EG02、EG03、EG10、EG11、EG12、EG13、EG14、と続いてきた品詞シリーズ。今回は、「副詞」についてです。以下、見ましょう。
(1)美しい花 (〇)
(2)美しく花 (×)
(1)の日本語はOKですが、一方、(2)の日本語はアウトです。日本語の文法では、「美しい」は、形容詞となっていますが、一方、「美しく」を、その活用形と見なして、形容詞「美しい」の「連用形」と呼んでいます。つまり、「美しい」を、「うつくし+い」というように、分けて考えて、「うつくし」の部分に、「-い」や、「-く」といった、別のパーツを合体させて、活用させることで、その機能に変化をもたせる、といったやり方です。
ちなみに、「うつくし」は、「-い」で終わるカタチが、言わば、デフォルト (既定のカタチ) のようなものですが、この「-い」にしたって、活用語尾の一種であることに、何ら変わりはありませんので、(3)のように、名詞にくっついている場合は、一応、「連体形」という呼び方をすることになっています。
(3)美しい踊る (×)
(4)美しく踊る (〇)
そこで、「連体形」と「連用形」は、どのように違うのか、ということになるのですが、それは、(1)~(4)のコントラストが、最も端的に、その違いを示す例だと言えます。つまり、「美しい」のカタチでは、(1)のように、「花」という名詞にくっつくことが可能ですが、一方、「美しく」のカタチでは、(2)のように、「花」という名詞にくっつくことができません。
しかし、一方、「踊る」というような動詞にくっつく場合、「美しい (連体形)」と「美しく (連用形)」 の立場は逆転します。(3)のように、「美しい」は、「踊る」にくっつくことは不可能ですが、一方、(4)のように、「美しく」は、「踊る」にくっつくことが可能です。つまり、連体形とは、(1)のように名詞にくっつく機能のことであり、一方、連用形とは、(4)のように、動詞にくっつく機能のことであると言えます。
ところで、普通、文法では、(1)の「美しい」が、「男」にもたれかかるようなくっつき具合や、(4)の「美しく」が、「踊る」にもたれかかるようなくっつき具合を、「~ にかかる」とか、「~ を修飾する」、というように表現します。ですので、「美しい」は、「花」にかかることができるし、一方、「美しく」は、「踊る」にかかることができる、という言い方になります。
(5)ジョン、あるいは、トム
コトバは、常に、単語をつなぎ合わせて、あることを表現する、というシステムをもっているわけですから、「~ にかかる」、という言い方には、ある特殊な意味が込められています。(5)は、「ジョン」+「あるいは」+「トム」という、3つの単語をつないでいますが、しかし、(5)のような例では、どの単語がどの単語にかかる、というような言い方はしません。
基本的に、「~ にかかる」とは、「かかるもの」と「かかられるもの」という二者間での関係ですので、「あるいは」という表現は、何か1つだけの相手をするのではなく、前後に、「A、あるいは、B」というように、A に相当するものと、B に相当するものが必要である点、「~ にかかる」という概念とは無縁の表現です。
そこで、「~ にかかる」という言い方は、単語と単語の間に、主従関係 (依存関係) が成り立っている場合にのみ有効です。(1)では、「花」が主 (かかられるもの) で、一方、「美しい」が従 (かかるもの) という関係ですし、(4)では、「踊る」が主で、一方、「美しく」が従という関係です。
(6)とても美しい (〇)
(7)とても花 (×)
(8)とても美しい花 (〇)
今度は、(6)のように、「とても」と「美しい」がくっついていて、OKです。しかし、一方、(7)では、「とても」と「花」がくっつくいていて、アウトです。このことから明らかなように、(8)がOKになるのは、「とても」は、「美しい」にかかり、そして、「美しい」は、「花」にかかるという、あくまでも、二者間内での相対的な関係が局所的に成り立っているからだと言えます。
これを言いかえれば、(7)のように、「とても」と「花」は、両立できないハズなのに、(8)で、「とても」と「花」が両立できているように見えるのは、実は、そうではなく、「とても」が、「美しい」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからで、一方、その「美しい」は、「花」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからです。
つまり、「~ にかかる」とは、ある表現が、従の立場になって、主の立場であるものに、一方的に依存するという、二者間内での一方通行の関係を表しているものと言えるわけです。ここまでで、ようやく、英語の品詞における、「副詞」というものが、どういったものか、最低限の理解ができる準備が整ったことになります。
(9)beautiful flowers (〇) (訳同(1))
(10)beautifully flowers (×) (訳同(2))
(9)の‘beautiful’は、形容詞で、名詞‘flowers’にかかっていてOKですから、言わば、日本語の連体形みたいなものです。一方、(10)の‘beautifully’は、名詞‘flowers’にかかっていてアウトですから、言わば、日本語の連用形みたいなものです。
