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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(82)

2005年05月04日 | 前提の概念
EG22と、EG81の続きです。「前提」の概念と、‘do so’「そうする」、の関わり合いです。以下、見ましょう。

(1)Tom told me the story and John did so、too. (〇)
  (トムはボクにその話を語り、ジョンもそうした。)

(2)Tom told me the story and John did so another story. (×)
  (トムはボクにその話を語り、ジョンは別の話をそうした。)

(1)はOKですが、‘told me the story’「ボクにその話を語った」、の部分が、後半の文では、‘did so’で置き換えられています。しかし、一方、(2)はアウトです。この場合、‘told me’「ボクに語った」、の部分のみを、‘did so’がカバーしていると思われるのですが、どうやら、‘do so’は、‘tell A B’「AにBを語る」全体を、カバーしなくてはならないようです。

ですので、‘tell’「語る」、という動詞は、「語る相手」と、「語るテーマ (または、内容)」という、後に続く2つの目的語を前提とした表現であることがわかります。ところで、こういった、2つの目的語をとる構文は、その、「語るテーマ (または、内容)」を表す目的語が、「(that) 主語+動詞 ~」を組み込んだ、いわゆる、「節」であることもあります。 (EG22参照)

(3)Tom told me [ that the earth is round ] and John did so、too. (〇)
  (トムはボクに [ 地球は丸いと ] 言い、ジョンもそう言った。)

(4)Tom told me [ that the earth is round ] and John did so [ that Mars is round ]. (×)
  (トムはボクに [ 地球は丸いと ] 言い、ジョンは [ 火星は丸いと ] と言った。)

(1)がOKであることから、当然のことながら、(1)の‘the story’「その話」を、(3)のように、‘that the earth is round’「地球は丸い (ということ)」、という、‘that’節に換えても、やはり、‘did so’がカバーしていれば、何ら問題なく、OKになります。しかし、一方、(2)がアウトであることからもわかる通り、‘that’節を除いた、‘told me’のみを、‘did so’がカバーしている(4)はアウトですね。ところで、以下を見ましょう。

(5)Tom told me [ that the earth is round ] <yesterday>. (×) 
  (トムは、<昨日>ボクに [ 地球は丸いと ] 語りました。)

(6)Tom told me <yesterday> [ that the earth is round ]. (〇) (訳同(5))
 
ここで、EG22のお話を思い出して欲しいのですが、EG22では、(5)と(6)のような文法性の差があるのを確認しました。‘yesterday’「昨日」、という副詞が追加されて、「~ であると、昨日言った」、という意味になる場合、‘yesterday’の位置は、‘that’節の後ではなく、‘that’節の前でなければ、OKにできなくなる、という文法現象があるわけですね。では、これを、‘do so’の観点から見ると、どうなるんでしょうか。

(7)Tom told me <yesterday> [ that the earth is round ] and John did so、too. (〇)
  (トムは、<昨日>ボクに [ 地球は丸いと ] 言い、ジョンもそう言った。)

(8)Tom told me <yesterday> [ that the earth is round ] and John did so <today>. (〇)
  (トムは、<昨日>ボクに [ 地球は丸いと ] 言い、ジョンは、今日そう言った。)

(7)は、前半の‘told me yeaterday that the earth is round’を、後半の‘did so’が、カバーしていて、OKになっていますが、ここで、注目すべきは、(8)もOKである、ということです。EG81では、‘do so’は、少なくとも、動詞が、意味的に、「前提」としているものは、全てカバーしなければならない、ということを考察したわけですが、この点、OKである(8)の後半にあるように、‘~ did so today’が成り立つということは、‘tell’の前提とする、2つの目的語がカバーされているから、問題なし、ということになります。しかし、アウトである(5)のような例と比較すると、一見、不可解な点もあります。

つまり、‘yesterday’が、‘me’と‘that the earth is round’の間に挟まれている位置関係では、‘do so’が、1つのカタマリとして、‘told me yeaterday that the earth is round’全体を、カバーする義務が発生する、と考えるのが自然ではないか、と思われるのですが、この予想に反して、‘yesterday’が、どのような位置にあろうとも、‘do so’は、徹底的に、「前提」の概念にのみ従って、‘yeterday’を、必ずカバーする義務は負わない、ということなのです。(だから、後半で、‘told me today that the earth is round’の解釈となる、‘did so today’が許される。)

