今回は、‘be’動詞です。あまり詳しく扱われることがない点を扱ってみます。以下、見ましょう。
(1)John is a teacher. (ジョンは教師だ。)
(1)の‘is’のように、‘be’動詞は、前にあるもの‘John’「ジョン」と、後にあるもの‘a teacher’「教師」を連結するはたらきがあります。意味の解釈としては、「ジョン=教師」の関係を表現していますので、そこから、‘be’動詞のはたらきは、「A is B → A=B」のように、イコール関係を表現するものとして、一般的に、認識されています。しかし、この、‘A is B’の、Bに相当するものが、ない場合もあるんです。
(2)God is. (神は存在する。)
(2)は、‘be’動詞が、「存在する」の意味を表現しています。「存在する」という意味を表現する動詞は、他に、‘exist’という動詞がありますが、‘be’動詞は、この‘exist’と、全く同じ意味をもつことができます。その場合は、‘A is B’のような、Bに相当する表現は、なくても構わないわけですね。次を見ましょう。
(3)God is in our mind. (神は我々の精神に存在するのだ。)
しかし、(3)を見る限り、「存在する」の解釈になる、‘be’動詞ですら、‘in our mind’「我々の精神に」、というような表現を続けても問題はなく、一見、「存在する」という意味自体は、あまり、カタチの上での判断基準にはならないように思えるのですが、しかし、「存在する」の意味は、大きく分けて、2通りあるものと思われます。
1つは、実際に、いるものなのか、それとも架空のものなのか、という場合の、「実在する」の解釈です。(2)は、「実在する」かどうかが、問われているような場合に、発話される文で、一方、もう1つの解釈として、「~ に存在する、~ にいる」のようなものがあります。(3)は、「実在する」ことを前提とした上で、じゃあ、どこにいるんだ、というような、一歩進んだ解釈という感じになりますね。
(4)John is in Japan. (ジョンは日本にいるぞ。)
(4)のような文は、(3)よりも、もっと、主語が「実在する」ことが前提とされているのがわかります。「神」は、常に、実在するのかどうかが問題の焦点となりやすい対象なのですが、一方、「ジョン」は、そういう名前の人がいることを前提とするだけなので、例えば、ジョンを話題にしている人たちが、ジョンの友人や家族ならば、全く問題なく、話者と聞き手の間で、「ジョン」の実在は了解されています。
(5)One problem is [ whether John was or not ].
(問題は、[ ジョン(という人物)が実在したのかどうか ] だ。)
(5)の例は、刑事ドラマや推理小説で、「ジョン」なる人物が、本当に実在していたのかどうかが問われているような場面で使われる文ですね。(5)の‘whether ~ or not’「~ かどうか」の節(カギカッコ)内の、‘was’は、「実在した」の解釈で、「ジョン」という人物の存在が本当かどうかが問われているので、「~ に」というような、場所を表すような表現が後にありません。
以上、‘be’動詞には、「存在」の意味解釈が備わっている場合があって、そういったときは、「実在性」を問題にするなら、後続する表現は要らないのにのに対し、一方、居場所を問題にするような、「存在」の場合は、その場所に関する表現を後続させる、ということになります。
実は、こういったことは、EG46で扱った、「前提」の概念が有効にはたらいているケースで、「実在する」の意味を純粋に解釈すれば、(2)のように、‘be’動詞は、本来、単独で使われるものなのです。そこで、一見、(3)は反例のように見えますが、例え、存在の対象が「神」であっても、人によっては、神はいるに決まってる、という考えをもっているので、そういう人が、‘God’「神」を、‘is’の主語に立てたとしても、もはや、その実在性の可否など問題にはならず、その解釈は、「実在する」ではなく、「~ に存在する」になってしまうので、存在する場所の方に焦点が移ってしまうのです。
ですので、「神」の存在が立証されているか否かに関わらず、神の存在を、もとから当然と見なしている場合は、(3)のように、‘in our mind’「我々の精神に」というような、語句が後に続くことになります。これが、「ジョン」のように、一般的に実在することが明らかとされやすいものが、‘be’動詞の主語にくる場合は、逆に、いきなり、ジョンは存在する、などと言われても、ピンとこないわけですね。どこにだ?と問い返したくなります。こういった場合は、(5)のように、「ジョン」の実在が本当か否かを問いやすくするような文脈に置かなければなりません。
これで、‘be’動詞が、‘exist’「存在する」の意味をもつ場合は、その「存在」に対する焦点の当て方で、2通りに意味が分かれて、結果として、構文に2タイプのカタチが出てくるのがわかったと思います。「実在する」の意味の場合は、それだけで意味が完結するので、他の要素を「前提」とはしません。一方、もう1つは、居場所を「前提」とする、「~ にいる、~ に存在する」で、そういった意味からは、必然的に、後に場所を表す表現をとるカタチになります。
(6)Don't be ! (オマエなど (この世に) いちゃならんのだ。)
(7)I think、therefore I am. (オレ思う、故にオレ在り。)
(8)‘To be or not to be’ is the ultimate question.
