2142 脱出できた会社の赤字を最小に食い止めるためと思い、合弁の話を提案した。そこから、その会社の社長の本心が噴出し、私は相当、厳しい立場に立たされたが、本業の赤字が幸いし、拒否をしていた事業譲渡を進めることになった。その後、脱出まで、紆余曲折があったし、私の雇用契約解消にも、ぎりぎりまで、ごねられたが、何とか脱出した。パニック障害で、決死の覚悟で飛行機に乗った時と情況は違うが、イミグレを通過するまで、何かの手が打たれていて、出国できない状態にされている事を心配した。
三回目の300ジュタの支払いが済み、残りは、12月20日最終の支払いを済ませば、完全に新会社のものになる、最終計算によると。消費税10%を含めても100ジュタちょっと払えば良いことになっている。元の会社からの私への返済の最終計算は知らせれていないが、300ジュタ近くになると思う。以前、押出し経費とされていたもので、持ち出しを拒否されたり、持ち出し不可能のものがあったりしたから、その部分の再計算をしていただくことになる。大丈夫だろうか、支払った金額に200ジュタ足して私に返さなければならない。心配になる。
その後の予定としては、最終に残してある作業に掛かることになる。一か月余り経過した新会社も、問題点がはっきりしてきた、期待外れだ。なかなか、私の思う通りに行かないものだと思う、いつになったら、ストレスから解放されるのでしょうか。
それと、緊急帰国10月の11日のこと、パニック障害の症状と気分に関して、嘘でした。どんな効果がったかは分からないが、妨害をされる可能性が低くなると思ったからだった。全く正常で元気そのもの、帰国してからも、健康上全く問題なし、病院へ行ったのは本当、袴田先生と世間話をしにいったついでに御守りとして、薬を30日分処方してもらった。その薬、まだ、呑んでいない。一年半前の薬がまだ10日分ほど残っている。ということで、問題は歯だけだ。
日本に帰らなければならない理由は、短期滞在、一か月以内に、ワーキングビザが取れなかったからです。そして、延長しても、暮れまでには。申請できない見通しになったからです。原因は、必要書類の準備が進んでいないからです。何故、進んでいないかというと、エージェントとコンタクトをしていなかったからです。私が催促しても、答えは、今やっているとか、書類は整っているから、すぐ出すなどとだが、実際、エージャエントに聞くと、必要書類は何かも聞いてきてないという。やっと、今週月曜日に、エージェントに会ってもらって、必要書類を確認させた。動き出しさせたには、20日も無駄に過ごした後だった、これから、本気で書類を役所に申請し、整えるまでに三週間以上掛かる、その書類が整ってからの申請になるので、今までの、経緯から、彼が、急ぐとは思えない、一か月半後、来年一月中旬に準備が整えば、良い方だと思う。その時に、そんな、状態の会社の手伝いを、する気がなくなっているかもしれない
これは、私の事だけではなく、従業員の扱い、プロダクションコントロール、デリバリスケジュール、マテリアルETCすべてに置いて、落胆させているようで、どうも、困ったことになりそうだ。インドネシア人によるインドネシア人のためのインドネシア人の企業を目論んだ私にとっては、まだ、手伝いを始めていないうちに裏切られたような気がしている。残念だ。本当の出資者と29日に話しをして、今後、どうするのか、見通しを再確認したいと思っている。その人は、出資しているのだから、成功させなけれならない立場なので、深刻に考えつでしょう。
1番 スタート、平日16万Rpでした。土日、休日は33万Rpだそうです。大変いい運動になります。自分の体力の確認になります。途中でやめてしまったという人の話を何人か聞いています。キャディーは男のみ、チカンペックのゴルフ場です。普段あまり、運動をしていない人は、大変だと思います。
先ほど、1996年から5年間そこにいた会社へ行ってきた。セカンドファクトリーになっている。ある人がインドネシアにみえて、私が世話をさせていただくことになっていたが、私がいなくなってしまうので、その会社の友人に世話の肩代わりをお願いしに行ってきたのです。
私が押出成形ラインを6ライン設置し、トリム、フックやサイドバンパーやエッジングやグロメットやテンションポールやアイシーケースやコンデンサーケースを作っていた場所です。ペインティングの設備と射出成型機の場所になっている。懐かしかった。事務所に入って、ここに5年間私の机があったのだよという話だ。
一難 落胆 希望