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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(28)

2004年12月11日 | 変形
EG24、EG25、EG26、EG27の続きです。関係節と同格節の共通した特徴です。以下、見ましょう。

(1)The rumor [ that John talked about the scandal ] is going around.
  ([ ジョンがそのスキャンダルを話題にしたという ] うわさが広まっている。)

(2)The rumor [ which John talked about _ ] is going around.
  ([ ジョンが _ 話題にした ] うわさが広まっている。)

(1)のカギカッコ内は同格節であり、一方、(2)のカギカッコ内は、関係代名詞の‘which’を用いた関係節です。ポイントは、(1)のように、同格節内には、‘rumor’「うわさ」に該当するような空所がなく、一方、(2)のように、関係代名詞による関係節内には、‘rumor’に該当する空所がある、ということです。

その意味としては、(1)では、ジョンが、あるスキャンダルをキャッチして話題にしたら、その行為がうわさとなって、周囲の人々を通して広まっている、と言っているのに対し、一方、(2)では、例えば、ジョンやトムが、それぞれ聞きつけたうわさがあるが、ジョンの聞きつけて話題にしたうわさの方は、特に広まってしまった、というようなケースです。

(3)The rumor is going around [ that John talked about the scandal ]. (〇) (訳同(1))

(4)The rumor is going around [ which John talked about _ ]. (〇) (訳同(2))

そこで、(3)と(4)ですが、(1)に対応しているのが(3)で、一方、(2)に対応しているのが(4)です。それらのカタチとしては、(1)の同格節が文の末尾に位置しており、一方、(2)の関係節も、同様に、文の末尾に位置しています。そして、(3)も(4)も、共にOKとなっています。

そこで、(1)の同格節であれ、(2)の関係節であれ、‘rumor’にかかる節であることに違いはないわけですから、(1)や(2)のように、‘rumor’にピッタリとくっ付いて合体している状態が原則なんですが、(3)や(4)のように、共に、‘rumor’から切り離して用いてもOKになる場合がある、ということなんですね。これは一体どういうことなんでしょうか。

(5)The rumor [ which is going around ] is denied by Mary. (〇)
  ([ 広がっている ] そのうわさは、メアリーには否定されている。)

(6)The rumor is denied by Mary [ which is going around ]. (×)
  (訳同(5))

そこで、(5)の関係節を、(6)のように、文の末尾に移動してみましたが、今度は、何とアウトになってしまいました。 関係節は、(2)から(4)のような変形は、確かに、OKになるんですが、一方、同じ性質であるハズの(5)から(6)の変形はアウトになってしまうわけですね。

つまり、関係節を文の末尾に移動する変形には、それをOKにしたりアウトにしたりする、何らかの制約が存在すると見なければなりません。そこで、‘rumor’「うわさ」という単語の意味に注目してみたいと思います。一般に、「うわさ」は、人から人へと伝えられていくものです。ですので、主語‘the rumor’に対して、‘is going aroud’「広がる」という述語が選ばれるのは、別に意外性も何もない、ということになります。

しかし、うわさが否定されるということは、広がって当然のはずのものに歯止めをかける何かが存在するという、言わば、意外性のある情報の存在を示唆することになりますから、これは、聞き手にとっては、反応度の高い関心事になる可能性が十分にあります。

こういった視点から、(6)がアウトになるのを考えると、「うわさの否定」は、情報としての価値が高いと思われるのに、‘is denied by Mary’「メアリーに否定される」という述語を飛び越えて、相対的に情報としての価値が低い‘which is going around’「広がっている」が、文の末尾に移動したからだ、と言えるのではないかと考えられます。

つまり、(5)から(6)の変形が阻止されるのは、情報としての価値に重点が置かれるものと、そうでないもののバランスが、位置関係としておかしいと判断されることに起因しているものと思われます。そこで、(2)から(4)の変形がOKになっているのは、‘the rumor’に対して、‘John talked about’「ジョンが話題にした」という関係節が、誰が取り上げた話題なのかという点で関心事になり得るし、かつ、それが‘going around’よりも情報的価値が高いと見なされているからだと言えます。

そして、(2)と(4)は両方ともOKであることから、関係節の基本的なカタチを守った(2)のような文の場合は、特に、情報的価値うんぬんとは関係なく、OKになるということですね。ですので、(5)は、基本的なカタチのままで、情報的価値のある‘is denied by John’が文の末尾にあるので、わざわざ、その基本形を破壊してまで、変則的な(6)のような移動変形を施す必要はない、ということになります。

(7)The rumor [ that John talked about the scandal ] is denied by Mary. (〇)
  ([ ジョンがそのスキャンダルを話題にしたという ] うわさは、メアリーには否定されている。)

(8)The rumor is denied by Mary [ that John talked about the scandal ]. (×) (訳同(7))

今度は、同格節になりますが、(7)では、‘the rumor’の具体的補足をカギカッコ内の同格節が担っています。同格節の場合、関係節とは違って、どんな名詞でも、かかる相手にすることができるというわけではなく、抽象名詞に限られますので、例えば、「うわさ」のような抽象名詞は、もともと、具体的な補足を前提としている名詞と言えます。

つまり、かかる相手となる抽象名詞からすれば、もともと、同格節の存在そのものは、当然の前提となっているので、同格節が表す内容は、関係節の表す内容ほどにはバラエティに富むものではなく、情報的価値が高いものではないという傾向があります。 (もちろん、関係節は、表せる内容に自由度がある分だけ、その情報的価値は、ピンからキリまである、ということになり、(4)と(6)のようなコントラストが発生します。)

そこで、(3)のように、‘the rumor’のような主語に対して、‘is going around’のような述語なら、同格節の具体的内容にも相対的に情報的価値が発生して、文の末尾に移動しても、OKになりますが、しかし、一方、(8)のように、「うわさの否定」ということになると、やはり、そのうわさの内容よりも、否定されているという事実の方が情報的価値が高いと見なされますので、文の末尾に同格節が移動するとアウトになります。

今回のポイントは、関係節と同格節の共通点として、かかる名詞からの切り離しが可能であるという点と、その容認可能性が、同一の制約から導き出されるということです。その制約の本質とは、相対的な「情報的価値」という、通常の文法的な法則とは極めて異質な概念によるものです。

英語において、カタチが変化するという文法現象が、時として複雑に思えるのは、こういった純粋に文法上の制約とは考えられないような概念に強く縛られているケースがあるからです。こういった概念の存在は、よく、その本質が理解されず、誤解されたままで、解説本などの話題の出しに使われがちなので、実用に耐え得るカタチでは、なかなか一般には浸透していないようです。また機会があったら扱ってみたいと思います。

■注 :今回扱った、名詞 (句) からの節の切り離し現象に関して、よくある解説としては、一般には、「文末重点原理」であるとか何とかいった解説のものが大半ですが、「~ 原理」などと、大仰な呼び方を紹介するだけで、その割には、(6)や(8)のような例とのコントラストを全く無視した解説が多く、何でもかんでも、(3)や(4)のように文末に移動できるとカン違いしている解説本やサイトがあるので、要注意です。

●関連: EG24EG25EG26EG27

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英語学習法(27)

2004年12月11日 | 
EG25の続きです。「同格節」です。以下、見ましょう。

(1)John believes [ that Mary is honest ]. (ジョンは [ メアリーが正直者だと ] 信じている。)
(2)John's belief [ that Mary is honest ] ([ メアリーが正直者だという ] ジョンの信念。)

(1)の文は、動詞‘believe’「~ と信じている」が、‘that’節を目的語として取っています。一方、(2)ですが、抽象名詞‘belief’「信念」の直後に、‘that’節がピッタリとくっ付いています。(1)も(2)も、両方とも、‘that’節の内容は同じで、‘Mary is honest’「メアリーが正直者だ」です。

ここで、(1)と(2)の差異ですが、比較してみて明らかなように、お互いの意味は、ほぼ同じであり、あえて、違いは何かと言われれば、それは、意味というよりも、むしろ、動詞‘believe’と名詞‘belief’という、品詞にもとづいた文法的な違いの方が大きいと思われます。

(1)の動詞‘believe’を中心として、‘John’は主語であり、‘that’節は、目的語ですが、一方、(2)の名詞‘belief’の直後にある‘that’節は、同格節であり、「抽象名詞+‘that’節」のカタチとなっています。そして、‘belief’の前には、所有格のカタチをした‘John's’があります。ですので、(2)のカタチは、「所有格+抽象名詞+‘that’節」というカタチをしています。

つまり、「動詞‘believe’→名詞‘belief’」の変形 (語形変化) にあわせるカタチで、文法の側でも適切な変化が起こった、ということですね。ポイントは、(2)の所有格‘John's’が、(1)での主語に相当する役割を果たし、一方、‘that’節が、(1)での目的語に相当する役割を果たしている、ということです。

一般に、同格節は、「抽象名詞+‘that’節」のカタチで、抽象名詞の具体的内容を‘that’節によって補足するという手段が、文法の側で許されている、ということに最大の特徴があるのですが、(1)をもとにして、(2)のような変形があると考えると、ある程度は、同格節が起こり得る許容範囲を絞り込むことが可能です。

(3)John criticizes Mary. (〇) (ジョンは、メアリーを批判している。)

(4)John criticizes [ that Mary is dishonest ]. (×)
  (ジョンは [ メアリーは不正直だと ] 批判している。)

(5)John's criticism [ that Mary is dishonest ] (×)
  ([ メアリーは不正直だという ] ジョンの批判)

(3)はOKですが、一方、(4)はアウトとされています。‘criticize’「~ を批判する」という動詞は他動詞であり、目的語を取ることはできますが、それは、単純な名詞のみであり、‘that’節は (例え、「名詞」節と言えども) 許されないという制約があります。これは、もうそういうものだと覚えておく以外に方法はありません。

そして、‘criticize’「~ を批判する」という動詞は、語形変化によって、‘criticism’「批判」という抽象名詞をつくりだすことが可能ですが、(5)のように、「抽象名詞+‘that’節 (同格節)」のカタチで使うとアウトになります。つまり、抽象名詞ならば、何でも直後に‘that’節 (同格節) を続けることができるわけではない、ということになります。

(2)のような同格節はOKですが、一方、(5)のような同格節はアウトである、といった事実から、こういった基準は、どうやら、動詞の語形変化から、派生的に得られる抽象名詞の場合、そのもととなった動詞の語法が基準になって、同格節が取れるか否かの可否が決まる、ということのようです。

(6)John tends to talk about scandals. (〇)
  (ジョンは、スキャンダルを話題にする傾向がある。)

(7)John tends [ that he talks about scandals ]. (×) (訳同上)

(8)John's tendency to talk about scandals. (〇)
  (スキャンダルを話題にするというジョンの傾向)

(9)John's tendency [ that he talks about scandals ]. (×) (訳同上)

(6)と(7)のコントラストから明らかなように、動詞‘tend’は、後に‘to’不定詞をともなうことが決まっていて、‘that’節を取ることができません。そこで、「動詞‘tend’→名詞‘tendency’」のように、語形変化が起こった場合、(8)のように、そのまま、‘tendency’「傾向」に、‘to’不定詞を後続させることは可能ですが、一方、(9)のように、‘that’節を後続させることは不可能です。

これは、もちろん、抽象名詞であるならば、何にでも‘that’節を後続させることによって、その具体的内容を補足することができる、というわけではなく、そのもととなった動詞が‘that’節を取り得るかどうかが、同格節を取れるか否かの可否の基準になっているからです。

(10)John is aware [ that Mary is dishonest ]. (〇)
  (ジョンは [ メアリーが不正直だと ] 気付いている。)

(11)John's awareness [ that Mary is dishonest ]. (〇)
  ( [ メアリーが不正直だという ] ジョンの自覚)

(10)は、‘aware’「気付いている、自覚している」が形容詞ですが、何に気付いているのか、という意味的な補完が必要とされる点で、その対象が‘that’節として現れることが許されている形容詞です。 (ある述語が意味的な補完を要するため、本来、副詞として考えられるものを必須要素として取り込んでいるケースについては、EG46をはじめとする「前提の概念」全般を参照。)

ですので、(10)はOKになるわけですが、そこから、「形容詞‘aware’→名詞‘awareness’」というような、形容詞からの語形変化で派生される抽象名詞からも、‘that’節が同格節として後続できるか否かの可否が決定可能です。

つまり、(11)のように、抽象名詞‘awareness’が、同格節として‘that’節を後続させることができるのは、(10)を基準にしているからである、と言えます。このことから、動詞が目的語として‘that’節を取れるかどうかという場合に限らず、形容詞であっても、‘that’節が取れるものならば、その語形変化から得られる抽象名詞は、同格節として‘that’節を後続させることができるという、より広い一般化が可能であることになります。

しかし、もっと広い視野に立つならば、(6)から(8)の派生がOKであるという事実があり、その‘to’不定詞も具体的内容の補足をしているわけですから、‘to’不定詞も、意味的には同格節の一種であり、何も‘that’節のみが同格表現であると限定する必要はない、と考えられます。

要するに、抽象名詞に対して、「~ という」のような日本語の側から、‘that’節を補う発想をもつよりも、少し手間はかかりますが、該当する抽象名詞がどのような成り立ちであるのか、その派生経緯を予め知っておくことの方が重要である、と言えます。 (この発想と類似する構文は、EG52、参照。)

