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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(63)

2005年03月10日 | 否定
EG32とEG36の続きです。基本的な否定文の考え方から、少し発展的な方向で見てみたい思います。以下、見ましょう。

(1)Ann kicked Bill last week. (アンは先週ビルを蹴っ飛ばした。)
(2)Ann did not kick Bill last week. (アンは先週ビルを蹴っ飛ばさなかった。)

(1)の肯定文を否定文にすると、(2)のように、否定語‘not’を含む文になります。EG32とEG36では、否定の基本的な考え方を説明しましたが、その主旨は、‘not’は、文全体を否定する(=文そのものを偽であると見なす)、というもので、その上で、そのどこかに、「偽とされる原因」がある、というものでした。その線に沿って(2)を解釈すると、以下のようになります。

(3)「アンは先週ビルを蹴っ飛ばした。」、というのは、どこかに誤りがある。

つまり、(2)から言えるのは、(3)という解釈が可能だ、というだけであり、‘not’自体には、(2)の、どの部分に「偽とされる原因」があるのかを特定するはたらきはない、というものでした。そういった‘not’の性質から、(2)には、複数の解釈が発生してしまいます。

(4)先週、(アンではなく) ルーシーがビルを蹴っ飛ばしたのだ。
(5)先週、アンは、(ビルではなく) マイケルを蹴っ飛ばしたのだ。
(6)先週、アンはビルを (蹴っ飛ばしたのではなく)、パンチを食らわせたのだ。
(7)(先週ではなく) 一ヶ月前、アンはビルを蹴っ飛ばしたのだ。

EG32でも見たように、その他、(4)~(7)の解釈の組み合わせによっては、(2)は、またさらに解釈が複雑に増えていきますが、こういった問題は、(2)のような否定文の発話者が、どういった状況で発話したのか、また、どういったイントネーションで発話したのか、等の、いわば、否定文とは別個の問題とされる、外的な情報や要因によって解釈が絞り込まれ、決定されるわけですね。

そこで、今回は、ポイントを絞って、よく問題になる(6)と(7)の類の解釈のお話をしてみたいと思います。ですので、(2)の発話状況として、アンとビルは登場人物として確定させます。その上で、アンとビルがどうなったのか、というような話題をしている場合に限ります。

まず、(6)と(7)の解釈において、大きな違いは、「蹴っ飛ばした」のが事実であるか否かです。(6)の解釈だと、「蹴っ飛ばした」というのは事実ではない、と言っていることになります。一方、(7)の解釈だと、時期は間違っているけれども、「蹴っ飛ばした」のは事実になります。そこで、以下の否定文を見ましょう。

(8)Last week Ann did not kick Bill.
(9) a. 先週、アンがビルにしたのは、蹴っ飛した、ということではない。 (〇)
   b. アンがビルを蹴っ飛ばしたのは先週というわけではない。 (×)

(8)は、(2)の‘last week’「先週」を、ただ単に、文の先頭に移動させた文ですが、その解釈となる(9a)(=(6))と、(9b)(=(7))に注意して下さい。(9a)の解釈はOKですが、一方、(9b)の解釈は、何とアウトになってしまいました。(9a)の解釈は、(6)と同じく、「蹴っ飛ばした」というのは事実ではない、という解釈ですね。一方、(9b)だと、(7)と同じく、時期は違うけれども、「蹴っ飛ばした」という事実はあった、という解釈ですね。つまり、(3)のような、解釈方法で考えるならば、(8)の解釈は、以下のようになります。

(10)先週起こった出来事について、「アンはビルを蹴っ飛ばした。」、
   というのは、どこかに誤りがある。

解釈(10)が、解釈(3)と違う点は、「偽とされる原因」の対象から、‘last week’「先週」が外されている、ということです。つまり、(8)の否定文においては、‘last week’「先週」の部分は、発話状況や、イントネーションうんぬんといった問題とは、全く関係なしに、「文そのもののカタチ」から判断されて、‘not’の勢力範囲から逃れることが可能であるというような、特権を与えられる、ということなのです。

‘last week’が文の末尾にある(2)の解釈として、(6)と(7)は両方ともOKなのに、‘last week’を文の先頭に置いた(8)の解釈として、(9a)は許すが、一方、(9b)は許さない、といったことと類似した現象は、コトバの世界ではよくあることで、例えば、以下のような否定文について考えてみたことは、皆さんも、一度や二度くらいはあるんじゃないでしょうか。

