EG19の続きです。「句」という文法の単位の中で、「動詞句」を考えてみます。以下、見ましょう。
(1)John studies. (ジョンは勉強する。)
(2)John studies Japanese. (ジョンは日本語を勉強する。)
(1)の動詞‘study’「勉強する」は、目的語を取っていません。一方、(2)の‘study’は、目的語‘Japanese’「日本語」を取っています。(1)は、文 (平叙文) をつくるために必要最低限の語数、2語から成る、「主語‘John’+動詞‘studies’」のカタチをした文です。一方、(2)は、「主語‘John’+動詞‘studies’+目的語‘Japanese’」の3語から成るカタチの文、ということになります。
「句」の概念は、最低でも、2つ以上の単語の寄せ集めでできている、言わば、語句のカタマリということなので、そう言われると、(1)も句かな?と考えたくなりますが、しかし、普通、文をつくるには、主語と動詞が必要最低限のパーツなので、そもそも、単語が2つでも、それが結果的に、文そのものになっている場合、それを、「句」と呼んでも、実質的には、意味がありません。
そもそも、「句」というものは、文の中で、ゴチャゴチャした感じのする単語の並びに対して、整理整頓をつけるための概念なので、文そのものに対しては、「句」という言い方は、しないんですね。そこで、ならば、(2)のような場合は、どうなるのか、ということですが、(2)の中には、句が存在します。
普通、(1)のような文であれ、(2)のような文であれ、主語は基本的に必要ですが、目的語はどうか、となると、(1)のようになかったり、(2)のようにあったり、ということが起こるわけです。これは、動詞の性質が、意味的に、目的語を取る場合もあれば、そうではない場合もあるからで、文そのものの性質ではありません。
つまり、主語は、動詞の性質とは関係なく必要になるが、一方、目的語は、動詞の性質から選ばれる、という点で、主語と目的語は、対等ではなく、異質の概念で分類されていることになります。そこで、動詞という単語の意味的な性質から、他の単語が要求されるような場合、それは1つのカタマリと見なして、例えば、「動詞+目的語」で、「動詞句」として扱うことになっています。
(3)John studies hard. (ジョンは、熱心に勉強する。)
(4)John studies Japanese hard. (ジョンは、熱心に日本語を勉強する。)
ただし、目的語のように直接的に指定されるような単語のみが、動詞句のパーツになるわけではありません。(3)や(4)にあるように、(1)や(2)に‘hard’「熱心に、懸命に」のような副詞を追加しても、それは、「動詞‘study’(+目的語‘Japanese’)+副詞‘hard’」で、1つのカタマリと見なし、動詞句になります。
ポイントは、やはり、‘hard’「熱心に、懸命に」のような意味をもった副詞が、‘study’「勉強する」のような意味をもった動詞と、意味的に、うまくマッチするからで、このように、動詞の意味と他の単語の意味的なマッチングで、動詞句のカタマリ具合が決まる、と言ってもよいでしょう。
(5)John studies、but Mary does not _.
(ジョンは勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(6)John studies Japanese、but Mary does not _.
(ジョンは日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(7)John studies hard、but Mary does not _.
(ジョンは熱心に勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(8)John studies Japanese hard、but Mary does not _.
