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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(70)

2005年03月31日 | 動詞
今回は、‘be’動詞です。あまり詳しく扱われることがない点を扱ってみます。以下、見ましょう。

(1)John is a teacher. (ジョンは教師だ。)

(1)の‘is’のように、‘be’動詞は、前にあるもの‘John’「ジョン」と、後にあるもの‘a teacher’「教師」を連結するはたらきがあります。意味の解釈としては、「ジョン=教師」の関係を表現していますので、そこから、‘be’動詞のはたらきは、「A is B → A=B」のように、イコール関係を表現するものとして、一般的に、認識されています。しかし、この、‘A is B’の、Bに相当するものが、ない場合もあるんです。

(2)God is. (神は存在する。)

(2)は、‘be’動詞が、「存在する」の意味を表現しています。「存在する」という意味を表現する動詞は、他に、‘exist’という動詞がありますが、‘be’動詞は、この‘exist’と、全く同じ意味をもつことができます。その場合は、‘A is B’のような、Bに相当する表現は、なくても構わないわけですね。次を見ましょう。

(3)God is in our mind. (神は我々の精神に存在するのだ。)

しかし、(3)を見る限り、「存在する」の解釈になる、‘be’動詞ですら、‘in our mind’「我々の精神に」、というような表現を続けても問題はなく、一見、「存在する」という意味自体は、あまり、カタチの上での判断基準にはならないように思えるのですが、しかし、「存在する」の意味は、大きく分けて、2通りあるものと思われます。

1つは、実際に、いるものなのか、それとも架空のものなのか、という場合の、「実在する」の解釈です。(2)は、「実在する」かどうかが、問われているような場合に、発話される文で、一方、もう1つの解釈として、「~ に存在する、~ にいる」のようなものがあります。(3)は、「実在する」ことを前提とした上で、じゃあ、どこにいるんだ、というような、一歩進んだ解釈という感じになりますね。

(4)John is in Japan. (ジョンは日本にいるぞ。)

(4)のような文は、(3)よりも、もっと、主語が「実在する」ことが前提とされているのがわかります。「神」は、常に、実在するのかどうかが問題の焦点となりやすい対象なのですが、一方、「ジョン」は、そういう名前の人がいることを前提とするだけなので、例えば、ジョンを話題にしている人たちが、ジョンの友人や家族ならば、全く問題なく、話者と聞き手の間で、「ジョン」の実在は了解されています。

(5)One problem is [ whether John was or not ].
  (問題は、[ ジョン(という人物)が実在したのかどうか ] だ。)

(5)の例は、刑事ドラマや推理小説で、「ジョン」なる人物が、本当に実在していたのかどうかが問われているような場面で使われる文ですね。(5)の‘whether ~ or not’「~ かどうか」の節(カギカッコ)内の、‘was’は、「実在した」の解釈で、「ジョン」という人物の存在が本当かどうかが問われているので、「~ に」というような、場所を表すような表現が後にありません。

以上、‘be’動詞には、「存在」の意味解釈が備わっている場合があって、そういったときは、「実在性」を問題にするなら、後続する表現は要らないのにのに対し、一方、居場所を問題にするような、「存在」の場合は、その場所に関する表現を後続させる、ということになります。

実は、こういったことは、EG46で扱った、「前提」の概念が有効にはたらいているケースで、「実在する」の意味を純粋に解釈すれば、(2)のように、‘be’動詞は、本来、単独で使われるものなのです。そこで、一見、(3)は反例のように見えますが、例え、存在の対象が「神」であっても、人によっては、神はいるに決まってる、という考えをもっているので、そういう人が、‘God’「神」を、‘is’の主語に立てたとしても、もはや、その実在性の可否など問題にはならず、その解釈は、「実在する」ではなく、「~ に存在する」になってしまうので、存在する場所の方に焦点が移ってしまうのです。

ですので、「神」の存在が立証されているか否かに関わらず、神の存在を、もとから当然と見なしている場合は、(3)のように、‘in our mind’「我々の精神に」というような、語句が後に続くことになります。これが、「ジョン」のように、一般的に実在することが明らかとされやすいものが、‘be’動詞の主語にくる場合は、逆に、いきなり、ジョンは存在する、などと言われても、ピンとこないわけですね。どこにだ?と問い返したくなります。こういった場合は、(5)のように、「ジョン」の実在が本当か否かを問いやすくするような文脈に置かなければなりません。

これで、‘be’動詞が、‘exist’「存在する」の意味をもつ場合は、その「存在」に対する焦点の当て方で、2通りに意味が分かれて、結果として、構文に2タイプのカタチが出てくるのがわかったと思います。「実在する」の意味の場合は、それだけで意味が完結するので、他の要素を「前提」とはしません。一方、もう1つは、居場所を「前提」とする、「~ にいる、~ に存在する」で、そういった意味からは、必然的に、後に場所を表す表現をとるカタチになります。

(6)Don't be ! (オマエなど (この世に) いちゃならんのだ。)

(7)I think、therefore I am. (オレ思う、故にオレ在り。)

(8)‘To be or not to be’ is the ultimate question.
  (生きよっかな、死のっかな、究極のモンダイ。)

(6)~(8)は、よく、存在の意味をもつ‘be’動詞として引き合いに出される例ですが、もちろん、「実在」を問題とするような‘be’動詞の例です。こういった「実在」が問題となる場合は、(7)や(8)みたいに、ちょっとカタ苦しい表現が似合うようです。

(6)は、実在するな、と言っていて、親不孝ものの子供に対して、親が思わず口を滑らせて言ってしまうような、かなりキツイ表現です。(7)は、デカルトという、偉い学者さんが残した名言で、考えるということが、ヒトととして存在している証なのだ、という感じです。(8)の、‘To be or not to be’ は、皆さんもご存知の、シェイクスピアの作品からのセリフですね。生死の問題を、存在すべきか否か、という表現で捉えているわけですね。

(9)May the force be with you. (フォースが共に在らんことを願う。)
(10)There is a book on the desk. (机の上に本があるぞ。)

(9)と(10)は、「~ に存在する」の例ですね。(9)は、映画、スターウォーズのシリーズで、頻繁に出てくるセリフです。「~ と共に」というのも、一種の、「場所」の拡張概念だということで、つながりやすい表現です。「フォース」の力はスターウォーズの世界では、当たり前に存在しているものなので、(9)のような文が普通に使われています。ちなみに、‘may’は疑問文のカタチをとって、肯定文の下降調イントネーションで発話すると、「~ を願う」の意味になります。

(10)は、‘there is/are ~’「~ がある」の構文ですね。この‘be’動詞も、存在を表現するものですが、‘there is/are ~’の構文は、「実在性」の方を問題にする場合は、使えないことになっていますので、必然的に、場所や何かの表現をともなうことになります。ちなみに、この構文の‘there’自体は特に意味内容はもっていないので、場所の‘there’「そこに」とは違いますから、注意が必要です。

以上、今回のポイントは、(1)のような、‘A is B’「AはBである」の構文とは、ちょっと性質が異なる‘be’動詞を扱ったわけですが、決定的なポイントは、‘be’動詞自体が意味内容をもつか否かです。‘A is B’「AはBである」の構文は、‘be’動詞が、現在だとか、過去だとかの時間の概念以外は、単なるカタチの上での機能という役割しかもたず、AとBを連結するだけで、意味内容は何もありません。

しかし、一方で、今回扱った‘be’動詞は、「存在する」、という意味をもっており、その意味が、「実在する」か、「~ に存在する」かで、2タイプのカタチの構文を発生させる、ということです。しかし、EG46の「前提」の概念を考えれば、これら、2タイプのカタチが意味の違いから出てくるのは、当然の帰結であり、ここは、ちょっと、英語脳の形成がうまくいっている人なら、問題なくクリアできると思います。今回扱わなかった、‘A is B’「AはBである」の構文も、別の機会に詳しく見たいと思いますので、そのときまで。

■注 :(2)はOKですが、同様に、実在を表現する‘A Santa Claus is.’「サンタ・クロースは、実在します。」は、アウトです。そこで、(2)の‘God’「神」は、唯一的な存在を表しているのに対し、一方、‘A Santa Claus’「サンタクロース」の場合は、不定冠詞‘a’が付くことからも、唯一的ではない、「サンタは何人もいる」、というような、種類を表せる名詞である、という違いがありますが、この問題は、別の機会に扱いたいと思います。

●関連: EG46

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チョット気になる英語(か?)・2005年03月31日(木)

2005年03月31日 | その他
【チョット気になる英語(か?)(^^;】 2005年03月31日(木)
TBという表現があります。‘tuberculosis’の略語で、「(肺)結核」という病気のことです。「テュバキュロゥシス」という感じの発音で、「ロゥ」にアクセントを置きます。

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英語学習法(69)

2005年03月28日 | 動詞
動詞編です。動詞の表現している、意味について、少し詳しく考えてみたいと思います。英語の「状態動詞」についてです。以下、見ましょう。

(1) run (走る)、walk (歩く)、move (動く)、swim (泳ぐ)、fly (飛ぶ)

(1)の単語は、もちろん、全て動詞です。動詞の特徴は、その名前からして、動作を表現する、というのが、一般的な考えですが、(1)にある動詞も、全て、「動作」を表していますね。ところで、英語の動詞は、基本的なカタチの上での判断基準は、直接、主語を取るか取らないかというのが、最も確かな特徴と言えます。

(2) a. Tom runs. (〇) (トムは走る。)
   b. Tom smart. (×) (トムは頭が良い。)

(2a)の‘run’「走る」は、‘Tom’を直接主語に取り、OKですが、一方、(2b)の‘smart’「頭が良い」は、‘Tom’を直接主語に取ってアウトとなっています。これは、‘smart’が、動詞ではなく、形容詞であり、結果として、(2b)は、動詞がない文になっているからです。この場合は、‘be’動詞の活用形、‘is’を補ってやらなければ、(2b)をOKにすることはできません。

そこで、形容詞と違って、英語の動詞は動作を表現し、かつ、主語を取ることで、文をつくれることがわかりますが、動詞であるかないかの定義は、「直接、主語を取る」という、カタチの上での定義が最も確かな判断基準で、これだけでOKです。もう、何をもって動詞とするか、の問題は終わりですから簡単ですね。ところが、その動詞の意味の問題となると、ちょっと、いろいろありそうです。では、「動作」という意味の観点からは、以下の動詞はどうなるんでしょうか。

(3)know (知っている)、belong (所属している)、resemble (似ている)、love、(愛している)

(3)の動詞は、それぞれ、「~ ている」という語尾がくっついた日本語訳が与えられていていますが、これは、なぜなんでしょうか。「知る」、「所属する」、「似る」、「愛する」、ではダメなんでしょうか。例えば、「知る」と「知っている」では、どのように違うんでしょうか。

(4)When Jane told Mary Tom's affair、she knew it.
(5) a. ジェーンがメアリーにトムの浮気を伝えたとき、彼女はそれを知っていた。 (〇)
   b. ジェーンがメアリーにトムの浮気を伝えたときに、彼女はそれを知った。 (×)

(4)のような文では、(5a)のように解釈するのはOKですが、(5b)のような解釈はできないようです。(5a)は、誰かがおしえてくれるまでもなく、メアリーは、すでにトムの浮気に関する情報を得ていた、という解釈で、一方、(5b)は、メアリーは、ジェーンからトムの浮気に関する情報を得た、ということですね。

このような差が出るのは、純粋な意味で、「知る」という日本語を、(4)に当てはめることが不自然だからで、どちらかと言えば、日本語の「知る」は、情報を得るという「行為」に重点が置かれた表現であるのに対して、英語の‘know’は、何かの情報を得たあと、そのことが記憶として残っている「状態」の方に重点が置かれた表現だからです。

このように、‘know’は、「知る」と「知っている」のどちらか、と言うと、「知っている」という日本語の方がうまく適合しやすい、ということになります。これは、日本語の「~ ている」という表現そのものに、「状態」の意味が含意されていて、「知る」と、「~ ている」の2つの表現を組み合わせると、「状態」を表すようにすることができるからです。このことから、(3)のように、「~ ている」の日本語訳が当てはめられるような動詞を、「状態動詞」などと呼んでいます。しかし、以下のような場合は、どうなんでしょうか。

(6)Do you know what I mean?
(7) a. ボクの言ってる意味、知ってるかな? (×)
   b. ボクの言ってる意味、わかるかな? (〇)

(6)の英語の日本語訳ですが、‘know’に対して、「知っている」を当てはめた(7a)がアウトになっています。一方、かわりに、(7b)の「わかる」がOKになっています。これは、どういうことなんでしょうか。‘know’は、「知っている」にすら、ピタリとは一致しないことがある、ということですが、「わかる」、というのは、言いかえれば、「理解する」という感じになるので、(6)の場合の‘know’は、むしろ、‘understand’に近い、と言えるかも知れません。しかし、‘understand’は、以下のように、‘know’と同じ振る舞い方をする、という点で、「状態」を含意した表現なのだとわかります。

(8) a. I know your idea. (〇) (キミの考えは知っているよ。)
   b. I am knowing your idea. (×) (訳同上)

(9) a. I understand your idea. (〇) (あなたの考えは理解しています。)
   b. I am understanding your idea. (×) (訳同上)