ここから、‘do so’は、「前提」の概念に、かなり強い関わり合いがある表現である、という証拠が、また1つ上がったことになります。そして、もう1つ重要なのは、この‘do so’を用いた検証結果から、ほぼ明らかであろうと思われることとして、「前提」の概念とは、また違った、他に独立した文法上の制約が存在するのではないか、ということです。

つまり、‘yesterday’と‘that’節の語順が入れかわる、「変形」です。「前提」の概念からすれば、動詞が前提とする要素は、語順的に (つまり、カタチ的に)、1つにまとまっていてくれれば、意味的なカタマリが、そのままカタチの上でのカタマリ、ということになり、それが私たちの理解としては、最も都合が良い、ということになるわけです。

そこで、‘tell A B’「AにBを語る」、という表現は目的語である、Aも、Bも、‘tell’が、意味的に前提としている要素であり、語順の上で、これらの要素が、途中で‘yesterday’のような、不純物を介入させることなく、一直線につながっていれば、意味のカタマリは、カタチのカタマリでもある、ということになるんですね。

しかし、(5)と(6)の文法性の差を見る限り、実際、そうはいかないので、「前提」の概念は、‘do so’の用法から見る限り、あくまで、意味に従う制約でしかなく、文のカタチを、100パーセントは制御するはたらきをもたない、ということになるのです。

(9)John ran after Mary. 
(10)a. ジョンはメアリーを追いかけた。 (〇)
   b. ジョンはメアリーの背後で駆け足をした。 (〇)

(11)After Mary John ran.
(12)a. ジョンはメアリーを追いかけた。 (×)
   b. ジョンはメアリーの背後で駆け足をした。 (〇)

しかし、EG46でも説明したように、(10a)と(10b)の2通りの解釈を許す(9)のような文で、ある要素を文の先頭に移動させた場合、つまり、(11)のように、‘after Mary’を文の先頭に移動させた場合、(12a)のように、‘run after ~’「~ を追いかける」、の意味がなくなり、ただ単に、「~ の後で駆け足をする」、という解釈しか得られないという事実は、「前提」の概念が、意味的なカタマリを、文のカタチに有効に反映させている、と言えますので、やはり、「前提」の概念を認めた上で、それとは違った概念を独立に求める、という方法が有効であると思われます。

今回のポイントは、EG81に引き続いて、‘do so’の用法が、「前提」の概念によって支えられている、ということを支持する新たな証拠を上げた、ということと、そういったことを検証していくプロセスで、(6)のような文をOKにする、新たな概念が存在する可能性があることが示唆された、ということです。果たして、その概念って、何なんでしょうね。また、別の機会に。

■注1 :Tom told me <before dark> [ that Mary had finished her job ].「[ メアリーは仕事を片付けたって ]、トムが、<暗くなる前に>、言ったんだ。」は、OKですが、一方、Tom told me [ that Mary had finished her job <before dark>].「[ メアリーは <暗くなる前に> 仕事を片付けたって ]、トムが言ったんだ。」も、OKになります。後者の文の場合、<before dark>は、その位置からして、‘that’節の内部でのみ、はたらいており、「メアリーが仕事を終えたのは、暗くなる前だ」、という意味に解釈されるからですね。

■注2 :‘Mary was run after by John’「メアリーはジョンに追いかけられた。」、という受身文では、「メアリーは、背後でジョンに駆け足された。」、という解釈はありません。これは、(11)の解釈が、(12a)では、アウトで、一方、(12b)では、OKになることとは、真逆であり、そこから、‘run’と‘after’の結束性の強さが、‘run after ~’「~ を追いかける」、という表現の解釈に貢献していることは明らかです。つまり、‘run after ~’が、「~ を追いかける」の意味になるときは、一種のイディオムである、と言えそうです。


●関連: EG22EG46EG81

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英語学習法(81)

