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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆このままずっと

2010-09-09 16:25:34 | 旅行

 ガスを大量に放出して、異常に膨らんでいたお腹もほぼ正常に戻り、痛みも完全に治まったようだ。昨日は23時ころから、途中、起きることが無く06:00過ぎまで熟睡できた。腸閉塞を疑ったくらいの、原因不明の強烈な痛みだった。これで、OK

今日も天気は悪いようだが、殆ど電車の中なので、St.Moritz dorf,からTiranoまで往復のGlacier Express(氷河特急)を楽しむことにしていた。道中は二時間半である。

青空は全く出てこなかった上に、頭上は霧の中という場所が多かったが、この道中の見どころは見上げるよりも見下ろす方が圧倒的に多い。だから、天気には左右されないと思う。事実、写真は上よりした方向を取ったものが多い。

 急勾配と急カーブが多く、また、崖の上をぎりぎりに走る場所も多い。ゆっくり走るがそれでも、私としてはかなり、緊張させられた。景色は予想以上に素晴らしかった。ただし、売り物のループ線路はちょうど人工物を作っていて、景色は台無しになっていたと思う。売り物にしては貧弱で、宣伝の勝利か。

 

 流石に事故も何のその、日本人の団体さんも多かったが、日本人以外の国からの団体さんの方がもっと多かった。Tiranoの街はイタリア、小さな町だが、この、グレッシャエックスプレスによって、多いに観光地として潤っていると思う。

   

 普通席だがゆったりとしていて、窓も広く、特別高い料金を払ってパノラマ車両に乗り必要はないような気がする。事実、日本人の団体さん、普通車を予約していたようです。節約ツアーなのでしょう。

一つ注文を付けるとすれば、窓ガラスが鏡になって車内を写してしまい、写真を取る時に車内が薄く映ってしまう。自動フォーカスのカメラはその車内に焦点が合ってしまい、肝心な、外に景色はピンボケになってしまう。何か工夫があったらいいと思う。

 

 箱根登山鉄道との姉妹鉄道提携を結んでいるらしく、カタカナでサンモリッツとティラノのホームに看板が出ていた。

 1200Titanoに着き、街を散策、完全にイタリア語ばかり、チャオの世界である、しかし、景色や建物はスイスのたたずまい、全く、雰囲気は変わらない、落ち着つきだった。各事務所は12:00~15:00まで昼休みで閉まっていた。14:50Tirano出発、16:15St,moritz着、スーパーで買い物してLa Puntの家へ戻ったのが、17:15、日本時間では既に9日になっている。

 ところで、脱線事故の場所を特定できなかった。この区間ではないのかもしれない、前もって、場所の確認をしていなかった。今回、思ったことは、原因の一つに乗客が、車輛の片側に集中してしまったのではないか、というのがある。Sn.Moritzから出発する時、どちら側に座ったら、より景色を楽しめるかを駅員に聞いて、右側が良いということを確認し、自由席だったので右に座った。なるほど、確かに右側の方が谷の下を見やすいし、ループ今日も右回りになるので内側を見ることができた。その、景色が良いところの旅に日本人の団体さんなら、左側の席の人は全員立って、右に来てしまったという可能性は十分ある。車体はかなり傾き、方輪だけに全重量がかかった可能性は否定できない。その点、自由席の個人客はやりたくてもしない。日本人団体さんの車輛が後ろ側なら加速時になお振られやすいし、景色が良い場所では最徐行し、終わるころ急加速をする。そのタイミングが急カーブの位置と関係がると思う、加速をする場所を早すぎて間違えた可能性も付け加えれば、それらの車両だけが脱線したのも分かるような気がする。

 いられるものなら、このまま、ずっと、ここら辺に居たいような気もする。

 快適  気がかり  氷河特急

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(^_-)-☆ちょっと休憩

2010-09-01 16:23:28 | 旅行

緊急連絡先を書きおいて、仕事のことはインドネシア人スタッフに任せて、孫たちへの土産をトランクに詰め込み、いよいよ、出発です。スカルノハッタ空港からの投稿です。なにもかも、現実を消して、空っぽにして、二週間を楽しんできたいと思う。今から、(Suraga)へ出発するような心地です。

