EG107、EG108の続きです。比較の構文‘-er than ~’「~ よりも」です。以下、見ましょう。
(1)John is sadder than Tom (is). (ジョンはトムよりも悲しんでいる。)
(1)は、ジョンとトムの悲しみの度合いを、どちらが強いかで比較しています。そこで、‘sadder than ~’「~ よりも悲しい」という比較の構文で、ジョンの悲しみの方が、トムの悲しみよりも強い (‘John>Tom’) という関係を表しています。
ここで、(1)のような比較の構文における注意点ですが、2人の人物に対して、ある共通した1つのことに焦点を当てて比較をしているわけです。つまり、この構文では、異なる別々の人物が登場していることが前提とされています。
(2)John is more sad than angry. (ジョンは、怒っているというよりも、悲しんでいる。)
(3)John is sadder than angry. (×) (訳同上)
ところで、(2)のような比較の構文もあります。その特徴としては、‘sad’「悲しい」が、‘sadder’という比較の活用をしておらず、‘more sad’というように、ただ単に‘more’を付けただけ、というものです。これを‘sadder’にはできないのか、と考えても、(3)がアウトです。
そして、さらに、(2)は、(1)のように、2人の人物における比較ではなく、1人だけの人物の中で比較がなされている、という意味的な違いがあります。(2)の場合で言えば、1人の人物の中での、「悲しみ」と「怒り」の比較であり、そのどちらを取るべきか、というような解釈になっています。
ここで、(2)の解釈について押さえておかなければならないことは、‘sad’「悲しい」と‘angry’「怒っている」の比較の次元が、通常のものとは異なっている、ということです。つまり、ジョンが、悲しんでいる度合いと怒っている度合いとで、どちらが上か、というような解釈にはなっていない、ということです。
これをわかりやすく言うと、(2)では、ジョンは、怒っているのではなく、悲しんでいるのだ、ということを述べているのであって、怒っているという事実はない、ということになります。ですので、ジョンは、怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が上だ、ということを述べているわけではない、ということです。
(4)John is sadder than he is angry. (ジョンは怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が大きい。)
もし、ジョンは怒っているという事実もあるが、悲しみの方がより大きい、というような解釈を比較の構文で表現するのであれば、(4)のような文にしなくてはなりません。(4)では、‘more sad’ではなく、‘sadder’が使われているのが特徴です。そして、‘than’以下で、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されていなくてはなりません。 ((3)は、いかなる解釈も許されず、その文自体がアウトであることに注意。)
(5)John is more sad than he is angry.
(6) a. 訳同(2)
b. 訳同(4)
(5)では、‘more sad’が使われていて、かつ、‘than’以下が、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されています。この場合、解釈は、何と、(6a)のように、怒っているという事実はない、という解釈と、一方、(6b)のように、怒ってもいるが、それよりも悲しんでもいる、という2通りが可能であり、あいまいになります。 (ただし、(6a)の解釈では、(5)よりも、(2)のカタチの方が一般的です。)
(7)John is more sad than he's angry.