(8b)と(9b)、どちらも進行形‘be+-ing’になっていてアウトです。「状態」を含意する動詞は、「動作の進行」を表現するような意味に変化することを強制されると、拒絶反応を示す性質があるのです。この点、‘understand’は、「理解する」というよりは、むしろ、「状態」的な表現の、「理解している」の方が、本来的な意味ということになります。それと、もちろん、(3)の動詞も、全て、「動作の進行」を表現することはできません。

(10) a. I belong to the tennis club. (〇) (テニス部に所属しています。)
    b. I am belonging to the tennis club. (×) (訳同上)

(11) a. I resembles my father. (〇) (私は父に似ています。)
    b. I am resembling my father. (×) (訳同上)

(12) a. I love Mary. (〇) (メアリーを愛しています。)
    b. I am loving Mary. (×) (訳同上)

ですので、(7b)の日本語訳もそれにしたがって、「~ わかっているかな?」にすれば、(6)に対する直訳に近づくわけで、それでも不自然な日本語訳ではありませんね。ただ、日本語としては、(7b)のような、「わかる」という行為で表現する習慣が一般的になっていますので、ここら辺りは、「行為」で表現しようが、「状態」で表現しようが、習慣の違い、という認識で収まる許容範囲内ということですね。

ただ、(6)の文の中の、‘know’の意味を考えると、ただ単に、その主語‘you’が、与えられた情報を盲目的に受け入れて、「知っている」のではなく、主語‘you’自身で考え、そして理解された上での知識として「知っている」ということにならなければならないので、ストレートに、英語の‘know’に日本語の「知っている」を対応させると、(6)のような使い方では、不適合が起こるというわけですね。これは‘know’に備わっている意味の守備範囲が、「知っている」とは、本来的にズレているからです。

この、(6)と(7a)の不適合の中身を調べると、(6)の話者‘I’は、発信している情報、「ボクの言っている意味」、を話題として出して発話する以前には、聞き手‘you’に理解は得られていないであろう、という前提で、(6)を発話しているので、話者‘I’自身の理解や主観を交えての考えを、聞き手‘you’に、これから理解させようと意図して発信しているわけです。

つまり、話者‘I’の気持ちにならない限り、知り得ないことを、聞き手‘you’に対して発信している最中なのに、話者‘I’が発信する以前に、聞き手‘you’がその内容について、すでに話者と気持ちを同化させて共有していることなどあり得ない、と想定しているわけですね。

こういった状況で、「知ってるかな?」という日本語の表現を使うのは、知らないことを知っているかな、というのと同じことで、意味が矛盾してしまうのです。ですので、どうしても、(6)の英語の場合は、日本語の「知っている」を当てると、意味がおかしく感じられるのです。しかし、(6)の英語がOKである事実からすると、‘know’には、「理解している」という状態も含意されているから、(6)はおかしくない、ということになるんですね。

「知っている」は既知の内容を前提としている動詞であり、未知の内容には不適合ですが、「理解している」は未知の内容に対して、考えて取り込むプロセスを含意する動詞なので、未知の内容と適合する動詞と言ってもよいでしょう。

以上から、‘know’は、動詞と言うには、「状態」的なので、日本語の動詞「知る」ほどには、行為的な性質をもってはいませんし、かと言って、じゃあ、「知っている」ならどうだ、と言われても、純粋に、ただ何の見識もなく情報を受け入れているだけの状態というわけでもなく、「わかっていて知っている」というような、どうも座りの悪い解釈をしなければならないようです。と言うよりも、直接対応する日本語が見あたらないので、その使われている文の含意に沿って適当な日本語を探しあてて使う、ということですね。

ところで、‘know’の「状態的」性質に関しては、‘know’に、‘get to’や‘come to’を足し合わせて、「知る」の意味に近づけるような、「知る+~ ている」で「状態」を表す日本語とは、ちょうど逆発想的な、意味の転換は可能です。

(13)I got to know her feelings. (彼女の気持ちを知った。)
(14)I came to know her feelings.  (訳同上)

以上から、文という単位のレベルだけでなく、単語という単位のレベルですら、日本語で対応させて記憶していたのでは、返って理解の妨げになる場合がある、というのがわかったと思います。まず、動詞においては、「状態動詞」と呼ばれる、日本語の動詞にはない、特有の概念があって、その性質は、「動作の進行」を表す意味に変化することをイヤがる動詞である、ということと、これとは全く別の側面として、純粋な日本語の意味とは、対応する訳にズレが生じてしまう場合がある、ということです。

そのため、日本語の語彙体系を習得している日本語話者からは、英語の語彙体系をよく考えてみる必要がある、ということです。今回のポイントは動詞といっても、日本語の動詞とはずいぶん違っていて、絶対に同じようなものだと決めてかかってはいけない、ということです。状態動詞については、まだ話すべきことはありますが、とりあえず、ここまで、ということで。

■注1 :日本語の「知る」は、英語では、他の動詞で表現されることの方が多いようです。ちょっと細かく分類されていて、‘learn’「(学んで)知る」、‘find’「(発見して)知る」、‘realize’「(悟って)知る」、などあります。
■注2 :日本語の動詞にも、「~ ている」の助けを借りずに、素で状態をあらわす動詞がないわけでもありません。「お金ならあるよ。」、の「ある」は動詞で、かつ、「状態」を表しています。「そりゃ、違うでしょ。」、の「違う」も動詞で、かつ、「状態」を表しています。


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英語学習法(68)

2005年03月25日 | 動詞
EG21の続きです。EG21では、「AはBを ~ される」という、日本語の側から、使役動詞‘have’を考えましたが、今回は、構文としてのカタチの側から考えてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1) a. Someone stole my bicycle. (何者かがボクの自転車を盗んだ。)
   b. My bicycle was stolen (by someone).
    ((何者かによって) ボクの自転車が盗まれた。)

(1a)の能動文、「主語(Someone)+動詞(stole)+目的語(my bicycle)」から、受身文をつくると、(1b)になりますね。受身文は、能動文に目的語がある場合にのみつくられる、というルールがあったのは大丈夫でしょうか。(EG35参照) (1a)の目的語‘my bicycle’「ボクの自転車」が、主語の位置に移動して、(1b)の受身文が完成します。ここで、(1b)は、もちろん、‘my bicycle’が主語であり、‘stolen ~’は述語ですね。

(2)I had my bicycle stolen (by someone).
  (ボクは (何者かによって) 自転車を盗まれてしまった。)

(2)の文は、使役動詞‘have’の中に、(1b)の「主語・述語」の関係をもった、‘my bicycle stolen (by someone)’を組み込んで、移植したカタチです。その際、(1b)の‘was’は、外してしまうのが、この構文のつくり方のコツでしたね。

ところで、(1b)と(2)の意味の違いは何なんでしょうか?まず、(1b)の意味を考えてみると、自転車が「盗む」という行為を受けているわけですから、自転車の持ち主にとっては、「被害」や「受難」の意味があると考えるのが普通でしょうが、そういった解釈が受身文の特徴である、とまで言い切ってしまうことは、まず、不可能です。

(3)John is respected by many people. (ジョンは大勢から尊敬されている。)
(4)John is trained by his boss. (ジョンは上司に訓練されているんだ。)

一般的に考えて、(3)のように、「尊敬される」というのは、良いことなので、主語‘John’の「受益」、または、話者が家族や親友ならば、話者にとっての「受益」と考えてもよさそうなものですし、一方、(4)のように、「訓練される」という意味は、シンドイことだと思えば、主語‘John’の「受難」になることもあるし、逆に、鍛えてもらっているので、ありがたいと思えば、「受益」にもなります。つまり、どちらの解釈になるかは、状況次第というわけですね。

しかし、さらに、もっと言えば、主語にとっての「受難」か「受益」か、などということは、どうでもいいことかも知れません。ただ単に、話者は、見たまま、ありのままを、事実として、ジョンが尊敬の対象である、ということや、訓練を受けている、と述べているだけ、ということもあり得ますからね。

ですので、(3)にせよ、(4)にせよ、無理に、「受難」や「受益」に解釈する必要はないんです。この点、(1b)も同様であり、「盗まれる」という行為があると、どうも、その持ち主に「被害者」的な雰囲気が漂いますが、「盗む」のように、選ばれる語彙によっては、たまたま、そのように解釈されることが多い、というだけのことなんですね。このように、実は、受身文のカタチそのものには、特に、「被害」や「受益」といった意味を指定するはたらきはなく、解釈の仕方によっては、どうとでも取れる場合が大半です。

(5)I had my eyes examined (by a doctor). (ボクは眼を (医者に)診てもらった。)

しかし、基本的には、使役動詞‘have’を使った場合は、ハッキリと「受難」か「受益」かのどちらかになり、特にどちらでもない、というわけにはいかないようです。(2)では、自転車を盗まれて、イヤな思いをしたのは、使役動詞‘had’の主語である、‘I’「ボク」になります。一方、(5)では、‘had’の主語‘I’「ボク」は、眼を診察してもらっているわけですから、「受益」という解釈になります。つまり、使役動詞‘have’の主語は、積極的に、「受難」か「受益」かの、どちらかを表現している、と言ってよいでしょう。

(6) a. John had Mary do his homework. (ジョンはメアリーに宿題をやってもらった。)
   b. Mary does his homework. (メアリーは彼の宿題をやる。)

(7) a. John had Mary steal his money. (ジョンはメアリーにお金を盗まれた。)
   b. Mary stole his money. (メアリーは彼のお金を盗んだ。)

ここで、(6a)や(7a)からわかるとおり、使役動詞‘have’の後にくる、「主語・述語」の関係における述語部分は、カタチとしては、常に過去分詞とは限らないことに注意して下さい。実は、使役動詞‘have’は、後に、「目的語+原形動詞」のカタチがくることもあります。

これは、EG66とEG67で見た、知覚動詞と同じく、「主語・述語」の関係が成り立っていれば、過去分詞以外に、原形動詞がきても構わない、ということです。(6b)と(7b)の対応している能動文から明らかなように、(6a)と(7a)の‘had’の後にきている、「目的語+原形動詞」のカタチでは、しっかり、「主語・述語」の関係が成り立っているのがわかりますね。

そこで、(6a)と(7a)の解釈ですが、宿題は、普通、人にやってもらうと、楽だし助かる、と思われる傾向があるので、(6a)の主語‘John’にとっては、「受益」ですね。一方、お金を盗むという行為は、盗られた側からすれば迷惑なことなので、(7a)の主語‘John’にとっては「受難」ということになりますね。次は、ちょっと状況によりけりという場合です。

(8)John had Mary drive his car.
(9) a. ジョンはメアリーにクルマを運転された。 (〇)
   b. ジョンはメアリーにクルマを運転してもらった。 (〇)

(8)は、使役動詞‘had’に組み込まれている、目的語‘Mary’と、原形動詞‘drive ~’の間で、「主語・述語」の関係が成り立っていますが、解釈は、「受難」か「受益」のどちらとも決めがたく、文脈によっては、「受難」の(9a)と、「受益」の(9b)の両方の解釈が可能です。

「受難」の解釈(9a)が成り立つのは、運転のヘタクソなメアリーが、ジョンの大事にしているクルマを運転したとか、黙って断りもなく、ジョンのクルマを勝手に使ったような場合ですね。一方、「受益」の解釈(9b)が成り立つのは、ジョンが疲れていたりして、運転が面倒だと感じているときに、運転をメアリーに交代してもらった場合ですね。さらに、以下はどうでしょうか。

(10)John had his lover killed.
(11)a. ジョンは愛人を殺された。
   b. ジョンは愛人を殺してもらった。

(12)John had his rumor go around.
(13)a. ジョンは自分のうわさを広められた。
   b. ジョンは自分のうわさを広めてもらった。

ここで注意して欲しいのは、EG67でもちょっと触れたことなんですが、(10)と(12)から明らかなこととして、‘have’の目的語が、「ヒト」か「モノ」かは、後に続く動詞のカタチを決定する上では、役に立たない、ということです。「ヒト+原形動詞」や、「モノ・コト+過去分詞」の公式は、(10)と(12)の例からは、全く成り立ちません。‘have’に関しては、「ヒト+原形動詞」や、「モノ・コト+過去分詞」の公式による説明が最も多く、解説本にまで堂々と書かれていることすらあるので、知覚動詞の場合以上に要注意です。

(10)の解釈が(11a)であるか、(11b)であるかは、もちろん、ジョンと愛人の関係が良好か否かによります。愛人との関係が良好ならば、愛人を殺されるのは、ジョンにとっては、くやしいことなので、(11a)の解釈になりますが、逆に、愛人に結婚を迫られたとか、妊娠してると脅されて、ヤバイ状況に立たされていれば、計画的に邪魔者を誰かに消してもらおう、とジョンは考えるかも知れませんので、(11b)が自然な解釈になりますね。次に、(12)の解釈としては、(13a)ならば、ジョンにとって恥になるようなうわさの場合で、一方、(13b)ならば、ジョンにとって自慢になるようなうわさの場合ですね。

以上からハッキリしたことは、使役動詞‘have’を使った構文では、そのカタチとして、知覚動詞の構文と同じように、‘have’の後には、「目的語+過去分詞」と、「目的語+原形動詞」がくるということです。そして、一般的に誤解されがちなのは、受身文の日本語訳が、「~ される」や、「~ られる」となりがちなことから、「‘have’+目的語+過去分詞」の構文の方は、‘have’の主語が、「受難」の意味になると思われているフシがあるのですが、そういったこととは関係なく、過去分詞であろうが、原形動詞であろうが、「受難」か「受益」の解釈は、文脈によって決まる、ということです。

