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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆時間がかかり過ぎ

2011-07-18 22:25:30 | 複雑

スカルノハッタのイムグレは大混雑だった。一人一人の対応に時間がかかり過ぎる。私は、30分並んでいた。まど口が10個所あるが、そのうちの二か所は閉じていた。どんなに大勢の人が並んでいても、そこに担当者が来なかった。ただし、仕切る人はいた。開けば、そちらへ行くようにと指図をしている。それなら、その人が、人がいない窓口に入れば良いのにと思う。
何がそんなに時間がかかるのか、暇だから見ていると、お金をその場で払っている人もいる。たかられているな、と、思う。
ANAの乗客だった人の内、短期ビザの窓口へ寄る必要が無いので、並んだのは、私が一番だった。その前にアラブ系の人達が50人以上並んでいた。私の10人くらい前に、例の目だけしか見えない黒装束の女性が6人、そのうち、あかんぼうを抱いているのが二人、それを、引率?している男が一人の集団がいた。その人たちの順番が回ってきた時、その全員が一遍に窓口へ向かった。いきなり、何かの不備があったのでしょう。イミグレの担当者が、面倒臭そうに男に何か訪ねている。どうも、らちが明かないらしい、例の仕切り人が呼ばれて、一緒になって聞いている。その窓口はそのままの状態で、他の窓口にそれ以降の人は向かい、私の番が来た。30分並んで観察していた中で、私はスタンプを貰う時間が一番短かかった。一分もかからなかった。リッポチカランヤ、サウダラ サヤ ジュガ ティンガル ディ サナ 私は ブギトゥとぶつぶつ言いながら、スタンプ、それで終わり。
私のようにインドネシアの長期ビザ持っていて、税金を払っている外国人は、インドネシア人の窓口で入国できるようにすればいいと思うのだが、そういうわけにいかない理由があるのでしょうね、きっと。
コタ トモホン 北スラウェジの山が噴火した。2003年以来の噴煙だそうです。昨日噴火したばかりなので、これから、どのくらいの範囲の人が避難しなければならない状態になるかはまだわからない。マナドに近いGunung Lokonです。

パンガンダランで凧揚げ大会が模様された。私は一度も見たことが無いが、テレビニュースで伝えられるほど有名な催しで、ユニークな形をした大型の風船たこが多数、空を泳いでいる。一年に一度で、何年インターナショナルになっているが、日本は参加をしていない。

やったね、なでしこジャパン
出来事 らしい 解放

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(^_-)-☆この環境が継続する

2011-07-04 23:14:11 | 複雑

 私も正月以来だが、私の母親が住んでいる家に行ってきた。私の妹と暮している。96才だと思うが、頭脳は完璧、私の状態についていつも心配している。私の脳は大丈夫かと、聞かれる。母親が亡くなることを全く想定していない。私がインドネシアに居る時も、母親が病院に運び込まれたとか、亡くなったという報が入ることは無いと思っていて、そのために帰国しなければならなくなるということを思っていなかったし、実際、そういうことは十何年、全く無かった。だから、今後も無いとしか思えない。

 曾孫と曾祖母との何回目かの対面、今後はいつでもお互いに会うことが出来るようになるでしょう。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

 大震災からの復興案やスケジュールをどこの誰が担当するのかはっきりしない。今、担当者がいるとしても、それは、半年以内に変わってしまうでしょうし、腰を据えて取り組むここはない。菅首相がだれに変われば50%以上の日本人が満足する様な政治が出来るのでしょうか。だれに変わっても、必ず、一年以内に、止めろコールの方が大きくなるに決まっている。日本の政治の無能というか、政治家の資質が貧弱というか、協力して難局に対処するという考えは浮かばないで、自分ならこうする、という事を云わないで、逆に、駄目だ、駄目だ、替われ替われと言っているだけ。これじゃ政治家がいないと言われても仕方がない。誰もが、国のことより自分のことしか考えていない。

 

 何故、二三年だけでも、休戦協定を結んで、挙国一致で難局から抜けだせるようにという考えが生まれないのでしょうか。多くの政治家は、それをすると菅さんの手柄になってしまうと思って、それだけはさせないと思っているのでしょう。全く、ケツノ穴が小さい連中ばかりである。この際、菅さんに協力してはどうでしょうか。二三年だけでいいと思うのです。この非常時に半年や一年で国のリーダーがコロコロ変わるようでは、回復するにしても、想定の倍以上は掛ってしまうのではないでしょうか。菅さんが身動きできないように仕向けている本人たちが、菅さんのすることは理解できないと言っている。自分の思うようにしなさい、と言っている連中が言っている内容が違うので、それぞれ言っている事の一つを採用すれば、やはり、多くの人から反対される。どうしようもない状態なのに、菅さんは頑張っている。いつ、辞職するかは明言しない。当り前である。このまま、辞職したら、それこそ、無責任になってしまうと本人は思っているからでしょう。総理大臣に任せたらいいのです。一度任せたのですから、民主党内の批判派は、一番無責任だ。自分たちが変わっても、何もできないのに、只、菅が気に入らないと言って、自分たちが決めた総理大臣の足を引っ張っている。みっともない人種だと思う。ラフレシアを再び

 協力 一任 太腹 

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(^_-)-☆休日もつらい

2011-07-03 22:19:21 | 複雑

 当り前ですが、いきなり休日です。ところが、体は休日モードになることを許してもらえなかった。孫たちの時差ぼけ起床が10:00過ぎ、そこから自転車の練習、上の子が、補助輪なしで運転できるようになりたいと言うので、自転車の後ろを捕まえて自転車の速度に負けないように走らなければならないばかりか、左右に倒れないように支えなければならない。初めての経験である。姿勢が前かがみ、辛いが、弱音は吐けない。もう止めるというもで、一時間を二回付きあったが、へとへとと、汗だくと、腰がなんとなく痛み出したこと、明日が恐怖である。早く、後ろで支えてくれなくていいと言うほど上手くなてほしいと思うが、一か月くらいは掛りそう。

 