(8) a. 訳同(2) (〇)
b. 訳同(4) (×)
(7)では、(5)と違って、‘than’以下の‘he is’が、‘he's’というように縮約されたカタチになっていますが、すると、その解釈に制限がついてしまい、(2)の解釈はOKのままですが、一方、(4)の解釈が不可能になってしまいます。これは、一体どういうことなんでしょうか。
(9)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he is.’ (〇)
(「ジョンは教師なんですか?」-「ハイ、そうですよ。」)
(10)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he's.’ (×) (訳同上)
ところで、(9)のように、‘Is John a teacher ?’「ジョンは教師ですか?」、というような疑問文に対して答えるときは、‘Yes、he is.’「はい、そうです」というように、‘he’と‘is’を、それぞれしっかりと分けて発音し、(10)のように縮約するようなカタチにはしません。
これは、英語では、‘Yes、he is a teacher.’から、‘a teacher’が消去されているような場合、つまり、‘be’動詞の直後に本来あるべき表現が消去されているような場合、その‘be’動詞は、ストレスを置くイントネーションで発音され、さもなくば、短縮形で使うことが不可能になるからです。
そこで、どうやら、(9)がOKで、一方、(10)がアウトであるような法則性が、(7)における(4)の解釈を妨げる要因を発見するカギになると考えられます。(7)は、(2)の解釈ならば、‘sad’と‘angry’のどちらが適切であるか、というような、二者択一式の比較になるような解釈なので、結局は、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文のどちらを取るべきか、というような、言わば、文対文の比較になっています。
しかし、一方、(7)を(4)の解釈で考えた場合、それは、‘sad’と‘angry’の二者択一ではなく、お互いの程度の比較ということになってしまい、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文の比較ではなく、あくまでも、ジョンの‘sad’と‘angry’の程度を比較するという、より小さな単位での比較というに留まってしまいます。
(11)John is sadder than he is very angry. (×)
(ジョンはとても怒っているが、それよりも悲しみの方が大きい。)
(11)では、(4)の‘angry’に、程度表現の‘very’が加わっていますが、それが原因でアウトになってしまいました。つまり、(4)は、‘than’以下では、あたかも、‘he is angry’が、何ら消去のない文のように見えるのですが、実は、何らかの程度表現が消去されていると考えられ、故に、‘very’のような程度表現が現れるとアウトになるわけです。
つまり、(7)を(4)の解釈にしようとするならば、‘than’以下の‘be’動詞の直後に、本来あるはずの程度表現が消去されていると考えられますので、‘he's’のような縮約は阻止されることになります。ですので、無理に縮約すると、(4)の解釈は不可能ということになります。
しかし、一方、(7)において、(2)の解釈がOKであるという事実からは、‘he is angry’の中で、何も消去は起こっていないと考えられます。これは、もちろん、もともと、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という、文対文の二者択一式の比較であるから、程度表現とは無関係であることに起因するものです。
ここで、(2)のような二者択一式の解釈となる比較の構文が、なぜ、‘sadder’というカタチにならず、必ず、‘more sad’というカタチでなければならないのかもわかります。二者択一式の解釈となる比較の構文は、‘sad’の「程度」を問題にしているのではないため、あえて、程度以外の解釈も可能な‘more’を選ぶことになるわけですね。さらに、以下も見ましょう。
(12)John is more an office worker than a teacher. (〇)
(ジョンは教師というよりも、むしろ、ただの会社員だ。)
(13)John is a more office worker than a teacher. (×) (訳同上)
(12)では、‘more’+‘an office worker’というように、冠詞の付いた名詞表現の前に‘more’が付いていてOKですが、一方、(13)では、冠詞と名詞表現の間に‘more’が入り込んでいて、アウトになっています。ここからも、(2)のような二者択一式の解釈において、‘more sad’が、‘sadder’にならないことが理解できます。
