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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(113)

2006年04月02日 | 比較
EG107、EG108の続きです。比較の構文‘-er than ~’「~ よりも」です。以下、見ましょう。

(1)John is sadder than Tom (is). (ジョンはトムよりも悲しんでいる。)

(1)は、ジョンとトムの悲しみの度合いを、どちらが強いかで比較しています。そこで、‘sadder than ~’「~ よりも悲しい」という比較の構文で、ジョンの悲しみの方が、トムの悲しみよりも強い (‘John>Tom’) という関係を表しています。

ここで、(1)のような比較の構文における注意点ですが、2人の人物に対して、ある共通した1つのことに焦点を当てて比較をしているわけです。つまり、この構文では、異なる別々の人物が登場していることが前提とされています。

(2)John is more sad than angry. (ジョンは、怒っているというよりも、悲しんでいる。)
(3)John is sadder than angry. (×) (訳同上)

ところで、(2)のような比較の構文もあります。その特徴としては、‘sad’「悲しい」が、‘sadder’という比較の活用をしておらず、‘more sad’というように、ただ単に‘more’を付けただけ、というものです。これを‘sadder’にはできないのか、と考えても、(3)がアウトです。

そして、さらに、(2)は、(1)のように、2人の人物における比較ではなく、1人だけの人物の中で比較がなされている、という意味的な違いがあります。(2)の場合で言えば、1人の人物の中での、「悲しみ」と「怒り」の比較であり、そのどちらを取るべきか、というような解釈になっています。

ここで、(2)の解釈について押さえておかなければならないことは、‘sad’「悲しい」と‘angry’「怒っている」の比較の次元が、通常のものとは異なっている、ということです。つまり、ジョンが、悲しんでいる度合いと怒っている度合いとで、どちらが上か、というような解釈にはなっていない、ということです。

これをわかりやすく言うと、(2)では、ジョンは、怒っているのではなく、悲しんでいるのだ、ということを述べているのであって、怒っているという事実はない、ということになります。ですので、ジョンは、怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が上だ、ということを述べているわけではない、ということです。

(4)John is sadder than he is angry. (ジョンは怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が大きい。)

もし、ジョンは怒っているという事実もあるが、悲しみの方がより大きい、というような解釈を比較の構文で表現するのであれば、(4)のような文にしなくてはなりません。(4)では、‘more sad’ではなく、‘sadder’が使われているのが特徴です。そして、‘than’以下で、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されていなくてはなりません。 ((3)は、いかなる解釈も許されず、その文自体がアウトであることに注意。)

(5)John is more sad than he is angry.
(6) a. 訳同(2)
   b. 訳同(4)

(5)では、‘more sad’が使われていて、かつ、‘than’以下が、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されています。この場合、解釈は、何と、(6a)のように、怒っているという事実はない、という解釈と、一方、(6b)のように、怒ってもいるが、それよりも悲しんでもいる、という2通りが可能であり、あいまいになります。 (ただし、(6a)の解釈では、(5)よりも、(2)のカタチの方が一般的です。)

(7)John is more sad than he's angry.
(8) a. 訳同(2) (〇)
   b. 訳同(4) (×)

(7)では、(5)と違って、‘than’以下の‘he is’が、‘he's’というように縮約されたカタチになっていますが、すると、その解釈に制限がついてしまい、(2)の解釈はOKのままですが、一方、(4)の解釈が不可能になってしまいます。これは、一体どういうことなんでしょうか。

(9)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he is.’ (〇)
   (「ジョンは教師なんですか?」-「ハイ、そうですよ。」)

(10)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he's.’ (×) (訳同上)

ところで、(9)のように、‘Is John a teacher ?’「ジョンは教師ですか?」、というような疑問文に対して答えるときは、‘Yes、he is.’「はい、そうです」というように、‘he’と‘is’を、それぞれしっかりと分けて発音し、(10)のように縮約するようなカタチにはしません。

これは、英語では、‘Yes、he is a teacher.’から、‘a teacher’が消去されているような場合、つまり、‘be’動詞の直後に本来あるべき表現が消去されているような場合、その‘be’動詞は、ストレスを置くイントネーションで発音され、さもなくば、短縮形で使うことが不可能になるからです。