2005年05月01日 | 前提の概念
ちょっと変わった小ネタですが、‘do so’「そうする」、という表現を扱ってみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)John ate lunch. So did Bill. (ジョンは昼食を食べ、ビルもそうした。)
(2)John ate lunch and Bill did so、too. (訳同上)

(1)と(2)は、両方とも、同じ解釈が成り立つ文です。高校の英文法などでは、(1)のような表現を、よく習うと思いますが、だからと言って、別に、(2)がダメだ、というわけではありません。全く、OKな文です。とりあえず、(1)の、‘so did Bill’「ビルもそうした」、を文法的な観点から説明すると、(2)の、‘Bill did so’の、‘Bill’と‘so’が、語順変更をおこして、前後が入れかわったと見ることができます。

そこで、先行する文は、主語が‘John’「ジョン」で、述語が‘ate lunch’「昼食を食べた」、となっています。次に続く文では、「昼食を食べる」、という行為が、同じ行為であるわけだから、「そうする」、というような、先行する述語の代わりになる表現を使っているわけですね。しかし、主語は、‘Bill’「ビル」というように、ジョンとは違う人物になっていることが注意点です。

この場合、聞き手にとって、例え、ビルのことは、それ以前から話題になっていて、初登場ではなかったとしても、「昼食を食べる」、という行為に関しては、ジョンと違う人物 (つまり、ビル) も、同じく昼食を食べる、ということをするのだ、ということなので、ビルを、あえて、ジョンと対比させるために、「‘so did’+主語」、という倒置のカタチを使うことで、強調しているんですね。

そこで、ここでの、ビルの登場は、情報的価値としては、対比強調を受ける、という意味で、「新鮮な情報」になり、文の焦点を担いやすい位置、つまり、本来なら、述語があるべき位置に回される、ということなんですね。 (EG73、EG74、参照)

こういった、対比強調による、‘so did ~’のような語順変更は、そういった構文自体が、‘too’「~ も」、の意味をもっていると思われるので、‘too’がありませんが、一方、普通の語順で表現した、(2)のような、主語以外は、全く同じことを述べている行為を表す場合の、‘did so’を用いた文は、‘too’を付ければOKになります。

(3)John greeted Mary in the station and Tom did so、too.
  (ジョンは、メアリーに駅であいさつをして、トムもそうした。)

(4)John greeted Mary in the station and Tom did so in the park.
  (ジョンは、メアリーに駅であいさつをして、トムは、公園でそうした。)

(3)では、ジョンがしたことは、メアリーに駅であいさつをした、ということです、そして、トムも全く同じことをした、ということなので、‘too’を使っています。しかし、一方、(4)では、あいさつをした場所が違っていて、ジョンは駅で、トムは公園で、メアリーにあいさつをした、ということなので、この場合、トムは、ジョンと全く同じことをした、とは見なされず、‘too’が現れていません。

このように、‘do so’は、(1)のような倒置のカタチ、「‘so do’+主語」、よりも、汎用性が高いので、使用される頻度は、はるかに高い、と言えます。しかし、あまりにも簡単過ぎる、と思われているフシがあるのか、一般に、その使用上の重要な点が説明されることは、全くと言ってよいほどありません。

(5)John greeted Mary in the station and Tom did so Susan in the park. (×)
  (ジョンは、メアリーに駅であいさつをして、トムは、スーザンに公園でそうした。)

そこで、(5)は、アウトになっているのですが、ジョンはメアリーに駅で、そして、トムはスーザンに公園で、あいさつをした、ということですが、お互いに共通しているのは、‘greeted’「あいさつをした」、という、動詞の部分のみです。

つまり、ここから、(5)を、OKである(4)と比較して、目的語の部分は、必ず共通 (この場合、‘Mary’) でなければならず、‘do so’に含まれていることが、約束事になっているのがわかりますね。ここから、‘do so’の‘so’の部分は、目的語みたいなものか?と推測してしまいますが、その前に、以下を見ましょう。

(6)John swam yesterday and Tom did so today. (〇) 
  (ジョンは、昨日、水泳をして、トムは、今日そうした。)

