EG31の続きです。‘there is/are ~’の構文です。以下、見ましょう。
(1)There is a book on the desk. (机の上に本があるよ。)
(2)The book is on the desk. (その本は机の上にあるよ。)
EG31では、(1)のような、‘there is/are ~’の構文は、「不定」の解釈を受けるような名詞が後に続く、ということを確認しました。一方、(2)のような、‘there’のないカタチの文の主語位置には、「定」の解釈を受けるような名詞がくることも確認しました。そこで、ちょっと以下のような文を見てみましょう。
(3)A book is on the desk. (×) (訳同(1))
(3)の文は、(2)の‘the’を、‘a’に変えてみたんですが、〇か、×かどちらか、と問われると、どうも、しっくりこない意味になる感じで、良い文とは言えないようなので、とりあえず、×です。というのは、主語の位置で、‘a book’とやって、不定の解釈を受けるような名詞がくると、どうも後に続く、‘on the desk’とのバランスが、どこか不自然だと感じられるからのようです。では、このバランスの不自然さとは、一体、どういったことからくるものなんでしょうか。
そこで、当たり前のことなんですが、普通、主語の位置というのは、文の先頭です。この文の先頭の位置というのは、あまり新鮮な情報をもった表現がくるのが好まれないようなのです。新鮮な情報とは、聞き手にとって、目下の話題の中に、既に登場しているとは思われないものや、逐一、コトバにして言わなければ、了解済みである、とは思われないであろうと予想されることです。 (EG73参照)
ですので、逆に、新鮮な情報ではないものとは、聞き手にとって、目下の話題の中に、既に登場していると思われるものや、逐一、コトバにして言わなくても、もう既に、了解済みである、と思われるようなことになりますね。そこで、以下の文を見ましょう。
(4)A man is running in the park. (公園で男の人が走ってるよ。)
(4)は、不定の解釈を受ける名詞、‘a man’が主語になっていますが、別に、おかしな文ではありません。これは、不定解釈を受ける‘a book’が主語になっている(3)が、しっくりこない文であることとは矛盾しています。そこで、(3)の文は、(4)のような文とは違って、どこが特殊なんだろうか、と考えてみると、その中で使われている‘is’が、「~ がある」という、「存在」の意味をもった‘be’動詞である、ということです。 (EG70参照)
「存在する」という意味は、(4)にあるような、「走っている」という表現と比べて、意味内容が「薄い」と考えられます。というのは、誰かが「走っている」という表現は、その誰かが存在することなど、もとから前提にしている表現であって、存在しないものが走っている、というのは意味不明ですね。ですので、「存在する」という表現よりも、「走っている」は、意味内容が「濃い」と考えられます。
つまり、(3)の文が、容認度が低い、と判断されるのは、比較的、情報の新鮮度が高いと思われるような、不定解釈の名詞が主語にくると、意味内容の薄いと考えられる「存在する」のような表現が述語では、主語と述語のバランスが不自然で、しっくりしないと感じられる、ということらしいんですね。これが、(4)のように、述語の方に意味内容の「濃い」表現がきていると、不定解釈の名詞が主語であってもバランスが不自然とは感じられないのでOKになる、ということなのです。
そこで、「主語・述語」における、バランスの自然さとは、どのような関係で捉えたらよいのか、ということになります。ここで、「焦点」という概念が登場します。つまり、文の中で、言いたいことを言うときに、まず、テーマのようなことを決めてから、そのテーマについて述べるというのが、文の自然な意味の流れということなんです。「焦点」とは、普通、提示されたテーマついて、こう言いたい、ああ言いたい、といった、まさに言いたい部分のことを指している場合が多いんですね。
これを簡単に言い換えると、「テーマの出現 → そのテーマの中の焦点」というのが、「主語 → 述語」の基本的な流れで、それは、「~ は ・・・ だ」というようなカタチになってコトバになる、と言ってもよいでしょう。そこで、(4)を例に取って考えると、ある男の人がテーマとなって取り上げられ、その男の人はどうか、と言うと、「走る」という行動をとっていることに、目下の焦点が当てられている、と言えるわけですね。
