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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(98)

2005年08月28日 | 動詞
EG93、EG94、EG97の続きです。以下、見ましょう。

(1) I believed Mary to respect Tom. (メアリーはトムを尊敬している、と信じていた。)

(2) I wanted Mary to respect Tom. (メアリーにトムを尊敬して欲しいと思った。)

(3) I persuaded Mary to respect Tom.  (メアリーにトムを尊敬するよう説得した。)

(1)~(3)まで、全て、「動詞+目的語+‘to’不定詞」のカタチです。(1)の‘believe’も、(2)の‘want’も、(3)の‘persuade’も、共通点は、「目的語+‘to’不定詞」の部分に、解釈上、‘Mary respects Tom.’「メアリーはトムを尊敬する。」、という、「主語・述語」の関係が成り立っている、ということです。

(4)Mary respects Tom. (メアリーは、トムを尊敬している。)
(5)Tom is respected by Mary. (トムは、メアリーから尊敬されている。)

ところで、(4)は、能動文であり、(5)のような受身文に書きかえることができます。ここで注意して欲しいのは、能動文(4)から、受身文(5)への書きかえにおいては、(4)では、‘Mary’が主語であり、一方、‘~ respects Tom’が述語です。しかし、(5)では、‘Tom’が主語であり、一方、‘~ is respected by Mary’が述語です。つまり、能動文から受身文への書きかえは、カタチの上での、「主語・述語」の変化、と言ってもよいでしょう。

そこで、EG97では、(1)~(3)の構文のうち、(1)の‘believe’と、(3)の‘persuade’は、共通した同タイプの動詞として、一括りにできそうだ、という根拠を示したわけですが、しかし、それにも関わらず、とりあえず、その結論は保留しました。それは、何故なんでしょうか。以下を見ましょう。

(6)I believed Tom to be respected by Mary.
  (トムはメアリーから尊敬されている、と信じていた。)

(7)I wanted Tom to be respected by Mary.
  (トムにはメアリーから尊敬されて欲しい、と思った。)

(8)I persuaded Tom to be respected by Mary.
  (トムを、メアリーから尊敬されるようにと説得した。)

(6)~(8)では、「目的語+‘to’不定詞」の部分に、受身文(5)の「主語・述語」の関係を、そのまま組み込んで表現してみました。そこで問題となるのは、(6)~(8)は、(1)~(3)と比較してみて、文全体の意味に何らかの変化が表れているかどうかです。

(6)は、(1)と比べて、特に、意味的な変化は感じられません。つまり、表現の仕方が、ただ単に変化しているだけで、大雑把には、(1)の全体的な意味は、(6)の全体的な意味に、ほぼ等しく、(1)=(6)の解釈になる、と言っても、差し支えないと思います。そして、(7)も同様で、(2)と比べて、表現の仕方が、ただ単に変化しているだけで、お互いの全体的な意味に違いはなく、大雑把には、(2)=(7)の解釈になる、と言っても、やはり、差し支えないと思います。

そこで、最後に、じゃ、(3)=(8)は成り立つか、ということになりますが、これは不可能でしょう。つまり、(3)と(8)は、そもそも、根本的に意味が違うということです。(3)では、説得する相手が、‘Mary’だったのですが、一方、(8)では、説得する相手が‘Tom’になっています。

つまり、‘persuade’という動詞の場合、説得の対象となる人物が、必ず、その目的語の位置 (つまり、‘to’不定詞にとっては、解釈上の主語位置) にくるという、意味的な制限があり、だから、目的語の位置にくるものが違うと、それがそのまま、文全体の意味に影響を与え、伝達内容の違いとなって表れるわけですね。

このようなことは、‘believe’や‘want’のような動詞には、見られない特徴で、‘believe’も、‘want’も、共に、「目的語+‘to’不定詞」全体 (つまり、解釈上の「主語・述語」の関係全体) を、ひとまとめにした、1つの意味単位、すなわち、意味解釈ユニットとして、直接的に捉えています。

ここから、‘persuade’のような動詞は、‘believe’や‘want’のような動詞とは、決定的に違った性質をもつ動詞であることは明らかです。そして、その一方で、‘believe’や‘want’のような動詞には、「目的語+‘to’不定詞」全体を、直接的に、1つのまとまった解釈ユニットとして捉えるという、共通点があるので、この観点からは、分類上、‘persuade’のような動詞とは違って、‘believe’と‘want’のような動詞は、共に仲間である、ということになってしまいます。

(9)I believed there to be a girl in the basement. (〇)
  (その地下室には少女がいると信じていた。)

(10)I wanted there to be a girl in the basement. (〇)
  (その地下室に少女がいて欲しいと思った。)

(11)I persuaded there to be a girl in the basement. (×)
  (その地下室に少女がいるとるようにと説得した。)

(9)~(11)では、それぞれ、‘there’構文の主語である、‘there’を目的語の位置に置いてみましたが、(9)の‘believe’や、(10)の‘want’は、‘there’の出現が許され、OKになります。しかし、その一方で、(11)の‘persuade’は、‘there’の出現が許されず、アウトになります。 (‘there’構文の特徴については、EG31、EG74、参照)

これは、もちろん、‘persuade’という動詞は、直接的に、「目的語+‘to’不定詞」全体を、ひとまとめにして、解釈ユニットと見なすのではなく、むしろ、直に、目的語に対して、「説得の対象」を指定する動詞だからです。だからこそ、‘persuade’は、目的語に‘there’がくると、その要求を満たさない単語なので、排除してしまうわけですね。

これを言いかえれば、‘persuade’に関しては、「目的語+‘to’不定詞」の間には、解釈上、「主語・述語」の関係があるとは言っても、まず最初に、制限された目的語を指定してから、後付けで、その支えとなる述語 (‘to’不定詞) をつなげることで、最終的に、「目的語+‘to’不定詞」の間に、「主語・述語」の関係が成立する、というプロセスを経ることになります。

では、そろそろ、この一連の議論を、まとめたいと思います。EG94では、‘believe’と‘want’の比較に始まり、まず、‘believe’を、何の変哲もない動詞であるかのような立場に立たせ、むしろ、‘for’を隠しもつ‘want’がクセ者であるかのような印象を与えました。そして、さらに、EG97では、‘believe’と‘want’の比較に、‘persuade’を参入させることで、あたかも、‘persuade’は、‘believe’の仲間であるかのような印象を与え、‘want’の特異性を、さらに際立たせました。

しかし、今回、新たな検証を行うことで、実は、‘persuade’にだって、それなりに際立った特徴があり、‘believe’とは、必ずしも仲間である、とは言い切れない部分があることが判明しました。そして、その検証のプロセスにおけるボーナス的効果として、今度は、‘believe’と‘want’にだって、共通点はあるのだ、ということも判明しました。

今回のポイントは、「動詞+目的語+‘to’不定詞」のカタチをもつ構文を、3タイプの動詞を使って、比較することで、それぞれの共通点と相違点が、少しずつ異なっていることが判明した、ということです。ある側面にスポットを当てると、‘believe’と‘persuade’は同タイプと言えるが、一方、違った側面にスポットを当てると、今度は、‘believe’と‘want’が同タイプと言えるようなこともあるんですね。

しかし、皆さんも、もう、お気づきのように、残された問題があります。つまり、‘believe’を仲間ハズレにするような、‘persuade’と‘want’の共通点は、特に発見されなかった、ということです。これを言いかえれば、‘believe’は、‘persuade’と‘want’の、それぞれがもつ特徴を、部分的に受け継いだ、「合いの子」のような存在である、ということです。

こうなってくると、最初は、何の変哲もない動詞としての印象が強かった‘believe’が、今度は、一変して、何らかの特異性を持つ動詞ではないか、という疑いに転じることになりますが、しかし、とりあえず、実用英語の範囲内では、「動詞+目的語+‘to’不定詞」の構文における、全体像の本来的な理解は、ここまででも、既に必要にして、かつ、十分なレベルに達しています。

今回の一連の議論に関する理解を主軸として、今後、(‘believe’タイプを含めて) 様々な変種的構文も扱っていきますが、今回のテーマは、欠かすことのできない本質の最重要ランクに位置しますので、手抜かりなく、ものにしておきましょう。

●関連: EG31EG74EG93EG94EG97

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英語学習法(97)

2005年08月26日 | 動詞
EG93、EG94の続きです。EG94では、「動詞+目的語+‘to’不定詞」のカタチを取る構文に対して、同じ条件でテストをした結果、動詞によっては、違いが見られる、ということでした。以下、見ましょう。

(1)John believed Mary to be in the basement.
  (ジョンは、メアリーが地下室にいると信じていた。)

(2)John persuaded Mary to be in the basement.
  (ジョンは、メアリーに地下室にいるよう説得した。)

(1)と(2)は、共に、「動詞+目的語+‘to’不定詞」のカタチです。(1)の‘believe’も、(2)の‘persuade’も、共通点は、「目的語+‘to’不定詞」の部分に、解釈上、‘Mary is in the basement.’「メアリーが地下室にいる」、という、「主語・述語」の関係が成り立っている、ということです。

(3)Mary was believed _ to be in the basement. (〇)
  (メアリーは、地下室にいると信じられていた。)

(4)Mary was persuaded _ to be in the basement. (〇)
  (メアリーは、地下室にいるよう説得された。)

そこで、(1)から(3)、(2)から(4)、というように、それぞれ、‘Mary’を主語位置に移動させて、受身文をつくってみましたが、共に、何の問題もなく、OKになります。(3)の‘believe’の受身文に関しては、既に、OKであることは、わかっていますね。 (EG94、参照) では、次にいきましょう。

(5)John believed himself to be in the basement. (〇)
  (ジョンは、自分が地下室にいると信じていた。)

(6)John persuaded himself to be in the basement. (〇)
  (ジョンは、地下室にいるよう自分で自分を説得した。)

今度は、(5)と(6)ですが、やはり、共にOKです。(5)も(6)も、目的語の部分に、再帰代名詞を置いてみたわけですが、共に、何の問題もなくOKですので、両者には、特に差は感じられませんね。続けて、以下も見ましょう。

(7)John believed strongly for Mary to be in the basement. (×) 
  (ジョンは、メアリーが地下室にいると、強く信じていた。)

(8)John persuaded strongly for Mary to be in the basement. (×) 
  (ジョンは、メアリーに地下室にいるよう、強く説得した。)

(7)と(8)の場合は、共にアウトになりました。どちらも、副詞‘strongly’を割り込ませて、‘for’を‘Mary’の前に置いてみたのですが、やはり、アウトということですね。この‘for’に関してですが、今度は、以下のような、違ったやり方で、見てみたいと思います。

(9)What John believed is for Mary to be in the basement. (×)
  (ジョンが信じていたのは、メアリーが地下室にいる、ということだ。)

(10)What John persuaded is for Mary to be in the basement.  (×)
  (ジョンが説得したのは、メアリーに地下室にいるように、ということだ。)

(9)と(10)の場合も、共にアウトです。(9)と(10)は、主語に関係節‘what ~’を使ってみましたが、‘be’動詞の‘is ~’から、後半の表現を、どちらも、‘for Mary to be in the basement’、として、目的語の前に、‘for’を置いてみました。やはり、両方ともアウトですから、特に差は感じられませんね。 (‘what’を使った関係節については、EG53、参照)

(11)John wanted Mary to be in the basement.
  (ジョンは、メアリーに地下室にいて欲しいと思っていた。)

(12)Mary was wanted _ to be in the basement. (×)
  (メアリーは、地下室にいて欲しいと思われていた。)

(13)John wanted himeself to be in the basement. (×)
  (ジョンは、自分が地下室にいたいと思っていた。)

(14)John wanted very much for Mary to be in the basement. (〇) 
  (ジョンは、とても、メアリーに地下室にいて欲しがった。)

(15)What John wanted is for Mary to be in the basement. (〇)
  (ジョンが望んでいたのは、メアリーが地下室にいる、ということだ。)

ここで、思い出して欲しいのですが、EG94では、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」のタイプは、実は、「‘want’+‘for’+目的語+‘to’不定詞」のカタチがもとになっていて、普段は、(11)のように、表面上、‘for’を隠しているが、(14)や(15)のように、‘want’と目的語が隣りあわないように、お互いを遠ざけると、‘for’が、ヒョッコリ顔を出す、ということを確認しました。

そして、さらに、その‘for’を取る、という性質が原因となって、(12)の受身文や、(13)の再帰代名詞 が、アウトになるのではないか、ということを、想定したわけですね。

ですので、今回、新たに確認した、「‘persuade’+目的語+‘to’不定詞」の場合は、「‘believe’+目的語+‘to’不定詞」と、文法的に、同じ振る舞い方をする、つまり、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」とは、逆の振る舞い方をするということなので、‘want’タイプの仲間ではなく、‘believe’タイプの仲間である、ということになります。

具体的に、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」との相違点は、「‘believe’+目的語+‘to’不定詞」と、「‘persuade’+目的語+‘to’不定詞」は、共に、受身文の変形が可能で、再帰代名詞の出現も許すが、その一方で、動詞と目的語を切り離して遠ざけても、‘for’が現れない、という共通点があります。

そこで、こういった分類の背後にある考えは、‘want’タイプが、‘for’を隠しもつ、という性質に起因するもので、この点、‘believe’や‘persuade’が、同じタイプである、という結論には、説得力があります。つまり、‘believe’も、‘persuade’も、同様に、‘for’を取らない (‘for’を隠しもつことがない)、だから、受身文にすることや、再帰代名詞の出現が、可能なのだ、という説明を裏付けることになります。

今回のポイントは、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」は、特殊な構文である、ということを、新たに、他の動詞を加えて比較してみることで、その確からしさを検証してみた、ということです。そこで得られた結論は、やはり、‘want’のような、本来的に、‘for’を取る (隠しもつ) タイプの動詞は、それが原因で、受身文への変形や、再帰代名詞の出現を許さない、といった説明が成り立つ、ということです。

その一方で、‘believe’や‘persuade’のような、本来的に‘for’を取らない動詞は、ごく普通に、受身文への変形や、再帰代名詞の出現を許す、といった、特に変則性のない、一般的な文法的振る舞いをする、ということですので、同じタイプの動詞として、一括りにできそうだ、ということです。

が、しかし、今さらですが、果たして、このような結論で終わってしまってもよいのでしょうか。まだ他に検証すべきことは残っていないのでしょうか。もう少し、結論は先にまわしてもよいような気がしますので、次回、またこのテーマを、掘り下げて、扱ってみたいと思います。

●関連: EG53EG93EG94

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英語学習法(94)

2005年08月11日 | 動詞
EG93の続きです。以下、見ましょう。

(1)John believes Mary to be honest. (ジョンは、メアリーを正直者だと信じている。)

(1)のように、‘believe’「~ 信じている」、のような動詞が使われている場合、「目的語+‘to’不定詞」の間に、「主語・述語」の関係がある、ということを、EG93で述べました。こういったカタチは、よく目にするので、個々の動詞ごとに、「動詞+目的語+‘to’不定詞」 (‘to’不定詞は、目的語を、解釈上の主語として取る) のカタチで使えるかどうかを、チェックして覚えてしまうのが、手っ取り早いんですが、今回、その注意点です。

(2)John wants Mary to be honest. (ジョンは、メアリーに正直であって欲しいと思っている。)

(2)のような、「‘want’+A+‘to’不定詞 (A に ~ して欲しい)」も、同様に、「A (目的語)+‘to’不定詞」の間に、「主語・述語」の関係があるので、この点、(2)は、(1)の仲間として扱ってもよく、そして、そう考えているヒトも、多いと思います。ただし、以下のような違いもあります。

(3)John believes himself to be honest. (〇)
  (ジョンは、自分を正直者だと信じている。)

(4)John wants himeself to be honest. (×)
  (ジョンは、自分が正直者でありたいと思っている。)

(3)と(4)は、それぞれ、再帰代名詞‘himeself’を、目的語に置いてみたのですが、(3)はOKで、一方、(4)はアウトです。そして、そういった文法性の可否が、逆になるケースもあります。以下を見ましょう。

(5)John believes to be honest. (×) (ジョンは、正直者だと信じている。)
(6)John wants to be honest. (〇) (ジョンは、正直者でありたいと思っている。)

(3)から、‘himself’を消去した(5)は、アウトになりますが、一方、(4)から、‘himself’を消去した(6)は、OKになります。つまり、(1)~(6)を、トータルで考えて、‘believe’は、どんな場合でも、目的語なしに、直接、‘to’不定詞をしたがえることができない動詞で、一方、‘want’は、主語と目的語が、イコール (=) の解釈になるときのみ、目的語が、消去されなければならない動詞、ということになります。

(7)Mary is believed _ to be honest. (〇)
  (メアリーは、正直者だと信じられている。)

(8)Mary is wanted _ to be honest. (×)
  (メアリーは、正直者であって欲しいと思われている。)

今度は、受身文ですが、(1)と(2)の目的語‘Mary’を、それぞれ、主語位置に移動させてみました。そこで、能動文(1)から(7)への受身文は、OKで、一方、能動文(2)から(8)への受身文は、アウトです。

ここから、「‘believe’+目的語+‘to’不定詞」の目的語は、勝手に消えたりせず、受身文の主語にもなれるので、比較的、素直な特性をもっている、と言えますが、一方、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」の目的語は、消去しなければならない場合もあるし、受身文の主語にもなれないので、変則的である、と言えます。さらに、以下を見ましょう。

