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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆実りなき稚拙デモ

2012-01-29 23:08:51 | 行きすぎ

1109              白タクの中で某社から明日のゴルフコンペの中止と電話が入った。

明日も道路が封鎖されるかもしれないからでしょう。こういう事態には慣れていない日本人の集団ですからもっともだと思う。多くのメンバーはジャカルタから封鎖された場所を通過しなければコンペの場所に行くことでいないのだから。せっかく、日本から商品の差し入れを持って来たのに。

 ま、私としては、昨日の事態で疲れ切っているので、朝、5時起きでゴルフへ行かなくて済んだので有難かった。

 夜中のニュースで知ったが、デモはほとんど暴走的に行われたようだ、バイクがどっと高速道路に侵入し、コンクリートブロックを道のわきから運び込んでバリケードにして封鎖した。警察は渋滞の中なので小人数しか掛け付けられない。デモ隊を排除することなどとてもできない。あっという間にジャカルタ方面まで方面からの大渋滞になってしまった。この封鎖の影響は沿線の工業団地の全ての製品の生産を止めてしまうだけの力がある。各工業団地や各会社の押し掛けるより遥かに影響力、被害が大きい。

 見るとほとんどが20歳くらいの若者である。彼らは、労働者のためと思ってやっていることが、実は、他の労働者の首を絞めてしまっていることに気が付いていない。自分勝手な行動だということに気が付いていない。大多数の仕事に行きたいという人を妨害しているし、一般労働者の賛同は得られないし、運送業やタクシーの労働組合は今回の行きすぎたデモには猛反対なはずである。

 

 日本人に与えたインパクトも大きかったと思う。98年暴動を知っている私にとってはたいしたことではないが、ほとんどの日本人にとっては、戸惑いが大きかったと思う。出勤できない、帰宅が出来ない、打合せの約束を実行できない、納品が出来ない、原料が入荷しない。神経質な人にとっては耐えがたい一日だったのではないでしょうか。

 

ネット接続のために、切れてしまっているUSBモデムのプルサというものをコンビニで買う。日本人が一般的に住んでいるコンドミニヤムやアパート、ホテルにはLANがあるので、パスワード(ピン)を知れば何をしなくてもネットに接続できるし、今どきLANが無いところに住んでいり人は少ないが、無ければ電話回線で繋ぐことも出来る。ところが、私の家にはホームテレホン回線も無いので、自分でハンドホーンかUSBモデムでネットに接続できるようにしなければならない。という事だが、この方法は、インドネシア人にとっては一般的なことであって、何の苦労というか、面倒くささも感じない。手ごろに安いので、ドンドン普及しているし、町のどこでもそのための店はある。ただし、日本人にこの方法でやりなさいと云っても、自分でセッティングをするには無理がある、簡単には出来ないでしょう。

店にモデムの中に入っているチップとモデムを買った時にくっついてくる番号などが書いてあるカードを持って行く、契約内容を店でセッティングしてもらう時に必要です。ダウンロードのスピードよって。一か月(30日)フリー接続で、5万、10万 20万RPとある。いずれもカード1枚に付き2千RPの手数料がかかる。私は10万R2枚、20万RPでセットを頼んだ。支払いは20万4千Rpです。チップをモデムから取り出して、店の人のHPに入れて、チップに契約内容をセットしてから、モデムに戻し、それでおしまい。5分くらいで使えるようになります。午前中は会社のケーブルLANを使ったが、今は、モデムを使っている。

 

 メールアドレスは会社がセッティングしてくれるのですが、仕事関係で会社からアドレスを貰えない人は自分で作るしかない。日本でも同じですが、簡単に無料で作ることは出来ます。日本で個人的に作ったアドレスでも受信はまったく問題はないが、送信は現地のアドレスを使わなければ出来ないかな。SMTPのセッティングを忘れずに。それが適切でなければ送信できません。

 

ネット 接続 LAN

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(^_-)-☆日本の冬

2012-01-13 23:22:43 | 行きすぎ

1093 被災地の人達や北国の人には何を寝ぼけたことを云ってるんだ、と言われそうです。今シーズン最低気温の-0.8だったとか、非常に寒い、雨は一か月前から降っていない。乾燥注意報は出っぱなしである。もともと、唾液の分泌が減ってきているので口や唇の乾燥がひどい、カサカサである。足が一番ひどいが皮膚の乾燥で白くなっていて、其処へ湿疹ができ始めた。あわてて、メンソレタームを塗りだした。リップクリームも必需品です。それともう一つ目薬というか、目を潤すものが必要です。

水を飲むというより口を潤す程度だが頻繁に水分を補給しなければならない。汗を全くかかないので全てが尿になってしまう。インドネシアなら、水分をドンドン補給しても汗で出てしまうので、日中、トイレに行くことは殆ど無いし、夜も、真夜中に起きることは一回で済むが、日本ではそうはいかない、日中も夜も二時間~三時間置きにトイレに走らなければならない。何かをしている時でも中断しなければならい。厄介なことである。

 会社のエアコンの設定は22℃になっている、そのセンサーの位置は22℃でしょうが、床近くは、実際に計ったが15℃以上の場所は無かった。足が冷える、手先がかじかむ、経済大国、先進国と言われる日本は大変だなと思う。ラップトップの温かさが嬉しい。