これは、既に述べたように、もともとの受身文の解釈の仕方に誤解がある、ということが原因で、(3)や(4)からも明らかなように、受身文のカタチそのものには、「受難」や「受益」を指定するはたらきはなく、文脈や、一般常識から、妥当だと推測される意味に解釈するだけのことであり、その結果として、「受難」になったり、「受益」になったりするだけのことなんですね。ですので、「受難」や「受益」は、どちらかと言えば、付加価値的な意味なんです。そして、場合によっては、「受難」や「受益」など、どうでもいいということもある。

これと同様に、使役動詞‘have’にも、その主語が、「受難」となるか「受益」となるかを、後続する、「目的語+過去分詞」や、「目的語+原形動詞」といった、カタチそのものから指定するはたらきはない、ということなんです。しかし、受身文との違いは、「受難」や「受益」など、どうでもいい、という解釈にはならない、ということで、積極的に、「受難」か「受益」の、どちらかの解釈になります。これが基本的な使役動詞‘have’の使い方です。

あと、使役動詞‘have’には、使い方の問題で、「受難」や「受益」の意味が弱められてしまう場合があります。しかし、後に続く表現は、必ず、「主語・述語」という鉄則は守られていますので、この点だけしっかり押さえて、あとは意味の取り方にだけ注意しておけば、構文としては問題なく使えます。

(14)a. Can you have him come here at two ? (2時に、彼にこっちに来させてくれないかな。)
   b. He comes here at two. (彼が2時にこっちに来る。)

(15)a. Can you have the job finished by noon ? (正午までに仕事を仕上げてくれないかな。)
   b. The job is finished by noon. (正午までにその仕事が仕上がる。)

(14a)や(15b)の文における、‘have’を使った用法は、話者がお願いをしている、ということから、「話者の受益」という点が優先的に解釈され、そのためか、「受難・受益」といった利害の問題は、‘have’の主語である、‘you’には直接は関係ないと解釈される傾向があります。こういった優先解釈の問題で、‘have’の主語が中立的な立場になってしまうこともあります。つまり、他からの干渉や圧力がかかると折れてしまうような、結構、弱い側面がある、というのも‘have’の特徴です。

この場合は、「彼が2時に来る」ように取りはからう、とか、「正午までに仕事が終わる」ように取りはからう、というような、ある状態になるようにもっていく、というような感じになりますので、解釈としては、「~ が ・・・ (という状態)になるようにする」と理解しておけばよいと思います。

と、ここまで言って、使役動詞‘have’の全てを言い尽くせたかというと、そうではありません。今回はごく基本的なカタチと意味に触れたということになりますが、しかし、大体は、こんな感じで使うのが実用的な領域になると思います。むしろ、今回のポイントは、EG66とEG67で扱った、「知覚動詞」とのカタチの上での類似性です。意味の表し方は、基本が、「受難」か「受益」ということと、あとは、「知覚動詞」と「使役動詞」をセットにして、構文としてのカタチを使えるようになることが最初の目標になると思います。一生モノの表現力になることは保証できますので、是非ともマスターして下さい。

●関連: EG21EG35EG66EG67

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英語学習法(67)

2005年03月22日 | 動詞
EG66の続きです。知覚動詞です。以下、見ましょう。

(1)私はジャックを見た。
(2)私は、ジャックが蹴られるのを見た。

(1)では、ただ単に、ジャックという人物をを見た、ということが表現されているにすぎません。しかし、(2)では、ただ、ジャックを見た、というだけではなく、ジャックがどうなったのを見たのか、ということに焦点が当たっています。ですので、ジャックがどうなったのかを目で捕えた、というというところがポイントになっています。そこで、(2)のような日本語を、英語で、どう表現するか、ということになるわけですが、以下のようになります。

(3)I saw Jack. (訳同(1))
(4)I saw Jack kicked. (訳同(2))

EG66では、‘see’「見る」などの知覚動詞の後に、「目的語+動詞の原形」や、「目的語+‘-ing’」のカタチが続くパターンについて話したわけですが、今回は、ちょっと変わっていて、(4)にあるように、過去分詞‘kicked’が現れています。つまり、(4)では、(3)の、「主語(I)+動詞 (saw)+目的語(Jack)」のカタチに、‘kicked’がくっ付いただけですから簡単ですね。まず、(4)の‘Jack’が目的語であるということは、以下の文で‘Jack’を代名詞に置き換えたときに、目的格になることから証明されます。

(5)I saw him kicked. (私は、彼が蹴られるのを見た。)

それから、‘kicked’の部分は、なぜ「過去分詞」と断言できるのか、「過去形」ではないのか、という疑問も浮かびますが、最も直感的にわかりやすい理由は、日本語訳が、「蹴られる」になっていて、「~ られる」の部分が、何だか受身のような感じがするからかな、とも思いますが、しかし、そんなことはあまり当てにしない方がよいと思います。

(6)I saw him surprised. (私は、彼がビックリているのを見た。)
(7)I saw him annoyed. (私は、彼が悩んでいるのを見た。)
(8)I saw him embarrassed. (私は、彼が困惑しているのを見た。)

(6)~(8)の日本語訳をを見てわかる通り、決して、「~ られる」や、「~ される」などといった訳がスパッと決まっているわけではなく、‘-ed’のカタチに対応する部分に、「~ ている」などの日本語訳がくることもありますから、日本語訳からの決め付けは、危険であることがよくわかると思います。そして何よりも、目的語の後の、動詞の‘-ed’のカタチが、過去形ではないという、決定的な証拠は以下の通りです。

(9) I saw him beaten. (私は、彼が打ち負かされるのを見た。)
(10)I saw him eaten. (私は、彼が食べられるのを見た。)
(11)I saw him bitten. (私は、彼が噛まれるのを見た。)

(9)~(10)では、不規則変化する動詞の中でも、過去分詞専用のカタチをもっている動詞が目的語の後に使われています。それぞれ、‘beat-beat-beaten’「打ち負かす」、‘eat-ate-eaten’「食べる」、‘bite-bit-bitten’「噛む」、の3番目にきているカタチですよね。そして、さらに、以下のように、‘by ~’を付けてもOKです。

(12)I saw him beaten by the rival. (私は、彼がライバルに打ち負かされるのを見た。)
(13)I saw him eaten by a monster. (私は、彼が怪獣に食べられるのを見た。)
(14)I saw him bitten by a lion. (私は、彼がライオンに噛まれるのを見た。)

(12)~(14)における、「過去分詞+‘by ~’」のカタチから、何だか、「受身文」の特徴のようなものが色濃く表れてきましたね。ここで、思い出して欲しいのは、EG66の、「知覚動詞+目的語」の後にある動詞は、原形だったり、‘-ing’のカタチだったりしたわけですが、そういった、「目的語+動詞の原形」や、「目的語+‘-ing’」のカタチの間には、両方とも、「主語・述語」の関係があった、ということです。そこで、もうおわかりかと思いますが、やはり、知覚動詞の後に続く、「目的語+過去分詞」の間にも、「主語・述語」の関係があるということなんです。

(15)He was beaten by the rival. (彼はライバルに打ち負かされた。)
(16)He was eaten by a monster. (彼は怪獣に食べられた。)
(17)He was bitten by a lion. (彼はライオンに噛まれた。)

(15)~(17)は、全て受身文です。そして、その受身文の、be動詞‘was’を取り外して、主語‘he’を目的格‘him’に変えてやれば、あとは、そのまま、(12)~(14)のように、知覚動詞‘saw’の後につなげてやることが可能になります。ですので、通常、受身文のカタチで使われるような文は、その「主語・述語」の関係として、「目的語+過去分詞」のカタチをとって、知覚動詞の後に現れる、と結論付けてもよいと思います。

これで、知覚動詞の後にくるカタチとして、EG66からトータルで、「目的語+動詞の原形」、「目的語+‘-ing’」、「目的語+過去分詞」が出てきたわけですが、これらは、いずれも「主語・述語」の関係をキッチリ守っていることがわかったと思います。この線で考えていくと、この「主語・述語」の関係が、知覚動詞を理解する上での、最も大事なポイントになりそうですね。続けて、以下、見ましょう。

(18)I heard Mary shut the door. (メアリーがドアを閉めるのを聞いた。)
(19)I heard the door shut (by Mary). (ドアが(メアリーに)閉められるのを聞いた。)

(18)と(19)は、どちらもOKの文ですが、ちょっと厄介なのは、「主語・述語」の関係が、能動文からのものなのか、それとも受身文からのものなのか、必ずしも、目的語の後にある動詞のカタチだけからは、判断がつかない場合がある、ということです。‘shut’「閉まる」の活用は、‘shut(原形)-shut(過去形)-shut(過去分詞)’というように、原形と過去分詞のカタチが同じなので、(18)と(19)の‘shut’は、原形なのか、過去分詞なのかを見分ける際に、知覚動詞の後にある目的語との関係を、逐一、チェックしなければならないということです。

(20)Mary shut the door. (メアリーはドアを閉めた。)
(21)The door was shut (by Mary). (ドアが(メアリーに)閉められた。)

(18)は、(20)の能動文の「主語・述語」の関係を、‘heard’に組み込んでいるので、‘shut’は原形だと判断されます。一方、(19)は、(21)の受身文の「主語・述語」の関係を、‘heard’に組み込んでいるので、‘shut’は過去分詞だと判断されます。

ここで、なぜか、学校の英文法などで、安易に、目的語が、「ヒト」の場合は、後に原形、または、‘-ing’がくるが、一方、目的語が「モノ」の場合は、後に過去分詞がくる、などと教わる人がいるようなので、あえて付言しておきますが、そのようなアホらしい判断基準は、即刻、捨てて下さい。

当たり前のことなんですが、今回の(4)~(17)の例は、全て、そのような説明に対する、ストレートな反例となっていて、目的語が「ヒト」であるにも関わらず、その後に過去分詞がきています。そして、逆に、以下は、「モノ」が目的語であるにも関わらず、その後に動詞の原形、または、‘-ing’のカタチがきています。

(22)a. I saw the book fall from his hand. (その本が彼の手から落ちるのを見た。)
   b. The book fell from his hand. (その本は彼の手から落ちた。)

(23)a. I heard the bridge break down. (その橋が崩れ落ちる音を聞いた。)
   b. The bridge broke down. (その橋は崩れ落ちた。)

(24)a. I felt my heart beating fast. (自分の心臓がドキドキ鼓動しているのを感じた。)
   b. My heart was beating fast. (自分の心臓はドキドキ鼓動していた。)

(22a-b)~(24a-b)の各ペアは、(a)が、「知覚動詞+目的語+原形動詞」、または、「知覚動詞+目的語+‘-ing’」のカタチになっていますが、それら全ては、(b)の文を「目的語+原形動詞」、または、「目的語+‘-ing’」のカタチに変換して、組み込んでいます。ですので、目的語が、「ヒト」か「モノ」か、などといった基準で後続する動詞のカタチが決定されるなど、全くもってマト外れです。

あと、注意点ですが、受身文における、「主語・述語」の関係は、前置詞が残されているような受身文のカタチにおける前置詞も、そのまま移植の対象とされます。(EG35参照) まず、以下の能動文(25)から、受身文(26)がつくられるのを確認して下さい。

(25)Mary laughed at John. (メアリーはジョンを笑った。)
(26)John was laughed at _ (by Mary). (ジョンは(メアリーに)笑われた。)

能動文(25)は、「主語(Mary)+自動詞(laughed)+前置詞(at)+目的語(John)」のカタチで、その目的語‘John’を、主語の位置に移動することでつくられた受身文(26)では、当然のことながら、前置詞‘at ~’の後が空所になっています。このように前置詞が残っているカタチも、そのまま、知覚動詞に移植してOKです。

(27)I saw John laughed at (by Mary). (ジョンが(メアリーに)笑われるのを見た。)

以上、確かなこととして言えるのは、知覚動詞の後にくる、「目的語+動詞の原形」、「目的語+‘-ing’」、「目的語+過去分詞」のカタチは、必ず、「主語・述語」の関係が移植されているということであり、この関係が守られていれば、以下のように、応用的な表現も可能となります。

(25)a. Jack saw her with another man. (ジャックは彼女が別の男といっしょにいるのを見た。)
   b. She was with another man. (彼女は別の男といっしょだった。)

(25a)はOKになる文ですが、もちろん、(25b)の文において‘she’が主語、‘with ~’が述語なので、その「主語・述語」の関係が、(25a)の‘saw’に移植されて成立しているわけですね。このことから、‘with ~’のような前置詞を使った述語も発展型として認められています。

今回のポイントは、EG66に続いて、知覚動詞には、後続するカタチとして、「目的語+動詞の原形」と「目的語+‘-ing’」以外に、「目的語+過去分詞」のカタチも存在する、ということでした。しかし、カタチの種類が増えたといっても、どのカタチにも、必ず、「主語・述語」の関係がある、という法則に何ら変わりはなく、この点を押さえておけば、自分から作文したり、話したりする際に、自信をもって、正しい表現だと判断することができるようになりますので、「英語脳」的には、やはり、必須のワザです。