(9)John believes strongly for Mary to be honest. (×) 
  (ジョンは、メアリーを正直者だと、強く信じている。)

(10)John wants very much for Mary to be honest. (〇) 
  (ジョンは、とても、メアリーに正直であって欲しがっている。)

(9)は、(1)に、副詞‘strongly’を割り込ませて、‘for’を‘Mary’の前に置いてみたのですが、これは当然、アウトです。しかし、一方、(10)では、(2)に、副詞句‘very much’を割り込ませて、‘for’を‘Mary’の前に置いてみたのですが、何と、OKになりました。つまり、何らかの語句が、‘want’と目的語の間に割り込むと、‘for’が出現する、ということなんです。これは、ちょっと、意外な結果ですね。さらに、以下を見ましょう。

(11)What John believes is for Mary to be honest. (×)
  (ジョンが信じているのは、メアリーが正直者である、ということだ。)

(12)What John wants is for Mary to be honest. (〇)
  (ジョンが望んでいるのは、メアリーが正直者である、ということだ。)

今度は、(11)と(12)、共に、主語に関係節‘what ~’を使ってみましたが、‘be’動詞の‘is ~’から、後半の表現を、どちらも、‘for Mary to be honest’「メアリーが正直者である」、としてみました。そして、ここでも、‘believe’を使った(11)は、アウトで、一方、‘want’を使った(12)は、OKになります。 (‘what’を使った関係節については、EG53、参照)

ここで、学校で習う英文法では、誰でも、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」のカタチを習うので、(10)のように、いきなり‘for’が現れると、何かの間違いではないか、と思ってしまうわけですが、(12)を見ても、やはり、‘for’が現れて、OKになっています。

どうやら、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」のカタチは、こういったカタチで、圧倒的によく使うので、教える際には、そういうものだと、暗記させるようになっている、ということらしいですね。だから、(10)や(12)のように、‘want’を使った構文で、‘for’が現れるのは、意外に感じられるんですが、実は、‘want’の構文は、後に続く目的語が、‘want’から切り離されると、‘for’が出現するんです。

と言うよりも、むしろ、考え方としては、「‘want’+‘for’+目的語+‘to’不定詞」のカタチが、もともとのカタチであって、ただし、条件として、‘want’と‘for’が、隣り合ったままの場合、消去しなければならない、ということになっているらしいんですね。ですので、‘want’と‘for’が、隣り合ったままではない、というのなら、そのまま、‘for’は生かされる、ということなんです。

そこで、こういった特徴を利用して、例えば、潜在的に‘for’を隠しもっている構文の場合、それが、(4)のような再帰代名詞や、(8)のような受身文を、アウトにする原因である、と考えることも可能ではないか、と思われます。つまり、本来的なカタチが、「動詞+目的語+‘to’不定詞」の構文のみ、その目的語が、再帰代名詞の場合、主語と、イコール (=) の関係で結ばれることに、特に障害とはならず、また、受身文の主語として移動することもできる、としてもよいかと思います。

今回のポイントは、「目的語+‘to’不定詞」のカタチを後にともなう、という共通点をもった、‘believe’と‘want’の違いを調べてみたのですが、「‘believe’+目的語+‘to’不定詞」は、別に、特別、変わった様子はありませんでした。しかし、一方、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」は、潜在的に、‘for’を隠しもっていることが原因で、随分と変則的な振る舞い方をする、ということが、明らかになりました。

確かに、「‘want’+‘for’+目的語+‘to’不定詞」のカタチが、もとにある、と言ったところで、実際は、‘for’なしで、「‘want’+目的語+‘to’不定詞」のカタチで使うことが、圧倒的に多いわけですから、‘believe’も‘want’も、同じで、「目的語+‘to’不定詞」のカタチの構文で使われる、と言ってしまいたくなるのは、わかるんですが、「英語脳」的には、やはり、少ない労力で、豊かな表現力を身に付けたいところなので、本当は、何が中核になっているのかを知る、ということが、どうしても必須になってきます。

今回のような、「動詞+目的語+‘to’不定詞」のタイプは、まだ言うべきことがありますが、とりあえず、また、別の機会です。

■注1 : ‘want’は、単独で使われる場合、‘You are wanted on the phone.’「電話が来てるよ。」、や、‘Wanted’「おたずね者」という、一種の、「決まり文句」、でなら、受身文は、OKとされますが、いずれにせよ、「決まり文句」、であり、あまり、生産的な受身文ではありません。

■注2 :略式で使われる場合、特に、‘want’と‘for’が、隣り合っている場合でも、必ずしも、‘for’が消去されなければならない、ということはありません。ちなみに、今回の、「動詞+‘for’+目的語+‘to’不定詞」という、‘want’タイプの動詞は、‘like’「好む」、‘prefer’「より好む」、‘hate’「嫌う」、といった、「感情」に関わる動詞、という共通点があります。


●関連: EG53EG93

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英語学習法(93)

2005年08月09日 | 動詞
今回、英語の基本構文の1つです。以下、見ましょう。

(1)John believes Mary. (ジョンは、メアリーを信じている。)
(2)John believes Mary to be rich. (ジョンは、メアリーを金持ちだと信じている。)

(1)は、‘believe’「~ を信じている」、という動詞が、目的語‘Mary’「メアリー」を取っています。そこで、(1)を、もっと具体的に言いたい場合、つまり、メアリーに関して、どんなことを信じているのか、を表現しようとすることもできます。それが、(2)です。

(2)は、見た目、‘to’不定詞‘to be rich’「金持ちだ」を、‘Mary’の後に続けているだけですから、簡単ですね。ですので、「‘believe’+A+‘to’不定詞」のカタチで、「A を ~ だと信じている」と覚えてしまっても構いません。ところで、(2)は、類似表現として、以下のようなものがありますね。

(3)John believes [ that Mary is rich ]. (訳同(2))

(3)は、‘believe’の目的語として、‘that’節を置いたカタチです。解釈としては、(2)も(3)も、似たようなものですから、学校の英文法では、よく、(2)と(3)の書きかえを習ったりします。 (‘that’節が目的語であることについては、EG41、参照。)

ここで、(2)の‘Mary to be rich’の部分は、(3)の‘that Mary is rich’と、ほぼ同じ意味で対応しているのがわかります。ですので、(2)の、‘Mary to be rich’の部分は、「主語・述語」の関係が成立している、ということになります。しかし、学校の英文法で、よく習うように、文法的に考えるならば、(2)は、‘Mary’のみが、目的語であり、一方、(3)は、‘that Mary is rich’全体が、1つの目的語と考えられています。

(4)John believes her to be rich. (ジョンは、彼女を金持ちだと信じている。)

(4)は、(2)の‘Mary’を、代名詞に置きかえてみましたが、そのカタチは、「目的格」‘her’となって現れます。このことから、目的語となるのは、「‘believe’+A+‘to’不定詞」の、A の部分だけであり、‘to’不定詞の部分は、目的語の一部とは見なされません。

これは、(3)の‘that’節全体が、目的語と見なされるのとは、大きな違いです。ですので、(2)の‘to’不定詞の部分は、文法的に、かなり特殊なステイタスをもっているのではないか、と思われます。ちなみに、以下のような文との比較では、明らかに、その違いがわかります。

(5)John deceived Mary to be rich. (ジョンは、金持ちになるために、メアリーをだました。)

(2)も(5)も、カタチは、「動詞+目的語+‘to’不定詞」と、違いがありません。しかし、両者の大きな違いは、(2)では成立していた、「目的語+‘to’不定詞」の、「主語・述語」の関係が、(5)では成立せず、むしろ、‘to be rich’の主語として解釈されるのは、‘Mary’ではなく、‘John’の方である、ということです。

つまり、(2)の‘to’不定詞は、目的語 (の一部) とはならないからと言って、即座に、(5)の‘to’不定詞ような、いわゆる、「副詞的用法」の不定詞と同じである、とは言い切れない部分がある、ということですね。 (不定詞の副詞的用法については、EG42、参照) さらに、以下を見ましょう。

(6)John believes Mary to be rich and Tom does so、too. (〇) 
  (ジョンは、メアリーを金持ちだと信じているし、トムだって、そう信じている。)

(7)John deceived Mary to be rich and Tom did so、too. (〇)
  (ジョンは、金持ちになるために、メアリーをだまし、トムも、そうした。)

(6)と(7)は、どちらも、OKの文ですが、それぞれ、後半の文を、‘do so’「そうする」によって、代用させたものです。(6)では、‘does so’が、‘believes Mary to be rich’の置きかえとして、使われています。一方、(7)では、‘did so’が、‘deceived Mary to be rich’の置きかえとして、使われています。

(8)John believes Mary to be rich but Tom does so to be poor. (×) 
  (ジョンは、メアリーを金持ちだと信じているが、トムは、貧乏だと信じている。)

(9)John deceived Mary to be rich but Tom did so to be president. (〇)
  (ジョンは、金持ちになるために、メアリーをだましたが、トムは、社長になるためにそうした。)

今度は、(8)と(9)ですが、注目すべきコントラストが表れています。(8)はアウトで、一方、(9)がOKです。(8)では、‘does so’が、‘believes Mary’のみの置きかえとして使われています。一方、(9)では、‘did so’が、‘deceived Mary’のみの置きかえとして使われています。

ここで、思い出してほしいのは、‘do so’が、かなり明確に、「前提」の概念にしたがう、特殊な代用表現である、ということです。(6)と(8)から明らかなことは、‘do so’は、「‘believe’+目的語+‘to’不定詞」のカタチ全体を、スッポリと、カバーしていなくてはならない、ということですから、‘believe’は、「目的語+‘to’不定詞」を、セットとして前提にしていることになります。 (‘do so’のもつ、特殊な性質については、EG81、EG82、参照)

つまり、‘believe’のような動詞は、(1)のように、目的語のみを、前提としている用法もあるし、一方、(2)のように、「目的語+‘to’不定詞」を、前提としている用法もある、ということですね。そういったことを認めるならば、確かに、‘believe’の後に続く、「目的語+‘to’不定詞」のカタチは、意味としては、(3)の‘that’節と、ほぼ同じ意味をもっているわけですから、動詞の要求する意味的な補完材料として、必須のものと言えるでしょう。

今回のポイントは、動詞が意味的に要求する (前提とする) 表現が、「目的語+‘to’不定詞」のカタチとなって表れ、かつ、そのカタチが、そのまま、「主語・述語」の関係を保っている場合がある、ということです。目的語になれない、ということが、動詞が意味的に要求していない (前提としていない) ということを、意味するわけではなく、そういった問題は、それぞれ、別個の問題である、ということが、また明らかになったと思います。

初歩的な手段としては、とりあえず、こういったカタチを要求する動詞があるんだな、と思って、そのまま覚えてしまうのが、手っ取り早いし、実用的ではあるのですが、実は、この種のカタチをもつ構文は、何かと、物議をかもし出す側面があり、また、それが興味深い発見につながっていく、という意味で、じっくりと見ていく価値はあると思いますので、また、次回にでも、続きをやりたいと思います。

■注 :今回、扱かった、「‘believe’+目的語+‘to’不定詞」、のカタチは、学校で習う英文法では、基本文型、‘S+V+O+C’、として扱われます。このタイプの文型は、‘O’と‘C’の間に、「主語・述語」の関係、または、イコール (=) の関係がある、という特徴があります。この場合、カタチとして、‘to’不定詞も、‘C’の部分に、1パーツとして、流用される、と知っておけばよいだけです。こういった特徴から、考えてみても、‘to’不定詞の、3つの用法、つまり、名詞的用法、副詞的用法、形容詞的用法のうち、どれに該当するかは、あまり考えても、意味はありません。

●関連 :EG41EG42EG81EG82

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英語学習法(80)

2005年04月29日 | 動詞
EG79の続きです。動作動詞です。以下、見ましょう。

(1)サイフを見つけた。 (〇)
(2)今、サイフを見つけている。 (×)

今回は、「見つける」、という動詞ですが、(1)の過去形は、OKですが、(2)の進行形は、アウトです。EG79で確認したように、進行形である、「今、地面を掘っている」や、「今、イスをつくっている」は、OKであったことから、「見つける」は、どうやら、「掘る」や、「つくる」とは違って、別の種類の動作動詞として、分類分けされる動詞ではないのだろうか、という見方ができると思います。

(3)サイフを、3時間、見つけている。 (×)
(4)サイフを見つけるのに3時間かかった。 (〇)

(3)は、進行形、「見つけている」が、「3時間」、をともなって、アウトになっていますが、これは、「見つける」が、ある程度の時間の長さを、表現し得る行為とは、認識されないことを示しています。しかし、一方、(4)は、OKです。つまり、EG79で確認したように、「3時間かかる」、という表現に適合するということは、「見つける」、という動詞は、何らかの「変化」は、含意している、と言えますね。

つまり、サイフがどこにあるのかわからない、という状態が、ずっと続いていたのに、あるとき、その場所を発見した、ということで、サイフがない、という状態から、今はサイフがある、という、「変化」が起こったわけです。ですので、この点に関しては、「見つける」、という動詞は、EG79の、「つくる」や、完成したものを目的語に取っている場合の、「掘る」と、同じ性質をもっている、と言えます。

しかし、一方で、(3)が、アウトであることを考えると、「見つける」、という動詞は、その動作の、「開始から終結」を、段階的に表現することが、不可能な表現であり、言わば、その行為自体が、瞬間的である、ということのようです。EG79で見た、「つくる」は、「今、イスをつくっている」、という表現にして、イスが未完成状態であっても、OKでしたので、「つくる」、という行為の、「開始から終結」までを、ある段階にスポットを当てて表現することが可能です。

しかし、「サイフを見つける」、という行為には、そのプロセスとして、中途の段階という概念は、存在しません。そこで、動作の概念のタイプ分けには、①・「変化」を含意しない動作、②・「変化」と、それが起こるまでのプロセスを含意する動作、に加えて、③・「変化」のみを含意する動作、があるのがわかります。

(5)泳ぐ、歩く、走る、動く、運転する、(文を)書く、その他
(6)つくる、建てる、描く、(本を)書く、(スープを)煮る、その他
(7)見つける、無くす、終わる、やめる、始める、到着する、死ぬ、その他

(5)のグループは、「変化」を含意していませんので、特徴としては、その行為が均一的です。つまり、「~ するのに3時間かかる」、というような表現が、うまく適合しない動詞ということになります。一方、(6)のグループは、「変化」を含意しています。そして、その開始から終結までのプロセスを表現することが可能です。(7)のグループは、瞬間的行為として表現されており、その開始から終結までのプロセスを表現することは不可能です。

ところで、ここで、話の方向性を、少し、変えたいと思います。これまでは、動作動詞、という品詞の観点から、上の3タイプの概念を見てきたわけですが、そのままの理解では、実は、誤解を与えてしまいます。EG79では、「掘る」という動詞が、取っている目的語によっては、①のタイプ (つまり、(5)のグループ) にもなり、また、②のタイプ (つまり、(6)のグループ) にもなる、ということを見ましたが、これは、何も、目的語を取る動詞に、そのような規則性がはたらく、ということを、意味するわけではありません。

と言うよりも、むしろ、動作動詞と、他の表現との組み合わせによっては、上の、①か、②のタイプの、いずれかに解釈されるであろう、という理解の方が本質的なのです。つまり、その動詞に付随する他の表現とは、何も目的語に限ったことではないのです。

(8)歩くのに、3時間かかった。 (×)
(9)コンビニまで歩くのに、3時間かかった。 (〇)

(8)の「歩く」は、自動詞であり、他動詞ではないので、目的語をとることはありません。そして、意味的には、それ自体、均一的な行為と言えますので、「変化」を含意してはいません。そこで、「3時間かかる」とは共起せず、アウトになりますが、しかし、一方、(9)のように、「到着点」を含む、「コンビニまで歩く」、となれば、その表現全体を考慮して、概念上、動作の終結を含意する、と言えますので、「3時間かかる」、と適合するようになります。

つまり、動作動詞にプラスされる他の表現と、トータルで意味を考えて、「変化」を含意するか否かという見方が、動作動詞の表し得る、①と②のタイプの、様相を理解する上での、本来、正しい見方なのです。ですので、同じカタチの動作動詞 (例えば、「掘る」、「歩く」、「書く」、その他) であっても、他の表現とひっくるめて考えた上で、①のタイプに属するか、②のタイプに属するかを判断しなければなりません。

次に、同じカタチの動作動詞が、①や②の他のタイプに現れない、③のタイプ (つまり、(7)のグループ) ですが、(5)のグループのように、均一的行為でもなく、(6)のグループのように、動作の、「開始から終結」までを潜在的に含意することもない、という点で、表現できるカタチの中での解釈が限定されてしまいます。

(10)トムは、泳ぎ続けた。
(11)トムは、イスをつくり続けた。
(12)トムは、サイフを無くし続けた。

(10)は、「泳ぐ」という行為が、均一的に続いている解釈もあれば、泳いでは休み、また、泳いでは休み、という、「繰り返し」の解釈も可能です。そして、(11)も同様であり、1つのイスをつくるために、ずっと作業にかかりっきり、という解釈もあれば、何個ものイスをつくりだす作業をする、という、「繰り返し」の解釈もあります。