 パランカラヤ大学の植物保護事務所の案内で自然公園へ出かけた。普通の水だが、緑の葉が水に入ると真っ赤になる。

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(^_-)-☆なんとかなったようだ

2010-07-16 22:26:56 | 旅行

高速道路、チカランバラッとティビトゥンの間の下り線で拡幅工事が続けられている。チカランバラッの出口が慢性的に混み、本戦を塞いでしまうので、出る車はかなり手前から、引き込み線へ入れてしまい、通過する車と分けてしまうための工事だと思っている。既に、ゲートから二キロ以上手前から出口専用の道路に入らなければならないようになっている。知らない、気がつかない車は通過してしまう、そういう車が多い。一つ先のチカランプサッで降りて、引き返すことになる。引き返す車がUターンする場所は、大きくU字型に真っ黒なタイヤの跡が幅5mくらいになっている。

それはそれで、今は、拡幅した道路だけを使っていて、従来の道路の補修をしている、その様子が、ただ事ではない。道路を掘り下げてヒューム管を打ち込み、その上に分厚い鉄筋コンクリートを敷いている。その上にアスファルトを被せるのだろうと思う。3Km以上あると思う。何か、車の通行以外に使えるようにしているような気がする。

 

 先ほど、22:00前に家に着いた。パーフェクトではないが、やっと、納得いくものができたような気がする。ほっとしている。これで、前に行けると思う。また明日、もう一度、再現トライをするつもりだ。夕方までにはサンプルを揃えようと思う。

 

ボゴール植物園のラフレシアが咲いたとか咲きそうだとかと言う話になっているらしいが、パンガンダランのラフレシアと同じ種類のもので、どうせ、ジャワ島のどこかから移植したもので、自然のものではないはずである。ラフレシアはジャングルにあってこそ、ラフレシアだと思う。保護や絶滅防止と言うなら、ジャングルを保護したらいいのです。

パンガンダランのラフレシアはジャングル(チャガールアラム)の中に入れば、いつ行っても、次から次へと蕾が生まれ花が咲いているので、どちらかに出会うことができる。二週間、滞在すれば100%咲いた直後のラフレシアに会うことができる。

勿論、多くの人々がジャングルへ入るが、必ず公認のガイド(彼ら以外の人から誘われて一緒に入ってはいけません、迷ってしまって危険です。何年か前にドイツ人が三人行方不明になって、亡くなって発見されたという例もありました)と一緒でなければならないし、マナーは守らなければならない。ラフレシアを持って帰れる人はいないし、触ったり、傷つけたりする人もいないはずである。西海岸のジャングル入口(入場料支払い所)にガイドの待機場所があります。

私が知る限りでは、ジャングルの中の離れた四か所に咲く場所がある。それらを回るには最低5時間掛る。ですから、ジャングルへ入って出てくるまでに最低7時間かかる。このコースなら、殆ど100%どこかで会えます。一か所や二か所だけなら、4時間で回ることができるが、咲いている花に会える確率も半減する。それでも、確率三回に一回は咲いているラフレシアに会うことができる。

ボゴールで見るのなら、ぜひ、パンガンダランまで行ってちょっと運動して、ラフレシアを探してもらいたいと思います。海も山もシーフードも満喫できますよ。ジャカルタからなら、土日を使っていって来ることができます。朝早めに6時前に出れば昼12時には付きます。13:00頃からジャングルへ入れば、17:00、まだ明るいうちに出てくることができます。勿論ラフレシアにご対面の可能性が高い。翌日は泳ぐなり、小舟で釣りに出るなり、シュノーケリングをするなり、ちょっと山側へ行って何種類かの滝を見るなり、他の海岸を眺めるなり、その間にクピティン(蟹)ウダン(エビ類)その他の魚料理をジャカルタのレスタランの三分に一位の値段で満喫できます。私は8月初めの土日で行ってこようと思っています。Pangandaranの宣伝でした。

 私のウェブサイト http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

の表紙がパンガンダランです。

 

 チカランバラッの出口誘導車線、本線にはもう戻れない。出口までかなり遠いことが分かる。いつもはこの辺りでも渋滞していて、出るまで20分以上かかる。

 田舎の移動仕立て屋さん、道端のところどころに止まって仕事を受ける。

絶景  インドネシアらしい  満喫

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(^_-)-☆ここはどこ?私は?

