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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(88)

2005年05月28日 | 主語
EG85、EG86、EG87の続きです。‘eager’の構文です。以下、見ましょう。

(1)Tom is likely to help Mary. (トムがメアリーを助けそうだね。)

(2)Tom is kind to help Mary. (メアリーを助けるなんて、トムは親切だね。)

(3)Tom is eager to help Mary. (トムは、メアリーを、助けたがっているよ。)

(1)~(3)は、どれも、「主語+‘be’動詞 +形容詞+‘to’不定詞」のカタチです。これらの場合、主語‘Tom’に対して、「‘be’動詞 +形容詞」という述語の方が、文の骨格をなす必須の述語であり、一方、‘to help Mary’という述語の方は、学校の英文法で言うところの、「副詞的用法」の‘to’不定詞になるので、一言で述語、とは言っても、それぞれの文法的ステイタスは違っていますね。 (EG42参照)

しかし、(1)~(3)は、どれも、「2つの述語に対して、1つの主語」、という特徴に関しては、同じです。つまり、(1)~(3)において、メアリーを助けるのは、誰なのかというと、‘Tom’である、という解釈でなければならず、他の解釈は、不可能です。

ここから、効率よく、パターン化して、‘be likely to’「・・・ は ~ しそうだ」、‘be kind to’「・・・ は ~ するとは親切だ」、‘be eager to’「・・・ は ~ するのを熱望している」、などと、暗記するのも、初歩的な手段としては、アリですが、EG85、EG86、EG87で、確認したように、「変形」によって、他に変則的なカタチで現れる場合もあるので、構文の意味に注意するのも大切です。今回は、その他の変則性を、見てみましょう。

(4)Tom is likely for John to help Mary. (×)
  (ジョンがメアリーを助けることが、トムにはありそうだね。)

(5)Tom is kind for John to help Mary. (×)
  (ジョンがメアリーを助けるなんて、トムは親切だね。)

(6)Tom is eager for John to help Mary. (〇)
  (トムは、ジョンがメアリーを助けるのを熱望しているよ。)

(4)~(6)は、どれも、‘for John’を、‘to help Mary’の前に置いて、不定詞における、「主語・述語」の関係を表す、「‘for’~‘to’不定詞」のカタチにしてみましたが、OKになるのは、(6)だけなんです。ここから、「2つの述語に対して、1つの主語」、という特徴は、‘be likely’や、‘be kind’の場合は、成り立ちますが、一方、‘be eager’の場合は、成り立たない、つまり、構文の種類によっては、「2つの述語に対して、それぞれ、1つずつ、別の主語」、という場合もある、ということになります。

まず、(4)と(5)は、日本語訳からしても、変なんですが、とにかく、英語そのものが、アウトであることからは、‘be likely’や、‘be kind’といった述語は、「2つの述語に対して、1つの主語」を取る特性がある構文として、覚えても、OKだと思います。 (とは言っても、その成り立ち、派生の仕方には、違いがあります。これら、変形パターンの詳細は、EG85、EG86、EG87、参照)

(7)It is likely that Tom will help Mary. (〇) (訳同(1))
(8)It is kind of Tom to help Mary. (〇) (訳同(2))

(7)と(8)では、特に意味内容のない‘it’を、‘be likely’と‘be kind’、各々の主語位置に置いてみました。そのかわりに、‘Tom’が、もう1つの述語である、‘help Mary’の前に位置するようにもっていきました。

そこで、(7)は、‘that Tom will help Mary’、つまり、‘that’節のカタチならば、OKになり、一方、(8)は、‘of Tom to help Mary’、つまり、「‘of’~‘to’不定詞」のカタチならば、OKになります。しかし、いずれにせよ、カタチが違っていても、‘Tom’が主語で、‘help Mary’が述語である関係そのものは、保たれています。

(9) a. It is eager that Tom will help Mary. (×) (訳同(3))
   b. It is eager for Tom to help Mary. (×) (訳同(3))

そこで、今度は、‘be eager’の構文ですが、同様に、特に意味内容のない‘it’を、(9a-b)の主語位置に置いてみました。しかし、(9a)の、‘that’節のカタチ、‘that Tom will help Mary’、であろうと、(9b)の、「‘for’~‘to’不定詞」のカタチ、‘for Tom to help Mary’であろうと、両方とも、アウトです。 (たとえ、(3)に対応しない日本語訳、「トムがメアリーを助けることが、(他の人から) 熱望されている。」、の解釈にしてみても、やはり、アウトです。)

これらの事実からは、「主語+‘be eager’」のカタチは、そもそも、その主語位置に、かなり強い意味的な制限があるので、意味内容のない‘it’を受け付けない、ということが、わかります。さらに、‘be eager’の構文は、(6)がOKであることから、こういった点で、本来的に、一般動詞の、‘want’「~ 欲しい」に近い性質をもっているのが、わかります。

(10)Tom wants to help Mary. (〇)
  (トムはメアリーを助けたいと思っているよ。)

(11)Tom wants John to help Mary. (〇)
  (トムは、ジョンにメアリーを助けて欲しいと思っているよ。)

(10)は、主語の‘Tom’が、‘want’の主語でもあり、同時に、‘to help Mary’の主語でもあるので、「2つの述語に対して、1つの主語」、ということになります。しかし、一方、(11)では、‘Tom’は、‘want’の主語になっているだけで、‘to help Mary’の主語は何かというと、‘John’なんですね。(「トムが望んでいるのは、ジョンがメアリーを助ける、ということだよ。」、と言いかえれば、わかりやすいと思います。)

もちろん、(10)は、(3)に対応していて、一方、(11)は、(6)に対応しています。ここから、わかることとして、‘eager’構文の場合、学校で習うような、「‘be’動詞+形容詞」、といったカタチが、副詞的用法の’to’不定詞をともなっている、といった文法の説明を、一度受けてしまうと、(10)や(11)との類似点が見えなくなってしまう、ということです。

これは、もちろん、学校の英文法は、一般動詞は、‘be’動詞が要らないし、目的語も取れるが、一方、形容詞は、‘be’動詞が必要であり、目的語は取らない、という、基本文型の説明に、重点をおいているからで、そういう説明からは、形容詞の後に続く不定詞の用法は、名詞(的)用法、副詞(的)用法、形容詞(的)用法、のうち、一体、何用法なんだ?という分類の方に、視点が移ってしまいがちになります。