(11)<Happily>、my father did not die. (幸運にも、父は死ななかった。)
(12)幸運な出来事があって、「父は死んだ。」というのは、どこかに誤りがある。

(13)My father did not die <happily>. (父は、幸せに死ねなかった。)
(14)「父は幸せに死んだ。」というのは、どこかに誤りがある。

(11)は、‘happily’「幸運にも」が、文の先頭に位置していて、‘not’の勢力範囲から逃れる特権を与えられていますので、結局、(11)の文、そのものから得られる解釈としては、(12)のようなものになってしまいます。つまり、「幸運にも」の部分は、予め、「否定の原因」の対象ではなく、‘my father died.’の部分だけが、‘not’によって「偽」とされているのです。

一方、(13)は、「文そのもの」から得られる解釈としては、(14)の解釈が得られるだけですが、まず、場面設定として、「父が死亡した」という事実があって、そのことが話題の前提になっているような状況で発話されたという条件付きなら、解釈(14)の中では、‘not’によって「偽」とされる文全体の中で、その原因となるのは、‘happily’「幸せに」の部分だから、(13)の日本語訳のようになるわけですね。

以上、(8)や(11)を見てわかることは、こういった、「文のカタチそのもの」から、否定の勢力範囲が及ばなくなるような、特別なポジションがある、ということですね。その1つとして、通常は、文の先頭に位置しないような語句を、わざと文の先頭に位置させる、というものがあり、こうすることで、否定の原因とされたくない要素を、否定の勢力範囲から回避させることが可能です。ところで、(11)の解釈である(12)の場合、その解釈を、もう少し突っ込んで考えると、以下のような解釈が可能です。

(15)幸運にも、死んだのは、父ではなく、飼い犬のポチだった。
(16)幸運にも、父は、死んだのではなく、ケガをしただけだった。

(11)では、‘happily’を除いた、‘my father died.’の部分だけが、‘not’の勢力範囲内にありますから、その範囲内で、「偽とされる原因」を考えると、基本的な解釈としては、‘my father’「父」の部分が、「偽の原因」ならば、(15)のような解釈になります。(ポチだって家族の一員でしょうから、幸運にも、なんて不謹慎かも知れませんが) 一方、‘died’「死んだ」の部分が、「偽の原因」ならば、(16)のような解釈になります。う~ん、ややこしいですね。あと、以下のような文も、よく問題になりますね。

(17)Bill did not marry Ann because he loved her.
(18)a. ビルはアンを愛していたから結婚しなかったのだ。
   b. ビルはアンを愛していたから結婚したというわけではない。
  
(17)のような文が発話された場合、だいたいケースでは、その発話状況として、ビルとアンのことは、もともと話題の前提になっているので、予め、ビルとアンは、「偽とされる原因」から外しておきます。そのような条件下で問題になりやすいのは、‘married’「結婚した」が、「偽とされる原因」であるかどうか、及び、‘because ~’「~ なので」の副詞節の部分が、「偽とされる原因」となっているかどうか、ということです。

(19)「ビルはアンを愛していて結婚した。」、というのは、どこかに誤りがある。

(19)の解釈では、ビルとアンは、「偽とされる原因」から外しておくとして、(17)を、(18a)で解釈すると、イメージとしては、愛があるからこそ結婚できないときだってあるのだ、というような、どこかドラマチックな状況を思い浮かべることになりますね(笑)。一方、(18b)で解釈すると、アンの財産目当てで結婚した、とか、家柄とか名誉が欲しくて結婚した、とかいう、いや~な意味ですね(鬱)。

いずれにせよ、解釈(18a)は、「結婚した」が、「偽とされる原因」となり、事実として、結婚してはいない、ということになります。一方、解釈(18b)は、「愛しているという理由で」が、「偽とされる原因」となり、事実として、結婚そのものはしている、ということになります。(17)の否定文からは、このように、‘not’自体が「偽とされる原因」を特定するはたらきをもっていないため、あいまいな解釈が発生していますが、やはり、以下のようにすれば、解釈が1つに決定できます。

(20)Because Bill loved Ann、he did not marry her.
(21)a. ビルはアンを愛していたから結婚しなかったのだ。 (〇)
   b. ビルはアンを愛していたから結婚したというわけではない。 (×)