 面倒な話だが、他の工場に様子を見て、改めて、この会社がどこまでの仕事が出来るのか確認する必要がある。開発部門は見たので、グループ工場と御殿場の方の工場を確認することにする。しかし、私の感覚では、どこの工場も私がやりたいことが出来る装置はどこにもないと思うし、その装置を設置する環境も整っていないと思う。

 

 だから、平行して、環境の整備と装置一ラインの見積もりを取り始めようと思う。その後、どこの誰が稟議書を書いて、どこの誰が予算の承認をして、どこの誰が注文を出して、どこの誰が、それをOKかどうか確認するのか知らないが、それに向けて来週頭からスタート使用と思う。それをどこの工場に置くかも決めてもらわなければならない。これも、同じ、工程を通らなければ何も進まないと思う。これらを、考えると、バカバカしくなるし、どのくらいに期間がかかるのか全く想像が出来ない。私が任せられれば全部のことを一か月以内にやってしまうが、インドネシアの例から行くとこんなことだけで、半年掛ってしまう。また、今、開発が発表していることでも、全てが半年以上なんだかんだやっていて、彼らのスケジュールールの発表を見ると、来年の三月待つが目標になっている。皆さん、実に落ち着いているなと感心する。私にはとても、そんなのんびりしたスケジュールは作れない。努力するのは嫌いだが、努力してみようと思う。

 

 てなことで、私は8月前半中に準備が終わらなければ、何をしても意味が無いと思うので、ターゲットは8月15日にする。それが、かなえられない時には、何もしないで、聞かれたことだけ返事をする完全相談役に徹することにする。

 家のジャングルの入口とその足元にあるスイスから種を買ってきた花。

 目標 準備 スタート

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(^_-)-☆初出勤の違和感

2011-07-02 23:45:16 | 複雑

 バスの運転で気づいたことは、信号が赤になったばかりの時にはエンジンをストップしていた。アイドリングストップという奴でしょう。徹底しているな、エネルギー節約。帰りのタクシーの運転手も冷房の設定を高めにしているとか。細かいことだが、庶民は考えているな。

 

時差ぼけなのでしょう。昨日は12時過ぎでも皆、眠れなかったようで、今朝は、07:00の食事時間には起きてこなかった。

初出勤だったが、高速道路を使わないで何分かかるかテストをした。倹約の為です。通勤時間だったことを意識しないで、高速を使えば、30分で行くので、45分と読んで家をでた。実際は、ところどころで、小さな渋滞があり、予想以上に時間がかかってしまって、60分でした。15分の遅刻でした。

 どうも、職場の雰囲気が硬い。何故でしょうか、机に向かって考えているのでしょうか。これから、この雰囲気になれなければならないと思うと、かなり、抵抗がある。

 

 家の雰囲気はガラッと変わった。親子孫合計5人、妻が一人きりだったのが、一挙に、賑やかになった。この賑やかさが続くことを願う。

 

 半月の間、南部化成テクノに勤め、半分はそれ以外の場所で仕事をすることにした。提案をしようと思うが、いつになったら始められるでしょうか。とにかく、硬い。私のような自由人にはかなりの抵抗がある。押出の製品開発、何か一つくらいは残したいが。

 

 昨日の一日も長かったが、今日の一日の方が遥かに長かった。どこで、何をしていいやら、何も分からず、こんな、新入社員のような雰囲気を味わった記憶はない。

 開発会議のようなものに出席させてもらったが、殆ど、何のことを云っているのか、さっぱりわからない。物を作ったらいいと思うのだが、それだけでは、無いらしい。物作りより、理屈が優先という感じがする。世界観が違う処へ来てしまったと感じる。大改革が必要だと提案してほしいと、雰囲気は言っている。

 退屈 理屈 偏屈

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(^_-)-☆何かが動きだした

2011-07-01 22:44:46 | 複雑

 昨日の夜から朝まで殆ど眠れなかった。殆ど一時間おきにメールをチェックした。メールが送られてこないことを祈った。そして、メールは、入らなかった。09:00前に家を出た。迎えに羽田へ向かったが分からないことばかり、品川まで新幹線で行くことは知っていたが、次は浜松町からモノレールで行くしかないと思っていた。静岡駅で聞いたら、京急線が品川から出ているという。それじゃ、それも、一緒に、と言ったら、私鉄だから、品川で買ってくださいと言われた。品川へ着いて京王急行線までが遠かった。券売機までに二回聞いてしまった。券売機の前に立って、さて、羽田までいくらか分からない、上に大きな地図があって、料金が書いてあったが、面倒だった。そこにいた女性の係り員に聞いて,400円のボタンを押してもらって千円を入れてもらって買ってもらった。

 ホームへ入るのに、自動改札、乗車券が昔の国鉄のように小さい、しかし、見ると、言えれる口が大きい、これは、ここではないと思って、また、先ほどの係り員に聞いてしまった。そこで良かったのでした。今度は、成田と羽田を間違えて成田方面のホームへ行ってしまって、気がついた、入ってきた、列車の向きが違うと思った。違うと、気がついて、向こうのホームへ移動した。そこへ、丁度、列車が入ってきた。乗り込もうとしたら、場内アナウスで羽田行きは次の列車です、の、声が聞こえてきた。その列車は、方向が違うらしい、多分、よく間違えるので、アナウスがあったのだと思う。助かった。

 羽田の国際線は初めてだが、羽田自体が20年以上前に行っただけなので、まったく、知らない場所、電車を降りて、到着ロビーまで、看板を目当てにたどり着いたのが、出迎え時間の一時間前、待ち時間を利用して、四階のエドなんとかとか、五階の土産物屋見て回ったり、デッキへでて空港全体を眺めて見たりした。

 一見、成田より使い勝手が良いような気がする。

肝心な出迎えは北京発チャイナエアーで時間通りの到着、ドイツから、娘と孫二人が元気な様子で出てきた。出迎えで、こんなに出てくるかどうか心配したことはない。途中で何か問題が起きて、足止めされるのではないか、ドイツへ戻されてしまっているのではないか、余計なことを考えて、もし出てこなかったらどうしようと、ハラハラしていた。