しかし、不定詞には、あまり、上の3つ用法にこだわっても、仕方がないようなものも、存在するのです。 (例えば、EG52、参照) それよりも、個々の単語が、「前提」の概念にしたがって、補完されるべき他の要素を、要求しているような場合、その1つのケースとして、‘to’不定詞なども、かつぎ出される場合もある、ということを知る方が、「英語脳」的には、はるかに重要です。 (「前提」の概念に関しては、EG46や、EG81などを、参照。)

ですので、他の例からしても、‘seem’という一般動詞は、「‘be’動詞+形容詞」である、‘be likely’とは、品詞こそ違いますが、その変形パターンからしても、同じ分類を受ける仲間とした方が、実用英語としては、はるかに有益です。 (EG62、EG86、参照)

(12)a. It seems [ that John loves Mary ].  (ジョンは、メアリーが好きなようだね。)
   b. John seems to love Mary.  (訳同上)

(13)a. It is likely [ that John loves Mary ]. (ジョンは、メアリーが好きになりそうだね。)
   b. John is likely to love Mary. (訳同上)

今回のポイントは、品詞の分類が、特定の構文の性質を知る上では、あまり役に立たない場合があり、それどころか、返って、あまり関連性がないように見える、他の構文と共通した重要な性質から、視点が遠のいてしまう場合もある、ということを考察したわけです。

そこで、EG87に続いて、‘eager’の構文を例にとってみたわけですが、‘eager’の構文は、主語に対して、意味的に強い制限があり、かつ、後に続く‘to’不定詞にも、意味的には、あたかも、目的語のような印象があり、そして、「2つの述語に対して、それぞれ、1つずつ、別の主語」が現れることもある構文、ということでした。

しかし、‘eager’の品詞は、形容詞であり、動詞ではないので、‘to’不定詞を、目的語として取る、などとは、言えない立場にあるという、文法上の大きな矛盾点がありました。こういった矛盾を、カバーするには、「前提」の概念が必要であり、‘eager’の要求する、意味的な補完材料、といった、「意味」からの視点が、擬似目的語(?)とでも言うべき、‘to’不定詞を、カタチの上で具現化させる際に、一役かう、ということです。

そして、‘eager’の品詞は、「形容詞」である、といったこととは、無関係に、「一般動詞」との意味的な類似性、という、品詞を無視した、新しい視点があると、‘be likely’や、’be kind‘には、見られなかった、‘to’不定詞だけのための主語の具現化、つまり、「2つの述語に対して、それぞれ、1つずつ、別の主語」、といったことは、むしろ、‘eager’の構文が、一般動詞‘want’の特性を受け継いでいるからだ、ということが、わかる点で、こういったアプローチは、十分にメリットがあると思われます。

今回のケースのように、「主語」を、1つの軸に据えて、不定詞など述語の分類を考えていくと、実用英語において、新しい有益な発見が、結構ありますので、他の機会にも考えていきたいと思います。

■注1 :(5)は、‘for’を、‘of’にかえても、アウトですので、やはり、‘be kind’は、‘to’不定詞を、後にともなう場合、本来的に、「2つの述語に対して、1つの主語」、という原則があり、それを破っていることに、(5)が、アウトである原因がある、と見るのが、正しいと思われます。

■注2 :(10)のカタチは、学校で習う英文法としては、‘S (Tom)+V (wants)+O (to help Mary)’、ということになります。一方、(11)のカタチは、‘S (Tom)+V (wants)+O (John)+C (to help Mary)’ということになります。そこで、(10)の、‘to help Mary’を、名詞的用法であり、だから、目的語である、とするのは、いく分、理解に役立ちますが、一方、(11)の、‘to help Mary’を、何用法であるか、などと考えても、分類不可能であるばかりか、全く、理解の役にすら立ちません。


●関連: EG42EG46EG52EG62EG85EG86EG87

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英語学習法(87)

2005年05月24日 | 主語
EG85と、EG86に続いて、今回、新たなタイプの構文の検証をします。以下、見ましょう。

(1)Tom is kind to help Mary. (トムは、メアリーを助けるなんて、親切だね。)
(2)Tom is eager to help Mary. (トムは、メアリーを助けたがっているよ。)

(1)と(2)は、両方とも、OKとなる英語です。(1)は、‘be kind’「~ は親切だ」に、その「判断の根拠」となる意味を示す、副詞用法の‘to’不定詞を付け足したものです。 (EG85、EG86、参照) 一方、(2)は、よく、「‘be eager’+‘to’不定詞」、のカタチで、「しきりに ~ したがっている」、と覚えるように習う構文ですね。

そして、(1)と(2)は、よく見ると、両方とも、その姿カタチは、「‘be’動詞+形容詞+‘to’不定詞」であり、外観上、全く同じ構文であるかのように見えます。そこで、今回は、(2)のような、‘be eager’を述語にするタイプの構文を、見てみたいと思います。

(3)It is kind of Tom to help Mary. (〇) (訳同(1))
(4)It is eager for Tom to help Mary. (×) (訳同(2))

そこで、まず、(1)から(3)への書きかえですが、OKになります。しかし、一方、(2)から(4)への書きかえは、アウトです。このことから、‘be eager’は、‘be kind’ほどには、主語に対する制限が、ゆるくない、と言えます。しかし、そもそも、‘be kind’にしたって、それほど、主語に対する制限が、ゆるいわけではないことは、EG85と、EG86で、見たとおりです。

(5) a. Mary is kind to give a charity concert in the village. (〇)
    (メアリーは、その村でチャリティーコンサートをやるなんて、親切だね。)

   b. There is kind to be a charity concert in the village. (×)
    (その村で、チャリティーコンサートをやるなんて、親切だね。)


(6) a. Mary is likely to give a charity concert in the village. (〇)
    (メアリーは、その村で、チャリティーコンサートをやりそうだぞ。)

   b. There is likely to be a charity concert in the village. (〇)
    (その村で、チャリティーコンサートをやりそうだぞ。)

そこで、確認になりますが、(5a-b)のペアは、「‘be kind’+‘to’不定詞」の構文です。(5a)はOKでも、一方、(5b)はアウトです。それは、主語に対して、一応、意味的な制限があるからで、特に、意味内容をもつとは、考えられないような主語、‘there’構文の‘there’が、主語になったりすることはありません。