ところが、一方、(12)は、「サイフを無くす」、という行為が、繰り返されることを意味してはいますが、しかし、無くす、という1回の行為の経過を表現することはできません。これは、やはり、③のタイプの動作動詞が、その動作の、「均一性」も表現せず、「開始から終結」、といったプロセスも含意せず、瞬間的行為としての解釈しかもたないために、起こることだと説明されます。この点においても、③のタイプのような分類分けは、動作動詞の表現している様相をとらえる上で、有効であることを支持しています。

今回のポイントは、EG79から、引き続いたテーマで、動作動詞を、その表している様相によって、3タイプに分類する、ということです。しかし、それは、動詞だけを見て、どうのこうのと論じる問題ではなく、あくまでも、動作動詞を中心に置いて、他の表現も含めた上での分類であり、この分類方法は、むしろ、ヒトが認識活動を行っている際、どのような観点から、動詞化を行っているのかを考える、という発想に基づくものです。

そして、こういった表現上の様相に対する理解は、別に、英語でなくとも、日本語で十分である、というよりも、コトバの在り方の理解という意味で、英語も日本語もない、ということなのです。つまり、今回のテーマは、コトバのかなり、根源的な部分を扱った、ということなので、英語とは直接的には関わってきませんが、結果として、英語脳形成には、後から必要になってくる、と思われる概念だったので、あえて日本語のみで扱ってみました。

■注1: 「サイフを見つけつつある。」は、OKですが、もともと、「~ しつつある」は、「変化」を含意する表現と共起するものです。例えば、「走りつつある」を、OKにする人でも、この場合、「走り出しつつある」、の解釈に取っているのであり、止まっている状態や、歩いている状態からの、「変化」を含意しています。

■注2 :(7)のグループの動詞は、進行形、「~ ている」、とは適合しませんが、例えば、「死ぬ」、は、「オマエは、もう死んでいる。」、などと、言う場合、当然、進行中の動作の、ある時点に焦点を当てた進行形ではなく、「状態」の解釈になりますので、注意が必要です。

■注3 :「泳ぐのに、3時間かかった。」や、「運転するのに、3時間かかった。」は、アウトである一方、「3時間かけて泳いだ。」や、「3時間かけて運転した。」は、OKにしやすいのですが、この場合は、結局、「3時間、泳いだ。」や、「3時間、運転した。」、と言っているのと同じことなので、「3時間かけて」は、「3時間かかる」と違って、必ずしも、「変化」、を前提とする表現ではありません。


●関連: EG79

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英語学習法(79)

2005年04月27日 | 動詞
今回は、動作動詞に関してです。とは言っても、まず、日本語の例で概念的なことを考えてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)トムは地面を掘った。
(2)トムは穴を掘った。

(1)と(2)ですが、「~ を掘る」という動詞は、「地面」も、「穴」も目的語に取ることができます。普段は、あまり意識して考えることはないんですけど、よく考えてみると、ちょっと、おや?と思ってしまうことがあります。

それは、(1)の場合、ただ単に、「掘る」、という行為の対象が、「地面」である、ということを述べているだけなんですが、一方、(2)では、掘った結果として、「穴」ができるのであって、(2)は、「掘る」、という行為が、最終的に行き着くところに、「穴」という完成したものがある、ということを意味しているんですね。

つまり、(1)と(2)は、それぞれ、動詞は同じ、「掘る」でも、目的語の質は違う、ということです。このように、目的語が質的に違うと、文法的に、どのようなことが起こるんでしょうか。ちょっと、そこら辺を考えてみたいと思います。

(3)トムは、3時間、その地面を掘った。
(4)トムは、3時間、その穴を掘った。

(3)は、ただ単に、トムが、地面を、どんどん堀り続けて、3時間が経ったと言っているわけですね。一方、(4)は、(2)と比べると、何だか、「穴」が、完成したもののようには感じられません。穴があっても、さらに、その穴の大きさを広げるべく、どんどん掘り続けた、という感じがします。このような場合、「穴」は、完成したものではなく、「掘る」、という行為の、対象として扱われることになりますから、質的には、(3)の、「地面」と同じ扱いをうけることになります。

これは、完成したものとしての「穴」は、未完成の状態から、あるとき、その完成を迎えるという、「変化」を含意する行為によって、表現されることを前提としているからです。(4)は、時間の長さを表す、「3時間」という表現が、均一的な、一続きの行為が起こり続けることを前提とした表現であるにも関わらず、「穴」を、完成したもの、として解釈すると、均一的行為を要求する、「3時間」と、完成という、「変化」が、表現上の不適合を起こすため、それを回避しなければアウトになる、と言えます。

ですので、(4)を、無理のない自然な解釈にするためには、「穴」を、完成したものではなく、「掘る」という行為の対象にしなければなりません。こういった、行為の対象と、完成したものの違いを、もう少し詳しく言うと、行為の対象は、動詞の表現する動作によって、何らかの影響を受けるだけのもの、と言うことができますが、一方、完成したものは、動詞の表現する動作によって、何かが影響を受けて、さらに、その結果として、後から存在するもの、ということができます。

そこで、行為の影響を受けるだけのものが、目的語になっている場合は、均一的に、影響を与えるという行為を、ずっと行うことができるので、時間の長さに幅をもたせた、一続きの行為として表現することが可能ですが、一方、行為の影響を受けた結果として、後から存在するもの (完成したもの) が目的語になっている場合は、「変化」が起こっているわけですから、その完成という行為自体を、時間の長さに幅をもたせた、一続きの行為として表現することができません。そこで、以下を見ましょう。

(5)イスを、3時間つくる。 (×)
(6)イスを、3時間つくり続ける。 (〇)

(5)はアウトです。なぜかと言うと、(4)の「穴」とは違って、「イス」はサイズが固定されていて、広げることができませんからね。つまり、「イス」は、「つくる」という、行為の結果としてでき上がった、完成したもの、という解釈しか、もともと許されないのです。そこで、「変化」を含意する行為、という解釈しかない、「イスをつくる」に、無理やり、「3時間」という、ただ時間の長さを表すだけの表現をくっ付けたので、(5)はアウトになった、ということですね。

しかし、一方、(6)はOKです。ですが、これは、「つくる」ではなく、むしろ、「続ける」の方が、「3時間」という、時間の長さを表す表現を許容するために、(6)はOKになった、ということですね。その証拠として、今度は、以下を見ましょう。

(7)今、イスをつくり続ける。 (×)
(8)今、イスをつくっている。 (〇)

(7)は、「今」と「続ける」の組み合わせが悪いため、アウトになっています。つまり、「続ける」という動詞は、元来、瞬間的な行為ではなく、時間の経過を含意している、ということです。しかし、一方、(8)のように、「つくる」に、進行形のカタチ、「~ ている」を付けて、「つくっている」のような表現にしてやると、瞬間的な表現である、「今」と適合します。そこで、以下は、どうでしょうか。

(9)今、イスをつくる。 (×)

今度は、(9)ですが、「イスをつくる」の「つくる」が、現在形である、とは言っても、「今」とは適合せず、アウトになる、ということです。しかし、一方で、(8)のように、イスが完成するまでのプロセスを進行形によって表現した場合は、「今」と適合するという事実があります。そこで、注意点としては、(6)であろうと、(8)であろうと、解釈としては、イスが未完成である、ということです。

ここから、2つの問題が発生します。つまり、①・進行形、「~ ている」や、「続ける」の力を借りれば、イスが、未完成状態であっても、OKにすることができる、ということと、②・「つくる」という表現は、現在形なのに、なぜ、「今」、という表現と適合しないのか、ということです。

そこで、(9)を、ちょっと考え直すと、(9)は、「今から、イスをつくる」の意味でなら、OKにできる、ということに気付きますね。つまり、(9)を、「今から、イスをつくり始める」、という文と、同じ意味に解釈するとOKになる、ということです。この場合も、「イス」は、未完成状態ですね。

実は、「イスをつくる」という表現の、本来的な意味的性質は、「つくる」、という行為の、「開始から終結」までを含意している、ということなのです。しかし、(5)の例がアウトである、という事実がありますので、行為の、「開始から終結」までを含意する、とは言っても、そのまま、「イスをつくる」のカタチでは、「つくる」という行為の、「開始から終結」全体が、瞬間的に行われる行為として解釈されます。

そこで、「~ 続ける」の力を借りて、瞬間的な行為として解釈されることを防いだり、「~ ている」の力を借りて、「開始から終結」までの、ある「時点」に焦点を当てたりする必要が出てくるわけです。ですので、「つくる」という表現自体は、素のカタチのままでは、「開始から終結」までの行為全体の瞬間的な描写、ということでなければ、OKにできないわけですね。

次に、問題は、(9)が、「今から、イスをつくり始める」、の解釈でない場合、その描写は、瞬間的であるにも関わらず、なぜアウトになるのか、ということなのですが、どうやら、これは、瞬間的な表現である、「今」は、必ず、「出来事」を表す表現と共起する、という、別個の視点が必要のようです。

(10)トムはイスをつくる。
(11)トムはイスをつくった。

(10)は、「つくる」が、現在形ですが、「出来事」の解釈はありません。(10)は、トムが、イスの職人である、というような職業を表現していたり、トムの習慣的な行為を表現している、という別の含意でしか解釈できませんので、動作動詞、「つくる」が、意表を突いて、「状態」としての解釈になってしまいます。

しかし、一方、(11)は、過去形、「つくった」が、「出来事」を表現しています。つまり、動詞の現在形とは、そもそも、何であれ、「出来事」を、素で表現することができないのです。ですので、現実に起こっている「出来事」として、「~ ている」の力を借りなければ、瞬間的な表現である、「今」と共起することができない、というわけですね。以下を見ても、動詞の現在形は、素で、「出来事」を表せないのがわかります。

(12)a. 今、トムは地面を掘る。 (×)
   b. 今、トムは地面を掘っている。 (〇)

(13)a. 今、トムは走る。 (×)
   b. 今、トムは走っている。 (〇)

(12a)は、現在形、「掘る」が、「今」と共起せず、アウトになっていて、やはり、(1)の過去形とは違って、「出来事」の解釈はありません。(13a)の「走る」は、そもそも、目的語すらとっていないのですが、そんなこととは関係なく、これも、「今」と共起せず、アウトになっていて、やはり、「出来事」の解釈はありません。

(14)地面を掘るのに3時間かかった。 (×)
(15)穴を掘るのに3時間かかった。 (〇)

今度は、「3時間かかった」という表現との適合性ですが、「3時間かける」、という表現は、単なる、「3時間」とは違って、例えば、3時間後に、何かが終結を迎えることに焦点が当てられたり、ある変化が起こることに焦点が当てられたりすることが、前提となる表現です。(14)は、「地面を掘る」という表現が、動作の終結を含意していない、ということが、アウトになった原因である、と思われます。

しかし、一方、(15)がOKになるのは、やはり、「穴」を、「完成したもの」、と解釈することで、動作の終結を含意している、と考えられるからです。この場合、(15)の「穴」は、(4)とは違って、「完成したもの」という解釈しかできず、影響を受け続けて拡大される、というような解釈がないことからもそれがわかると思います。

今回のポイントは、「動作」を表す動詞が、実質的な意味として、どのようなことを表現しているのか、ということです。まず、動作の概念は、状態の概念とは違って、「出来事」を表現し得るということです。しかし、それには制約があって、素のカタチ、つまり、現在形では、「出来事」を表現できず、過去形にしたり、進行形、「~ ている」を付け足す、といったことが必要になります。

そして、「掘る」のように、同じカタチの動詞であっても、目的語の種類に応じて、その動詞の表現し得る様相が、変化してしまうということです。特に、完成したものを目的語にとっている動作動詞は、素のカタチでは、一見、「完成の瞬間」のみを表しているように見えるのですが、「~ 続ける」や、「~ ている」といった、他のカタチとの組み合わせが可能な点で、その動作の「開始から終結」までを、潜在的に含意していると言えます。

今回扱った、動詞が、「完成したもの」を目的語にとっている場合と、そうではない場合の区別は、他に、状態動詞という分類分けがあるのと同じく、動詞の表している基本的な概念の分類分けの1つです。まだ、他の概念ありますが、またの機会に。

■注1 :「今、イスをつくった。」、はOKですが、ちょっと、惑わされやすい文です。この場合の、「今」は、「今しがた」、「今さっき」、の意味ですから、純粋に、「現在の瞬間」を表す、「今」とは、異質のものです。

■注2 :「トムは、3時間、イスをつくっている。」は、OKになりますが、これは、「~ ている」が、瞬間的に、「進行」している出来事を表現することもできるけど、一方、「状態」も、表現できるからで、「3時間」は、この「状態」の解釈と適合している、と言えます。しかし、「出来事」は、動作動詞の「~ ている」から派生的に得られる、「状態」、の解釈とは、矛盾することはありません。

■注3 :(10)のように、「出来事」として認識されない文は、その中に含まれる動作動詞が、現実的、具体的な行為を表現していないため、何とか、聞き手にとって、「情報的価値」のある文に、解釈しようとして、転用現象が起こります。その1つが、「職種」、「習慣」、といった含意で、その結果として、偶然に、「状態」という解釈が発生してしまう、ということですね。

■注4 :(14)は、OKである、という人もいますが、その場合は、想像をはたらかせて、「地面を、すっかり、堀りつくすのに、3時間かかった。」、という解釈にしているものと思われます。しかし、「掘りつくす」は、均一的な行為ではなく、もう、掘るべきところはなくなった、という、「変化」、を含意するため、「3時間かかる」、と適合するものと思われます。


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英語学習法(78)

2005年04月24日 | 動詞
EG69の続きです。状態動詞です。以下、見ましょう。

(1)Mary resembles Lucy. (メアリーはルーシーに似ている。)
(2)Mary hates Lucy. (メアリーはルーシーが嫌いだ。)

(1)の‘resemble’「~ に似ている」も、(2)の‘hate’「~ を嫌っている」も、ある状態を表現している動詞です。(1)では、話者が、メアリーの性質・特徴を、ルーシーに「似ている」と述べているわけです。性質や特徴とは、一瞬のことを表現するものではなく、ずっと続いている一定の様を表現するものですね。

これに準じて考えれば、(2)で、メアリーがルーシーを「嫌っている」、というのは、メアリーのルーシーに対する、一定の心の様を表現しているわけです。ですので、(1)も(2)も、両方とも、メアリーが、ある状態にある、と解釈できるわけですね。

しかし、このような、一定の様を表現している動詞を、一括して、「状態動詞」と呼ぶからといって、その文法的な振る舞い方が全て同じである、とは言い切れない部分があります。

(3)Lucy is resembled by Mary. (×) (ルーシーはメアリーに似られている。)
(4)Lucy is hated by Mary. (〇) (ルーシーはメアリーから嫌われている。)

(1)を受身文にした(3)は、アウトですが、一方、(2)を受身文にした(4)はOKです。これは、どういうことなんでしょうか。そこで、ちょっと考えてみると、(1)と(2)の状態動詞は、それぞれ、その主語に対して、何か違った特性をもつものを要求している、と言えそうです。

しかし、(1)と(2)の主語なんて、どっちも同じ‘Mary’じゃんか、と言われてしまいそうなので、別の例から、何とか違いを出してみたいと思います。

(5)Cabbage resembles lettuce. (〇) (キャベツはレタスと似ている。)
(6)Cabbage hates lettuce. (×) (キャベツはレタスが嫌いだ。)

(5)と(6)では、(1)と(2)の‘Mary’を‘cabbage’に、そして、‘Lucy’を‘lettace’に入れかえてみました。そうすると、当たり前なんですが、(5)はOKで、一方、(6)はアウトになります。これは、(5)では、外見上、キャベツとレタスが同じように見えていて、そういったものが、‘resemble’「~ に似ている」の、主語と目的語になっていればよいから、ということですね。

しかし、(6)では、キャベツがレタスを嫌う、と聞くと、何か、童話の世界での、キャベツさんとレタスさんの関係、といった感じのお話を聞かされているような気がしてきます。これは、そういった解釈にでもしなければ、意味が取れなくなるからで、実は、こういった解釈を強制されることが、‘hate’「~ を嫌っている」の意味的な特徴を表している、と言えるのです。つまり、「嫌っている」という表現は、「~ に似ている」とは違って、「意思」をもつものが、主語でなければならない、ということになるわけです。

(7) a. The T-shirt fits John well. (〇) (そのTシャツは、ジョンにピッタリ合ってるね。)
   b. John is fitted by the T-shirt well. (×)
    (ジョンは、そのTシャツに、ピッタリ合わせられるね。)

(8) a. The book costs 1000 yen. (〇) (その本は、1000円かかるね。)
   b. 1000 yen are costed by the book. (×) (1000円がその本によってかかるね。)

‘the T-shirt’「そのTシャツ」が、‘fit’「~ に合う」の主語である、能動文(7a)はOKですが、受身文(7b)にするとアウトです。そして、同じく、‘the book’「その本」が、‘cost’「~ (の金額が) かかる」の主語である、能動文(8a)はOKですが、受身文(8b)にするとアウトです。やはり、状態動詞の場合、「意思」をもつものが、必ず能動文の主語になるような状態動詞でなければ、受身文にはできないようです。しかし、もうちょっと、考えてみたい例があります。

(8) a. John has the car. (〇) (ジョンは、そのクルマを所有している。)
   b. The car is had by John. (×) (そのクルマは、ジョンに所有されている。)