 以前にも書いているが、インドネシア人のエアコンの設定温度は20℃以下、私はエアコンを聞かせている部屋の全てが寒く感じる、それも、風を引きそうなくらい非常に寒く感じる。特に若いインドネシア人は16℃位にしないと暑いという。どうなっているの、彼らの体は、会社以外の彼らの日常的生活の場には、エアコンなどない。だから、30℃以上の場所にいる。そして、雨季になって25℃以下になれば寒いから風を引きやすい、と言ってセーターやジャンパーを着る。そういう彼らが会社のエアコンがある場所に入ると設定と16℃位にして強風にする。節電しなさいといっても無視される。そして、日本人もやはりその16℃位が良いらしい。発展途上国は節電などしていない。日本人も節電しなさいとはいわない会社が多い。

 

 経済大国より発展途上国の方が、色々なことでうるさく言われることは無い。会社でも社会でも規制が少ない。気を使う必要がない。住みよいのはどちらか、はっきりしている。赤道から離れた場所より近い場所の方が生活しやすいのもはっきりしている。年寄りにとって、それは顕著です。

 

 東海大地震が発生すれば、この海の向こうから白い横線がドンドンこちらに押し寄せてくる予定らしい。右の焼津の平野の高さよりも高い盛り上がりの白い線がくるという。いつきてもおかしくないと云われて30年、未だにいつ来てもおかしくないになっているし、先日、近畿、四国九州まで、その規模も大きくなったらしい。本当に、本当に、行きあたりばったりのいい加減な予想で、その道の権威の方々は自分の予想が当たるように萬の神に頼んだ方が良い。

渇き 試練 苦行

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(^_-)-☆コレア人気

2012-01-08 22:10:00 | 行きすぎ

1088 寒い、静岡は雪が降らないがここに三日早朝は0℃近くになっている。まだ、庭に霜柱は出来ていない。歳を取ってくれば唾液の分泌が悪くなる、パニック障害発症を堺に口や唇が乾きやすくなったことを自覚している。そこで、暑かろうが寒かろうが時々口を潤す程度に水を飲む、今は、その水を全然皮膚から出さないので、昼間一日数回ベーアーカー(BAK,Buang air kecirブアン アイル クチル)に行く、インドネシアなら、喉の渇きを潤すというより、塩分補給のために一日最低1.5Lの水を飲む、ゴルフをしているときには5時間程度で1.5L飲んでしまう。それでも、トイレに行くことはない。全部汗として出てしまうのです。日本の今では、仕事を中断してトイレに行く回数が多い。

 インドネシアでもK-popやK-Dramaも、もてもての様です。特にコリアンの男性グループの人気は大きい。それでも韓国人の歌手は来ないので、日本には無いようだが、K-popを真似したグループの人気が急上昇です。
 インドネシアのジャカルタ周辺には日本人の倍以上の韓国人がいると云われている。その人達の印象は、態度が大きい、威張っているという感じで、私としては、好かない。インドネシア人もそう思っているようだ。そして、歌手の顔と仕事のために来ている人達では、民族や出身地が違うのでしょうか、あまい顔をしている人は殆どいない。皆さん、エラが張っていて、イケメンとは程遠い。カッコいい人はいない。纏めての話だが、大体、韓国人と直ぐ分る。しかし、彼らは、戦っているという印象もある。日本人の方がのんびりしている。ゴルフの韓国人は青から日本人は白からスタートする。韓国人は半袖、半ズボンはいない、日本人は半袖、半ズボンが多い。直ぐ見分けがつく。

日本もテレビに多くの韓国系番組が放映されていると感じる。ちょっと、うさん臭いほどである。理由、原因は何なのでしょうか。私が思うに、韓国人としては少数の甘い顔をした若者男女は日本人のイケメンより以上に甘い顔をしているからだと思う。日本人のおばさま連中が、他に対象を見つけられず、暇のはけ口にしているからでしょう。これが一つの理由、もう一つは、テレビのチャンネルが増えているのが原因、隙間を埋める材料として重宝がられている。
 娘の誕生日祝い
 コレア 見分け 威張る

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(^_-)-☆仕事納め休養へ

2011-12-29 23:22:16 | 行きすぎ

1078 取りあえず母はまだ生きている。目は開けないらしいが、手足は、動かしていると云う。

今朝の出勤は、いつもの通り眠いままだったが、既に、休みになっている会社が多いのでしょうか、全く渋滞は無かったどころか、日曜日の様に道は空いていた。いつもより30分以上早く会社へ着いてしまった。いつもこうなら良いと思う。

 手のカジカミはどうにもならない。物を掴むとき感じるし、インドネシアでは全くしたことがない、ポケットに手を突っ込むと云う行為が自然に出る。

 この会社も今日が仕事納め、ほっとしている、馴染まない環境へ暫く行く必要が無いからである。次の出勤日は1月5日である。私としては日本でのサラリーマン(微微たる金額の給料は、)のような生活は29歳までだったので、疲れる、出来るだけ波風が立たないように、当たり障りのない仕事に特化してやってきたが、それでも、慣れない環境、なれない装置の中で想うように行かなくて、全く、経過、結果共に不満を感じている。ここでなければないと思うものは一つも無かったし、足りないものが多い上に、その足りないものを足りるようにする手段も環境も無かったし、そう長くない私のこの場の仕事では、他の人が使わない道具などを買っても、私がいなくなれば無駄になってしまう可能性が大きいので、そろえるわけにもいかない。後で、捨てられる運命にあるものを買うわけにはいかない。

 仕事に関しては、インドネシアと日本を約一カ月おきに往復して、それぞれの場でアドバイスと云うより、自分の仕事を作ってやっていた。それらは、それぞれの工場で量産に結びつける前段階の技術開発と試作でした。私がやるテーマは難しく、他社でも自社でも出来ない物を、何とかしましょうと、引き受けるのです。だから、自分が思うようにやりたいのだが、それが出来ない一年でした。