しかし、その一方で、(6a-b)のペアは、両方とも、OKになります。(6a)は、(5a)の‘kind’を、‘likely’に取りかえただけです。そして、同様に、(6b)も、(5b)の‘kind’を、‘likely’に取りかえただけです。そこでは、(6a)がOKになるのは、もちろんのこと、‘there’構文の‘there’が、主語になる(6b)までも、OKになります。

つまり、この点、「‘be kind’+‘to’不定詞」の構文は、「‘be likely’+‘to’不定詞」の構文ほどには、主語に対する制限が、ゆるくはない、と言えます。そこで、「‘be eager’+‘to’不定詞」の構文に戻ると、(2)がOKで、(4)がアウトですから、この構文は、「‘be kind’+‘to’不定詞」の構文よりも、主語に対する制限が、きついとは言えます。

しかし、逆に、共通点としては、(1)と(2)を見ると、わかるように、その主語が、‘to’不定詞の部分における、主語の役割も果たしている、ということです。つまり、「2つの述語に対して、1つの主語」、が成り立っています。そこで、今度は、後続する‘to’不定詞の部分を消してみます。

(7)Mary is kind. (〇) (メアリーは親切だね。)
(8)Mary is eager. (×) (メアリーは熱心だね。)

(7)の‘be kind’は、独立した文として、OKになりますが、一方、(8)は、基本的に、アウトです。ここで、注意すべきは、(7)と(8)は、どちらも、学校で習うような、英文法の基本文型としては、「主語+‘be’動詞+形容詞」のカタチで、文法的であり、全く問題なし、であるはずなんですが、確かに、(8)は、独立した文としては、アウトなんです。これは、どうしてなんでしょうか。

普通、「主語+‘be’動詞+形容詞」のカタチは、‘She is beautiful.’「彼女は美しい。」や、‘He is tall.’「彼は背が高い。」、といった類の構文として、扱われるのですが、しかし、どうやら、(8)のような文には、単純に、カタチの上でのみ、文法性を判断してはならない要因が、含まれているように思われます。

(9)Mary is eager in her hobbies. (〇) (メアリーは、趣味に関しては熱心だよ。)
(10)Mary is eager about the job. (〇) (メアリーは、その仕事には意欲的だよ。)

そこで、(9)や(10)のようにすると、‘be eager’の文は、OKになります。(9)と(10)では、‘is eager’「熱心だ、意欲的だ」の後に、いわゆる、その「熱意」や、「意欲」の対象となる表現、‘in her hobbies’「趣味において」や、‘about the job’「その仕事に関して」、を置いてみたわけですね。

このように、‘be eager’という述語が、意味的に要求していると思われる、「対象」の意味になる表現を置くと、OKになり、一方、置かなければ、アウトになる、という事実があると、実は、この‘be eager’という述語の振る舞いには、EG46や、EG81などで検証した、「前提」の概念がはたらいているのではないか、と思われます。 (EG46、EG81、参照)

さらに、(8)がアウトであることからは、(2)における‘to’不定詞、‘to help Mary’も、‘be eager’の前提とする、「対象」となる表現、ということになります。そこで、文の骨格とは、なり得ないような、いわゆる、「副詞的用法」の‘to’不定詞として、(2)の、‘to help Mary’を扱う、つまり、(1)における、‘to help Mary’と、同じステイタスをもつ、というような扱いをするのは、ちょっと、無理があるのではないか、と思われます。 (EG42、参照)

このことは、EG42で、副詞的用法の‘to’不定詞を扱う際に、少しだけ、触れてはいたのですが、やはり、カタチの上から、副詞的な扱いを受ける、‘to’不定詞であっても、そこには、どうやら、まるで、白から黒に向かうプロセスに、グレーゾーンが存在するような、「段階性」、とでも言うべき概念が存在するように思われます。

「前提」の概念は、カタチのみからの判断では、把握しきれない文法性に対して、その理解を補強してくれる、重要な概念となるものですが、(7)と(8)のような文法性の違いは、やはり、まず、「前提」の概念が絡んでいる、と見てよいでしょう。

今回のポイントは、‘eager’の構文を、可能な主語、という観点と、その後に続く‘to’不定詞のステイタス、という2つの観点から、考察してみました。そこで、‘eager’の構文は、‘kind’の構文ほどには、その主語に対する制限が、ゆるくない、ということに加えて、‘eager’に後続している‘to’不定詞は、カタチの上では、副詞的用法の‘to’不定詞と言えども、なくてはならない、必須の要素である、という、学校で習うような英文法からは、説明不可能な立場にある表現である、ということを検証しました。

この点については、まだ、もうちょっと、考察すべきポイントがありますが、また別の機会ということで。

●関連: EG42EG46EG81EG85EG86

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英語学習法(86)

2005年05月23日 | 主語
EG85の続きです。EG85の議論に、さらなる確認を加えます。以下、見ましょう。

(1)Tom is kind to help Mary. (メアリーを助けるなんて、トムは親切だね。)
(2)It is kind of Tom to help Mary. (訳同上)

EG85では、(1)をベースにして、(2)の構文が、派生的に成り立つ、つまり、(2)がベースで、(1)が成り立つのではない、ということを確認しました。そこで、(1)の主語である‘Tom’「トム」は、もちろん、述語が、‘is kind’「親切だ」の部分ですが、同時に、メアリーを助けたのも、トムであることから、その「判断の根拠」となる、‘to help Mary’「メアリーを助けるなんて」の、主語も兼ねています。

つまり、見方を変えれば、「2つの述語に対して、1つの主語」、という考え方もできる、ということになります。もちろん、主語‘Tom’に対して、‘is kind’の方が、文の骨格をなす必須の述語であり、一方、‘to help Mary’の方は、副詞的用法の‘to’不定詞になるので、それぞれの文法的ステイタスは違います。 (EG42参照) 今度は、以下の文を見ましょう。

(3)It is likely [ that there will be snow next week ]. (〇) (来週は雪になりそうだね。)

(4)There is likely [ (that) _ will be snow next week ]. (×) (訳同上)

(5)There is likely _ to be snow next week. (〇) (訳同上)

