goo blog サービス終了のお知らせ 

英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(20)

2004年12月11日 | 
EG19の続きです。「句」という文法の単位の中で、「動詞句」を考えてみます。以下、見ましょう。

(1)John studies. (ジョンは勉強する。)
(2)John studies Japanese. (ジョンは日本語を勉強する。)

(1)の動詞‘study’「勉強する」は、目的語を取っていません。一方、(2)の‘study’は、目的語‘Japanese’「日本語」を取っています。(1)は、文 (平叙文) をつくるために必要最低限の語数、2語から成る、「主語‘John’+動詞‘studies’」のカタチをした文です。一方、(2)は、「主語‘John’+動詞‘studies’+目的語‘Japanese’」の3語から成るカタチの文、ということになります。

「句」の概念は、最低でも、2つ以上の単語の寄せ集めでできている、言わば、語句のカタマリということなので、そう言われると、(1)も句かな?と考えたくなりますが、しかし、普通、文をつくるには、主語と動詞が必要最低限のパーツなので、そもそも、単語が2つでも、それが結果的に、文そのものになっている場合、それを、「句」と呼んでも、実質的には、意味がありません。

そもそも、「句」というものは、文の中で、ゴチャゴチャした感じのする単語の並びに対して、整理整頓をつけるための概念なので、文そのものに対しては、「句」という言い方は、しないんですね。そこで、ならば、(2)のような場合は、どうなるのか、ということですが、(2)の中には、句が存在します。

普通、(1)のような文であれ、(2)のような文であれ、主語は基本的に必要ですが、目的語はどうか、となると、(1)のようになかったり、(2)のようにあったり、ということが起こるわけです。これは、動詞の性質が、意味的に、目的語を取る場合もあれば、そうではない場合もあるからで、文そのものの性質ではありません。

つまり、主語は、動詞の性質とは関係なく必要になるが、一方、目的語は、動詞の性質から選ばれる、という点で、主語と目的語は、対等ではなく、異質の概念で分類されていることになります。そこで、動詞という単語の意味的な性質から、他の単語が要求されるような場合、それは1つのカタマリと見なして、例えば、「動詞+目的語」で、「動詞句」として扱うことになっています。

(3)John studies hard. (ジョンは、熱心に勉強する。)
(4)John studies Japanese hard. (ジョンは、熱心に日本語を勉強する。)

ただし、目的語のように直接的に指定されるような単語のみが、動詞句のパーツになるわけではありません。(3)や(4)にあるように、(1)や(2)に‘hard’「熱心に、懸命に」のような副詞を追加しても、それは、「動詞‘study’(+目的語‘Japanese’)+副詞‘hard’」で、1つのカタマリと見なし、動詞句になります。

ポイントは、やはり、‘hard’「熱心に、懸命に」のような意味をもった副詞が、‘study’「勉強する」のような意味をもった動詞と、意味的に、うまくマッチするからで、このように、動詞の意味と他の単語の意味的なマッチングで、動詞句のカタマリ具合が決まる、と言ってもよいでしょう。

(5)John studies、but Mary does not _. 
  (ジョンは勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(6)John studies Japanese、but Mary does not _. 
  (ジョンは日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(7)John studies hard、but Mary does not _. 
  (ジョンは熱心に勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(8)John studies Japanese hard、but Mary does not _. 
  (ジョンは熱心に日本語を勉強するが、しかし、メアリーはしない。)

(5)~(8)では、‘but Mary does not’以下が何もない、下線部だけになっているのですが、暗黙のルールとして、下線部は、先に出た動詞、または、動詞句と、同一のものが、消去されることになっています。ですので、消去されているのは、(5)では、動詞‘study’のみですが、一方、(6)では、動詞句‘study Japanese’、(7)では、動詞句‘study hard’、そして、(8)では、動詞句‘study Japanese hard’です。

(9)‘Does John study ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

(10)‘Does John study Japanese ?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

(11)‘Does John study hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは熱心に勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

(12)‘Does John study Japanese hard?’-‘Yes、he does _.’/‘No、he doesn't _.’ 
  (「ジョンは熱心に日本語を勉強するかい?」-「はい、しますよ。」/ 「いや、しないね。」)