そこで、どうやら、(9)がOKで、一方、(10)がアウトであるような法則性が、(7)における(4)の解釈を妨げる要因を発見するカギになると考えられます。(7)は、(2)の解釈ならば、‘sad’と‘angry’のどちらが適切であるか、というような、二者択一式の比較になるような解釈なので、結局は、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文のどちらを取るべきか、というような、言わば、文対文の比較になっています。

しかし、一方、(7)を(4)の解釈で考えた場合、それは、‘sad’と‘angry’の二者択一ではなく、お互いの程度の比較ということになってしまい、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文の比較ではなく、あくまでも、ジョンの‘sad’と‘angry’の程度を比較するという、より小さな単位での比較というに留まってしまいます。

(11)John is sadder than he is very angry. (×)
  (ジョンはとても怒っているが、それよりも悲しみの方が大きい。)

(11)では、(4)の‘angry’に、程度表現の‘very’が加わっていますが、それが原因でアウトになってしまいました。つまり、(4)は、‘than’以下では、あたかも、‘he is angry’が、何ら消去のない文のように見えるのですが、実は、何らかの程度表現が消去されていると考えられ、故に、‘very’のような程度表現が現れるとアウトになるわけです。

つまり、(7)を(4)の解釈にしようとするならば、‘than’以下の‘be’動詞の直後に、本来あるはずの程度表現が消去されていると考えられますので、‘he's’のような縮約は阻止されることになります。ですので、無理に縮約すると、(4)の解釈は不可能ということになります。

しかし、一方、(7)において、(2)の解釈がOKであるという事実からは、‘he is angry’の中で、何も消去は起こっていないと考えられます。これは、もちろん、もともと、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という、文対文の二者択一式の比較であるから、程度表現とは無関係であることに起因するものです。

ここで、(2)のような二者択一式の解釈となる比較の構文が、なぜ、‘sadder’というカタチにならず、必ず、‘more sad’というカタチでなければならないのかもわかります。二者択一式の解釈となる比較の構文は、‘sad’の「程度」を問題にしているのではないため、あえて、程度以外の解釈も可能な‘more’を選ぶことになるわけですね。さらに、以下も見ましょう。

(12)John is more an office worker than a teacher. (〇)
  (ジョンは教師というよりも、むしろ、ただの会社員だ。)

(13)John is a more office worker than a teacher. (×) (訳同上)

(12)では、‘more’+‘an office worker’というように、冠詞の付いた名詞表現の前に‘more’が付いていてOKですが、一方、(13)では、冠詞と名詞表現の間に‘more’が入り込んでいて、アウトになっています。ここからも、(2)のような二者択一式の解釈において、‘more sad’が、‘sadder’にならないことが理解できます。

つまり、‘more’は、‘sad’自体を相手にしているのではなく、‘John is sad’という文全体を相手にしているため、‘sad’のみと融合して1つの単語になるようなカタチになるわけにはいかず、他の要素も相手にできるようなカタチを保持しておかなければならない、ということですね。

今回のポイントは、比較とは言っても、様々な比較の在り方があって、そう単純ではない、ということです。「・・・ というよりも、むしろ ~」、というような、「程度」の比較ではなく、「二者択一式」の比較表現は、厳密な意味では、比較とは言えないものの、コトバのもつ雰囲気から発する、言わば、拡大解釈の比較表現と言えるものです。

特に、‘more’のような単語は、単純な程度比較はもとより、それ以外にも独立した他の意味ももっているため、今回扱ったような、二者択一式の比較構文にも利用されます。‘more ~ than ・・・’「・・・ というよりも、むしろ ~」という構文は、よく考えてみると、結構、奥が深いものですよ。

●関連: EG107EG108

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英語学習法(112)

2006年04月01日 | 比較
EG109、EG110、EG111の続きです。比較構文の共通点です。以下、見ましょう。

(1) a. John has more money than Tom has 10 dollars.
    (ジョンは、トムの10ドルを越える額をもっている。)

   b. John has more money than 10 dollars.
    (ジョンは、10ドルを越える額をもっている。)

