先が気になって気になって仕方ない!というほどじゃあなかった。
しかし、読み終わった今、あぁこの本を読んで良かった、と思った。
私がなりたいものが書かれていたように思う。
少し大げさかもしれないが、私は美しく年を重ねていきたい、と考えているのだと気付いた。
この「美しく」というのは外見では、そうなればいいなー、というほどのものだが、それよりも内面。まぁ、外見は今さらどうこう出来ないので、諦めているというのも無きにしも非ずだが。
この間、駅のホームで困っている(だろう)人を見かけた。
そのホームは乗換する線がとても多く、混雑する駅のホームだった。
その人は車椅子でホームにいた。
普通ならば、車椅子の人のそばには駅員の人が居て、乗り降りしやすいようにボードのようなものを持って一緒に居る。しかし、その時のその人の傍には駅員の姿は見当たらなかった。
私は人の波に流されるようにして、その人を見ていたが、結局何も声をかけることが出来なかった。乗りたそうに見えたのだが、私は何もしないまま通り過ぎたのだ。
それが一週間ほど前の出来事だろうか。一カ月前だったか。定かではないが、それが今でもとても悔やまれている。どうして一言声をかけられなかったのか。声をかけないというのは、何も思っていない、感じていない、と同じことなのに。
この本に出てくる女のひとたちは、特に主人公はとても真っ直ぐで素敵だった。
私はまだまだ慣れなければならない。
少し前だっただろうか。いつだったかは忘れた。
友達と駅の階段を上がっていると、前の女の人がタバコの箱を落とした。
私は考えるよりも先にそれを拾い、落ちましたよ、と声をかけた。
その後、友達と話をしていて、こういう咄嗟の出来事というのは、頭で考えることではなく勝手に体が動くものだ、という結論に達した。
考えている間に人の波は流れていく。考える隙を与えずに、体が動くようでなくてはならない。
道は遠いようだ。
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