(20)の解釈として、(21a)がOKとなる一方で、(21b)がアウトになるのは、(8)と(11)の場合と全く同じ理由によるものです。しかし、(20)のやり方とは別に、(17)の否定文で、(18a)の解釈をOKにして、(18b)の解釈をアウトにする方法があります。それは、(17)の否定文で、コンマ・イントネーションによる音調整で、‘because ~’の直前に、少しポーズを置いてやることです。そうすることで、意図的に‘not’の勢力範囲を、‘because ~’の直前で断ち切ることが可能になり、結果、‘Bill married Ann.’のみを否定の対象にすることができます。

今回のポイントは、EG32とEG36で述べた、否定の基本に、ちょっとした発展を加えてみたということです。‘not’には、「偽とされる原因」を特定するはたらきがないので、否定文には複数解釈が発生してしまう、ということでした。しかし、だからと言って、実際に発話する際に、それを野放しにしていたのでは、どういう意味に取ってよいのかがわからず、解釈が混乱してしまうので、発話状況やイントネーションといった、外的な要因以外に、「文のカタチそのもの」からも解釈を絞り込む方法がある、というのを見たわけです。今回のようなやり方以外にも、まだ方法があるので、また別の機会にでも。

●関連: EG32EG36

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英語学習法(36)

2004年12月25日 | 否定
また否定文です。EG32って何かウソっぽ~い。だって、「部分否定」ってのがあるんだよ~。知らないの~?え!そんなものがあるんスか?どれどれ。ガーン!以下、見ましょう。

(1)Susan is not always happy. (スーザンはいつも幸せというわけではない。)

「部分否定」というのは、例えば、‘not always’(いつも~とは限らない)に代表されるような、‘always’「いつも、常に」という全ての場合において100%とされる事が前提になる表現に対して、大体の場合はそうかも知れないけど、たまにゃそうじゃない事だってあるんだよ、というように、100%をそれより下の確率に格下げする表現方法です。

「部分否定」という名前の由来は、‘not’のような否定語が、あたかも‘always’に直接かかる事で‘always’のみを否定している、というような印象がある事からきているようです。

しかし、EG32では否定語は「文全体(=文そのもの)」を否定していると述べ、「‘not’が~にかかる」とかいう説明自体がナンセンスであると言い切ったわけですから、(1)のような文があると、ストレートな反例があるではないか、と疑問に感じるわけですね。

でも(1)のような例でも、EG32の説明にとって取り立てて問題になる事はありません。(1)を平たく説明調に言うと(2)になりますね。

(2)Susan is not always happy. (「スーザンはいつも幸せだ。」は偽である。)

(2)の解釈法は、「スーザンはいつも幸せだ。」そのものを「偽」と考え、ではどこにその原因があるのかというと、「いつも」の部分ですよ、と捉えればよいだけです。だから、「・・・ はいつも~だ、じゃない → いつもとは限らない」となります。

ここで注意を要するのは、「いつもじゃない = いついかなるときでも~でない」と捉えてはいけないという事です。EG32では‘not’は「偽」のマーキングを施す仕事をしているだけだと言いましたが、そこから‘not’は「真逆」を述べると勘違いしてはいけません。

(3)I do not like George very much. 
(4)a. ジョージをあまり好きではありません。((3)の解釈として、〇)
   b. ジョージは全く好きではありません。((3)の解釈としては、×)

つまり(3)は、「ジョージをとても好きだ。」、はやっぱり「偽」やな~と考えて、ちょっと「とても」の部分が問題やな~とします。だから、「・・・ はとても~だ、じゃない」→「あんまり~じゃない」ならOKなわけです。

解釈の仕方として、美人じゃない、と聞くと、じゃブスだな、と思ってしまう人がいるわけで、これはただ単に心理的バイアスが働いてのこと(可もなく不可もない顔の場合もアリますんで)だから、コトバそのものの仕組みとは別個の問題なのです。ですので(4b)のような「真逆」解釈をしないように注意しましょう。

ここで本題の「部分否定」に戻って、やはり、否定文の基本は(2)の日本語訳(解説文?)なのです。(1)は一般的に‘always’にストレスを置くイントネーションになりやすい文ですから、学習者に対して、‘not always’をセットにして覚えさせた方が良いだろうという配慮からだと思われます。

しかし、実はこれは一時しのぎなやり方で、後々厄介な問題が出てきます。(3)もその1つで、‘not~very・・・’も「あまり~でない」と暗記することなく、EG32のやり方だとスッキリ理解できます。

(1)も実は、‘Susan’にストレスを置けば、「いつも幸せなのはスーザンではないよ(キャシーだよ)。」という解釈もOKなのです。だから、‘not always’のセットを金科玉条にしてしまうと、それ以外の解釈に関して動きが取れなくなってしまいます。ただし、そのような解釈にしたければ、‘Not Susan is always happy.’や‘It is not Susan that is always happy.’を普通は使うでしょうけど。