(生きよっかな、死のっかな、究極のモンダイ。)
(6)~(8)は、よく、存在の意味をもつ‘be’動詞として引き合いに出される例ですが、もちろん、「実在」を問題とするような‘be’動詞の例です。こういった「実在」が問題となる場合は、(7)や(8)みたいに、ちょっとカタ苦しい表現が似合うようです。
(6)は、実在するな、と言っていて、親不孝ものの子供に対して、親が思わず口を滑らせて言ってしまうような、かなりキツイ表現です。(7)は、デカルトという、偉い学者さんが残した名言で、考えるということが、ヒトととして存在している証なのだ、という感じです。(8)の、‘To be or not to be’ は、皆さんもご存知の、シェイクスピアの作品からのセリフですね。生死の問題を、存在すべきか否か、という表現で捉えているわけですね。
(9)May the force be with you. (フォースが共に在らんことを願う。)
(10)There is a book on the desk. (机の上に本があるぞ。)
(9)と(10)は、「~ に存在する」の例ですね。(9)は、映画、スターウォーズのシリーズで、頻繁に出てくるセリフです。「~ と共に」というのも、一種の、「場所」の拡張概念だということで、つながりやすい表現です。「フォース」の力はスターウォーズの世界では、当たり前に存在しているものなので、(9)のような文が普通に使われています。ちなみに、‘may’は疑問文のカタチをとって、肯定文の下降調イントネーションで発話すると、「~ を願う」の意味になります。
(10)は、‘there is/are ~’「~ がある」の構文ですね。この‘be’動詞も、存在を表現するものですが、‘there is/are ~’の構文は、「実在性」の方を問題にする場合は、使えないことになっていますので、必然的に、場所や何かの表現をともなうことになります。ちなみに、この構文の‘there’自体は特に意味内容はもっていないので、場所の‘there’「そこに」とは違いますから、注意が必要です。
以上、今回のポイントは、(1)のような、‘A is B’「AはBである」の構文とは、ちょっと性質が異なる‘be’動詞を扱ったわけですが、決定的なポイントは、‘be’動詞自体が意味内容をもつか否かです。‘A is B’「AはBである」の構文は、‘be’動詞が、現在だとか、過去だとかの時間の概念以外は、単なるカタチの上での機能という役割しかもたず、AとBを連結するだけで、意味内容は何もありません。
しかし、一方で、今回扱った‘be’動詞は、「存在する」、という意味をもっており、その意味が、「実在する」か、「~ に存在する」かで、2タイプのカタチの構文を発生させる、ということです。しかし、EG46の「前提」の概念を考えれば、これら、2タイプのカタチが意味の違いから出てくるのは、当然の帰結であり、ここは、ちょっと、英語脳の形成がうまくいっている人なら、問題なくクリアできると思います。今回扱わなかった、‘A is B’「AはBである」の構文も、別の機会に詳しく見たいと思いますので、そのときまで。
■注 :(2)はOKですが、同様に、実在を表現する‘A Santa Claus is.’「サンタ・クロースは、実在します。」は、アウトです。そこで、(2)の‘God’「神」は、唯一的な存在を表しているのに対し、一方、‘A Santa Claus’「サンタクロース」の場合は、不定冠詞‘a’が付くことからも、唯一的ではない、「サンタは何人もいる」、というような、種類を表せる名詞である、という違いがありますが、この問題は、別の機会に扱いたいと思います。
●関連: EG46
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(1)John is a teacher. (ジョンは教師だ。)
(1)の‘is’のように、‘be’動詞は、前にあるもの‘John’「ジョン」と、後にあるもの‘a teacher’「教師」を連結するはたらきがあります。意味の解釈としては、「ジョン=教師」の関係を表現していますので、そこから、‘be’動詞のはたらきは、「A is B → A=B」のように、イコール関係を表現するものとして、一般的に、認識されています。しかし、この、‘A is B’の、Bに相当するものが、ない場合もあるんです。
(2)God is. (神は存在する。)
(2)は、‘be’動詞が、「存在する」の意味を表現しています。「存在する」という意味を表現する動詞は、他に、‘exist’という動詞がありますが、‘be’動詞は、この‘exist’と、全く同じ意味をもつことができます。その場合は、‘A is B’のような、Bに相当する表現は、なくても構わないわけですね。次を見ましょう。
