2231 ようやく、アドバイザーの仕事を始めることができるようになった。しかし、まだ、手続きが残っている。大体、こういうことは、会社の担当者が進めるものだが、私に場合、自分でできることは自分でやってしまう方が、簡単で、早い。しかし、私ではできないこともある。そういう場合は、インドネシア人の担当者を決めてもらって、私が方法を教えてやってもらう。技術を教えることと同じで、方法を全て教えて、教えっぱなしだと、本当にやっているのか、いつまでにやるのか、そういう、経過も分からないし、報告もないので、聞かなければならないし、まだだったら、催促をしなければならないし、場合によっては、もう一度、最初から、教えなければならない。インドネシア人の世界とは、こういうものです。
ま、日本人にも、そんな人がいる。頼んでも、なかなかやってくれない、何度も催促し、やっと出てきた書類が間違えていたり、とんでもない、考え違いを前提として、データが出てくる。それを、説明し、訂正し、それから、また、長い時間待つことになる。やっと、それらしき書類を渡されたときに、“3か月も、遅れましたね””というと、「こうして、今、だしたじゃないですか、これでいいでしょ」と、言われてします。催促し、やり方を教え、確認し、訂正し、もし、そうしなければ、3カ月、遅れた、今になっても、また、いつまで待っても、データや書類は出てこないというのに。開き直られてしまう。
とにかく、始まりの始まりがやっと来た。KITASの申請用にパスポートやUS$を届けに、エージェントに行ってきた。会社の担当者は、そのUS$の支払いに関しても、知らなかった、聞いていない、という始末だった。多分、一週間後くらいには、ブカシバラットのイミグレオフィスに行くことになる。その数日後にはKITASが手にはいる、マルチリエントリーパーミットの印もパスポートに押されて戻ってくる。もう、何回も繰り返している状況だ。
知らず知らずにブキッ ティマー通りを西に向かって、植物園の北側の入り口の前を通過した。
イセタンの映画館直行などのエスカレーター。
この書類とパスポートと写真二枚をシンガポールのエージェントに渡した。
弁護士から、話をしてもらうと、書いてきたが、10日過ぎても何の音沙汰もなし、気の毒な気がする。
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