(ジョンは熱心に日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(5)~(8)では、‘but Mary does not’以下が何もない、下線部だけになっているのですが、暗黙のルールとして、下線部は、先に出た動詞、または、動詞句と、同一のものが、消去されることになっています。ですので、消去されているのは、(5)では、動詞‘study’のみですが、一方、(6)では、動詞句‘study Japanese’、(7)では、動詞句‘study hard’、そして、(8)では、動詞句‘study Japanese hard’です。
(9)‘Does John study ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
(10)‘Does John study Japanese ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
(11)‘Does John study hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは熱心に勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
(12)‘Does John study Japanese hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは熱心に日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
ここで、(9)~(12)の会話ですが、(9)では、答えの文で、下線部は、動詞‘study’が、消去されていると考えることができます。一方、(10)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese’の消去、(11)では、答えの下線部が、動詞句‘study hard’の消去、そして、(12)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese hard’の消去と考えることができます。
よく、(9)~(12)にあるような、会話の答えの文は、‘does’が、動詞の代わりを果たす、言わば、代動詞である、と説明されることがあるのですが、しかし、(5)~(12)を、統一的に説明するには、下線部の直前にある‘does’は、むしろ、助動詞である、という考え方をした方がよい、ということになります。
つまり、(5)~(12)における動詞句の消去とは、「‘studies’→‘does’+‘study’」、というように、‘studies’から、助動詞‘does’と動詞‘study’を分離してから、そのあとで、助動詞の直後にある、動詞句が、1つの単位 (カタマリ) として見なされ、消去を受けるという考え方です。
(13)Study Japanese hard、John does _. (日本語を熱心に勉強しとるよ、ジョンはな。)
助動詞の直後に動詞句というカタマリがある、という考えがあれば、(13)のような、一見、奇妙な英語も、すんなり説明がつきます。(13)のようなカタチは、いわゆる、映画「スター・ウォーズ」に出てくる、「ヨーダ英語」と言われるものですが、動詞句を、前倒しにして、後半に、「主語+助動詞」をもってくるという、変則型の語順です。 (前倒しになっている動詞が、助動詞の出現によって原形になっている点に注意して下さい。)
そこで、(13)のようなヨーダ英語は、よく、文法的ではないなどと、カン違いされているフシがありますが、そんなことは全くなく、極めて文法的な文です。ただし、使い方にコツが必要で、(13)のようなしゃべり方が、一種の特徴となっている、ヨーダのようなキャラクターなら、話は別ですが、しかし、普通の語順でないことは確かなので、普通のヒトが、(13)のような動詞句の前倒しを自然に使おうとすると、それなりに文脈が整っている場合に限られます。
(14)John said [ that he studied Japanese hard ]、and study Japanese hard he certainly did _.
(ジョンは、[ 猛烈に日本語を勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)
例えば、(14)の前半の文のカギカッコ内にあるように、前もって、‘studied Japanese hard’が、先行文脈として存在しているような場合、後半の‘and’以下の文で、‘study Japanese hard’を前倒しにした文が、一種の強調表現として使えます。あとは、‘he (certainly) did’「(確かに) そうだった」のように、「主語+助動詞」を後に続ければ、OKです。
つまり、ヨーダ英語は、動詞句という単位を認めるのならば、動詞句の前倒しという、極めて秩序立った変形であると言えます。そして、動詞句の消去などとあわせて、(5)や(9)などの、動詞1つだけの消去も、この変形の仲間に入れることが可能である点、動詞句を単位とした変形は、動詞だけの場合も包含することになります。以下は、動詞だけの前倒しの例ですが、(14)がOKであることから、当然、OKになります。
(15)John said [ that he studied ]、and study he certainly did _.