  その間にも、他の会社からの誘いや相談が在り、それにも、対応してきた。今年の後半は来年の三月末で契約が切れるとの会社との契約は延長しないつもりで、他社との相談にも乗っていた。自分でやる可能性もあるが、私的な都合もあり、暫くは休養期間を設けることも考えている。ということで明日から一週間ほどの休養日は私にとって考えを纏める日々になる。

 

 夕方、会長訓話、新聞を読んで最新情報を知ることが大切というのが骨子だった。今年は会社にとって難しい年になったが、攻めの気持ちは変わらない。30分ほど話して終わった。最期に何を思ったのか、“太田君ひさしぶりだな“云った、突然言われた私はどう返事をしていいか迷って、何も、答えなかった。もう、訓話は終っているので私の方へ近づいてきた。”明後日、よろしく”といってやったら、ニヤッと笑って、うなずいていた。訓話を聞かされていた従業員の50人ぐらいは、どんな、関係?と思ったことでしょう。

 通勤途中にある自衛隊の静浜基地

付き合い 面倒 抵抗

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(^_-)-☆特殊な支払い方法

2011-12-01 22:13:43 | 行きすぎ

1050 今日のインドネシアはデビッド ベッカムLAGで大騒ぎ。インドネシアのナショナルチームとブンカルノ競技場で練習試合をするとかで、彼の来イからテレビカメラが追っている。

月末なので装置の代金の約三分の一138JUTA(120万円)を送金した。

インドネシアであるいはインドネシアから装置や機械を買うときには現金と交換が原則ですが、場合によっては信頼が深まれば、前金(準備金)を払う事例も多い。日本と比較すれば、こんなに安くていいのと云うくらい安いのですから、そのくらいのことは、私は当り前だと思う。インドネシアの零細企業を引っ張ったり後押しをしたりするには資金的にも少しくらいは優遇してやりたいと思っている。

私はそう思っているのだが、日本企業、日系企業の購買担当者はそんな事を云っていられない。15年もインドネシアにいれば日本での日本企業の支払い方法は本当に特殊だと思う。手形などという支払方法は日本独特だと思う。何カ月か過ぎてから初めて現金と交換できるのです。早く現金が欲しければ、銀行へ行って期限までの利息を引かれた現金を受け取るのです。それを、手形を割ると云うのです。その場合、もし、その手形をで払った会社がその分のお金が期限に当座預金に入っていなければ、不渡り手形と云うことで、割って現金を得た側が全額、割った銀行へ帰さなければなりません。割った時、その手形の保証人になったと同じ事です。

手形で受け取るので、手形で払うのがお互いさまと云うか、そういう流れになるのです。それで、日本の会社は営まれているのです。ごく少数の優秀会社は手形で払わないで、現金で払うがしっかり割ったときの利息は引いて払う。ちゃっかりしてものである。下請けを助けようと云う気は小指の爪の先程も無い。銀行で割るよりも引く利息は高めにして、自分が高利貸しのようなことをして儲けようと云うのです。

 

私は、独立以来、社長を止めるまで、自手を切ったことは一度もありませんでした。それどころか手形帳を銀行から買ったこともありません。ただし、10万円以上の支払いは手形で受け取っていたから95%以上は手形でした。原料などの支払いは廻し手形と云って、受け取った手形の裏に裏版と云って一種の保証人になる印を押して支払っていました。残った手形は銀行へ預けます。期日が来れば当座預金に現金が入ります。廻し手形は、支払ってくれる客先もそういう方法を取りますから、裏に何社もの裏版が押してあり、押す場所が無くなると紙を追加して押します。ということは最期に現金化する会社は保証人が何社もあると云うことですから、自手よりも廻しの方が安全だし、裏版が多いほど、より安全だと言えます。廻すことができる会社は余裕があると思われるのです。余裕が無ければ受け取った手形を割って現金にし、自手を切って支払いは何カ月後かにするのです。

 

手形以外に月末締めの翌月末払い、というのが在ります。極端なことを云うと、12月1日に売ったお金は1月末に三カ月の手形で支払われます。ということは何もしなければ、現金が自分に入るのは4月末です。なんと5ヶ月先でないと現金が入らないのです。

昔、台風手形と云うのがあった。210日(7ヶ月)の手形です。

すごいと思いませんか、それで、日本の会社の多くは回っているのです。日本で会社を手伝い始めて、何も変わっていないなと思った。

前払い?検収後即現金払い?太田さん、何を云ってるんですか。と云われてしまった。

 インドネシアのリッチな風景

手形 現金 デポジット

 

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(^_-)-☆仕事の追い込み

2011-11-01 23:14:30 | 行きすぎ

1020 来週の月曜日の真夜中にインドネシアを発つ。今週はそのための最期に詰めですが、これが、なかなか一筋縄でいかない。ぎりぎりになりそうだ、綱渡りです。伸ばすつもりはない。何とか、関係者の尻を叩いて漕ぎつけようと思う。

 他に、金型や押出ラインや装置について、インドネシアの企業を育てる必要があると考え、その方向でも動き出しているので、ちょっと余計な仕事が増えてしまっている。今まで、一社だけに数年間、指導してきて、そこからだけ購入していたが、それでは、競争原理が働きにくいので、もう、二社増やそうと思った次第。ナイフカッターや丸鋸カッター、手押しカッター、スパイラルカッターに関しては、半年後くらいにはメイドインインドネシアを三社ができるようになるでしょう。日本なら、H社やA社のようにです。