 出てきた!!彼女達も直ぐ私と目があって、走って飛びかかってきた。元気々々、旅の疲れなど微塵もない。私としては、会えてよかった。

 今ままで、家は賑やかだった。彼女達は既に眠っている。私は、明日、初出勤日、どうなることやら、二日続けての緊張である。2011年後半は波乱万丈になりそう。ボケてはいられないし、のんびりも出来ない。戦いが始まる。

 緊張 元気 転機

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(^_-)-☆やっぱり違うでしょ

2011-06-29 22:31:05 | 複雑

 雇用契約を結ぶつもりで会社へ行ったが、不備があって、7月1日に出社したときに調印することになりそうだ。居場所は決まった。これで、7月1日が南部化成の社員になる日である。ついに、そうなってしまった。勤務は月に12日が原則だが、タイムカードはないし、自由に出勤退勤が可能で、私としては月の前半を日本勤務、後半をインドネシア勤務、往復回数を半分にするために、それを毎月交互にすれば、結局、一か月交代に日本、インドネシアということになる。一応、そのようにしようと思う。

 それにしても、職場の雰囲気が私の考えているものと大きく違うのが気になる。どうして、皆が机に向かって何かをしているのでしょうか。開発となれば、現場で、機械の横で、金型の製作場で、あるいは、修正場で仕事をしていなければならないと思うのだが、どうも、違う、やはり、違う。何をしようとしているのでしょうか。これが、今日の印象でした。

 私の役目は何でしょうか。製品を作る工程、アプローチが、現在と違うものがいくつもあるということの見本を見せることだろうと思う。ま、私が仕事をすれば、自然にそれはでてくることでしょうが。人と違うのが私のモットーだし、誇りだから。人と同じは大嫌い。

 もう一つ、私が南部化成の本社にいることは、ゴルフのメンバーとして貴重な存在になるということでしょう。平日でも、どなたかと接待ゴルフをするときに、人数合わせに貴重な存在になる。それだけでも、私の存在価値があるということでしょう。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

 

 通勤時間をチェックした。家を出て直ぐに国道一号線で西に向かう、兼好法師の徒然草や在原業平(ありわらのなりひら)が主人公とされる『伊勢物語』に、出てくる宇津の谷峠の下のトンネルを抜けて、焼津インターから東名に入って一つ目の吉田インターで降りる、450円、そこから一二分で着く。30分でした。チカランの家を出てPT.NANBUへ出勤するのと同じくらいです。ただし、高速代は30円が大きく違う。

家の庭の花

 雰囲気 分析器 焦点

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(^_-)-☆陳腐な浦島太郎

2011-06-25 22:15:52 | 複雑

日本へついて先ず気になったことは、物価の高さです。まだ、スーパーへは行っていないので、食品は分からないが、車の中から見える看板、値段表を見ると、すごいと思う。ガソリン、¥150?/Lでしょう。円のレートが¥80/US$にしては、びっくりするほど高い。インドネシアは政府の補助があって、純粋に比較できないが¥40/Lですよ。四分の一近い。インドネシアの外資系や国営プルタミナのプレマックスという日本でいうハイオクは¥80/Lですから、それと比較しても、日本は高すぎる。こりゃ、節電以上にガソリンを使わないようにしたいと思う。

高速道路使用料、焼津から吉田まで一区間10kmくらいでしょうか。¥450でした。インドネシアでこの距離なら20km以下は¥32均一です。

タバコの価格も¥410~440でした。すごいですね。喫煙率は減少するでしょうね。インドネシアはどうでしょうか、¥100平均でしょう。輸入品のマルボロ(インドネシア産?)やマイルドセブン(北朝鮮産?)でも¥120くらいかな。

自分で運転しての車での移動は日本に比べれば5分の1に費用で済む。感覚としては殆どタダである。

これらだけのことからだけでも、日本の生活は切り詰めなければ続かないと直感した。税金のことは確認していないが、受け取っている年金にも所得税や住民税が掛っているらしくて、30%位引かれていた。国民健康保険も自動的に引かれている。大変だなと思う。私がそう思うのだから、一般の人は、私以上に大変ではないだろうかと思う。7月から給料を貰うことになるが多分10万円より遥かに少ない金額だと思う。それでも、年金と税金の関連はどうなるのでしょうか。確定申告などという面倒なことには、係わりたくないのが本音で、公から何か言って車で、何もしないでおこうと思う。必要経費は金型などを自分で作って、うまくいけば其れを会社に買ってもらうが、うまくいかなければ、試作費として落としたいが、そういうことを理解できる税務署員はいない。

インドネシアで貰っていた給料についても、同じことで、領収書を保管してあったが、認められなかった。私から言わせれば、理不尽な税徴収をされたと思っている。それに、納めるだけで、使い道に関与できないのも理不尽だと思う。

だから、インドネシアで仕事をして、税金をインドネシアへ納めた方が自分を納得させることが出来る。日本で生活していない、日本の行政から何の利益も受けていないばかりか、負担ばかり強いられている。納得できない。竜宮城で生活している浦島太郎がなぜ税金を納めなければならないのでしょうか。戻ってくれば、もっと沢山の税金を納めなければならない。生活に困るわけではないが、納得できない。税金を納める代わりに、私がお手伝いしたいところにお金を使いたい。

 