‘beautiful’と‘beautifully’は語尾の変化 (‘-ly’の有無) で機能が変わっていますから、「美しい」と「美しく」のように、活用していると言えますが、日本語とは違って、英語には、連用形という言い方はなく、形容詞‘beautiful’が、副詞‘beautifully’になった、という言い方をしますので、要するに、日本語では、連用形と呼ばれるものが、英語では、副詞だと理解しておけばよいということです。
(11)dance beautiful (×) (訳同(3))
(12)dance beautifully (〇) (訳同(4))
(11)では、動詞‘dance’「踊る」に、形容詞‘beautiful’「美しい」がかかっていて、アウトですが、一方、(12)では、動詞‘dance’に、副詞‘beautifully’「美しく」がかかっていて、OKです。これも、日本語(3)と(4)の可否と、全く並行的です。さらに、以下を見ましょう。
(13)very beautiful (〇) (訳同(6))
(14)very flowers (×) (訳同(7))
(15)very beautiful flowers (〇) (訳同(8))
(13)~(15)は、それぞれ、日本語(6)~(8)に対応していますが、やはり、全く並行的に、その可否が成り立っています。ここで、‘very’「とても」の品詞は何かと言いますと、英語では、副詞ということになっています。つまり、副詞とは、動詞だけではなく、形容詞にもかかることが可能だということです。
そして、(14)のように、‘very’は、‘flowers’にかかることができないのですが、一方、(15)がOKですから、やはり、‘very’は、‘beautiful’を相手にしているだけで、一方、‘beautiful’は、‘flowers’を相手にしているだけ、という、一方向の局所的な関係が、それぞれ成り立つことによって、最終的に、(15)がOKになるということです。
こういったことから、結局、連用形という呼び方であろうが、副詞という呼び方であろうが、何かにかかる、という点において、実質的な機能は同じであり、逆に、名詞にはかかることができない、という点においても、しっかりと定義できそうだとわかります。
(16)dance very beautifully (〇) (とても美しく踊る)
(17)dance very (×) (とても踊る)
(16)はOKですが、‘very’が副詞‘beutifully’にかかっていることは、(12)において、‘beautifully’が、‘dance’にかかっていて、OKであることに加えて、一方、(17)がアウトであることからわかります。つまり、‘beautifully’は、‘dance’にかかるが、一方、‘very’は、‘dance’にかかれないので、‘very’が生き残るためには、‘beautifully’にかかっている、と言うしかないわけですね。つまり、副詞が副詞にかかる、ということがあっても、OKである、ということです。
今回のポイントは、英語の品詞の中の1つとされる「副詞」が、どのような品詞であるか、ということです。今回、理解できたことは、副詞は、何かにかかる、ということが前提となる品詞だということです。
そして、その制限としては、名詞にかかることができず、一方、動詞、形容詞、副詞にかかることができる、ということです。日本語の連用形は、比較的、秩序だった活用の上に成り立っているので、そういった呼び方を重視しますが、それを副詞という呼び名で置きかえれば、英語でも日本語でも、実質的には、同じものを表す内容になっています。
ただ、英語の副詞は、その概念を幅広く応用させた、数多くの変種が存在しますので、それが、初心者泣かせな部分であり、また、学校で習う英語でも、うまく整合性のある説明ができなくて、混乱している部分でもあります。そこら辺は、品詞ではなく、副詞そのものを扱う回でじっくり見ていきたいと思いますので、またの機会です。
■注1 :(12)は、副詞が動詞にかかることを示すための例だったので、同じく、(17)で副詞‘very’が動詞‘dance’にかかるのがアウトでは、一見、矛盾しているように見えますが、これは、ただ単に、‘very’と‘dance’が意味的にマッチしていないという、別個の理由によるものですので、副詞は動詞にかかるという機能自体はあるが、それは意味がマッチするのが前提という、どんな言語表現にでも当てはまる、当たり前の条件をつければよいだけです。
■注2 :日本語の「とても」は、活用がありませんが、形容詞の連用形と同じ機能をもっています。このように活用がないけど、連用形と同じ機能をもつものに関しては、日本語でも、「副詞」という呼び方をしています。
●関連: EG02、EG03、EG10、EG11、EG12、EG13、EG14
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(1)美しい花 (〇)
(2)美しく花 (×)