今回のポイントは、‘that’節による同格節は、見た目ほどには単純ではない、ということです。つまり、抽象名詞に対して、安易に、「~ という」のような日本語で対応させて、‘that’節を後続させるとアウトになる場合がある、ということです。

このような間違いを上手く回避するには、その抽象名詞のもとのカタチである述語が、後続させる表現として、どのようなカタチを文法的に許しているのか、その派生経緯を遡って考えてみる必要があります。また、同格表現は、‘that’節のみに特権が与えられているわけでもなく、実質的には(8)のような‘to’不定詞も、意味的には、同格表現と言える点で、そのカタチには様々な種類があることも予想されます。

‘that’節以外の同格表現の種類については、またの機会に扱ってみたいと思います。

■注 :同格節としての‘that’節が取れる抽象名詞を判別する上で、最も難しいケースとしては、ある述語からの派生とは思われないような抽象名詞の場合です。数としては、そう多くはありませんが、例としては、‘idea’「考え」、‘effect’「主旨、要点」、‘story’「話」、‘news’「知らせ、ニュース」、‘law’「法則」などがあります。

●関連: EG25EG46EG52

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英語学習法(26)

2004年12月11日 | 関係節
EG24の続きです。関係代名詞です。以下、見ましょう。

(1)bread [ John ate _ ]. ([ ジョンが _ 食べた ] パン)
(2)bread [ which John ate _ ]. (訳同上) 

(1)では、関係代名詞がないんですけど、(2)のように、関係代名詞‘which’を、カギカッコの先頭に置いてやると、関係代名詞を使った関係節ができ上がります。この点のみ、(1)と(2)は、異なるということなんですが、別に、お互い、意味は変わりません。

ですので、(1)も(2)同じで、関係代名詞の有無は好きに選べばよいだけなのです。日本語には、関係代名詞に相当するものがありませんから、英語と日本語を、うまく対応させようとすると、(1)のように、関係代名詞はない方がよいので、この場合、結局、英語と日本語の違いは、語順の他は、関係代名詞があるかないか、ですね。

そこで、(1)と(2)では、カギカッコ内で、目的語の位置が空家になっていますが、今度は、主語の位置が空家になる例を見てみましょう。

(3)the boy [ who bought bread ]  (〇) ([ パンを買った ] 少年)
(4)the boy [ bought bread ]  (×) (訳同上)

(3)は、カギカッコの関係節が、‘the boy’にかかる表現として、OKですが、一方、(4)は、カギカッコの関係節が、‘the boy’にかかる表現としては、アウトになります。 (ただし、‘the boy’を主語にして、‘bought bread’を述語にする、というようにして、「少年は、パンを買った」、の意味にするならば、OKになります。) 

この主語に相当する関係代名詞の‘who’は、(1)のように、目的語が空家になっている関係節の場合とは違って、省略することができませんので、注意が必要です。ところで、(3)からでは、主語が空家になっているかどうかが、ちょっとわかリにくいので、そこのところを、もう少し詳しく見ましょう。

(5)Susan thinks [ the boy bought bread ]. (〇) 
  (スーザンは [ 少年はパンを買ったと ] 思っている。)

(6)the boy [ who Susan thinks [ _ bought bread ] ] (〇)
  ([スーザンが [ _ パンを買ったと ] 思っている ] 少年)

(5)は、内側のカギカッコ、‘the boy bought bread’「少年はパンを買った」、の部分が、主語‘the boy’をもっています。そこで、(5)をもとにして、関係節(6)をつくります。 すると、(5)のカギカッコ、‘the boy bought bread’は、主語‘the boy’を失い、(6)では、‘bought bread’のみになります。

そのかわりに、‘Susan’の前、つまり、関係節 (外側のカギカッコ) の先頭に、‘who’が現れます。この(6)の例では、(5)との対比から、「空家の条件」にしたがうことで、‘the boy bought bread’から、主語‘the boy’が消えているのが、ハッキリとわかりますね。そこで、外側のカギカッコ、‘who Susan thinks bought bread’は関係節となっているわけですから、‘the boy’にかかる資格を得ることができるのです。

この、(5)から(6)がつくられるプロセスを、別の言い方で説明するならば、(5)の‘the boy’は、‘who’に置きかえられて、(6)にあるように、外側のカギカッコまで、「移動」した、と考えることができます。これは、疑問文の‘who’「誰」が、文の先頭に移動するケースと似ていますね。

(7)John loves Susan. (ジョンは、スーザンが好きだ。)
(8)Who did John love _? (ジョンは、誰が好きなのさ?)

(7)から(8)の疑問文をつくるには、‘Susan’「スーザン」が、‘who’「誰」に置きかえられて、文の先頭に移動しています。あと、補足になりますが、関係代名詞‘who’は、ヒトに対して用いる専用表現ですので、その他に関しては、‘which’や、‘that’を用いる、というような決まりごとがあります。

(9)A dog is always barking. (ある犬がいつも吠えている。)
(10)a dog [ which is always barking ] ([ いつも吠えている ] 犬)

(9)をベースにして、(10)のような関係節をつくります。そこでは、カギカッコ内の、主語に当たる表現‘a dog’「犬」が、関係代名詞‘who’ではなく、‘which’に置きかわって、関係節の先頭に位置しています。もちろん、犬は、ヒトではないからですね。ところで、(10)でも、やはり、カギカッコの関係節内の主語位置に、空家があるかどうか、確認しづらいですね。

(11) I think [ a dog is always barking ] ]. 
  ([ ボクは [ ある犬がいつも吠えている ] と思っている)

(12)a dog [ which I think [ _ is always barking ] ] 
  ([ ボクが [ _ いつも吠えている ] と思っている ] 犬)

(11)をベースにして、(12)をつくってみます。(11)のカギカッコ内での主語‘a dog’が、(10)の内側のカギカッコ内では、消えているのが、ハッキリわかりますね。かわりに、外側のカギカッコの先頭、つまり、関係節の先頭に‘which’が現れています。

これは、先に説明した、(5)から(6)をつくるような、‘who’を使った関係節と、つくり方は同じですね。ただ、犬は、ヒトじゃないから、‘which’を使っている、という点が異なるだけです。最後になりますが、‘a dog’「犬」が、目的語になる場合でも、その関係は変わりません。

(13)Lucy loves a dog. (ルーシーはある犬を愛している。)
(14)a dog [ which Lucy loves _ ] ([ ルーシーが _ 愛している ] 犬)

今度は、(13)をベースにして、(14)をつくります。そこでは、やはり、‘a dog’「犬」に対応して、‘which’が使われています。そして、「空家の条件」も、しっかり守られています。ここで、(2)にもどって考えると、そこでも、‘which’が使われていますが、やはり、‘bread’「パン」が、ヒトではない表現だからですね。

以上が、関係節の大ざっぱな仕組みです。今回のポイントは、関係節内に、「空家」が必ず見つかるので、それが主語に相当するのか、目的語に相当するのかを見分けて、省略の可否を確かめればよい、ということですね。これがわかるようになれば、関係節の7割くらいは、征服したも同然です。しかも、実用性が非常に大きいので、是非ともマスターして下さい。

●関連: EG24

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英語学習法(25)

2004年12月11日 | 
今回、「同格節」というものを扱います。以下、見ましょう。

(1)John denies the rumor. (ジョンは、そのうわさを否定している。)

(1)の文では、‘rumor’「うわさ」という単語が使われていますが、「うわさ」は、抽象名詞であり、それが、どのような内容をもったうわさであるのかは、それ自体からは不明です。そこで、その「うわさ」に対して、具体的な内容を補足する方法があります。

(2)John denies the rumor [ that Mary dated Tom ] .
  (ジョンは、[ メアリーがトムとデートしたという ] うわさを否定している。)

(2)のように、‘rumor’の直後に‘that’を置いて、その後で、‘rumor’の具体的内容として、‘Mary dated Tom’「メアリーがトムとデートした」、というような文を付け足す、というやり方です。つまり、「‘that’節」と呼ばれるものが、具体的な内容を要する抽象名詞の直後に続くだけなので、単純と言えば単純です。 (‘that’節については、EG41、参照。)

この具体的内容の‘that’節は、一般に、「同格節」と呼ばれており、それが補足すべき相手となる抽象名詞にピッタリとくっついていることが基本となるので、例えば、(2)の‘rumor’が、移動変形などによって、どこか別の場所に位置変更したとしても、そのまま付いていくことになります。

(3)The rumor is denied by John. (そのうわさは、ジョンには否定されている。)

(4)The rumor [ that Mary dated Tom ] is denied by John.
  ([ メアリーがトムとデートしたという ] うわさは、ジョンには否定されている。)

(3)は、(1)の受身文ですが、(1)で、‘deny’「~ を否定する」の目的語だった‘rumor’が、(3)では主語になっています。そこで、‘that Mary dated Tom’のような具体的内容の‘that’節、つまり、同格節は、やはり、‘rumor’の直後に置かれますので、結果として、主語位置に置かれることになります。

要するに、抽象名詞と、その具体的内容を補足する同格節は、1つに合体しているとも言える状態であり、それは意味的な面からも考えても、自然なものと思われます。ただし、1つに合体しているとは言っても、その文法的な主導権は、抽象名詞の側にあります。

(5)John talked about the rumor [ that Mary dated Tom ]. (〇)
  (ジョンは、[ メアリーがトムとデートしたという ] うわさについて話した。)

(6)John talked about the rumor. (〇)
  (ジョンは、そのうわさについて話した。)

(7)John talked about [ that Mary dated Tom ]. (×)
 (ジョンは、[ メアリーがトムとデートしたこと ] について話した。)

まず、(5)ですが、「抽象名詞+同格節」である、‘the rumor that Mary dated Tom’が、前置詞‘about ~’の目的語になっており、OKである、という事実を踏まえて、(6)と(7)のコントラストを考えてみます。そこで、(6)はOKですが、一方、(7)はアウトです。

一般に、単なる名詞や名詞句は、前置詞の目的語となることが可能なので、名詞句‘the rumor’が、前置詞‘about ~’の目的語である(6)がOKになるのは、当然ということになります。一方、‘that’節は、特殊なケースを除いて、前置詞の目的語になることが不可能とされていますので、‘that Mary dated Tom’が、前置詞‘about ~’の目的語である(7)がアウトになることも、また、当然と言えます。

ここで、(5)がOKになるのは、「抽象名詞+同格節」である、‘the rumor that Mary dated Tom’では、名詞句‘the rumor’が、主導権を握っているからであり、故に、前置詞‘about ~’の目的語として適合する、という考え方が成り立ちます。

これを言いかえれば、「かかるもの (従)」と「かかられるもの (主)」という依存関係が、「抽象名詞+同格節」の中には存在していて、抽象名詞の側が、「かかられるもの (主)」であり、一方、同格節の側が、「かかるもの (従)」、という関係になっていると言えます。つまり、「抽象名詞+同格節」は、1つに合体して、それ全体が抽象名詞を核とした名詞句になっている、と考えられます。 (名詞句については、EG19、参照。)

ところで、同格節は、名詞にかかる、という性質をもっていることから、よく、同様に、名詞にかかる性質をもった関係節との類似性が問題になったりしますが、一応、文法的には、同格節は、関係代名詞を用いた関係節とは、決定的に異なる点があります。 (関係代名詞の基本については、EG24、EG26、参照。)

(8)the rumor [ that John talked about the scandal ] (〇) 
  ([ ジョンが、そのスキャンダルを話題にしたという ] うわさ)

(9)the rumor [ that John talked about _ ] (〇)
  ([ ジョンが _ 話題にした ] うわさ)

(8)は、カギカッコ内の‘that John talked about the scandal’が、同格節となっていますが、一方、(9)では、カギカッコ内の‘that John talked about _’が関係節となっています。これら両方の節における違いは、一目瞭然で、前置詞‘about ~’の目的語が、あるかないかです。 (前置詞をともなう関係代名詞については、EG54、参照。)

そこで、(8)の同格節は、主語も目的語もしっかりそろっていて、特に、空家 (空所) となるような箇所はありませんが、一方、(9)の関係節は、前置詞‘about ~’の目的語が欠けており、不完全な文になっています。これは、関係節 (カギカッコ内) の先頭に位置する関係代名詞と、下線部の位置 (つまり、目的語の位置) のような空家が、密接なつながりをもっているためです。

(9)の場合は、‘that’が使われていますが、一般に、関係代名詞 (‘who’、‘which’、など) は、文の中の、ある要素が、それに置きかわって関係節の先頭まで移動することがルールとなっていますので、その結果として、当然、関係節の中には、どこかにその空所が残されることになっています。これが、関係代名詞による関係節が不完全な文となる原因です。

この場合、関係代名詞に置きかえられたもとの表現は、関係節によって「かかられるもの」 (一般に、「先行詞」と呼ばれているもの) に該当する表現であるのが通例ですので、(9)の場合、もともと下線部の位置を占めていた表現は、‘rumor’に相当する表現であったことは簡単にわかります。つまり、おおよそ、(6)のような文が変形して、(9)の関係節がつくられた、ということになります。

ですので、(8)の場合、‘about ~’の目的語が‘the scandal’なのに対して、一方、(9)の場合、‘about ~’の目的語は、もともと、‘scandal’とは違うものである、ということになり、空所とその空所を補う表現を見つけるプロセスの分だけ手間がかかりますので、関係節の方が、いくぶん、ややこしい成り立ちになっています。

