EG79の続きです。動作動詞です。以下、見ましょう。
(1)サイフを見つけた。 (〇)
(2)今、サイフを見つけている。 (×)
今回は、「見つける」、という動詞ですが、(1)の過去形は、OKですが、(2)の進行形は、アウトです。EG79で確認したように、進行形である、「今、地面を掘っている」や、「今、イスをつくっている」は、OKであったことから、「見つける」は、どうやら、「掘る」や、「つくる」とは違って、別の種類の動作動詞として、分類分けされる動詞ではないのだろうか、という見方ができると思います。
(3)サイフを、3時間、見つけている。 (×)
(4)サイフを見つけるのに3時間かかった。 (〇)
(3)は、進行形、「見つけている」が、「3時間」、をともなって、アウトになっていますが、これは、「見つける」が、ある程度の時間の長さを、表現し得る行為とは、認識されないことを示しています。しかし、一方、(4)は、OKです。つまり、EG79で確認したように、「3時間かかる」、という表現に適合するということは、「見つける」、という動詞は、何らかの「変化」は、含意している、と言えますね。
つまり、サイフがどこにあるのかわからない、という状態が、ずっと続いていたのに、あるとき、その場所を発見した、ということで、サイフがない、という状態から、今はサイフがある、という、「変化」が起こったわけです。ですので、この点に関しては、「見つける」、という動詞は、EG79の、「つくる」や、完成したものを目的語に取っている場合の、「掘る」と、同じ性質をもっている、と言えます。
しかし、一方で、(3)が、アウトであることを考えると、「見つける」、という動詞は、その動作の、「開始から終結」を、段階的に表現することが、不可能な表現であり、言わば、その行為自体が、瞬間的である、ということのようです。EG79で見た、「つくる」は、「今、イスをつくっている」、という表現にして、イスが未完成状態であっても、OKでしたので、「つくる」、という行為の、「開始から終結」までを、ある段階にスポットを当てて表現することが可能です。
しかし、「サイフを見つける」、という行為には、そのプロセスとして、中途の段階という概念は、存在しません。そこで、動作の概念のタイプ分けには、①・「変化」を含意しない動作、②・「変化」と、それが起こるまでのプロセスを含意する動作、に加えて、③・「変化」のみを含意する動作、があるのがわかります。
(5)泳ぐ、歩く、走る、動く、運転する、(文を)書く、その他
(6)つくる、建てる、描く、(本を)書く、(スープを)煮る、その他
(7)見つける、無くす、終わる、やめる、始める、到着する、死ぬ、その他
(5)のグループは、「変化」を含意していませんので、特徴としては、その行為が均一的です。つまり、「~ するのに3時間かかる」、というような表現が、うまく適合しない動詞ということになります。一方、(6)のグループは、「変化」を含意しています。そして、その開始から終結までのプロセスを表現することが可能です。(7)のグループは、瞬間的行為として表現されており、その開始から終結までのプロセスを表現することは不可能です。
ところで、ここで、話の方向性を、少し、変えたいと思います。これまでは、動作動詞、という品詞の観点から、上の3タイプの概念を見てきたわけですが、そのままの理解では、実は、誤解を与えてしまいます。EG79では、「掘る」という動詞が、取っている目的語によっては、①のタイプ (つまり、(5)のグループ) にもなり、また、②のタイプ (つまり、(6)のグループ) にもなる、ということを見ましたが、これは、何も、目的語を取る動詞に、そのような規則性がはたらく、ということを、意味するわけではありません。
と言うよりも、むしろ、動作動詞と、他の表現との組み合わせによっては、上の、①か、②のタイプの、いずれかに解釈されるであろう、という理解の方が本質的なのです。つまり、その動詞に付随する他の表現とは、何も目的語に限ったことではないのです。
(8)歩くのに、3時間かかった。 (×)
(9)コンビニまで歩くのに、3時間かかった。 (〇)
(8)の「歩く」は、自動詞であり、他動詞ではないので、目的語をとることはありません。そして、意味的には、それ自体、均一的な行為と言えますので、「変化」を含意してはいません。そこで、「3時間かかる」とは共起せず、アウトになりますが、しかし、一方、(9)のように、「到着点」を含む、「コンビニまで歩く」、となれば、その表現全体を考慮して、概念上、動作の終結を含意する、と言えますので、「3時間かかる」、と適合するようになります。
つまり、動作動詞にプラスされる他の表現と、トータルで意味を考えて、「変化」を含意するか否かという見方が、動作動詞の表し得る、①と②のタイプの、様相を理解する上での、本来、正しい見方なのです。ですので、同じカタチの動作動詞 (例えば、「掘る」、「歩く」、「書く」、その他) であっても、他の表現とひっくるめて考えた上で、①のタイプに属するか、②のタイプに属するかを判断しなければなりません。
次に、同じカタチの動作動詞が、①や②の他のタイプに現れない、③のタイプ (つまり、(7)のグループ) ですが、(5)のグループのように、均一的行為でもなく、(6)のグループのように、動作の、「開始から終結」までを潜在的に含意することもない、という点で、表現できるカタチの中での解釈が限定されてしまいます。