状態動詞として使われている場合の‘have’が、「~ をもっている」の意味で使われているときは、必ず、「意思」をもつものが主語になりますが、(8a)の能動文から(8b)の受身文をつくることはできません。つまり、状態動詞の場合、「意思」をもつものが主語でなければ、受身文をつくれない、というのは、必要条件ではあっても、十分条件ではない、ということになりますので、この点、注意が必要です。さらに、以下を見ましょう。

(8) a. Many trees surrounded the house. (〇) (たくさんの木がその家を囲んでいた。)
   b. The house was surrounded by many trees. (〇)
    (その家はたくさんの木に囲まれていた。)

(9) Many girls surrounded John.
(10)a. たくさんの女の子が、ジョンを取り囲んだ。 (〇)
   b. たくさんの女の子が、ジョンを取り囲んでいた。 (〇)

「意思」をもたないと思われる、‘many trees’「多くの木」が、状態動詞‘surround’「~ を囲んでいる」の主語である能動文(8a)はOKですが、この場合、意表をついて、受身文(8b)にしても、OKです。しかし、一方、(9)を見ると、‘surround’は、「動作」の解釈(10a)と、「状態」の解釈(10b)の、両方がOKにできることに気付きます。

これは、どうやら、(8a)の‘surround’「~ を囲んでいる」が状態動詞である、と言っても、‘surround’は、もともとの意味が、「~ を囲む」という、「動作」を表す動詞であり、そのときは、(9)のように、「意思」をもつものが主語でなければならないところに、ポイントがあるようです。

つまり、本来的に、「動作」の解釈が基本であるような動詞が、「意思」をもたないものを主語に取った場合は、その主語を、比喩的に、あたかも、「意思」をもっているかのように見なす、ということがあるのです。ですので、受身文(8b)がOKになるのは、一種のイメージ表現のようなもので、例えば、日本語の、「追う」という動詞は、本来的に、「意思」をもつものが主語でなければならないのに、「ボクらは、毎日、仕事に追われているね」、などと言うことができるのと類似した、比喩の表現方法なのです。

そして、もう1つ、気付いてもらいたいのが、(9)に対する、(10b)の解釈、つまり、‘surround’の「状態」解釈についてです。実は、「状態」の解釈(10b)には、2通りの解釈があり、「たくさんの女の子」の「意思」が行使されているか否かという観点があります。

つまり、ジョンにチョッカイを出された多くの女の子が怒って、一体どういうつもりだ、とばかりにジョンに寄ってきて、グルっとジョンの周囲を取り囲んだ状態になっている場合で、この場合は、女の子の「意思」がはたらいています。しかし、もう1つの解釈は、ジョンがボケっとしていて何気なく電車に乗ったところ、間違えて女性専用の車両に乗ってしまったという場合で、結果的に、女の子の集団に囲まれている状況になってしまったという、女の子の「意思」がはたらいていない解釈です。

ですので、「意思」をもつものが主語になっているからといって、その「意思」が行使されているか否かとは、関係ない場合があります。‘hate’は、常に、その主語が、「意思」をもっていることが前提となります。そして、その主語の意思が行使されています。‘resemble’は、「意思」をもつものが主語であってもなくてもよいけど、「意思」をもつものが主語の場合でも、その主語の「意思」は行使されません。

‘fit’や‘cost’は、もともと、「意思」をもつものを主語に取りません。‘surround’は、本来的に、動作動詞であり、「意思」をもつものが主語でなければなりませんが、状態動詞に変化することも可能で、その場合は、主語の「意思」が行使されていない場合と、比喩的な解釈もあるという意味で、「意思」をもつものを主語に取る必要がなくなります。

今回のポイントは、状態動詞の本来的な意味を考える、ということです。英語の解説本などを見ると、ただ単に状態動詞という分類があるだけであり、確かに、「状態」を表しているから、「状態動詞」と呼ばれているのはわかるんですが、それは、事実をそのまま言っているに過ぎず、そこから、実用英語をマスターする上で、どのような理解につながっていくのかが、今ひとつわからない、といった感じがします。

その理解の助けとなる1つが、主語に「意思」をもつものがくるかどうか、というものです。しかし、「意思」をもつものがくるかこないかで、即座に、「O・×」式に判断してよい、というものでもなく、その主語の「意思」が状態動詞にどのように関わっているかも考慮する必要がありますので、ちょっと事情は複雑ですが、日本語の感覚からも類似した点は多いと思われるので、よく考えてみれば、それほど難解なものではないはずです。

■注1 :‘have’は、ちょっと、難解な多義語で、「状態」と言っても、いろいろあります。‘Mary has long hair.’「メアリーは長い髪をしている。」、のように、「主語の一部分」を表す場合や、‘John has a bad memory.’「ジョンは記憶力が悪い。」、のように、単純な所有物とは、言えないようなものも、目的語に取ることができます。そして、一方で、「動作」を表現するものだと、‘I am having lunch now.’「今、昼ごはんを食べてるところなんだ。」、というように、進行形が可能ですし、加えて、‘Breakfast can be had at ten in this restaurant.’「このレストランでは、10時に朝食をとることができます。」、というような受身文も可能です。

■注2 :‘The slaves cost much money.’「その奴隷を買い付けるにゃ、ずいぶん金がかかるな。」、というような文では、たまたま、「意思」をもつものが、主語になっているわけですが、もちろん、そこから、‘cost’は、「意思」をもつものが主語になることもある、と一般化しても、ナンセンスであることは、おわかりになると思います。

■注3 :ヒト型や、動物型のロボットが主語になるような場合は、そのキャラクターによって、解釈が分かれるところです。ホンダ技研が開発した、二足歩行ロボット、「アシモ」は、意思をもたない、とは言えますが、あたかも意思をもっているかのように、「歩く」、ということをします。ソニーのロボット犬、「アイボ」は、本当に、犬のようなしぐさをしますので、あたかも、意思をもったものとして、扱われることはあり得ますね。鉄腕アトムの場合は、そのキャラクターから言って、もう、十分に意思をもつ、と言い切れるでしょう。ガンダムの場合は、パイロットの意思を通じて、という条件付きで、意思をもつ、と言えるんでしょうね。


●関連: EG69

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英語学習法(71)

2005年04月03日 | 動詞
EG70の続きです。‘be’動詞です。‘A is B’の構文の内訳はどうなっているのかを考えたいと思います。以下、見ましょう。

(1)John is a teacher. (ジョンは教師です。)

(1)では、主語‘John’「ジョン」は、何かというと、すなわち、‘a teacher’「教師」である、ということで、「ジョン=教師」という関係を文にしたものですね。EG70では、‘be’動詞が固有の意味、「存在する」をもっている場合がある、ということを説明しましたが、一方、(1)の文では、‘be’動詞の‘is’に、そのような意味はなく、ただ、‘A is B’「AはBだ」というように、AとBを、「イコールの関係」で連結するような役割しか果たしていません。

ですので、(1)は、‘be’動詞が、現在形‘is’というカタチをもっているということを考慮しても、時間に関する意味、つまり、「時制」以外は、特に、実質的な意味はもっていないと言ってもよいでしょう。そこで、普通、‘be’動詞と言えば、一般的に文法上の機能、つまり、「前後の連結」というカタチが主な役割ということになります。

(2)John is running. (ジョンは走っている。)
(3)Sue was sued. (スーはスーされた(訴えられた)。)

(2)の進行形、‘be+-ing’や、(3)の受身文、‘be+過去分詞’のような文でも、カタチ全体から、その意味や文法上の機能が決定されるだけで、‘be’動詞そのものが固有の意味をもっているとは言えません。というわけで、こういったことを踏まえた上で、‘A is B’「AはBだ」の構文を考えてみたいと思います。

(4)A teacher is John. (×) (教師はジョンです。)

(4)は、いきなりアウトですが、(1)の主語‘John’(=A)と、‘a teacher’(=B)の前後をひっくり返して、‘B is A’「BはAだ」の文にしたものです。算数などでは、「A=B」は、「B=A」としても、論理的には、不都合はないんですけど、コトバの場合は、ちょっと、そういうわけにはいきません。これは、学校などの英文法でよく教えられるように、単純に、「A=B」と解釈して、ハイ終わり、というものでもなく、コトバの基本である、「主語・述語」の特徴を考えなければならないからです。

(5)The teacher is John. (その教師はジョンです。)

(5)は、もちろん、OKの文ですが、(4)の不定冠詞‘a’が付いた ‘teacher’を、定冠詞‘the’がついたものに変えただけです。ここから、‘A is B’の構文の中では、Aに対して、ある条件が付いているのがわかります。つまり、(4)のように、「不定」の解釈になるようなものは主語にはなれない、ということです。

「不定」というのは、「ジョン」、「日本」、「この人」などのような「唯一的」解釈ができないもので、かわりに、「種類」としての扱いを受けるものの中の1つ(単数)、または、いくつか(複数)のことを指して言います。例えば、世の中には、「教師」という職業の人は、たくさんいますので、その中から、誰とは特定せずに、「ある1人の教師」という場合や、「何人かの教師」という場合は、「不定」になります。しかし、一方で、「その教師」、という言い方からは、どの教師であるかが、わかっている、ということになりますので、「定」ということになります。(EG31も、あわせて参照)

(6)A teacher is a kind of office worker. (〇) (教師だって、会社員みたいなものだ。)

(6)の‘a teacher’は、(4)とは違って、OKなんですが、なぜなんでしょうか?これは、‘a’が付けば、何でも「不定」になる、というわけではないからなんです。(6)の‘a teacher’は、その意味からして、「教師というもの」、「教師という職業の人」、というように、この世の中の「教師」とされる全員を対象にして、その1人1人が誰だって、と言っているわけですね。

このように、ある種類というワクの中の「1つ」とか、「いくつか」の場合は、「不定」になっても、一方で、まるまる、そのワクの中にある全てをひっくるめて、対象者として扱う場合は、「不定」にはなりません。まさに、ある「種類」の中のどれであろうと例外なく、という感じの解釈になりますね。

こういった解釈を受ける、(6)の‘a teacher’のようなものを、よく文法の本などでは、「総称」と呼んでいます。ですので、このような「総称」解釈の‘a teacher’は、もともとの意味が違う、という点で、(4)のような、「不定」解釈の主語がアウトになる文に対する反例にはなりません。ですが、これで、‘A is B’の構文の本質が、スッキリわかったかと言えば、ちょっと厄介な例もありまして、それは、以下のようなものです。

(7)One of them is John. (ヤツらの1人はジョンだよ。)
(8)A friend of mine is John. (私の友達の1人は、ジョンよ。)

(7)の‘one’「1人」は、そのまんま、‘them’「ヤツら」の中の任意の1人を指し、一方、(8)の‘a friend’「1人の友達」も、そんまんま、‘mine’「私の(友達)」の中の任意の1人を指しているわけですから、‘one’も、‘a friend’も、どちらも、「不定」ということになります。これは、さすがに、(4)の「不定」解釈の‘a teacher’がアウトになる文と矛盾しているように見えます。

しかし、この場合、‘one’も、‘a friend’も、ある「特定」を受けた、‘them’や、‘mine’というワク、つまり、「種類」とは異なっていて、むしろ、「特定された数」の中の1人である、という点が、ポイントになります。この「特定」を受けている、‘them’や、‘mine’といった表現の中に、‘one’や、‘a friend’といった、「不定」解釈を受けるものが置かれていても、それは、完全には、「不定」ではないもの、として扱われるのです。これを言いかえれば、‘one of them’や、‘a friend of mine’全体を見て、「弱い特定」と言ってもよいかも知れません。

この、「弱い特定」の概念の有効性を支持する証拠は、まさに、(5)の例で、「その教師」の意味として、指している人物そのものは、主語‘the teacher’の段階では、まだハッキリとは明示されていなくて、‘~ is John’「~ はジョンです」という、述語の部分でハッキリと明示されるわけですね。

つまり、(5)の文は、主語が、特定は特定でも、段階性がある特定ということで、「弱い特定」になるのに対して、それをハッキリさせるために、述語の部分で、「完全な特定」を述べているわけですね。(7)と(8)も、全く同様に、この解釈が成り立ちます。ここから、「弱い特定 → 完全な特定」という解釈が、‘A is B’「AはBだ」の構文の表している意味の1つだと思われます。

ここで、‘A is B’の構文が表している意味の「1つ」、と言ったのは、もちろん、(1)のような文があるのを忘れてはならないからです。(1)のような文は、主語である「ジョン」が、まさしく、「完全な特定」の解釈であり、「弱い特定 → 完全な特定」、という解釈の公式に当てはまりません。そこで、よく考えると、実は、(1)のような文は、以下のような文と類似の構文なのです。

(9) John is very tall.  (ジョンはとても背が高い。)
(10)An elephant is very heavy. (ゾウはとても重い。)

(9)や(10)のような文は、‘A is B’の、Bの部分に形容詞‘tall’「背が高い」や、‘heavy’「重い」がきていて、名詞以外の表現がきていますが、形容詞や副詞や前置詞句などがきても、OKなのです。この構文の解釈上の特徴は、(5)、(7)、(8)のような、必ずBが名詞表現になる、「イコール」の解釈というものではなく、Aの「性質」や「様態」を述べる、というものです。

この点、(2)や、(3)も、カタチの上では、名詞以外のものが、‘be’動詞の後にくるので、(9)や(10)の仲間に入りますが、表現できる意味は、「性質」や「様態」以外に、「行為」や、「出来事」も含まれるので、純粋な意味での、‘A is B’の構文ではありません。

そして、(9)や(10)は、主語(=A)の部分には、(9)の、「定」解釈になるもの‘John’や、(10)の、‘an elephant’「ゾウ(というもの)」のように、「総称」として解釈されるものがきますので、(1)のような‘A is B’の構文の主語(=A)に対する条件と、全く同じです。そこから考えると、(6)の文は、(9)や(10)の文の仲間ということになりますね。その証拠として、以下の文はアウトになります。

(11)A kind of office worker is a teacher. (×) (一種の会社員は教師だ。)

(11)は、(6)の、‘a teacher’(=A)と、‘a kind of office worker’(=B)を、ひっくり返した文ですが、意味不明でアウトになっています。これは、(1)がOKで、(4)がアウトである、という関係と全く同じものですね。‘a kind of office worker’「一種の会社員」という表現は、会社員という職業もいろいろあるわけですから、その中の1つ、つまり、職種の中の1つとして考えられるので、「不定」になりますね。では、確認のために、今度は、「イコール」解釈を受ける、(5)、(7)、(8)の文も、‘A is B’の、AとBをひっくり返して、Bを主語にしてみます。

(12)John is the teacher. (〇) (ジョンが、その教師だよ。)
(13)John is one of them. (〇) (ジョンは、ヤツらのうちの1人なのさ。)
(14)John is a friend of mine. (〇) (ジョンは、私の友達の1人よ。)

やはり、「イコール」解釈の‘A is B’構文は、純粋に、「イコール」の特徴が出ているようで、‘A is B’の、AとBをひっくり返して、Bを主語にしても、意味がおかしくなる、ということはありませんね。つまり、「完全な特定 → 弱い特定」という、逆の流れからの解釈も許す、ということですね。

以上から、今回のポイントとして、EG70の、「存在」の‘be’動詞以外に、連結機能をもった‘be’動詞がある、ということがわかったと思います。そして、この連結タイプの‘be’動詞を大きく分けると、意味の面から、2タイプの解釈がある、ということです。1つは、「イコール」解釈の連結で、AとBの特徴は、「弱い特定(A) → 完全な特定(B)」 か、または、「弱い特定(B) → 完全な特定(A)」 という、どちらの流れでもOKになる、ということです。

そして、もう1つは、AとBをひっくり返すことができないもので、「イコール」関係というよりも、純粋な意味での、「主語・述語」の関係、という解釈ですね。このタイプは、「イコール」関係の解釈である、‘A is B’と同様に、主語が、「不定」であってはならない、という特徴がありますが、「イコール」関係解釈の‘A is B’との、決定的な差異は、主語に、「総称」解釈の表現を許す、ということです。この、「主語・述語」タイプの‘A is B’は、述語に、「性質」や「様態」の意味が表現されているので、名詞以外に、形容詞の他、いろいろな品詞がきてもOKです。

この、‘A is B’の構文を、細かく見ていけば、まだ、ちょっと分類分けできるのですが、最も押さえておくべき特徴は、今回の2タイプです。‘be’動詞って、奥が深いですね。

■注1 :今回、‘A is B’の、AとBを、「ひっくり返す」と表現しているのは、「倒置」する、という意味ではありません。純粋に、Bを主語に立てる、という意味です。

■注2 :もちろん、「ジョン」は、「ジョンという名前」、の意味になる場合は、それ自体で、「特定」されているとは言えなくなります。「ジョンという名前」の意味の場合は、「ジョン (という名前の人) は、たくさんいるからね。」、などとと言えます。

■注3 :今回は、‘the teacher’「その教師」と、‘one of them’「ヤツらの内の1人」などを、「弱い特定」と、ひと括りに扱っていますが、これらの間にも、当然、「特定」の意味に、段階性はあります。‘the teacher’の方が、‘one of them’よりも、「特定」している感じは強いと言えます。


●関連: EG31EG70

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英語学習法(70)