つまり、‘more’は、‘sad’自体を相手にしているのではなく、‘John is sad’という文全体を相手にしているため、‘sad’のみと融合して1つの単語になるようなカタチになるわけにはいかず、他の要素も相手にできるようなカタチを保持しておかなければならない、ということですね。
今回のポイントは、比較とは言っても、様々な比較の在り方があって、そう単純ではない、ということです。「・・・ というよりも、むしろ ~」、というような、「程度」の比較ではなく、「二者択一式」の比較表現は、厳密な意味では、比較とは言えないものの、コトバのもつ雰囲気から発する、言わば、拡大解釈の比較表現と言えるものです。
特に、‘more’のような単語は、単純な程度比較はもとより、それ以外にも独立した他の意味ももっているため、今回扱ったような、二者択一式の比較構文にも利用されます。‘more ~ than ・・・’「・・・ というよりも、むしろ ~」という構文は、よく考えてみると、結構、奥が深いものですよ。
●関連: EG107、EG108
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(1)John is sadder than Tom (is). (ジョンはトムよりも悲しんでいる。)
(1)は、ジョンとトムの悲しみの度合いを、どちらが強いかで比較しています。そこで、‘sadder than ~’「~ よりも悲しい」という比較の構文で、ジョンの悲しみの方が、トムの悲しみよりも強い (‘John>Tom’) という関係を表しています。
ここで、(1)のような比較の構文における注意点ですが、2人の人物に対して、ある共通した1つのことに焦点を当てて比較をしているわけです。つまり、この構文では、異なる別々の人物が登場していることが前提とされています。
(2)John is more sad than angry. (ジョンは、怒っているというよりも、悲しんでいる。)
(3)John is sadder than angry. (×) (訳同上)
ところで、(2)のような比較の構文もあります。その特徴としては、‘sad’「悲しい」が、‘sadder’という比較の活用をしておらず、‘more sad’というように、ただ単に‘more’を付けただけ、というものです。これを‘sadder’にはできないのか、と考えても、(3)がアウトです。
そして、さらに、(2)は、(1)のように、2人の人物における比較ではなく、1人だけの人物の中で比較がなされている、という意味的な違いがあります。(2)の場合で言えば、1人の人物の中での、「悲しみ」と「怒り」の比較であり、そのどちらを取るべきか、というような解釈になっています。
ここで、(2)の解釈について押さえておかなければならないことは、‘sad’「悲しい」と‘angry’「怒っている」の比較の次元が、通常のものとは異なっている、ということです。つまり、ジョンが、悲しんでいる度合いと怒っている度合いとで、どちらが上か、というような解釈にはなっていない、ということです。
これをわかりやすく言うと、(2)では、ジョンは、怒っているのではなく、悲しんでいるのだ、ということを述べているのであって、怒っているという事実はない、ということになります。ですので、ジョンは、怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が上だ、ということを述べているわけではない、ということです。
(4)John is sadder than he is angry. (ジョンは怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が大きい。)
もし、ジョンは怒っているという事実もあるが、悲しみの方がより大きい、というような解釈を比較の構文で表現するのであれば、(4)のような文にしなくてはなりません。(4)では、‘more sad’ではなく、‘sadder’が使われているのが特徴です。そして、‘than’以下で、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されていなくてはなりません。 ((3)は、いかなる解釈も許されず、その文自体がアウトであることに注意。)
(5)John is more sad than he is angry.
(6) a. 訳同(2)
b. 訳同(4)
(5)では、‘more sad’が使われていて、かつ、‘than’以下が、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されています。この場合、解釈は、何と、(6a)のように、怒っているという事実はない、という解釈と、一方、(6b)のように、怒ってもいるが、それよりも悲しんでもいる、という2通りが可能であり、あいまいになります。 (ただし、(6a)の解釈では、(5)よりも、(2)のカタチの方が一般的です。)
(7)John is more sad than he's angry.