家のトイレの機能が大幅に変わっていてびっくり、変えたとは聞いていたが、ここまではとは、思っていなかった。まず、トイレに中に入ると便器の傍の灯りが自動的に着く、だから、暗くても、トイレの灯りを付ける必要が無い。そして、蓋が空く、坐るための輪っかは上がらない、男の小の時は手で上げる。洗浄機能はかなり細かく複雑になっている。小でも大でも終わって、自分で流さなければ、自動的に水が出て流す、そして、消臭ファンも自動的に動く、最期に、蓋が閉まり、トイレから出て行けば灯りが消える。至れり尽くせりが過剰だと思うが、一つ、トイレットメーカーに機能を追加してもらいたいことがあります。その他はいりませんから。大便をし終わった時トイレットペーパーでお尻を拭いて、できるだけ、くっついている弁をふき取ってほしい、その後、水(温水)で洗ってほしい。若干の濡れティッシュで拭きとってもらえるとなおいい。痔になる原因の一つが、トイレットペーパーで拭きとる行為にあることは分かっているのだし。大便のあと直ぐに水を吹き付けて洗うわけにはいかないでしょ。必ず、トイレットペーパーで着いている弁のほとんどを拭きとらなければなりません。そうしなければ、付いている便が飛び散ってしまうでしょ。そう思いませんか。“画竜点睛を欠く“。他のあらゆる機能はいらないから、それだけを考えてほしいものです。

その点、インドネシアの川の両側の便所は理想的です。川の水で全てを綺麗にできるし、ついでに体全部も洗ってしまう。私が住んでいる部屋もそれに似ています。便を最初から水で洗うのです。紙は使いません。だから、便をするときには少なくともパンツやズボンは全部脱ぎます。最期は下半身全体を洗います。

懐かしの枇杷(びわ)の木と無花果(いちじく)。自動販売機

変! トイレ どんな?

 

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(^_-)-☆身構えをしそう

2011-06-24 22:58:40 | 複雑

 真夏の日本へ入ってしまったようで、暑くてたまらない。節電モードになっているが、これでは、大変だろうと思う。

そんな中、7月からの仕事をする場所へ行ってきた。私から望んだわけではないが仕方がない。他に、やりたいことがあるし、他にいたい場所があるし、他に手伝いたい人がいるのに、他にお付き合いしたい方々がいるのに、それらを一時、あきらめて、また、ここの条件も満足するものではないが、一応、先日3月に、ここで、仕事をすると口約束をさせられた以上、全く無視し続けるわけにはいかないので、何カ月かは勤めるしかない。今日、そう決めた。

私が、自由に、何か新しいテーマに取り組むことが出来るとは、全く、考えられない。

一番気になるのは、期待と報酬の関係である。出勤する日は一週間に3日となっている。それで、私に何を望もうと言うのか、分かりにくい。報酬も示されていない、ということは、期待していないことを示しているのかもしれない。

契約書の案を見て、感じたことは、新しいものを作ったらどういう報償か報酬か配当を出して讃えるというものは全く無く、秘密をもらしたら、あるいは、禁止事項に反したら、こういう罰則があるという文章が長々と書かれていた。変!!!

それと、契約期間が来年の3月末まで、会社の考えで、全員がそういう雇用契約になっているというが、来年の三月までに何を期待するのでしょうか。一週間、3日、を一か月12日に変えてほしいと頼んだので、そうなれば、8カ月×12日=96日=768時間で、一体どれだけの報酬で、どんな成果を期待するのでしょうか。土日を一回、出勤すれば、一週間と五日会社にいればいいことになる。会社の体質を見たような気がする。

株主総会を集中日に控えて、なにかと気忙しい雰囲気の中、月曜日を通過すれば、多少、ゆっくり、皆様とお話しできる機会を作ることが出来るかもしれない。その時に私の考え方を改めて、伝えるつもりでいる。

 

暑いが、未だ、梅雨は開けていないようだ。アジサイの花が目付く、会社の正面入り口の両側にも、どなたの趣味か、アジサイが植えられていて、鮮やかな満開でした。一種類はヨーロッパで品種改良して日本へ逆輸入された、一般的な品種、もう一つは日本原産のままに近い種類でした。それを、意識して植えてあるのでしょうか。意識しているとしたら、植えさせた人をちょっと尊敬する。アジサイはインドネシアの山岳地方の涼しい場所に多く植えられていて、そう珍しくはない。見るたびに懐かしく思っていた。しかし、やはり、アジサイは梅雨時に雨水が垂れている姿が一番美しい。インドネシアにアジサイは似合わない。

 

探り 未知 不安

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(^_-)-☆事情を知って手を打つ

2011-06-17 22:17:03 | 複雑

インドネシアでの仕事はひとまず終わった積りだが、もう一日いて報告書を書くことにした。住友金属系の大企業のインドネシア工場だが、私ならではの、インドネシア人へのインタビューで多くの問題点を指摘することが出来た。やはり、大きなテーマは情報交換、コミニュケーションが不完全、日本人とローカルスタッフ、双方ともシステムに則ってやってはいるようだが、そう方も基礎知識の不足とやはり言葉の関係でミスアンダースタンドが多い。それを指摘すれば双方とも納得でした。なお一層、確認の場面が多くなるようにシステムの改善を提案するとともに、日本人がもっと普段の仕事の中で、インドネシア人と世間話をするようにお願いした。永遠の問題だと思う。日本人は交代するので、始めからやり直しみたいなところが必ずある。その都度、インドネシア人は顔色を伺いながら、話の内容や話し方に気を使わなければならない。

 だからと言って、長期で同じ日本人が経営しているというのも、底の浅さを露呈しているし、全てがそうだとは言いませんが、監査をすれば、ぼろがどんどん出てくるはずです。
誰がやっても、大過なく過ごせる仕事や本社だけとしか仕事をしていないような会社は、それでよしとしている本社の経営陣や方針に疑いを感じる。変化をさせれば、違う道が出来てくるかもしれない。余計なことをするなと、釘をさす、トップに近い人が本社にいる会社は、その人のリモコンで動くロボットのような人が長期でやるのです。人が変われば、利益が上がる確率が高いのに、変えないということは、その会社、本当は利益が増えるのに、増やさない、と同じで、損失をしているのです。結局、他の国に進出している生産拠点に仕事を持っていかれているに、何の手も打てない。そういうことも、この会社について指摘をさせていただいた。
 今、インドネシアは国内の需要がドンドン増加しているので、車やバイク、家電製品、IT装置などの製造業の会社は、営業をしなくても、どんどん、仕事が増えている。それらを支える部品工場、プラスチックや金属の材料製造工場の景気は大変よい。だから、内部の問題が表面化して、生産に影響する様な事態になる可能性は大変少ない。余計なことを考える余裕がない。給料も規定通りに上げるし、休日も国の規定通りに休みにする。それで、仕事が回っているので、それでいいのですが、現状がバブルと言えないとは言いにくい。中国も同じだが、はじけるときは必ず来る。日本が経験しているように、海外の工場といえども、そろそろ来るかもしれないということを念頭において、計画を練るし、人の配置も考えないといけないと思う。世の流れに押し流されるような動きはそろそろ終わりにした方が良いような気がする。
中途半端に咲き始めたラフレシア ファトマ 
景気 汚職 そろそろ