(ジョンは、[ 勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)
今回のポイントは、「句」という文法の単位の中でも、「動詞句」という、1カタマリの単位が存在する、ということです。そして、動詞句というカタマリを認めるメリットは、それが、「消去」の単位となったり、また、「移動」の単位となったりする、という点です。
このような考え方に到る根拠は、動詞句 (動詞だけの場合も含む) は、本来、(1)~(4)のような文では、助動詞‘does’などと合体しているので、少し判別しにくくなっているのですが、(5)~(12)を判断材料とすれば、助動詞から切り離されたものとして存在すると言えるし、また、これにより、動詞句の「消去」や「移動」という変形も、キレイに説明できる、というものです。
英語では、消去や移動は、このように、「句」を単位にして行われるものが、結構多いので、「句」という単位を意識しておくと、一段、高いレベルの表現法を習得する上で、非常に有利なのは間違いありません。今回のように、一般に、「ヨーダ英語」は文法的ではない、などの誤った考えをもつヒトが多いのは、実は、こういったところに、解決方法があることに、最初から、見向きもしないからなんですね。
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(1)John studies. (ジョンは勉強する。)
(2)John studies Japanese. (ジョンは日本語を勉強する。)
(1)の動詞‘study’「勉強する」は、目的語を取っていません。一方、(2)の‘study’は、目的語‘Japanese’「日本語」を取っています。(1)は、文 (平叙文) をつくるために必要最低限の語数、2語から成る、「主語‘John’+動詞‘studies’」のカタチをした文です。一方、(2)は、「主語‘John’+動詞‘studies’+目的語‘Japanese’」の3語から成るカタチの文、ということになります。
「句」の概念は、最低でも、2つ以上の単語の寄せ集めでできている、言わば、語句のカタマリということなので、そう言われると、(1)も句かな?と考えたくなりますが、しかし、普通、文をつくるには、主語と動詞が必要最低限のパーツなので、そもそも、単語が2つでも、それが結果的に、文そのものになっている場合、それを、「句」と呼んでも、実質的には、意味がありません。
そもそも、「句」というものは、文の中で、ゴチャゴチャした感じのする単語の並びに対して、整理整頓をつけるための概念なので、文そのものに対しては、「句」という言い方は、しないんですね。そこで、ならば、(2)のような場合は、どうなるのか、ということですが、(2)の中には、句が存在します。
普通、(1)のような文であれ、(2)のような文であれ、主語は基本的に必要ですが、目的語はどうか、となると、(1)のようになかったり、(2)のようにあったり、ということが起こるわけです。これは、動詞の性質が、意味的に、目的語を取る場合もあれば、そうではない場合もあるからで、文そのものの性質ではありません。
つまり、主語は、動詞の性質とは関係なく必要になるが、一方、目的語は、動詞の性質から選ばれる、という点で、主語と目的語は、対等ではなく、異質の概念で分類されていることになります。そこで、動詞という単語の意味的な性質から、他の単語が要求されるような場合、それは1つのカタマリと見なして、例えば、「動詞+目的語」で、「動詞句」として扱うことになっています。
(3)John studies hard. (ジョンは、熱心に勉強する。)
(4)John studies Japanese hard. (ジョンは、熱心に日本語を勉強する。)
ただし、目的語のように直接的に指定されるような単語のみが、動詞句のパーツになるわけではありません。(3)や(4)にあるように、(1)や(2)に‘hard’「熱心に、懸命に」のような副詞を追加しても、それは、「動詞‘study’(+目的語‘Japanese’)+副詞‘hard’」で、1つのカタマリと見なし、動詞句になります。
ポイントは、やはり、‘hard’「熱心に、懸命に」のような意味をもった副詞が、‘study’「勉強する」のような意味をもった動詞と、意味的に、うまくマッチするからで、このように、動詞の意味と他の単語の意味的なマッチングで、動詞句のカタマリ具合が決まる、と言ってもよいでしょう。
(5)John studies、but Mary does not _.
(ジョンは勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(6)John studies Japanese、but Mary does not _.
(ジョンは日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(7)John studies hard、but Mary does not _.
(ジョンは熱心に勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(8)John studies Japanese hard、but Mary does not _.