(3)God is in our mind. (神は我々の精神に存在するのだ。)
しかし、(3)を見る限り、「存在する」の解釈になる、‘be’動詞ですら、‘in our mind’「我々の精神に」、というような表現を続けても問題はなく、一見、「存在する」という意味自体は、あまり、カタチの上での判断基準にはならないように思えるのですが、しかし、「存在する」の意味は、大きく分けて、2通りあるものと思われます。
1つは、実際に、いるものなのか、それとも架空のものなのか、という場合の、「実在する」の解釈です。(2)は、「実在する」かどうかが、問われているような場合に、発話される文で、一方、もう1つの解釈として、「~ に存在する、~ にいる」のようなものがあります。(3)は、「実在する」ことを前提とした上で、じゃあ、どこにいるんだ、というような、一歩進んだ解釈という感じになりますね。
(4)John is in Japan. (ジョンは日本にいるぞ。)
(4)のような文は、(3)よりも、もっと、主語が「実在する」ことが前提とされているのがわかります。「神」は、常に、実在するのかどうかが問題の焦点となりやすい対象なのですが、一方、「ジョン」は、そういう名前の人がいることを前提とするだけなので、例えば、ジョンを話題にしている人たちが、ジョンの友人や家族ならば、全く問題なく、話者と聞き手の間で、「ジョン」の実在は了解されています。
(5)One problem is [ whether John was or not ].
(問題は、[ ジョン(という人物)が実在したのかどうか ] だ。)
(5)の例は、刑事ドラマや推理小説で、「ジョン」なる人物が、本当に実在していたのかどうかが問われているような場面で使われる文ですね。(5)の‘whether ~ or not’「~ かどうか」の節(カギカッコ)内の、‘was’は、「実在した」の解釈で、「ジョン」という人物の存在が本当かどうかが問われているので、「~ に」というような、場所を表すような表現が後にありません。
以上、‘be’動詞には、「存在」の意味解釈が備わっている場合があって、そういったときは、「実在性」を問題にするなら、後続する表現は要らないのにのに対し、一方、居場所を問題にするような、「存在」の場合は、その場所に関する表現を後続させる、ということになります。
実は、こういったことは、EG46で扱った、「前提」の概念が有効にはたらいているケースで、「実在する」の意味を純粋に解釈すれば、(2)のように、‘be’動詞は、本来、単独で使われるものなのです。そこで、一見、(3)は反例のように見えますが、例え、存在の対象が「神」であっても、人によっては、神はいるに決まってる、という考えをもっているので、そういう人が、‘God’「神」を、‘is’の主語に立てたとしても、もはや、その実在性の可否など問題にはならず、その解釈は、「実在する」ではなく、「~ に存在する」になってしまうので、存在する場所の方に焦点が移ってしまうのです。
ですので、「神」の存在が立証されているか否かに関わらず、神の存在を、もとから当然と見なしている場合は、(3)のように、‘in our mind’「我々の精神に」というような、語句が後に続くことになります。これが、「ジョン」のように、一般的に実在することが明らかとされやすいものが、‘be’動詞の主語にくる場合は、逆に、いきなり、ジョンは存在する、などと言われても、ピンとこないわけですね。どこにだ?と問い返したくなります。こういった場合は、(5)のように、「ジョン」の実在が本当か否かを問いやすくするような文脈に置かなければなりません。
これで、‘be’動詞が、‘exist’「存在する」の意味をもつ場合は、その「存在」に対する焦点の当て方で、2通りに意味が分かれて、結果として、構文に2タイプのカタチが出てくるのがわかったと思います。「実在する」の意味の場合は、それだけで意味が完結するので、他の要素を「前提」とはしません。一方、もう1つは、居場所を「前提」とする、「~ にいる、~ に存在する」で、そういった意味からは、必然的に、後に場所を表す表現をとるカタチになります。
(6)Don't be ! (オマエなど (この世に) いちゃならんのだ。)
(7)I think、therefore I am. (オレ思う、故にオレ在り。)
(8)‘To be or not to be’ is the ultimate question.