ここで、(9)~(12)の会話ですが、(9)では、答えの文で、下線部は、動詞‘study’が、消去されていると考えることができます。一方、(10)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese’の消去、(11)では、答えの下線部が、動詞句‘study hard’の消去、そして、(12)では、答えの下線部が、動詞句‘study Japanese hard’の消去と考えることができます。

よく、(9)~(12)にあるような、会話の答えの文は、‘does’が、動詞の代わりを果たす、言わば、代動詞である、と説明されることがあるのですが、しかし、(5)~(12)を、統一的に説明するには、下線部の直前にある‘does’は、むしろ、助動詞である、という考え方をした方がよい、ということになります。

つまり、(5)~(12)における動詞句の消去とは、「‘studies’→‘does’+‘study’」、というように、‘studies’から、助動詞‘does’と動詞‘study’を分離してから、そのあとで、助動詞の直後にある、動詞句が、1つの単位 (カタマリ) として見なされ、消去を受けるという考え方です。

(13)Study Japanese hard、John does _. (日本語を熱心に勉強しとるよ、ジョンはな。)

助動詞の直後に動詞句というカタマリがある、という考えがあれば、(13)のような、一見、奇妙な英語も、すんなり説明がつきます。(13)のようなカタチは、いわゆる、映画「スター・ウォーズ」に出てくる、「ヨーダ英語」と言われるものですが、動詞句を、前倒しにして、後半に、「主語+助動詞」をもってくるという、変則型の語順です。 (前倒しになっている動詞が、助動詞の出現によって原形になっている点に注意して下さい。)

そこで、(13)のようなヨーダ英語は、よく、文法的ではないなどと、カン違いされているフシがありますが、そんなことは全くなく、極めて文法的な文です。ただし、使い方にコツが必要で、(13)のようなしゃべり方が、一種の特徴となっている、ヨーダのようなキャラクターなら、話は別ですが、しかし、普通の語順でないことは確かなので、普通のヒトが、(13)のような動詞句の前倒しを自然に使おうとすると、それなりに文脈が整っている場合に限られます。

(14)John said [ that he studied Japanese hard ]、and study Japanese hard he certainly did _.
  (ジョンは、[ 猛烈に日本語を勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)

例えば、(14)の前半の文のカギカッコ内にあるように、前もって、‘studied Japanese hard’が、先行文脈として存在しているような場合、後半の‘and’以下の文で、‘study Japanese hard’を前倒しにした文が、一種の強調表現として使えます。あとは、‘he (certainly) did’「(確かに) そうだった」のように、「主語+助動詞」を後に続ければ、OKです。

つまり、ヨーダ英語は、動詞句という単位を認めるのならば、動詞句の前倒しという、極めて秩序立った変形であると言えます。そして、動詞句の消去などとあわせて、(5)や(9)などの、動詞1つだけの消去も、この変形の仲間に入れることが可能である点、動詞句を単位とした変形は、動詞だけの場合も包含することになります。以下は、動詞だけの前倒しの例ですが、(14)がOKであることから、当然、OKになります。

(15)John said [ that he studied ]、and study he certainly did _.
  (ジョンは、[ 勉強するぞと ] 言ったが、確かにそうだった。)

今回のポイントは、「句」という文法の単位の中でも、「動詞句」という、1カタマリの単位が存在する、ということです。そして、動詞句というカタマリを認めるメリットは、それが、「消去」の単位となったり、また、「移動」の単位となったりする、という点です。

このような考え方に到る根拠は、動詞句 (動詞だけの場合も含む) は、本来、(1)~(4)のような文では、助動詞‘does’などと合体しているので、少し判別しにくくなっているのですが、(5)~(12)を判断材料とすれば、助動詞から切り離されたものとして存在すると言えるし、また、これにより、動詞句の「消去」や「移動」という変形も、キレイに説明できる、というものです。

英語では、消去や移動は、このように、「句」を単位にして行われるものが、結構多いので、「句」という単位を意識しておくと、一段、高いレベルの表現法を習得する上で、非常に有利なのは間違いありません。今回のように、一般に、「ヨーダ英語」は文法的ではない、などの誤った考えをもつヒトが多いのは、実は、こういったところに、解決方法があることに、最初から、見向きもしないからなんですね。