2010-05-30 23:14:39 | 旅行
ポンティアナック市内にとどまる。旅の疲れと睡眠不足で、体が自分の間のではないように、筋肉がぴくぴく勝手に動くし、脳の中のここかしこで、クラックラとなにかが動いている、眠りにつくのか、意識を失うのか自分では判断できない変な状態になって,はっとして正気になるのか、目が覚めてしまうのか、これも分からずに自分に戻る。こんな状態を一日中繰り返しながら、何ヵ所か、めぼしいところを訪問した。夢の中で一日が過ぎたような気がするが、今は、正気に戻って書いている。
 東へ向かって内陸に入るとイスラムの影は薄くなってクリスチャンの雰囲気になってくる。ルマーパンジャンといって長屋の伝統的な家屋が多くなってくる。完全にダヤック族の集団家屋で、私が訪問した家屋はそこの長のような人が出迎えて、説明してくれたが、200年前から6世代が住み続けているという、この長屋には250人住んでいて、結婚もこの中同志で結ばれると言う。全員が親戚関係になっているという。近親結婚で弊害は無いのでしょうか。その長屋の道を挟んで向かい側に一戸建てや二三軒がくっついた家があるが、これらの家の人たちも親戚関係らしい。本当に、山の中のというより、孤立した集団の長屋で、住む家が足りなくなれば継ぎ足していったという。緩やかな坂道に沿って立っているので、どこから立て始めたのか知らないが、高床式の床の高さが殆どないところから、3mくらいまでの高さまである。弥生時代の遺跡の高床式倉庫の丸木をくり抜いて作った梯子と同じ梯子で家の前の廊下のような処へ上るとそこは下が見える隙間が空いている板敷きの道のようになっていてどこの梯子を上ってもその家の前の廊下を通ってどの家にも行ける。長屋の入口がいくつもあって、どこでも入ると、また、3mくらいの廊下がある、其の廊下に各家の人が出てきていて、あちらこちらで話をしている。そこから、各家々の扉が等間隔であるのが見える。
 その端の部屋が図書館と民芸品の展示場所になっていてそこに案内された。子供たちがぞろぞろ付いてくる。こういう現象は、昔のままの家を訪問するとどこでも同じである。誰もが人懐こい。
同じダヤックでもマハカム川沿いの、観光省の援助を受けて近年作り返したロングハウスに比べると本当に何の観光援助もなく自分たちだけで作ったようで、 本当に200年過ぎているとはこんな貧弱な建物で、とても思えない、せいぜい5~60年だと思う、また、釘が使われていた。外の廊下は、朽ちかけていて、怖くて歩けなかった。これらの多くは数年も使い続けられないと思うが、最近修復したような新しい材料を使っている場所も見当たらなかったのが不思議である。
こういう場所を訪問すると、自分の生活や仕事や人との係わりあいは何の意味があるのかと考えさせられる。生き方を考えさせられる。10年くらい前からの訪問者の記帳を見せてもらったが、日本人は一人も来ていない。ここの責任者も日本人に初めて会ったと言っていた。観光ツアーなどあるはずがない場所です。
 Sehaという峠の茶屋の風景。
ロングハウスの外の廊下と家の中の廊下
近親  閉鎖  森の中
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(^_-)-☆南北の地球に跨る

2010-05-29 20:05:05 | 旅行

 今どこにいるかというと、西カリマンタンのポンティアナックにいる。朝、03:00起きでスカルノハッタに向かい、05:00着06:00出発のはずが、07:15発になってしまった。バタビアでした。インドネシアでは、どの会社でも同じこと、一時間や二時間の遅れは常識の範囲内です。いちいち、腹を立てていたら、インドネシアでは暮らせません。
 何の事前調査もしていなかった、だだ、まだ、行ったことがなかったので来てみた。何がどこにあるのか全く知らないで、行きあたりばったり立ったが、一応、空港の観光案内所でパンフレットを貰った。
09:30に到着、すぐに北に向かいシンカワンへ行った。何もないところで、西の海岸を見ただけで、ポンティアナックへ戻った。この地帯も、雨季になれば至る所が水浸しになるのでしょう、どの家も、30Cm以上床を地面から上げていて、所要道路までその高さの板敷きの橋が渡してある。
 Sn.Kapuasカプアスという100m以上の幅がある川が街を縦横無尽に流れている。典型的な扇状地というのでしょうか、いくつもの川に次から次へと出会い、それを渡って移動した。その川の名前が全て、カプアスと言うらしい。何々カプアスという言い方をしている。ホテルも、カプアスの名前が付いているものが多いが、やはり、カプアス何々という名前になっている。ドライバーにカプアスホテルといっただけではどこか分からないようだ。
 思いもよらず、不思議な場所に出会った。またこの町の北に赤道の記念塔というか、北半球と南半球をまたがるようにムニュメントが作られている。北と南にまたがって西に向かい、左足は南、右足が北半球という状態で写真を撮った。こんな経験ははじめてだった。赤道の通過は数え切れないほどしているが、飛行機で通り過ぎていることが殆どで、地上で超えたのは多分初めてだと思うし、もし、今まであったとしても、川を船で通過したか、車で、街の中ではなく、森や林や田舎の道を通過している時で、気がつくことは無いし、それを、意識したこともなかった。今回は大都市の郊外ということで、立派な記念碑があり、名所にもなっている。欧米人も何人か来ていた。地元のデートスポットになっているようだ。
 ジャワでは今でも毎日、スコールがある。異常気象で雨季が終わっていない感じがするが、ここは、完全に乾季になっているようで、入道雲が低い位置を覆っていて、流石に赤道直下、頭の真上からじりじりと太陽光が暑い。パラボラアンテナが完全に真上を向いている。
 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