(生きよっかな、死のっかな、究極のモンダイ。)
(6)~(8)は、よく、存在の意味をもつ‘be’動詞として引き合いに出される例ですが、もちろん、「実在」を問題とするような‘be’動詞の例です。こういった「実在」が問題となる場合は、(7)や(8)みたいに、ちょっとカタ苦しい表現が似合うようです。
(6)は、実在するな、と言っていて、親不孝ものの子供に対して、親が思わず口を滑らせて言ってしまうような、かなりキツイ表現です。(7)は、デカルトという、偉い学者さんが残した名言で、考えるということが、ヒトととして存在している証なのだ、という感じです。(8)の、‘To be or not to be’ は、皆さんもご存知の、シェイクスピアの作品からのセリフですね。生死の問題を、存在すべきか否か、という表現で捉えているわけですね。
(9)May the force be with you. (フォースが共に在らんことを願う。)
(10)There is a book on the desk. (机の上に本があるぞ。)
(9)と(10)は、「~ に存在する」の例ですね。(9)は、映画、スターウォーズのシリーズで、頻繁に出てくるセリフです。「~ と共に」というのも、一種の、「場所」の拡張概念だということで、つながりやすい表現です。「フォース」の力はスターウォーズの世界では、当たり前に存在しているものなので、(9)のような文が普通に使われています。ちなみに、‘may’は疑問文のカタチをとって、肯定文の下降調イントネーションで発話すると、「~ を願う」の意味になります。
(10)は、‘there is/are ~’「~ がある」の構文ですね。この‘be’動詞も、存在を表現するものですが、‘there is/are ~’の構文は、「実在性」の方を問題にする場合は、使えないことになっていますので、必然的に、場所や何かの表現をともなうことになります。ちなみに、この構文の‘there’自体は特に意味内容はもっていないので、場所の‘there’「そこに」とは違いますから、注意が必要です。
以上、今回のポイントは、(1)のような、‘A is B’「AはBである」の構文とは、ちょっと性質が異なる‘be’動詞を扱ったわけですが、決定的なポイントは、‘be’動詞自体が意味内容をもつか否かです。‘A is B’「AはBである」の構文は、‘be’動詞が、現在だとか、過去だとかの時間の概念以外は、単なるカタチの上での機能という役割しかもたず、AとBを連結するだけで、意味内容は何もありません。
しかし、一方で、今回扱った‘be’動詞は、「存在する」、という意味をもっており、その意味が、「実在する」か、「~ に存在する」かで、2タイプのカタチの構文を発生させる、ということです。しかし、EG46の「前提」の概念を考えれば、これら、2タイプのカタチが意味の違いから出てくるのは、当然の帰結であり、ここは、ちょっと、英語脳の形成がうまくいっている人なら、問題なくクリアできると思います。今回扱わなかった、‘A is B’「AはBである」の構文も、別の機会に詳しく見たいと思いますので、そのときまで。
■注 :(2)はOKですが、同様に、実在を表現する‘A Santa Claus is.’「サンタ・クロースは、実在します。」は、アウトです。そこで、(2)の‘God’「神」は、唯一的な存在を表しているのに対し、一方、‘A Santa Claus’「サンタクロース」の場合は、不定冠詞‘a’が付くことからも、唯一的ではない、「サンタは何人もいる」、というような、種類を表せる名詞である、という違いがありますが、この問題は、別の機会に扱いたいと思います。
●関連: EG46
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