同格節と関係節の間には、このように、空所の有無といった違いはあるものの、しかし、共通点としては、どちらも、名詞にかかるという性質があるわけですから、かかられる側の名詞を含めて全体的には、同格節と関係節は、共に名詞句である、と言えます。

今回のポイントは、抽象名詞の具体的内容を補足説明するために、‘that’節が、特別に、その抽象名詞にかかることが可能になるケースがある、ということです。このような‘that’節は、「同格節」と呼ばれ、(9)のような関係節とは、空所の有無に関して、文法上、決定的な違いがあるものの、かかられる側の名詞を含めて全体的には、どちらも名詞句としての扱いになる点は同じです。

今回は、同格節に関しての初歩ということで、基本的な解説しかしていませんが、もう少し他の変種も扱う必要がありそうなので、別の機会にでも、扱ってみたいと思います。

■注1 :同格節の厄介な点は、抽象名詞ならば、何にでもかかることができる、というわけではない、という点です。例えば、‘tendency’「傾向」という抽象名詞の場合、‘John has a tendency [ that he talks too much ].’「ジョンは、おしゃべりが過ぎる傾向がある。」、というような表現はアウトで、その代わりに、‘John has a tendency to talk too much’というように、‘that’節以外の同格表現を使わなければなりませんので、‘that’節の同格節が使える抽象名詞かどうか、逐一、調べてから使うようにすることをお奨めします。

■注2 :同格節も、関係節も、共に、名詞にかかっている、という点からは、形容詞のように機能している節、ということになりますから、どちらも、「形容詞節」という呼び方もあります。


●関連: EG19EG24EG26EG41EG54

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英語学習法(24)

2004年12月11日 | 関係節
関係代名詞を扱います。以下、見ましょう。

(1)太郎がパンを食べた。
(2)[ 太郎が食べた ] パン

(1)と(2)は、何か関係がありそうです。(2)は「太郎が食べた」、の部分が「パン」にかかっています。この「太郎が食べた」は、該当する、「パン」に対しての付加情報です。だから、パンはパンでも、花子の食べたパンではない、太郎という人物が食べたパンなのだ、という情報付きの「パン」という事です。

こうすることで、世の中にたくさんあるパンの中から、どういったパンなのか、範囲をグッと狭め、限定することができるようになります。ところで、(1)では、「パンを」が、目的語になっています。しかし、(2)は、(3)から分かるように、カギカッコ内を(1)と比較すると、目的語がありません。

(3)[ 太郎が _ 食べた ] パン

(3)は、カギカッコ内に「空家」があります。つまり、目的語の位置にポッカリ穴が空いている、ということです。この空家ができるかわりに、カギカッコの表現は、その外にある、もう1つの「パン」にかかることができるのです。「かかる」、というのは、意味上の限定を加える、という意味です。この、「空家をつくる」、ということが、文法上の交換条件となって、限定能力を与えられるというわけです。英語も語順に注意しておけば、大体は同じ内容です。

(4)Taro ate bread. (太郎がパンを食べた。)
(5)bread [ Taro ate ]. ([ 太郎が食べた ] パン)

(5)から分かるのは、英語と日本語は、限定する側のものと、その限定を受ける側のもので、語順が左右逆です。つまり、カギカッコ内の表現である、[ Taro ate ]-[ 太郎が食べた ] と、‘bread’-「パン」が、左右逆語順だということです。それと、(3)で確認したような、「空家の条件」も英語には同様に存在します。(6)を見ましょう。

(6)bread [ Taro ate _ ]. ([ 太郎が _ 食べた ] パン)

ここで、‘ate’「食べた」 (‘eat’の過去形) は、他動詞 (目的語を取る動詞) の扱いを受けているので、本来は目的語を必要としますが、「空家の条件」によって、一見、自動詞 (目的語を取らない動詞) であるかのように見えています。でも、全く正しい英語です。これは、別に、‘ate’「食べた」が、他動詞から自動詞に変わってしまったというわけではありません。他の例で、それを確認しましょう。

(7)a. Taro talked about bread. (〇) (太郎がパンを話題にした。)
   b. Taro talked bread. (×) (訳同上)

(7a)は、「自動詞 (talked)+前置詞 (about)」を使った文です。自動詞は、前置詞の助けがあれば、目的語を取ることができるようになります。しかし、逆を言えば、前置詞の助けがなければ、目的語を取れないということです。‘talk about ~’「~ について話をする、~ を話題にする」という表現は、これ全体で、一種の他動詞としての扱いを受けることができます。自動詞‘talk’「話す」のみを用いた、(7b)が、アウトであることからも、それがわかると思います。では、これらの表現を使った関係節をつくってみます。

(8)a. bread [ Taro talked about _ ]. (〇) ([ 太郎が _ 話題にした ] パン)
   b. bread [ Taro talked _ ]. (×) (訳同上)

(8a)はOKですが、(8b)はアウトになってしまいました。(8a)において、注目すべきは、本来ならば、目的語が必要とされる、前置詞‘about ~’が、その直後に目的語を取っていないのに、OKであるということです。つまり、これは、本来、目的語を取るべきものが、目的語を取らない、ということが、この表現の特徴である、と言えそうです。

これは、逆に、(8b)のような、目的語が要らない、自動詞‘talk’「話す」のみを用いた表現がアウトであることからも支持されると思います。ここから、さらに、(5)の‘ate’「~ を食べた」も、やはり、他動詞としての性質を、(6)のように、そのまま保っている( 目的語が空家状態になっている) ことがわかります。

今回のポイントは、日本語と英語の関係節には、語順的に、左右対称ではあるものの、かなりの共通点がある、ということです。問題は、肝心の、‘who’とか‘which’とかの「関係代名詞」が、今回出てこなかったことですが、それは、またの機会に、ということで。(EG26に続く。)

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英語学習法(23)

2004年12月11日 | 変形
文が形式 (カタチ) を変えることで、意味自体はさして変わってもいないのに、やけに難解な印象を与える場合があります。以下、見ましょう。

(1)To drive this car is easy. (このクルマを運転するのは簡単だ。)
(2)It is easy to drive this car. (訳同上)

まず、(1)の‘drive this car’の部分ですが、動詞の‘drive’「~を運転する」は、他動詞で、目的語を取る動詞です。ですので、‘this car’「このクルマ」が目的語になっていますね。今度は、その直前にある‘to’も含めて考えると、‘to drive this car’全体で‘to’付きの不定詞のカタチになっています。これは、「名詞(的)用法」の不定詞 (EG38参照) になっていて、(1)の文では、この‘to drive this car’全体が主語の役割を果たしていると考えられます。

次に、(2)ですが、(1)とほぼ同じ意味をもつ文です。一般的には、(2)の先頭にある‘it’に‘to drive this car’が対応していると考えられています。言い換えれば、(1)で主語位置を占めていた‘to drive this car’が後に退いて、ポッカリと空いた空家の主語位置に‘it’を置くことで、空家を埋めたと考えてもいいでしょう。しかし、(1)から(2)へと、カタチが変わっても、意味が変わらないところが(1)と(2)のキモになっています。更に以下を見ましょう。

(3)This car is easy to drive. (訳同(1))

ん?またちょっとカタチが変わりましたね。(2)と(3)は、よく関係が深いと言われています。(2)の主語位置を占めている‘it’を消して空家を作り、その位置に‘this car’を移動して引越しをすると、(3)が完成するわけです。ですので、当然ながら、(3)では、他動詞 (目的語を取る動詞) の‘drive’「~を運転する」は、その直後にある目的語を、表面上は失ってしまいます。

ということは、(1)や(2)では、明らかに‘drive’は他動詞だったのに、(3)では自動詞 (目的語を取らない動詞) になってしまったという事か?いや、決してそういうわけじゃないんです。むしろ、構文(3)の性質自体が、表面上の他動詞の目的語を無効にする、と言うより、遠方に追いやった他動詞の目的語を、そのまま目的語として、なおも認めているはたらきがあると考えた方が良さそうです。以下、証拠を示します。

(4)This car is easy to drive it. (×) (訳同(1))
(5)This topic is easy to talk. (×) (この話題は話しやすいね。)

(4)では‘this car’の分身 (‘this car’を指す代名詞) として‘it’を置いてみたんですけど、絶対ダメらしいんです。‘drive’の直後に目的語が置けない。じゃ、やっぱり(4)では‘drive’は自動詞じゃんか、と言いたくなりますが、今度は(5)を見て下さい。(5)がダメなのは、以下の(6)と(7)の対比から明らかになります。

(6)John talked this topic. (×) (ジョンはこの話題を話した。)
(7)John talked about this topic. (〇) (訳同上)

(6)と(7)から分かるのは、‘talk’「話す」は普通、自動詞としての扱いを受ける動詞で、目的語を取るには前置詞の助けが必要なのです。だから、(7)で前置詞の‘about’を‘talked’の直後に入れてやると、あたかも、‘talked about’で、1つの他動詞であるかのようにはたらくことができます。だから、(7)がOKになるわけですが、これを踏まえて、(5)を見ると、確かに自動詞であるはずの‘talk’がきているのに、(5)はダメなんです。

そこで、この「自動詞+前置詞」である、‘talk about ~’「~のことを話す」の組み合わせで、もう一度、(2)と(3)の関係を考えてみたいと思います。

(8)It is easy to talk about this topic. (〇) (訳同(5))
(9)a. This topic is easy to talk about. (〇) (訳同(5))
   b. This topic is easy to talk about it. (×) (訳同(5))

(8)は、(2)の不定詞の部分である‘to drive this car’だけを、‘to talk about this topic’に入れ換えた構文です。(8)の主語位置を占めている‘it’を消して空家を作り、その位置に‘this topic’を移動して引越しをすると、(9a)が完成します。ここで、まさかと思うかも知れませんが、実は(9a)は、正しい英語になります。

(9a)では、‘talk about’「~のことを話す」は、その直後にある目的語を、表面上は失っています。しかし、これは、意味を変えずに、しかも文法的に正しい変形とされているのです。やはり、(9a)においても、遠方に追いやった不定詞内の目的語を、そのまま目的語として、なおも認めているはたらきがあると考えた方が良さそうです。(9b)で、‘this topic’の分身(‘this topic’を指す代名詞)である‘it’を置いてみましたが、これがダメであることが証拠となります。

やはり、(2)と(3)が関係が深いと言われているのはダテじゃなかったんです。似たような関係が(8)と(9a)にだって成立するんだから。特に(9b)があると、どうしても、不定詞内の「引越をした形跡」は残しておかなければならない事が分かります。(3)の‘drive’ように、一見したところ表面上は目的語がなく、あたかも自動詞のように見えていても、実は頑固に他動詞である事を主張している構文があるんですね。

今回のポイントは、英語には、ほぼ意味を変えずに、カタチだけを変えるような「変形」が存在するということです。英語の「変形」には様々なパターンがありますが、今回取り上げた変形パターンを許す構文は、かなり特殊なもので、その述語の性質によって、OKであるかダメであるかが決まっています。その述語の数はそれほど多くはなく、‘easy’「簡単な」、‘difficult’「難しい」、‘impossible’「不可能な」、等の述語に限られていますが、これに関する詳しい話は、また別の機会にでも。

●関連: EG38EG43

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英語学習法(22)

2004年12月11日 | 変形
どうしても変な英語をやっちゃう人がなかなか気付かないところ。自然な英語にするための小技です。以下、見ましょう。

(1)Tom told me the story <yesterday>. 
  (<昨日>、トムはボクにそのお話を語ってくれました。)

(2)Tom told me [ that the earth is round ]. 
  (トムは僕に [ 地球は丸いと ] 語りました。)

(1)では、動詞‘tell’の後に、目的語が2つ続いています。‘me’「ボクに」と、‘the story’「そのお話を」です。一方、(2)では、(1)の‘the story’の位置に、‘that the earth is round’がきています。これは、単純な入れかえですから、‘that the earth is round’だって目的語と言えます。そこで、‘that’節、つまり、「‘that’+主語+動詞 ・・・」 のカタチは、目的語そのものになれる、ということですね。 (‘that’節に関しては、EG41、参照。目的語を2つ取る動詞に関しては、EG60、参照。)

(3)Tom told me [ that the earth is round ] <yesterday>. (×) 
  (<昨日>、トムは僕に [ 地球は丸いと ] 語りました。)

ここで、(3)ですが、(1)の末尾に、‘yesterday’があるのと同様に、(2)の末尾にも、‘yesterday’を付けたいと思います。すると、(3)の‘yesterday’は、位置的には、(1)と同じ位置にきているはずなので、文法的には、おかしくないはずなんですけど、実際には、やっぱりおかしいそうです。じゃ、どうするんだってことになるんですが、実は、‘yesterday’の置き場所として、しっくりする位置は、‘that’節の前だそうです。

(4)Tom told me <yesterday> [ that the earth is round ]. (〇) 

ここで疑問なのは、なぜ、(3)がアウトで、(4)がOKになるのか、ということなんですが、問題は、目的語である、‘that’節の長さにあって、‘the story’よりも、‘that the earth is round’の方が、単語の数が多いので、長い、ということになります。