 

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(^_-)-☆パニック障害

2011-06-15 23:15:56 | 複雑

その後どうなっているのか、私のパニック障害は。日本へ帰るたびに県立病院へ行って、袴田先生と世間話と私のインドネシアでの様子を話し、決まった薬を決まった数、処方してもらいます。それが、私の安心です。脈が飛んでしまって、めまいを起こしたり、過呼吸になって体中がぞっと冷たくなり、がたがた震えがきたりする、メインのとんでもない症状は、パキシルやコンスタンを飲んだ直後からなくなってしまい、その後も、その症状は全く出ていません。気管がふさがったような呼吸困難や脈拍数が200以上になって頭に血が上り、がんがんする症状も無くなった。ということで、パニック障害の症状は、パニック障害だからと断定できるものは無くなった。ただし、口の渇きが早くて、話をしずらくなる。涙の分泌が減ったようで、運転をしているときは特に目が乾き、目薬を離せない。など、パニック障害の前兆とも思える症状は今もある。しかし、これで、パニックになることはないわけで、パニック障害の症状とは言えない。歳の所為か、無茶な行動の所為か、そちらが原因ではないかと思う。

結局、今、振り返ってみると、パニック障害と病名を断定されたその日の夕方に、パニック障害は治ってしまっていたのです。

症状、心臓の鼓動が一時停止する、これは、24時間ホルダーでも、実際何人もの医者が手首を抑えて確認している。その時、なるほど、あなたは嘘を言っていない、程度にしか思ってくれなかったような気がする。事実、その症状に対し、誰も手を打とうとしなかった。私はそれが大変不満だった。大丈夫、死にはしないよ、いちいち、大騒ぎをしなさんな、と言っているように感じた。実際そう言った医者も何人かいた。

もう一つ、私が不満だったのは、心臓の脈が消えて、くらっと、来る、その直前、1秒くらい、体のどこか、場所は決まっていない、足のどこかだったり、お腹のどこかだったり、どこかの指先だったり、チンチンの先っぽだったり、耳の中だったり、とにかく場所は出鱈目なくらい、あちこちでした。針の先でちくっと刺されたような、一瞬(0.1秒)痛いと感じることもできないくらい、チクッと感じるのです。そのチクッがあれば必ず、クラッとなった。其のチクッが来るのが、今来るか、今来るかと、来ていない時も不安だった、そして、来る時は、何箇所かで連続で来る、その時は、連続でクラッとする。もう、立っていられなくなり、坐ってもいられなくなり、床に横になるしかない。そういう時は、もう、これで、この世ともお別れかと思う恐怖に襲われる。

それを、二カ月間、インドネシアでも日本でも多くに医者に話した。専門がそれぞれ違う医者に話をした。しかし、誰一人、そのことを真剣に受け止める人はいなかった、殆ど、聞き流されてしまった。多分、その医者たちは、そういう話を今まで誰一人からも聞いたことが無かったのでしょう。そして、そのチクッという感覚も全く想像できなかったのでしょう。症状の説明をしても無駄だと思うようになった。

勿論、同じ会社の、パワハラ担当の日本人は、頑固者が日本へ帰れて言っているのに、言うことを聞かないで、インドネシアで粘っている、迷惑な話だ、と周囲の人達に言っていたという話を後から聞いた。帰った時は逆に、帰るたな、と言ったのに、いうことを聞かないで帰ってしまった。自分勝手な奴だ、と周囲の人に言っていたという話を後から皆さんから聞いた。悲しい人たちだと同情しますが、彼らの病気は重症だし、言い薬はないと思う。

http://www.karacli.com/panicdisorder01.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

 

本当に参ってしまった。こんなに参ったしまったことは、後にも先にもなし、だから、薬を飲んで、チクッ、が無くなったときの喜びというか安堵は私にしか分からないでしょう。5年前の話でした。

インドネシアのある場所のあるところ

パニック障害 パワハラ 無理解

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(^_-)-☆天国にニアミス

2011-06-07 22:25:04 | 複雑

四連休の最終日、昨日帰るつもりだったが、タシクからバンドンまでの工事で来た時に一時間ロスした、帰りは三時間以上ロスが予想されるので一日滞在を伸ばした。お陰で、10:00に出発し、16:00前には家に着いた。新記録である。もっとも、一人なので途中焼き芋を買ったのと給油した時間合計でも10分くらいだった。殆ど六時間走りぱなしだった。ちょこっと降りて写真は撮ったが。
初めてまともなサンライズに会うことが出来た。06:00前に何十艘もの漁船が次々と出発してゆく、日の出とともに出てゆく、東海岸の肩に近い部分の河口の奥に広がった川があり、そこに漁船は集結している。津波が襲えば決して安全とは思えないが、それでも、海岸に停泊させておくよりは流される確率は少ない。天然の良港になっているようだ。河口は浅くて、小舟でも船外機は使えない、人が押して海との堺まで行く、船外機が使える場所へ来た時、皆、乗りこみ、勢いよく出てゆく、インド洋の高い波に向かって突っ込んでゆく。あっという間に見えない遠くまで行ってしまう。もっとも、うねりの高さが二三mあるので、その幾重の向こうなので直ぐ見えなくなってしまうのです。
西海岸は昨日と打って変って人が少ない。何万人も来てその人達が全部いなくなってしまったのです。多くの店も青いシートで包んだ状態にしてあって、店の人もそのあたりには全く居ない。祭りの後、という感じ。それでも、ウミさんのワルンは8時に行ったときには開いていた。ミールグスとアヤムゴレンを食べて朝食とした。今回は、シーフードレスタランへは一度も行っていない。連れがいれば必ず何回かはパサールイカンとかチャガールアラムへの東海岸口の傍のシーフードレスタランへ連れて行ったご馳走ななければならないが、今回は必要なし、ミーバソ、ナシゴレン、ミーゴレン、ミアヤム、ミールブス、マサカンパダンなどなど、私を手伝ってくれた人たちの好みの一般的なここの食べ物を食べて過ごした。例の日本人はもう一週間ほどインドネシアにいるらしいが、私と食べたミーバソが、土地の料理を食べたのが始めてだったとか。エスチャンプルと共に、おいしかったと言ってくれた。後でお腹を壊さなければいいがと思うだけです。