 仕事のことが頭から抜けない、心からエンジョイ出来ない。それを、見ていたら、閃いた。月曜日に早速やってみることが二つ浮んだ。
 Singkawangへ行く途中の海岸で。
 暑い  赤道  川の町
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カリマンタン

2010-04-05 20:11:27 | 旅行
昨日の私の夕食は旅先でいつものように食べている、道端テントのpecer rereから戻って家にいる。午前中は、まだ、カリマンタンにいた。空港へ入る前、午前中は、二か所の自然動物公園に連れて行ってもらった。どちらも、今一今二でワニを見たりオランウタンを見たりしたが、環境の保存が全く、継続していなくて、荒れ放題、ゴミの捨て放題、いかにも、インドネシアの田舎の自然公園である。その中にひときわ目立つ環境省の建物があるが、そこに人がいて、自然環境について、ないか、手を打っている様子が感じられない。こんなところにいる動物たちは可哀そうである。オランウタンの保護状態もなっていないと思う。大きな檻に集団で閉じ込められている。自然の中で放し飼いというには程遠い。そこの、係り員の数は、はるかにオランウタンの数より多い。彼らは、手持無沙汰で、なにもしていない。
 ジャカルタ近郊のタマンサファリやラグナンの動物たちの方が、数段恵まれている。カリカンタン(Kaliとは川、Mantanはマウンテンからきている)というくらいだから、水と山の土地である。未開のジャングルに覆われたそこかしこはオランウタン等の動物にとっては、天国である。捕まえて、保護しようとするのは、人間のエゴである。自然保護地区があるのだから、それを拡張し、放したらいいと思う。悪いやつはいるものだから、それら人間からをショッタウトする人間を増やせばいい。インドネシアだから、その、レンジャーみたいな人が、手引きをして、動物を捕まえさせる可能性があるので、二重三重の警戒は必要だと思う。
 とにかく、自然保護の精神というか、必要性をインドネシアの多くの人たちは、感じていないように思う。

 出来れば、乾季また、行ってみたいとおもう。
 ナマズの唐揚げ(ペチェルレレ)とバクソと言って、色々な肉をすりつぶして団子にしたもの。サンバルを着けて食べるのが、一般的。
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ジャングルクルーズ