この長短の基準は、単純に、単語の数で決められているわけではなく、感覚的なものですが、とにかく、長い、と感じた時点で、そのような目的語は、極力、より後方に回ってもらうのが、キレイな英語なんだそうです。

それと、これには、もう1つ理由があって、‘yesterday’が、‘that the earth is round’の直後にあると、変な意味、つまり、「昨日は、地球が丸い」、に解釈されてしまうことがあるため、こういったことを避ける効果があります。

‘that’節 (=‘that’主語+動詞) の先頭に立てる‘that’には、その左側にある要素を、‘that’節の中の要素としてカウントしない、という、一種の阻止効果のはたらきがあります。 (ただし、‘Who do you think [ that John saw _ ] ?’「誰がジョンに会ったと思う?」のような、疑問詞の移動のような場合は除きます。)

今回のポイントは、英語には、重いと感じられる要素を、極力、文の後方にまわそうとする傾向がある、ということです。これは、英語のスタイル的な問題で、つまり、文のカタチを整えるための効果ですので、重いという理由で、後にまわしたものの、結果的に、文全体が整わないカタチになってしまった場合は、不適切となってしまうこともあります。

というわけで、何でもかんでも、後にまわせばよい、というものではありませんが、少なくとも、今回扱ったような、「動詞+目的語+<副詞> → 動詞+<副詞>+目的語」の交替形の例は、英語のスタイルを整えるための変形では、よく見かけるものなので、上手い英語表現のコツとしては、確実に一役買うと言えるでしょう。

■注 :今回出てきた、‘yesterday’は、名詞ではなく、副詞として扱われます。(副詞の文法的な役割に関しては、EG39、参照。加えて、一見、名詞に見える‘yesterday’のような副詞に関しては、EG40、参照。)

● 関連: EG39EG40EG41EG60

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英語学習法(21)

2004年12月11日 | 動詞
「A は、B を ~ してもらう/される」を、英語で表現するのは難しいです。以下、見ましょう。

(1)John was given a present. (〇) (ジョンは、プレゼントをもらった。)

(1)の文は、‘A is given B’「Aは、Bを与えられる」の構文となっています。これは、このまま覚えても構わないのですが、これが成り立つからという理由で、こういったパターンを、むやみに一般化したりするのは危険です。

(2)John was stolen his wallet. (×) (ジョンは財布を盗まれた。)

(1)はOKなのに、なぜ、(2)はダメなんでしょうね。どちらも、‘A is given B’と、‘A is stolen B’というように、構文的には、同じカタチをしているのに。これはいくら考えてみても、しょうがない問題で、もともと‘give’と‘steal’は種類が違う動詞だと覚えておくしかないんです。‘give’は、目的語を2つ取れる動詞で、例えば、‘Someone gave John a present.’「ある人がジョンにプレゼントをあげた」、ですが、‘John’「ジョンに」と、‘a present’「プレゼントを」、というように、2つ目的語を取っています。

一方、‘steal’は、目的語を1つしか取れない動詞で、‘Someone stole his wallet.’「ある人が彼の財布を盗んだ」、というように、‘his wallet’「彼の財布を」というような目的語を1つしか取れません。

受身文は対応する能動文に目的語がないとつくれません。その能動文の目的語が、主語の位置に移動することで、受身文ができあがるわけですから、「主語 (Someone)+動詞 (stole)+目的語 (his wallet)」からでは、‘John’を主語にした受身文(2)はつくれない、ということになります。

(1)がOKなのは、‘Someone gave John a present.’を、‘give A B’「A に B を与える」、だとすると、A =‘John’となりますので、目的語として、‘John’が含まれていることになり、それを受身文にするときは、A、つまり、‘John’を、‘A is given B’「A は、B を与えられる」、というように、主語にすることができるからですね。

じゃ、‘steal’のように、1つしか目的語を取れない動詞から、どうやって、「ジョンは、財布を盗まれた。」を、表現したらいいんだろう、ということになるんですが、まず、以下の受身文を見ましょう。

(3)His wallet was stolen. (〇) (彼の財布は盗まれた。)

能動文の‘Someone stole his wallet.’「ある人が彼の財布を盗んだ」、つまり、「主語 (Someone)+動詞 (stole)+目的語 (his wallet)」という、目的語を1つだけ取るカタチが、‘steal’の場合は、OKなので、‘his wallet’を主語にするなら、対応する受身文として、(3)はOKですね。

そこで、(3)を利用して、「使役動詞」と呼ばれる、‘have’を用いて、全く新しく、別の構文をつくります。これは、(4)のようにすればいいのです。

(4)John had his wallet stolen. (〇) (ジョンは財布を盗まれた。)

(4)では、(3)の文が、‘had’の後に位置していますが、このとき、‘was’は外すのがポイントになります。これで、「ジョンは財布を盗まれた。」は表現できます。つまり、ここで、「使役動詞」と呼ばれる‘have’を使ってやるのです。使役動詞の‘have’は、「A は Bを ~ してもらう/される」の意味で用いる特殊な動詞になります。

そして、使役動詞‘have’は、‘steal’のように、目的語を1つしか取れない動詞には、有効な表現手段なのです。このときの注意点は、例えば、(3)では、‘his wallet’は、受身の過去分詞‘stolen’に対しては、もちろん、主語なのですが、(4)で、使役動詞‘have’に移植された時点では、カタチの上では、その‘have’の目的語となっています。しかし、それでも、(4)で、‘his wallet’と‘stolen’のつながり関係は、「主語・述語」という関係を保っています。

では、もう1つ類似した文をつくってみましょう。今度は、「ボクは自分の落ち度を指摘された」、という文です。

(5)Someone pointed out my fault. (ある人がボクの落ち度を指摘した。)

まず、能動文である(5)では、‘point out’「~ を指摘する」という表現が、‘my fault’「自分の落ち度」という目的語を取っていますね。次に、この目的語‘my fault’を主語に移して受身文をつくってみます。 

(6)My fault was pointed out (by someone).
  (ボクの落ち度が(ある人によって)指摘された。)

次に、受身文(6)から‘was’を外して、そのまま、使役動詞‘have’を用いた、‘I had ~’「・・・を ~ された」という表現に移植すると、(7)が完成します。

(7)I had my fault pointed out (by someone).
  (ボクは自分の落ち度を(ある人によって)指摘された。)

以上のように、しっかり手順を踏んでやれば、それほど難しくはないと思います。今回のポイントは、‘give A B’「A に B を与える」のように、2つの目的語を取れる動詞からは、‘A is given B’「AはBを与えられる」の構文があるのでよいのですが、目的語を1つしか取れない動詞の場合は、使役動詞‘have’の助けを借りて、類似した意味を表現しなければならない、ということです。

こういった表現は、会話中でも、汎用性が非常に高いので、練習して使えるようにしておくと、こちらが側の表現手段がグッと (一気に何倍も!) 増えますよ。お試し下さい。

■注 :「使役動詞」の‘have’には、「被害・迷惑」を意味する、「~ される」、の他に、「~ してもらう」という、受益的な意味もあります。加えて、使役動詞は、今回扱った、‘have’以外にも、‘make’や、‘let’といった、使役の度合いが異なる意味をもった仲間が存在します。これらの使役動詞は、学校で習う英文法の、「基本5文型」としては、「S+V+O+C」の分類になります。

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英語学習法(20)

2004年12月11日 | 
EG19の続きです。「句」という文法の単位の中で、「動詞句」を考えてみます。以下、見ましょう。

(1)John studies. (ジョンは勉強する。)
(2)John studies Japanese. (ジョンは日本語を勉強する。)

(1)の動詞‘study’「勉強する」は、目的語を取っていません。一方、(2)の‘study’は、目的語‘Japanese’「日本語」を取っています。(1)は、文 (平叙文) をつくるために必要最低限の語数、2語から成る、「主語‘John’+動詞‘studies’」のカタチをした文です。一方、(2)は、「主語‘John’+動詞‘studies’+目的語‘Japanese’」の3語から成るカタチの文、ということになります。

「句」の概念は、最低でも、2つ以上の単語の寄せ集めでできている、言わば、語句のカタマリということなので、そう言われると、(1)も句かな?と考えたくなりますが、しかし、普通、文をつくるには、主語と動詞が必要最低限のパーツなので、そもそも、単語が2つでも、それが結果的に、文そのものになっている場合、それを、「句」と呼んでも、実質的には、意味がありません。

そもそも、「句」というものは、文の中で、ゴチャゴチャした感じのする単語の並びに対して、整理整頓をつけるための概念なので、文そのものに対しては、「句」という言い方は、しないんですね。そこで、ならば、(2)のような場合は、どうなるのか、ということですが、(2)の中には、句が存在します。

普通、(1)のような文であれ、(2)のような文であれ、主語は基本的に必要ですが、目的語はどうか、となると、(1)のようになかったり、(2)のようにあったり、ということが起こるわけです。これは、動詞の性質が、意味的に、目的語を取る場合もあれば、そうではない場合もあるからで、文そのものの性質ではありません。

つまり、主語は、動詞の性質とは関係なく必要になるが、一方、目的語は、動詞の性質から選ばれる、という点で、主語と目的語は、対等ではなく、異質の概念で分類されていることになります。そこで、動詞という単語の意味的な性質から、他の単語が要求されるような場合、それは1つのカタマリと見なして、例えば、「動詞+目的語」で、「動詞句」として扱うことになっています。

(3)John studies hard. (ジョンは、熱心に勉強する。)
(4)John studies Japanese hard. (ジョンは、熱心に日本語を勉強する。)

ただし、目的語のように直接的に指定されるような単語のみが、動詞句のパーツになるわけではありません。(3)や(4)にあるように、(1)や(2)に‘hard’「熱心に、懸命に」のような副詞を追加しても、それは、「動詞‘study’(+目的語‘Japanese’)+副詞‘hard’」で、1つのカタマリと見なし、動詞句になります。

ポイントは、やはり、‘hard’「熱心に、懸命に」のような意味をもった副詞が、‘study’「勉強する」のような意味をもった動詞と、意味的に、うまくマッチするからで、このように、動詞の意味と他の単語の意味的なマッチングで、動詞句のカタマリ具合が決まる、と言ってもよいでしょう。

(5)John studies、but Mary does not _. 
  (ジョンは勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(6)John studies Japanese、but Mary does not _. 
  (ジョンは日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(7)John studies hard、but Mary does not _. 
  (ジョンは熱心に勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(8)John studies Japanese hard、but Mary does not _. 
  (ジョンは熱心に日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(5)~(8)では、‘but Mary does not’以下が何もない、下線部だけになっているのですが、暗黙のルールとして、下線部は、先に出た動詞、または、動詞句と、同一のものが、消去されることになっています。ですので、消去されているのは、(5)では、動詞‘study’のみですが、一方、(6)では、動詞句‘study Japanese’、(7)では、動詞句‘study hard’、そして、(8)では、動詞句‘study Japanese hard’です。

(9)‘Does John study ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

(10)‘Does John study Japanese ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

(11)‘Does John study hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは熱心に勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

(12)‘Does John study Japanese hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは熱心に日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

ここで、(9)~(12)の会話ですが、(9)では、答えの文で、下線部は、動詞‘study’が、消去されていると考えることができます。一方、(10)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese’の消去、(11)では、答えの下線部が、動詞句‘study hard’の消去、そして、(12)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese hard’の消去と考えることができます。

よく、(9)~(12)にあるような、会話の答えの文は、‘does’が、動詞の代わりを果たす、言わば、代動詞である、と説明されることがあるのですが、しかし、(5)~(12)を、統一的に説明するには、下線部の直前にある‘does’は、むしろ、助動詞である、という考え方をした方がよい、ということになります。

つまり、(5)~(12)における動詞句の消去とは、「‘studies’→‘does’+‘study’」、というように、‘studies’から、助動詞‘does’と動詞‘study’を分離してから、そのあとで、助動詞の直後にある、動詞句が、1つの単位 (カタマリ) として見なされ、消去を受けるという考え方です。

(13)Study Japanese hard、John does _. (日本語を熱心に勉強しとるよ、ジョンはな。)

助動詞の直後に動詞句というカタマリがある、という考えがあれば、(13)のような、一見、奇妙な英語も、すんなり説明がつきます。(13)のようなカタチは、いわゆる、映画「スター・ウォーズ」に出てくる、「ヨーダ英語」と言われるものですが、動詞句を、前倒しにして、後半に、「主語+助動詞」をもってくるという、変則型の語順です。 (前倒しになっている動詞が、助動詞の出現によって原形になっている点に注意して下さい。)

そこで、(13)のようなヨーダ英語は、よく、文法的ではないなどと、カン違いされているフシがありますが、そんなことは全くなく、極めて文法的な文です。ただし、使い方にコツが必要で、(13)のようなしゃべり方が、一種の特徴となっている、ヨーダのようなキャラクターなら、話は別ですが、しかし、普通の語順でないことは確かなので、普通のヒトが、(13)のような動詞句の前倒しを自然に使おうとすると、それなりに文脈が整っている場合に限られます。

(14)John said [ that he studied Japanese hard ]、and study Japanese hard he certainly did _.
  (ジョンは、[ 猛烈に日本語を勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)

例えば、(14)の前半の文のカギカッコ内にあるように、前もって、‘studied Japanese hard’が、先行文脈として存在しているような場合、後半の‘and’以下の文で、‘study Japanese hard’を前倒しにした文が、一種の強調表現として使えます。あとは、‘he (certainly) did’「(確かに) そうだった」のように、「主語+助動詞」を後に続ければ、OKです。