       みんなの英会話奮闘記★      ★英語・人気blogランキング

英語学習法(19)

2004年12月11日 | 
今回、「句」と呼ばれる文法の単位を扱います。その中でも、「名詞句」と呼ばれるものに絞ってみます。以下、見ましょう。

(1)John is infamous. (ジョンは、評判が悪い。)
(2)The boys are infamous. (その少年たちは、評判が悪い。)

(1)では、主語が‘John’「ジョン」ですが、一方、(2)では、主語が‘the boys’「その少年たち」です。これを言いかえれれば、(1)は、単語1つから成る主語ですが、一方、(2)は、単語2つから成る主語、と言うことができます。そこで、(2)では、主語が「名詞句」である、という言い方をします。

文は、もちろん、単語の集合でできています。そこで、「句」というのは、文の中で、単語の集合がある場合、そのカタマリ具合を示す、ある種の区切り上の単位のことを言います。句というのは、単語と単語のつながり方を表す単位ですから、当然、単語が2つ以上なければ、「句」という呼び方はしません。

ですので、(1)の‘John’は、普通、名詞句とは呼ばず、ただの名詞です。一方、(2)の‘the boys’というように、単語が2つ集まって、主語になったような場合、名詞句という呼び方になるわけですね。

(3)The tall boys are infamous .
  (背の高いその少年たちは、評判が悪い。)

(4)The tall boys in the park are infamous .
  (公園にいる背の高いその少年たちは、評判が悪い。)

(5)The tall boys running in the park are infamous .
  (公園で走っている背の高いその少年たちは、評判が悪い。)

(3)では、‘the tall boys ’「背の高いその少年たち」が、3つの単語から成るカタマリで、名詞句です。(4)では、‘the tall boys in the park’「公園にいる背の高いその少年たち」が、6つの単語から成るカタマリで、これも、名詞句です。(5)では、‘the tall boys running in the park’ 「公園で走っている背の高いその少年たち」が、7つの単語から成るカタマリで、やはり、名詞句です。

要するに、(2)~(5)の主語は、どれをとっても名詞句と呼ばれているわけです。そこで、一体、何を基準にして、名詞句と呼ばれているのか、という疑問が生じます。例えば、(2)では、‘the’が冠詞ですが、‘the’+‘boys’で、「名詞句」ではなく、「冠詞句」と呼んではいけないのか、という発想もあるでしょうし、一方、(3)のように、‘the’+ ‘tall’+‘boys’で、‘tall’が形容詞なんだから、「形容詞句」ではいけないのか、という発想もあるでしょう。

このように単語が複数集まって、「句」というカタマリになる、ということは、それと同時に、どの品詞が主になるのか、その主導権をめぐる争いにもなりかねませんので、ある一定の約束事が必要、ということになります。そこで、その約束事とは、「かかるもの (従)」と「かかられるもの (主)」という関係を基準にして決める、というものです。

冠詞‘the’は、名詞‘boys’にかかるものです。そして、形容詞‘tall’も、名詞‘boys’にかかるものです。ですので、(2)と(3)では、‘boys’が、「かかられるもの (主)」であり、結局、‘the boys’であれ、‘the tall boys’であれ、‘boys’が主導権を握る、ということになっています。

(4)の‘in the park’「公園にいる」は、1つのカタマリとなって、やはり、‘boys’にかかっています。ですので、(4)でも、やはり、‘boys’に主導権があります。一方、(5)では、‘in the park’「公園で」が、‘running’「走っている」にかかっています。そして、最終的に、‘running in the park’「公園で走っている」全体が、1つのカタマリとなって、やはり、‘boys’にかかっていますので、主導権は、‘boys’にあります。

このように、「かかるもの」と「かかられるもの」という関係で見た場合、最終的に、「かかられるもの」として、生き残ったものが、その句全体の主導権を握ることになります。これは、裏を返せば、かかられるものは、文を組み立てる際に必須となる要素であり、その他は、ただの付加物ということになります。

(6)Boys are infamous. (〇) (少年たちは (群れるから)、評判が悪いものだよ。)
(7)(The) park are infamous. (×) ((その)公園は、評判が悪い。)