パンガンダランに空港があるのは15年前から知っていたが、セスナをチャーターして来ることなど全く考えていなかったので、気にしていなかった。例の日本人はジャカルタから飛行機をチャーターしてきたと言っていた。それに、毎日一往復いるという話を聞いて、ガイドに聞いてみた。スシエアーという会社が津波の前からハリム、パンガンダラン便を飛ばしていると言っていた。早速、事務所の場所を聞いて、行ってみた。確かに有った。12人乗りのプロペラ軽飛行機でハリム発10:30パンガンダラン発は13:30でした。料金は往復で52万Rp,片道はその半額、飛行時間は一時間ということを確認した。バンドンからも毎日来ている。

今回は初めて一人での訪問だった。一人は一人で、これまた、いいものです。現地では大勢の人達に囲まれるのですから、一人では無いともいえるが、やはり、思い付きで自由に行動できるのが良い、また、人を待たなくていいのが何よりである。15年前から今まで知らなくて良かったと思う処を今回知って、知ったからにはと、行ってみた。万が一にも無い話だが、誰からも見放されて、あるいは、しがらみが全くなくなってしまったら、ここを竟の住処としたい。天国に一番近い場所だ。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html
天国 感激 継続

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(^_-)-☆食中毒は日常的

2011-06-02 22:49:34 | 複雑

肩の荷物を一つ一つ降ろす作業に掛り始めた。明日からはチュティブルサマ(年休を一緒に取りましょうという日)を挟んで四連休になる。作業は暫らく中止で、パンガンダランのサハバッ(友人)とパチャール(恋人)に暫くに別れを伝えに行く。

日本の震災や原発事故を怖がって、日本から逃げていったヨーロッパ人、日本全土が放射能に汚染されている。日本の食料は放射能に汚染されている。炉心溶融を隠していた日本人は嘘つきだとか言っているヨーロッパ人、今回の食中毒についてどう考えているのでしょうか。ヨーロッパから脱出したいと思っているのでしょうか。それとも、自分のところは安全だと思っているのでしょうか。政府や保健省、衛生省などの発表を信じていて、十分なチェックや対策を取っていると信用して、信頼しているのでしょうか。今の状態は、日本の方がはるかに安全、安心だと思うのですが、どう思っているのでしょうか。洗ったり熱湯消毒したりすれば大丈夫と思っているのでしょうか。

私が食中毒について知るのはネットからだけですから、軽々しくこうだとは云えませんが、菌は大腸菌O104と特定されていて野菜からとわかっているようですが、どこのどんな野菜からと云うことも特定できていないようです。スペインのキュウリから大腸菌は見つかったが、今回の食中毒の菌とは種類が違うようで、濡れ衣だったようです。ドイツに住む日本人がドイツから脱出し始めたら、ドイツ人はどう思うでしょうか。

 

その点、インドネシアの食中毒や密造酒で亡くなる人は後を絶たないし、鳥インフルエンザもあるし、それが、国内や周辺諸国で大きな問題になることはない。またか、と云う感じで、あまりニュースにならない。バソ(bakso)といってミーバソなどに使う肉団子です。牛肉のミンチを直径2Cmくらいのボールにしたもので、どういうわけか、赤くなくて、グレー色をしています。この肉が本当に牛肉だけかというと、そうでもないらしい。鳥や豚ならまだいいが、ゴキブリ、鼠や小さなトカゲや蛇など肉という肉は何でも混ぜる。中には、増量剤として、植物の繊維、紙なども混ぜて作っている。その製造過程をテレビで流している。とにかく、冷たいままで食べることはないので、熱湯で殺菌してあるから、食中毒にはならないらしいし、私も、大好きで安いから、よく食べる。お腹を壊したことはない。

それでも、食中毒事件は日常的に頻繁にあるし、原因の菌は様々らしい。多分、日本人の若者が、食べれば食中毒症状になる食べ物でも、インドネシアの人は食中毒症状にならないという食べ物も多いと思う。

ヨーロッパの人も日本人の若者に近い無菌状態で生活しているから、今後、どんな広がりを見せるのか、心配でしょうね。

 

