南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆アイススケート

2013-12-30 22:38:11 | 

 1809 いつ以来でしょうか、もう10年ほど前になるでしょう、最後にアイススケートをやったのは。ジャカルタのタマンアングレックのスケートリンク、PT.KITAGAWAの押出部門の従業員を主体に30人ほど、私が引率し、招待した。その前、メガまモール プルウィッで3回、タマンアングレックで3回彼らと一緒にやっている。皆さん、おおはしゃぎ、感激された。

 

ということで、孫たちも7才と9才、アイススケートをやってみたいという、今日以外にチャンスはないので連れて行った。昨日よりも寒い、出がけに庭の霜柱を潰して、ちょっと滑る真似をしてから出かけた。家を出て国道に出る50mの間、西へ行こう東へ行こうか迷っていた。静岡にはスケートリンクがない。浜松のスポーツセンター(屋内)へ行くか、富士山裾野の“ぐりんぱ“旧日本ランドへ行くか、結局、浜松へ行ったのだが、理由は、道の凍結が心配だったのと、池なので、手摺がない、小さい子供だし、初めてなので、手摺は必要だと思った。ということで、屋内リンクを選んだ。

 

アイススケート歴は高校の二年の時から、大学では、武田神社のすぐ東側の灌漑用水が凍ったので毎年、30日ほどは滑っていた。スピードスケートだった。今回のスケートは10年ぶりくらいだし、年齢も70だし。靴はフィギアーようだし、かなり、厳しい条件だったが、孫たちから、頼りにされながら、何とか、4時間ばかり、スケート靴を履いて、足が何度も吊りながら、くるくる回っていた。見渡すと最年長かもしれない。靴の中が痛い、最後はその痛さを我慢することができなくなってやめた。

 

孫たちは、ドイツでもやったことはなく、初めてだった。最初の30分ほどだけ、手摺から手を離すことができなかったし、離しても、私にしがみついて来ていたが、一時間名もすると、「お爺ちゃん、自由にやるから、付いてこないで」とまで言うようになっていた。私が彼女たちにアドバイスしたことは、たったの一つ、「歩くのと同じこと、右、左と歩くように、交互に片方の足に体重を乗せてなさい」ということでした。早い、直ぐに、手摺から手を離して歩けるようになった。その後は、私がもう帰ろうというまで、ちょっと休んで、またすぐにリンクに戻った、それを何度も繰り返していた。残念ながら、また、行けるという環境ではない。

 

彼女たちのおかげで、まだ、やれるなと思いながら、家に向かったが、右足の土ふまずが何度も吊って、親指が上を向いてしまって、アクセルやブレーキを普通に踏めなくて、高速道路の途中で休憩をした。

やれる こむらがえり 頼り


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