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今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

海老を余す所なく

2021年10月16日 | 今日の料理
日本は?薬味文化でもある気がして、
海老の刺身に小葱をタップリ散らしたら小粋な味のイメージになるのではないか
どうかなって思い殻を剥いて(竹串でササっと背ワタを取り)試してみた。

う~薬味とかあまり関係無いぐらい(海老の味噌も入っているし)海老がネギに勝つ(でも美味しい事は美味しかった、やはりそのままの方が・・・)。

食べるなら全部かけてしまわないで、食べる時にかけたい分だけの方が、両方択べて楽しいのかもなー

唐揚げに最初から黒酢餡がかけられてしまうと「真の唐揚げ好き」実は心の中でガッカリする事と同じで、全部かかっていると飽きてくるというか・・・
和食でさえも、そういうものか・・・カレーを最初から「全部」グチャグチャにマゼマゼしちゃう感じに近いだろうか・・・)

実は、刺身を仕上げつつ冷蔵庫へ入れ、その海老の殻を煮出しサッと出汁をとる
乾煎りしてから茹でる方法とかも多いが、焦げのアタック感も強くなるし、普段のメシでそこまでしなくていいだろ・・・)

ザっと濾して(1度シノワで濾してみたいなー、でも、洗うのが大変なんだろうなー)

ここで出汁の半分で味噌汁を作りつつ、殻を煎って今回は「その殻は取り出し」

味噌汁に小葱をぶち込みまくって(薬味文化だから)煮た小葱と薬味の小葱の2段階で風味とか様々な違いを出してみた。
(冷蔵庫へ入れておいた赤海老の刺身と海老定食にし・・・)

本来炒った殻とトマト系を煮出すが、「今回」殻は別の事に使いたいので、抽出したニンニクとか炒めた玉ねぎにホールトマトと余っていた出汁の半分を使ってなんちゃってアメリケーヌのを作ってしまおう・・・もう味噌汁は堪能したし出汁が余っていても仕方がない・・・
(前に本格的なアメリケーヌを、簡易なアメリケーヌにしたが、更に簡素化した感じ)

煮詰めて。
(少しホールトマトが多かったか、今回トマトジュースやトマトが無くて、これ1缶入れてしまったが、別容器に取り分けて又別の日にパスタにするかトマトソースを作っておけばよかったなー、缶のモノって「慣れていない」というか、弱点だった=以後気を付けよう=。別にイタリア人でもないから普段パスタばかり食べないし「粒食」のアジア人なので、クスクスでさえ加工品だから実は「粒食」って凄いと何かの本に書いてあった・・・)

で、先程の海老の殻をレンジにも使えるオーブンペーパーに置いて、骨煎餅ではないが下は網系が良さそうなのでこれにした。

ハーブ類みたいに火が出ると怖いのでレンジで1分づつ様子を観ながら(計6分ぐらいやった、蓋を開けて様子を観ながらだから通常だったら4分~5分ぐらい?バジルの葉ではないが火が出ると怖いし、そうなると後の焦げの臭いが中々取れないもんね・・・玉ねぎで取ったり大変だから・・・)

殻の色が変わったら塩をかけて
(油で揚げたり、油をかけてレンチンとかしたり?しないからか、塩味はいくらかけても付かないと覚えておくといい、まあ海老の殻や残った内側自体にも海のモノだから多少の塩味は残っているし、私薄味なので。。。)

袋に入れ、冷蔵庫で数日後、少し塩が回っていたのと、この部分が「旨味」があって美味しいのよ・・・
カルシウムが摂れるし、(そりゃ、めちゃめちゃ美味いワケではないけれど)良いツマミ自然なオヤツにもなる、塩気が強くないから血圧にもそんなに悪くない気がするし。

さてとアメリケーヌソースを作るか、ってこんな時に限って牛乳が無いので、あまりコーヒーは飲まないのだが偶にどうしてもこの夏暑くて入った喫茶店で、喫茶店でキチンと身体を休めるという事をまだ知らなかったので、もう大人だし、身体を休める練習の為に入った喫茶店でよく解からないから、どぎまぎしてつい「コーヒー(でも飲めないからアメリカン)」(アイスコーヒーは流石にそのまま)と言っていた時に分けも解からず貰ったポーションクリームを。
(牛乳とか生クリームではないけれどね・・・うちはお祖母ちゃんが居たので親戚とか、「急な」来客用に一応用意をしておいたり)
シーフードミックスを入れ、具材とする(冷凍のまま入れた方が小さくなりヅライ気が・・・だがパスタの茹で時間との兼ね合いでタイミングが難しい)。