ミーアヤムとミーバソ、バソが隠れて見えない。

放射能 食中毒 パニック

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(^_-)-☆改善あきらめ

2011-05-27 23:09:11 | 複雑

 まったく、詳しくない。と云うのも、乗って見る気が無いからである。見る機会はあるし、ジャカルタのガンビールやコタ駅へ人を見送りに行ったことは何回かある。其のたびに、よくこんな列車を使って旅をするなと感心するより、その状態に呆れてしまう。車体はぼこぼこ、落書きは一杯、窓は閉まらないか、開かない、ドアも閉まらないのか、閉めないのか、座席はぼろぼろ、車内は臭いし、ゴミだらけ、これが、長距離列車なのです。鉄道を使って旅をしようと思ったことは一度も無い。車窓からの景色は知らないが、車内でゆったり、気分よく過ごせるなどと云うことはまったく無理な話だと思うからです。
本数が極端に少ないので、線路は物売りが品物を並べて売っているし、周辺の人は洗濯物を干している。勿論、普通の道代わりに行き来している。
また、客車の屋根の上に乗り人は普通に居る。通勤列車が主だが、インドネシア人は乗り物の屋根に乗るのが好きらしい。きっと、自己主張の一つなのでしょう。バスの屋根にも乗りたがる。トラックの荷台には普通に満杯に乗っている。列車もおなじで屋根にのる。そして、閉まらないドアの外に体を出して手すりにつかまっているのも好きらしい。バスもそういう姿がある。度胸を示す手段として得意がっているように見える。
列車の屋根に乗るのは罰金百万円10年の懲役となっているらしいが、後を絶たない。一斉、取り締まりをしても、その時だけ、放水システムを作り、駅の傍に設置し、屋根スレスレに水平に色つきの水を放水するのです。その日一日だけ、屋根に乗る人は居なかった。その日の夜のうちに、その設備は何者かが侵入して壊してしまった。その翌日直したが、もう、その水を掛けられても平気、そんなことで、止めてしまっては、彼らのプライドが許さないらしい。
落ちたり、感電したりして、死ぬ人も後を絶たない。それでも、屋根乗りは止められないらしい。彼らはどう見ても通勤客ではない。仕事へ向かっているのではない。無職の人です。どこから乗ってくるのか、執着までのって、どこかへ消えていて、夕方になると、また、屋根にのってどこかへ帰って行くのです。服装はお粗末、履物はビーチサンダル。
使われている列車は東京で走っていた通勤列車です。ドアが閉まらなくなっている。
鉄道網は、よく、こんな状態で運航しているなと感心するほど、なにもかもが超お粗末。線路はジャワ島に割合多くあるように見える、その他、メダンやパダン、その他、主要都市に少しはあるが、ほとんど、有効では無い。通勤列車と云うたぐいのものはジャカルタ、ボゴール方面にしかない。それも、本数は少ない。列車と云えばジャカルタから出る長距離列車の何とか号と云うものが主で、スラバヤ行きが最長距離だと思う。その他はバンドンとかスマラン行き、一日10往復ぐらいでしょうか。
 とにかく、利用者のモラルが低いので、汚されるし、壊されるし、落書きは絶えなし、車体を綺麗にしても仕方が無い。だからそのままです。新しい列車を購入する気になれない。その上、車との踏切事故が多い。投石などで車体が傷つけられる。直すのも、運航に差し支えない動力部だけである。その他の部分は直さない。

 地下鉄やモノレールは作っても直ぐに落書や傷だらけになってしまうでしょう。ドアが閉まらなくなっても、直さないでしょう。とてもじゃないが、そんなものを作っても、すぐ意味場無くなってしまうでしょう。それが、分かっているから、モノレールは作ろうとしたが、止めてしまった、柱だけ遺跡の様に残っている。地下鉄は計画に留まっている。
コモド付近の今と昔
 無理 モラル 破壊

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(^_-)-☆メッカ巡礼の種類

2011-05-09 23:36:35 | 複雑

  朝、激しい雨が降っていて、ゴルフが出来るかどうか危ぶまれたが、途中若干降られただけで、中断する様なことはなく順調に終わった。

 しかし、今日のゴルフの結果は良くなかった。もともと、下手クソな私は、数はこなしているが一向に上達しない。その理由は分かっているが、直し様がないのであきらめている。

 それとは別に今日は精神的に我慢が出来ずに自滅した。原因は私たちの前でプレーしていたインドネシア人4人である。私に負けず劣らず下手クソ。私と違うところは、全ての行動が遅い、その上、皆さん遅いのが、一人が動いている時、他の三人は動いていない。纏まって一人を見ている。その一人が打ち終わると、次の一人が自分のボールの場所へ行く、二回三回素振りをした後、ボールの後ろへ移動してクラブをグリーンに向けて方向を決める、そして打つ位置へ移動し、また、二三回素振りをしてから打つ。結果は良くない。次の他の人も似たような行動をゆっくりする。瞬く間に彼らの前は空いてしまう。それでも、ショートではコールオンをする。それには、お断りをした。さっさと前進してほしいからです。その意思が最期まで伝わらなかった。昨日より一時間半長く掛った。どこかの誰かさんなら、前の組を怒鳴りつけているでしょう。

 

話はまったく、違う世界へ飛んで。

 オムラ(小巡礼)に向かった私が信頼する女性がいる。15年前からの知り合いで現在38才、二児の母、インテリである。会社の総務関係のトップである。10日ほどの休暇を取って出かけて行ったが、帰国の日には帰国してきたようだが、会社へは来なかった。結局一週間家で休息し、体調が回復したところで出社してきた。相当、体力的に大変だったらしい。手抜きの方法はいくらでも有るだろうに、真面目にやることすべてを自分なりに成し遂げたのでしょう。

 メッカへお参りをしなければ、いけないらしいが、お参りしない人、お参りした人に差別があるのでしょうね、きっと。また、松竹梅とコースがあるようで、ツアー会社に支払う金額も違うのだし、多分、ご利益の大きさも違うのでしょうね。欲望を捨てて神の為に何かをすれば欲望がかなえられる、というのは、理屈として、変ですよね。

 神の為に祈る内容は何でしょうか、神が長生きするように、しょうか。神が金持ちになるように、でしょうか。神の信者が増えますように、でしょうか。それで、神は幸せになるのでしょうか。神の為に、祈るのではなく、自分の為に祈るのでしょうか、それなら、理屈は通るが、欲望を丸出しにしなければ、神は云うことを聞いてくれないのでしょうか。

 どうも、私には分からない。

 

オムラ(小巡礼) 略式エコノミークラス巡礼とでも言いましょうか、時期も期間も自由で、勿論、ツアー費用もハジの三分の一くらいが相場らしい。ハジはオムラの他に二つの谷行きと犠牲祭も行います。ですから、犠牲祭の日の一か月ほど前に行っていなければなりません。