そこで、(3)のような構文ですが、これは、(5)のような書きかえが可能です。つまり、‘that’節内の主語を、‘is likely’の主語位置まで、移動させることが可能です。とは言っても、‘that’節は、その際、‘to’不定詞に書きかえることが条件になっていますので、(4)のままでは、アウトになります。 (EG83参照)

そして、(3)の、「‘it is likely’+‘that’節」から、(5)の、「‘be likely’+‘to’不定詞」のカタチへの変形は、EG62の、‘seem’構文の変形パターンと同じなので、‘seem’構文の仲間である、ということが、わかると思います。 (EG62、参照)

そこで、(1)と(5)の構文のカタチを、比較してみると、そのカタチは、全く同じ姿をしていることが、わかると思います。つまり、「主語+‘be’動詞 +形容詞+‘to’不定詞」のカタチです。そして、かつ、(1)と(5)の両方とも、「2つの述語に対して、1つの主語」、という特徴まで同じですね。

(3)の‘there’は、‘will be snow next week’を述語としていましたが、移動後の(5)では、‘there’は、‘is likely’を述語とする、主語になっています。ただし、ちょっと、注意すべき相異点もあります。

(6)Tom is kind. (〇) (トムは親切だね。)

(7) a. It is likely [ that Tom will win ]. (〇) (トムが勝利しそうだね。)

   b. Tom is likely _ to win. (〇) (訳同上)

   c. Tom is likely. (×) (トムがしそうだね。)

(6)は、(1)の後半部分の‘to’不定詞を消した文ですが、全くOKです。そして、(7a)から(7b)の書きかえは、(3)から(5)の書きかえと同じく、‘be likely’ (‘seem’の構文)を用いたものです。ここで、(7c)は、(7b)の後半部分の‘to’不定詞を消したものですが、OKである(6)とは違って、基本的には、アウトになってしまいます。

そもそも、(7c)は、それ自体、日本語に訳そうとしても、意味不明です。ここから、やはり、姿カタチが同じであっても、その成り立ちの違いが、(6)と(7c)の可否として表れている、と言えそうです。つまり、(1)がまず最初にあって、(2)がある、とは言えますが、一方、(7a)と(7b)の関係は、(7a)がまず最初にあって、(7b)がある、と言わなければならない、ということです。

これは、当然のことながら、(1)では、‘Tom is kind’という、独立した文に対して、あとから、その「判断の根拠」を、‘to’不定詞にして、くっつけているだけなんですが、一方、(7b)は、本来的に、‘Tom’が、‘win’「勝利する」の主語だからです。

(8)There is likely. (×) (‘there’がありそうだね。)

このことは、(3)と(5)の関係からも、より一層、明らかで、‘there’は、あくまでも、there’構文である、‘there will be snow next week’の、重要な1つのパーツである、ということからしても、(3)がまず、最初にあって、そこから、(5)が、変形によって派生される、と考えれば、なぜ、(5)では、‘there is likely ~’という、単語の並びが許されるのか、そして、一方、(8)は、なぜ、アウトなのか、一挙に説明されることになります。 (EG62、EG74、参照)

(9) a. It is kind of there to be a vending machine in the park. (×)
    (その公園は、自販機があるなんて、親切だね。)

   b. There is kind _ to be a vending machine in the park. (×) (訳同上)

今度は、「‘of’~ ‘to’不定詞」の構文に、‘there’構文を使って、‘of there to be a vending machine in the park’とした、(9a)から、(9b)への変形ですが、もともと、(9a)はアウトです。ですので、アウトである、(9a)から、‘there’を、‘is kind’の主語位置に移動した、(9b)もアウトになるだけのことです。ここからも、‘be kind’が、主語に対して、予め、意味的な制限を課していて、「ヒト」を指定しているから、という説明が、成り立つようです。

(10)It is kind of Tom. (〇) (トムは親切だね。)
(11)It is kind of there. (×) (‘there’は親切だね。)

今度は、(10)と(11)の比較ですが、(10)は、OKになります。これは、(2)から、副詞用法の‘to’不定詞、‘to help Mary’を消したものですが、それでも、OKになるのは、(10)が、意味的に独立し得る、と判断されるからで、ここから、どうやら、‘of ~’は、‘to’不定詞の主語も兼ねるが、それよりも、‘kind’にかかる表現としての特性の方が強い、と見てもよさそうです。

一方、(11)は、アウトですが、これは、もちろん、この文が、意味的に独立し得ないし、それに加えて、‘there’構文の‘there’は、必ず、どこかに、(本来的な) 述語としての表現がなければならない、典型的な、「主語」専用の表現だからですね。 ((3)と(5)がOKで、一方、(8)がアウトであることも、確認して下さい。)

今回のポイントは、(1)から(2)への変形パターンは、独自の特徴を備えている、ということを検証した、ということです。EG85でも、大雑把には確認していましたが、(1)のような構文があると、‘Tom’は、‘is kind’に対しての主語である、と同時に、後続する‘to’不定詞の主語でもある、という側面があります。

そこから、(2)を見ると、‘be kind’に付随している‘of ~’は、あたかも、「‘of’~‘to’不定詞」のカタチになった時点で、1つのカタマリのように感じられる印象があったわけですが、実は、それほど、強いカタマリではない、ということなんですね。

ここから、1つの結論として、「性質」を表している形容詞‘kind’に、くっついている‘of ~’は、文法的には、あくまでも、‘kind’の方にかかっている (依存している) 表現であり、そのボーナス的な効果として、偶然、後続する‘to’不定詞の主語の役割も兼ねている、という見方が有力です。‘to’不定詞が後続していない、(6)と(10)の例が、OKであることからも、この考えは、支持されると思います。

ですので、カタチが似ているからといって、‘seem’の構文 (今回は、その仲間となる述語、‘be likely’) と、同じようなものだ、と錯覚して、(2)から(1)への変形を、安易に想定してしまうと、(2)における、「‘of’~‘to’不定詞」のカタチが、1つのカタマリのように感じられて、日本語の側から表現しようとする際に、うっかり、(9a)のような英語をやってしまうことがあるので、要注意です。

●関連: EG42EG62EG74EG83EG85

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英語学習法(85)