2005年03月31日 | 動詞
今回は、‘be’動詞です。あまり詳しく扱われることがない点を扱ってみます。以下、見ましょう。

(1)John is a teacher. (ジョンは教師だ。)

(1)の‘is’のように、‘be’動詞は、前にあるもの‘John’「ジョン」と、後にあるもの‘a teacher’「教師」を連結するはたらきがあります。意味の解釈としては、「ジョン=教師」の関係を表現していますので、そこから、‘be’動詞のはたらきは、「A is B → A=B」のように、イコール関係を表現するものとして、一般的に、認識されています。しかし、この、‘A is B’の、Bに相当するものが、ない場合もあるんです。

(2)God is. (神は存在する。)

(2)は、‘be’動詞が、「存在する」の意味を表現しています。「存在する」という意味を表現する動詞は、他に、‘exist’という動詞がありますが、‘be’動詞は、この‘exist’と、全く同じ意味をもつことができます。その場合は、‘A is B’のような、Bに相当する表現は、なくても構わないわけですね。次を見ましょう。

(3)God is in our mind. (神は我々の精神に存在するのだ。)

しかし、(3)を見る限り、「存在する」の解釈になる、‘be’動詞ですら、‘in our mind’「我々の精神に」、というような表現を続けても問題はなく、一見、「存在する」という意味自体は、あまり、カタチの上での判断基準にはならないように思えるのですが、しかし、「存在する」の意味は、大きく分けて、2通りあるものと思われます。

1つは、実際に、いるものなのか、それとも架空のものなのか、という場合の、「実在する」の解釈です。(2)は、「実在する」かどうかが、問われているような場合に、発話される文で、一方、もう1つの解釈として、「~ に存在する、~ にいる」のようなものがあります。(3)は、「実在する」ことを前提とした上で、じゃあ、どこにいるんだ、というような、一歩進んだ解釈という感じになりますね。

(4)John is in Japan. (ジョンは日本にいるぞ。)

(4)のような文は、(3)よりも、もっと、主語が「実在する」ことが前提とされているのがわかります。「神」は、常に、実在するのかどうかが問題の焦点となりやすい対象なのですが、一方、「ジョン」は、そういう名前の人がいることを前提とするだけなので、例えば、ジョンを話題にしている人たちが、ジョンの友人や家族ならば、全く問題なく、話者と聞き手の間で、「ジョン」の実在は了解されています。

(5)One problem is [ whether John was or not ].
  (問題は、[ ジョン(という人物)が実在したのかどうか ] だ。)

(5)の例は、刑事ドラマや推理小説で、「ジョン」なる人物が、本当に実在していたのかどうかが問われているような場面で使われる文ですね。(5)の‘whether ~ or not’「~ かどうか」の節(カギカッコ)内の、‘was’は、「実在した」の解釈で、「ジョン」という人物の存在が本当かどうかが問われているので、「~ に」というような、場所を表すような表現が後にありません。

以上、‘be’動詞には、「存在」の意味解釈が備わっている場合があって、そういったときは、「実在性」を問題にするなら、後続する表現は要らないのにのに対し、一方、居場所を問題にするような、「存在」の場合は、その場所に関する表現を後続させる、ということになります。

実は、こういったことは、EG46で扱った、「前提」の概念が有効にはたらいているケースで、「実在する」の意味を純粋に解釈すれば、(2)のように、‘be’動詞は、本来、単独で使われるものなのです。そこで、一見、(3)は反例のように見えますが、例え、存在の対象が「神」であっても、人によっては、神はいるに決まってる、という考えをもっているので、そういう人が、‘God’「神」を、‘is’の主語に立てたとしても、もはや、その実在性の可否など問題にはならず、その解釈は、「実在する」ではなく、「~ に存在する」になってしまうので、存在する場所の方に焦点が移ってしまうのです。

ですので、「神」の存在が立証されているか否かに関わらず、神の存在を、もとから当然と見なしている場合は、(3)のように、‘in our mind’「我々の精神に」というような、語句が後に続くことになります。これが、「ジョン」のように、一般的に実在することが明らかとされやすいものが、‘be’動詞の主語にくる場合は、逆に、いきなり、ジョンは存在する、などと言われても、ピンとこないわけですね。どこにだ?と問い返したくなります。こういった場合は、(5)のように、「ジョン」の実在が本当か否かを問いやすくするような文脈に置かなければなりません。

これで、‘be’動詞が、‘exist’「存在する」の意味をもつ場合は、その「存在」に対する焦点の当て方で、2通りに意味が分かれて、結果として、構文に2タイプのカタチが出てくるのがわかったと思います。「実在する」の意味の場合は、それだけで意味が完結するので、他の要素を「前提」とはしません。一方、もう1つは、居場所を「前提」とする、「~ にいる、~ に存在する」で、そういった意味からは、必然的に、後に場所を表す表現をとるカタチになります。

(6)Don't be ! (オマエなど (この世に) いちゃならんのだ。)

(7)I think、therefore I am. (オレ思う、故にオレ在り。)

(8)‘To be or not to be’ is the ultimate question.
  (生きよっかな、死のっかな、究極のモンダイ。)

(6)~(8)は、よく、存在の意味をもつ‘be’動詞として引き合いに出される例ですが、もちろん、「実在」を問題とするような‘be’動詞の例です。こういった「実在」が問題となる場合は、(7)や(8)みたいに、ちょっとカタ苦しい表現が似合うようです。

(6)は、実在するな、と言っていて、親不孝ものの子供に対して、親が思わず口を滑らせて言ってしまうような、かなりキツイ表現です。(7)は、デカルトという、偉い学者さんが残した名言で、考えるということが、ヒトととして存在している証なのだ、という感じです。(8)の、‘To be or not to be’ は、皆さんもご存知の、シェイクスピアの作品からのセリフですね。生死の問題を、存在すべきか否か、という表現で捉えているわけですね。

(9)May the force be with you. (フォースが共に在らんことを願う。)
(10)There is a book on the desk. (机の上に本があるぞ。)

(9)と(10)は、「~ に存在する」の例ですね。(9)は、映画、スターウォーズのシリーズで、頻繁に出てくるセリフです。「~ と共に」というのも、一種の、「場所」の拡張概念だということで、つながりやすい表現です。「フォース」の力はスターウォーズの世界では、当たり前に存在しているものなので、(9)のような文が普通に使われています。ちなみに、‘may’は疑問文のカタチをとって、肯定文の下降調イントネーションで発話すると、「~ を願う」の意味になります。

(10)は、‘there is/are ~’「~ がある」の構文ですね。この‘be’動詞も、存在を表現するものですが、‘there is/are ~’の構文は、「実在性」の方を問題にする場合は、使えないことになっていますので、必然的に、場所や何かの表現をともなうことになります。ちなみに、この構文の‘there’自体は特に意味内容はもっていないので、場所の‘there’「そこに」とは違いますから、注意が必要です。

以上、今回のポイントは、(1)のような、‘A is B’「AはBである」の構文とは、ちょっと性質が異なる‘be’動詞を扱ったわけですが、決定的なポイントは、‘be’動詞自体が意味内容をもつか否かです。‘A is B’「AはBである」の構文は、‘be’動詞が、現在だとか、過去だとかの時間の概念以外は、単なるカタチの上での機能という役割しかもたず、AとBを連結するだけで、意味内容は何もありません。

しかし、一方で、今回扱った‘be’動詞は、「存在する」、という意味をもっており、その意味が、「実在する」か、「~ に存在する」かで、2タイプのカタチの構文を発生させる、ということです。しかし、EG46の「前提」の概念を考えれば、これら、2タイプのカタチが意味の違いから出てくるのは、当然の帰結であり、ここは、ちょっと、英語脳の形成がうまくいっている人なら、問題なくクリアできると思います。今回扱わなかった、‘A is B’「AはBである」の構文も、別の機会に詳しく見たいと思いますので、そのときまで。

■注 :(2)はOKですが、同様に、実在を表現する‘A Santa Claus is.’「サンタ・クロースは、実在します。」は、アウトです。そこで、(2)の‘God’「神」は、唯一的な存在を表しているのに対し、一方、‘A Santa Claus’「サンタクロース」の場合は、不定冠詞‘a’が付くことからも、唯一的ではない、「サンタは何人もいる」、というような、種類を表せる名詞である、という違いがありますが、この問題は、別の機会に扱いたいと思います。

●関連: EG46

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英語学習法(69)

2005年03月28日 | 動詞
動詞編です。動詞の表現している、意味について、少し詳しく考えてみたいと思います。英語の「状態動詞」についてです。以下、見ましょう。

(1) run (走る)、walk (歩く)、move (動く)、swim (泳ぐ)、fly (飛ぶ)

(1)の単語は、もちろん、全て動詞です。動詞の特徴は、その名前からして、動作を表現する、というのが、一般的な考えですが、(1)にある動詞も、全て、「動作」を表していますね。ところで、英語の動詞は、基本的なカタチの上での判断基準は、直接、主語を取るか取らないかというのが、最も確かな特徴と言えます。

(2) a. Tom runs. (〇) (トムは走る。)
   b. Tom smart. (×) (トムは頭が良い。)

(2a)の‘run’「走る」は、‘Tom’を直接主語に取り、OKですが、一方、(2b)の‘smart’「頭が良い」は、‘Tom’を直接主語に取ってアウトとなっています。これは、‘smart’が、動詞ではなく、形容詞であり、結果として、(2b)は、動詞がない文になっているからです。この場合は、‘be’動詞の活用形、‘is’を補ってやらなければ、(2b)をOKにすることはできません。

そこで、形容詞と違って、英語の動詞は動作を表現し、かつ、主語を取ることで、文をつくれることがわかりますが、動詞であるかないかの定義は、「直接、主語を取る」という、カタチの上での定義が最も確かな判断基準で、これだけでOKです。もう、何をもって動詞とするか、の問題は終わりですから簡単ですね。ところが、その動詞の意味の問題となると、ちょっと、いろいろありそうです。では、「動作」という意味の観点からは、以下の動詞はどうなるんでしょうか。

(3)know (知っている)、belong (所属している)、resemble (似ている)、love、(愛している)

(3)の動詞は、それぞれ、「~ ている」という語尾がくっついた日本語訳が与えられていていますが、これは、なぜなんでしょうか。「知る」、「所属する」、「似る」、「愛する」、ではダメなんでしょうか。例えば、「知る」と「知っている」では、どのように違うんでしょうか。

(4)When Jane told Mary Tom's affair、she knew it.
(5) a. ジェーンがメアリーにトムの浮気を伝えたとき、彼女はそれを知っていた。 (〇)
   b. ジェーンがメアリーにトムの浮気を伝えたときに、彼女はそれを知った。 (×)

(4)のような文では、(5a)のように解釈するのはOKですが、(5b)のような解釈はできないようです。(5a)は、誰かがおしえてくれるまでもなく、メアリーは、すでにトムの浮気に関する情報を得ていた、という解釈で、一方、(5b)は、メアリーは、ジェーンからトムの浮気に関する情報を得た、ということですね。

このような差が出るのは、純粋な意味で、「知る」という日本語を、(4)に当てはめることが不自然だからで、どちらかと言えば、日本語の「知る」は、情報を得るという「行為」に重点が置かれた表現であるのに対して、英語の‘know’は、何かの情報を得たあと、そのことが記憶として残っている「状態」の方に重点が置かれた表現だからです。

このように、‘know’は、「知る」と「知っている」のどちらか、と言うと、「知っている」という日本語の方がうまく適合しやすい、ということになります。これは、日本語の「~ ている」という表現そのものに、「状態」の意味が含意されていて、「知る」と、「~ ている」の2つの表現を組み合わせると、「状態」を表すようにすることができるからです。このことから、(3)のように、「~ ている」の日本語訳が当てはめられるような動詞を、「状態動詞」などと呼んでいます。しかし、以下のような場合は、どうなんでしょうか。

(6)Do you know what I mean?
(7) a. ボクの言ってる意味、知ってるかな? (×)
   b. ボクの言ってる意味、わかるかな? (〇)

(6)の英語の日本語訳ですが、‘know’に対して、「知っている」を当てはめた(7a)がアウトになっています。一方、かわりに、(7b)の「わかる」がOKになっています。これは、どういうことなんでしょうか。‘know’は、「知っている」にすら、ピタリとは一致しないことがある、ということですが、「わかる」、というのは、言いかえれば、「理解する」という感じになるので、(6)の場合の‘know’は、むしろ、‘understand’に近い、と言えるかも知れません。しかし、‘understand’は、以下のように、‘know’と同じ振る舞い方をする、という点で、「状態」を含意した表現なのだとわかります。

(8) a. I know your idea. (〇) (キミの考えは知っているよ。)
   b. I am knowing your idea. (×) (訳同上)

(9) a. I understand your idea. (〇) (あなたの考えは理解しています。)
   b. I am understanding your idea. (×) (訳同上)

(8b)と(9b)、どちらも進行形‘be+-ing’になっていてアウトです。「状態」を含意する動詞は、「動作の進行」を表現するような意味に変化することを強制されると、拒絶反応を示す性質があるのです。この点、‘understand’は、「理解する」というよりは、むしろ、「状態」的な表現の、「理解している」の方が、本来的な意味ということになります。それと、もちろん、(3)の動詞も、全て、「動作の進行」を表現することはできません。

(10) a. I belong to the tennis club. (〇) (テニス部に所属しています。)
    b. I am belonging to the tennis club. (×) (訳同上)

(11) a. I resembles my father. (〇) (私は父に似ています。)
    b. I am resembling my father. (×) (訳同上)

(12) a. I love Mary. (〇) (メアリーを愛しています。)
    b. I am loving Mary. (×) (訳同上)

ですので、(7b)の日本語訳もそれにしたがって、「~ わかっているかな?」にすれば、(6)に対する直訳に近づくわけで、それでも不自然な日本語訳ではありませんね。ただ、日本語としては、(7b)のような、「わかる」という行為で表現する習慣が一般的になっていますので、ここら辺りは、「行為」で表現しようが、「状態」で表現しようが、習慣の違い、という認識で収まる許容範囲内ということですね。

ただ、(6)の文の中の、‘know’の意味を考えると、ただ単に、その主語‘you’が、与えられた情報を盲目的に受け入れて、「知っている」のではなく、主語‘you’自身で考え、そして理解された上での知識として「知っている」ということにならなければならないので、ストレートに、英語の‘know’に日本語の「知っている」を対応させると、(6)のような使い方では、不適合が起こるというわけですね。これは‘know’に備わっている意味の守備範囲が、「知っている」とは、本来的にズレているからです。

この、(6)と(7a)の不適合の中身を調べると、(6)の話者‘I’は、発信している情報、「ボクの言っている意味」、を話題として出して発話する以前には、聞き手‘you’に理解は得られていないであろう、という前提で、(6)を発話しているので、話者‘I’自身の理解や主観を交えての考えを、聞き手‘you’に、これから理解させようと意図して発信しているわけです。

つまり、話者‘I’の気持ちにならない限り、知り得ないことを、聞き手‘you’に対して発信している最中なのに、話者‘I’が発信する以前に、聞き手‘you’がその内容について、すでに話者と気持ちを同化させて共有していることなどあり得ない、と想定しているわけですね。

こういった状況で、「知ってるかな?」という日本語の表現を使うのは、知らないことを知っているかな、というのと同じことで、意味が矛盾してしまうのです。ですので、どうしても、(6)の英語の場合は、日本語の「知っている」を当てると、意味がおかしく感じられるのです。しかし、(6)の英語がOKである事実からすると、‘know’には、「理解している」という状態も含意されているから、(6)はおかしくない、ということになるんですね。

「知っている」は既知の内容を前提としている動詞であり、未知の内容には不適合ですが、「理解している」は未知の内容に対して、考えて取り込むプロセスを含意する動詞なので、未知の内容と適合する動詞と言ってもよいでしょう。

以上から、‘know’は、動詞と言うには、「状態」的なので、日本語の動詞「知る」ほどには、行為的な性質をもってはいませんし、かと言って、じゃあ、「知っている」ならどうだ、と言われても、純粋に、ただ何の見識もなく情報を受け入れているだけの状態というわけでもなく、「わかっていて知っている」というような、どうも座りの悪い解釈をしなければならないようです。と言うよりも、直接対応する日本語が見あたらないので、その使われている文の含意に沿って適当な日本語を探しあてて使う、ということですね。

ところで、‘know’の「状態的」性質に関しては、‘know’に、‘get to’や‘come to’を足し合わせて、「知る」の意味に近づけるような、「知る+~ ている」で「状態」を表す日本語とは、ちょうど逆発想的な、意味の転換は可能です。

(13)I got to know her feelings. (彼女の気持ちを知った。)
(14)I came to know her feelings.  (訳同上)

以上から、文という単位のレベルだけでなく、単語という単位のレベルですら、日本語で対応させて記憶していたのでは、返って理解の妨げになる場合がある、というのがわかったと思います。まず、動詞においては、「状態動詞」と呼ばれる、日本語の動詞にはない、特有の概念があって、その性質は、「動作の進行」を表す意味に変化することをイヤがる動詞である、ということと、これとは全く別の側面として、純粋な日本語の意味とは、対応する訳にズレが生じてしまう場合がある、ということです。

そのため、日本語の語彙体系を習得している日本語話者からは、英語の語彙体系をよく考えてみる必要がある、ということです。今回のポイントは動詞といっても、日本語の動詞とはずいぶん違っていて、絶対に同じようなものだと決めてかかってはいけない、ということです。状態動詞については、まだ話すべきことはありますが、とりあえず、ここまで、ということで。

