南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆私の子供達

2010-08-29 21:27:59 | 行きすぎ

午前中はゴルフ、午後から夜にかけて会社。今日も明日もオーバータイムで生産や後加工を続行する。私の子供達は全員張り切って仕事をしてくれている。頼もしい子供たちである。インドネシアの難しい押出成形は将来、私の子供たちが背負って立つ、必ず、である。いま、何社かの押出成形をしている会社があるが、いじれも、簡単なもので、品質もそれほどでもない。何より、インドネシア人自身で、新しい製品を生み出す力を持っているのは私の子供たちだけです。

私が作った装置で私が作った金型で、私がお手伝いした会社の製品をそのまま作っているPT.KITAGAWAから引き継いだ会社があるが、その会社は、そこまでです。その先はない。その仕事が終わったり、モデルチェンジになったりすれば、仕事はなくなる。新しい仕事を手掛けることはできません。こちらから積極的に営業活動をしなくても、PT.NANBUは明らかに下流にある。上流にある会社が、魚を捕まえる方法を知らないので、待っていれば魚は飛び込んでくる。そしてそれはPT.NANBUのインドネシア人が捕まえる。

 

 プラスチックの押出以外にも、射出関係で同じくらいの人数の子供たちがいる。PT.KITAGAWA時代にも私に愚痴を言いに来た連中である。押出に比べれば優遇された子供たちだが、PT、KITAGAWAの彼らの上司だった日本人が、彼らの仕事の面倒をみるなどということはしないし、とてもできない。結局、路頭に迷う羽目になってしまったわけで、頼りは私しかいない。頼まれれば、何とかしてあげなければならない。幸い、PT.NANBUでも何人かは雇ってもらえたし、その他の会社にも紹介してやることができた。

その彼らと、一緒に、仕事ができるのはそう長くない。最長でも一年半くらいだろうか、彼らのためでなく、自分自身のためだけにしなければならないことがある、それを済ますのに最長で一年半かかるからです。

 

私が資金援助をして何人かの子供たちを通わせ卒業させた、コンピューター情報技術関連の学校、専門学校BSI(BINA SARANA INFOMATIKA)である。ジャカルタ周辺のちょっとした町に分校がある。この建物はチカランバラットのインターチェンジ近く。夜間に通う学生も多い。結構、人気がある学校である。

渋滞に現れる飲み物やタバコを売り人、プアサの時期でも売り上げはあまり変わらない。

指導  援助  権利行使


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