この種の「主語・述語」の関係を組み込んだ構文は、知覚動詞以外にも、バリエーションが多く、もちろん、基本文型的な文の骨格となるものが中核となる構文ですが、派生的な変種として、副詞的なもの(文の骨格とはならないようなもの)まであり、数多く存在します。ですので、実践的な英語脳を形成するには、必ず、今回のような、特定構文の中にひそむ、「主語・述語」の関係を見抜くワザを身に付けて下さい。

■注1 :「主語・述語」の関係が組み込まれた、他の構文の代表格としては、「使役動詞」があります。(EG21参照) 副詞的にはたらく、「主語・述語」の関係を要求する構文としては、分詞構文があります。

■注2 :使役動詞の後にくる、「主語・述語」の関係が、受身文のカタチ、「‘be’+過去分詞」からの移植である場合、EG66の、進行形‘be+-ing’からの移植の場合と同様に、‘be’動詞は、現在か過去か、といった、時制に関する情報以外は、特に意味内容をもたないので、消してしまうのが基本です。ですので、そのような‘be’動詞に限り、「動詞の原形」という選択肢からは、外しておくのを忘れないようにして下さい。

■注3 :能動文にせよ、受身文にせよ、現在形や過去形で時間を表現しているのに、知覚動詞に組み込む際に、その動詞を原形にしたり、‘be’動詞を外してしまったりするわけですから、時間(時制)の表現はどうなるのか、という疑問がわきますが、知覚動詞に組み込まれた表現は、知覚動詞の時制に合わせることになっています。つまり、知覚動詞による動作と「同時」に起こっている出来事だと解釈してOKです。


●関連 :EG21EG35EG66

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英語学習法(66)

2005年03月19日 | 動詞
また動詞編ですが、今回考えるのは、日本語の、「Aが ・・・ しているのを ~する」はどう表現されるのか、ということです。以下、見ましょう。

(1)私はトムを見た。
(2)私はトムが逃げるのを見た。

(1)では、ただ単に、トムという人物をを見た、ということが表現されているにすぎません。しかし、(2)では、ただ、トムを見た、というだけではなく、トムが何をするのを見たのか、ということに焦点が当たっています。ですので、トムの「行動」を目で捕えた、というというところがポイントになっています。そこで、(2)のような日本語を、英語で、どう表現するか、ということになるわけですが、以下のようになります。

(3)I saw Tom. (訳同(1))
(4)I saw Tom run away. (訳同(2))

(4)では、(3)の、「主語(I)+動詞 (saw)+目的語(Tom)」のカタチに、‘run away’「逃げる」がくっ付いただけですね。ですので、思ったよりも、ずいぶんと簡単なんですね。この‘run away’の動詞部分である‘run’は、‘run (原形)- ran (過去形) - run (過去分詞)’の活用における過去分詞ではなく、原形です。この動詞の原形部分を他の動詞の原形に入れかえれば、もちろん、いろんな表現が可能ですので、是非ともマスターしたい表現ですね。

(5)Lucy saw Tom do his homework. (ルーシーはトムが宿題をするのを見た。)
(6)Lucy saw Tom read the book. (ルーシーはトムが本を読むのを見た。)

ここで注意点ですが、日本語の、「Aが ~ するのを見た」の「Aが」は、「~ が」の部分から、あたかも主語であるかのように日本語で表現されていますが、英語の(4)~(6)の構文では、実は、‘Tom’「トム」は目的語であり、その証拠として、‘Tom’を代名詞に置き換えると、必ず、目的格‘him’のカタチになります。

(7)I saw him run away. (私は彼が逃げるのを見た。)
(8)Lucy saw him do his homework. (ルーシーは彼が宿題をするのを見た。)
(9)Lucy saw him read the book. (ルーシーは彼が本を読むのを見た。)

(7)~(9)で確認されるように、やはり、「主語+動詞+目的語」のカタチの後に、動詞の原形をくっ付けただけだということがわかります。なので、「三人称・単数・現在」の‘-s’を、目的語の後の原形動詞に、誤ってくっ付けることのないように注意して下さい。しかし、その一方で、それぞれの日本語訳からも明らかなことは、「彼が逃げる」、「彼が宿題をする」、「彼が本を読む」、というように、解釈の上では、‘saw’の後に続く目的語と動詞の原形の間には、「主語・述語」の関係が成り立っているのがよくわかりますね。

(10)He runs away. (彼は逃げる。)
(11)He does his homework. (彼は宿題をする。)
(12)He reads the book. (彼は本を読む。)

このような、「主語・述語」の関係は、英語ではカタチの上では、‘see’の直後で、「目的語+動詞の原形」で表現されるので、そのような決まりになっていると覚えて下さい。ところで、このようなパターンで使われる‘see’のような動詞は、他には、以下のようなものがあります。

(13)‘hear’「聞こえる」、‘watch’「(注意して)見る」、‘feel’「感じる」、
   ‘listen to’「(意識して)聞く」、‘look at’「(意識して)見る」、その他

(13)のタイプの動詞は、五感などの神経感覚に関係している意味をもつ、ということから、「知覚動詞」と呼ばれています。特に、(13)の、‘listen to’や‘look at’は、他の他動詞と違って、「自動詞+前置詞」のカタチですので、‘to’や‘at’の前置詞との組み合わせで覚えておくのを忘れないようにして下さい。

(14)Lucy looked at him walk on the floor. (ルーシーは彼が床を歩くのを見た。)
(15)Lucy listened to him sing a song. (ルーシーは彼が1曲歌うのを聴いた。)

ところで、「知覚動詞」には、目的語の後にくる動詞に、ちょっとした変化をつけることで、その意味に違いを出すことが可能です。その変化は、動詞の原形ではなく、動詞の‘-ing’のカタチを使ってやることです。そうすることで、例えば、(14)と(15)には、以下のような違いが出せます。

(16)Lucy looked at him walking on the floor.
  (ルーシーは彼が床を歩いているところを見た。)

(17)Lucy listened to him singing a song.
  (ルーシーは彼が1曲歌っているところを聴いた。)

(14)と(16)の違いは、(14)が、「歩く」という動作に、特に何もポイントを付けてはおらず、「歩き」のどの部分にも焦点は当てられていませんので、歩き始めから歩き終わりの一部始終を見た、ということを含意することが可能です。一方で、(16)は、‘-ing’のカタチからもわかる通り、進行中の動作、という点に焦点が当てられ、歩いている「瞬間」や、歩きが進行している点が強調された解釈になります。

(15)と(17)の違いも、(14)と(16)の違いと同じです。(15)では、「歌う」という行為に、特に何もポイントは付けてはおらず、「歌う」のどの部分にも焦点は当てられていませんので、まるまる1曲分の歌い始めから歌い終わりの一部始終を聴いた、ということを含意することが可能です。一方で、(17)では、歌っている「瞬間」や、「歌う」という行為が進行中である点が強調された解釈になります。こういったことも、基は、目的語と‘-ing’のカタチの間に、進行形の関係があり、意味もそれに倣っている、というところからきています。

(18)He is walking on the floor. (彼は床を歩いている。)
(19)He is singing a song. (彼は1曲歌っている。)

ここから、例えば、‘walk’「歩く」という動詞は、瞬間的な時間を表現する語句を付け足してやると、進行形とそうではないカタチの間にハッキリとした意味の差が出ます。

(20)He walked on the floor at three. (彼は3時に床を歩いた。)
(21)He was walking on the floor at three. (彼は3時に床を歩いていた。)

(20)は、もともと、ちょっと意味が変に感じられるのですが、「歩く」という動作の中でも、「歩き始め」の方にポイントが置かれます。つまり、3時に歩き始めた、というイメージで解釈されます。一方、(21)は、進行形‘be+-ing’のカタチで、瞬間的な動作にうまくマッチするカタチなので、まさに、そのまま、3時キッカリには、歩くという動作が進行中であった、という解釈になります。こういった意味の関係は、知覚動詞の中でも、そのまま生かされます。

(22)I saw him walk on the floor at three. (彼が3時に床を歩くのを見た。)
(23)I saw him walking on the floor at three. (彼が3時に床を歩いているのを見た。)

知覚動詞、‘see’の中で、(20)を表現した(22)でも、やはり、彼が3時に歩き始めるのを見た、というイメージで解釈され、‘see’の中で、(21)を表現した(23)は、3時キッカリには、歩くという動作が進行中で、その瞬間を見た、という解釈になります。

ところで、こういった知覚動詞は、後続する、「目的語+動詞の原形」または、「目的語+‘-ing’」のカタチが、「主語・述語」の解釈を受ける、といった点から、‘that’節との相性はどうなっているのだろうか、ということが、よく疑問点として上げられます。

(24)I see [ that Tom ran away ]. ([ トムが逃げたってことは ] わかってるよ。)
(25)I heard [ that Tom sang a song ]. ([ トムが歌ったってことは ] 聞いたけどね。)

結論から言うと、知覚動詞と‘that’節とのつながりは、直接的な「知覚」という観点からは、やや遠ざかっている解釈になります。(24)の‘see’は、トムが逃げるという行為を目で見る、という意味ではなく、むしろ、トムが逃げたという情報を、新聞や何かの書かれたものを見ることで得た、という意味があります。(25)では、トムの歌を聴いたのではなく、トムが歌ったという話を人から聞いたという意味になってしまいます。

このように、‘that’節には、「直接的な知覚」を受け付けないような側面があるので、もともと‘that’節を取らない知覚動詞もあるし、例え、‘that’節を取ったとしても、(24)や(25)のように、必ず、直接的な知覚の意味からは遠ざかるように、解釈に変化が生じています。このことから、真の意味での「知覚」を表す場合、知覚動詞は、‘that’節を取らないと結論付けてもよいでしょう。

今回のポイントは、英語の動詞には、目的語だけではなく、その目的語の動作といった表現までも組み込んで、文の骨格としてしまう動詞があるということです。こういった動詞は、「主語・述語」の関係を、目的語と動詞の原形、または、目的語と‘-ing’というカタチに変換して自分の中に組み込んでしまうはたらきがあるんですね。

しかし、その「主語・述語」の関係において、その「主語」が目的語のカタチをとる、という決まりごとの方は単純で、今回の話以外に言うべきことは何もありませんが、「述語」の部分に関しては、進行形以外にも、他の構文があることから、結構いろんなカタチがありそうだなと、容易に想像できますね。今回見たのは、もちろん、その数あるカタチの中の1つに過ぎません。別のカタチは、またの機会にでも見ていきたいと思います。

■注1 :今回扱った構文は、学校で習う「基本5文型」では、「S+V+O+C」という分類になります。「S+V+O+C」では、OとCの間に、「主語と述語の関係がある」、または、「イコールの関係がある」、などと説明されます。

■注2 :(22)と(23)における、‘at three’「3時に」は、文脈なしに、(22)と(23)の文だけを見ると、本来は、むしろ、‘saw’「見た」の方にかかって、「~ を3時に見た」、と解釈される傾向がありますが、「見た」という動作と、「歩く」、または、「歩いている」という動作は同時に起こっているので、「3時に」が、どちらにかかっていても、結果的に意味に大きな違いはなく、不都合はありません。そこで、とりあえず、(22)と(23)では、「~ を3時に見た」の解釈は外しておくものとします。

■注3 :使役動詞の後にくる、「主語・述語」の関係が、進行形、‘be+-ing’からの移植である場合、‘be’動詞は、現在か過去か、といった、時制に関する情報以外は、特に意味内容をもたないので、消してしまうのが基本です。ですので、そのような‘be’動詞に限り、「動詞の原形」という選択肢からは、外しておくのを忘れないようにして下さい。


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英語学習法(65)

2005年03月16日 | 動詞
EG60、EG61、EG64の続きで、二重目的語の構文ですが、今回は、ちょっとその変則性について考えてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)Roy explained the theory to Sally. (〇) (ロイはサリーにその理論を説明した。)
(2)Roy explained Sally the theory. (×) (訳同上)

(1)では、‘explain A to B’「AをBに説明する」の構文が使われています。そしてOKになっていますね。一方、(2)では、‘explain B A’「AをBに説明する」、つまり、二重目的語の構文が使われていまが、アウトになっています。

二重目的語の構文に関して、基礎編にあたる、EG60で確認したのは、‘explain’「説明する」は、二重目的語のカタチで使うことはできない、という決まりがあることでしたので、結局、そのまんま暗記しなさい、ということでした。ですので、(2)がアウトになるのは仕方ないんですが、でも、そんなこと言われても、ちょっと納得いきません。というのは、以下のような例があるからです。

(3)Roy explained her the theory. (〇) (ロイは彼女にその理論を説明した。)

(3)は、(2)の二重目的語の‘Sally’「サリー」(=B)を、代名詞‘her’「彼女に」、に置きかえてみたんですが、何と、OKになるということなんです。これは、一体どういうことなんでしょうか?英語の辞書など調べてみると、(3)は、「非標準的」だが、まれに使われる、などとコメントしてある場合もあって、シブシブ、(3)を認めているようなフシもあるんです。

でも、本当は、(3)の使用は、シブシブ認めて、やっと「非標準的」なんてもんじゃないんだそうです。英語話者なら、誰が聞いても、全くOKだと判断するほど、(3)はフツーに感じられるんだそうです。ですので、「英語脳」的には、(3)は、現実の世界ではOKで、学校でのペーパー試験の世界などでは、アウトにしておくという、ちょっと、変な措置を取ることにします。そこで、問題となるのは、なぜ、(2)と(3)のような差が生じてしまうのか、ということなんですが、これは、他の動詞を使った場合も考慮した方が良さそうです。