(1)の日本語はOKですが、一方、(2)の日本語はアウトです。日本語の文法では、「美しい」は、形容詞となっていますが、一方、「美しく」を、その活用形と見なして、形容詞「美しい」の「連用形」と呼んでいます。つまり、「美しい」を、「うつくし+い」というように、分けて考えて、「うつくし」の部分に、「-い」や、「-く」といった、別のパーツを合体させて、活用させることで、その機能に変化をもたせる、といったやり方です。
ちなみに、「うつくし」は、「-い」で終わるカタチが、言わば、デフォルト (既定のカタチ) のようなものですが、この「-い」にしたって、活用語尾の一種であることに、何ら変わりはありませんので、(3)のように、名詞にくっついている場合は、一応、「連体形」という呼び方をすることになっています。
(3)美しい踊る (×)
(4)美しく踊る (〇)
そこで、「連体形」と「連用形」は、どのように違うのか、ということになるのですが、それは、(1)~(4)のコントラストが、最も端的に、その違いを示す例だと言えます。つまり、「美しい」のカタチでは、(1)のように、「花」という名詞にくっつくことが可能ですが、一方、「美しく」のカタチでは、(2)のように、「花」という名詞にくっつくことができません。
しかし、一方、「踊る」というような動詞にくっつく場合、「美しい (連体形)」と「美しく (連用形)」 の立場は逆転します。(3)のように、「美しい」は、「踊る」にくっつくことは不可能ですが、一方、(4)のように、「美しく」は、「踊る」にくっつくことが可能です。つまり、連体形とは、(1)のように名詞にくっつく機能のことであり、一方、連用形とは、(4)のように、動詞にくっつく機能のことであると言えます。
ところで、普通、文法では、(1)の「美しい」が、「男」にもたれかかるようなくっつき具合や、(4)の「美しく」が、「踊る」にもたれかかるようなくっつき具合を、「~ にかかる」とか、「~ を修飾する」、というように表現します。ですので、「美しい」は、「花」にかかることができるし、一方、「美しく」は、「踊る」にかかることができる、という言い方になります。
(5)ジョン、あるいは、トム
コトバは、常に、単語をつなぎ合わせて、あることを表現する、というシステムをもっているわけですから、「~ にかかる」、という言い方には、ある特殊な意味が込められています。(5)は、「ジョン」+「あるいは」+「トム」という、3つの単語をつないでいますが、しかし、(5)のような例では、どの単語がどの単語にかかる、というような言い方はしません。
基本的に、「~ にかかる」とは、「かかるもの」と「かかられるもの」という二者間での関係ですので、「あるいは」という表現は、何か1つだけの相手をするのではなく、前後に、「A、あるいは、B」というように、A に相当するものと、B に相当するものが必要である点、「~ にかかる」という概念とは無縁の表現です。
そこで、「~ にかかる」という言い方は、単語と単語の間に、主従関係 (依存関係) が成り立っている場合にのみ有効です。(1)では、「花」が主 (かかられるもの) で、一方、「美しい」が従 (かかるもの) という関係ですし、(4)では、「踊る」が主で、一方、「美しく」が従という関係です。
(6)とても美しい (〇)
(7)とても花 (×)
(8)とても美しい花 (〇)
今度は、(6)のように、「とても」と「美しい」がくっついていて、OKです。しかし、一方、(7)では、「とても」と「花」がくっつくいていて、アウトです。このことから明らかなように、(8)がOKになるのは、「とても」は、「美しい」にかかり、そして、「美しい」は、「花」にかかるという、あくまでも、二者間内での相対的な関係が局所的に成り立っているからだと言えます。
これを言いかえれば、(7)のように、「とても」と「花」は、両立できないハズなのに、(8)で、「とても」と「花」が両立できているように見えるのは、実は、そうではなく、「とても」が、「美しい」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからで、一方、その「美しい」は、「花」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからです。
つまり、「~ にかかる」とは、ある表現が、従の立場になって、主の立場であるものに、一方的に依存するという、二者間内での一方通行の関係を表しているものと言えるわけです。ここまでで、ようやく、英語の品詞における、「副詞」というものが、どういったものか、最低限の理解ができる準備が整ったことになります。
(9)beautiful flowers (〇) (訳同(1))
(10)beautifully flowers (×) (訳同(2))
(9)の‘beautiful’は、形容詞で、名詞‘flowers’にかかっていてOKですから、言わば、日本語の連体形みたいなものです。一方、(10)の‘beautifully’は、名詞‘flowers’にかかっていてアウトですから、言わば、日本語の連用形みたいなものです。
‘beautiful’と‘beautifully’は語尾の変化 (‘-ly’の有無) で機能が変わっていますから、「美しい」と「美しく」のように、活用していると言えますが、日本語とは違って、英語には、連用形という言い方はなく、形容詞‘beautiful’が、副詞‘beautifully’になった、という言い方をしますので、要するに、日本語では、連用形と呼ばれるものが、英語では、副詞だと理解しておけばよいということです。