そこで、コトバでは、大抵の場合、述語の方に当てられるべき焦点の役割を担わせるのですが、英語の場合、ただ単に「存在」を表しているだけ、というような意味内容の薄い表現に対しては、あまり強い「焦点」を担わせにくい、と感じられるようなのです。
そういった述語の主語として、情報的に新鮮度の高い「不定」解釈の名詞がきたりすると、情報的価値のバランスといった点で、あたかも、「焦点」が主語の方にもあるように思われ、述語に当てられる焦点が弱くなった時点で、主語・述語の「焦点」が、ちょうど等しく当てられているようなレベルになり、どちらに焦点があるのかハッキリしなくなるので、直感的にしっくりこない、と感じられるようなのです。
だから、「存在する」のような意味内容の薄い表現が述語にくる場合は、主語に、情報的な新鮮度があまりない表現が好まれるようです。ですので、(2)のように定冠詞の付いた‘the book’のような、初登場とは思われないような表現が主語になると、焦点が述語の方にのみ当てやすくなるということですね。
ここから、英語には、「存在」の意味を表す特別な構文として、‘there is/are ~’の構文がある理由がわかると思います。つまり、(3)のような文が好ましくないのなら、主語の位置を、カタチだけ持たせておいて意味など何もないような表現にしておけばよい、という発想なんですね。そのため、(1)のような文では、‘there’は何も意味をもっておらず、ただ、主語位置を埋める役割だけを担っています。最初から意味をもたない表現が主語になれば、焦点など主語に当てようがない、ということですね。
ここで、(1)の文の‘there’は、意味をもたないカタチだけの主語である、と言ったわけですが、普通、‘there’は、「そこに」という意味をもった副詞ではないのか、という疑問をもつ人がいると思います。というのは、以下のような文(5a)があるからですね。
(5) a. There is the book. (〇) (ほら、そこにその本はあるよ。)
b. The book is there. (〇) (そこにその本はあるよ。)
(6) On the desk is the book. (〇) (ほら、机の上にその本はあるよ。)
結論から言うと、(5a)の文における‘there’は、「そこに」という意味の副詞です。しかし、この‘there’は、(5b)の文から、「そこに」の意味を強調させるために、語順変更して倒置させた文であると考えるのが妥当であり、事実、発音の上では、(5a)の‘there’と、(5b)‘there’は、両方とも、ストレスを置いたイントネーションになり、同じ発音になる一方で、(1)の、何ら意味をもたない‘there’は、ストレスを置かない、弱いイントネーションで発音されます。
そして、カタチの上では、(5a)のような‘there’は、「そこに」という意味をもっているわけですから、(6)にあるような、‘on the desk’「机の上に」という、場所を表す表現との置きかえが可能です。ここから、もちろん、同様に、(5b)の‘there’は、(2)のように、‘on the desk’といった場所を表す表現との置きかえが可能です。しかし、一方で、今度は(1)を見ると、‘there’と‘on the desk’が同時に出現しているのがわかりますね。そこで以下の文を見ましょう。
(7)There is a book there. (そこに本があるよ。)
(7)では、‘there’が同時に2つ現れています。ここから、もう、おわかりの通り、(5a)の‘there’と、(6)の‘on the desk’が置きかえられるのと同様に、(1)の‘on the desk’も、「場所」の意味をもつ‘there’「そこに」と置きかえが可能なのです。
(7)では、文の先頭にあるのが、意味をもたいない主語の‘there’であり、弱いイントネーションで発音されます。一方、文の末尾にあるのが、「場所」の副詞である‘there’であり、ストレスを置いたイントネーションで発音されます。ですので、結論として言えるのは、(7)が決定的な証拠となって、実は、2タイプの‘there’が存在する、ということなのです。ダメ押しとして、前者の‘there’が明らかに、主語のステイタスをもっているという証拠も上げておきます。(EG43参照)
(8)It is unpleasant for there to be many flies in the kitchen.