■注1 :日本語の「知る」は、英語では、他の動詞で表現されることの方が多いようです。ちょっと細かく分類されていて、‘learn’「(学んで)知る」、‘find’「(発見して)知る」、‘realize’「(悟って)知る」、などあります。
■注2 :日本語の動詞にも、「~ ている」の助けを借りずに、素で状態をあらわす動詞がないわけでもありません。「お金ならあるよ。」、の「ある」は動詞で、かつ、「状態」を表しています。「そりゃ、違うでしょ。」、の「違う」も動詞で、かつ、「状態」を表しています。


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英語学習法(68)

2005年03月25日 | 動詞
EG21の続きです。EG21では、「AはBを ~ される」という、日本語の側から、使役動詞‘have’を考えましたが、今回は、構文としてのカタチの側から考えてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1) a. Someone stole my bicycle. (何者かがボクの自転車を盗んだ。)
   b. My bicycle was stolen (by someone).
    ((何者かによって) ボクの自転車が盗まれた。)

(1a)の能動文、「主語(Someone)+動詞(stole)+目的語(my bicycle)」から、受身文をつくると、(1b)になりますね。受身文は、能動文に目的語がある場合にのみつくられる、というルールがあったのは大丈夫でしょうか。(EG35参照) (1a)の目的語‘my bicycle’「ボクの自転車」が、主語の位置に移動して、(1b)の受身文が完成します。ここで、(1b)は、もちろん、‘my bicycle’が主語であり、‘stolen ~’は述語ですね。

(2)I had my bicycle stolen (by someone).
  (ボクは (何者かによって) 自転車を盗まれてしまった。)

(2)の文は、使役動詞‘have’の中に、(1b)の「主語・述語」の関係をもった、‘my bicycle stolen (by someone)’を組み込んで、移植したカタチです。その際、(1b)の‘was’は、外してしまうのが、この構文のつくり方のコツでしたね。

ところで、(1b)と(2)の意味の違いは何なんでしょうか?まず、(1b)の意味を考えてみると、自転車が「盗む」という行為を受けているわけですから、自転車の持ち主にとっては、「被害」や「受難」の意味があると考えるのが普通でしょうが、そういった解釈が受身文の特徴である、とまで言い切ってしまうことは、まず、不可能です。

(3)John is respected by many people. (ジョンは大勢から尊敬されている。)
(4)John is trained by his boss. (ジョンは上司に訓練されているんだ。)

一般的に考えて、(3)のように、「尊敬される」というのは、良いことなので、主語‘John’の「受益」、または、話者が家族や親友ならば、話者にとっての「受益」と考えてもよさそうなものですし、一方、(4)のように、「訓練される」という意味は、シンドイことだと思えば、主語‘John’の「受難」になることもあるし、逆に、鍛えてもらっているので、ありがたいと思えば、「受益」にもなります。つまり、どちらの解釈になるかは、状況次第というわけですね。

しかし、さらに、もっと言えば、主語にとっての「受難」か「受益」か、などということは、どうでもいいことかも知れません。ただ単に、話者は、見たまま、ありのままを、事実として、ジョンが尊敬の対象である、ということや、訓練を受けている、と述べているだけ、ということもあり得ますからね。

ですので、(3)にせよ、(4)にせよ、無理に、「受難」や「受益」に解釈する必要はないんです。この点、(1b)も同様であり、「盗まれる」という行為があると、どうも、その持ち主に「被害者」的な雰囲気が漂いますが、「盗む」のように、選ばれる語彙によっては、たまたま、そのように解釈されることが多い、というだけのことなんですね。このように、実は、受身文のカタチそのものには、特に、「被害」や「受益」といった意味を指定するはたらきはなく、解釈の仕方によっては、どうとでも取れる場合が大半です。

(5)I had my eyes examined (by a doctor). (ボクは眼を (医者に)診てもらった。)

しかし、基本的には、使役動詞‘have’を使った場合は、ハッキリと「受難」か「受益」かのどちらかになり、特にどちらでもない、というわけにはいかないようです。(2)では、自転車を盗まれて、イヤな思いをしたのは、使役動詞‘had’の主語である、‘I’「ボク」になります。一方、(5)では、‘had’の主語‘I’「ボク」は、眼を診察してもらっているわけですから、「受益」という解釈になります。つまり、使役動詞‘have’の主語は、積極的に、「受難」か「受益」かの、どちらかを表現している、と言ってよいでしょう。

(6) a. John had Mary do his homework. (ジョンはメアリーに宿題をやってもらった。)
   b. Mary does his homework. (メアリーは彼の宿題をやる。)

(7) a. John had Mary steal his money. (ジョンはメアリーにお金を盗まれた。)
   b. Mary stole his money. (メアリーは彼のお金を盗んだ。)

ここで、(6a)や(7a)からわかるとおり、使役動詞‘have’の後にくる、「主語・述語」の関係における述語部分は、カタチとしては、常に過去分詞とは限らないことに注意して下さい。実は、使役動詞‘have’は、後に、「目的語+原形動詞」のカタチがくることもあります。

これは、EG66とEG67で見た、知覚動詞と同じく、「主語・述語」の関係が成り立っていれば、過去分詞以外に、原形動詞がきても構わない、ということです。(6b)と(7b)の対応している能動文から明らかなように、(6a)と(7a)の‘had’の後にきている、「目的語+原形動詞」のカタチでは、しっかり、「主語・述語」の関係が成り立っているのがわかりますね。

そこで、(6a)と(7a)の解釈ですが、宿題は、普通、人にやってもらうと、楽だし助かる、と思われる傾向があるので、(6a)の主語‘John’にとっては、「受益」ですね。一方、お金を盗むという行為は、盗られた側からすれば迷惑なことなので、(7a)の主語‘John’にとっては「受難」ということになりますね。次は、ちょっと状況によりけりという場合です。

(8)John had Mary drive his car.
(9) a. ジョンはメアリーにクルマを運転された。 (〇)
   b. ジョンはメアリーにクルマを運転してもらった。 (〇)

(8)は、使役動詞‘had’に組み込まれている、目的語‘Mary’と、原形動詞‘drive ~’の間で、「主語・述語」の関係が成り立っていますが、解釈は、「受難」か「受益」のどちらとも決めがたく、文脈によっては、「受難」の(9a)と、「受益」の(9b)の両方の解釈が可能です。

「受難」の解釈(9a)が成り立つのは、運転のヘタクソなメアリーが、ジョンの大事にしているクルマを運転したとか、黙って断りもなく、ジョンのクルマを勝手に使ったような場合ですね。一方、「受益」の解釈(9b)が成り立つのは、ジョンが疲れていたりして、運転が面倒だと感じているときに、運転をメアリーに交代してもらった場合ですね。さらに、以下はどうでしょうか。

(10)John had his lover killed.
(11)a. ジョンは愛人を殺された。
   b. ジョンは愛人を殺してもらった。

(12)John had his rumor go around.
(13)a. ジョンは自分のうわさを広められた。
   b. ジョンは自分のうわさを広めてもらった。

ここで注意して欲しいのは、EG67でもちょっと触れたことなんですが、(10)と(12)から明らかなこととして、‘have’の目的語が、「ヒト」か「モノ」かは、後に続く動詞のカタチを決定する上では、役に立たない、ということです。「ヒト+原形動詞」や、「モノ・コト+過去分詞」の公式は、(10)と(12)の例からは、全く成り立ちません。‘have’に関しては、「ヒト+原形動詞」や、「モノ・コト+過去分詞」の公式による説明が最も多く、解説本にまで堂々と書かれていることすらあるので、知覚動詞の場合以上に要注意です。

(10)の解釈が(11a)であるか、(11b)であるかは、もちろん、ジョンと愛人の関係が良好か否かによります。愛人との関係が良好ならば、愛人を殺されるのは、ジョンにとっては、くやしいことなので、(11a)の解釈になりますが、逆に、愛人に結婚を迫られたとか、妊娠してると脅されて、ヤバイ状況に立たされていれば、計画的に邪魔者を誰かに消してもらおう、とジョンは考えるかも知れませんので、(11b)が自然な解釈になりますね。次に、(12)の解釈としては、(13a)ならば、ジョンにとって恥になるようなうわさの場合で、一方、(13b)ならば、ジョンにとって自慢になるようなうわさの場合ですね。

以上からハッキリしたことは、使役動詞‘have’を使った構文では、そのカタチとして、知覚動詞の構文と同じように、‘have’の後には、「目的語+過去分詞」と、「目的語+原形動詞」がくるということです。そして、一般的に誤解されがちなのは、受身文の日本語訳が、「~ される」や、「~ られる」となりがちなことから、「‘have’+目的語+過去分詞」の構文の方は、‘have’の主語が、「受難」の意味になると思われているフシがあるのですが、そういったこととは関係なく、過去分詞であろうが、原形動詞であろうが、「受難」か「受益」の解釈は、文脈によって決まる、ということです。

これは、既に述べたように、もともとの受身文の解釈の仕方に誤解がある、ということが原因で、(3)や(4)からも明らかなように、受身文のカタチそのものには、「受難」や「受益」を指定するはたらきはなく、文脈や、一般常識から、妥当だと推測される意味に解釈するだけのことであり、その結果として、「受難」になったり、「受益」になったりするだけのことなんですね。ですので、「受難」や「受益」は、どちらかと言えば、付加価値的な意味なんです。そして、場合によっては、「受難」や「受益」など、どうでもいいということもある。

これと同様に、使役動詞‘have’にも、その主語が、「受難」となるか「受益」となるかを、後続する、「目的語+過去分詞」や、「目的語+原形動詞」といった、カタチそのものから指定するはたらきはない、ということなんです。しかし、受身文との違いは、「受難」や「受益」など、どうでもいい、という解釈にはならない、ということで、積極的に、「受難」か「受益」の、どちらかの解釈になります。これが基本的な使役動詞‘have’の使い方です。

あと、使役動詞‘have’には、使い方の問題で、「受難」や「受益」の意味が弱められてしまう場合があります。しかし、後に続く表現は、必ず、「主語・述語」という鉄則は守られていますので、この点だけしっかり押さえて、あとは意味の取り方にだけ注意しておけば、構文としては問題なく使えます。

(14)a. Can you have him come here at two ? (2時に、彼にこっちに来させてくれないかな。)
   b. He comes here at two. (彼が2時にこっちに来る。)

(15)a. Can you have the job finished by noon ? (正午までに仕事を仕上げてくれないかな。)
   b. The job is finished by noon. (正午までにその仕事が仕上がる。)

(14a)や(15b)の文における、‘have’を使った用法は、話者がお願いをしている、ということから、「話者の受益」という点が優先的に解釈され、そのためか、「受難・受益」といった利害の問題は、‘have’の主語である、‘you’には直接は関係ないと解釈される傾向があります。こういった優先解釈の問題で、‘have’の主語が中立的な立場になってしまうこともあります。つまり、他からの干渉や圧力がかかると折れてしまうような、結構、弱い側面がある、というのも‘have’の特徴です。

この場合は、「彼が2時に来る」ように取りはからう、とか、「正午までに仕事が終わる」ように取りはからう、というような、ある状態になるようにもっていく、というような感じになりますので、解釈としては、「~ が ・・・ (という状態)になるようにする」と理解しておけばよいと思います。

と、ここまで言って、使役動詞‘have’の全てを言い尽くせたかというと、そうではありません。今回はごく基本的なカタチと意味に触れたということになりますが、しかし、大体は、こんな感じで使うのが実用的な領域になると思います。むしろ、今回のポイントは、EG66とEG67で扱った、「知覚動詞」とのカタチの上での類似性です。意味の表し方は、基本が、「受難」か「受益」ということと、あとは、「知覚動詞」と「使役動詞」をセットにして、構文としてのカタチを使えるようになることが最初の目標になると思います。一生モノの表現力になることは保証できますので、是非ともマスターして下さい。

●関連: EG21EG35EG66EG67

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英語学習法(67)

2005年03月22日 | 動詞
EG66の続きです。知覚動詞です。以下、見ましょう。

(1)私はジャックを見た。
(2)私は、ジャックが蹴られるのを見た。

(1)では、ただ単に、ジャックという人物をを見た、ということが表現されているにすぎません。しかし、(2)では、ただ、ジャックを見た、というだけではなく、ジャックがどうなったのを見たのか、ということに焦点が当たっています。ですので、ジャックがどうなったのかを目で捕えた、というというところがポイントになっています。そこで、(2)のような日本語を、英語で、どう表現するか、ということになるわけですが、以下のようになります。

(3)I saw Jack. (訳同(1))
(4)I saw Jack kicked. (訳同(2))

EG66では、‘see’「見る」などの知覚動詞の後に、「目的語+動詞の原形」や、「目的語+‘-ing’」のカタチが続くパターンについて話したわけですが、今回は、ちょっと変わっていて、(4)にあるように、過去分詞‘kicked’が現れています。つまり、(4)では、(3)の、「主語(I)+動詞 (saw)+目的語(Jack)」のカタチに、‘kicked’がくっ付いただけですから簡単ですね。まず、(4)の‘Jack’が目的語であるということは、以下の文で‘Jack’を代名詞に置き換えたときに、目的格になることから証明されます。

(5)I saw him kicked. (私は、彼が蹴られるのを見た。)

それから、‘kicked’の部分は、なぜ「過去分詞」と断言できるのか、「過去形」ではないのか、という疑問も浮かびますが、最も直感的にわかりやすい理由は、日本語訳が、「蹴られる」になっていて、「~ られる」の部分が、何だか受身のような感じがするからかな、とも思いますが、しかし、そんなことはあまり当てにしない方がよいと思います。

(6)I saw him surprised. (私は、彼がビックリているのを見た。)
(7)I saw him annoyed. (私は、彼が悩んでいるのを見た。)
(8)I saw him embarrassed. (私は、彼が困惑しているのを見た。)

(6)~(8)の日本語訳をを見てわかる通り、決して、「~ られる」や、「~ される」などといった訳がスパッと決まっているわけではなく、‘-ed’のカタチに対応する部分に、「~ ている」などの日本語訳がくることもありますから、日本語訳からの決め付けは、危険であることがよくわかると思います。そして何よりも、目的語の後の、動詞の‘-ed’のカタチが、過去形ではないという、決定的な証拠は以下の通りです。

(9) I saw him beaten. (私は、彼が打ち負かされるのを見た。)
(10)I saw him eaten. (私は、彼が食べられるのを見た。)
(11)I saw him bitten. (私は、彼が噛まれるのを見た。)

(9)~(10)では、不規則変化する動詞の中でも、過去分詞専用のカタチをもっている動詞が目的語の後に使われています。それぞれ、‘beat-beat-beaten’「打ち負かす」、‘eat-ate-eaten’「食べる」、‘bite-bit-bitten’「噛む」、の3番目にきているカタチですよね。そして、さらに、以下のように、‘by ~’を付けてもOKです。

(12)I saw him beaten by the rival. (私は、彼がライバルに打ち負かされるのを見た。)
(13)I saw him eaten by a monster. (私は、彼が怪獣に食べられるのを見た。)
(14)I saw him bitten by a lion. (私は、彼がライオンに噛まれるのを見た。)

(12)~(14)における、「過去分詞+‘by ~’」のカタチから、何だか、「受身文」の特徴のようなものが色濃く表れてきましたね。ここで、思い出して欲しいのは、EG66の、「知覚動詞+目的語」の後にある動詞は、原形だったり、‘-ing’のカタチだったりしたわけですが、そういった、「目的語+動詞の原形」や、「目的語+‘-ing’」のカタチの間には、両方とも、「主語・述語」の関係があった、ということです。そこで、もうおわかりかと思いますが、やはり、知覚動詞の後に続く、「目的語+過去分詞」の間にも、「主語・述語」の関係があるということなんです。

(15)He was beaten by the rival. (彼はライバルに打ち負かされた。)
(16)He was eaten by a monster. (彼は怪獣に食べられた。)
(17)He was bitten by a lion. (彼はライオンに噛まれた。)

(15)~(17)は、全て受身文です。そして、その受身文の、be動詞‘was’を取り外して、主語‘he’を目的格‘him’に変えてやれば、あとは、そのまま、(12)~(14)のように、知覚動詞‘saw’の後につなげてやることが可能になります。ですので、通常、受身文のカタチで使われるような文は、その「主語・述語」の関係として、「目的語+過去分詞」のカタチをとって、知覚動詞の後に現れる、と結論付けてもよいと思います。

これで、知覚動詞の後にくるカタチとして、EG66からトータルで、「目的語+動詞の原形」、「目的語+‘-ing’」、「目的語+過去分詞」が出てきたわけですが、これらは、いずれも「主語・述語」の関係をキッチリ守っていることがわかったと思います。この線で考えていくと、この「主語・述語」の関係が、知覚動詞を理解する上での、最も大事なポイントになりそうですね。続けて、以下、見ましょう。

(18)I heard Mary shut the door. (メアリーがドアを閉めるのを聞いた。)
(19)I heard the door shut (by Mary). (ドアが(メアリーに)閉められるのを聞いた。)