(1a)からわかることとして、‘John has money’と‘Tom has 10 dollars’の2つの文が、比較されていると言えます。もちろん、(1a)においては、‘than’以下で、‘Tom has 10 dollars’のような文が続いているので、‘than’は、接続詞ということになります。

しかし、一方、(1b)のような比較の構文も存在し、‘than’以下が、‘10 dollars’のような名詞表現だけなら、‘than’は、前置詞と見なせます。 (ただし、‘than’以下の文に対して消去が行われた結果、名詞表現のみが残ってしまう場合もあるので、その場合は、「‘than’+名詞表現」と言えども、‘than’を接続詞と見なしても構いません。EG110、参照。)

(2)John has more than 10 dollars. (訳同(1b))

しかし、(1b)以外にも、(2)のような表現の仕方があります。実質的には、(1b)も(2)も同じ意味です。恣意的に考えるならば、(1b)から、‘money’を消去してしまえば、(2)のような文をつくり出すことは可能です。ですので、(2)は、(1b)からの変形である、と関連付けて説明したくなります。

(3)John has no more than 10 dollars. (ジョンは、たったの10ドルしかもっていない。)
(4)John has no less than 10 dollars. (ジョンは、10ドルもの額をもっている。)

(3)の‘no more than ~’「たったの ~」や、(4)の‘no less than ~’「~ もの (多くの)」は、よく、慣用表現としてそのまま覚えてしまうことになっていますが、(1b)と(2)を手がかりとして、とりあえずは、‘no more money than’や‘no less money than’といった表現を想定して、そこから‘money’が消去されたと考えれば、一応の説明はつきます。

(5)More than 10 dollars were lost in the gamble. (その賭博で10ドルを越える額が失われた。)

(5)では、‘more than 10 dollars’が主語位置にあり、1つのカタマリと見なされているわけですから、やはり、‘more money than 10 dollars’と同じ解釈でよいと言えます。 (この場合、‘than’は、接続詞ではなく、前置詞としての扱いを受ける以外に選択肢はありません。EG110、参照。)

(6)John more than hates Tom. (ジョンはトムを嫌っている以上のものがある。)

(6)のような文では、(1a-b)のように、‘than’の前に文があるわけではなく、‘John’という名詞と‘more’があるだけで、かつ、‘than’の直後で、‘hates Tom’という、「動詞+目的語」がきており、一見、‘John more than’が、1カタマリの主語かと見当をつけてしまいますが、それでは、‘than’の直後 (‘hate’の前) にあるはずの比較対照要素がありません。

というわけで、‘than’の直後には、何もないということになり、どう見ても、何が消去されているのか見当がつきません。そこで、(6)の日本語訳を見ると、実は、(6)は、‘than hates’の部分の意味が、「嫌っている以上」となっています。ですので、(6)は、その意味からして、明らかに、動詞‘hate’「嫌う」が比較対照要素とされていることだけは、確かなようです。

(7)John can jump better than he can run. (○)
  (ジョンは、走るよりもジャンプの方が得意だ。)

(8)John can jump better than run. (×) (訳同上)

ところで、(7)はOKですが、一方、(8)はアウトです。つまり、‘jump’「ジャンプする」に対して、‘run’「走る」のように、お互いの動詞が比較の対照要素である場合、例え、‘run’以外の他の要素‘he can’が、‘John can’=‘he can’のように同一要素であることから、消去の対象とされる場合であっても、残しておかなければならない、というような制約があります。

そこで、(8)がアウトであるという事実からすると、(6)の‘than’以下では、‘hates Tom’の主語が欠けており、同様にアウトとなっても、別におかしくはないはずですが、事実としてOKなのです。ですので、(7)に関しては、これまでとは考え方を根本的に改めなければなりません。

そこで、(6)では、ただ単に、‘more than’という1つのカタマリが、‘John hates Tom.’という文に割り込んだ、というような考え方が、最も妥当ではないかと思われます。つまり、(6)は、文と文をつないだ状態から派生されて、最終的にでき上がったのではなく、‘more than ~’「~ 以上」という、ワンセットの表現が、もともと存在していて、ただ単に意味の付加を行っているだけ、という考え方です。

