今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

カリカリ・モチモチのナポリタン。

2018年02月04日 | グルメ
よくお子様ランチとか洋食屋さんとかのメインディッシュに添えられているナポリタンって(近年ではロメスパって言うのが近いかな?)、そういえば作った事がなかったな~って。

普通のパスタはソースがトロっとしていて、サラっとしている感じだが、
(パスタではなく)スパゲッティの専門誌みたいな本を読むと、有名なロメスパの店主が「『これもかっ!!・これでもかっ!!』っと炒め続けて、麺の表面を徹底的に傷付けていくんですよ!!」みたいな表現があったりする。

これは自分の経験なんだけれど、茹であがったパスタを炒めている過程で、
最初1度軟くなった後→更に炒め続けると麺に含まれる水蒸気が蒸発して抜けていき、
今度はゴムのような弾力が生まれ始める
(まるでグルテンが生成されているのではないか?とも思うぐらいの弾力)。
それがアルデンテを遙かに凌駕するコシというか弾力なんだ(好き嫌いは別として)。

で、やっぱり世の中には普通のイタリアンが好きな人も居れば、こういう昔ながらのロメスパが好きな人も、マイノリティーとはいえ、これからもある程度の絶対数は居ると思うんだ(=需要)。

料理・食べ物って、その人の生い立ちだから、それを否定する事はその人の人生、しいてはその人の存在自体も否定する事になるから、絶対にやってはいけない事なのね。

面と向かって相手の味覚を否定する時は、自分が刺される覚悟を持った方が良いと思う。
(特に料理をする人に対しては・・・感性や感受性も関わってくる事だし、上には上がいて次は自分がやられる番だと、その怖さを解っているから、私達は暗黙の了解でやらない人が多い)

ましてそれが自分の経営者や上司だったら・・・その厨房で作らなければいけない立場に立たされたら・・・

勿論、断る訳にはいかない、だって自分が家賃や人件費・光熱費を払ってリスクを背負っている訳ではないから

で、作る(作らされる)段になって、
・やった事が無いのと
・ああ~、こういうやり方もあるのね
何パターンか使い分けられるようにしておくと、自分の人生と違う事を要求されてもカチンとこない。
(業務としてその味に持っていけると思うのよ。。。その中で美味しい・不味い、自分のカラーを少し出すとかは、今度は相手が受け理解する番だし、それでも合わなかったら流石に「お互いサヨナラ、違う店に~」って事だし)

 自分もナポリタンは味だけでも2パターンは確実に作れるようにしてあるし。頑張ればもう1パターンも。
で、そこに今度は食感のパターンを増やそうとロメスパ的な、洋食に付け合せるようなパターンを経験をしておこうと思って今回やってみる事にした。
(逆に言うと、今までやった事がなかった時点で自分の中では勉強不足向上心不足だな~って、自分の中で、少し、反省をした)

 ただケチャップで炒めるだけではあまりにツマラナイから、ナポリタンはバターを効かせると自分が苦手な酸味をマスキング出来ると思うので
(でも、世の中には「ケチャップの酸味が欲しい」なんて言う人も居るんだよなー、概ね、そういう人は口煩い、言われると心の中で「うっせーな!」とは思っているけれど、顔は笑顔で応対しないと、とストレスがジャブやボディーブローの様に蓄積していく・・・ま、黙って来なくなるよりマシなんだけれどね・・・それが1番コワイ・・・)
パスタを茹でながら溶かしバターとケチャップ・茹で汁・塩・胡椒(あれば月桂樹の葉)でソースを作っていく
(今回はあくまでも付け合わせなので、タマネギを入れなかった。タマネギの甘味でケチャップの酸味を削れるとは思うが、、、敢えてしない、これは付け合せだから)

このトマトソースを取り分けておいて、メインのソースにしたり、利用したりしても良い。

パスタを投入、塩・胡椒を軽くして・・・(これから火を入れていくので味付けは軽く

火加減を中強火にしてフライパンへの設置面積を多くして炒め焼きに
(本当はサッと煽って、しかも今回抜群に茹で方が神ががかっていたのでパスタとして勿体ねー、まあアルデンテ自体がイタリアでも100年も経っていないワリカシ新しい文化だから、我慢をするか)

手早く焦げ付かない・貼り付かない様に、

でも設置面積を広く炒めていく。

少し麺の表面が乾いてきたのが解るだろうか?

より乾いて、ゴムの様な弾力があるのも解るだろうか?

僅かな麺の表面のパリっとした感も、麺の所々が色が変わってきた感じで解る。もうほぼ出来上がりだ。
(もう食材の限界)

もっと、麺の表面に色を付けてパリパリにしたかったが、これ以上は限界だ、麺が焦げ付いて、小麦粉がフライパンに貼り付く1歩手前になってしまったので、仕方なく皿に盛った。
(腕がなかったなー)
フライパンの底面にはトマトソースが蒸発したカスが、そろそろ焦げ始める1歩手前。

半熟目玉焼きを添えて、上手くは言えないが、こんな感じが人にとっては嬉しいのだろうっ!!!
(外国人はこういうのを見て、どう思うのだろうな?、又、アジア人と白人との価値観の違いもあるだろうし、どう思うか?、その違いも知りたいところだ・・・)

洋食屋さんとかだと、ご飯にこういう感じで1回バウンドさせてから食す。
(ちょっとドライパセリを色付けでふってみたり)

途中で半熟卵の黄身に麺を絡めたりして、自分で皿の中で贅沢をする瞬間を決定させる。
常に人生は決断の連続だ。

味は、凄まじく美味しかった・・・、やっぱり、自分の味というか、
食感はキチンとゴムみたいにモゴモゴ出来たが、やはりカリっと感・そして自分が苦手な酸味を鋭角的に前面にこさせるような、ご飯のおかずになるような付け合せのスパゲッティにするのは、中々難しいと・・・つい自分の味になってしまうんだよな。

・今回は自分の味にすること、それが主題じゃぁないのに。

・普通に作ったらもっと短時間で、洗い物も少なくて済むのにな~・・・

・あ、タバスコをかけたらもっと美味しかったかな~?、いや、でも洋食とかお子様ランチでは邪道か!

何をやっても奥が深く、高い壁が次から次へと現れる・・・
一生現れ続けるのだろうな~



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