(6)では、‘swam’「水泳をした」、の代わりに、‘did so’を用いてもOKになっています。ここで注意すべきは、‘swim’「水泳をする」は、自動詞であり、目的語は取らないということです。そこで、(6)がOKであるということは、つまり、‘do so’は、自動詞のみの表現とも置き換えができる、ということなのです。ですので、‘do so’の‘so’は、目的語のような役割を果たしているわけではなく、(6)を見る限り、‘swam’=‘did so’が成り立つので、‘do so’は、1つのカタマリ表現になっているものと思われます。

じゃ、今度は、(4)がOKで、(5)がアウトになった理由をどこに求めるんだ?ということになりますが、ここで登場するのが、EG46で扱った、「前提」の概念です。どうやら、‘do so’のキモは、動詞が、「前提」としているような表現を、義務的にカバーしなければならない、ということのようなのです。

例えば、‘greet’「あいさつする」という行為は、その概念上、あいさつする相手がいなければ、成り立ちません。その相手とは、もちろん、目的語の‘Mary’になるわけですから、「前提」の概念からすれば、目的語の‘Mary’は、‘greet’が、「前提」としている表現なのです。そこで、‘do so’は、「他動詞 (greet)+目的語 (Mary)」を、ひとまとめにしてカバーしなければならない、ということなのです。

一方、‘swim’「水泳をする」という表現は、その行為自体が、意味的に完結性をもっていて、何も前提とはしていません。ですので、‘swim’というような、動詞1つの場合でも、他に何も前提とはしていないのなら、「前提」の概念に従う‘do so’にとっては、何ら問題ではなく、そのまま、置き換えの対象とされます。今度は、ちょっと意外な‘do so’置き換えの例です。見ましょう。

(7)Mary put the ring on the sofa and Susan did so、too. (〇)
  (メアリーは指輪をソファーの上に置き、スーザンもそうした。)

(8)Mary put the ring on the sofa and Susan did so on the table. (×)
  (メアリーは指輪をソファーの上に置き、スーザンはテーブルの上にそうした。)

(7)では、‘did so’が、‘put the ring on the sofa’「指輪をソファーの上に置いた」、の置き換えとなっていて、OKですが、一方、(8)では、‘did so’が、‘put the ring’「指輪を置いた」、のみの置き換えとなっていて、アウトです。

‘put’「~ を置く」は、他動詞であり、目的語を取ります。そして、意味的にも、何が「置く」という行為の対象となるのかが、前提となりますので、当然、その目的語は‘do so’が、義務的にカバーしなくてはならない要素なのですが、(8)を見る限り、目的語のみならず、「前置詞+名詞」である、‘on the sofa’までも、カバーしなくてはならない、ということなのです。

そこで、「前提」の概念からすれば、「置く」という行為は、「置かれるモノ」、と同時に、「置く場所」も、前提としている、ということなのです。これは、確かに、「置く」という行為は、概念上、その「置かれるモノ」が、どこかを「着地点」にしているのは、当然と言えますので、‘do so’が、(8)のように、「着地点」をカバーしていない場合、アウトになるのは、「前提」の概念からは、当然の帰結と言えるでしょう。

ここで、(8)と同じ、「動詞+目的語+前置詞+名詞」のカタチである、(4)が、OKであることも、あわせて考えてみて下さい。「あいさつする」、という行為は、あいさつする相手を前提にはしますが、あいさつする場所までも前提とはしないことは、皆さんもよくおわかりになると思います。ですので、やはり、(4)と(8)の文法性の違いは、「前提」の概念が、的確に反映されたもの、と言えます。

今回のポイントは、EG46で登場した、「前提」の概念が、英語の文法性にどのように反映されているのかを、‘do so’という、特殊な代用表現によって検証した、ということです。「前提」の概念は、学校で習う英文法の弱点を補う強力な武器になり得ることは、EG46で述べた通りなのですが、この概念から説明が可能となる文法現象の1つが、‘do so’の用法なのです。