  押出製品を作ってほしいと云って私を呼んでくれたバンドンの会社を訪問した。パジャジャランを過ぎて次のインターでてたところにある日系の家具屋さんです。木目模様のPPの異形品の依頼でした。その会社は全て木で作っていた。私はインドネシアの木は段々、伐採禁止の範囲や木の種類が増えていて、今迄、使っていや木が使えなくなってきている。もう10数年前からの話です。在庫も無くなって、プラスチックに変えたいと云う事でした。日本では既に、技術が円熟していて、今や、木目調のプラスチックは、安くなりすぎてやり手がいなくなってきている。そんな中、少しの量の原料を日本から輸入してやるには、あまりにも高くついてしまう。やってあげたいが、価格的に木の数倍もすることを説明した。暗にやっても無駄ですよとほのめかした。それに、私がやればできるが他の誰がやっても私は分かっているで、あきらめた方が良いですよと、ほのめかした。もし、どうしてもやってみたいと云う事なら、日本人を紹介しますと云ったが。お話は砂に注いだ水のように消えて無くなってしまうとは云わなかった。

  ところでCiperalan(チカンペック、プロワカルタ パジャジャラン)の高速道路の工事中箇所の多いこと、上りが登坂車線を入れて三車線あるところの上りつめて下りになるところで二車線のはずが一車線工事中で下りに入っていきなり一車線になってしまう。そういう場所が三か所あった。これから、雨季に入って危険がなお増すでしょう。

 

 アヒルの落ち穂拾いと害虫駆除の風景。インドマレットとアルファーマートが筋向いにある風景、珍しくない。

 できない 高くつく 自然保護

 

 

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(^_-)-☆セイノートゥドラッグ

2011-10-28 21:07:03 | 行きすぎ

1016 マレーシアで、麻薬所持で捕まった日本女性に死刑の判決が下った。まだ最高裁が残されているが、客観的に見て、残念ながらその女性の云い分は信用できないのは明らかです。
 バリでも日本人も含めて外国人が多く麻薬(narkobaナルコバ)の所持や運搬で逮捕され。裁判にかけられている。個人もあり、グループもある。運ぶ、売る、は極刑になる。
 インドネシアでもジャカルタの北部のディスコへ行け簡単にドラッグは手にはいる。芸能人も時々、使用で捕まっている。彼らは、罪の意識が無いようで、捕まっても一年ぐらいで出てきて復帰している。使用はそう大きな罰は与えられないらしい。

 空港で捕まった女性は全て、人に貰ったものとか、預かったものという。中味については知らなかったと云う。これは、自分は関係ないと云う言いわけになっていない。
 
麻薬のことから離れるが、飛行機に預ける荷物に関する一般常識として、
私は何度の他人から「荷物の重量がオーバーしているので、あなたの荷物にしてください」と頼まれたことがある。また、明らかに重量がオーバーしていてカウンターの担当者から荷持代の追加支払いを求められている風景に出合う。気の毒に思う。しかし、手伝いはしない。
基本的に国際便は20Kg,国内便は30Kgになっている。秤はバゲジの重さ(約3kg)を0kgに設定してあるので、自分でチェックする場合は23,28Kgが空港の秤では20.30kgになる。それから3kgくらいオーバーしても追加料金は取られない。だから、26,36kgまで問題ないことになる。私は軽い布のバゲジを使っているので、重さは2kg程です。だから中味の重さは、24、34kgでも問題ないことになっている。
ゴルフバッグやサーフボードは空港に依って料金が違うが一般バゲジに比べれば安く設定している。インドネシアの場合はテクニックがあって、帰国してしまう時バゲジが二つ三つで、明らかに40~50kg以上ある時には、何万円もの追加料金の請求書を渡され、別カンンターを指定されて、そこで払うのだが、そこの人に10万Rpを出して、カウンターで追加料金を払わないで、余分な荷物を積んでもいいと云う許可をえるための事務所を紹介してもらう。そこへ行って、30万Rpほど払えば、料金を支払ったと云う印とサインをしてもらえる。それから、搭乗券カウンターへ戻る。それをしないと、軽く、三四万円(3ジュタ、4ジュタ)を払わなければならない。

液体のチェックや没収の量は各空港で違う。ジャカルタの国際線については書きましたが、国内便も同じです。免税店は無いので、液体は何でも小ビン以外は没収されます。
国内便で預ける荷物の中身について決まれます。液体は無いか、壊れ物はないかです。ないと答えましょう。液体があると答えると、何本か何リットルか聞かれます。何リットル何本までという規定が空港によって違います。オーバー分は取り上げられてしまいます。
機内持ち込みのバッグに移すことも駄目ですから、結局、他人に上げてしまうしかありません。
 カップミーとインスタントミー
 ドラッグ ナルコバ 極刑

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(^_-)-☆インドネシアの子供達

2010-09-30 22:06:20 | 行きすぎ

また、また、もとキタガワの社員を入社させた。勿論、彼らは皆、私を有力なコネとして入社できることを期待し、申請してくるのです。別に私が強力に推薦しているわけではないし、総務には何も話をしていない。しかし、もう、いないだろう、と思っても、次々と入ってくる。私がキタガワを離れた後に入って、私を知らない人まで、知っているかのように入ってくるらしい。もっとも、この会社の総務の重要な役割を果たしている人たちは、私が推薦して入社してもらったのですから、彼らの知り合いが申請して来れば必要な部門から入ってもらうことは当然な成り行きでしょう。