(4)Roy opened Sally the door. (×) (ロイはサリーにドアを開けてやった。)
(5)Roy opened her the door. (〇) (ロイは彼女にドアを開けてやった。)

(4)と(5)では、‘open B A’「BにAを開けてやる」を使っていますが、Bに‘Sally’「サリー」を使うとアウトで、一方、‘Sally’を代名詞‘her’「彼女に」、に置きかえた(5)は、やはりOKだそうです。ここで、EG64で話した、「情報の新鮮度」が、二重目的語の構文の容認度に与える影響を思い出してほしいのですが、EG64の傾向(14)では、二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、Bが、「不定」解釈になるほど、「情報の新鮮度」が高すぎるものであってはならない、という傾向があるのを確認しました。

そこで、割とOKになる傾向がある、(3)や(5)の、「動詞 B A」のカタチでは、Bが代名詞であり、情報的な価値としては、一般的に低いと見られる傾向がある、という点がポイントになると思います。つまり、二重目的語の構文、「動詞 B A」のカタチでは、Bの「情報の新鮮度」が高すぎると、容認度の低下をまねく要因になるけど、一方で、逆に、Bの「情報の新鮮度」が低ければ低いほど、本来、二重目的語を取らないとされる動詞が、二重目的語を取りやすい状態になるのではないか、と推測されます。

(6)Roy donated the Red Cross a few dollars. (×) (ロイは赤十字に数ドルの寄付をした。)
(7)Roy donated them a few dollars. (〇) (ロイは彼らに数ドルの寄付をした。)

‘donate’「寄付する」も本来、(6)のように、二重目的語は取らず、‘donate A to B’「AをBに寄付する」というカタチで使うのが正しいとされているのですが、やはり、(7)のように、Bを代名詞にしてやると、二重目的語を取りやすくなるようです。

以上、こういった傾向は、ヒトがコトバを使う際の、心理的な側面からは自然なことだと思います。本来は正しい使い方ではない、とされているような表現でも、何らかの一定の条件をクリアしてしまえば、一種の転用現象が起こるということですね。上で例にあげた、‘explain’「説明する」、‘open’「開ける」、‘donate’「寄付する」は、比較的、二重目的語の用法が、最近になって、数多く確認されてきている代表的なものです。

しかし、上であげた動詞以外にも、本来は二重目的語を取らないとされている動詞で、実際には、二重目的語の用法が確認されている動詞があり、よく調べてみると、やはり、ある一定の条件が複合的に重なると、OKになるようです。

例えば、「動詞 A for B → 動詞 B A」の、Bが「利益」を受ける、とされていることを表すカタチの場合、上であげた代名詞の条件以外に、他の面からも、積極的に、Bが「利益」を受けるような意味になるようにサポートしてやれば、本来、二重目的語の構文で使えない動詞も、「動詞 B A」のカタチを取るようになったりします。

(8)Roy killed Sally the snake. (×) (ロイはサリーにヘビを殺してやった。)
(9)Could you kill me the snake? I am very scared. (〇)
  (そのヘビ殺してよ~、すごく怖いんだもん。)

(10)Roy cut Sally her hair. (×) (ロイはサリーに髪を切ってやった。)
(11)Could you cut me my hair? It is too long. (〇) (髪切ってくれる?長すぎるのよ。)

‘kill’「殺す」や‘cut’「切る」は、(8)や(10)のように、本来、二重目的語を取らない動詞ですが、(9)や(11)のように、「動詞 B A」のカタチになっても、積極的に、Bの側に、「受益」が表現されていれば、OKになります。(8)からは、サリーがヘビ嫌いかどうかはわかりませんので、目の前のヘビを殺すことが、サリーにとって利益となるかどうかはわかりません。

しかし、(9)のように、サリーがヘビを怖がっている描写の中では、目の前のヘビを殺すことは、サリーにとっての利益となります。加えて、プラスの効果として、Bに代名詞が使われていることも一役かっていますので、(9)は、‘kill B A’のカタチをOKにしやすい環境が整っていると言えるでしょう。

(10)も同様に、サリーの髪を切ることが、サリーにとっての利益となるかどうかわからない状況なので、アウトになります。しかし、(11)のように、サリーが、自分の髪が長すぎると感じている描写があれば、切ってもらいたいという、サリーの希望が表現されていることになり、髪を切ることは、サリーにとっての利益と見なせますので、二重目的語のカタチをOKにすることができます。ここでも、やはり、プラスの効果として、Bが代名詞であることが、(11)をOKにしやすくする手伝いをしています。

今回のポイントは、以上、見たように、二重目的語のカタチは、構文そのものが内側にもつ意味的な特性以外に、外側からのサポートによって課せられる意味的な条件が整うと、動詞によっては、結構な新造力があり、非常に「生産的」な構文だと言えるということです。二重目的語には、こういった「生産性」があるため、使用上の扱いが非常に流動的です。

各動詞の、二重目的語がOKか否かの問題で、辞書などに、ゴニョゴニョと中途半端で例外的な注意書きしかしていないのは、このためで、動詞そのものの意味的な問題もあるのですが、その他に、使用する上での文脈などの外的な環境も問題となったりするので、個々の動詞に、「〇・×」をハッキリとラベル付けするのが困難なのです。ですので、実際の例で、意外な動詞を用いた、二重目的語の構文らしきものを見かけたら、まず、どの程度の外的な援助がはたらいているのかを考慮するという視点が必要になってきますね。

■注 :たまに見かける解説本などで、二重目的語を取る動詞と、取らない動詞の特徴を、1音節の動詞がどう、2音節以上の動詞はどう、といったように、動詞の「音節」に求めるといったものがありますが、反例が多く、大した説明力はありません。そして、何よりも、今回のように、「意味的」な環境を、内側と外側のトータルで考えて、二重目的語の可否が、流動的に決定されるという事実があると、「音節」でによる説明では、その「生産性」に対して、全く動きがとれなくなるという点で、決定的に今後の発展性も期待できないものと思われます。

●関連: EG60EG61EG64

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英語学習法(64)

2005年03月13日 | 動詞
EG60とEG61の続きで、二重目的語の構文です。EG61では、二重目的語の構文のカタチそのものに内在する、いわば、「内側」の特性としての一般的な傾向を観察しましたが、今回は、「外側」から課せられる一般的傾向を考察してみたいと思います。そこで、「動詞 A to B」と、「動詞 B A」のどちらも許す、‘give’「与える」を使って、以下、見ましょう。

(1) a. Bill gave a book to Sally. (ビルはサリーに本を与えた。)
   b. Bill gave Sally a book. (訳同上)

(2) a. Bill gave a book to the woman. (ビルはその女性に本を与えた。)
   b. Bill gave the woman a book. (訳同上)

(3) a. Bill gave a book to her. (ビルは彼女に本を与えた。)
   b. Bill gave her a book. (訳同上)

いきなり、似たような文がズラッと並んでいますが、(1a-b)~(3a-b)では、(a)が‘give A to B’「AをBに与える」、一方、(b)が‘give B A’「AをBに与える」のカタチとなっています。ここで、細かい違いは、(1a-b)では、Bに‘Sally’「サリー」、(2a-b)では、Bに‘the woman’「その女性」、そして(3a-b)では、Bに‘her’「彼女」というように、ちょっとずつ、Bに相当する単語を入れかえてある、ということです。

そこで、あくまでも一般的な傾向ですが、全く同じ条件の下で、単語そのものだけを比較するならば、‘Sally’「サリー」、‘the woman’「その女性」、‘her’「彼女」という順番で、話題の中での「情報の新鮮度」が反映される傾向があります。

つまり、「サリー」というような、直接何か(誰か)を指すような表現は、情報の新鮮度が高い傾向にありますが、「その ~」というような表現になると、一度どこかで、既に話題に登場していることになり、情報の新鮮度が、「サリー」というような表現と比べると、低く感じられます。そして、「彼女」のような、一度話題に上ったものを受けるための専用表現である代名詞になると、情報の新鮮度が最も低い、ということになります。

そこで、微妙な違いではありますが、(1a-b)~(3a-b)、それぞれのペアにおいて、英語のネイティヴが、(a)と(b)を比較判断してみると、(1a)よりは(1b)、(2a)よりは(2b)、そして、(3a)よりは(3b)の方が良く感じる、という傾向があるみたいです。しかし、各ペアの(a)と(b)、どちらも基本的に悪い文、というわけではありません。あくまで、意識的に比較すると、各ペアの(a)よりは(b)の方が良く感じる、という程度のものですので、大した差ではありません。各ペアの(a)と(b)、どちらも基本的にOKです。

(4) a. Bill gave the book to Sally. (ビルはサリーにその本を与えた。)
   b. Bill gave Sally the book. (訳同上)

(5) a. Bill gave the book to the woman. (ビルはその女性にその本を与えた。)
   b. Bill gave the woman the book. (訳同上)

(6) a. Bill gave the book to her. (ビルは彼女にその本を与えた。)
   b. Bill gave her the book. (訳同上)

今度は、(4a-b)~(6a-b)ですが、それぞれのペアにおいて、(1a-b)~(3a-b)の、‘a book’を、全て‘the book’に入れかえてみました。すると、(4a-b)と(6a-b)の各ペアの(a)と(b)においては、やはり、微妙な差があるという程度で大きな差はなく、(a)と(b)、どちらも基本的にOK、という判断になりますが、しかし、(5a-b)のペアのみが、どちらも優劣を付けがたい、という判断になります。というよりも、(5a-b)は、どちらも等しく奇妙に感じる、という判断になるようです。

(7) a. Bill gave a book to a woman. (ビルはある女性に本を与えた。)
   b. Bill gave a woman a book. (訳同上)

(8) a. Bill gave the book to a woman. (ビルはある女性にその本を与えた。)
   b. Bill gave a woman the book. (訳同上)

今度は、(7a-b)と(8a-b)ですが、(7a-b)のペアは、どちらも奇妙に感じる、という判断になるようです。しかし、一方で、(8a-b)のペアですが、(8a)はOKなのに、(8b)は奇妙に感じる、という判断になるようです。

以上見た感じで、もう、そろそろわかってきたと思いますが、どうやら、‘give A to B’のカタチであろうと、‘give B A’のカタチであろうと、AとBとの間には、比較上の、「情報の新鮮度」に関するコントラストが必要である、と言えそうです。つまり、AとBとの間で、「情報の新鮮度」にコントラストが感じられない、(5a-b)と(7a-b)のペアは共に奇妙に感じられる、ということですね。

しかし、それでは、AとBの間の「情報の新鮮度」にコントラストがある(8a-b)はどうなるんだ、ということになってしまいます。(1a-b)、(2a-b)、(3a-b)、(4a-b)、そして、(6a-b)は全て、「情報の新鮮度」にコントラストがあり、かつ、どちらも、微妙に差はあるけど、基本はOKなのです。一方、(8a-b)においては、(8a)はOKだけど、(8b)は奇妙だとの判断を受けています。

これは、どうやら、二重目的語の構文のカタチになると、「動詞 B A」のBに、不定冠詞‘a’や‘an’が付くほどの、情報の新鮮度をもった表現がくること自体が許されないようです。例えば、「サリー」のような人の名前は、他の条件が同じなら、「その ~」や、「彼女」といった表現よりも比較上、情報の新鮮度は高いんですけど、結局は、固有名詞になり、特定の固体を指す表現なので、解釈は、「不定」ではなく、「定」になってしまいます。そこで、‘a’や‘an’のような不定冠詞が付くような「不定」の表現ほどには新鮮度はない、ということなんですね。

そこで、二重目的語の構文のカタチ、「動詞 B A」のBは、どうやら、不定表現に対しては、相性が悪い、というような条件があるようです。ですので、(7a-b)の(7b)に関しても同じことが言えるんですが、しかし、(7a)と(7b)は、どちらも奇妙だと判断されているので、これは、(5a-b)のペアで、(5a)と(5b)が、どちらとも奇妙と判断されていることもあわせて考えると、AとBの間には、「情報の新鮮度」にコントラストがなければならない、という、独立した別の条件も必要になってきます。

(9) a. Bill gave it to a woman. (〇) (ビルはそれをある女性に与えた。)
   b. Bill gave a woman it. (×) (訳同上)

(10) a. Bill gave it to Sally. (〇) (ビルはそれをサリーに与えた。)
    b. Bill gave Sally it. (×) (訳同上)

(11) a. Bill gave it to the woman. (〇) (ビルはそれをある女性に与えた。)
    b. Bill gave the woman it. (×) (訳同上)

(12) a. Bill gave it to her. (〇) (ビルはそれを彼女に与えた。)
    b. Bill gave her it. (×) (訳同上)

今度は、(9a-b)~(12a-b)ですが、それぞれ(a)と(b)のペアにおいて、‘give A to B’のカタチと‘give B A’のカタチのいずれであっても、全て、Aには代名詞の‘it’を使っています。すると今度はハッキリと、「〇・×」で示せるほどに、各ペアの(a)と(b)の間に差が出るようです。

(9a-b)~(12a-b)を見て、ひと目でわかるのは、‘give B A’のカタチでは、Aに‘it’を使うと、Bがどのような名詞であろうとアウトになってしまう、ということです。つまり、‘it’のような、「情報の新鮮度」を著しく低下させる傾向のある代名詞は、二重目的語のカタチ、「動詞 B A」のAに使用することは不可能である、ということです。以上からわかった、一般的な傾向をまとめると以下のようになります。