2010-04-04 21:42:39 | 旅行

 まだ、雨季は終わっていない、朝からカミナリがなる大雨、いかにも、熱帯雨林湿地帯という雰囲気。ジャングルをうねって流れる川のクルーズを楽しんだ。しかし、国立自然公園に指定されている。地元の大学が管理していて、その許可を取らないとジャングルへは入れないことを船の持ち主から知られた。雨が降る中、大学まで行って許可を取ろうとしたが、そこの責任者がいない、研究者もいない。どうしようもないので、一旦、町中のホテルへ戻った。昼過ぎに雨がやんだので、再び、大学まで行ってみた。今度は、研究員がいて、私が行けば上陸できるから、私についてくるような形にしましょうと、案内を名乗り出てくれた。早速、朝行った船着き場まで行って、朝、許可が必要だと言った、船の持ち主と小さなボートで国立公園まで行った。途中は、湖の様で、そうでもない、川の水かさが増して、一帯が水の下になっているという、水の下にトロッコの線路があって、乾季には其のトロッコを使って、荷物や人をジャングルの入り口まで運ぶという。なるほど、上陸できる場所へ到着すると道ではなく、桟橋でもなく、線路が水からあげってきた処に船を着けるのです。そこから、線路の真ん中に板を敷いてあり、其の板の上を歩いて奥へ入る。800m位歩くと線路も終わっていた。その向こうは水に中に道らしいものがあり、木は払われていた。水の中を進めばもっと奥へ行けるが、そこまでで、引き返した。結局、何もなかった、何にも出会わなかった。
 時期が、間違っていたのです。雨季にはほとんどが水の下、歩く処もない。もっと奥地へ行けば水の上になるが、線路が無くなったあたりから見ても、水から出た道はない。入口のノッティンガム大学の研究所付近にあるこのあたりの地図を見ると、今、船で渡ってきた湖の底に大部分の道があった。遊歩道は乾季の川に沿ってある。それが、今は湖の底ということらしい。3月4月はこんな状態で、8月9月が一番水が少ない、というより、水不足になるのだそうで、その時期に、ジャングルの動物たちが、人里というか水辺にやってくるそうです。鳥も食虫植物もその水辺で見ることができるし、オランウタンや各種蛇、豹にも頻繁に会えるとか、案内してくれた研究員から、今年の9月に待ってますと言われてしまった。
 水が、赤い。真っ赤かである。乾季は水が無くなり、地べたは真っ黒になるそうです。不思議というか、不気味な色です。血の様なコカコーラの様な色です。味が塩辛いそうです。
ここから、海までは250km位ある。しかし、パランカラヤの地面は珊瑚の砂で出来上がっている。インドネシア語でパシールプティである。そして、道を歩けば其の砂が足の裏に着く、家に入る時に、どうしても、其の砂を持ち込んでしまう。

土曜の夜(マラームミングー)は、いつまでも賑やか、中心地の広い歩道にオープンテラスのカフェが突然現れる。大容量のスピーカーでガンガン、ディスコミュージックを流す。うるさくて仕方が無い、其の歩道のオープンテラスは真っ暗、目が慣れてくると、カップルが車道の方に向いて、並んで座って、何かをしている。食事をしているような、飲み物を飲んでいるような、話をしているような、肩を抱き合っているような、もっと、ギュッと抱き合っているような様子が、暗い中に浮かび上がってくる。皆でやれば怖くないという、そういう場所のようでした。イスラムでしょと、言いたい。
其の直ぐそばのキリスト教会(グレジャ)では、昇天祭から復活祭にかけての土曜の夜のお祈りをしているのでしょう。教会の外まで椅子を敷き詰めて、多くの人が集まっていた。これほど極端な情景をここではじめて見た。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
パスポートにマルチリエントリーパーミットを貰った。有効が一年になっていた。以前は半年だった。どちらが、延長を忘れる確率が高いのでしょうか。ヴィザと同じで一年というのは助かる。料金は二回分架かっていると思う。ブクビルも届いた。初めての報酬も入ったようです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
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何しに行った?