 そんなこんなで、かなりの重要なポストは元キタガワの人たちが占めるようになっている。経理、人事総務、税関に対するトップ、第二工場のトップ、蒸着部門のトップ(日本で訓練中)、勿論押出のトップ以下全員、皆さん、日本人からの評価は、最初は良くなかった。この人たちは能力が今一だという話がわたしにもあった。しかし、その人たちの上の立場になれる人を人材紹介の会社などから、推薦してもらい、面接したところ、今いる人たちより遥かに高い給料を要求する上に、能力も今いる人たちより低い評価だし、紹介料も半端ではない。そこで、結局、採用をしないことにして、今では、全員がその部門のトップとして役立っているし、彼らのアシスタントを入社させるようになっている。

ベアチュカイとの関係トップの人も私の紹介だがコンサルタントのJA社(日本人人)から、彼女では能力不足だと言われたらしい。彼女は、もう、十数年の付き合いで、MM2100担当の税関職員とは顔なじみで、能力が低いはずがない、おそらく、その日本人の知識や能力が低いのだろうと思う、そのコンサルタントは、私は信頼していないので、ビザの更新などでは使わないようにしている。費用が、手数料が高い上に、申請も遠回りだし、シンガポールへ行くときも、なぜか、一泊するスケジュールを組んでしまう。

 この意見を真に受けて、他の人を採用し、彼女の上に付けるのか、難しいところです。税務署や税関とつるむような人を採用してしまうと、禍根を残す。せっかく、JA社の担当者より能力が高い人を潰してしまうことになる。それよりも、彼女が、彼女の意見を言いやすいような環境を作ってやることが肝心です。何か言ったら、余計なことをいうな、というような雰囲気はだめです。

こういう状態を見ていると、この会社の立ち上げを助ける役割とインドネシア人の子供たちを救う役割は一段落ついたような気がする。どちらも、私を必要としなくなるのは分かっている。自分の決心が変かわらないように書いておいている。

 

私の技術的なことは

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0007.html

PPプロファイル成形の開発をしたが、壁にぶち当たった状態が長く続いて客先に大変、迷惑を掛けてしまった。その記録です。まだ、十分ではないが、開発はこの仕事が最後になるでしょう。押出の開発仕事は体力勝負です。若いころにはその体力をフルに使ってどんどん、新しい仕事に挑戦したが、もう、今は出来ない。気持ちだけではどうにもならない。

間違いなく、メイドインインドネシアの縫いぐるみです。日本ではもうとっくの昔にこの種の縫いぐるみは、メイドインジャパンは無くなっていましね。先日、ドイツのニュールンベルグで買ったおひざ元ドイツ企業ナイキのスニーカーがメイドインベトナムでした。遠い旅をしても安いのです。

ISOの認定証です。苦節4カ月でした。担当の人たちはご苦労様でした。

体力  気力  執念

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(^_-)-☆私の子供達

2010-08-29 21:27:59 | 行きすぎ

午前中はゴルフ、午後から夜にかけて会社。今日も明日もオーバータイムで生産や後加工を続行する。私の子供達は全員張り切って仕事をしてくれている。頼もしい子供たちである。インドネシアの難しい押出成形は将来、私の子供たちが背負って立つ、必ず、である。いま、何社かの押出成形をしている会社があるが、いじれも、簡単なもので、品質もそれほどでもない。何より、インドネシア人自身で、新しい製品を生み出す力を持っているのは私の子供たちだけです。

私が作った装置で私が作った金型で、私がお手伝いした会社の製品をそのまま作っているPT.KITAGAWAから引き継いだ会社があるが、その会社は、そこまでです。その先はない。その仕事が終わったり、モデルチェンジになったりすれば、仕事はなくなる。新しい仕事を手掛けることはできません。こちらから積極的に営業活動をしなくても、PT.NANBUは明らかに下流にある。上流にある会社が、魚を捕まえる方法を知らないので、待っていれば魚は飛び込んでくる。そしてそれはPT.NANBUのインドネシア人が捕まえる。

 

 プラスチックの押出以外にも、射出関係で同じくらいの人数の子供たちがいる。PT.KITAGAWA時代にも私に愚痴を言いに来た連中である。押出に比べれば優遇された子供たちだが、PT、KITAGAWAの彼らの上司だった日本人が、彼らの仕事の面倒をみるなどということはしないし、とてもできない。結局、路頭に迷う羽目になってしまったわけで、頼りは私しかいない。頼まれれば、何とかしてあげなければならない。幸い、PT.NANBUでも何人かは雇ってもらえたし、その他の会社にも紹介してやることができた。

その彼らと、一緒に、仕事ができるのはそう長くない。最長でも一年半くらいだろうか、彼らのためでなく、自分自身のためだけにしなければならないことがある、それを済ますのに最長で一年半かかるからです。

 

私が資金援助をして何人かの子供たちを通わせ卒業させた、コンピューター情報技術関連の学校、専門学校BSI(BINA SARANA INFOMATIKA)である。ジャカルタ周辺のちょっとした町に分校がある。この建物はチカランバラットのインターチェンジ近く。夜間に通う学生も多い。結構、人気がある学校である。

渋滞に現れる飲み物やタバコを売り人、プアサの時期でも売り上げはあまり変わらない。

指導  援助  権利行使

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(^_-)-☆門前の小僧的

2010-07-04 20:44:16 | 行きすぎ


斜めからインドネシアを眺めよう 655
 交通警察官が諸点が在っていない目つきで、自動的に手招きをしている、朝夕の交差点で見られる風景です。大体が、早く来い、早く行け、という合図である。それは、警官だけではない。街の至る所で、手招きをしているのを見ることができる。狭い道で交差する車やバイクは手まねきが必要なのです。バックする時、駐車する時、助手やセキュリティーが必ずやっている。私が運転しているときにも頼みもしないのに、そこらへんにいる人が、その役目をしてくれる。駐車場では、他の車の運転手が手伝ってくれる。全員がチップを期待している。
 この手まねきの仕方が、私にとっては、お釜さんがおいでおいでと招いているように見える。警官の多くは、車や人を見ていないで、ただ、習慣で、手を振っているだけのように見える。だいたい、手まねきをしている警官の目と会ったことがない。いやいや、ブランぶらんと手を振っているだけに見える。