つまり、ヨーダ英語は、動詞句という単位を認めるのならば、動詞句の前倒しという、極めて秩序立った変形であると言えます。そして、動詞句の消去などとあわせて、(5)や(9)などの、動詞1つだけの消去も、この変形の仲間に入れることが可能である点、動詞句を単位とした変形は、動詞だけの場合も包含することになります。以下は、動詞だけの前倒しの例ですが、(14)がOKであることから、当然、OKになります。

(15)John said [ that he studied ]、and study he certainly did _.
  (ジョンは、[ 勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)

今回のポイントは、「句」という文法の単位の中でも、「動詞句」という、1カタマリの単位が存在する、ということです。そして、動詞句というカタマリを認めるメリットは、それが、「消去」の単位となったり、また、「移動」の単位となったりする、という点です。

このような考え方に到る根拠は、動詞句 (動詞だけの場合も含む) は、本来、(1)~(4)のような文では、助動詞‘does’などと合体しているので、少し判別しにくくなっているのですが、(5)~(12)を判断材料とすれば、助動詞から切り離されたものとして存在すると言えるし、また、これにより、動詞句の「消去」や「移動」という変形も、キレイに説明できる、というものです。

英語では、消去や移動は、このように、「句」を単位にして行われるものが、結構多いので、「句」という単位を意識しておくと、一段、高いレベルの表現法を習得する上で、非常に有利なのは間違いありません。今回のように、一般に、「ヨーダ英語」は文法的ではない、などの誤った考えをもつヒトが多いのは、実は、こういったところに、解決方法があることに、最初から、見向きもしないからなんですね。

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英語学習法(19)

2004年12月11日 | 
今回、「句」と呼ばれる文法の単位を扱います。その中でも、「名詞句」と呼ばれるものに絞ってみます。以下、見ましょう。

(1)John is infamous. (ジョンは、評判が悪い。)
(2)The boys are infamous. (その少年たちは、評判が悪い。)

(1)では、主語が‘John’「ジョン」ですが、一方、(2)では、主語が‘the boys’「その少年たち」です。これを言いかえれれば、(1)は、単語1つから成る主語ですが、一方、(2)は、単語2つから成る主語、と言うことができます。そこで、(2)では、主語が「名詞句」である、という言い方をします。

文は、もちろん、単語の集合でできています。そこで、「句」というのは、文の中で、単語の集合がある場合、そのカタマリ具合を示す、ある種の区切り上の単位のことを言います。句というのは、単語と単語のつながり方を表す単位ですから、当然、単語が2つ以上なければ、「句」という呼び方はしません。

ですので、(1)の‘John’は、普通、名詞句とは呼ばず、ただの名詞です。一方、(2)の‘the boys’というように、単語が2つ集まって、主語になったような場合、名詞句という呼び方になるわけですね。

(3)The tall boys are infamous .
  (背の高いその少年たちは、評判が悪い。)

(4)The tall boys in the park are infamous .
  (公園にいる背の高いその少年たちは、評判が悪い。)

(5)The tall boys running in the park are infamous .
  (公園で走っている背の高いその少年たちは、評判が悪い。)

(3)では、‘the tall boys ’「背の高いその少年たち」が、3つの単語から成るカタマリで、名詞句です。(4)では、‘the tall boys in the park’「公園にいる背の高いその少年たち」が、6つの単語から成るカタマリで、これも、名詞句です。(5)では、‘the tall boys running in the park’ 「公園で走っている背の高いその少年たち」が、7つの単語から成るカタマリで、やはり、名詞句です。

要するに、(2)~(5)の主語は、どれをとっても名詞句と呼ばれているわけです。そこで、一体、何を基準にして、名詞句と呼ばれているのか、という疑問が生じます。例えば、(2)では、‘the’が冠詞ですが、‘the’+‘boys’で、「名詞句」ではなく、「冠詞句」と呼んではいけないのか、という発想もあるでしょうし、一方、(3)のように、‘the’+ ‘tall’+‘boys’で、‘tall’が形容詞なんだから、「形容詞句」ではいけないのか、という発想もあるでしょう。

このように単語が複数集まって、「句」というカタマリになる、ということは、それと同時に、どの品詞が主になるのか、その主導権をめぐる争いにもなりかねませんので、ある一定の約束事が必要、ということになります。そこで、その約束事とは、「かかるもの (従)」と「かかられるもの (主)」という関係を基準にして決める、というものです。

冠詞‘the’は、名詞‘boys’にかかるものです。そして、形容詞‘tall’も、名詞‘boys’にかかるものです。ですので、(2)と(3)では、‘boys’が、「かかられるもの (主)」であり、結局、‘the boys’であれ、‘the tall boys’であれ、‘boys’が主導権を握る、ということになっています。

(4)の‘in the park’「公園にいる」は、1つのカタマリとなって、やはり、‘boys’にかかっています。ですので、(4)でも、やはり、‘boys’に主導権があります。一方、(5)では、‘in the park’「公園で」が、‘running’「走っている」にかかっています。そして、最終的に、‘running in the park’「公園で走っている」全体が、1つのカタマリとなって、やはり、‘boys’にかかっていますので、主導権は、‘boys’にあります。

このように、「かかるもの」と「かかられるもの」という関係で見た場合、最終的に、「かかられるもの」として、生き残ったものが、その句全体の主導権を握ることになります。これは、裏を返せば、かかられるものは、文を組み立てる際に必須となる要素であり、その他は、ただの付加物ということになります。

(6)Boys are infamous. (〇) (少年たちは (群れるから)、評判が悪いものだよ。)
(7)(The) park are infamous. (×) ((その)公園は、評判が悪い。)

(6)は、(2)~(5)の主語を成す句で、‘boys’のみを残して、他の単語を全て外した文ですが、OKです。一方、(7)は、(4)と(5)の主語を成す句で、もう1つの名詞‘(the) park’を残して、他の単語を全て外した文ですが、‘the’を付けても、外しても、アウトです。

これは、もちろん、(6)では、述語の‘be’動詞が、‘are’であるため、複数形の名詞‘boys’には対応しているが、一方、(7)でも、述語の‘be’動詞が、‘are’であるため、単数形の名詞‘(the) park’に対応していないからです。つまり、(4)であろうと、(5)であろうと、述語の‘be’動詞‘are’は、常に、‘boys’の方に対応しているという事実からも、‘boys’が、核になって、名詞句が形成されている、ということがわかります。

このことから、主語の中に名詞が複数含まれていても、どれか適当に名詞を1つ選んで、それを核として名詞句が成り立つ、ということではなく、核となる名詞は、最初から、ハッキリと1つに特定されて決まっている、ということになります。

以上が、基本的な名詞句の成り立ちになりますが、もっと広い意味での名詞句に対する考え方もあるので、付随的に、それも扱ってみます。まず、そういった観点からは、「かかるもの」と「かかられるもの」の関係が、成り立っていない名詞句も存在します。

(8)John、Tom or Jack loves Mary. (ジョンか、トムか、ジャックが、メアリーを好きだ。)
(9)John、Tom and Jack love Mary. (ジョンとトムとジャックが、メアリーを好きだ。)

(8)は、主語である‘John、Tom or Jack’「ジョンかトムかジャック」全体で、名詞句という考え方です。この場合、述語の動詞‘love’が、「三人称・単数・現在」の‘-s’を語尾に取ってはいるのですが、しかし、その対象は、‘John’でもあり、‘Tom’でもあり、‘Jack’でもあるので、核となる名詞が、1つに決まっているわけではありません。

加えて、(9)のように、主語である‘John、Tom and Jack’「ジョンとトムとジャック」全体で、複数と見なし、述語の動詞‘love’が、「三人称・単数・現在」の‘-s’を語尾に取っていないケースもあります。しかし、いずれにせよ、(8)や(9)の主語の例は、「かかるもの」と「かかられるもの」の関係が、成り立っておらず、したがって、どれかが核として、主導権を握るという性質のものではありません。

今回のポイントは、「句」の考え方を、名詞句の例で考えてみましたが、基本的には、「かかるもの (従)」と「かかられるもの (主)」の関係で、最終的に生き残るものが、核となって主導権を握る、というものです。しかし、一方、広い意味で考えれば、そのような概念は無視して、ただ単に、複数の単語のカタマリ、という考え方もありますので、意外と、「句」の定義は、漠然としているものです。

しかし、1つだけハッキリと言えるのは、文の中では、単語と単語のつながり方と、区切り方に対して、秩序立ったルールが存在していて、それが、「句」という単位に基づいている、ということです。英語の話者が、(2)のように短い主語であろうと、一方、(5)のように長い主語であろうとも、どこからどこまでが主語というカタマリであるのかを判断できるのは、やはり、「句」という単位に基づいて、文の中身が整理整頓されているからです。

今回は、「句」の考え方の単純な一例を扱いましたが、別の機会に、また違った視点から、「句」の概念を扱ってみたいと思います。

■注1 :(4)と(5)の‘in the park’は、前置詞‘in’が、後に名詞句‘the park’を取ったカタチですが、このように、前置詞の付いた名詞表現は、(4)にあるように、他の名詞表現‘the tall bays’にかかったり、また、(5)にあるように、動詞表現‘running’にかかったりすることができる、という点で、とても汎用性が高く、形容詞のように使うこともできるし、また、副詞のように使うこともできます。

■注2 :(5)の‘running’「走っている」は、動詞‘run’「走る」の派生形で、一般に、「現在分詞」と呼ばれています。動詞は、現在分詞に変化すると、まるで、形容詞のように、名詞にかかることができる、という機能をそなえることができます。


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英語学習法(18)

2004年12月11日 | 品詞
品詞分類というものについてです。既成の枠でくくるには、どうも無理があるようなものを選んでみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)Even John studies Japanese. (ジョンでさえ、日本語を勉強します。)
(2)John even studies Japanese. (ジョンは、日本語を勉強しさえします。)
(3)John studies even Japanese. (ジョンは、日本語さえ勉強します。)

(1)~(3)では、全て、‘even’「~ さえ、すら」という単語が使われています。この‘even’「~ さえ、すら」という単語は、辞書で調べてみると、大方、副詞という品詞で扱われることになっています。副詞は、名詞にかかることができず、一方、動詞や形容詞にかかったり、他の副詞にもかかったりする、といった機能がありました。 (EG15、参照。)

しかし、(1)を見る限り、‘even’は、‘John’「ジョン」という名詞にかかっているように思われます。一方、(2)では、動詞‘study’「~ を勉強する」にかかっているように思われます。そして、(3)では、(1)と同じく、名詞‘Japanese’「日本語」にかかっています。

このように、‘even’「~ さえ、すら」という単語は、(1)や(3)のように、名詞にかかったりするわけですから、「副詞」という扱いを受けている事実に対しては、ちょっと変な印象をもってしまいます。ちなみに、名詞にかかる機能をもった品詞には、形容詞がありますが、しかし、形容詞は、名詞以外にかかることができませんから、‘even’を形容詞に変更した場合、(1)と(3)は、都合がよいとしても、今度は、逆に、(2)で不都合が生じます。

つまり、‘even’は、副詞と呼んでも、形容詞と呼んでも、いずれにせよ、矛盾を生じる単語です。ついでに、言うまでもないことですが、‘even’は、冠詞、動詞、名詞、接続詞なんて品詞にも、程遠い単語ですから、結局、どうにも居場所が定まらない単語ということになってしまいます。

こういったことが起こってしまうのは、ハッキリ言ってしまえば、実は、英語の品詞分類というものは、それほど完璧なものではなく、どうしても例外扱いしなければならないような単語がある場合、仕方なく、矛盾するのを承知の上で、どこかの品詞に分類してしまうしかないからです。

(4)Only John studies Japanese. (ジョンだけが、日本語を勉強します。)
(5)John only studies Japanese. (ジョンは、日本語を勉強するだけです。)
(6)John studies only Japanese. (ジョンは、日本語だけ勉強します。)

(4)~(6)の‘only’「~ だけ、のみ」も、一般には、副詞として分類されていますが、(1)~(3)の‘even’の位置に、そのまま現れています。(4)を見る限り、‘only’は、‘John’という名詞にかかっているように思われます。一方、(5)では、動詞‘study’にかかっているように思われます。そして、(6)では、(4)と同じく、名詞‘Japanese’にかかっています。ですので、‘only’が抱えている品詞分類の問題は、‘even’の抱えている品詞分類の問題と全く同じものだと言えます。

(7)John does not study Japanese. (ジョンは日本語を勉強しません。)

(7)は否定語‘not’を含む否定文ですが、否定文は、英語にせよ、日本語にせよ、実はかなりのクセモノです。というのも、もともとが多義的な文であり、本来的には、前後の文脈や、イントネーションによって、解釈が決定されなければならないので、文脈やイントネーションといった手がかりのない(7)のような場合、ただ、文そのものを見ただけでは、最終的な解釈が決定できません。 ((7)が多義的である理由については、EG32、EG36、EG63、参照。)

そこで、‘not’も、一応、副詞という分類を受ける単語です。そして、文の中では、‘not’の標準的な位置は、助動詞 ((7)では、‘does’) の直後ですが、しかし、‘not’の位置は、話者の意図によって、臨機応変に変化することがあります。