(11)dance beautiful (×) (訳同(3))
(12)dance beautifully (〇) (訳同(4))
(11)では、動詞‘dance’「踊る」に、形容詞‘beautiful’「美しい」がかかっていて、アウトですが、一方、(12)では、動詞‘dance’に、副詞‘beautifully’「美しく」がかかっていて、OKです。これも、日本語(3)と(4)の可否と、全く並行的です。さらに、以下を見ましょう。
(13)very beautiful (〇) (訳同(6))
(14)very flowers (×) (訳同(7))
(15)very beautiful flowers (〇) (訳同(8))
(13)~(15)は、それぞれ、日本語(6)~(8)に対応していますが、やはり、全く並行的に、その可否が成り立っています。ここで、‘very’「とても」の品詞は何かと言いますと、英語では、副詞ということになっています。つまり、副詞とは、動詞だけではなく、形容詞にもかかることが可能だということです。
そして、(14)のように、‘very’は、‘flowers’にかかることができないのですが、一方、(15)がOKですから、やはり、‘very’は、‘beautiful’を相手にしているだけで、一方、‘beautiful’は、‘flowers’を相手にしているだけ、という、一方向の局所的な関係が、それぞれ成り立つことによって、最終的に、(15)がOKになるということです。
こういったことから、結局、連用形という呼び方であろうが、副詞という呼び方であろうが、何かにかかる、という点において、実質的な機能は同じであり、逆に、名詞にはかかることができない、という点においても、しっかりと定義できそうだとわかります。
(16)dance very beautifully (〇) (とても美しく踊る)
(17)dance very (×) (とても踊る)
(16)はOKですが、‘very’が副詞‘beutifully’にかかっていることは、(12)において、‘beautifully’が、‘dance’にかかっていて、OKであることに加えて、一方、(17)がアウトであることからわかります。つまり、‘beautifully’は、‘dance’にかかるが、一方、‘very’は、‘dance’にかかれないので、‘very’が生き残るためには、‘beautifully’にかかっている、と言うしかないわけですね。つまり、副詞が副詞にかかる、ということがあっても、OKである、ということです。
今回のポイントは、英語の品詞の中の1つとされる「副詞」が、どのような品詞であるか、ということです。今回、理解できたことは、副詞は、何かにかかる、ということが前提となる品詞だということです。
そして、その制限としては、名詞にかかることができず、一方、動詞、形容詞、副詞にかかることができる、ということです。日本語の連用形は、比較的、秩序だった活用の上に成り立っているので、そういった呼び方を重視しますが、それを副詞という呼び名で置きかえれば、英語でも日本語でも、実質的には、同じものを表す内容になっています。
ただ、英語の副詞は、その概念を幅広く応用させた、数多くの変種が存在しますので、それが、初心者泣かせな部分であり、また、学校で習う英語でも、うまく整合性のある説明ができなくて、混乱している部分でもあります。そこら辺は、品詞ではなく、副詞そのものを扱う回でじっくり見ていきたいと思いますので、またの機会です。
■注1 :(12)は、副詞が動詞にかかることを示すための例だったので、同じく、(17)で副詞‘very’が動詞‘dance’にかかるのがアウトでは、一見、矛盾しているように見えますが、これは、ただ単に、‘very’と‘dance’が意味的にマッチしていないという、別個の理由によるものですので、副詞は動詞にかかるという機能自体はあるが、それは意味がマッチするのが前提という、どんな言語表現にでも当てはまる、当たり前の条件をつければよいだけです。
■注2 :日本語の「とても」は、活用がありませんが、形容詞の連用形と同じ機能をもっています。このように活用がないけど、連用形と同じ機能をもつものに関しては、日本語でも、「副詞」という呼び方をしています。
●関連: EG02、EG03、EG10、EG11、EG12、EG13、EG14
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付けないといけなくなった。
英語は論理では理解不可能です!
論理的に考えると、
Seems that John loves Mary
でいいはずだけど、「無理やり」itを付けて文に
しているにすぎない。
John is said to be honestは、文だけど、
最近では受動態を避ける傾向にあるし、英語自体が
アメリカの影響で簡略化しているから、
People say John is honest.を多く使う傾向にある。
Believeの文でもto beをあまり使わずに、
They believe John is honestを多く使う傾向。
この傾向は、会話だけでなく、硬い文章でも
同じ。