 小さい子供もそれをまねる。車が来ると、手招きをする。勿論、その子たちが安全確認をして招いているわけではない。ただ、大人や親がやることを真似るだけである。
道の真ん中に立っていて運転手はいちいち、子供を避けて通過しなければならない。子供は得意になってやっている。おそらく、自分がやらせてもらっているという意識が在る

 各交差点に警察官がいない時、近所に住む子供や若い者が交通整理をする。小遣い稼ぎだが、明らかにお前がそこに立っていると、邪魔だ。お前がいなければ、迷うこともなくお前を避けることもなく、スムーズに流れる、と言いたい場合も多い。また、今まで、若者がやっていたのに、帰りにそこへさしかかると、小学生がやっている。やっていた若者は直ぐ近くで座って休憩している。子供も躊躇しないで、同じように手まねきやストップの合図をしている。門前の小僧でしょう、しかし、どう見ても危ない、立ち位置が良くない、のでしょう。それで、彼にしてみれば、少なくないお遣い稼ぎになるのですから。物心がついたころから、身に付けたスタイルですから、自然体でしょう。
 右折左折、Uターンの手伝いの料金は500Rpが相場です。それ以上やる必要は全くない。

普通はこういうところに置かないコンテナが置いてあった。渋滞の原因になっている道路の強化工事。
手まねき  物まね  邪魔者

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頭がパニくり

2010-04-10 18:49:06 | 行きすぎ
 朝08:00金型屋へ金型を持ち込み、金型の修正をし、17:00に受け取りに行って、18:30再トライ開始、今も、トライ中、明日も出勤になりそう。なんとか、明日中には完成させないと、客先に申し訳ない。インドネシアでこの歳になって、こんな難しいことに直面するとは予測していなかった。私の頭はパニックになりそう。疲れているが、緊張しているので、動きには影響していない。パニック障害とは無関係なので、薬を飲んではいない。これから、後、二三時間はトライを続ける。
 客先や金型屋に自分で運転して一日三回以上外出している。朝の通勤時間や夕方の退社時間にバイクと勝負しながらの運転だが、運転に対しては何の緊張もないと思っている。事実、ぼんやり考え事をしながら運転している時の方が多い。
 
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
otak-otak@nanbu.co.idが、新しい私のメールアドレスです。
otak-otak@makuta.co.idは使えなくしました。

会社の従業員の食事について、観察する。何社かのキャンティーン(食堂)の様子をしているが、大体の会社は、丸い弁当箱食事である。不思議に四角い弁当箱は稀である。その中身は、鳥のから揚げや豆腐のフライや野菜のてんぷら、スープも付いている。味は私にしてみると、ただ、ひたすら、辛い。私も、従業員と一緒に食事をします。日本人こういう人は他にいないと思う。それだけ、味が日本人になじまないし、何よりも、食べ物や食器類やさじやフォークが汚い、不潔と感じているからだと思う。それを皆さんと一緒に食べ続ける勇気のある人はいないのだと思う。
今の会社の、昼食は、業者が会社の食堂へ料理済みの食べ物をまとめて持ってきて、金属の薄っぺらな皿に盛ってくれてある。その皿を各自取って、スープ、果物、クルプックを好みで追加し、大きなプラスチックの深い容器に入っているご飯を中に入っている杓文字で、好きなだけ、掬い取って、自分の皿に盛る。その中は上から手を入れて、杓文字を取るので、上から、各自の汚れや埃が入る。杓文字を取るときに、人の手がご飯に触れる。スプーンやフォークはプラスチックの箱に濡れたまま置いてある。そこから摘まみ取って使うのだが、一応、ティッシュが置かれているので、それで拭いてから使う。洗う水は、飲んではいけない水道の水である。それでも、みなさん、構わないと思っているようで、文句が無い。私も、それに付きあっているのだが、私は、この状況を改善して上げたいと望んでいるが、他の日本人は、絶対に付き合えないでしょう。そして、それを見ないし、改善して上げたいとも思わないでしょう。

 お口直しの娘と孫、日本での短期留学入園の保育園で、と今年大学院進学した息子。

http://blogs.yahoo.co.jp/yanto20012001/folder/1174987.html自慢の息子ヤント君のヤフーブログです。
昨日、真夜中、12時ころ、帰宅途中の高速道路が自然渋滞に練っていたので、眠気さましで、ドイツへ電話をした。5才の孫が電話を話さず、日本語で自分の名前が書けるとか、妹の名前も書けるとか、挙句に、日本語の歌を覚えたから聞いてと言って電話の向こうで、歌いだした。雛祭りとか富士山である。私も、一緒に歌った。電話で、孫と合唱して、かなり気分を良くした。
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有名人ヤント君