(6)は、(2)~(5)の主語を成す句で、‘boys’のみを残して、他の単語を全て外した文ですが、OKです。一方、(7)は、(4)と(5)の主語を成す句で、もう1つの名詞‘(the) park’を残して、他の単語を全て外した文ですが、‘the’を付けても、外しても、アウトです。

これは、もちろん、(6)では、述語の‘be’動詞が、‘are’であるため、複数形の名詞‘boys’には対応しているが、一方、(7)でも、述語の‘be’動詞が、‘are’であるため、単数形の名詞‘(the) park’に対応していないからです。つまり、(4)であろうと、(5)であろうと、述語の‘be’動詞‘are’は、常に、‘boys’の方に対応しているという事実からも、‘boys’が、核になって、名詞句が形成されている、ということがわかります。

このことから、主語の中に名詞が複数含まれていても、どれか適当に名詞を1つ選んで、それを核として名詞句が成り立つ、ということではなく、核となる名詞は、最初から、ハッキリと1つに特定されて決まっている、ということになります。

以上が、基本的な名詞句の成り立ちになりますが、もっと広い意味での名詞句に対する考え方もあるので、付随的に、それも扱ってみます。まず、そういった観点からは、「かかるもの」と「かかられるもの」の関係が、成り立っていない名詞句も存在します。

(8)John、Tom or Jack loves Mary. (ジョンか、トムか、ジャックが、メアリーを好きだ。)
(9)John、Tom and Jack love Mary. (ジョンとトムとジャックが、メアリーを好きだ。)

(8)は、主語である‘John、Tom or Jack’「ジョンかトムかジャック」全体で、名詞句という考え方です。この場合、述語の動詞‘love’が、「三人称・単数・現在」の‘-s’を語尾に取ってはいるのですが、しかし、その対象は、‘John’でもあり、‘Tom’でもあり、‘Jack’でもあるので、核となる名詞が、1つに決まっているわけではありません。

加えて、(9)のように、主語である‘John、Tom and Jack’「ジョンとトムとジャック」全体で、複数と見なし、述語の動詞‘love’が、「三人称・単数・現在」の‘-s’を語尾に取っていないケースもあります。しかし、いずれにせよ、(8)や(9)の主語の例は、「かかるもの」と「かかられるもの」の関係が、成り立っておらず、したがって、どれかが核として、主導権を握るという性質のものではありません。

今回のポイントは、「句」の考え方を、名詞句の例で考えてみましたが、基本的には、「かかるもの (従)」と「かかられるもの (主)」の関係で、最終的に生き残るものが、核となって主導権を握る、というものです。しかし、一方、広い意味で考えれば、そのような概念は無視して、ただ単に、複数の単語のカタマリ、という考え方もありますので、意外と、「句」の定義は、漠然としているものです。

しかし、1つだけハッキリと言えるのは、文の中では、単語と単語のつながり方と、区切り方に対して、秩序立ったルールが存在していて、それが、「句」という単位に基づいている、ということです。英語の話者が、(2)のように短い主語であろうと、一方、(5)のように長い主語であろうとも、どこからどこまでが主語というカタマリであるのかを判断できるのは、やはり、「句」という単位に基づいて、文の中身が整理整頓されているからです。

今回は、「句」の考え方の単純な一例を扱いましたが、別の機会に、また違った視点から、「句」の概念を扱ってみたいと思います。

■注1 :(4)と(5)の‘in the park’は、前置詞‘in’が、後に名詞句‘the park’を取ったカタチですが、このように、前置詞の付いた名詞表現は、(4)にあるように、他の名詞表現‘the tall bays’にかかったり、また、(5)にあるように、動詞表現‘running’にかかったりすることができる、という点で、とても汎用性が高く、形容詞のように使うこともできるし、また、副詞のように使うこともできます。

■注2 :(5)の‘running’「走っている」は、動詞‘run’「走る」の派生形で、一般に、「現在分詞」と呼ばれています。動詞は、現在分詞に変化すると、まるで、形容詞のように、名詞にかかることができる、という機能をそなえることができます。


       みんなの英会話奮闘記★      ★英語・人気blogランキング