(台所にハエがいっぱいいるなんて不愉快だな。)
今回のポイントは、場所の‘there’「そこに」とは、明らかに異なる、もう1つの‘there’が存在するということです。この‘there’は、「存在」の‘there’と言ってもよく、(3)のような、主語・述語の間での意味的バランスが不自然な文を回避するために、特別に、こしらえられたものなのです。(5a)の文などの類推から、(1)の文は、倒置である、などと誤解されているフシもありますが、(7)が証拠となって、それは完全に否定されます。この、もう1つの‘there’の認識があまり一般的ではないため、今回、特別に扱ってみましたが、これでもう理解は大丈夫だと思います。
■注 :(3)がアウトになるのは、文法性の問題というよりも、むしろ、「主語・述語」の間で、どちらが焦点になるのかがハッキリしないので、不自然な感じになるわけですが、これを回避する方法は、‘there’構文を使う以外に、語順変更という手段もあります。(3)を、‘On the desk is a book.’としても、OKになります。これは、やはり、「テーマ (on the desk) → 焦点 (is a book)」のカタチとなることで、情報の新鮮度が低い‘on the desk’がテーマとなる一方で、不定解釈の‘a book’が、本来、焦点を担いやすい位置にまわり、完全に‘a book’の方のみが焦点を担うからです。
●関連: EG31、EG43、EG70、EG73
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(1)There is a book on the desk. (机の上に本があるよ。)
(2)The book is on the desk. (その本は机の上にあるよ。)
EG31では、(1)のような、‘there is/are ~’の構文は、「不定」の解釈を受けるような名詞が後に続く、ということを確認しました。一方、(2)のような、‘there’のないカタチの文の主語位置には、「定」の解釈を受けるような名詞がくることも確認しました。そこで、ちょっと以下のような文を見てみましょう。
(3)A book is on the desk. (×) (訳同(1))
(3)の文は、(2)の‘the’を、‘a’に変えてみたんですが、〇か、×かどちらか、と問われると、どうも、しっくりこない意味になる感じで、良い文とは言えないようなので、とりあえず、×です。というのは、主語の位置で、‘a book’とやって、不定の解釈を受けるような名詞がくると、どうも後に続く、‘on the desk’とのバランスが、どこか不自然だと感じられるからのようです。では、このバランスの不自然さとは、一体、どういったことからくるものなんでしょうか。
そこで、当たり前のことなんですが、普通、主語の位置というのは、文の先頭です。この文の先頭の位置というのは、あまり新鮮な情報をもった表現がくるのが好まれないようなのです。新鮮な情報とは、聞き手にとって、目下の話題の中に、既に登場しているとは思われないものや、逐一、コトバにして言わなければ、了解済みである、とは思われないであろうと予想されることです。 (EG73参照)
ですので、逆に、新鮮な情報ではないものとは、聞き手にとって、目下の話題の中に、既に登場していると思われるものや、逐一、コトバにして言わなくても、もう既に、了解済みである、と思われるようなことになりますね。そこで、以下の文を見ましょう。
(4)A man is running in the park. (公園で男の人が走ってるよ。)
(4)は、不定の解釈を受ける名詞、‘a man’が主語になっていますが、別に、おかしな文ではありません。これは、不定解釈を受ける‘a book’が主語になっている(3)が、しっくりこない文であることとは矛盾しています。そこで、(3)の文は、(4)のような文とは違って、どこが特殊なんだろうか、と考えてみると、その中で使われている‘is’が、「~ がある」という、「存在」の意味をもった‘be’動詞である、ということです。 (EG70参照)
「存在する」という意味は、(4)にあるような、「走っている」という表現と比べて、意味内容が「薄い」と考えられます。というのは、誰かが「走っている」という表現は、その誰かが存在することなど、もとから前提にしている表現であって、存在しないものが走っている、というのは意味不明ですね。ですので、「存在する」という表現よりも、「走っている」は、意味内容が「濃い」と考えられます。
つまり、(3)の文が、容認度が低い、と判断されるのは、比較的、情報の新鮮度が高いと思われるような、不定解釈の名詞が主語にくると、意味内容の薄いと考えられる「存在する」のような表現が述語では、主語と述語のバランスが不自然で、しっくりしないと感じられる、ということらしいんですね。これが、(4)のように、述語の方に意味内容の「濃い」表現がきていると、不定解釈の名詞が主語であってもバランスが不自然とは感じられないのでOKになる、ということなのです。
そこで、「主語・述語」における、バランスの自然さとは、どのような関係で捉えたらよいのか、ということになります。ここで、「焦点」という概念が登場します。つまり、文の中で、言いたいことを言うときに、まず、テーマのようなことを決めてから、そのテーマについて述べるというのが、文の自然な意味の流れということなんです。「焦点」とは、普通、提示されたテーマついて、こう言いたい、ああ言いたい、といった、まさに言いたい部分のことを指している場合が多いんですね。
これを簡単に言い換えると、「テーマの出現 → そのテーマの中の焦点」というのが、「主語 → 述語」の基本的な流れで、それは、「~ は ・・・ だ」というようなカタチになってコトバになる、と言ってもよいでしょう。そこで、(4)を例に取って考えると、ある男の人がテーマとなって取り上げられ、その男の人はどうか、と言うと、「走る」という行動をとっていることに、目下の焦点が当てられている、と言えるわけですね。