2010-03-16 21:01:18 | 行きすぎ
ヤント君の卒業式のはずです。日本語学校2年、大学4年の6年間、身元保証人になり、学費や生活費の援助を続けてきた。今日の卒業式に帰ってきて出席してほしいと言っていたが、会社の立ち上げの時で、インドネシアから離れることができず。大変残念だが仕方が無い。静岡県立大の大学院にあと2年通うことになっているので、その、卒業式にはぜひ、傍に居てやりたいと思う。
彼の日本での活躍ぶりは、予想以上で、多くの日本人の中へ入って、インドネシアに関する色々な催し物の手伝いを中心になってやっているし、外国人学生のための相談施設にも県から頼まれて職員として採用されているし、インドネシアの民間大使にも県から任命されている。多くの日本人に知られているインドネシア人の代表者である。バックアップしている私としては鼻が高いが、日本人の誰もが、私のことは知らない。保証人は誰なのか、今どこにいて何をしているのか、彼に聞く人は誰もいない。彼と接触や相談や手伝いを頼む人にとって、そんなことを知る必要はない。
彼は先日里帰りをして、パダンへ慰問し、静岡で募金したお金を届けた。アチェ、ニアス、ジョクジャ近くのバントゥール等の地震や津波の大被害の度に静岡駅前その他で募金活動をし、大使館を通して寄付をしている。静岡新聞や朝日毎日読売の地方版やテレビでも報道されていた。静岡で私は無名人ですがヤント君は有名人です。つい最近は、浜松でインドネシア文化紹介の催しがあり、それのインドネシア人側の代表をして、スポンサーをかき集めたり当日は司会進行役を務めたり、バティックファッションショーモデルも務めた。それらの時の写真が彼の友人のフェースブックによって紹介されている。その中から何枚か頂いて、紹介している。背が高くてやさしい顔をしているので、日本女性にも不安が多いようです。
大学の感謝会と浜松のインドネシア文化祭の打ち合わせ風景でしょう。
  http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html

一月から30日間になっていた入国ビザが出入国管理事務所に申請すれば、一回だけ延長し、合計で六十日間の滞在が可能となった。東西約五千キロに及ぶ広大な国土に、一万七千以上の大小の島々を抱えるインドネシアを存分に楽しむチャンスが広がったともいえそうだ。延長の手続きはインドネシア国内各地の出入国管理事務所で受け付ける。必要な書類は(1)申請書(各事務所で配布)(2)旅券及びそのコピー(3)取得済みの到着ビザのコピー(4)帰国用の航空券-で、手数料は二十五ドル。延長は一度のみ可能で、三十日間有効。申請人本人の出頭が必要。延長手続きは五営業日かかり、滞在期限の七日前までの申請が望ましい。
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長い付き合い

2010-03-06 19:11:31 | 行きすぎ
 来週から、二週間ほどかけて、客先回りをするつもりでアポを取っています。旧知の方々が多く、日本人に会うよりインドネシア人担当者に直接会って話をする方が多くなります。実際に大きな会社では、入れ替わり立ち替わりの日本人より、その商品の歴史やいきさつを承知しているし、和気あいあいと話をしやすい、皆さん、電話すると、どこで何をしている?と必ず訪ねてくれる。私も懐かしい。
 実際、インドネシア人任せで日本から輸入している製品を話題にするので、日本人はその製品について知識が無いし、問題にしたこともない。上司に当たる日本人に電話し、製品の説明をし、その製品の輸入担当インドネシア人を紹介してもらい、直接話をするという許可を取って、インドネシア人スタッフに電話し、アポをとる、其の方が、日本人にとっても、知らないことに首をつっこまないで、現地調達できればその方がいいに決まっている。
 
私もそうだが、従業員皆さんの自分の携帯電話に頼っている。電話がいつ使えるようになるのか、はっきりしないうえに、使える電話の場所までは200m位歩かなくてはならない。FAXが困る。本当に200m先までとりに行かなければならない。ネットもまだなので、これも、個人が使っているXLかフラッシュなど、個人の携帯帯電話からアクセスしている。これに関して、何の、指示や手当もない。要するに、そういうことに気を使っていないのです。電話が無くて、既に生産や納品をしているのです。なにか、そこで、ありそうなものですが、何もない。

 家探し、4月末で、今のところの契約が切れるので、新しい住処を早く探して引っ越しをしなければならない。一か月の家賃が1万5千円程度のところを物色している。しかし、どちらかというと借家より売り家の方が多いし、建物も、新しい。二百万円前後で、200㎡の土地に120㎡位の建物(一階建て、2LDK)が手に入る。収得税は5%かかるそうです。借りるのではなく,買うことに決めた。
 家賃は二万円と設定して、会社から毎月二万円補助してもらうことにする。平均的日本人に掛けるお金は、家賃十二万円プラス電気代や、NHK代、お手伝いさんなど、家だけで、15万円以上になる。それを私は二万円だけでOKと言っているのです。あまり、書きたくないが、運転は自分ですし、車も自分で買ったものです。車関係に私個人に関する会社の負担はナシです。完全にボランティアです。PT,KITAGAWAの時もPT,AFMIの時もそうでした。それでも、こういう人だから、パワハラの対象になるのでしょうね。嫌味な奴と思われるのでしょうね。

 監獄島のネサカンバンガンからパンガンダランの半島を振りかえる。インド洋に面しているが波は穏やか、ここで、沖まで泳ぎ仰向けになって空を見上げてポッカリ浮いて流れに任せる。このまま、沈んでしまってもいいような気になる。実際に眠くなる。鼻から水が入って我に返る。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUから押出製品の出荷が始まりました。新たに5ラインが入って10ラインになりました。10日にもう二ライン入ります。
射出はオリエンタルから購入した成形機を点検整備中です。今月いっぱいかかりそうです。
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豊富な天然資源