(ジョンは熱心に日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)
(5)~(8)では、‘but Mary does not’以下が何もない、下線部だけになっているのですが、暗黙のルールとして、下線部は、先に出た動詞、または、動詞句と、同一のものが、消去されることになっています。ですので、消去されているのは、(5)では、動詞‘study’のみですが、一方、(6)では、動詞句‘study Japanese’、(7)では、動詞句‘study hard’、そして、(8)では、動詞句‘study Japanese hard’です。
(9)‘Does John study ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
(10)‘Does John study Japanese ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
(11)‘Does John study hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは熱心に勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
(12)‘Does John study Japanese hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’
(「ジョンは熱心に日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)
ここで、(9)~(12)の会話ですが、(9)では、答えの文で、下線部は、動詞‘study’が、消去されていると考えることができます。一方、(10)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese’の消去、(11)では、答えの下線部が、動詞句‘study hard’の消去、そして、(12)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese hard’の消去と考えることができます。
よく、(9)~(12)にあるような、会話の答えの文は、‘does’が、動詞の代わりを果たす、言わば、代動詞である、と説明されることがあるのですが、しかし、(5)~(12)を、統一的に説明するには、下線部の直前にある‘does’は、むしろ、助動詞である、という考え方をした方がよい、ということになります。
つまり、(5)~(12)における動詞句の消去とは、「‘studies’→‘does’+‘study’」、というように、‘studies’から、助動詞‘does’と動詞‘study’を分離してから、そのあとで、助動詞の直後にある、動詞句が、1つの単位 (カタマリ) として見なされ、消去を受けるという考え方です。
(13)Study Japanese hard、John does _. (日本語を熱心に勉強しとるよ、ジョンはな。)
助動詞の直後に動詞句というカタマリがある、という考えがあれば、(13)のような、一見、奇妙な英語も、すんなり説明がつきます。(13)のようなカタチは、いわゆる、映画「スター・ウォーズ」に出てくる、「ヨーダ英語」と言われるものですが、動詞句を、前倒しにして、後半に、「主語+助動詞」をもってくるという、変則型の語順です。 (前倒しになっている動詞が、助動詞の出現によって原形になっている点に注意して下さい。)
そこで、(13)のようなヨーダ英語は、よく、文法的ではないなどと、カン違いされているフシがありますが、そんなことは全くなく、極めて文法的な文です。ただし、使い方にコツが必要で、(13)のようなしゃべり方が、一種の特徴となっている、ヨーダのようなキャラクターなら、話は別ですが、しかし、普通の語順でないことは確かなので、普通のヒトが、(13)のような動詞句の前倒しを自然に使おうとすると、それなりに文脈が整っている場合に限られます。
(14)John said [ that he studied Japanese hard ]、and study Japanese hard he certainly did _.
(ジョンは、[ 猛烈に日本語を勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)
例えば、(14)の前半の文のカギカッコ内にあるように、前もって、‘studied Japanese hard’が、先行文脈として存在しているような場合、後半の‘and’以下の文で、‘study Japanese hard’を前倒しにした文が、一種の強調表現として使えます。あとは、‘he (certainly) did’「(確かに) そうだった」のように、「主語+助動詞」を後に続ければ、OKです。
つまり、ヨーダ英語は、動詞句という単位を認めるのならば、動詞句の前倒しという、極めて秩序立った変形であると言えます。そして、動詞句の消去などとあわせて、(5)や(9)などの、動詞1つだけの消去も、この変形の仲間に入れることが可能である点、動詞句を単位とした変形は、動詞だけの場合も包含することになります。以下は、動詞だけの前倒しの例ですが、(14)がOKであることから、当然、OKになります。
(15)John said [ that he studied ]、and study he certainly did _.
(ジョンは、[ 勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)
今回のポイントは、「句」という文法の単位の中でも、「動詞句」という、1カタマリの単位が存在する、ということです。そして、動詞句というカタマリを認めるメリットは、それが、「消去」の単位となったり、また、「移動」の単位となったりする、という点です。
このような考え方に到る根拠は、動詞句 (動詞だけの場合も含む) は、本来、(1)~(4)のような文では、助動詞‘does’などと合体しているので、少し判別しにくくなっているのですが、(5)~(12)を判断材料とすれば、助動詞から切り離されたものとして存在すると言えるし、また、これにより、動詞句の「消去」や「移動」という変形も、キレイに説明できる、というものです。
英語では、消去や移動は、このように、「句」を単位にして行われるものが、結構多いので、「句」という単位を意識しておくと、一段、高いレベルの表現法を習得する上で、非常に有利なのは間違いありません。今回のように、一般に、「ヨーダ英語」は文法的ではない、などの誤った考えをもつヒトが多いのは、実は、こういったところに、解決方法があることに、最初から、見向きもしないからなんですね。
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