(13)「動詞 A to B」のカタチ、及び、二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、
   AとBとを比較して、「情報の新鮮度」に関するコントラストが必要である。

(14)二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、Bが、「不定」解釈になるほど、
   「情報の新鮮度」が高すぎるものであってはならない。

(15)二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、Aが、代名詞になるほど、
   「情報の新鮮度」が低すぎるものであってはならない。

ここで注意点ですが、傾向(13)は、(14)や(15)の傾向と比べると、それほど強い強制力はないようです。傾向(13)は、(5a-b)と(7a-b)の容認度の低さから要求されるものだったわけですが、しかし、(5a-b)と(7a)のような文は、その文だけをいきなりポンと与えられると奇妙に感じるだけであって、実際の発話では、結構、容認されています。(ただし、(7b)は、傾向(14)にも、引っかかるので、どの道、救えません。)

それは、実際の文は、必ず、「文脈」の助けを借りて発話されているのであって、たとえ、文のカタチのみからは、「情報の新鮮度」にコントラストを出しにくい場合でも、文脈などから、それが止むを得ないような場合、例えば、AとBがどちらも、「情報の新鮮度」といった観点からは、あまり重要ではないような文脈であれば、(13)を容易に逃れて、(5a-b)と(7a)の容認度を上げることは可能だからです。

(16)What Bill did is to give a book to a woman. 
  (ビルがしたのは、本を女性にあげたってことだよ。)

(16)では、ビルが「何をしたのか」という「行為」が問われているのであって、AとBが直接問われているわけではありませんので、そういった文脈では、(13)を簡単にすり抜けることが可能となります。というわけで、傾向(13)は、あくまでも、AとBに焦点が当たった場合に問題になる、ということらしいですね。

今回のポイントは、二重目的語の構文は、EG61で見たような、構文そのものに内在する意味的な特性以外に、「情報の新鮮度」という観点からも、その容認度に影響を受けやすい傾向がある、ということです。特に、(14)と(15)のような傾向は、かなり顕著に見られるものなので、実用英語といった観点からは、この2つの傾向は押さえておいた方が良いようです。

しかし、これらの傾向は、EG61で扱った傾向と同じく、話者によるイメージ力の問題で、容易に覆されてしまうことがあるのも事実であり、その点、話者の主観の中から集めた最大公約数的傾向であるので、文法の問題とは、一線を画す側面があることは留意して下さい。まだ他にも、見るべき点はありますが、別の機会です。

■注1 :(12b)は、ごくまれに容認する英語話者もいるそうです。これは、傾向(13)をすり抜けている(12a)とあわせて考えると、AとBにおいて、代名詞同士がカチ合うような場合は、容認度が上がるような、特別な傾向があると言えるかも知れません。
■注2 :代名詞は、常に、「情報の新鮮度」が低い、というわけではありません。一度、話題に上ったからと言っても、別の観点からは、新鮮な情報として扱われることはよくあります。例えば、‘The man you should respect is him.’「尊敬すべき人物は、彼なのだ。」、のような文では、「尊敬の対象」という、新たな観点を与えられた「彼」が、強調されることで、新鮮な情報として再浮上しています。


●関連: EG60EG61

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英語学習法(63)

2005年03月10日 | 否定
EG32とEG36の続きです。基本的な否定文の考え方から、少し発展的な方向で見てみたい思います。以下、見ましょう。

(1)Ann kicked Bill last week. (アンは先週ビルを蹴っ飛ばした。)
(2)Ann did not kick Bill last week. (アンは先週ビルを蹴っ飛ばさなかった。)

(1)の肯定文を否定文にすると、(2)のように、否定語‘not’を含む文になります。EG32とEG36では、否定の基本的な考え方を説明しましたが、その主旨は、‘not’は、文全体を否定する(=文そのものを偽であると見なす)、というもので、その上で、そのどこかに、「偽とされる原因」がある、というものでした。その線に沿って(2)を解釈すると、以下のようになります。

(3)「アンは先週ビルを蹴っ飛ばした。」、というのは、どこかに誤りがある。

つまり、(2)から言えるのは、(3)という解釈が可能だ、というだけであり、‘not’自体には、(2)の、どの部分に「偽とされる原因」があるのかを特定するはたらきはない、というものでした。そういった‘not’の性質から、(2)には、複数の解釈が発生してしまいます。

(4)先週、(アンではなく) ルーシーがビルを蹴っ飛ばしたのだ。
(5)先週、アンは、(ビルではなく) マイケルを蹴っ飛ばしたのだ。
(6)先週、アンはビルを (蹴っ飛ばしたのではなく)、パンチを食らわせたのだ。
(7)(先週ではなく) 一ヶ月前、アンはビルを蹴っ飛ばしたのだ。

EG32でも見たように、その他、(4)~(7)の解釈の組み合わせによっては、(2)は、またさらに解釈が複雑に増えていきますが、こういった問題は、(2)のような否定文の発話者が、どういった状況で発話したのか、また、どういったイントネーションで発話したのか、等の、いわば、否定文とは別個の問題とされる、外的な情報や要因によって解釈が絞り込まれ、決定されるわけですね。

そこで、今回は、ポイントを絞って、よく問題になる(6)と(7)の類の解釈のお話をしてみたいと思います。ですので、(2)の発話状況として、アンとビルは登場人物として確定させます。その上で、アンとビルがどうなったのか、というような話題をしている場合に限ります。

まず、(6)と(7)の解釈において、大きな違いは、「蹴っ飛ばした」のが事実であるか否かです。(6)の解釈だと、「蹴っ飛ばした」というのは事実ではない、と言っていることになります。一方、(7)の解釈だと、時期は間違っているけれども、「蹴っ飛ばした」のは事実になります。そこで、以下の否定文を見ましょう。

(8)Last week Ann did not kick Bill.
(9) a. 先週、アンがビルにしたのは、蹴っ飛した、ということではない。 (〇)
   b. アンがビルを蹴っ飛ばしたのは先週というわけではない。 (×)

(8)は、(2)の‘last week’「先週」を、ただ単に、文の先頭に移動させた文ですが、その解釈となる(9a)(=(6))と、(9b)(=(7))に注意して下さい。(9a)の解釈はOKですが、一方、(9b)の解釈は、何とアウトになってしまいました。(9a)の解釈は、(6)と同じく、「蹴っ飛ばした」というのは事実ではない、という解釈ですね。一方、(9b)だと、(7)と同じく、時期は違うけれども、「蹴っ飛ばした」という事実はあった、という解釈ですね。つまり、(3)のような、解釈方法で考えるならば、(8)の解釈は、以下のようになります。

(10)先週起こった出来事について、「アンはビルを蹴っ飛ばした。」、
   というのは、どこかに誤りがある。

解釈(10)が、解釈(3)と違う点は、「偽とされる原因」の対象から、‘last week’「先週」が外されている、ということです。つまり、(8)の否定文においては、‘last week’「先週」の部分は、発話状況や、イントネーションうんぬんといった問題とは、全く関係なしに、「文そのもののカタチ」から判断されて、‘not’の勢力範囲から逃れることが可能であるというような、特権を与えられる、ということなのです。

‘last week’が文の末尾にある(2)の解釈として、(6)と(7)は両方ともOKなのに、‘last week’を文の先頭に置いた(8)の解釈として、(9a)は許すが、一方、(9b)は許さない、といったことと類似した現象は、コトバの世界ではよくあることで、例えば、以下のような否定文について考えてみたことは、皆さんも、一度や二度くらいはあるんじゃないでしょうか。

(11)<Happily>、my father did not die. (幸運にも、父は死ななかった。)
(12)幸運な出来事があって、「父は死んだ。」というのは、どこかに誤りがある。

(13)My father did not die <happily>. (父は、幸せに死ねなかった。)
(14)「父は幸せに死んだ。」というのは、どこかに誤りがある。

(11)は、‘happily’「幸運にも」が、文の先頭に位置していて、‘not’の勢力範囲から逃れる特権を与えられていますので、結局、(11)の文、そのものから得られる解釈としては、(12)のようなものになってしまいます。つまり、「幸運にも」の部分は、予め、「否定の原因」の対象ではなく、‘my father died.’の部分だけが、‘not’によって「偽」とされているのです。

一方、(13)は、「文そのもの」から得られる解釈としては、(14)の解釈が得られるだけですが、まず、場面設定として、「父が死亡した」という事実があって、そのことが話題の前提になっているような状況で発話されたという条件付きなら、解釈(14)の中では、‘not’によって「偽」とされる文全体の中で、その原因となるのは、‘happily’「幸せに」の部分だから、(13)の日本語訳のようになるわけですね。

以上、(8)や(11)を見てわかることは、こういった、「文のカタチそのもの」から、否定の勢力範囲が及ばなくなるような、特別なポジションがある、ということですね。その1つとして、通常は、文の先頭に位置しないような語句を、わざと文の先頭に位置させる、というものがあり、こうすることで、否定の原因とされたくない要素を、否定の勢力範囲から回避させることが可能です。ところで、(11)の解釈である(12)の場合、その解釈を、もう少し突っ込んで考えると、以下のような解釈が可能です。

(15)幸運にも、死んだのは、父ではなく、飼い犬のポチだった。
(16)幸運にも、父は、死んだのではなく、ケガをしただけだった。

(11)では、‘happily’を除いた、‘my father died.’の部分だけが、‘not’の勢力範囲内にありますから、その範囲内で、「偽とされる原因」を考えると、基本的な解釈としては、‘my father’「父」の部分が、「偽の原因」ならば、(15)のような解釈になります。(ポチだって家族の一員でしょうから、幸運にも、なんて不謹慎かも知れませんが) 一方、‘died’「死んだ」の部分が、「偽の原因」ならば、(16)のような解釈になります。う~ん、ややこしいですね。あと、以下のような文も、よく問題になりますね。

(17)Bill did not marry Ann because he loved her.
(18)a. ビルはアンを愛していたから結婚しなかったのだ。
   b. ビルはアンを愛していたから結婚したというわけではない。
  
(17)のような文が発話された場合、だいたいケースでは、その発話状況として、ビルとアンのことは、もともと話題の前提になっているので、予め、ビルとアンは、「偽とされる原因」から外しておきます。そのような条件下で問題になりやすいのは、‘married’「結婚した」が、「偽とされる原因」であるかどうか、及び、‘because ~’「~ なので」の副詞節の部分が、「偽とされる原因」となっているかどうか、ということです。

(19)「ビルはアンを愛していて結婚した。」、というのは、どこかに誤りがある。

(19)の解釈では、ビルとアンは、「偽とされる原因」から外しておくとして、(17)を、(18a)で解釈すると、イメージとしては、愛があるからこそ結婚できないときだってあるのだ、というような、どこかドラマチックな状況を思い浮かべることになりますね(笑)。一方、(18b)で解釈すると、アンの財産目当てで結婚した、とか、家柄とか名誉が欲しくて結婚した、とかいう、いや~な意味ですね(鬱)。

いずれにせよ、解釈(18a)は、「結婚した」が、「偽とされる原因」となり、事実として、結婚してはいない、ということになります。一方、解釈(18b)は、「愛しているという理由で」が、「偽とされる原因」となり、事実として、結婚そのものはしている、ということになります。(17)の否定文からは、このように、‘not’自体が「偽とされる原因」を特定するはたらきをもっていないため、あいまいな解釈が発生していますが、やはり、以下のようにすれば、解釈が1つに決定できます。

(20)Because Bill loved Ann、he did not marry her.
(21)a. ビルはアンを愛していたから結婚しなかったのだ。 (〇)
   b. ビルはアンを愛していたから結婚したというわけではない。 (×)

(20)の解釈として、(21a)がOKとなる一方で、(21b)がアウトになるのは、(8)と(11)の場合と全く同じ理由によるものです。しかし、(20)のやり方とは別に、(17)の否定文で、(18a)の解釈をOKにして、(18b)の解釈をアウトにする方法があります。それは、(17)の否定文で、コンマ・イントネーションによる音調整で、‘because ~’の直前に、少しポーズを置いてやることです。そうすることで、意図的に‘not’の勢力範囲を、‘because ~’の直前で断ち切ることが可能になり、結果、‘Bill married Ann.’のみを否定の対象にすることができます。

今回のポイントは、EG32とEG36で述べた、否定の基本に、ちょっとした発展を加えてみたということです。‘not’には、「偽とされる原因」を特定するはたらきがないので、否定文には複数解釈が発生してしまう、ということでした。しかし、だからと言って、実際に発話する際に、それを野放しにしていたのでは、どういう意味に取ってよいのかがわからず、解釈が混乱してしまうので、発話状況やイントネーションといった、外的な要因以外に、「文のカタチそのもの」からも解釈を絞り込む方法がある、というのを見たわけです。今回のようなやり方以外にも、まだ方法があるので、また別の機会にでも。

●関連: EG32EG36

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英語学習法(62)

2005年03月07日 | 変形
EG23の続きです。以下、見ましょう。

(1)It seems [ that Tom loves Susan ]. ([ トムは、スーザンが好きな ] ようだね。)
(2)Tom seems to love Susan. (訳同上)

‘seem’「~ ようだ」は、「様子」を述べる述語として用いられます。使い方は、ちょっとクセがあって、(1)のように、‘It seems that 主語+動詞 ~’となるように、‘it’を、‘seem’の主語に立てて用いるところです。そして、(2)のような構文でも、‘seem’は使えます。ところで、(1)と(2)は関係が深い、とよく言われています。