2005年05月11日 | 主語
日本語の側から、英語を考えるとき、よくやる間違いです。以下、見ましょう。

(1)オレは、世界征服なんて簡単だよ。
(2)私は、世界征服なんて不可能ですよ。

(1)や(2)の日本語は、普通に、OKですが、じゃ、これらを英語では、どう表現するか、ということになるんですけど、まず、以下のように表現してしまうことが、多いみたいですね。

(3)I am easy to conquer the world. (×) (訳同(1))
(4)I am impossible to conquer the world. (×) (訳同(2))

何と、(3)や(4)は、アウトなんですが、じゃ、どうすればOKになるんだ、ということですね。そこで、この場合、「‘it’~ (for ・・・) ‘to’不定詞」のカタチをした構文で、対応させることなら、可能ということです。

(5)It is easy for me to conquer the world. (〇) (訳同(1))
(6)It is impossible for me to conquer the world. (〇) (訳同(2))

(5)と(6)は、OKになる、ということなんですが、(3)と(4)の主語である、‘I’「オレ」、(または、「私」)を、‘for me’として、‘to conquer the world’「世界を征服する」、の直前に、もっていったわけですね。‘I’が退いた主語位置には、かわりに、形式主語の、‘it’が入り込みます。 (EG84参照)

ここで思い出して欲しいのは、EG23で扱った、‘easy’構文ですが、そこで確認したのは、‘easy’構文は、‘to’不定詞内の「目的語」を、移動する構文である、ということです。そして、その目的語の移動先は、以下のように、‘be easy’や、‘be impossible’の主語位置です。

(7)The world is easy (for me) to conquer _ . (〇) (訳同(1))
(8)The world is impossible (for me) to conquer _ . (〇) (訳同(2))

(5)~(8)を見て、その全てが、OKになる、ということなんですが、一方、(3)と(4)はアウトなんですね。日本語である(1)と(2)の側からすれば、(3)と(4)こそ、OKになって欲しいところなんですが。つまり、英語の主語には、単純に、日本語の、「~ は」で、対応させることができないものがある、ということです。

(9)Tom is kind to help Mary. (メアリーを助けるなんて、トムは親切だね。)
(10)It is kind of Tom to help Mary. (訳同上)

今度は、(9)ですが、これは、‘Tom is kind’「トムは親切だ」に、その判断の根拠を表す、‘to help Mary’「メアリーを助けるとは」が、くっ付いているものです。‘kind’「親切な」、という形容詞は、もちろん、ヒトの性質を表現している、と言えます。ですので、その主語は、‘Tom’となっていて、OKになるわけですね。

しかし、一方で、英語では、(10)も、OKになるのです。これは、‘kind’の意味がもっている特性からは、予測不可能なカタチですので、よく、(9)から、(10)への書きかえはパターン化されて、覚えるようになっています。

ポイントは、あたかも、‘of ~’の部分が、「‘for’~ ‘to’不定詞」のカタチをとる構文における、‘for ~’と同じように、‘to’不定詞の主語の役割を果たしている、ということです。ですので、‘of Tom’が主語で、‘to help Mary’が、述語の役割を果たしている、と言ってもよいでしょう。

(11)For Tom to help Mary is impossible. (〇)
  (トムがメアリーを助けるなんて、不可能だよ。)
(12)Of Tom to help Mary is kind. (×) (訳同(9)).

しかし、今度は、(11)と(12)を比較すると、明らかに、その文法性に、差が出てしまいます。(11)は、基本的にOKですが、‘is impossible’を述語として、主語に、「‘for’~ ‘to’不定詞」のカタチがきています。しかし、一方で、(12)はアウトで、‘is kind’を述語として、主語に、「‘of’~ ‘to’不定詞」のカタチがきています。(ただし、(11)は、主語が、述語と比べて、情報量が多すぎるため、座りが悪い文である、との判断を受けます。 (EG84参照))

そこで、問題は、(12)が、なぜ、もともと、全くダメなのか、ということですが、これは、‘impossible’と‘kind’の意味的な特性の違いに帰する問題、としか言えないもので、本来的に、‘be impossible’は、「ヒト」が主語でなければならない、などという、意味的な制限はなく、「‘for’~ ‘to’不定詞」全体のカタチが、その主語になっても、基本は、OKです。

しかし、一方、‘be kind’の場合は、あくまで、‘of ~’で表現されるものが、その本来的な、もともとの主語であり、かつ、「ヒト」、という指定を受けています。つまり、「‘of’~ ‘to’不定詞」全体のカタチが、‘be kind’の主語になるわけではない、ということなのです。ですので、どのようなカタチになろうとも、この指定を無視したものは、アウトになります。

(13)a. It is easy to use yellow on the blackboard. (〇) (黄色は、黒板には使いやすいね。)
   b. Yellow is easy to use _ on the blackboard. (〇) (訳同上)

(14)a. It is kind of yellow to be used on the blackboard. (×)
    (黄色は、黒板に使われると、親切だね。)
   b. Yellow is kind _ to be used on the blackboard. (×) (訳同上)

主語に指定がない、ということに関してですが、例えば、(13a-b)にあるように、‘easy’構文では、ただ、‘to’不定詞内の目的語が、主語として、移動してくるという、決まりがあるだけです。ですので、たまたま、移動の対象である目的語が、ヒトであった場合、偶然、ヒトが、‘be easy’の主語位置に移動してくるだろうし、一方、モノが目的語なら、モノが主語位置に移動してくるだけのことなんです。

しかし、(14a-b)が、両方とも、アウトであることからも明らかなように、‘kind’は、主語として取れるものに、「ヒト」という、意味的な制限が、課されています。これを、詳しく述べると、(14a)が、まず最初にあって、(14b)が変形によって派生された、と考えることはできない、ということです。

日本語にしてみても、わかるように、「黄色は親切だ」とか、「そのイスは親切だ」、などと言っても、ナンセンスですからね。これとは逆に、例えば、OKである(9)と(10)を考えてみると、むしろ、(9)が基本であって、派生的に、(10)もまた、成り立つ、というような印象があります。そして、この印象は、正しいのです。

やはり、‘easy’構文とは違って、(9)や(10)は、あくまでも、述語である、‘be kind’に、予め、「ヒト」が主語になる、という指定がなされていて、場合によっては、その主語が、‘of ~’というカタチになり、‘be kind’の後方にまわった後、‘it’が挿入される、特殊なケースの構文である、と考えてよいでしょう。