今回の議論で、‘do so’は、実は、かなり特殊な表現であることがわかったと思います。一般に英語を勉強している人たちから見て、‘do so’は、「そうする」と訳しておけば、それで終わりといった印象が、相当、強いらしいので、あえて今回、扱うことにしましたが、「前提」の概念という観点から、英語の文法性を検証するための、言わば、「試金石」、となる重要な表現だったわけですね。‘do so’の残りのお話しに関しては、またの機会にでも。

■注1 :(1)のような、「‘So do’+主語」の、倒置の文においては、その主語が、代名詞か否かということは、語順とは無関係です。‘Tom loves Mary.’「トムはメアリーを愛してるのよ。」、に対して、‘So do I.’「オレだってそうさ。」、とは言いますが、‘So I do.’とは言えません。これは、一度、話題に上がって、情報に新鮮度がないものには、「代名詞」を用いるとは言っても、個々のトピックの中では、代名詞の情報の新鮮度に変化が生じるためで、メアリーを愛しているのは誰か、というトピックの中では、代名詞の‘I’「オレ」は、「新鮮な情報」、として再浮上することが可能だからです。ちなみに、‘Tom loves Mary.’、に対して、‘So he does.’「彼は、全く、その通りだね。」、という場合は、OKです。もちろん、これは、明らかに、メアリーを愛しているのは誰か、というトピックにおいては、‘Tom’は、既に、先に言われてしまっているからで、‘Tom’が、「新鮮な情報」、ではなくなってしまっているからです。

■注2 :学校の英文法では、‘John greeted Mary <in the station>.’「ジョンは、<駅で>メアリーにあいさつした。」も、‘John put the ring <on the sofa>.’「ジョンは<ソファーの上に>指輪を置いた。」も、全く同じ、‘S+V+O’の文型として扱われ、<in the station>や、<on the sofa>は、全く同じ、前置詞句からなる、副詞表現として扱われますので、両者には、文法上の違いはない、ということになってしまいます。


● 関連 :EG46EG73EG74

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英語学習法(46)

2005年01月14日 | 前提の概念
EG45の続きです。EG45では、「前提」の概念を導入して、文における単語のつながり具合をみたわけですが、この概念を用いると英語の面白い側面を発見することができます。以下、見ましょう。

(1)John died in Japan. (ジョンは日本で亡くなりました。)
(2)John lives in Japan. (ジョンは日本に住んでいます。)

EG45では、‘die’「死ぬ」のような動詞は、主語に生命をもったものがくることが「前提」になると言いました。(1)でも、それは変わりません。しかし、それ以外は「前提」とはならない表現なので、‘in Japan’「日本で」のように、どこで死亡したのか、というような「場所」は、「前提」とはならないわけです。

(2)では動詞の‘lives’「住む」が、そういった行為を行うものとして、主語‘John’を取っていますね。ですので、‘John lives’で、「ジョンは住んでいる」になりますが、それだけだと、ちょっと何かもの足りません。「住む」という表現は、やはり、どこどこに住む、というように「場所」がないと、座りが悪い感じになります。ですので、(2)のように、‘~ lives in Japan’とすれば、「~ は日本に住んでいる」となって、スッキリした感じがします。

ここで、(1)と(2)のカタチを見てみると、どちらも、「主語+動詞+前置詞+名詞」のカタチをしていて、違いがないことがわかります。これを、ちょっと学校の先生風に説明してみると、以下のような感じになるんじゃないでしょうか。

(3)‘die’も‘live’も自動詞だから、目的語は取らない。だから、(1)も(2)も、
   「S (主語)+V (動詞)」の、いわゆる、「第1文型」になり、‘in Japan’は、
   「前置詞+名詞」で、副詞句だから、‘died’や、‘lives’にかかる修飾語
   になる。 (副詞句については、EG44、参照。)

学校で英文法を習うときの、(1)や(2)に対する説明としては、(3)のような説明は、ごくスタンダードなもので、要するに、(1)の場合も、(2)の場合も共に、‘in Japan’は、副詞句として扱うから同じ構文だ、と言っているわけです。

しかし、EG45でやったように、「前提」という概念から単語の結びつきを見る方法を導入すると、見た目のカタチが同じだからという理由で、(1)や(2)のような文は、決して同じ性質をもっているとは言えません。