なるほど海老出汁を使ったとはいえ炒った殻を煮出さないと後から海老の風味が追っかけてくる感じに仕上がるのね・・・
今回ペンネで仕上げたけれど、昔1回だけやったカレーの味変とは違って、やはり僅かなポーションクリームでは今回足りなくトマト味が強かった為、ペンネが続くと飽きるので「量を減らして」足りない分はパンを齧ればよかった。

数日後は洗い物を1つでも減らしたいので麺を茹でるに器ごと温め、
その頃には「牛乳が手に入ったので」(奮発をして生クリームを買うと又余って別の事に使わないとならないので)それでコクを増し、

アメリケーヌのロングパスタにしてみた。
画は汚いが洗い物が1つでも減るし、器に付着した分も「キチン」とキレイに出来る。

パンで拭うぐらいには美味しく戻った。

これで洗う時にもラク!!



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気付いてしまったこと

2021年10月16日 | 飲食業
本当は便利なものシリーズか、いろいろなものシリーズに、こっそり途中に入れようか?と思ったのだが、
(↑近年オレンジ色はリンクのルール

大したことじゃないんだけれど、パスタのソースを温めていて、煮詰まり過ぎると嫌だから隣で茹でている麺の湯を入れ焦げない様に調節をするのに
1個でも洗い物を減らそうと、お玉を汚したくはなくて、トングで湯を適宜入れている時に、
(1人前ならトングで湯をすくって入れている人を観た事があるから、決してただの横着では無いとは思うのだが・・・)
なんで最初から、仕上がりに合わせて多めに湯を入れず、こうやってチマチマと適宜に湯を入れて調整をしているんだろう
情けない自身に気付いてしまった!

イタリアンとかジャンルや技術的な事じゃないんだ!!

(ちょっと出来ない自分に悔しかったので)繰り返すが、なんで最初から仕上がり時間を想定し、タイマーで計測もしているのに、その分の湯を最初から全部入れてしまえなかったのだろう?って、ここが「未熟」なんだろうなーって事に気付いた。

間違っているかもしれないけれど、

最初から(料理の)仕上がりのタイミングを想定して動けないようでは本番では使えないんじゃない?って。
戦場だもの

やっていて気付く事の(未熟さと)、「大切さ」、に気付いた瞬間だった。

感謝「何にか」は解からないけれど、なんかそう「瞬間的に」感じた)

玉ねぎの大きさも同じに切れていないし、
個体差があったり、既に切り掛けを使ったりするので、完璧とまではいかなくても、もう少し切りそろえられてもいいんじゃないか?
そうでないと調理の時、火の通し加減が変わってきてしまって時間のロスが多い・・・

もうそういうマクロな部分での差しかないのかもしれない・・・
これから老眼も進むし・・・今、そういう所をキチンとしておかないと、後で大変な事になる・・・無駄に年だけ重ねて先や様々な落とし「罠」見抜けないというか・・・それが怖いし、長い人生何をやってきたんだろうなーって。
(自分的には)こんなに頑張ってきたのに・・・勿論、机上の空論より実戦で厨房に入り続けている方が格段にチカラは付くが・・・

あ~、もう、眼鏡をしていると感性が鈍る!!(俺は!!)。

緻密な事に向くんだけれど、料理は、俺は機械やマシーンじゃねーんだ!!
(焼き台とかで肉を数時間焼き続けていると飛散した油でレンズが曇ってベタベタになった事があるし・・・)
特に料理は「感性」も大事な気がするから・・・
メディア側の人間達が(煽って)造った部分もあるかもしれないが偉大な料理人達の多くが動画とかで「不思議と、”美味しくな~れ”心を込めて作ると、何故か美味しくなる事が多い」と、チラっと言っている言葉が、結構かぶっているんだよね・・・
(そういえば偉大ではない俺も焼き台の前でそうだった、これは美味しく焼こうって思ってその1本に魂を込めたモノは、もう目で観て違ったし、味見で食べてもやはり違っていた、ギリギリのラインを狙えてそのとおりにいけたというか・・・人間だから体調や様々な問題が降りかかるので、その違いは無論製品としてのラインは越えた上でだけれど、その上の部分のラインの中での上下はあったなーってこれを書いていて思い出した。自身の平静を保ち人生や日常を穏やかにする事も料理や「何か」を作る事に対して、影響が出ていくのかもしれない・・・)
料理(や調理「何か」の製作)以前に、そこが大事なんだろうなーって。


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鯵を漬けたら・・・「島寿司」っぽくなった

2021年10月16日 | 素材
そんなにたいそうな事では無いのだが・・・

本格的な漬け(←最近は酒と醤油を同量にするだけで、甘みを取っ払い、漬け汁を他の事へ転用をしている)や、大分の「りゅうきゅう」や愛媛「ひゅうがめし」とかは白身や大き目の切り身の魚を漬けにするが、
ふと鯵の刺身を山葵醤油に漬けたらどうなるんだろう?って考えた・・・