今回のポイントは、「主語・述語」の関係では、あくまでも、予め、述語の側から要求する主語に、制限範囲の大小がある、ということです。同じ形容詞でも、‘easy’や‘impossible’に課されている制限と、‘kind’に課されている制限は、もともと、違っている、ということです。これは、一見、当たり前で、簡単なようでいても、日本語の「~ は」につられて、つい、うっかり、(3)や(4)のような間違いをやってしまいます。

一方で、日本語の感覚からは、(10)のような、構文の存在を見過ごしてしまいます。さらに、(10)の存在を知ったからといって、(12)のようなカタチにすることもできないし、(14a-b)のようなカタチにすることもできません。英語には、カタチが似ている構文が多いので、まぎらわしいのですが、その大半は、述語の特性を知ることで、可能な変形が制限されてきますので、今回、ひとまず、その一部を知った、ということで。

●関連: EG23EG84

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英語学習法(84)

2005年05月08日 | 主語
形式主語の‘it’と呼ばれるものを扱います。以下、見ましょう。

(1)John believes the story. (ジョンはその話を信じている。)

(2)John believes [ that Tom loves Mary ]. 
  (ジョンは、[ トムがメアリーを愛していると ] 信じている。)

(1)は、他動詞の‘believe’「~ を信じている」が、目的語の‘the story’「その話」を取っていますが、一方、(2)では、同じく、‘believe’が、‘that’節である、‘that Tom loves Mary’「トムがメアリーを愛している (と)」、を取っています。ここから、‘that Tom loves Mary’は、他動詞‘believe’の目的語としてはたらいている、ということになります。(EG41参照)

(3)The story is believed by John. (その話は、ジョンに信じられている。)

(4) [ That Tom loves Mary ] is believed by John.
  ([ トムがメアリーを愛していると ] ジョンに信じられている。)

能動文である(1)を、受身文にしてみると、当然、(3)になります。能動文から、受身文を生成する条件としては、まず、「目的語」が、主語になる、というカタチの上での制約がありました。(EG35参照) ですので、その約束に従って、同じく、(2)の目的語である、‘that Tom loves Mary’を、主語位置に移動させて、受身文(4)をつくってみたわけですね。

しかし、どうも、受身文(3)とは違って、受身文(4)は、あまり、座りがよくない感じがするそうです。別に、能動文から受身文をつくる際、そのルールを無視したわけではありません。ちゃんと、「目的語」として、認められている‘that’節を、主語位置に移動したわけですからね。そこで、とりあえず、こういった問題を回避するため、以下のようにするのが、通例となっています。

(5) It is believed by John [ that Tom loves Mary ]. (訳同(4))

(5)は、(4)よりも、はるかに座りがよい文なんだそうです。カタチとしては、‘it’を主語に立てた後、‘that’節には、後方にまわってもらう、ということですね。この‘it’は、通常の代名詞の‘it’とは、ちょっと性質が違うものです。

(5)の‘it’は、通常の代名詞‘it’とは違って、何を指すのかは、文脈から選ぶ、といったものではなく、必ず、本来、‘it’が相手にするべき表現が、‘that’節である、というように、予め決まっているという、約束があります。ですので、「‘it ~ that節’の構文」、などとパターン化されて、教わることになっています。

(6) [ That Tom loves Mary ] is predictable.
  ([ トムがメアリーを愛しているなんて ] すぐ予想ついちゃうね。)
(7) It is predictable [ that Tom loves Mary ]. (訳同上)

ところで、「‘it ~ that節’の構文」が、適用される条件は、何も、(4)のような、受身文に限ったことではありません。(6)のような、「‘be’動詞 (is)+形容詞 (predictable)」、の場合にも、(7)のように、適用は可能です。というよりも、どういったカタチが、「‘it ~ that節’の構文」に適用が可能かは、基本的には、あまり、受身文がどう、「‘be’動詞+形容詞」がどう、といった、単純に文法上の問題であるとは、言い切れません。

しかし、やはり、(4)より(5)の方が、座りがよい、と判断されるのと同様に、(6)よりも(7)の方が、座りがよい、といった、共通の判断があります。そこで、こういった問題は、むしろ、英語における、文のスタイル、つまり、文体的バランスの問題、と言ってもよいようなことが、原因であると考えられます。

例えば、(3)と(4)の主語を比較すると、その長さが、やはり、(4)の‘that’節の方が単語の数が多い分だけ、長いですね。そして、その表している内容に関しても、単語の数が多くなった分だけ、情報的な量が、どうしても多くなってしまいます。

そこで、そういった、主語は、述語と比較してみて、どうも重たい感じがするので、何とかして、主語を軽くしようとする意図がはたらくようなのです。つまり、「重いもの」は、後 (つまり、右側) にまわってもらい、その空いた位置には、「軽いもの」 (つまり、‘it’) を置く、といった発想なんですね。

ですので、この、「‘it ~ that節’の構文」は、一見、文法の問題のように見えるんだけれども、その発動のトリガーとなる原因は、実は、あくまでも、その伝達しようとする、「情報量」といった、どちらかと言えば、意味的な要因によるものだ、と言えるのです。ここが、実に、ややこしい問題なんです。

(8)It is impossible for Tom to deceive Mary. (〇)
  (トムがメアリーを騙すことは、不可能だよ。)
(9)To deceive Mary is impossible for Tom. (〇) (訳同上)

ちなみに、(8)のような文は、「‘it ~ (for A) ‘to’不定詞’の構文」、と呼ばれています。そして、この構文における、‘it’のはたらきも、「‘it ~ that節’の構文」の‘it’と、理屈は全く同じです。

そこで、(8)の‘it’は、‘to’不定詞の部分、‘to deceive Mary’「メアリーを騙すこと」、を受けています。そして、この不定詞表現を、主語位置に移動させて、(9)をつくってみます。 (もちろん、‘it’には、退場してもらいます。) そこでは、この移動そのものは、何の問題もなく、OKになりますので、「‘it ~ (for A)‘to’不定詞’の構文」は、‘it’が、不定詞だけを受けることもあるんですね。

(10)For Tom to deceive Mary is impossible. (訳同(8))

