南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

気の毒な人たち

2009-11-19 14:15:04 | 人間
 私がやっている仕事は、大変特殊で、この仕事を評価できる人は、非常に少ない。とにかく、どんな樹脂でも、どんな形でも、プラスチック押出成形品なら、何で作ってしまうのです。だから、一般の人は一種のミラクル手品を見るようなもので、どうして、できるのか分からない。種はない一種の超能力のようなものです。
今日も、ある会社の方から、押出成形のどこが難しいのですかと、聞かれた。納得してもらえる、説明はできない。インドネシアに押出成形を語ることができるのは、私一人しかいないのは何故でしょうか、と、逆に問いかけます。
 
 もう一つ、私は社員に対しても、インドネシア人に対して、腹を立てたことはない。怒鳴りつけたことは一度もない。部下や教え子達に対し、冷静さを欠いたことはない。
しかし、上司の立場で、私を怒鳴った人、私に冷静さを欠いて、要求をした人に対しては、どなり返すし、はっきり、批判を返す。決して泣き寝入りはしない。私が、間違っていないし、それらの人は、私がすることを理解できないので、感情で、物を言うのです。意見を戦わせるということができないのです。 勘違いを続けるだろうし、そういう人は、私にだけでなく、周りの人たち全部に対し、そういう、接し方をするからです。A社、K社両方ともである。
 サラリーマンを止めたのも、自分で会社を作ったのも、私は性格を分かっているからです。私の方がはるかに貢献しているし、大きな成果を上げているのに彼らにはそれが見えない、見る能力がないのだから仕方がない。私が言うことを聞いて、その通りにすれば何もがうまくいくのに、彼らにその能力がないし、立場を取られてしまうという恐怖心が生じてしまうのです。従業員が全員私の方を向いてしまうという恐怖を感じてしまうのです。

それでは、何故、インドネシアで一種のサラリーマンになったのか、それも、上司連中は、私の仕事を知らない、年下である。
 私の実績や経歴を見て、ある程度任せてもらえると思ったからです。それが、甘かった。彼らにとっては、それが、目の上のタンコブになってしまった上に、感情的な人たちだったのでした。全く、想像できないくらいのプッツンぶりで、私を排除したし、インドネシア人は震え上がってしまう。口答えをして、立場を取り上げられた従業員は何人もいた。与えられた立場だけが、頼りの、怒鳴り方である。だから、立場を取られることを異常に恐れる人達なのです。


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