そう決めたわけではないですが、自然の流れです。
先週は、すみだトリフォニーホールで若きドイツのピアニスト、マルティン・シュタットフェルトのリサイタル。マルティン君と君づけしたくなるような若々しさで、バッハの平均律クラーヴィア曲集の第一巻、つまりBWV846-869番の24のプレリュードとフーガを休憩をはさんで一挙にこともなげに弾ききってました。
むろん、わたしの本命は何といっても、11月に来日してやはり平均律クラーヴィア曲集の第二巻を披露してくれるセルゲイ・シェプキンですから、2人の平均律を聴き比べてみよう!というセット券にしっかり乗じた形です。
でも、このセット券がものすごくお得で(両方あわせてA席なら5000円)、2500円で上質のバッハが聴ければ万歳万歳です。
でも、平均律クラーヴィアはやっぱりちょっと耳に難しいね。渋いというのか。家にはグールドのCD4枚組があるのだけど、いつも1枚めしか聴かない!(つまり、第一巻の第12番まで・・) ちょっと反省して、あれからi Podに入れて耳慣れしようとしてますが、なかなか・・。
バッハが記した序文には「これから音楽を学ぶ若者のために役立つばかりか、すでに技術を習得し、音楽を趣味とする人でも特に楽しめるように作曲した」と書かれてあるそうですが、ゴルトベルクやパルティータ、インベンションよりも楽しむためのハードルは高いと思うなあ。
それから一週間もたたない火曜日。雨の中、はるばる相模原市までまたまたバッハの傑作「マタイ受難曲」を聴きに馳せ参じましたぞよ。
バッハはくせになるんですよ。気持ちいいですから。ひとりゾクゾクする秘やかな快感ですけどね。
で、相模原市ってどこ?って感じの関西人が電車を何度も乗り継いで行きましたが、この杜のホールはしもとというホールが良い感じなんです。二階席の最前列でしたが、舞台から遠くない。字幕スーパーを追ってますから、これくらいの距離がちょうど。
しかも・・って、あ~話だすとキリがない。興味ない人にはつらいわね。ここでやめとくか。とにかく日米のバッハ研究の権威二人(アメリカ側がジョシュア・リフキン氏、日本側が礒山雅氏)が、18世紀の演奏法を極力活かして、ということで、いわゆる通常の壮大なスケールの受難曲とは一線を画した、非常にインティメイトな室内楽的受難曲、新鮮ですよ(しかも、バッハの時代を踏襲して、皆、25才以下という若さ!初々しい!)
物量に頼らないという点では、良質な作りのヨーロッパ映画を観ている気分。
でも18時半開演で、終わったのが22時10分。へとぴーーー。
それから、また1時間半ほどかけて帰宅・・と思った途端、くらくら。夕ご飯食べてなかったの~。つらい~。遅いおやつにミスドのドーナツ食べたのだけど、全然、足りてない~。駅のホームで、グミをほおばって、水を流し込み、空腹感をごまかす、という優雅とはほど遠い姿でした。
腹ごしらえすると神経が鈍くなると思ってさ、食べてかないんだよ。でも、パリじゃないんだから。電車で帰宅することを考えなきゃいけないんだから、夜に文化を実践するのも体力勝負だね。