(9)John plays baseball as well as Tom.
(10)a. ジョンは、トムと同じくらい野球が上手い。
   b. ジョンは、トムと同じく野球をします。

(9)では、‘as well as ~’という比較の構文が使われていますが、その意味はあいまいであり、(10a-b)のように、2通りの解釈が可能です。まず、(10a)の解釈では、‘well’「上手く」自体がもっている意味が、そのまま活かされています。しかし、一方、(10b)の解釈では、‘well’のもつ意味は消えてしまい、ただ単に、「~ と同じく」といった意味しかもっていません。

(11)John as well as Tom plays baseball well. (訳同(10a))
(12)John as well as Tom plays baseball. (訳同(10b))

そこで、(11)ですが、‘John as well as Tom’「トムと同様にジョンも」の‘well’には、「上手く」の意味が残されていません。その証拠として、文の末尾に、改めて‘well’が用いられて、(10a)と同じ解釈になります。ですので、(12)のように文の末尾に‘well’のない文の解釈は、(10b)と同じものになります。

つまり、(11)のような場合、主語位置に、‘John as well as Tom’という表現があると、それが1つのカタマリと見なされるわけですから、‘well’が動詞‘play’にまで及ぶことができず、当然、‘well’には、副詞としてのはたらきが不可能となり、別の選択肢 (この場合、「~ と同じく」の解釈) があるなら、それを取るより他にない、ということになります。

ですので、やはり、‘as well as ~’は、比較の構文として、「~ と同じくらい上手く」の意味で使う場合もあれば、一方、それとは関係のない、単なる慣用表現として、「~ と同じく」の意味も、別に存在すると考えなければならず、ちょっと紛らわしいと言えます。

(13)John as much as admits his guilt. (ジョンは自分の罪を、事実上、認めている。)
(14)John went as far as Japan. (ジョンは、日本まで行った。)

この種の比較構文からの慣用表現には、(13)の‘as much as ~’「事実上 ~」のように、挿入的に使われるタイプ ((13)の場合、主語と動詞の間に挿入) のものや、一方、(14)の‘as far as ~’「~ まで」のように、本来の表現の代替的な役割をもって使われるタイプ ((14)の場合、‘to’の代用) がありますが、いずれも、‘much’や‘far’がもっている本来の意味がつかみにくいという特徴があります。

(15)As soon as John came、Mary left. (ジョンが来たら、すぐにメアリーは立ち去った。)
(16)As far as I know、John is naive. (私が知る限り、ジョンはバカ正直です。)

(15)の‘as soon as ~’「~ するとすぐに」や、(16)の‘as far as ~’「~ する限り」のように、文と文をつなぐ接続詞としての用法が定着しているものもありますが、いずれにせよ、比較の構文としての特徴は見られず、1つのカタマリとして、別用法と認識すべきものです。

(17)They are more or less the same. (それらは、多かれ少なかれ同じものですよ。)
(18)John has more than two sons. (ジョンは、息子が2人いるだけではない。)

(17)は、‘more or less’「多かれ少なかれ」が、1つのカタマリと見なされます。特徴としては、‘than ~’といった表現をともなうことがないので、この点、やはり、比較の構文とは異なっています。(18)は、‘more than ~’が、「~ より多く」といった意味のみならず、「~ 以外」といった意味ももっていて、息子が3人以上いる、といった解釈もあれば、一方、息子の他に娘もいますよ、といった解釈もあります。

今回のポイントは、‘~ -er than ・・・’や、‘as ~ as ・・・’が用いられている文で、一見、比較の構文のように見えるのですが、実は、単なる慣用表現である場合があり、それらを単純に比較の構文と結び付けて考えることは不可能であるということです。

対策としては、予め、そういった表現を覚えておく以外に方法はなく、慣用表現としての使い方のみのものもあれば、また、比較の構文としても用いる場合もあるものもあって、とてもややこしいのが難点ですが、明らかに比較の構文とは異質な使い方をしている場合は、無理に比較の構文からの派生とは考えたりせずに、ただ単に、比較の表現を借用してきた1カタマリの別構文くらいに考えておくのが正解ということです。

比較の構文は、基本形の理解もさることながら、擬似表現も結構多くて奥が深いものです。

●関連: EG109EG110EG111

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