「英語脳」的な観点からみる限り、真の副詞句と言えるようなものは、(1)の‘in Japan’であり、一方、(2)の‘in Japan’は、決して副詞句とは呼べないようなものです。「前置詞+名詞」のカタチをしているからといって、そこから即座に、文法的に同じステイタスをもつと言っていては、以下のような場合に説明がつかなくなります。

(4)In Japan John died. (〇) (訳同(1))
(5)In Japan John lives. (×) (訳同(2))

(4)では、(1)の‘in Japan’を文の先頭に移動してみたのですが、これはOKです。一方、(5)でも、(2)の‘in Japan’を文の先頭に移動したのですが、何と、ダメになってしまいました。ここから言えそうなのは、‘live’「住む」と ‘in Japan’のつながりは強いが、一方、die’「死亡する」と ‘in Japan’のつながりは弱いということです。

これは、もちろん、‘live’「住む」は、意味的な「前提」として「場所」を要求する動詞なのに対して、‘die’「死亡する」は、意味的な「前提」として「場所」など要求せず、ただ単に、必要に応じて、そういったものを付けたり付けなかったりすればよいからです。

(6)a. Ieyasu Tokugawa lived in the 17th century. (〇) 
    (徳川家康は17世紀に生きていました。)
   b. In the 17th century Ieyasu Tokugawa lived. (〇) (訳同上)

‘live’には、「住む」以外に、「生きている」の意味もありますが、「生きている」の場合は、意味的に、生命をもったものが主語であればよく、他の要素を「前提」とはしません。ですので、(6a)のような文では、‘in the 17th century’を、純粋に副詞句として扱ってもよく、‘in the 17th century’を文の先頭に移動した(6b)が、OKとなります。ちなみに、(5)の場合も同様に、もし、「ジョンは日本に住んでいます。」ではなく、「ジョンは日本で生きています。」の解釈にするのなら、OKになるんですね。

今回のポイントは、EG45に引き続き、語句の関連付けのあり方に、「前提」という概念を導入することだったわけですが、この概念は、「英語脳」における重要なキーワードとなります。この認識が備わっていると、コトバの習得に対して敏感にセンスがはたらくようになり、英語を学習する上での効率が各段に向上します。「前提」の概念は、コトバの様々な側面で文法的な影響を与えており、その証拠としての一例を今回は示しました。

このような概念は、一般に、学校の授業では教わることがないため、結果として、(3)のような説明から、なかなか脱却することができず、(4)と(5)のような例に出くわすと、とたんに無力になってしまうという、もろい一面があります。「前提」の概念は、実は、EG42で、不定詞の副詞用法を扱う際にちょっと触れていたものです。今後も「前提」の概念を扱って、他の効果も検証していきますので、お楽しみに。

●関連: EG42EG44EG45

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英語学習法(45)

2005年01月10日 | 前提の概念
主語とか、動詞とか、目的語って何なんでしょうね。ちょっと考えてみると面白いことがあるかも知れません。以下、見ましょう。

(1)John died. (ジョンは亡くなりました。)
(2)John reads a book. (ジョンは本を読みます。)

(1)も(2)も簡単ですね。(1)の場合、‘died’が「亡くなった」になるわけで、動詞ですけど、主語は生き物であればOKですよね。「屋根裏が亡くなった」では意味が通りませんからね。「亡くなる」は、生命を持つものがその生命を失うことを意味しますから、生命を持つものでなければ主語になれません。

次に(2)ですが、‘reads’は、日本語の「読む」に対応します。「読む」というのも動詞ですが、「読む」という表現は「読む」という動作を行う人がいて初めて成り立つ表現です。その動作を行う人は主語になりますね。だから、「ジョンは読む」というようになります。

それから、「読む」は対象を必要とします。「読む」という動作は何を対象としているか。「黄色を読む」としても意味不明です。なぜ意味不明かと申しますと、もちろん「黄色」は読めないからなんですけど、くどくど説明すると、「黄色」は固体じゃないから手で触ることができないし、文字も印刷されてないし、という感じで要するに「読む」には不適合な表現なわけです。