(8)not John studies Japanese. (日本語を勉強しているのは、ジョンじゃない。)
(9)John studies not Japanese. (ジョンが勉強しているのは、日本語じゃない。)

(8)では、話者の意図によって、「ジョンではない」の解釈になるように、主語‘John’の前に‘not’を置くことで、標準的な否定文のカタチではなくなっています。一方、(9)でも、話者の意図によって、「日本語ではない」の解釈になるように、目的語‘Japanese’の前に‘not’を置くことで、標準的な否定文のカタチではなくなっています。

そこで、(7)は、(8)にも(9)にも解釈できますし、さらに、それ以外の解釈も可能で、あまりにも多義的すぎて、一発で解釈が決定できない状態ですが、(8)や(9)では、文脈やイントネーションにたよることなく、一発で解釈が決定可能です。

しかし、その代償として、(8)では、副詞‘not’が、位置的には、名詞‘John’にかかる、とでも言わなければならない変な事態に陥っていますし、一方、(9)でも、同様に、副詞‘not’が、位置的には、名詞‘Japanese’にかかる、とでも言わなければならない変な事態に陥っています。

このように、とりあえず品詞指定は受けているものの、実際の使われ方を見る限り、とてもそうとは思われないような単語もありますが、それは、日本語にせよ、英語にせよ、多少はあることなので、ここら辺りは、臨機応変に対応していかなければならない、というのが実情です。

では、なぜ、今回、一例として出した単語のように、事実上は、明らかに品詞分類から漏れてしまうような単語が存在するのでしょうか。それは、そういった単語は、もともと、「文法」に支配されているのでなく、単純に、「意味」によってのみ支配されている、という性質をもっているからです。

つまり、意味的に最も妥当だと判断されるような位置に置けば、それがすんなり通ってしまうので、結果的に、文の中での配置ポジションの自由度が高くなってしまい、いくら品詞指定しても、結局、それを凌駕してしまう、ということなのです。

ここから、裏を返せば、完璧に品詞指定された単語は、文法の基盤にしたがって、ある程度、文の骨格を形成する部品としての資格が与えられているのですが、一方、品詞指定から漏れてしまうような単語は、言わば、既にでき上がった文に、後付けするようなカタチでしか、存在し得ない単語なので、どうしても、文の骨格に使う材料とは見なされることはない、という性質をもっています。

そのかわり、完全に後付け部品なので、どこにでも好きな位置にくっつくことが許されている、というような立場にあるわけですね。ここから、発展的にわかることとして、「文法」と「意味」というものは、相互に独立したものというのが、正しい見方で、意味が文法を決定するだとか、一方、逆に、文法が意味を決定するだとかの考え方は、原理的には、成り立たない、というものがありますが、これを詳しく話すのは、別の機会に譲ることにします。

今回のポイントは、品詞分類が完璧ではないのは、どういった事情によるものなのか、ということです。一般には、あまり語られることはないのですが、それは、品詞分類というものが、語句同士のカタチの上でのかかわり合いのみで決定されるものであり、所詮、意味によって決定されるものではない、という側面があるからです。

つまり、意味とは関係なく、まず、文法 (ここでは、品詞) というものがあって、それにしたがうカタチで、単語が選ばれて集められ、結果として、ある意味をもった文が完成するだけ、というのが正しい見方なので、結局、もともと、文法の側には、意味を完璧に制御する力はない、と見るのが当然ということになります。

ですので、もともと、完璧に意味を制御する力がないルールにおいては、意味だけに依存して存在しているような、言わば、変種のような単語の存在を、当然、許してしまいますし、そういった変種は、制御の対象外となりますので、現れる位置も自由に許してしまいます。これまで、文のカタチと意味は完璧に調和しているものだ、と考えていたヒトは、一度、アタマをリセットして、じっくり考え直してみることをお薦めします。

●関連: EG15EG32EG36EG63

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英語学習法(17)

2004年12月11日 | 品詞
EG16の続きです。品詞としての「接続詞」には、どんなタイプがあるのかを、簡単に見てみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)John likes dogs and Mary likes cats.
  (ジョンは犬が好きだ、そして、メアリーは猫が好きだ。)

(2)John likes dogs but Mary hates dogs.
  (ジョンは犬が好きだが、しかし、メアリーは犬が嫌いだ。)

(1)の‘and’「そして」や、(2)の‘but’「しかし」は、接続詞ですが、前半の文と後半の文をそれぞれつないでいます。このように、接続詞は、文と文をつなぐことも可能です。英語の場合、このように、文と文をつなぐ機能をもった接続詞に限定するならば、‘and’や‘but’以外にも、結構な数の接続詞があります。 (語句の接続に関しては、EG16、参照。)

(3)John ate dinner before Mary came home.
  (メアリーが帰宅する前に、ジョンは夕食を食べてしまった。)

(4)John ate potato chips when Mary ate beefsteak.
  (メアリーがステーキを食べているとき、ジョンはポテトチップを食べていた。)

(5)John ate nothing because Mary hated cooking.
  (メアリーが料理嫌いだったので、ジョンは何も食べていなかった。)

(3)の‘before’「~ 前に」、(4)の‘when’「~ とき」、(5)の‘because’「~ なので」も、接続詞として見なされています。確かに、これらの単語の前後には、それぞれ、‘John’を主語にもつ文と、‘Mary’を主語にもつ文がありますから、そういった文と文の接続をしている、という見方が可能です。

(6)Before Mary came home、John ate dinner. (訳同(3))

(7)When Mary ate beefsteak、John ate potato chips. (訳同(4))

(8)Because Mary hated cooking、John ate nothing. (訳同(5))

ところで、(6)~(8)は、基本的に、それぞれ、(3)~(5)と同じ意味をもっています。(6)~(8)と(3)~(5)のカタチの上での違いは、それぞれ、‘John’を主語にもつ文と、‘Mary’を主語にもつ文が、前後で入れかわっていることですが、しかし、もう1つ、違いがあります。

それは、(6)~(8)では、‘before’「~ 前に」、‘when’「~ とき」、‘because’「~ なので」といった接続詞が、文の先頭に位置している、ということです。つまり、接続詞の後には、‘Mary’を主語にもつ文と、‘John’を主語にもつ文が、間に接続詞を置くことなく、2つ立て続けになっている、ということです。

接続詞は、一般的な考え方としては、接続されるもの (文と文) の間に、はさまっているもの、と考えられますが、それは、日本語の接続詞の場合には、常にそうだと言えることであっても、一方、英語の接続詞の場合は、常にそうだとは限らない、ということなのです。

日本語と英語の接続詞の違いで、最も大きな点は、まさに、この点にあると言ってもよく、つまり、英語の接続詞には、日本語の文法を基準にした場合、とても想像がつかないような語順になることがある、ということなのです。ポイントは、接続の仕方が、ちょっと変わっていて、「接続詞+文2+文1」というカタチになるが、意味としては、「文1+接続詞+文2」と同等である、ということですね。

(9)And Mary likes cats、John likes dogs. (×) (訳同(1))
(10)But Mary hates dogs、John likes dogs. (×) (訳同(2))

(9)と(10)は、(1)と(2)の文を語順変更したものですが、両方とも、アウトです。(9)では、(1)の‘and Mary likes cats’の部分が、‘John likes dogs’の前に移動しているのですが、全くもって不可能です。一方、(10)でも、(2)の‘but Mary hates dogs’の部分が、‘John likes dogs’の前に移動しているのですが、これも、全くもって不可能です。

(3)~(8)の‘before’「~ 前に」、‘when’「~ とき」、‘because’「~ なので」といった接続詞は、「文1+接続詞+文2」から、「接続詞+文2+文1」のような語順変更が可能であったのに、一方、(1)の‘and’や、(2)の‘but’は、それが不可能である、ということから、英語では、同じ接続詞であっても、こういった違いから、タイプ分けがなされています。

(11)and (そして)、but (しかし)、or (または)

(12)when (~ とき)、before (~ 前に)、after (~ 後で)、since (~ 以来)、
   because (~ なので)、till (~ まで)、until (~ まで)、if (~ ならば)、
   whether (~ であろうとなかろうと)、though (~ であるが)、その他

(11)のグループの接続詞は、必ず、文1と文2の間に置かなければならないタイプで、語順変更はありません。一方、(12)のグループの接続詞は、文1と文2の間に置くのを基本としますが、語順変更が可能で、文2が文1の前に出る際は、同時に、接続詞が文2の前に置かれたまま移動しなければならないタイプです。

この語順変更を、言いかえるならば、(12)のグループの接続詞は、カタチの上では、常に、「接続詞+文2」のつながりが崩れることのないタイプである、ということになります。そして、(11)のグループに属する接続詞よりも、その数が圧倒的に多いのも、その特徴となっています。

(13)Mary hates dogs though John likes dogs. (訳同(2))
(14)Though John likes dogs、Mary hates dogs. (訳同(2))

このタイプ分けがあると、似たような意味の接続詞であっても、その振る舞い方は全く違う、ということになります。(13)から(14)への語順変更は、OKですが、それは、(12)のグループに属する接続詞‘though’「~ であるが」が使われているからです。

そこで、(13)と(14)は、意味としては、ほぼ、(2)と同じですが、しかし、(2)で使われている接続詞は、(11)のグループに属する接続詞‘but’なので、(10)のような語順変更がアウトになってしまいます。さらに、注意点としては、(13)の「文1+接続詞+文2」は、(2)では、「文2+接続詞+文1」の逆接続になっていることです。

日本語で考える際、(2)のように、(11)のグループに属する接続詞を使った文は、文の先頭から末尾まで、自然な流れで解釈できますが、しかし、一方、(12)のグループに属する接続詞を使った文は、語順変更が起こった、(14)のような「接続詞+文2+文1」のカタチの方が、むしろ、自然な流れで解釈しやすくなる、という特徴があります。

(3)~(5)の英語と、その日本語訳の流れの対比も、合わせて確認してほしいのですが、(3)~(5)は、文1と文2の対比が、ちょうど逆になるような順序になっています。しかし、一方、(6)~(8)の英語は、日本語訳の流れとうまく合致しているのがわかると思います。

(15)John thinks (that) Mary is selfish.
  (ジョンは、メアリーが我がままだと思っている。)

(16)John does not know (whether) Mary is selfish.
  (ジョンは、メアリーが我がままかどうか知らない。)

今度は、ちょっとタイプの違う接続詞です。(15)の‘that’「~ だと」や、(16)の‘whether’「~ かどうか」 ((12)のグループの‘whether’「~ であろうとなかろうと」とは、意味が違うことに注意) も、接続詞として扱うことになっています。 (EG41、参照。)

もちろん、文と文の間に置かれているからなんですが、(15)では、どうやら、‘John thinks’と、‘Mary is selfish’が、‘that’によって接続されている、ということになっているようです。(16)でも、同様に、‘John does not know’と、‘Mary is selfish’が、‘whether’によって接続されている、ということになっているようです。

ただ、(15)の‘that’や、(16)の‘whether’が、(11)のグループとも、(12)のグループとも、決定的に異なっている点は、接続詞と呼ぶ割には、あまり、それらしい活躍をしておらず、結構、省略されてしまうことが多い、ということです。(11)や(12)のグループの接続詞は、文1と文2を、意味的に自然なつながりにするために、なくてはならない、必要とされる接続詞です。

しかし、一方、(15)の‘that’や、(16)の‘whether’は、文1と文2をつないでいる、と言うよりは、むしろ、位置的には、文と文の間に現れているので、とりあえず、結果論的に、接続詞と考えておこう、という程度の発想に基づいているものです。ですので、本来は、別に無理して接続詞として扱う必要もないようなタイプのものです。

(17)[ That Mary is selfish ] is known to everyone.
   ([ メアリーが我がままだということは ]、皆に知られている。)

(18)[ Whether Mary is selfish ] is not important to us.
   ([ メアリーが我がままかどうか ] なんて、我々には重要なことではない。)

‘that’や‘whether’が、省略ができないケースについては、(17)や(18)のように、文の先頭で使われているような場合など、おおよそ、接続詞としての本来の機能うんぬんとは、無関係な状況で起こります。

これに加えて、(17)の‘that Mary is selfish’や、(18)の‘whether Mary is selfish’は、意味的には、文全体の主語になっているので、‘that’や、‘whether’は、文と文をつないでいる、というよりも、むしろ、ある文を、他の文の中の一部として組み込んでしまうはたらきがある、と見た方が、より本質的で正確な言い方になります。

(15)や(16)の例でも、やはり、‘that Mary is selfish’全体や、‘whether Mary is selfish’全体を、目的語として考え、より大きな文の一部になるように組み込んでいる、と見た方が、より本質的で正確な言い方ですので、やはり、接続をしている、というような印象は希薄です。 (EG41、参照。)

今回のポイントは、語句の接続ではなく、文と文の接続という観点から見た場合、接続詞は、一気に数が増えて、それが、大きく3つのタイプに分かれている、ということです。まず、最も単純と思われる、(11)のようなタイプと、やや日本語の感覚からは異質な(12)のタイプが、英語における主な接続詞ということになります。

しかし、‘that’「~ だと」や、‘whether’「~ かどうか」のように、文を、他の文の中の主語や目的語として機能させるように仕向けるタイプのものも、接続詞という扱いを受ける点で、英語では、かなり、接続の概念そのものが、ゆるく幅広い、と言えます。