(8) a. 訳同(2) (〇)
b. 訳同(4) (×)
(7)では、(5)と違って、‘than’以下の‘he is’が、‘he's’というように縮約されたカタチになっていますが、すると、その解釈に制限がついてしまい、(2)の解釈はOKのままですが、一方、(4)の解釈が不可能になってしまいます。これは、一体どういうことなんでしょうか。
(9)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he is.’ (〇)
(「ジョンは教師なんですか?」-「ハイ、そうですよ。」)
(10)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he's.’ (×) (訳同上)
ところで、(9)のように、‘Is John a teacher ?’「ジョンは教師ですか?」、というような疑問文に対して答えるときは、‘Yes、he is.’「はい、そうです」というように、‘he’と‘is’を、それぞれしっかりと分けて発音し、(10)のように縮約するようなカタチにはしません。
これは、英語では、‘Yes、he is a teacher.’から、‘a teacher’が消去されているような場合、つまり、‘be’動詞の直後に本来あるべき表現が消去されているような場合、その‘be’動詞は、ストレスを置くイントネーションで発音され、さもなくば、短縮形で使うことが不可能になるからです。
そこで、どうやら、(9)がOKで、一方、(10)がアウトであるような法則性が、(7)における(4)の解釈を妨げる要因を発見するカギになると考えられます。(7)は、(2)の解釈ならば、‘sad’と‘angry’のどちらが適切であるか、というような、二者択一式の比較になるような解釈なので、結局は、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文のどちらを取るべきか、というような、言わば、文対文の比較になっています。
しかし、一方、(7)を(4)の解釈で考えた場合、それは、‘sad’と‘angry’の二者択一ではなく、お互いの程度の比較ということになってしまい、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文の比較ではなく、あくまでも、ジョンの‘sad’と‘angry’の程度を比較するという、より小さな単位での比較というに留まってしまいます。
(11)John is sadder than he is very angry. (×)
(ジョンはとても怒っているが、それよりも悲しみの方が大きい。)
(11)では、(4)の‘angry’に、程度表現の‘very’が加わっていますが、それが原因でアウトになってしまいました。つまり、(4)は、‘than’以下では、あたかも、‘he is angry’が、何ら消去のない文のように見えるのですが、実は、何らかの程度表現が消去されていると考えられ、故に、‘very’のような程度表現が現れるとアウトになるわけです。
つまり、(7)を(4)の解釈にしようとするならば、‘than’以下の‘be’動詞の直後に、本来あるはずの程度表現が消去されていると考えられますので、‘he's’のような縮約は阻止されることになります。ですので、無理に縮約すると、(4)の解釈は不可能ということになります。
しかし、一方、(7)において、(2)の解釈がOKであるという事実からは、‘he is angry’の中で、何も消去は起こっていないと考えられます。これは、もちろん、もともと、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という、文対文の二者択一式の比較であるから、程度表現とは無関係であることに起因するものです。
ここで、(2)のような二者択一式の解釈となる比較の構文が、なぜ、‘sadder’というカタチにならず、必ず、‘more sad’というカタチでなければならないのかもわかります。二者択一式の解釈となる比較の構文は、‘sad’の「程度」を問題にしているのではないため、あえて、程度以外の解釈も可能な‘more’を選ぶことになるわけですね。さらに、以下も見ましょう。
(12)John is more an office worker than a teacher. (〇)
(ジョンは教師というよりも、むしろ、ただの会社員だ。)
(13)John is a more office worker than a teacher. (×) (訳同上)
(12)では、‘more’+‘an office worker’というように、冠詞の付いた名詞表現の前に‘more’が付いていてOKですが、一方、(13)では、冠詞と名詞表現の間に‘more’が入り込んでいて、アウトになっています。ここからも、(2)のような二者択一式の解釈において、‘more sad’が、‘sadder’にならないことが理解できます。
つまり、‘more’は、‘sad’自体を相手にしているのではなく、‘John is sad’という文全体を相手にしているため、‘sad’のみと融合して1つの単語になるようなカタチになるわけにはいかず、他の要素も相手にできるようなカタチを保持しておかなければならない、ということですね。
今回のポイントは、比較とは言っても、様々な比較の在り方があって、そう単純ではない、ということです。「・・・ というよりも、むしろ ~」、というような、「程度」の比較ではなく、「二者択一式」の比較表現は、厳密な意味では、比較とは言えないものの、コトバのもつ雰囲気から発する、言わば、拡大解釈の比較表現と言えるものです。
特に、‘more’のような単語は、単純な程度比較はもとより、それ以外にも独立した他の意味ももっているため、今回扱ったような、二者択一式の比較構文にも利用されます。‘more ~ than ・・・’「・・・ というよりも、むしろ ~」という構文は、よく考えてみると、結構、奥が深いものですよ。
●関連: EG107、EG108
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