「読む」は、文字として目で見て、何か情報を伝えているようなものでなければ、対象にすることができない表現なんですね。「本」だとそういった対象になるから、「本を読む」というのは自然なわけです。こういう風に、「読む」は予め目的語となれる意味的な対象が決まっています。

言い方を変えれば、「読む」は、あること (この場合、読めるもの) を前提としている表現であるとも言えますね。だから、(1)や(2)の単語のつながりは個々の単語が持つ「前提」に照らし合わせてつながり具合の良し悪しが決まるんですね。次を見ましょう。

(3)John died at three. (ジョンは3時に亡くなりました。)
(4)John reads a book at three, (ジョンは3時に本を読みます。)

(3)も(4)も、別に意味はおかしくないんですけど、(3)の‘died’「亡くなった」は、時間を前提とした表現でしょうか。死亡時刻を調べれば、それが何時かはわかるでしょうけど、常に死亡時刻が必要かと言えば、あってもなくても表現上は困らないもの、という感じがします。死亡時刻でも、死亡理由でも、死亡場所でも、必要に応じてつければいいし、必要でなければつけなくてもいい。

ただ、「死亡」という概念は生命が失われるという前提があるから、そういった意味で、主語に生命を持つものが必要になるだけですね。(3)も同じです。‘reads’「読む」という行為は、時間、理由、場所、その他などは必要に応じてつければいいだけで、前提にはなりません。ただ、「読む」という動作を行う人と、「本」、「新聞」、「雑誌」などの、いわゆる「対象」が前提になるだけですね。

単語のつながり具合は、このように、「前提」が基準になっている場合がほとんどです。そこで、そういった基準から、①・必要なものか、②・あってはならないものか、③・あってもなくてもいいものか、が決まります。しかし、実は英語の場合、そういった「前提」の概念が、カタチにうまく表現として現れないこともあるコトバなんです。

(5)a. The train reached Tokyo. (〇) (その電車は東京に到着しました。)
   b. The train reached at Tokyo. (×) (訳同上)

(6)a. The train arrived Tokyo. (×) (訳同(5a))
   b. The train arrived at Tokyo. (〇) (訳同(5a))

正しい文である(5a)と(6b)は、同じ意味なんですけど、カタチの上では違いがあって、‘reached’は、直後に名詞の‘Tokyo’があります。(6b)の場合は、‘arrived’の後に、直接‘Tokyo’を置かずに、前置詞の‘at’を置いてから、‘Tokyo’を続けます。「到着する」は、もちろん、行き着く先が「前提」となる表現ですから、(6a)みたく、いちいち‘at’なんか要らないんじゃない、って言いたくなりますが、有無を言わさず要るものは要るんです。それが英語なんですね。

よく、前置詞の謎を解明したぞ、と言わんばかりの英語関係の解説本を見かけますが、どんなに頑張って無理やり説明しようとしても、ムダなことなんです。意味的に(5a)=(6b)なんだから、(6b)の前置詞を取るカタチを説明したところで、じゃ、前置詞がない(5a)はどうなるんだ、という話になるだけです。つまり、(5a-b)の説明すれば(6a-b)が反例となり、逆に(6a-b)を説明すれば、(5a-b)が反例になるだけですから、ここは、‘reach ~’=‘arrive at ~’と素直に覚えるのが賢明です。

今回のポイントは、基本的な例をあげて、動詞を中心とした場合、それが意味的に前提としている表現として、主語と目的語があると述べました。しかし英語には、意味とカタチの対応の仕方に、ズレがある場合もあるので、それが英語学習を困難にしている原因の1つであるということを示したわけですが、見方を変えれば、そのズレの部分がどういったところにあるのか見極めがつけば、安心感がある分、学習上の不安を軽減することはできるということです。

そして、‘arrive at ~’のように意表をついて前置詞をともなうような表現は、頻繁に使う表現に多く、数もそう多くはないので、そんなに苦労もするわけではありません。素直に覚えるべきところは覚えましょう、ってことですね。

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