ポイントは、①・(1)の‘that’節の主語‘Tom’「トム」が、(2)では、‘it’を外した後、‘seems’の主語になっているということ、②・その際、動詞‘love’は、‘to’不定詞にしなければならない、ということです。

(3) a. Tom seems [ that _ loves Susan ]. (×) (訳同(1))
   b. Tom seems [ _ loves Susan ]. (×) (訳同(1))

(1)の文から、(3a)と(3b)をつくってみましたが、両方ともアウトになっています。(3a)と(3b)は、共に、(1)の‘it’を外した後、‘that’節内の主語‘Tom’を‘seem’の主語にするべく、移動させました。(3a)に関しては、EG59のルール、「‘that’節内では、‘that’は、その直後に移動によって残された空所があってはならない」に違反してしていますので、アウトになるのは容易に予想がつきますが、かと言って、‘that’を消去した(3b)がOKになるわけでもありません。

(3a)や(3b)がアウトになる一方で、(2)がOKである、という事実から、①の移動を行う際には、②の条件は必須であることがわかると思います。ですので、そもそも、EG59のルールうんぬんとは無関係に、(2)は、‘that’節そのものが許されない、という性質をもっているわけですね。この部分は、EG47で見た、「疑問詞の移動」とは、少し異なる点なので、注意が必要です。それと、EG23の、‘easy’構文との差も、注意点となります。

(4)It is easy (for Tom) to deceive Susan. ((トムには)スーザンを騙すなんて簡単だよ。)
(5)Susan is easy (for Tom) to deceive _ . (訳同上)

(4)と(5)は、ほぼ同じ意味をもっていますが、ポイントは、(4)の不定詞内の‘deceive’「~ を騙す」の目的語‘Susan’が、(5)では、‘it’を外した後の、‘is easy’「簡単だ」の主語位置に移動している、ということです。ですので、その移動の結果として、当然のことながら、‘easy’構文である(5)では、‘deceive’「~ を騙す」は、他動詞であるにもかかわらず、その直後に目的語を取っていません。一方、‘seem’を用いた、(1)から(2)への書きかえでは、その目的語‘Susan’ではなく、主語‘Tom’の移動になっていますね。

(6) a. Susan seems [ that Tom loves _ ]. (×) (訳同(1))
   b. Susan seems [ Tom loves _ ]. (×) (訳同(1))
   c. Susan seems (for Tom) to love _ . (×) (訳同(1))

(6a-c)では、目的語‘Susan’を、あらゆるパターンで、‘seem’の主語位置に移動させてみましたが、全部アウトです。(6a)では、‘that’節内から、①の条件を無視して、目的語‘Susan’を‘seem’の主語位置に移動してみましたがアウトです。(6b)では、(6a)から‘that’節内の‘that’を消去してみましたが、やはりアウトです。(6c)では、(1)の‘that’節を、‘to’不定詞にしてから、目的語‘Susan’を‘seem’の主語位置に移動してみましたが、それでも、やはり、アウトです。

このことから、(1)から(2)への変形は、予め、(1)の‘that’節内の目的語ではなく、「主語」が移動する、と決められているようです。では、(4)から(5)のように、‘to’不定詞内の「目的語」が移動の対象となる変形タイプの、‘easy’構文ではどうなんでしょうか。

(7) a. Tom is easy for _ to deceive Susan. (×) (訳同(4))
   b. Tom is easy _ to deceive Susan. (×) (訳同(4))

‘to’不定詞の場合、「for A to 不定詞」のカタチになると、‘for A’が‘to’不定詞の主語になれることは、EG43で説明しました。そこで、(7a)では、‘to deceive Susan’の主語である、‘for Tom’の、’for’を残したままで、‘Tom’を移動してみましたが、アウトになっています。一方、今度は、(7b)では、(7a)から、‘for’を消去してみましたが、それでも、やはり、アウトです。どうやら、‘easy’構文を、決定的に特徴づけているのは、その‘to’不定詞内の「目的語」が、移動の対象として選ばれる、ということにつきるようです。

一方、‘seem’「~ ようだ」を用いる構文の特徴は、(1)のような文の、‘that’節内の「目的語」ではなく、「主語」が移動の対象として選ばれるということです。加えて、‘that’節内の主語が移動によって外へ出て行く際には、その‘that’節が、(2)の文のように、‘to’不定詞に変わっていなければならない、ということですが、ここで、ちょっと疑問に思うのは、(1)のような構文は、もともとが、‘seem’の後が、‘that’節ではなく、‘to’不定詞の構文じゃダメなのか、ということです。

(8)It seems (for Tom) to love Mary. (×) (訳同(1))

(1)を、(8)のような、「for A to 不定詞」の構文に変えてみましたが、アウトです。やはり、‘seem’を用いた構文では、‘it’を‘seem’の主語に立てる場合、‘it seems that 主語+動詞 ~’で記憶しておかなければならないようです。しかし、一方で、‘easy’構文の場合は、以下のように、もともと、‘that’節が取れません。

(9)It is easy [ that Tom deceives Susan ] . (×) (訳同(4))

以上、英語の場合、ある特定の述語には、決まったカタチで使われる、ということと、決まった変形のみを許すということで、タイプ分けされていることを見ましたが、補足的に、(1)から(2)へのカタチとなる「変形」を保証するような証拠となる例を見てみます。

(10)a. It seems [ that there are many books in the room ].
    ([ その部屋にはたくさん本がある ] ようだね。)
   
   b. There seem to be many books in the room. (訳同上)

(11)a. It seems [ that there is a book in the room ].
    ([ その部屋には本が一冊ある ] ようだね。)
   
   b. There seems to be a book in the room. (訳同上)

(10a)から(10b)、及び、(11a)から(11b)の変形では、‘there’構文 (EG31参照)、‘there are/is ~’の主語である、‘there’が移動していると思われます。ここで注目すべきポイントは、(10b)では、‘seem’のカタチが、‘seem’のままですが、一方、(11b)では、「三人称・単数・現在」のカタチ、‘seems’となっていることです。

(10a)から明らかなように、‘that’節内では、複数形‘many books’に対して、動詞が‘are’のカタチを取っていますし、一方、(11a)からも明らかなように、‘that’節内では、単数形‘a book’に対して、動詞が‘is’のカタチを取っています。こういった単数・複数に関する動詞との呼応関係が、そのまま、変形後の(10b)や(11b)にも持ちこされて、‘seem’に影響を与えているのです。さらに、以下を見ましょう。

(12)a. It seems [ that there is the book in the room ]. (×)
   b. There seems to be the book in the room. (×)

(12a)の‘that’節内では、‘book’に‘the’が付いて、‘there’構文、本来の「不定」解釈ではなく、「定」解釈となっているため、非文法的とされていますが、その非文法性が、(12b)でも、そのまま持ち越されてアウトになっています。これも、「変形」によって派生されたと考えれば、もとの文が悪いのだから、派生された文も悪い、ということになり、説明がつきます。次は、イディオムを使った証明です。

(13)The cat is out of the bag.
(14)a. そのネコは袋から出ている。 (通常の解釈)
   b. (うっかり)秘密が漏れている。 (イディオム解釈)

(15)The cat tried to be out the bag.
(16)a. そのネコは袋から出ようとした。 (〇)
   b. 秘密が漏れるよう試みた。 (×)

(13)の文は、普通に意味を解釈すれば、(14a)のようになりますが、一方、イディオムとしての解釈もあり、(14b)のように、「秘密が漏れている」という解釈も可能です。しかし、(15)のように、‘the cat’の部分を、動詞‘try’「試みる」の主語にして、その後に‘to be out of the bag’を続けた場合、(16a)のように、(14a)の通常解釈は、そのままOKですが、一方、(16b)のように、(14b)のイディオム解釈は不可能となります。そこで、‘seem’のような述語を用いて、同様のテストをするとどうなるかというと、以下のようになります。

(17)It seems [ that the cat is out the bag ].
(18)a. [ そのネコは袋から出ている ] ようだね。 (〇)
   b. [ 秘密が漏れている ] ようだね。 (〇)

(19)The cat seems to be out the bag.
(20)a. そのネコは袋から出ているようだね。 (〇)
   b. 秘密が漏れているようだね。 (〇)

(17)の解釈として、(18a-b)の両方とも可能で、同じく、(19)の解釈として、(20a-b)の両方が可能です。つまり、(17)と同様に、(19)でも、(13)における、2つの意味解釈、(14a)と(14b)がそのまま可能となっていて、特に注目すべきポイントは、(14b)のイディオム解釈が、(16b)では不可能だったのですが、(20b)では可能となっていることです。このことから、(1)のような構文から(2)のような構文への「変形」は保証されたものと言ってよいでしょう。

今回のポイントは、EG23の‘easy’構文とは異なる性質をもつ変形です。その特徴は、‘easy’構文のように、‘to’不定詞内の目的語が移動の対象となるのではなく、‘that’節内の「主語」が移動の対象となる、ということです。この性質をもった同種の述語としては、‘be likely to’「~ しそうな、~ ありそうな」、‘happen to’「たまたま、偶然 ~ する」、‘appear to’「(外見から) ~ に見える」などがあります。

■注1 :よくある説明として、(2)のような構文における、‘seem to’を、一種の「助動詞」として教える向きもありますが、‘Tom seems to me to love Susan.’「ボクには、トムはスーザンを好きのように思える。」のように、容易に、‘to me’のような語句を割り込ませることが可能なので、その点、「助動詞」として扱いは、説得力に欠ける説明となります。
■注2 :(1)は、‘[ That Tom loves Susan ] seems.’、と書きかえるのは不可能ですし、よく言われる、(1)の‘it’と、 ‘that Tom loves Susan’、の部分が、イコールで結ばれるような関係にある、ということも、特に証拠があるわけではありません。そこで、(1)の文は、学校で習うような、「基本5文型」のどれに該当するか、などと言うようなことを考えても、あまり意味はありません。
■注3 :(6c)は、‘Susan seems to be loved (by Tom).’のようなカタチでなら、‘Susan’を移動の対象にすることが可能です。この場合、‘It seems [ (that) Susan is loved (by Tom) ] .’のように、‘that’節内で、‘Susan’が主語になっている文が、基になっています。


●関連: EG23EG31EG43EG59

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英語学習法(61)

2005年03月04日 | 動詞
EG60の続いて、二重目的語の構文を扱います。今回は、二重目的語のカタチが使われる上で、数ある一般的傾向の中から、代表的な概念を1つ選んで話してみます。以下、見ましょう。

(1)Tom gave a book to the girl. (トムは本をメアリーに与えた。)
(2)Tom gave the girl a book. (訳同上)

まず、基本的な問いになります。そもそも、なぜ、(1)があるのに、(2)のような、二重目的語の構文があるんでしょうか?(1)と(2)が同じ意味だ、というのならば、ただ単に、重複的なだけであり、(1)だけが存在するというのでも、問題はないはずなんです。そこで、EG60では、ほんの少しだけ、両者の意味的な差異に触れましたが、それを具体的に述べると、以下のような感じになります。

(3)I knitted this sweater for our baby. (私たちの赤ちゃんにセーターを編んだのよ。)
(4)I knitted our baby this sweater. (訳同上)

(3)と(4)は、‘knit A for B → ‘knit B A’「BにAを編む」の動詞を使っています。そこで、場面設定として、(3)または(4)の話者は、妊娠中の妻であり、その夫に話しかけているような状況を想定してみます。ここで、‘knit A for B’を使った(3)を、英語のネイティヴが聞くと、すんなり、OKにできるんですが、一方、‘knit B A’、つまり、二重目的語の構文を使った(4)を聞くと、かなり奇妙に感じるようです。

この状況でのポイントは、妻は妊娠中なので、赤ちゃんは、まだ胎児であり、実際にセーターを受け取ることができませんし、受け取るかどうかを問題にしなかったとしても、胎児が、何らかの利益を受けるような影響を被っているとも考えにくいのです。と言うのも、胎児には、まだ、自我(意識)が芽生えていないと考えられるからです。

「動詞 A for B (AをBに ~) → 動詞 B A」の書きかえになる、二重目的語の構文では、このように、二重目的語になった場合、‘動詞 B A’の、Bに対して、何らかの受益的な影響があったことが含意される傾向があります。次に、「動詞 A to B (AをBに ~) → 動詞 B A」の書きかえになる、二重目的語の構文を見てみましょう。

(5)The pitcher threw the ball to catcher、but the throw went wide.
   (ピッチャーは球をキャッチャーに投げたが、暴投になってしまった。)

(6)The pitcher threw the catcher the ball、but the throw went wide. (訳同上)

(5)では、‘throw A to B’「BにAを投げる」の構文を使っていますが、一方、(6)では、二重目的語、‘throw B A’の構文を使っています。ポイントは、ピッチャーが投げた球 (=A) を、キャッチャー (=B) が捕れなかった、という状況で、この場合も、英語のネイティヴは、(5)はすんなりOKにできるが、(6)を聞くと、やはり、奇妙な感じがする、との判断を下しています。

ここでも、やはり言えるのは、(6)の文からは、ある矛盾が生じている感じがするからで、(6)の、‘threw the catcher the ball’からは、ピッチャーが投げた球はキャッチャーに到達している感じがするのに、その結果が、暴投になった、では意味がおかしいと感じるからのようです。