2010-02-28 16:42:02 | 旅行
 一日、ほとんど車の中、失敗だった。パレンバンから西南西方面の山を目指した。そこには、美しい滝とか渓谷とか、ヒンドゥーの遺跡などがあるはずで、それらに出会うはずだった。それというのも、地図を眺めると、この県の海岸方面の半分は湿地帯ということになっていて、地図上に町は全くないしリゾート地もなし、大体、道がないバンカ島の海岸からは、スマトラが見えたが、スマトラのこのあたりは海岸へ行けないことが分かった。
 さて、ドライバーの話によると、朝、7時に出れば目的地全部に行って、17:00過ぎにはホテルへ戻ってくることができることになっていた。
 ところが実際にはガイドもドラーバーもその方面のことは何も知らなかった。行ったこともないし、聞いたこともないことが、車に乗って2時間ほどして分かった。これは、とんでもないここになると予感した。事実、地図上でその遺跡や名所がある町へ入っても、彼らは、食事をまず、しようと、レスオランを探し始めた。レストランは後にして、其の場所を聞いてくれと頼んで、聞いてもあったら、その地点から、もっと先60kmだとか、もう一ッ箇所は通り過ぎて30kmほど手前だとかで、どうしようもない。12時過ぎて、戻る途中で食事をし、通りすいたという、遺跡へ寄って、パレンバンは帰ることにした。
 その遺跡に行けなかった。というのは、30km手前で左に曲がれば行けるということだったので、実際、遺跡の名前の看板が出ていた。しばらく行って、いくつか交差点があったので方向が間違っていないことを確認してもらった。そこで、また、がっくりした。道は間違っていなかったが、そこから60km先だという。その上、そこら辺から舗装が無いでおぼこ道に変わっていた。ずっと、道の状態はこのままかと聞いたら、もっと狭く、でこぼこになると聞かされた。やーめた。さっきの、左へ曲がった地点に戻って、ホテルへ向かわせた。そこから、何時間かかるか聞いたら、二時間だという。実際には三時間かかった。
 今日の一番のハイライトはなんといっても、広範囲の洪水地帯を見物した事でした。Musi川という大河がこの辺一帯を右往左往しながらとうとうと流れている。そして、その両岸には堤防が無い。川のどこかで大雨が降れば、どこかの水位が上がり、両岸にじわじわと水が溢れだす。一本の国道と一本の線路は1~2m土を盛って作ってあるので冠水していない。だから、洪水の深さは最大で1m前後ということになる。そして、何年も同じことを繰り返しているのでしょう、家は1mほどの高床式になっている。道の両脇ぎりぎりまで水か来ていて、家から道まで狭い木の橋を掛けてある。勿論遠いところは小舟を使っている。慣れたものだと思うが、何とかしようとしていていないようでもある。

 家の前で、釣りをしている人多数。水遊びをしている子供、うん子やおしっこをしている小さな子供、などなど、悲壮感はない。
 ホテルの道を隔てて反対側のレストランのオープンテラスから、こういう風景を見ると、インドネシアも、変わったなと思う。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。三月一日にPT.NANBUで押出の成形が始まります。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行う予定です。
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旅行記へ

2009-12-22 18:00:59 | 旅行
スラバヤとマドゥラ島の夢の架け橋、スラマドゥ橋 
 私の気持は、インドネシアではなく、既に日本へ行ってしまっている。ニュールンベルグから静岡へ昨晩無事到着したと情報が入った。暮れ正月は全員集合である。家族四人で36万円位だとか、円で見ると安いように思えるが、若い彼らにとっては、かなりの負担だと思う。お年玉を弾まなければならない。一時160円以上だったのが今は120円台/ユーロになっている。

自分で投稿をしている http://4travel.jp/traveler/enplaind/のMyページを見ることはないので、気が付かなかったが、何気なく開けて下へ移動したら、赤い矢印で示されていた旅行記別アクセス数というのがあることを知った。
早速チェックしてみた。ダントツでスマトラのダナウトバ(トバ湖)へのアクセスが多い。バリやパンガンダランはほどほど来ることは分かるが、何故、トバ湖なのでしょうか。マレーシアやタイから近いからでしょうか。
 私としては、ニアスやスンバやブリトゥンをお勧めですが、やはり、知られていないのでしょうね。また、本当に行って見るには、ちょっと、旅慣れた人で、英語の日常会話ができる人でないと、満喫をしにくいと思う場所でもありますが。
 
 これとは違う話だが、アクセス数個人でダントツは、Pさんです。今143回目です。2007年6月が最初の投稿ですから、約900日の間、6.3日毎にアクセスしていただいていることになります。二番目以下は30数回以下ですから、飛びぬけて、すごい回数だと思います。これからも、よろしく、です。
 
今年も、インドネシアの各地へ行って見たが、レバラン休暇中に、一人で運転して、ロンボク島へ行ったこと、そしてリンジャニ山に挑戦したことが一番印象に残っている。もう、あんな無茶はできないと思う。
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島よりながれ来た?ヤシの実

2009-11-29 17:02:15 | 旅行
夜が明ける前から、雷交じりの大雨、昨日の晩もビスケット今朝もビスケットだけ、食事をする場所が、全部閉まっている。とんでもなく、何もないところへきてしまった。コアシもベチャもない、オジェックもない。一応、町だが、外部から訪れた人にとっては大変不便な町である。昨晩、ホテルで車と運転手を紹介してもらったので、08:00出発と約束をした。
今月末に私が支払いをして、工場を借りる段取りにした。押出用の排水、給水の工事はそれからになるので、どうしても、全面移転は1月になってしまうが、とにかく、現在すでに、購入したり、作ってあったりで、先方に預かって置いて貰っている装置の引き取りができることになった。