今度は、(8)から、‘for Tom to deceive Mary’を移動させました。 (もちろん、ここでも、‘it’には、退場してもらいます。) ‘for Tom to deceive Mary’の部分は、 ‘For Tom’が、主語で、‘to deceive Mary’が、その述語の役割をもっていますので、「‘for’ ~ ‘to’不定詞’」全体で、あたかも、1つの文であるかのような、意味的なまとまりを成している、と言えます。 (EG43参照)

そして、(10)は、一般的には、OKである、と判断されます。しかし、座りがよい文であるかどうかを判断させると、どうも、座りがよい、とは言えないらしいのです。そこで、(8)と(10)を比較してみると、(8)の方が、しっくりくる感じがする、つまり、座りがよい、と判断されます。

では、(9)はどうか、と問われると、それほど、座りが悪いとは思われない、と判断されます。このことから、主語の側に位置する情報量と、述語の側に位置する情報量とのバランスが、座りの「良い・悪い」を決定しているのではないか、と推測されます。

つまり、(8)は、主語が‘it’のみで、一方、述語は、‘is impossible for Tom to deceive Mary’と、圧倒的に、述語側に情報量があります。しかし、一方、(10)は、主語が、‘for Tom to deceive Mary’で、一方、述語が、‘is impossible’のみ、ということで、(8)とは、大きく異なり、圧倒的に、主語の側に情報量があります。

そこで、もちろん、(9)は、(8)と(10)の中間を占めており、主語の側が、‘to deceive Mary’で、一方、述語の側が、‘is impossible for Tom’となっているので、比較の問題上、当然、(8)よりは座りがよいとは言えないが、(10)に比べたら、全然マシである、と言えます。

今回のポイントは、学校でよく教わる、形式主語の‘it’と呼ばれるものの基本と、その機能です。カタチの上では、まさにその名の通り、形式的に主語を置いただけであり、実質的な主語は、後方にまわされた‘that’節や、‘to’不定詞である、ということに異論はないわけですが、その本質的な役割は、ただ単に、主語位置の交代と言うにとどまりません。

カタチの上での文法の問題とは別に、伝達される「情報」、と言った意味的な問題からも、本来、語られるべき構文なのです。そして、こういった、「情報」を処理する上での、コトバの問題の本質は、EC26と、EC27で述べた、「文法」の問題と、「知覚」の問題といった、2つの異なる要因の中では、後者である「知覚」の問題に属するものなのです。

そのような観点で述べる限り、今回扱った、「情報量」が及ぼす、文法上のカタチの変化は、まだまだ、言わなければならないことがありますので、これに関しては、ひとまず、別の機会ということに。

■注1 :「形式主語‘it’」は、「仮主語‘it’」、とも呼ばれています。ですので、後方にまわった、‘that’節や、‘to’不定詞は、これに対応する呼び方で、「真主語」などと、呼ばれます。

■注2 :(8)のような、「‘it ~ (for A) to不定詞’の構文」は、その‘to’不定詞が、いわば、「名詞(的)用法」です。ですので、本来、名詞表現がくる主語位置に、現れることが可能なんですね。

■注3 :(8)における、‘for Tom’は、「トムが」、という解釈と、「トムにとって」、という解釈の、両方がありますが、(9)では、「トムにとって」、という解釈しかなく、一方、(10)では、「トムが」、という解釈しかありません。これに関する議論は、EG43を参照して下さい。


●関連: EG35EG41EG43EC26EC27

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英語学習法(77)

2005年04月21日 | 主語
「一般人称」と呼ばれるものを扱います。以下、見ましょう。

(1)私たちはピクニックに行った。
(2)私たちは限りある資源を大切にしなくてはなりません。

(1)でも、(2)でも、「私たち」という表現が使われているんですけど、「私たち」って、一体、誰のことを言ってるんでしょうね。(1)でも、(2)でも、話者である「私」を含めた、複数の人たちであることは確かなんですけど、(1)の場合は、「私」の家族とか、友達とか、そういった特定の人たちなんでしょうね、きっと。

でも、(2)の場合はどうなんでしょうか。限りある資源を大切にしなくてはならないのは、特定の人数の「私たち」ってことなんでしょうか。例えば、「私」を含めた家族全員?「私」を含めた秋葉原の人たち?「私」を含めた栃木県の人たち?ちょっと違いますね。おそらく、(2)の「私たち」は、漠然とした不特定人数の「人」、というくらいの意味で使われているんですね。

というわけで、「私たち」には、狭い範囲の「私たち」もあれば、広い範囲の「私たち」もある、ということなんですが、決定的な違いは、(1)の「私たち」は、話者である、「私」を含む、2人以上のメンバーから成る特定人数のグループということです。しかし、一方、(2)の「私たち」は、特定人数のグループというわけではなく、人数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」、ということなので、グループという概念自体が意味をなさないものです。

(3)私たちはクルマに乗るときは、慎重にならなくてはなりません。
(4) a. なぜなら、普通の人たちよりも反射神経が鈍いからね。
   b. なぜなら、そんなことは、ドライバーにとって当然の義務だからです。
   c. なぜなら、この国の交通ルールは特に厳しいからです。

(3)の「私たち」は、それ自体、特定のグループを指す「私たち」なのか、それとも、「人」、の意味になる「私たち」なのか、解釈があいまいです。そこで、(4a)の文が(3)の後に続けば、例えば、運転のヘタクソな仲良しグループの「私たち」というケースがあり得ますので、特定のグループを表す「私たち」になります。一方、(4b)が(3)の後に続けば、「人」、という意味の「私たち」になりますね。

しかし、(4c)が(3)の後に続く場合は、少し厄介です。この場合の「私たち」は、「人」、の解釈でもよいとは言えるでしょうが、しかし、「この国でクルマに乗る人に限り」、というような、限定付きということになりますので、漠然とはしていても、一定のワクが付いている上での、「人」、になるんですね。このように、(2)や、(3)+(4b)、(3)+(4c)の解釈になるような、「私たち」を、「一般人称」と呼ぶことがあります。要するに、一般人称とは、誰とは特定できないような人々のことを漠然と表しているだけなのです。

(5)We must save our resources because they are not unlimited. (訳同(2))

英語にも、もちろん、一般人称というものはあります。(5)の‘we’だって、日本語(2)の「私たち」と全く同じで、「人」の意味で使われています。しかし、それどころか、英語は、この一般人称の表現方法が、日本語以上に豊かである、と言えるような側面があります。