(10)トムは、泳ぎ続けた。
(11)トムは、イスをつくり続けた。
(12)トムは、サイフを無くし続けた。
(10)は、「泳ぐ」という行為が、均一的に続いている解釈もあれば、泳いでは休み、また、泳いでは休み、という、「繰り返し」の解釈も可能です。そして、(11)も同様であり、1つのイスをつくるために、ずっと作業にかかりっきり、という解釈もあれば、何個ものイスをつくりだす作業をする、という、「繰り返し」の解釈もあります。
ところが、一方、(12)は、「サイフを無くす」、という行為が、繰り返されることを意味してはいますが、しかし、無くす、という1回の行為の経過を表現することはできません。これは、やはり、③のタイプの動作動詞が、その動作の、「均一性」も表現せず、「開始から終結」、といったプロセスも含意せず、瞬間的行為としての解釈しかもたないために、起こることだと説明されます。この点においても、③のタイプのような分類分けは、動作動詞の表現している様相をとらえる上で、有効であることを支持しています。
今回のポイントは、EG79から、引き続いたテーマで、動作動詞を、その表している様相によって、3タイプに分類する、ということです。しかし、それは、動詞だけを見て、どうのこうのと論じる問題ではなく、あくまでも、動作動詞を中心に置いて、他の表現も含めた上での分類であり、この分類方法は、むしろ、ヒトが認識活動を行っている際、どのような観点から、動詞化を行っているのかを考える、という発想に基づくものです。
そして、こういった表現上の様相に対する理解は、別に、英語でなくとも、日本語で十分である、というよりも、コトバの在り方の理解という意味で、英語も日本語もない、ということなのです。つまり、今回のテーマは、コトバのかなり、根源的な部分を扱った、ということなので、英語とは直接的には関わってきませんが、結果として、英語脳形成には、後から必要になってくる、と思われる概念だったので、あえて日本語のみで扱ってみました。
■注1: 「サイフを見つけつつある。」は、OKですが、もともと、「~ しつつある」は、「変化」を含意する表現と共起するものです。例えば、「走りつつある」を、OKにする人でも、この場合、「走り出しつつある」、の解釈に取っているのであり、止まっている状態や、歩いている状態からの、「変化」を含意しています。
■注2 :(7)のグループの動詞は、進行形、「~ ている」、とは適合しませんが、例えば、「死ぬ」、は、「オマエは、もう死んでいる。」、などと、言う場合、当然、進行中の動作の、ある時点に焦点を当てた進行形ではなく、「状態」の解釈になりますので、注意が必要です。
■注3 :「泳ぐのに、3時間かかった。」や、「運転するのに、3時間かかった。」は、アウトである一方、「3時間かけて泳いだ。」や、「3時間かけて運転した。」は、OKにしやすいのですが、この場合は、結局、「3時間、泳いだ。」や、「3時間、運転した。」、と言っているのと同じことなので、「3時間かけて」は、「3時間かかる」と違って、必ずしも、「変化」、を前提とする表現ではありません。
●関連: EG79
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(1)サイフを見つけた。 (〇)
(2)今、サイフを見つけている。 (×)
今回は、「見つける」、という動詞ですが、(1)の過去形は、OKですが、(2)の進行形は、アウトです。EG79で確認したように、進行形である、「今、地面を掘っている」や、「今、イスをつくっている」は、OKであったことから、「見つける」は、どうやら、「掘る」や、「つくる」とは違って、別の種類の動作動詞として、分類分けされる動詞ではないのだろうか、という見方ができると思います。
(3)サイフを、3時間、見つけている。 (×)
(4)サイフを見つけるのに3時間かかった。 (〇)
(3)は、進行形、「見つけている」が、「3時間」、をともなって、アウトになっていますが、これは、「見つける」が、ある程度の時間の長さを、表現し得る行為とは、認識されないことを示しています。しかし、一方、(4)は、OKです。つまり、EG79で確認したように、「3時間かかる」、という表現に適合するということは、「見つける」、という動詞は、何らかの「変化」は、含意している、と言えますね。
つまり、サイフがどこにあるのかわからない、という状態が、ずっと続いていたのに、あるとき、その場所を発見した、ということで、サイフがない、という状態から、今はサイフがある、という、「変化」が起こったわけです。ですので、この点に関しては、「見つける」、という動詞は、EG79の、「つくる」や、完成したものを目的語に取っている場合の、「掘る」と、同じ性質をもっている、と言えます。
しかし、一方で、(3)が、アウトであることを考えると、「見つける」、という動詞は、その動作の、「開始から終結」を、段階的に表現することが、不可能な表現であり、言わば、その行為自体が、瞬間的である、ということのようです。EG79で見た、「つくる」は、「今、イスをつくっている」、という表現にして、イスが未完成状態であっても、OKでしたので、「つくる」、という行為の、「開始から終結」までを、ある段階にスポットを当てて表現することが可能です。