 今日の成果はどうだったかというと、スマトラ辺りの雨季は昨日と云い、今日と云い、こんな状態なのかと思わされた。もう、どうしようもないので、このままの状態が一日中続くことを覚悟した。
 今は、P.Bangkaの北東に位置するKota Sungai liatの南、Tanjung Pesona beach resort Hotelに泊まっている。昨日は島の山の中を通って、Pangkal PinangからMuntok、東から西に移動したが、今日は、北の海岸沿いの道を遠廻りして、Tanjung Kelian港Belinyu Pelabuhan港、海岸Tanjung Remodong海岸Tanjung Samak海岸に寄って景観を楽しんだ。10:00頃まで、大雨が続いたが、それから、以後は天気が急激に回復し、澄みきった空気を通しての暑い日差しがきつくなった。
 他のビーチもそうだったが、ホテルのプライベートビーチの状態は、ブリトゥン島にそっくりというか、逆か。同じ起源の島だということが分かる。それともうひとつの共通点は、島中、白っぽい小石を掘り起こした後が広だっていて。今でも、その所々で、何かを採掘している様子がうかがえる。何かというと、鉛Tambang timahを掘った後が広がっているのです。飛行機が島の上に来たとき、その白い土地の広がりは何かと思う。オランダ領時代大変重要な島だったことが想像される。至る所に、オランダ人が住んでいた高級住宅地と家屋が残っていて、インドネシア人の金持ちの別荘として使われているそうです。
きれいな水と奇麗な土
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息抜きになるか?

2009-11-28 08:19:37 | 旅行
今日最初にびっくりしたことはスカルのハッタの国内便ターミナルにコーヒーをジュースの二種類の自動販売機が有ったこと、外の二台はいつ設置したのかもう故障していて使えないという張り紙がしてあった。ボーディングパスカウンターの前の各一台は使えた。インドネシアで無人の自動販売機で人が買っているのを見たのは初めてである。韓国製で、コーヒーの価格が5000と10000Rpで全種類で12種類あった全部ホットでアイスコーヒーはない。紙コップに注がれるのを皆さん、今か今かと待っていた。もうひとつ面白いのはコインで買うことができるらしい、コインを入れるところもある。しかし、インドネシアには現在500Rpコインが最高(今は発行していないが、1000Rpコインを非常にたまに見ることがある)ですから、10枚入れなければならないことになる。
 お札も、5000Rp札を持っていれば問題ないが、1000と2000Rp札でいくつかの組合せがあるが、大丈夫なのでしょうか、心配になりますが、確認はしてありません。こにかく、町中では絶対に設置出来ない自動販売機です。故障しないで、長く、皆さまに浸透し続けてほしいものです。次に国内便ターミナルを使うのはいつになるか分かりませんが、次まで、無事でいてほしい。

バンカ島(スマトラ島の南東の島、ブリトゥン島の北)
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0405.html
ビンタン島にも近いといえば近い、先日、船が沈没した場所に近いといえば近い。そこに来ている。バタビアエアー10:00発が、パンカルピナン(Pangkal-pinang)の空港が雲のため閉鎖になっていて、ジャカルタへ向かう飛行機が出発していないし、ジャカルタから出発した他の便がジャカルタへ引き返したという。11:00に空港は再開されたが、私たちの出発は向こうから到着を待ってからだったので、12:30発になってしまった。インドネシアです、それも、雨季です。ビアサ(biasa,普通)である。13:30に到着、到着前,急降下を繰り返したので、機内で、お祈りしている人が多かった。
島の東側から西の海岸の町Muntokまで、空港からのミニバスで向った。景色が良い海岸にホテルがあるかと思い、来てみたら、何もない。ホテルもない、ロスメンだけでした。それも一か所(Penginapan Arwana)でした。そのうえ、食事をするところが全部休み、夕食抜きである。今日は、見るものは何もなかった、明日に期待です。
ところで、今日はイドゥルアドゥハといって、イスラムの犠牲祭である。なんだか、印象としては年中やっているようです。牛やヤギが道端で売られ始められる、10日前くらいから、あまり、いい感じはしない。自分も食べているのだが、実際に殺すのを見たことは全くない。残酷な風景を見ることはできない。この、お祭りだけをとっても、どんな理屈があるにしても、イスラムのこの習慣は好きになれない。
同じくバントゥンの南のパパンダヤンです。
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