(6)They say that she is a famous actress.
(7) a. 彼らは、彼女が有名な女優だと言っている。
   b. 人は、彼女が有名な女優だと言う。

(6)の英語は、実は、(7a)と(7b)のような、2通りの解釈がOKです。これらの違いは、(7a)が、「彼ら」という特定のグループを主語にしている解釈で、「あの連中は」とか、「3年B組の生徒は」とか、具体的に表せる人たちの場合で、圧倒的に優勢となる解釈ですが、場合によっては、(6)の‘they’を不特定多数の人々と解釈して、人が言うには、彼女は有名な女優だそうだ、くらいの意味にとってもOKとなります。

これは英語と日本語の大きく異なる点で、日本語は、「彼ら」という表現を、一般人称としては用いません。「彼らは ~ だ」という表現は、必ず、特定のグループを指していますから。ですので、日本語(7a)の「彼ら」を、人数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」の意味に解釈することは不可能です。ところで、‘they’は三人称ですが、二人称の‘you’も、一般人称として使われます。

(8)You should be careful when you drive a car.
(9) a. お前らはクルマの運転には注意せんといかん。
   b. クルマの運転には注意しなくては。

(8)の解釈としては、(‘you’が複数形であるという前提で) やはり、2通りがあり、(9a)ならば、話し相手 (聞き手) を含んだ特定のグループを指しますね。しかし、一方、(9b)ならば、話し相手 (聞き手) を含めて、人数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」という解釈になります。日本語の場合、やはり、「お前ら」、「あなたたち」、「キミら」など、どれをとっても、聞き手を含んだ特定のグループという解釈になりますので、日本語(9a)の「お前ら」を、聞き手を含めた「人」の意味に解釈することは不可能です。

(10)They speak French in this country.
(11) a. 彼らは、この国では、フランス語を話している。 (〇)
    b. 人は、この国では、フランス語を話している。 (〇)

(12)French is spoken by them in this country. 
(13) a. この国では、フランス語が彼らによって話されている。 (〇)
    b. この国では、フランス語が話されている。 (×)

能動文である(10)の‘they’は、やはり、特定グループの解釈(13a)と、人数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」の解釈(13b)の、2通りに解釈できますが、ここで面白いのは、能動文(10)の受身文である(12)は、‘them’が、特定グループの解釈(13a)しか許さない、ということです。では、なぜ、人数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」の解釈になる(13b)が、アウトなんでしょうか。

ここで、能動文の主語と、受身文の‘by ~’の文法上の特性について考えてみると、英語の主語は、よく言われているように、日本語の主語とは違って、ある一定の例外を除いて、省略が不可能である、ということです。しかし、一方で、受身文の‘by ~’は、表す必要がない、と思われる場合は、なくても構わないものです。そこで、以下を見ましょう。

(14)French is spoken in this country. (訳同(13b))

(14)は、(12)から、‘by them’を取り除いた文ですが、このカタチでは、(13b)の解釈がOKになります。ここから言えそうなのは、英語の場合、一般人称の‘we’、‘you’、‘they’は、文法的に消去が可能ならば、消去しなければならない、というルールがあるのではないか、ということです。

(15)It is said by them [ that she is a famous actress ] .
(16) a. [ 彼女は有名な女優だと ] 彼らに言われている。 (〇)
    b. [ 彼女は有名な女優だと ] 言われている。 (×)

(17)It is said [ that she is a famous actress ] . (訳同(16b))

能動文(6)からつくられた、受身文(15)では、やはり、‘them’が、特定グループの解釈(16a)しか許さず、人数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」の解釈になる(16b)が、アウトになります。しかし、(15)の‘by them’は、文法的に消去可能なので、(17)で、‘by them’を消去してみると、(16b)の解釈がOKになります。

(18)It is impossible for us to drink up the whiskey at one gulp.
(19)a. オレたちには、そのウイスキーを一気飲みなんて無理だ。 (〇)
   b. そのウイスキーを一気飲みなんて無理だ。 (×)

(20)It is impossible to drink up the whiskey at one gulp. (訳同(19b))

(20)の、「for A to 不定詞」のカタチでは、その不定詞の主語に、‘us’(=A)が使われていますが、(19a)のように、特定グループの解釈をOKにすることができます。しかし、一方で、数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」の解釈になる(19b)はアウトです。この場合も、(20)のように、‘for us’を消去してやれば、(19b)の解釈がOKになります。 (EG43参照)

以上、受身文の‘by ~’や、「for A to 不定詞」のカタチでは英語の場合、一般人称の‘we’、‘you’、‘they’は、文法的に消去が可能ならば、消去しなければならない、というルールがあるのではないか、ということを支持する証拠を上げたわけですが、しかし、以下の例は、ちょっとした反例になるようです。

(21) Saving limited resources is very important for us.
(22)a. 限りある資源を節約することは、私たちにとって大事なことです。 (〇)
   b. 限りある資源を節約することは、大事なことです。 (〇)

(21)の‘for us’は、(22a)のように、特定グループの解釈がOKであり、そして、(22b)のように、数も漠然とした、誰ともハッキリしないメンバーから成る「人」の解釈もOKです。そこで、少し考え直して、受身文である、(12)や(15)の‘by them’は、もともとは、能動文の主語であったことに着目してみたいと思います。すると、(20)で消去されている、‘for us to drink ~’のカタチの‘for us’も、その不定詞の主語である、という共通点があります。そこで、以下のようなルールにするのがよい、ということになります。

(23)主語である一般人称は、その主語位置が、文法的に消去可能ならば、
   消去しなければならない。(変形によって派生された一般人称が、
   もとの文では主語である場合を含む)

今回のポイントは、一般人称と呼ばれる、‘we’、‘you’、‘they’ですが、一般に、あまり詳しく扱われることがない点を見てみました。そして、英語の一般人称は、日本語の一般人称と比べて、種類が多いので、解釈の仕方で、ちょっとカン違いしやすい場合がある、ということです。

一般人称が、受身文の‘by ~’には使えない、といったことは、断片的には、学校の英文法などでも教わるのですが、ハッキリとしたルールに基づいて教わる、ということはないようなので、この機会に、(23)のルールをマスターしておいて下さい。

● 関連: EG43

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