2010-03-01 18:03:09 | 行きすぎ
昨日とはうって替わって目的地に行くことができた。それも、アンペラ橋のたもとから、ポンポン船をチャーターして、Puleu Kemarao へいった。Musi川の川幅はこのパレンバンの街を通過する場所では500mはありそうで数千トンともわれるフリーや貨物船が行き交っている。石炭、天然ガス、小麦やコメ、その他、ガソリンや灯油、軽油を積んでいる船も往来している。正に大動脈である。100km以上下流のバンカ海峡にそそいでいて、マラッカ海峡に出てジャカルタなど向かう。ジャカルタ発の大型フェリーがぎりぎりの状態でJembatan Ampera(アムペラ橋)の真ん中を通過していた。私は思わず頭を下げてしまった。
 両岸にはプルタミナのガスステーションやプルタミニが水の上に浮いた状態で作られていた。タンクローリー風の給油船も当然行き来している。その状態は、カリマンタンのバリトー川やマカカム川でもみられた。
 大変活気がある資源搬出基地という感じで、嘗て、日本がこの土地を手に入れたかった理由が分かった。化石燃料資源が殆どない日本は南方に向かい、スマトラやボレネオ(カリマンタン北部)を先ず、手に入れたかったのでした。

 30分ほど河口に向かうと目的の中華系のけばけばしい何重かの塔が見えてきた。直径は100mほどでしょうか、川幅の五分の一位でした。昨日の夜まで三日間、この島のお祭りがあって、お賑わいだったそうで、その名残で、ゴミだらけ、それを燃やす煙が行くぐるしくさせてくれた。塔は九重でした。上ることはできず。他にも、日本のお寺や陣所のようにお百度参りのようなものをしている風景も見られた。私も他の場所で、やったことがあるが、めんどくさいし、いちいち、紙を焼くのが嫌で、二度とインドネシアのブッディストの祈り方はしない。今回も、簡単に賽銭を投げて手を合わせただけだった。
 それにしても、ここは裏切り観光地の候補に立候補させたい。
土産物を買って、空港に向かった。otak-otakとpempekをCANDYという店で買った。Otak-otakは空港へ着く前に10本全部食べてしまった。Pempekの味はotak-otakと同じであるが、バナナの葉っぱに包まれていない。インドネシア人はいずれも、大変からいサンバルを着けておいしいおいしいと言って食べる。私は、辛いだけでおいしくも何ともない、何もつけないでそのまま立出た方がおいしい、ワサビ醤油で食べれば、なおおいしいはずである。私の、メールアドレスはotakatsuoとotak-otakを掛けてある。

 装置の移転は終わり、電気などの接続も終わった。明日は、スイッチオンセレモニーが行われる。
 Jembatan Ampera(アムペラ橋)をくぐる大型フェリーその名もJembatan Musi 1 Jakartaと言います。ご存知かた焼きそばIfu Mieです。リバーサイド レストランで食べた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUで押出の成形が始まりました。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行いました。
 インドネシアの押出成形業界の中心になります。
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パレムバン

2010-02-27 19:19:25 | 行きすぎ

 朝、03:00起き04:00出発、スカルノハッタから07:00離陸、パレンバンには08:00到着、新しい、斬新なデザインのターミナルでまだ、汚れていない。大都市の予感がする。タクシー紹介のシステムも、場所は違うが、ウングラライやスカルノハッタのようにタクシー会社のカウンターで申し込むことになる。空港でホテルを紹介してもらい、そのまま、街の中心にあるホテルへ直行した。30分ほどで、7万5千Rpでした。
そんなことで、今どこにいるかというと、スマトラ島の南東、パレンバンです。先日紹介したバンカ島の西です。戦時中、日本の落下傘部隊が降下した作戦は、当時、大きく戦果を報道されたとか、父親から、聞いたことがありました。早速,博物館(Sultan Mahmud Badaruddin ⅡMuseum)行くと、そこの管理人が、インドネシア人の観光客が入れないように扉を閉めてしまって、管内の明かりも全部点灯し、私を案内してくれた。日本人の兵隊が私の親と一緒に独立戦争を戦ってくれたとかで、“真白き富士の気高さ・・・”と、歌いながら、得意げに案内してくれた。インドネシアでは大変珍しく、管理人の住処のようになっていないで、また、陳列品の手入れも良く、埃がかぶっていることはなかった。次に行った博物館(Bala Putra Desa Museum)は受付がいなくて、大声で読んだら出てきたが、どうも、奥の扉の後ろで、何か食べながら、テレビを見ていたらしい。全く、案内もせず、展示品も、ところどころ、隙間があって名札だけがあって、展示品が無い。
 その管理人が家に良いものをしまってあるので、良かったら見ていって欲しいと言われて、すぐ隣の家までくっついて行った。見せられたのは、日本軍が占領時代の軍票である。大日本帝国政府と書いてある。10Rp札を買わされた、1千円で買った。記念品である。私が今まで見たことが無いものだった。

 町中に織物をしていて直売している店が並んでいる通りがあった。Songket(ソンケット)
言って、バティックとは別物、バティックはロウケツ染めでが、ソンケットは様々な色の糸を編みこんで、繊細な模様を出すのです。織っている作業場を見学したが、大変複雑で、何をしているのか分からなかった。

 昼間も、其のあたりを通り、近くから遠くから眺めた、インドネシアでは有名なSungai Musi(ムシ川)にかかるJembatan Ampera(アムペラ橋)のライトアップの風景を見に夜出かけた。月がきれいだった。Palembangの人たちの誇の橋であり、憩いの場所である。
ホテルはその橋の近く、ベチャで8000Rpの距離、Hotel Awarna Dwipaです。ツインデッドルーム40万Rpです。

 しばし、現実から逃避して、エンジョイしようと思う、
Jembatan Ampera(アムペラ橋)のライトアップと月。
藤、ロタン?ラタン?の作品、近い将来、プラスチックのイミテーションを作ろうと思っている。
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