否定文を使っていると、ややこしい問題が随分と潜んでいるので、できるだけ簡単に構文化して暗記してしまいたくなるんですけど、ここから逃げない事が英語脳をつくる上での正念場です。頑張りましょう。

●関連: EG32

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英語学習法(32)

2004年12月17日 | 否定
否定文の基本的な考え方です。以下、見ましょう。

(1)John did not break the watch yesterday. 
  (ジョンは昨日その時計を壊さなかった。)

普段はあまりよく考えない事が多いんですけど、(1)は、実は複数解釈があって基本的なものだけでも、以下のような解釈が可能です。

(2)実は(ジョンではなく)トムが壊したのだ。
(3)(昨日ではなく)今朝壊したばかりだ。
(4)壊したのは(その時計ではなく)ラジオなのだ。
(5)(壊したのではなく)ただ分解しただけなのだ。

英語では普通、(1)を(2)~(5)のどの意味で言っているかを、イントネーションによってコントロールします。(1)を(2)の意味で言うなら‘John’にストレスを置きます。同様に(3)なら‘yesterday’、(4)なら‘the watch’、(5)なら‘break’という風にストレスの置き方で(1)の解釈を決定します。

ここで注意して欲しいのは、(2)~(5)は「基本的な解釈」に過ぎないという事です。もっと複雑な場合もあります。例えば(2)と(3)を組み合わせた場合は、(1)は(6)の解釈も可能になります。

(6)ジョンが昨日壊したんじゃないよ。トムが今朝その時計を壊したんだよ。

一例として(6)のようなやり方がありますが、その他、(2)~(5)の組み合わせ方によっていくらでも複雑になります。と、ここまで言って、要するに何が言いたいのかと申しますと、標準的な否定文というのは、何も特別な仕組みは持っていないという事なんです。

普通、否定文というのは、ただ単に、肯定文に‘not’のような否定語を加えただけのものなので、これは「この文全体は真ではないんですよ、偽なんですよ~、その印に‘not’を置きましょうね~」っと述べているだけなんです。だから、否定語はただ単に「文全体(=文そのもの)」に対して「偽」のマーキングを施す仕事をしているだけであって、いわゆる、世間一般でよく議論される、「この文で否定されているのはどこどこの部分で・・・」などと特定する働きそのものは持っていないんです。平たく説明調に言うと、(1)は(7)ように言えます。

(7)John did not break the watch yesterday. 
  (「ジョンは昨日その時計を壊した」はどこかに誤りが含まれている。)

つまり、ここで本当によく誤解されているのは、「否定されている部分」や「打ち消されている部分」というコトバの使い方なんですね。違うんです。「文そのもの」が否定されて(というよりも、「偽」とされて)いるんです。そこで、その「偽とされている文」中のどこかに「偽とされる原因」があるので、英語の場合は、そこにストレスを置くようなイントネーションにしましょうね、っという事なんです。

否定文中の「偽とされる原因」は‘not’そのものによって決定されるわけではないので、話者がどのような意図を持って否定文を発したかは、どんな話題の中でその否定文が発せられたかを考慮して初めてわかるものです。

だから、よくある否定文の説明に対して今ひとつピンとこない原因は、「否定されている部分」や「打ち消されている部分」というコトバが、無意識のうちに「他の部分は肯定されている」という、ある意味で誤った逆発想を促してしまっているという事なんです。だから、「この‘not’は ~ にかかる」とかいう、見当ハズレな考え方をしてしまうんです。

例えば、(1)において、(6)の解釈のように、「偽とされる原因」が複数にわたる場合は、この、「~にかかる」が無力であることがよくわかります。(1)の、‘John’と‘yesterday’の両方に、‘not’が同時に「かかる」なんて変ですよね。

ところで、‘not’は、文法的には、「副詞」としての扱いを受けていますが、こういった点で、他の副詞とは決定的に性質が違います。ただ文の骨格となるような要素にはなり得ないので、とりあえず、カタチの上で判断すると、副詞として分類される、というだけのことなんですが、意味の面における機能では、上で述べたように、かなり特殊なステイタスをもっています。

この話のポイントは、基本的な否定文の発想そのものに誤解が蔓延しているのを根本的に正すところにあります。英語脳をつくるというより言語脳をつくると言った方が良いかも知れません。

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