そこで、コトバでは、大抵の場合、述語の方に当てられるべき焦点の役割を担わせるのですが、英語の場合、ただ単に「存在」を表しているだけ、というような意味内容の薄い表現に対しては、あまり強い「焦点」を担わせにくい、と感じられるようなのです。
そういった述語の主語として、情報的に新鮮度の高い「不定」解釈の名詞がきたりすると、情報的価値のバランスといった点で、あたかも、「焦点」が主語の方にもあるように思われ、述語に当てられる焦点が弱くなった時点で、主語・述語の「焦点」が、ちょうど等しく当てられているようなレベルになり、どちらに焦点があるのかハッキリしなくなるので、直感的にしっくりこない、と感じられるようなのです。
だから、「存在する」のような意味内容の薄い表現が述語にくる場合は、主語に、情報的な新鮮度があまりない表現が好まれるようです。ですので、(2)のように定冠詞の付いた‘the book’のような、初登場とは思われないような表現が主語になると、焦点が述語の方にのみ当てやすくなるということですね。
ここから、英語には、「存在」の意味を表す特別な構文として、‘there is/are ~’の構文がある理由がわかると思います。つまり、(3)のような文が好ましくないのなら、主語の位置を、カタチだけ持たせておいて意味など何もないような表現にしておけばよい、という発想なんですね。そのため、(1)のような文では、‘there’は何も意味をもっておらず、ただ、主語位置を埋める役割だけを担っています。最初から意味をもたない表現が主語になれば、焦点など主語に当てようがない、ということですね。
ここで、(1)の文の‘there’は、意味をもたないカタチだけの主語である、と言ったわけですが、普通、‘there’は、「そこに」という意味をもった副詞ではないのか、という疑問をもつ人がいると思います。というのは、以下のような文(5a)があるからですね。
(5) a. There is the book. (〇) (ほら、そこにその本はあるよ。)
b. The book is there. (〇) (そこにその本はあるよ。)
(6) On the desk is the book. (〇) (ほら、机の上にその本はあるよ。)
結論から言うと、(5a)の文における‘there’は、「そこに」という意味の副詞です。しかし、この‘there’は、(5b)の文から、「そこに」の意味を強調させるために、語順変更して倒置させた文であると考えるのが妥当であり、事実、発音の上では、(5a)の‘there’と、(5b)‘there’は、両方とも、ストレスを置いたイントネーションになり、同じ発音になる一方で、(1)の、何ら意味をもたない‘there’は、ストレスを置かない、弱いイントネーションで発音されます。
そして、カタチの上では、(5a)のような‘there’は、「そこに」という意味をもっているわけですから、(6)にあるような、‘on the desk’「机の上に」という、場所を表す表現との置きかえが可能です。ここから、もちろん、同様に、(5b)の‘there’は、(2)のように、‘on the desk’といった場所を表す表現との置きかえが可能です。しかし、一方で、今度は(1)を見ると、‘there’と‘on the desk’が同時に出現しているのがわかりますね。そこで以下の文を見ましょう。
(7)There is a book there. (そこに本があるよ。)
(7)では、‘there’が同時に2つ現れています。ここから、もう、おわかりの通り、(5a)の‘there’と、(6)の‘on the desk’が置きかえられるのと同様に、(1)の‘on the desk’も、「場所」の意味をもつ‘there’「そこに」と置きかえが可能なのです。
(7)では、文の先頭にあるのが、意味をもたいない主語の‘there’であり、弱いイントネーションで発音されます。一方、文の末尾にあるのが、「場所」の副詞である‘there’であり、ストレスを置いたイントネーションで発音されます。ですので、結論として言えるのは、(7)が決定的な証拠となって、実は、2タイプの‘there’が存在する、ということなのです。ダメ押しとして、前者の‘there’が明らかに、主語のステイタスをもっているという証拠も上げておきます。(EG43参照)
(8)It is unpleasant for there to be many flies in the kitchen.
(台所にハエがいっぱいいるなんて不愉快だな。)
今回のポイントは、場所の‘there’「そこに」とは、明らかに異なる、もう1つの‘there’が存在するということです。この‘there’は、「存在」の‘there’と言ってもよく、(3)のような、主語・述語の間での意味的バランスが不自然な文を回避するために、特別に、こしらえられたものなのです。(5a)の文などの類推から、(1)の文は、倒置である、などと誤解されているフシもありますが、(7)が証拠となって、それは完全に否定されます。この、もう1つの‘there’の認識があまり一般的ではないため、今回、特別に扱ってみましたが、これでもう理解は大丈夫だと思います。
■注 :(3)がアウトになるのは、文法性の問題というよりも、むしろ、「主語・述語」の間で、どちらが焦点になるのかがハッキリしないので、不自然な感じになるわけですが、これを回避する方法は、‘there’構文を使う以外に、語順変更という手段もあります。(3)を、‘On the desk is a book.’としても、OKになります。これは、やはり、「テーマ (on the desk) → 焦点 (is a book)」のカタチとなることで、情報の新鮮度が低い‘on the desk’がテーマとなる一方で、不定解釈の‘a book’が、本来、焦点を担いやすい位置にまわり、完全に‘a book’の方のみが焦点を担うからです。
●関連: EG31、EG43、EG70、EG73
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