(18)と(19)は、どちらもOKの文ですが、ちょっと厄介なのは、「主語・述語」の関係が、能動文からのものなのか、それとも受身文からのものなのか、必ずしも、目的語の後にある動詞のカタチだけからは、判断がつかない場合がある、ということです。‘shut’「閉まる」の活用は、‘shut(原形)-shut(過去形)-shut(過去分詞)’というように、原形と過去分詞のカタチが同じなので、(18)と(19)の‘shut’は、原形なのか、過去分詞なのかを見分ける際に、知覚動詞の後にある目的語との関係を、逐一、チェックしなければならないということです。

(20)Mary shut the door. (メアリーはドアを閉めた。)
(21)The door was shut (by Mary). (ドアが(メアリーに)閉められた。)

(18)は、(20)の能動文の「主語・述語」の関係を、‘heard’に組み込んでいるので、‘shut’は原形だと判断されます。一方、(19)は、(21)の受身文の「主語・述語」の関係を、‘heard’に組み込んでいるので、‘shut’は過去分詞だと判断されます。

ここで、なぜか、学校の英文法などで、安易に、目的語が、「ヒト」の場合は、後に原形、または、‘-ing’がくるが、一方、目的語が「モノ」の場合は、後に過去分詞がくる、などと教わる人がいるようなので、あえて付言しておきますが、そのようなアホらしい判断基準は、即刻、捨てて下さい。

当たり前のことなんですが、今回の(4)~(17)の例は、全て、そのような説明に対する、ストレートな反例となっていて、目的語が「ヒト」であるにも関わらず、その後に過去分詞がきています。そして、逆に、以下は、「モノ」が目的語であるにも関わらず、その後に動詞の原形、または、‘-ing’のカタチがきています。

(22)a. I saw the book fall from his hand. (その本が彼の手から落ちるのを見た。)
   b. The book fell from his hand. (その本は彼の手から落ちた。)

(23)a. I heard the bridge break down. (その橋が崩れ落ちる音を聞いた。)
   b. The bridge broke down. (その橋は崩れ落ちた。)

(24)a. I felt my heart beating fast. (自分の心臓がドキドキ鼓動しているのを感じた。)
   b. My heart was beating fast. (自分の心臓はドキドキ鼓動していた。)

(22a-b)~(24a-b)の各ペアは、(a)が、「知覚動詞+目的語+原形動詞」、または、「知覚動詞+目的語+‘-ing’」のカタチになっていますが、それら全ては、(b)の文を「目的語+原形動詞」、または、「目的語+‘-ing’」のカタチに変換して、組み込んでいます。ですので、目的語が、「ヒト」か「モノ」か、などといった基準で後続する動詞のカタチが決定されるなど、全くもってマト外れです。

あと、注意点ですが、受身文における、「主語・述語」の関係は、前置詞が残されているような受身文のカタチにおける前置詞も、そのまま移植の対象とされます。(EG35参照) まず、以下の能動文(25)から、受身文(26)がつくられるのを確認して下さい。

(25)Mary laughed at John. (メアリーはジョンを笑った。)
(26)John was laughed at _ (by Mary). (ジョンは(メアリーに)笑われた。)

能動文(25)は、「主語(Mary)+自動詞(laughed)+前置詞(at)+目的語(John)」のカタチで、その目的語‘John’を、主語の位置に移動することでつくられた受身文(26)では、当然のことながら、前置詞‘at ~’の後が空所になっています。このように前置詞が残っているカタチも、そのまま、知覚動詞に移植してOKです。

(27)I saw John laughed at (by Mary). (ジョンが(メアリーに)笑われるのを見た。)

以上、確かなこととして言えるのは、知覚動詞の後にくる、「目的語+動詞の原形」、「目的語+‘-ing’」、「目的語+過去分詞」のカタチは、必ず、「主語・述語」の関係が移植されているということであり、この関係が守られていれば、以下のように、応用的な表現も可能となります。

(25)a. Jack saw her with another man. (ジャックは彼女が別の男といっしょにいるのを見た。)
   b. She was with another man. (彼女は別の男といっしょだった。)

(25a)はOKになる文ですが、もちろん、(25b)の文において‘she’が主語、‘with ~’が述語なので、その「主語・述語」の関係が、(25a)の‘saw’に移植されて成立しているわけですね。このことから、‘with ~’のような前置詞を使った述語も発展型として認められています。

今回のポイントは、EG66に続いて、知覚動詞には、後続するカタチとして、「目的語+動詞の原形」と「目的語+‘-ing’」以外に、「目的語+過去分詞」のカタチも存在する、ということでした。しかし、カタチの種類が増えたといっても、どのカタチにも、必ず、「主語・述語」の関係がある、という法則に何ら変わりはなく、この点を押さえておけば、自分から作文したり、話したりする際に、自信をもって、正しい表現だと判断することができるようになりますので、「英語脳」的には、やはり、必須のワザです。

この種の「主語・述語」の関係を組み込んだ構文は、知覚動詞以外にも、バリエーションが多く、もちろん、基本文型的な文の骨格となるものが中核となる構文ですが、派生的な変種として、副詞的なもの(文の骨格とはならないようなもの)まであり、数多く存在します。ですので、実践的な英語脳を形成するには、必ず、今回のような、特定構文の中にひそむ、「主語・述語」の関係を見抜くワザを身に付けて下さい。

■注1 :「主語・述語」の関係が組み込まれた、他の構文の代表格としては、「使役動詞」があります。(EG21参照) 副詞的にはたらく、「主語・述語」の関係を要求する構文としては、分詞構文があります。

■注2 :使役動詞の後にくる、「主語・述語」の関係が、受身文のカタチ、「‘be’+過去分詞」からの移植である場合、EG66の、進行形‘be+-ing’からの移植の場合と同様に、‘be’動詞は、現在か過去か、といった、時制に関する情報以外は、特に意味内容をもたないので、消してしまうのが基本です。ですので、そのような‘be’動詞に限り、「動詞の原形」という選択肢からは、外しておくのを忘れないようにして下さい。

■注3 :能動文にせよ、受身文にせよ、現在形や過去形で時間を表現しているのに、知覚動詞に組み込む際に、その動詞を原形にしたり、‘be’動詞を外してしまったりするわけですから、時間(時制)の表現はどうなるのか、という疑問がわきますが、知覚動詞に組み込まれた表現は、知覚動詞の時制に合わせることになっています。つまり、知覚動詞による動作と「同時」に起こっている出来事だと解釈してOKです。


●関連 :EG21EG35EG66

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英語学習法(66)

2005年03月19日 | 動詞
また動詞編ですが、今回考えるのは、日本語の、「Aが ・・・ しているのを ~する」はどう表現されるのか、ということです。以下、見ましょう。

(1)私はトムを見た。
(2)私はトムが逃げるのを見た。

(1)では、ただ単に、トムという人物をを見た、ということが表現されているにすぎません。しかし、(2)では、ただ、トムを見た、というだけではなく、トムが何をするのを見たのか、ということに焦点が当たっています。ですので、トムの「行動」を目で捕えた、というというところがポイントになっています。そこで、(2)のような日本語を、英語で、どう表現するか、ということになるわけですが、以下のようになります。

(3)I saw Tom. (訳同(1))
(4)I saw Tom run away. (訳同(2))

(4)では、(3)の、「主語(I)+動詞 (saw)+目的語(Tom)」のカタチに、‘run away’「逃げる」がくっ付いただけですね。ですので、思ったよりも、ずいぶんと簡単なんですね。この‘run away’の動詞部分である‘run’は、‘run (原形)- ran (過去形) - run (過去分詞)’の活用における過去分詞ではなく、原形です。この動詞の原形部分を他の動詞の原形に入れかえれば、もちろん、いろんな表現が可能ですので、是非ともマスターしたい表現ですね。

(5)Lucy saw Tom do his homework. (ルーシーはトムが宿題をするのを見た。)
(6)Lucy saw Tom read the book. (ルーシーはトムが本を読むのを見た。)

ここで注意点ですが、日本語の、「Aが ~ するのを見た」の「Aが」は、「~ が」の部分から、あたかも主語であるかのように日本語で表現されていますが、英語の(4)~(6)の構文では、実は、‘Tom’「トム」は目的語であり、その証拠として、‘Tom’を代名詞に置き換えると、必ず、目的格‘him’のカタチになります。

(7)I saw him run away. (私は彼が逃げるのを見た。)
(8)Lucy saw him do his homework. (ルーシーは彼が宿題をするのを見た。)
(9)Lucy saw him read the book. (ルーシーは彼が本を読むのを見た。)

(7)~(9)で確認されるように、やはり、「主語+動詞+目的語」のカタチの後に、動詞の原形をくっ付けただけだということがわかります。なので、「三人称・単数・現在」の‘-s’を、目的語の後の原形動詞に、誤ってくっ付けることのないように注意して下さい。しかし、その一方で、それぞれの日本語訳からも明らかなことは、「彼が逃げる」、「彼が宿題をする」、「彼が本を読む」、というように、解釈の上では、‘saw’の後に続く目的語と動詞の原形の間には、「主語・述語」の関係が成り立っているのがよくわかりますね。

(10)He runs away. (彼は逃げる。)
(11)He does his homework. (彼は宿題をする。)
(12)He reads the book. (彼は本を読む。)

このような、「主語・述語」の関係は、英語ではカタチの上では、‘see’の直後で、「目的語+動詞の原形」で表現されるので、そのような決まりになっていると覚えて下さい。ところで、このようなパターンで使われる‘see’のような動詞は、他には、以下のようなものがあります。

(13)‘hear’「聞こえる」、‘watch’「(注意して)見る」、‘feel’「感じる」、
   ‘listen to’「(意識して)聞く」、‘look at’「(意識して)見る」、その他

(13)のタイプの動詞は、五感などの神経感覚に関係している意味をもつ、ということから、「知覚動詞」と呼ばれています。特に、(13)の、‘listen to’や‘look at’は、他の他動詞と違って、「自動詞+前置詞」のカタチですので、‘to’や‘at’の前置詞との組み合わせで覚えておくのを忘れないようにして下さい。

(14)Lucy looked at him walk on the floor. (ルーシーは彼が床を歩くのを見た。)
(15)Lucy listened to him sing a song. (ルーシーは彼が1曲歌うのを聴いた。)

ところで、「知覚動詞」には、目的語の後にくる動詞に、ちょっとした変化をつけることで、その意味に違いを出すことが可能です。その変化は、動詞の原形ではなく、動詞の‘-ing’のカタチを使ってやることです。そうすることで、例えば、(14)と(15)には、以下のような違いが出せます。

(16)Lucy looked at him walking on the floor.
  (ルーシーは彼が床を歩いているところを見た。)

(17)Lucy listened to him singing a song.
  (ルーシーは彼が1曲歌っているところを聴いた。)

(14)と(16)の違いは、(14)が、「歩く」という動作に、特に何もポイントを付けてはおらず、「歩き」のどの部分にも焦点は当てられていませんので、歩き始めから歩き終わりの一部始終を見た、ということを含意することが可能です。一方で、(16)は、‘-ing’のカタチからもわかる通り、進行中の動作、という点に焦点が当てられ、歩いている「瞬間」や、歩きが進行している点が強調された解釈になります。

(15)と(17)の違いも、(14)と(16)の違いと同じです。(15)では、「歌う」という行為に、特に何もポイントは付けてはおらず、「歌う」のどの部分にも焦点は当てられていませんので、まるまる1曲分の歌い始めから歌い終わりの一部始終を聴いた、ということを含意することが可能です。一方で、(17)では、歌っている「瞬間」や、「歌う」という行為が進行中である点が強調された解釈になります。こういったことも、基は、目的語と‘-ing’のカタチの間に、進行形の関係があり、意味もそれに倣っている、というところからきています。

(18)He is walking on the floor. (彼は床を歩いている。)
(19)He is singing a song. (彼は1曲歌っている。)

ここから、例えば、‘walk’「歩く」という動詞は、瞬間的な時間を表現する語句を付け足してやると、進行形とそうではないカタチの間にハッキリとした意味の差が出ます。

(20)He walked on the floor at three. (彼は3時に床を歩いた。)
(21)He was walking on the floor at three. (彼は3時に床を歩いていた。)

(20)は、もともと、ちょっと意味が変に感じられるのですが、「歩く」という動作の中でも、「歩き始め」の方にポイントが置かれます。つまり、3時に歩き始めた、というイメージで解釈されます。一方、(21)は、進行形‘be+-ing’のカタチで、瞬間的な動作にうまくマッチするカタチなので、まさに、そのまま、3時キッカリには、歩くという動作が進行中であった、という解釈になります。こういった意味の関係は、知覚動詞の中でも、そのまま生かされます。

(22)I saw him walk on the floor at three. (彼が3時に床を歩くのを見た。)
(23)I saw him walking on the floor at three. (彼が3時に床を歩いているのを見た。)

知覚動詞、‘see’の中で、(20)を表現した(22)でも、やはり、彼が3時に歩き始めるのを見た、というイメージで解釈され、‘see’の中で、(21)を表現した(23)は、3時キッカリには、歩くという動作が進行中で、その瞬間を見た、という解釈になります。

ところで、こういった知覚動詞は、後続する、「目的語+動詞の原形」または、「目的語+‘-ing’」のカタチが、「主語・述語」の解釈を受ける、といった点から、‘that’節との相性はどうなっているのだろうか、ということが、よく疑問点として上げられます。

(24)I see [ that Tom ran away ]. ([ トムが逃げたってことは ] わかってるよ。)
(25)I heard [ that Tom sang a song ]. ([ トムが歌ったってことは ] 聞いたけどね。)

結論から言うと、知覚動詞と‘that’節とのつながりは、直接的な「知覚」という観点からは、やや遠ざかっている解釈になります。(24)の‘see’は、トムが逃げるという行為を目で見る、という意味ではなく、むしろ、トムが逃げたという情報を、新聞や何かの書かれたものを見ることで得た、という意味があります。(25)では、トムの歌を聴いたのではなく、トムが歌ったという話を人から聞いたという意味になってしまいます。

このように、‘that’節には、「直接的な知覚」を受け付けないような側面があるので、もともと‘that’節を取らない知覚動詞もあるし、例え、‘that’節を取ったとしても、(24)や(25)のように、必ず、直接的な知覚の意味からは遠ざかるように、解釈に変化が生じています。このことから、真の意味での「知覚」を表す場合、知覚動詞は、‘that’節を取らないと結論付けてもよいでしょう。

今回のポイントは、英語の動詞には、目的語だけではなく、その目的語の動作といった表現までも組み込んで、文の骨格としてしまう動詞があるということです。こういった動詞は、「主語・述語」の関係を、目的語と動詞の原形、または、目的語と‘-ing’というカタチに変換して自分の中に組み込んでしまうはたらきがあるんですね。

しかし、その「主語・述語」の関係において、その「主語」が目的語のカタチをとる、という決まりごとの方は単純で、今回の話以外に言うべきことは何もありませんが、「述語」の部分に関しては、進行形以外にも、他の構文があることから、結構いろんなカタチがありそうだなと、容易に想像できますね。今回見たのは、もちろん、その数あるカタチの中の1つに過ぎません。別のカタチは、またの機会にでも見ていきたいと思います。

■注1 :今回扱った構文は、学校で習う「基本5文型」では、「S+V+O+C」という分類になります。「S+V+O+C」では、OとCの間に、「主語と述語の関係がある」、または、「イコールの関係がある」、などと説明されます。

■注2 :(22)と(23)における、‘at three’「3時に」は、文脈なしに、(22)と(23)の文だけを見ると、本来は、むしろ、‘saw’「見た」の方にかかって、「~ を3時に見た」、と解釈される傾向がありますが、「見た」という動作と、「歩く」、または、「歩いている」という動作は同時に起こっているので、「3時に」が、どちらにかかっていても、結果的に意味に大きな違いはなく、不都合はありません。そこで、とりあえず、(22)と(23)では、「~ を3時に見た」の解釈は外しておくものとします。

■注3 :使役動詞の後にくる、「主語・述語」の関係が、進行形、‘be+-ing’からの移植である場合、‘be’動詞は、現在か過去か、といった、時制に関する情報以外は、特に意味内容をもたないので、消してしまうのが基本です。ですので、そのような‘be’動詞に限り、「動詞の原形」という選択肢からは、外しておくのを忘れないようにして下さい。


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英語学習法(65)

2005年03月16日 | 動詞
EG60、EG61、EG64の続きで、二重目的語の構文ですが、今回は、ちょっとその変則性について考えてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)Roy explained the theory to Sally. (〇) (ロイはサリーにその理論を説明した。)
(2)Roy explained Sally the theory. (×) (訳同上)

(1)では、‘explain A to B’「AをBに説明する」の構文が使われています。そしてOKになっていますね。一方、(2)では、‘explain B A’「AをBに説明する」、つまり、二重目的語の構文が使われていまが、アウトになっています。

二重目的語の構文に関して、基礎編にあたる、EG60で確認したのは、‘explain’「説明する」は、二重目的語のカタチで使うことはできない、という決まりがあることでしたので、結局、そのまんま暗記しなさい、ということでした。ですので、(2)がアウトになるのは仕方ないんですが、でも、そんなこと言われても、ちょっと納得いきません。というのは、以下のような例があるからです。

(3)Roy explained her the theory. (〇) (ロイは彼女にその理論を説明した。)