このように、英語話者の判断から、‘throw A to B’「BにAを投げる」の構文は、AがBに到達していることまで、必ずしも含意してはいないが、一方で、二重目的語、‘throw B A’の構文は、AがBに到達していることを含意している、という概念は妥当であることを支持しています。

と、ここまで言って、前置詞を使う構文と、二重目的語の構文の間に、いかなる場合でも、上で述べたような意味の差が、ハッキリと出るのかというと、そういうわけでもありません。これを、もう少し詳しく言うと、その可否に関する判断に、個人差が大きく、特に両者の間に使用上の差を感じない、とコメントする英語話者の数も、例外的と見なせるほどに少ないわけでもないのです。

つまり、二重目的語の構文の使用上の可否は、話者の意味的なイメージ力に依存する傾向が多分にあり、そのため、使用上の個人差が、大きいと言えます。こう言った事情があるため、完璧な一般化が、なかなか困難で、上で述べたような「傾向」がある、としか言えない側面があるのです。

あと、(1)と(2)の可否についても、ちょっと突っ込んだ説明が必要になります。‘give’は、「与える」の意味ですが、「与える」とは言っても、少し意味が広くてあいまいで、「あげる」の意味もあれば、「わたす」の意味もあります。「あげる」なら、所有権が他人に移ることを意味しますが、「わたす」なら、物が移動する、という意味を表す場合もあって、所有権が移るとは限りません。こういった概念分けで、‘give’の使い方に差が出てくることもあります。

(7) a. Bill gave the pen to Ann by throwing it、but the throw went wide.
    (ビルはアンに、ペンを投げ与えるも、暴投になってしまった。)
   
   b. Bill gave Ann his pen by throwing it、but the throw went wide. (訳同上)

(8)a. Bill gave all his money to Ann、but she rejected it.
    (ビルはアンに、有り金すべてを与えたが、彼女はそれを拒否した。)
   
   b. Bill gave Ann all his money、but she rejected it. (訳同上)

(7a-b)の場合は、ペンを投げる、という行為によって、ただ単に、ビルからアンにペンが移動していて、上手く届くかなかった様子を表しているので、そういったときの‘give’は、物が移動していることが強調され、「わたす」という感じになりますので、「所有者」が替わる、ということを意味してはいません。この場合、(7a)の‘give A to B’は、OKにできても、(7b)の‘give B A’は、奇妙だと判断されます。

一方、(8a-b)の場合は、ビルがアンに、お金をあげようとして拒否された様子を表しているので、この‘give’は、「所有者」が替わる、ということを意味していて、お金の「到達」を含意する意味に解釈されますが、このときは、(8a-b)のどちらも、奇妙だと判断されてしまいます。

このことから、‘give’は、物の移動を表す、「わたす」の解釈になる場合、‘give A to B’では、必ずしも、AがBに到達することを含意していませんが、‘give B A’では、AがBに到達していることを含意します。しかし、その一方で、「あげる」の意味になると、‘give A to B’であろうと、‘give B A’であろうと、AがBに到達していることを含意します。

これは、やはり、ただ単に、「移動」を表すだけでなく、「所有者」が替わる、といった概念が原因で、このことを、より一層裏付けるのが、‘sell’「売る」を使った場合です。‘sell’「売る」は、まさに、売買によって「所有権」が移ることそのものを表す動詞なので、以下の(9a)の‘sell A to B’であろうと、(9b)の‘sell B A’であろうと、両方とも、はなはだしく奇妙だと判断されます。

(9) a. Bill sold his car to Ann、but she did not buy it.
    (ビルはアンにクルマを売りに出したが、彼女は買わなかった。)
   
   b. Bill sold Ann his car、but she did not buy it. (訳同上)

以上から、「所有」と「占有」の違いは、意味の強さの違い、と言ってもよく、「所有」は「占有」よりも、意味的に強い、と判断されるので、「あげる」の場合は、意味が強く、‘give A to B’の構文でも、「到達」を容易に含意し、一方、「わたす」の場合は、「移動」の方を強調しやすくなる分だけ、意味がそれほど強くもないので、‘give A to B’の構文では、「到達」を含意するには至らないという差が出てしまいます。ですので、(1)と(2)の場合でも、特に、(1)は、メアリーが本の「所有者」となるのか、単なる、移動による「占有者」の交替になるのか、によって、本の「到達」の含意に関する差が出ます。

今回のポイントは、二重目的語の構文、「動詞 B A」には、「到達」や「受益」が含意されるという、一般的な傾向があるということです。一方、「動詞 A to B」の場合は、必ずしもそういった含意はないという傾向があるものの、しかし、動詞固有の意味によっては、「動詞 B A」との差がでない場合もあります。こういったことは、一応、「動詞 A to B」と「動詞 B A」の間にある違いの代表的な傾向ではありますが、細かく見ると、他にも、まだ違った特性があるにはあります。それについては、機会を改めて、見てみたいと思います。

●関連: EG60

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英語学習法(60)

2005年03月01日 | 動詞
動詞編です。一度に、2つの目的語をとる他動詞の基本を扱います。以下、見ましょう。

(1)Michael gave a pen to Mary. (マイケルはメアリーにペンを与えた。)
(2)Michael gave Mary a pen. (訳同上)

(1)と(2)は、ほぼ同じ意味をもっています。英語では、(2)のように、他動詞の後に、名詞(類)が2つ立て続けに並ぶような、いわゆる、「二重目的語」の構文があります。この構文の成り立ち自体は、簡単に理解できますね。(1)の前置詞‘to ~’を外して、前後の名詞を逆語順にすると、(2)が完成します。つまり、‘give A to B’→‘give B A’「BにAを与える」となります。

この構文に使える動詞は、‘give’「与える」以外にも、いろいろなものがありますが、解釈でいうと、‘B A’のように、2つ並んだ目的語に対応する日本語として、大体は、「BにAを ~」が該当しますので、これは、とてもありがたい特典となります。あと、前置詞が、‘for ~’になるタイプの動詞にも、二重目的語で使えるものがあります。

(3)Michael bought a pen for Mary. (マイケルはメアリーにペンを買ってあげた。)
(4)Michael bought Mary a pen. (訳同上)

(3)から(4)への書きかえ、つまり、‘buy A for B’→‘buy B A’「BにAを買う」の書きかえができます。この、「‘A for B’→‘B A’」への書きかえになるタイプの動詞も、(1)と(2)のような、「‘A to B’→‘B A’」のタイプに次いで、結構、数があります。そして、二重目的語のカタチは、‘ask A of B’→‘ask B A’「BにAをたずねる」、というような、異なる前置詞を用いる少数の例外を除いて、この2タイプが主と言ってもよいでしょう。以下、(5)は、「‘A to B’→‘B A’」のタイプ、(6)は、「‘A for B’→‘B A’」のタイプとなります。

(5)‘give’「与える」、‘teach’「教える」、‘tell’「伝える」、‘send’「送る」、
  ‘show’「見せる」、その他

(6)‘buy’「買う」、‘find’「見つける」、‘make’「作る」、‘choose’「選ぶ」、
  ‘cook’「料理する」、その他

(5)と(6)のタイプ分けですが、おおざっぱな理解の仕方としては、前置詞のイメージが、ある程度は反映されているので、(5)の‘to ~’「~ に」を取るタイプの場合、Aの向かう「方向」として、Bがある、という感じでしょうか。つまり、AがBに向かって「移動」していくという意味関係があります。一方、(6)の‘for ~’「~ ために」を取るタイプの場合は、Aの存在が、Bに対して「受益」となる、という感じです。つまり、直接的にであれ、間接的であれ、AがBに対しての利益の源になるわけです。こういった、基となる前置詞の意味的イメージが反映されているため、基本的には、以下のように、(5)と(6)のタイプを混同したり、前置詞を勝手に選んで使うことはできないことになっています。

(7)Michael gave a pen for Mary. (×) (訳同(1))
(8)Michael bought a pen to Mary. (×) (訳同(3))

ところで、前置詞を使った文と、二重目的語の構文との、大まかな意味の差としては、話者によって、判断に多少の揺れがあるものの、(5)のタイプでは、‘A to B’の場合、必ずしも、該当する動詞の動作の結果として、AがBに到達していることまでは含意しません。しかし‘B A’のように、二重目的語になれば、通常、それを含意することができます。ですので、例えば、(1)の場合は、メアリーが、実際にペンを受け取ったかどうかは、不明ですが、(2)の場合は、メアリーがペンを受け取ったことまで含意します。

同じく、(6)のタイプでも、‘A for B’の場合、必ずしも、該当する動詞の動作の結果、Aの存在に対して、Bが利益の受け手として、影響を被っていることまでは含意しません。しかし‘B A’のように、二重目的語になれば、通常、それを含意することができます。ですので、(3)の場合、メアリーが、実際にペンを受け取ったかどうか、または、ペンを買うという行為が、メアリーに対して、何らかの利益を生じさせたかどうかは、不明ですが、(4)の場合は、メアリーがペンを受け取った、または、ペンを買うという行為が、メアリーに対して、何らかの利益を生じさせたことまで含意します。

ここで、ちょっと注意点ですが、(5)と(6)のような、タイプ分けをしてある動詞に関しては、「動詞 A 前置詞 B → 動詞 B A」という、二重目的語の変形は、OKなんですが、少し厄介なのは、意表をついて、二重目的語にならず、前置詞を使うタイプしか許さない動詞があったり、その逆があったりすることで、逐一、それらは暗記しておかなければならない、ということです。

(9) a. ‘explain A to B’「AをBに説明する」(〇) → ‘explain B A’(×)
   b. ‘suggest A to B’「AをBに提案する」(〇) → ‘suggest B A’(×)
   
(10)a. ‘cost B A’「Bに対してAの金額がかかる」 (〇) → ‘cost A to/for B’ (×)
   b. ‘envy B A’「Bに対してAをうらやむ」 (〇) → ‘envy A to/for B’ (×)   

(9)や(10)の他にも、いくつか、この手の動詞がありますが、いずれにせよ、ポイントは、やはり、「BにAを ~」という日本語の側から考えて、これらの動詞の可否を予測することは不可能なので、やはり暗記になってしまうのが厄介なところです。

それと、二重目的語、「動詞 B A」のカタチは、その発展型として、動詞の種類によって、Aが、①・‘that’節であったり、②・‘whether’「~ かどうか」や‘if’「~ かどうか」を先頭に立てた節であったり、③・疑問詞を先頭に立てた節であったりします。

(11)a. I taught the kids science.
    (理科を子供たちに教えた。)
   
   b. I taught the kids [ that the earth is round ].
    ([ 地球は丸いと ] 子供たちに教えた。)

(12)a. I did not tell him the answer.
    (その答えを彼に言わなかった。)

   b. I did not tell him [ whether the answer was correct ]. 
    ([ その答えが正しいかどうかを ] 彼に言わなかった。)

(13)a. I asked him a question.
    (ある質問を彼にたずねた。)

   b. I asked him [ who she was ].
    ([ 彼女が誰なのかを ] 彼にたずねた。)

二重目的語の構文、「動詞 B A」の、Aに該当する節が、①、②、③のどのタイプにあたるかは、それぞれの動詞の意味と、その使い方によって決定されますが、数はそれほど膨大なものではないので、練習によって慣れることは、十分に可能です。しかし、(11a-b)~(13a-b)の各ペアにおいて、「動詞 B A」の、Aに該当する名詞の位置に、節が分布していることからも明らかなように、これらの節は、「目的語」であり、目的語は名詞なので、結果として、「名詞節」であるということは、しっかり認識しておかなければなりません。(EG41参照)

特に、‘if’は、「~ならば」の意味では、副詞節で使われ、「~ かどうか」の意味ならば、名詞節で使われるという決まりがありますし、‘whether’の場合、「~ かどうか」の意味ならば、名詞節で使われ、「~ であろうとなかろうと」の意味ならば、副詞節で使われるという決まりがあります。

今回のポイントは、二重目的語を取る動詞の基本的な成り立ちです。このカタチを取れる動詞は予め決まっていて、暗記が中心になってしまうため、日本語から英語にする際は、勝手にはつくることができません。しかし、逆に、英語から日本語に対応させる場合は、ほとんどが、「BにAを ~」というイメージになりますので、この点は、EG56で扱った、目的語を1つしか取らない他動詞と比べて、多少、楽であると言えるでしょう。

しかし、二重目的語の構文は、実用レベルで具体的に見ていくと、使い方の面で複雑な問題が多くはらんでいるため、この点、丁寧に見ていく必要があります。でも、なぜか、そういったポイントが、一般的に、それほど詳しく解説されることがないので、実用上の使い勝手がよくわからず、結構、いいかげんに扱われている傾向があるのも事実です。今回は、基本のカタチのみの紹介としましたが、実際の使い方については、別の機会に詳しく見ていきたいと思いますので、まずは、基本となるカタチをマスターしておいて下さい。

■注1 :今回扱った、二重目的語のカタチは、学校で習う英文法の基本文型としては、「S+V+O+O」に該当します。
■注2 :ごくまれにではありますが、1つの動詞が、3つの目的語を取っているような、「三重目的語」のケースもあります。‘John taught me my son Japanese’「ジョンは私のために息子に日本語を教えてくれた。」の文は、‘me’、‘my son’、‘Japanese’という、3つの目的語を取っています。


●関連: EG41EG56

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