これで、接続詞の種類が出揃ったことになります。今回は、品詞という観点で、サラっと紹介している程度なんですが、接続詞がらみの変形などは、結構ややこしいものがあり、なかなか英語学習者泣かせな部分がありますので、別の機会に詳しく見てみたいと思います。

■注 :(11)のタイプは、一般に、「等位接続詞」と呼ばれています。一方、(12)のタイプは、「従属接続詞」と呼ばれています。(13)~(16)の‘that’「~ だと」や、‘whether’「~ かどうか」は、一般に、「従属接続詞」のタイプに分類されていますので、学校で習う文法では、2タイプの分類ということになります。従属接続詞の概念は、「主文」と「従文」の接続という、「主」と「従」の関係で、文が接続されている、ととらえる観点から、そう呼ばれています。

●関連: EG16EG41

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英語学習法(16)

2004年12月11日 | 品詞
EG02、EG03、EG10、EG11、EG12、EG13、EG14、EG15と続いてきた品詞シリーズ。今回、「接続詞」を扱います。以下、見ましょう。

(1)John and Mary play tennis. (ジョンとメアリーがテニスをする。)
(2)John or Mary plays tennis. (ジョン、または、メアリーがテニスをする。)

(1)の‘and’や、(2)の‘or’が接続詞です。接続詞は、文字通り、あるものと他のものを接続するのが、その機能ですから、(1)や(2)の例を見る限り、簡単と言えば、簡単です。ただ、注意点として、英語では、主語と動詞の関係で、動詞の方に、「三人称・単数・現在」という概念によって、語尾に‘-s’を付けることが約束になっていますから、その点、気をつけておけば、OKです。

(1)の‘and’では、ジョンとメアリーを足し合わせて、合計2人と見なし、「複数」ですから、‘play’に‘-s’は付きません。しかし、一方、(2)では、ジョンとメアリーを足し合わせるようなことはせず、2人のうち、どちらかがテニスをする、という解釈ですから、結局、テニスをするのは、1人ということになり、「単数」ですから、‘play’に‘-s’が付きます。

しかし、このような意味の取り方という違いはあっても、前後のものを接続する、という仕事自体に関しては、‘and’も‘or’も、同じはたらきをしているわけですから、その点、接続詞という品詞は単純であり、扱いやすい印象があります。

(3)John and Tom and Mary play tennis. (ジョンと、トムと、メアリーがテニスをする。)
(4)John or Tom or Mary plays tennis. (ジョンか、トムか、メアリーがテニスをする。)

(3)や(4)のように、‘and’や‘or’は、いくつもの接続が可能です。‘A and B and C’「A と B と C」や、‘A or B or C’「A か B か C」というように、‘and’や‘or’は、それぞれ、接続されるものの間に、はさんで使うことができます。そして、基本的には、いくつのものを接続しようとも、その数には、制限がありません。

(5)John and Tom and Jack and Mary and Lucy and Susan play tennis.
  (ジョンと、トムと、ジャックと、メアリーと、ルーシーと、スーザンがテニスをする。)

(6)John or Tom or Jack or Mary or Lucy or Susan plays tennis.
  (ジョンか、トムか、ジャックか、メアリーか、ルーシーか、スーザンがテニスをする。)

というわけで、接続詞‘and’や‘or’は、かなり使いやすい印象がありますが、しかし、(3)~(6)のような使い方は、実際には、ほとんどないと言ってもよく、例え、いくつもの接続がなされたとしても、接続詞は1つだけで済ませるケースが大半です。

(7)John、Tom and Mary play tennis. (訳同(3))
(8)John、Tom or Mary plays tennis. (訳同(4))

(9)John、Tom、Jack、Mary、Lucy and Susan play tennis. (訳同(5))
(10)John、Tom、Jack、Mary、Lucy or Susan plays tennis (訳同(6))

(7)~(10)では、接続されるものが、いくつであっても、‘and’や‘or’は、1つだけで済ませています。発音の仕方もクセがあって、‘and’や‘or’の前にある、それぞれの語句は、1つ1つ上昇調イントネーションで発音され、最後の語句のみ、下降調イントネーションになります。

ところで、(7)~(10)のように、‘and’や‘or’を、1つだけで済ませる接続のやり方には、必ず、守らなければならないルールがあって、常に、最後に接続されるものの直前でのみ、‘and’や‘or’を使うことになっています。

つまり、‘A and B and C and D and E and F’「A と B と C と D と E と F」や、‘A or B or C or D or E or F’「A か B か C か D か E か F」は、それぞれ、‘A、B、C、D、E and F’や、‘A、B、C、D、E or F’、というように、最後の接続詞を残して、残りは全て消去してしまうのがルールになっているということですね。しかし、一見、このルールが破られているかのように見えるケースも存在します。

(11)John、Tom、and Jack and Mary、Lucy and Susan are two big trio singers.
   (ジョンとトムとジャック、そして、メアリーとルーシーとスーザンが、2大トリオ歌手だ。)

(11)では、6つのもの (6人) に対して、‘and’が3つ使われていて、パッと見た感じ、‘and’がデタラメに使われているように見えますが、実は、そうではなく、‘John、Tom and Jack’と‘Mary、Lucy and Susan’の3人ずつの組み合わせが、それぞれ1つのまとまりとなって、2組に分かれていることを示しています。

ですので、前半の組である‘John、Tom and Jack’というまとまり自体は、最後の接続詞のみを残すという、ルールに従って接続されていますし、一方、後半の組である‘Mary、Lucy and Susan’というまとまり自体も、同様に、最後の接続詞のみを残すという、ルールに従って接続されています。

そこで、「‘John、Tom and Jack’= X」と、「‘Mary、Lucy and Susan’= Y」が、最終的に、「X and Y」のカタチで接続されていると見なすことによって、結果的に、(11)のような接続方法は、ルール違反ではない、ということになります。では、以下、(11)の接続関係を、カッコでくくって示します。

(12)((A、B and C) and (D、E and F))

つまり、接続の方法として、(1)~(10)のように、並列的に横並びのものを単純につないでいる場合は、最後に接続されるものの直前でのみ接続詞が使われるので簡単ですが、一方、そうなっていない場合は、接続の仕方が、言わば、階層的になっているのではないか、と疑ってみる必要がある、ということですね。

こういったことをトータルで踏まえた上で、なぜ、(3)~(6)のように、「A 接続詞 B 接続詞 C ・・・」といった、逐一、接続詞を間にはさむやり方が、あまり好まれないのか、ということを考えてみた場合、ある1つの理由が明らかになります。

(13)John and Tom and Jack and Mary and Lucy and Susan are two big trio singers.
   (訳同(11))

つまり、(13)のような例をみたときに、一発で、(11)のような解釈が保証されないということなのです。確かに、(13)を見る限り、一体、誰と誰の組み合わせで、2組の大物トリオ歌手になるのかが、さっぱりわかりません。ですので、特に理由もなく、最後に接続されるものの直前でのみ接続詞が使われる、といった簡略式のルールが定着しているわけではないのです。

今回のポイントは、品詞の中の接続詞というものが、どのような使われ方をするのか、ということです。接続詞は、その名のとおり、あるものとあるものを接続するのが、その役割なので、単純明快であり、とても使いやすい印象がありますが、その使用法には、意外なコツがあるのがわかったと思います。

今回の(11)のような例は、あまり、頻繁にお目にかかれるものではありませんが、しかし、使うべきときには、やはり、使わなければならない表現方法であり、特に、(9)と(11)の間に、明確な解釈の差があるという事実は、単純な‘and’のような接続詞にすら、割と厳密なルールが存在しており、その使用法によって複雑な解釈を可能にしているという、効率性です。

日本語の場合、「~ と」、「そして」、「~ か」、「~ または」のように、‘and’や‘or’に対する語彙が、割と豊富にあるので、それを上手く使い分けていれば、解釈が複雑になることは、まずないのですが、一方、英語の場合、‘and’や‘or’だけで、複雑な解釈を、ヤリクリしなければなりません。

そこで、英語は、今回示したようなルールを設定して、その解釈を明確にするという手段をあみ出した、というわけですね。しかし、わかりやすさ、という点からは、ハッキリ言えば、語彙の豊富な日本語の方が優れているんですけど、そういった語彙依存型の人種である日本人には、やはり、慣れるのがちょっと大変な解釈方法ですね。

接続詞は、また次回、続きをやりたいと思います。

■注 :英語の接続詞は、種類分けがあり、今回、扱った‘and’や、‘or’は、文法的には、「等位接続詞」と呼ばれています。等位接続詞の他には、「従属接続詞」と呼ばれるものがあります。

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英語学習法(15)

2004年12月11日 | 品詞
EG02、EG03、EG10、EG11、EG12、EG13、EG14、と続いてきた品詞シリーズ。今回は、「副詞」についてです。以下、見ましょう。

(1)美しい花 (〇)
(2)美しく花 (×)

(1)の日本語はOKですが、一方、(2)の日本語はアウトです。日本語の文法では、「美しい」は、形容詞となっていますが、一方、「美しく」を、その活用形と見なして、形容詞「美しい」の「連用形」と呼んでいます。つまり、「美しい」を、「うつくし+い」というように、分けて考えて、「うつくし」の部分に、「-い」や、「-く」といった、別のパーツを合体させて、活用させることで、その機能に変化をもたせる、といったやり方です。

ちなみに、「うつくし」は、「-い」で終わるカタチが、言わば、デフォルト (既定のカタチ) のようなものですが、この「-い」にしたって、活用語尾の一種であることに、何ら変わりはありませんので、(3)のように、名詞にくっついている場合は、一応、「連体形」という呼び方をすることになっています。

(3)美しい踊る (×)
(4)美しく踊る (〇)

そこで、「連体形」と「連用形」は、どのように違うのか、ということになるのですが、それは、(1)~(4)のコントラストが、最も端的に、その違いを示す例だと言えます。つまり、「美しい」のカタチでは、(1)のように、「花」という名詞にくっつくことが可能ですが、一方、「美しく」のカタチでは、(2)のように、「花」という名詞にくっつくことができません。

しかし、一方、「踊る」というような動詞にくっつく場合、「美しい (連体形)」と「美しく (連用形)」 の立場は逆転します。(3)のように、「美しい」は、「踊る」にくっつくことは不可能ですが、一方、(4)のように、「美しく」は、「踊る」にくっつくことが可能です。つまり、連体形とは、(1)のように名詞にくっつく機能のことであり、一方、連用形とは、(4)のように、動詞にくっつく機能のことであると言えます。

ところで、普通、文法では、(1)の「美しい」が、「男」にもたれかかるようなくっつき具合や、(4)の「美しく」が、「踊る」にもたれかかるようなくっつき具合を、「~ にかかる」とか、「~ を修飾する」、というように表現します。ですので、「美しい」は、「花」にかかることができるし、一方、「美しく」は、「踊る」にかかることができる、という言い方になります。

(5)ジョン、あるいは、トム

コトバは、常に、単語をつなぎ合わせて、あることを表現する、というシステムをもっているわけですから、「~ にかかる」、という言い方には、ある特殊な意味が込められています。(5)は、「ジョン」+「あるいは」+「トム」という、3つの単語をつないでいますが、しかし、(5)のような例では、どの単語がどの単語にかかる、というような言い方はしません。

基本的に、「~ にかかる」とは、「かかるもの」と「かかられるもの」という二者間での関係ですので、「あるいは」という表現は、何か1つだけの相手をするのではなく、前後に、「A、あるいは、B」というように、A に相当するものと、B に相当するものが必要である点、「~ にかかる」という概念とは無縁の表現です。

そこで、「~ にかかる」という言い方は、単語と単語の間に、主従関係 (依存関係) が成り立っている場合にのみ有効です。(1)では、「花」が主 (かかられるもの) で、一方、「美しい」が従 (かかるもの) という関係ですし、(4)では、「踊る」が主で、一方、「美しく」が従という関係です。

(6)とても美しい (〇)
(7)とても花 (×)
(8)とても美しい花 (〇)

今度は、(6)のように、「とても」と「美しい」がくっついていて、OKです。しかし、一方、(7)では、「とても」と「花」がくっつくいていて、アウトです。このことから明らかなように、(8)がOKになるのは、「とても」は、「美しい」にかかり、そして、「美しい」は、「花」にかかるという、あくまでも、二者間内での相対的な関係が局所的に成り立っているからだと言えます。

これを言いかえれば、(7)のように、「とても」と「花」は、両立できないハズなのに、(8)で、「とても」と「花」が両立できているように見えるのは、実は、そうではなく、「とても」が、「美しい」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからで、一方、その「美しい」は、「花」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからです。

つまり、「~ にかかる」とは、ある表現が、従の立場になって、主の立場であるものに、一方的に依存するという、二者間内での一方通行の関係を表しているものと言えるわけです。ここまでで、ようやく、英語の品詞における、「副詞」というものが、どういったものか、最低限の理解ができる準備が整ったことになります。

(9)beautiful flowers (〇) (訳同(1))
(10)beautifully flowers (×) (訳同(2))

(9)の‘beautiful’は、形容詞で、名詞‘flowers’にかかっていてOKですから、言わば、日本語の連体形みたいなものです。一方、(10)の‘beautifully’は、名詞‘flowers’にかかっていてアウトですから、言わば、日本語の連用形みたいなものです。