どういうわけか、一生に一度は巡礼に行かなければならない(代理でもいいらしい)ことになっているので、皆さん、メッカへ行くのが夢になっている。色々な組み合わせの巡礼の仕方があるようですが、行って帰ってくれば、何か称号が付いて、一目おかれる存在になると聞いている。これも、欲望の一つをかなえたことになります。

 

彼女は若いのに女性としては尊敬されるイスラム教徒を目指したのです。それはそれで、イスラム教を信じる者としては良いのではないでしょうか。イスラム教徒以外の人には理解をするには難しいところですが。

チカランの花。

 オムラ 巡礼 義務

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(^_-)-☆日本人は観察される

2011-05-06 23:06:57 | 複雑

インドネシアで、経営者としてではなく、技術指導者、各種のアドバイザーとして、15年間も色々な会社の手伝いをしていたので、色々な日本人を見ている。勘違いで一番多いことは、新しく赴任してきた人が、インドネシア人の能力を見くびっていることです。多分、自分がチェックをすれば、あれも無い、これも無い、あれが出来ない、これができない、ということが沢山あるだろうと思ってくる。その部分は、自分が出来るから、やらせよう、指導しようと、意気込むのです。上から見下ろそうとするのです。まったく勘違い、認識不足だという意識は微塵もない。
意気込んでやってくる。会社が、インドネシアへ進出してきた当時の担当者と違って、新しくやってくるのだから、前任者がいたわけで、歴史がある会社は、何代目かになる。だから、既にインドネシア人スタッフだけでなにもかも整えられているのです。その人がやることは殆ど無いのです。あれがあるか、これがあるか、最初は自分が知っている書類関係、記録所や標準書が整っているか必ず確認しようとする。一つでも、無ければ、鬼の首を取った様に、無ければならないと言って大騒ぎをする。それも、たまたま、無いだけのことで、作れば直ぐ終わってしまう。そして、何もすることがない、何もできない、ということに気が付く、そして、その人が、インドネシア人の専門担当者がやっていること以上のことが出来るかと云うとそうでもない。彼らがやっていること以上のことを指導できないどころか、インドネシアのやり方を本人が、インドネシア人に直に教えてもらって、インドネシアのやり方を勉強しなければならなくなる。現場の人は、現在、インドネシア人が普通に作っている仕事が、その日本人が出来ないので、できるようにインドネシア人に教えてもらわなければならない。そうして、皆さんの中に入って言って、技術や習慣に対応しながら馴染んでいき、そこから、始めて、日本人として皆さんの実質上司になるのです。
それを、しない、出来ない日本人は、いるだけ、負担になるのです。通訳を使おうが、日本語が出来るインドネシア人を直接の部下にしようが、順調に推移しているその部門の邪魔をするだけです。
派遣される日本人は望んでいないのに、命令で派遣された人が多い。しかし、だからと云って、腰かけ程度に大過なく任務の時が過ぎればいいだけと思っていると、思わぬ事態に遭遇してしまってあわててしまうこともある。今回の日本の大震災の余波を受けて、生産調整をしなければならいといった事態があるかおもしれない。たかをくくっていないで、陣地の人々に認められるような存在になってほしいとお思う。
 
残業手当が無いポジションの人が評価を上げるために、できるだけ時間通りに出てきて、時間どおりに終わる。送迎バスで他の人に迷惑を掛けないように最善を尽くすことが求められる。試用期間の人がその期間中に心掛けることも同じです。仕事の時間を守れば、仕事内容はどうでもいいのです。ちょっとの体の不具合でも休まないこと、とにかく会社にいて、機械の回りにいたり、コンピュターを眺めながら、ぶらぶらしていればいい。家族が病気でも、インドネシアの病院は24時間やっているから、勤務時間外に連れて行く。
会社に対するコンピレーンは自分から発信しないこと、条件には満足しているの、回りには云うこと。これだけで、データ的に最高評価を受けます。評価する日本人もインドネシア人も同類が多いから自分と一致している人の評価が高いのです。
間接的に評価する直接では無いもっと上の人の評価が良くなるからです。
仕事の評価は直接の上司がするが、それ以上の人の評価は仕事を評価できないので、文句を云わないで毎日勤勉に出社している。最高評価を得ます。
大学卒業後のサラリーマン時代、私の印象では、仕事が出来る人、研究熱心な人は勤務時間に無頓着、私のもそうだが、勤務時間中は他の大勢の人がいるので、自分がやりたいことが出来ない。云われたことをやっていないと上司の目が煩い。だから、上司の目が比較的少ない三交代勤務を希望したし、休日出勤、時間外の仕事を桁外れにして、技術を体得した。そのことは、まったく良い評価にならず、昼間、うとうと、としていたし、他の人の仕事を邪魔しないように、人が不足している倉庫や検査室の仕事を手伝っていて押出にはいないことが多かった。これでは、上司の評価が低いことは当り前だが、そういう評価をする上司は間違えていると思っていた。自分の考えを変えてまで、高評価を得ようと思わなかった。
 インドネシア人も日本人も私のような人の評価は低い。家族に病人が出れば、勤務時間中でも直ぐ、病院へ行き、会社から抜けた時間以上に遅くまで仕事をやる。これのデータは、本人の評価が低くなる。私は、そういう人の評価を高くする。私以外の日本人は私と逆が全部なので、会社としての評価は、私が幾ら間違いだと主張しても、低くなる。
インドネシア人は私からの評価を上げたいとは思わない。多くの他の日本人から評価を上げようとする。彼らは日本人の多くが、どんな大きな問題があっても、残業や休日出勤をしたがらない。仕事に直接手を出さないで、稼働率や収率をチェックし、売り上げ計画や利益計画を気にしている。社内では机に向かっている時間がほとんどで、現場のチュックは遠くから眺めるだけ、そういう日本人からの評価を上げる方法を知っている。事実、その通りになっているから、皆さん、仕事が出来ない、技術的に低い日本人の思い通りに行動することに熱心なのです。

ご自分に原因があって、あまく見られたり、舐められたりして、適当のあしらわれていることに気が付かない。


普通のインドネシア人が食事をするワルンの調理場風景。
意気込み 空振り 評価

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