(3)は、(2)の二重目的語の‘Sally’「サリー」(=B)を、代名詞‘her’「彼女に」、に置きかえてみたんですが、何と、OKになるということなんです。これは、一体どういうことなんでしょうか?英語の辞書など調べてみると、(3)は、「非標準的」だが、まれに使われる、などとコメントしてある場合もあって、シブシブ、(3)を認めているようなフシもあるんです。

でも、本当は、(3)の使用は、シブシブ認めて、やっと「非標準的」なんてもんじゃないんだそうです。英語話者なら、誰が聞いても、全くOKだと判断するほど、(3)はフツーに感じられるんだそうです。ですので、「英語脳」的には、(3)は、現実の世界ではOKで、学校でのペーパー試験の世界などでは、アウトにしておくという、ちょっと、変な措置を取ることにします。そこで、問題となるのは、なぜ、(2)と(3)のような差が生じてしまうのか、ということなんですが、これは、他の動詞を使った場合も考慮した方が良さそうです。

(4)Roy opened Sally the door. (×) (ロイはサリーにドアを開けてやった。)
(5)Roy opened her the door. (〇) (ロイは彼女にドアを開けてやった。)

(4)と(5)では、‘open B A’「BにAを開けてやる」を使っていますが、Bに‘Sally’「サリー」を使うとアウトで、一方、‘Sally’を代名詞‘her’「彼女に」、に置きかえた(5)は、やはりOKだそうです。ここで、EG64で話した、「情報の新鮮度」が、二重目的語の構文の容認度に与える影響を思い出してほしいのですが、EG64の傾向(14)では、二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、Bが、「不定」解釈になるほど、「情報の新鮮度」が高すぎるものであってはならない、という傾向があるのを確認しました。

そこで、割とOKになる傾向がある、(3)や(5)の、「動詞 B A」のカタチでは、Bが代名詞であり、情報的な価値としては、一般的に低いと見られる傾向がある、という点がポイントになると思います。つまり、二重目的語の構文、「動詞 B A」のカタチでは、Bの「情報の新鮮度」が高すぎると、容認度の低下をまねく要因になるけど、一方で、逆に、Bの「情報の新鮮度」が低ければ低いほど、本来、二重目的語を取らないとされる動詞が、二重目的語を取りやすい状態になるのではないか、と推測されます。

(6)Roy donated the Red Cross a few dollars. (×) (ロイは赤十字に数ドルの寄付をした。)
(7)Roy donated them a few dollars. (〇) (ロイは彼らに数ドルの寄付をした。)

‘donate’「寄付する」も本来、(6)のように、二重目的語は取らず、‘donate A to B’「AをBに寄付する」というカタチで使うのが正しいとされているのですが、やはり、(7)のように、Bを代名詞にしてやると、二重目的語を取りやすくなるようです。

以上、こういった傾向は、ヒトがコトバを使う際の、心理的な側面からは自然なことだと思います。本来は正しい使い方ではない、とされているような表現でも、何らかの一定の条件をクリアしてしまえば、一種の転用現象が起こるということですね。上で例にあげた、‘explain’「説明する」、‘open’「開ける」、‘donate’「寄付する」は、比較的、二重目的語の用法が、最近になって、数多く確認されてきている代表的なものです。

しかし、上であげた動詞以外にも、本来は二重目的語を取らないとされている動詞で、実際には、二重目的語の用法が確認されている動詞があり、よく調べてみると、やはり、ある一定の条件が複合的に重なると、OKになるようです。

例えば、「動詞 A for B → 動詞 B A」の、Bが「利益」を受ける、とされていることを表すカタチの場合、上であげた代名詞の条件以外に、他の面からも、積極的に、Bが「利益」を受けるような意味になるようにサポートしてやれば、本来、二重目的語の構文で使えない動詞も、「動詞 B A」のカタチを取るようになったりします。

(8)Roy killed Sally the snake. (×) (ロイはサリーにヘビを殺してやった。)
(9)Could you kill me the snake? I am very scared. (〇)
  (そのヘビ殺してよ~、すごく怖いんだもん。)

(10)Roy cut Sally her hair. (×) (ロイはサリーに髪を切ってやった。)
(11)Could you cut me my hair? It is too long. (〇) (髪切ってくれる?長すぎるのよ。)

‘kill’「殺す」や‘cut’「切る」は、(8)や(10)のように、本来、二重目的語を取らない動詞ですが、(9)や(11)のように、「動詞 B A」のカタチになっても、積極的に、Bの側に、「受益」が表現されていれば、OKになります。(8)からは、サリーがヘビ嫌いかどうかはわかりませんので、目の前のヘビを殺すことが、サリーにとって利益となるかどうかはわかりません。

しかし、(9)のように、サリーがヘビを怖がっている描写の中では、目の前のヘビを殺すことは、サリーにとっての利益となります。加えて、プラスの効果として、Bに代名詞が使われていることも一役かっていますので、(9)は、‘kill B A’のカタチをOKにしやすい環境が整っていると言えるでしょう。

(10)も同様に、サリーの髪を切ることが、サリーにとっての利益となるかどうかわからない状況なので、アウトになります。しかし、(11)のように、サリーが、自分の髪が長すぎると感じている描写があれば、切ってもらいたいという、サリーの希望が表現されていることになり、髪を切ることは、サリーにとっての利益と見なせますので、二重目的語のカタチをOKにすることができます。ここでも、やはり、プラスの効果として、Bが代名詞であることが、(11)をOKにしやすくする手伝いをしています。

今回のポイントは、以上、見たように、二重目的語のカタチは、構文そのものが内側にもつ意味的な特性以外に、外側からのサポートによって課せられる意味的な条件が整うと、動詞によっては、結構な新造力があり、非常に「生産的」な構文だと言えるということです。二重目的語には、こういった「生産性」があるため、使用上の扱いが非常に流動的です。

各動詞の、二重目的語がOKか否かの問題で、辞書などに、ゴニョゴニョと中途半端で例外的な注意書きしかしていないのは、このためで、動詞そのものの意味的な問題もあるのですが、その他に、使用する上での文脈などの外的な環境も問題となったりするので、個々の動詞に、「〇・×」をハッキリとラベル付けするのが困難なのです。ですので、実際の例で、意外な動詞を用いた、二重目的語の構文らしきものを見かけたら、まず、どの程度の外的な援助がはたらいているのかを考慮するという視点が必要になってきますね。

■注 :たまに見かける解説本などで、二重目的語を取る動詞と、取らない動詞の特徴を、1音節の動詞がどう、2音節以上の動詞はどう、といったように、動詞の「音節」に求めるといったものがありますが、反例が多く、大した説明力はありません。そして、何よりも、今回のように、「意味的」な環境を、内側と外側のトータルで考えて、二重目的語の可否が、流動的に決定されるという事実があると、「音節」でによる説明では、その「生産性」に対して、全く動きがとれなくなるという点で、決定的に今後の発展性も期待できないものと思われます。

●関連: EG60EG61EG64

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英語学習法(64)

2005年03月13日 | 動詞
EG60とEG61の続きで、二重目的語の構文です。EG61では、二重目的語の構文のカタチそのものに内在する、いわば、「内側」の特性としての一般的な傾向を観察しましたが、今回は、「外側」から課せられる一般的傾向を考察してみたいと思います。そこで、「動詞 A to B」と、「動詞 B A」のどちらも許す、‘give’「与える」を使って、以下、見ましょう。

(1) a. Bill gave a book to Sally. (ビルはサリーに本を与えた。)
   b. Bill gave Sally a book. (訳同上)

(2) a. Bill gave a book to the woman. (ビルはその女性に本を与えた。)
   b. Bill gave the woman a book. (訳同上)

(3) a. Bill gave a book to her. (ビルは彼女に本を与えた。)
   b. Bill gave her a book. (訳同上)

いきなり、似たような文がズラッと並んでいますが、(1a-b)~(3a-b)では、(a)が‘give A to B’「AをBに与える」、一方、(b)が‘give B A’「AをBに与える」のカタチとなっています。ここで、細かい違いは、(1a-b)では、Bに‘Sally’「サリー」、(2a-b)では、Bに‘the woman’「その女性」、そして(3a-b)では、Bに‘her’「彼女」というように、ちょっとずつ、Bに相当する単語を入れかえてある、ということです。

そこで、あくまでも一般的な傾向ですが、全く同じ条件の下で、単語そのものだけを比較するならば、‘Sally’「サリー」、‘the woman’「その女性」、‘her’「彼女」という順番で、話題の中での「情報の新鮮度」が反映される傾向があります。

つまり、「サリー」というような、直接何か(誰か)を指すような表現は、情報の新鮮度が高い傾向にありますが、「その ~」というような表現になると、一度どこかで、既に話題に登場していることになり、情報の新鮮度が、「サリー」というような表現と比べると、低く感じられます。そして、「彼女」のような、一度話題に上ったものを受けるための専用表現である代名詞になると、情報の新鮮度が最も低い、ということになります。

そこで、微妙な違いではありますが、(1a-b)~(3a-b)、それぞれのペアにおいて、英語のネイティヴが、(a)と(b)を比較判断してみると、(1a)よりは(1b)、(2a)よりは(2b)、そして、(3a)よりは(3b)の方が良く感じる、という傾向があるみたいです。しかし、各ペアの(a)と(b)、どちらも基本的に悪い文、というわけではありません。あくまで、意識的に比較すると、各ペアの(a)よりは(b)の方が良く感じる、という程度のものですので、大した差ではありません。各ペアの(a)と(b)、どちらも基本的にOKです。

(4) a. Bill gave the book to Sally. (ビルはサリーにその本を与えた。)
   b. Bill gave Sally the book. (訳同上)

(5) a. Bill gave the book to the woman. (ビルはその女性にその本を与えた。)
   b. Bill gave the woman the book. (訳同上)

(6) a. Bill gave the book to her. (ビルは彼女にその本を与えた。)
   b. Bill gave her the book. (訳同上)

今度は、(4a-b)~(6a-b)ですが、それぞれのペアにおいて、(1a-b)~(3a-b)の、‘a book’を、全て‘the book’に入れかえてみました。すると、(4a-b)と(6a-b)の各ペアの(a)と(b)においては、やはり、微妙な差があるという程度で大きな差はなく、(a)と(b)、どちらも基本的にOK、という判断になりますが、しかし、(5a-b)のペアのみが、どちらも優劣を付けがたい、という判断になります。というよりも、(5a-b)は、どちらも等しく奇妙に感じる、という判断になるようです。

(7) a. Bill gave a book to a woman. (ビルはある女性に本を与えた。)
   b. Bill gave a woman a book. (訳同上)

(8) a. Bill gave the book to a woman. (ビルはある女性にその本を与えた。)
   b. Bill gave a woman the book. (訳同上)

今度は、(7a-b)と(8a-b)ですが、(7a-b)のペアは、どちらも奇妙に感じる、という判断になるようです。しかし、一方で、(8a-b)のペアですが、(8a)はOKなのに、(8b)は奇妙に感じる、という判断になるようです。

以上見た感じで、もう、そろそろわかってきたと思いますが、どうやら、‘give A to B’のカタチであろうと、‘give B A’のカタチであろうと、AとBとの間には、比較上の、「情報の新鮮度」に関するコントラストが必要である、と言えそうです。つまり、AとBとの間で、「情報の新鮮度」にコントラストが感じられない、(5a-b)と(7a-b)のペアは共に奇妙に感じられる、ということですね。

しかし、それでは、AとBの間の「情報の新鮮度」にコントラストがある(8a-b)はどうなるんだ、ということになってしまいます。(1a-b)、(2a-b)、(3a-b)、(4a-b)、そして、(6a-b)は全て、「情報の新鮮度」にコントラストがあり、かつ、どちらも、微妙に差はあるけど、基本はOKなのです。一方、(8a-b)においては、(8a)はOKだけど、(8b)は奇妙だとの判断を受けています。

これは、どうやら、二重目的語の構文のカタチになると、「動詞 B A」のBに、不定冠詞‘a’や‘an’が付くほどの、情報の新鮮度をもった表現がくること自体が許されないようです。例えば、「サリー」のような人の名前は、他の条件が同じなら、「その ~」や、「彼女」といった表現よりも比較上、情報の新鮮度は高いんですけど、結局は、固有名詞になり、特定の固体を指す表現なので、解釈は、「不定」ではなく、「定」になってしまいます。そこで、‘a’や‘an’のような不定冠詞が付くような「不定」の表現ほどには新鮮度はない、ということなんですね。

そこで、二重目的語の構文のカタチ、「動詞 B A」のBは、どうやら、不定表現に対しては、相性が悪い、というような条件があるようです。ですので、(7a-b)の(7b)に関しても同じことが言えるんですが、しかし、(7a)と(7b)は、どちらも奇妙だと判断されているので、これは、(5a-b)のペアで、(5a)と(5b)が、どちらとも奇妙と判断されていることもあわせて考えると、AとBの間には、「情報の新鮮度」にコントラストがなければならない、という、独立した別の条件も必要になってきます。

(9) a. Bill gave it to a woman. (〇) (ビルはそれをある女性に与えた。)
   b. Bill gave a woman it. (×) (訳同上)

(10) a. Bill gave it to Sally. (〇) (ビルはそれをサリーに与えた。)
    b. Bill gave Sally it. (×) (訳同上)

(11) a. Bill gave it to the woman. (〇) (ビルはそれをある女性に与えた。)
    b. Bill gave the woman it. (×) (訳同上)

(12) a. Bill gave it to her. (〇) (ビルはそれを彼女に与えた。)
    b. Bill gave her it. (×) (訳同上)

今度は、(9a-b)~(12a-b)ですが、それぞれ(a)と(b)のペアにおいて、‘give A to B’のカタチと‘give B A’のカタチのいずれであっても、全て、Aには代名詞の‘it’を使っています。すると今度はハッキリと、「〇・×」で示せるほどに、各ペアの(a)と(b)の間に差が出るようです。

(9a-b)~(12a-b)を見て、ひと目でわかるのは、‘give B A’のカタチでは、Aに‘it’を使うと、Bがどのような名詞であろうとアウトになってしまう、ということです。つまり、‘it’のような、「情報の新鮮度」を著しく低下させる傾向のある代名詞は、二重目的語のカタチ、「動詞 B A」のAに使用することは不可能である、ということです。以上からわかった、一般的な傾向をまとめると以下のようになります。

(13)「動詞 A to B」のカタチ、及び、二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、
   AとBとを比較して、「情報の新鮮度」に関するコントラストが必要である。

(14)二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、Bが、「不定」解釈になるほど、
   「情報の新鮮度」が高すぎるものであってはならない。

(15)二重目的語、「動詞 B A」のカタチでは、Aが、代名詞になるほど、
   「情報の新鮮度」が低すぎるものであってはならない。

ここで注意点ですが、傾向(13)は、(14)や(15)の傾向と比べると、それほど強い強制力はないようです。傾向(13)は、(5a-b)と(7a-b)の容認度の低さから要求されるものだったわけですが、しかし、(5a-b)と(7a)のような文は、その文だけをいきなりポンと与えられると奇妙に感じるだけであって、実際の発話では、結構、容認されています。(ただし、(7b)は、傾向(14)にも、引っかかるので、どの道、救えません。)

それは、実際の文は、必ず、「文脈」の助けを借りて発話されているのであって、たとえ、文のカタチのみからは、「情報の新鮮度」にコントラストを出しにくい場合でも、文脈などから、それが止むを得ないような場合、例えば、AとBがどちらも、「情報の新鮮度」といった観点からは、あまり重要ではないような文脈であれば、(13)を容易に逃れて、(5a-b)と(7a)の容認度を上げることは可能だからです。

(16)What Bill did is to give a book to a woman. 
  (ビルがしたのは、本を女性にあげたってことだよ。)

(16)では、ビルが「何をしたのか」という「行為」が問われているのであって、AとBが直接問われているわけではありませんので、そういった文脈では、(13)を簡単にすり抜けることが可能となります。というわけで、傾向(13)は、あくまでも、AとBに焦点が当たった場合に問題になる、ということらしいですね。

今回のポイントは、二重目的語の構文は、EG61で見たような、構文そのものに内在する意味的な特性以外に、「情報の新鮮度」という観点からも、その容認度に影響を受けやすい傾向がある、ということです。特に、(14)と(15)のような傾向は、かなり顕著に見られるものなので、実用英語といった観点からは、この2つの傾向は押さえておいた方が良いようです。

しかし、これらの傾向は、EG61で扱った傾向と同じく、話者によるイメージ力の問題で、容易に覆されてしまうことがあるのも事実であり、その点、話者の主観の中から集めた最大公約数的傾向であるので、文法の問題とは、一線を画す側面があることは留意して下さい。まだ他にも、見るべき点はありますが、別の機会です。

■注1 :(12b)は、ごくまれに容認する英語話者もいるそうです。これは、傾向(13)をすり抜けている(12a)とあわせて考えると、AとBにおいて、代名詞同士がカチ合うような場合は、容認度が上がるような、特別な傾向があると言えるかも知れません。
■注2 :代名詞は、常に、「情報の新鮮度」が低い、というわけではありません。一度、話題に上ったからと言っても、別の観点からは、新鮮な情報として扱われることはよくあります。例えば、‘The man you should respect is him.’「尊敬すべき人物は、彼なのだ。」、のような文では、「尊敬の対象」という、新たな観点を与えられた「彼」が、強調されることで、新鮮な情報として再浮上しています。


●関連: EG60EG61

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