‘beautiful’と‘beautifully’は語尾の変化 (‘-ly’の有無) で機能が変わっていますから、「美しい」と「美しく」のように、活用していると言えますが、日本語とは違って、英語には、連用形という言い方はなく、形容詞‘beautiful’が、副詞‘beautifully’になった、という言い方をしますので、要するに、日本語では、連用形と呼ばれるものが、英語では、副詞だと理解しておけばよいということです。

(11)dance beautiful (×) (訳同(3))
(12)dance beautifully (〇) (訳同(4))

(11)では、動詞‘dance’「踊る」に、形容詞‘beautiful’「美しい」がかかっていて、アウトですが、一方、(12)では、動詞‘dance’に、副詞‘beautifully’「美しく」がかかっていて、OKです。これも、日本語(3)と(4)の可否と、全く並行的です。さらに、以下を見ましょう。

(13)very beautiful (〇) (訳同(6))
(14)very flowers (×) (訳同(7))
(15)very beautiful flowers (〇) (訳同(8))

(13)~(15)は、それぞれ、日本語(6)~(8)に対応していますが、やはり、全く並行的に、その可否が成り立っています。ここで、‘very’「とても」の品詞は何かと言いますと、英語では、副詞ということになっています。つまり、副詞とは、動詞だけではなく、形容詞にもかかることが可能だということです。

そして、(14)のように、‘very’は、‘flowers’にかかることができないのですが、一方、(15)がOKですから、やはり、‘very’は、‘beautiful’を相手にしているだけで、一方、‘beautiful’は、‘flowers’を相手にしているだけ、という、一方向の局所的な関係が、それぞれ成り立つことによって、最終的に、(15)がOKになるということです。

こういったことから、結局、連用形という呼び方であろうが、副詞という呼び方であろうが、何かにかかる、という点において、実質的な機能は同じであり、逆に、名詞にはかかることができない、という点においても、しっかりと定義できそうだとわかります。

(16)dance very beautifully (〇) (とても美しく踊る)
(17)dance very (×) (とても踊る)

(16)はOKですが、‘very’が副詞‘beutifully’にかかっていることは、(12)において、‘beautifully’が、‘dance’にかかっていて、OKであることに加えて、一方、(17)がアウトであることからわかります。つまり、‘beautifully’は、‘dance’にかかるが、一方、‘very’は、‘dance’にかかれないので、‘very’が生き残るためには、‘beautifully’にかかっている、と言うしかないわけですね。つまり、副詞が副詞にかかる、ということがあっても、OKである、ということです。

今回のポイントは、英語の品詞の中の1つとされる「副詞」が、どのような品詞であるか、ということです。今回、理解できたことは、副詞は、何かにかかる、ということが前提となる品詞だということです。

そして、その制限としては、名詞にかかることができず、一方、動詞、形容詞、副詞にかかることができる、ということです。日本語の連用形は、比較的、秩序だった活用の上に成り立っているので、そういった呼び方を重視しますが、それを副詞という呼び名で置きかえれば、英語でも日本語でも、実質的には、同じものを表す内容になっています。

ただ、英語の副詞は、その概念を幅広く応用させた、数多くの変種が存在しますので、それが、初心者泣かせな部分であり、また、学校で習う英語でも、うまく整合性のある説明ができなくて、混乱している部分でもあります。そこら辺は、品詞ではなく、副詞そのものを扱う回でじっくり見ていきたいと思いますので、またの機会です。

■注1 :(12)は、副詞が動詞にかかることを示すための例だったので、同じく、(17)で副詞‘very’が動詞‘dance’にかかるのがアウトでは、一見、矛盾しているように見えますが、これは、ただ単に、‘very’と‘dance’が意味的にマッチしていないという、別個の理由によるものですので、副詞は動詞にかかるという機能自体はあるが、それは意味がマッチするのが前提という、どんな言語表現にでも当てはまる、当たり前の条件をつければよいだけです。

■注2 :日本語の「とても」は、活用がありませんが、形容詞の連用形と同じ機能をもっています。このように活用がないけど、連用形と同じ機能をもつものに関しては、日本語でも、「副詞」という呼び方をしています。


●関連: EG02EG03EG10EG11EG12EG13EG14

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英語学習法(14)

2004年12月11日 | 品詞
EG12、EG13の続きです。品詞という視点から見た助動詞について、引き続き考察します。以下、見ましょう。

(1)John is reading the book. (ジョンは、その本を読んでいる。)

(1)は、ご存知のように、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」のカタチで、「~ しているところだ」、を表現する、進行形と呼ばれる文です。この「‘be’動詞+動詞‘-ing’」という、2つの動詞のうち、前半の‘be’動詞に関しては、助動詞である、というように解説されることがよくあります。

(2)‘Is John reading the book ?’-‘Yes he is.’
   (「ジョンは、その本を読んでいるところですか。」-「はい、そうですよ。」)

(3)John is not reading the book. (ジョンは、その本を読んでいる最中ではありません。)

確かに、(1)~(3)の‘be’動詞である‘is’は、‘read’が‘-ing’のカタチをしているので、原形ではないものの、動詞‘reading’を補助するために使われている、と言えるわけです。特に、(2)の疑問文では、主語‘John’の前に‘is’が移動しており、かつ、その答え方においても、補助される動詞‘reading’のない、‘is’で終わっています。

さらに、(3)を見ても、助動詞を使った否定文では、助動詞の後に、‘not’が現れるのが標準的であるところから、やはり、進行形である、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」の‘be’動詞にも、同様に、後に‘not’がきており、‘be’動詞に、助動詞としての性質が、色濃く出ていると言えそうです。 (助動詞としてのスタンダードな性質については、EG12、EG13、参照。)

(4)John is liked by his friends. (ジョンは、友だちから好かれる。)

(5)‘Is John liked by his friends ?’-‘Yes、he is.’
   (「ジョンは、友だちから好かれてるの。」-「うん、そうだね。」)

(6)John is not liked by his friends. (ジョンは、友だちから好かれていない。)

今度は、(4)~(6)の、「‘be’動詞+過去分詞」のカタチでつくられる受身文ですが、やはり、進行形である、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」の‘be’動詞と、全く同じ振る舞い方をしているのがわかります。過去分詞‘liked’は、もちろん、動詞‘like’の活用形ですから、原形ではありません。しかし、(4)の平叙文では、‘is’が、過去分詞‘liked’を補助していると言えます。

さらに、(5)の疑問文では、主語‘John’の前に‘is’が移動しており、かつ、その答え方においても、補助される動詞‘liked’のない、‘is’で終わっています。一方、(6)の否定文を見ても、やはり、進行形である、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」の‘be’動詞と同じく、後に‘not’がきており、またしても、‘be’動詞に、助動詞としての性質が、色濃く出ていると言えそうです。

(7)John has finished his job. (ジョンは、仕事が終わったところだ。)

(8)‘Has John finished his job ?’-‘Yes、he has.’
  (「ジョンは、仕事が終わったところですか。」-「はい、そうです。」)

(9)John has not finished his job. (ジョンは、仕事を終えてはいない。)

今回の話の流れから、他に類似した振る舞い方をする構文を求めるならば、(7)~(9)のような、いわゆる、完了形、「‘have’+過去分詞」における、‘have’ (‘has’) にも、同じことが言えます。この場合、過去分詞‘finished’は、もちろん、動詞‘finish’の活用形ですから、原形ではありません。しかし、(7)の平叙文では、‘has’が、過去分詞‘finished’を、補助していると言えます。

さらに、(8)の疑問文では、主語‘John’の前に、‘has’が移動しており、かつ、その答え方においても、補助される動詞‘finished’のない、‘has’で終わっています。一方、(9)の否定文を見ても、やはり、(3)や(6)のような、進行形、受身文の否定文における‘be’動詞と同じく、‘has’の後に‘not’がきており、完了形の、‘have’ (‘has’) の場合も、助動詞としての性質が、色濃く出ていると言えそうです。

ここで、品詞としての助動詞のタイプ分けの基準ですが、①・動詞の原形を取り、かつ、②・疑問文のつくり方、③・疑問文の答え方、④・否定文のつくり方、といった点が、助動詞らしさを決定する上での基準となったのを思い出してほしいのですが、その分類としては、3タイプあり、「真の助動詞」、「変則型の助動詞」、「擬似助動詞」、があるというものでした。 (助動詞のタイプ分けについては、EG13、参照。)

特に、①~④を、部分的にクリアできない場合、「変則型の助動詞」に分類される、ということでしたので、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、後に動詞の原形を取らないという点で、①をクリアできない以外、②~④は、全てクリアしている、ということですので、一見、「変則型の助動詞」に分類されるのが妥当だと思われますが、ちょっと、結論は後まわしにして、もう少し調べてみたいと思います。

(10)John will must read the book sometime. (×)
  (ジョンは、いつかその本を読まなければならない。)

(11)John will ought to read the book sometime. (×)
  (ジョンは、いつかその本を読むべきです。)

(12)John will need to read the book sometime. (〇)
  (ジョンは、いつかその本を読む必要があります。)

(10)は、真の助動詞‘will’と、同じく、真の助動詞‘must’が共起できないため、アウトです。そして、(11)では、真の助動詞‘will’と、変則型の助動詞‘ought’が共起できないため、アウトです。しかし、一方、(12)のように、真の助動詞‘will’と、擬似助動詞‘need to’の組み合わせなら、OKにすることができます。

つまり、真の助動詞は、お互いに共起できず、また、変則型の助動詞とも共起できないのですが、一方、擬似助動詞とは共起できる、ということになります。では、こういったことを踏まえて、以下を見てみましょう。

(13)John will be reading the book tomorrow morning. (〇)
   (ジョンは、明日の朝はその本を読んでいるでしょう。)

(14)John will be liked by his friends sometime. (〇)
   (ジョンは、いつかは、友だちに好かれるでしょう。)

(15)John will have finished his job tomorrow morning. (〇)
   (ジョンは、明日の朝には、仕事を終えているでしょう。)

(13)では、真の助動詞‘will’の後に、進行形の「‘be’動詞+動詞‘-ing’」が続いても、OKです。一方、(14)でも、真の助動詞‘will’の後に、受身文の「‘be’動詞+過去分詞」が続いていて、OKです。そして、(15)でも、真の助動詞‘will’の後に、完了形、「‘have’+過去分詞」が続いていて、同様にOKです。

つまり、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、(1)~(9)をトータルで考えるならば、変則型の助動詞に分類すべき、という結果になるのですが、しかし、一方、(10)~(13)をトータルで考えると、そうとは言えず、むしろ、擬似助動詞に近い分類を受けるべきではないのか、という結果が出てしまいます。

ですので、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、もし、助動詞としての扱いを受けるのであれば、これまでの立てた3タイプの分類のうち、いずれにも属さないような、独自のステイタスを確立していると言わざるを得ませんので、結論としては、新しい4番目のタイプである、ということになります。

ただし、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、助動詞らしさ、という点からは、変則型の助動詞と擬似助動詞の中間を占めるタイプであることは、今回の検証結果から明らかなので、そういったことを、考慮するならば、英語の中の助動詞という品詞は、それらしさを特徴付ける様々な特性を、多くもつか、それとも、少なくもつかで、格付けのような、言わば、序列化が存在している、ということになります。では、最後に、その序列をまとめて示しておきます。

(16)真の助動詞 > 変則型の助動詞 > ‘be’動詞 (進行形・受身文)・‘have’(完了形)
    > 擬似助動詞

今回のポイントは、英語の助動詞という品詞は、一般に、その定義からして、あやふやな印象があるものの、ただ1つ、助動詞らしさ、という点から見た場合、それらしさを特徴付ける様々な特性を、多くもつか、それとも、少なくもつかで、一定の格付けが存在する、ということです。

これで、品詞という視点から見た助動詞に関しては、一通り目を通して、その定義を固めたことになります。しかし、本来、助動詞は、今回のようなカタチの上での判別基準もさることながら、その意味的な使用法においても、結構、摩訶不思議なものが、多々ありますので、それもまた別個に調べていく必要がありますが、それについては、機会を改めて。

■注 :細かい意味の違いを考えなければ、大ざっぱには、‘will’=‘be going to’「~ だろう」や、‘may’=‘be allowed to’「~ してもよい」、と言いかえることが可能ですので、その点、‘be going to’や、‘be allowed to’も、それ全体で、助動詞のようなものとして、扱われる場合がありますが、しかし、今回見た‘be’動詞が、これらの一部となっているわけで、進行形や受身文の‘be’動詞と、全く同じ振る舞い方をしますので、位置付けとしては、やはり、「変則型の助動詞」と「擬似助動詞」の間に位置する助動詞ということになるか、または、こういった‘be’動詞を、サポート専用の助動詞と見なし、‘do’、‘does’、‘did’の仲間に加えて、擬似助動詞の分類を受けるか、どちらかになると思われます。ちなみに、‘can’=‘be able to’「~ できる」のようなものまで、含めて考える場合は、‘able’が、完全な形容詞ではありますが、やはり、その一部である‘be’動詞が、今回扱った‘be’動詞と全く同じ振る舞い方をする、という点で、‘be going to’や、‘be allowed to’と同列に扱うことになります。

●関連: EG12EG13

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