ただ、夕食後、これっぽっちばかりを漬けにして忘れずにいられるか?←料理だけをしている訳でもないので、多少自信が無かった為、
もし、忘れて冷蔵庫へ放りっぱなしにしてしまった時の事を考え、
霜降りをせずヅケにするやり方の場合は20分とか短時間が多いので、忘れた時の事を想定すると・・・
醤油にダバダバに漬けず、食べ終わって少し残っていた醤油に僅かに足して全体にまぶしつける程度にしておいた。

アンポンタンなので案の定、忘れていて4時間後、ノンアルだけれど何かツマミは無いかなーって台所をあさっていて、ハッとし、やはり忘れていた!!!!!って急いで試す。

美味しい、たまらなく美味しい、余分な水分が抜け、ヌメっとしつつも身がモチっとし直し、ちょっとコリコリとするような弾力すら感じる。
(4時間も経てば)「流石に」山葵の香気は飛んでいるが(山葵が殺菌で保存を多少は長引かせ)、
醤油が少な目だったので、よく「ありがち」な醤油っ辛いって事も皆無

江戸時代の鰹の刺身ではないが、カラシで食べてみたら、これが絶品!!
何かに似ているなー、何処かで食べた事があるなーって考えていたら、

そうだ、八丈島の島寿司だ!!という事に気付いた。
(なんだ、現地の本場の島寿司ではないけれど、何処かで食べた事あるじゃん)

 うちの中学の時の生徒や様々な学年の卒業生に1番人気がある先生が八丈島出身だったなー
勉強や運動が出来ない子も、出来る子も、みんな平等に扱うから、真実に触れている気がした。
赤ひげとか鬼髭とか、そんな達磨みたいな、これぞ、「theセンセー」って風貌だったけれど、
俺が自分の意思で勉強しなくてクラスに迷惑をかけそうになり、引っ叩かれたけれど、責任を持って叱ってくれる、なんつーか、その熱意が、先生の掌から伝わってきて、
痛くないけれど、世の中にこんな大人が居たんだ?こんな教師が存在をしたんだ?、教師とか教育の深遠なモノに触れたようで、何故か解からないけれど、「感謝」とか「温かみ」(温度?)で、涙が後から後から止まらなくなってきた思い出がある。

小学校の時は、教師が自身の責任を取りたくなくて、なんかもう2度と学校なんか行きたくねーって思っていたけれど(1時間目から5時間目まで立たされるのが半年間、登校拒否をしているヤツラの方が余程、人生を生きていたんじゃないか?って・・・「嫌なら逃げりゃいいんだよ・・・」今になってそう思うけれど、子供のうちって、その世界が全てだから逃げられないんだよな、親は理由も聞かず「学校行けー」って言うし)、でも中学に入ってから唯一こういう教師に出会えた事に、なんか子供心に凄いなー、大人はって感じた事を今でも覚えている。

中学は部活とクラブとファミコンと、遊んでばっかだったけれど、そんな先生や多くの人に会えたし、行って良かったと思っている。

だから、その八丈島の先生だけは今でもどの年代でも、何十年経っても、卒業生達に人気があり、感謝をされている。
(勉強が出来る子達は平等に扱われるから、あまり好いていないようだったが・・・それでもピラミッド状だから絶対数手的に、そういう少数の出来る子に比較すれば出来ない子の方が多いワケで・・・)

学閥や昇進試験の点数だけで昇進するようになっている大人の世界(最近は公務も少し変わったのかな?)、子供の頃、嫌だった先生だけが校長になっていたりする世の中。

後年、教師を退任された後、偶然お会いし、
俺が「先生、教育とはなんですか?」と問うと、
「指揮を実践する」(漢字が違うかもしれないが)という言葉を、俺の解かるレベルに噛み砕いて下さって「この子はこうあの子はこう、その子にあった接し方で伝えられるか?どうかじゃないかなー、俺はそう思う」と言われていた。

その頃、私から仕事を流していた部下みたいな人達にそうやってもの凄い速度で仕事を達成して頂いていた
派遣の人とかは実際は俺や一般の職員より能力がある方ばかりだったので、皆の「GEAR」が上手く絡むと、人の力って凄いのよ・・・それは飲食業とかでも同じGROOVEを作る事が出来る
自身の経験と照らし合わせると、先生の言葉を「理解」をする事が出来た!!

なるほど、ありがとう、せんせい

力及ばず、
まだ何も先生の言葉を世の中に役に立てていないです、よ、・・・
(多分、意図して出来る事ではない気がして、真心の問題というか・・・相手がある事だし・・・)

島寿司かぁ、・・・。 


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