しかし、「サイフを見つける」、という行為には、そのプロセスとして、中途の段階という概念は、存在しません。そこで、動作の概念のタイプ分けには、①・「変化」を含意しない動作、②・「変化」と、それが起こるまでのプロセスを含意する動作、に加えて、③・「変化」のみを含意する動作、があるのがわかります。
(5)泳ぐ、歩く、走る、動く、運転する、(文を)書く、その他
(6)つくる、建てる、描く、(本を)書く、(スープを)煮る、その他
(7)見つける、無くす、終わる、やめる、始める、到着する、死ぬ、その他
(5)のグループは、「変化」を含意していませんので、特徴としては、その行為が均一的です。つまり、「~ するのに3時間かかる」、というような表現が、うまく適合しない動詞ということになります。一方、(6)のグループは、「変化」を含意しています。そして、その開始から終結までのプロセスを表現することが可能です。(7)のグループは、瞬間的行為として表現されており、その開始から終結までのプロセスを表現することは不可能です。
ところで、ここで、話の方向性を、少し、変えたいと思います。これまでは、動作動詞、という品詞の観点から、上の3タイプの概念を見てきたわけですが、そのままの理解では、実は、誤解を与えてしまいます。EG79では、「掘る」という動詞が、取っている目的語によっては、①のタイプ (つまり、(5)のグループ) にもなり、また、②のタイプ (つまり、(6)のグループ) にもなる、ということを見ましたが、これは、何も、目的語を取る動詞に、そのような規則性がはたらく、ということを、意味するわけではありません。
と言うよりも、むしろ、動作動詞と、他の表現との組み合わせによっては、上の、①か、②のタイプの、いずれかに解釈されるであろう、という理解の方が本質的なのです。つまり、その動詞に付随する他の表現とは、何も目的語に限ったことではないのです。
(8)歩くのに、3時間かかった。 (×)
(9)コンビニまで歩くのに、3時間かかった。 (〇)
(8)の「歩く」は、自動詞であり、他動詞ではないので、目的語をとることはありません。そして、意味的には、それ自体、均一的な行為と言えますので、「変化」を含意してはいません。そこで、「3時間かかる」とは共起せず、アウトになりますが、しかし、一方、(9)のように、「到着点」を含む、「コンビニまで歩く」、となれば、その表現全体を考慮して、概念上、動作の終結を含意する、と言えますので、「3時間かかる」、と適合するようになります。
つまり、動作動詞にプラスされる他の表現と、トータルで意味を考えて、「変化」を含意するか否かという見方が、動作動詞の表し得る、①と②のタイプの、様相を理解する上での、本来、正しい見方なのです。ですので、同じカタチの動作動詞 (例えば、「掘る」、「歩く」、「書く」、その他) であっても、他の表現とひっくるめて考えた上で、①のタイプに属するか、②のタイプに属するかを判断しなければなりません。
次に、同じカタチの動作動詞が、①や②の他のタイプに現れない、③のタイプ (つまり、(7)のグループ) ですが、(5)のグループのように、均一的行為でもなく、(6)のグループのように、動作の、「開始から終結」までを潜在的に含意することもない、という点で、表現できるカタチの中での解釈が限定されてしまいます。
(10)トムは、泳ぎ続けた。
(11)トムは、イスをつくり続けた。
(12)トムは、サイフを無くし続けた。
(10)は、「泳ぐ」という行為が、均一的に続いている解釈もあれば、泳いでは休み、また、泳いでは休み、という、「繰り返し」の解釈も可能です。そして、(11)も同様であり、1つのイスをつくるために、ずっと作業にかかりっきり、という解釈もあれば、何個ものイスをつくりだす作業をする、という、「繰り返し」の解釈もあります。
ところが、一方、(12)は、「サイフを無くす」、という行為が、繰り返されることを意味してはいますが、しかし、無くす、という1回の行為の経過を表現することはできません。これは、やはり、③のタイプの動作動詞が、その動作の、「均一性」も表現せず、「開始から終結」、といったプロセスも含意せず、瞬間的行為としての解釈しかもたないために、起こることだと説明されます。この点においても、③のタイプのような分類分けは、動作動詞の表現している様相をとらえる上で、有効であることを支持しています。
今回のポイントは、EG79から、引き続いたテーマで、動作動詞を、その表している様相によって、3タイプに分類する、ということです。しかし、それは、動詞だけを見て、どうのこうのと論じる問題ではなく、あくまでも、動作動詞を中心に置いて、他の表現も含めた上での分類であり、この分類方法は、むしろ、ヒトが認識活動を行っている際、どのような観点から、動詞化を行っているのかを考える、という発想に基づくものです。
そして、こういった表現上の様相に対する理解は、別に、英語でなくとも、日本語で十分である、というよりも、コトバの在り方の理解という意味で、英語も日本語もない、ということなのです。つまり、今回のテーマは、コトバのかなり、根源的な部分を扱った、ということなので、英語とは直接的には関わってきませんが、結果として、英語脳形成には、後から必要になってくる、と思われる概念だったので、あえて日本語のみで扱ってみました。
■注1: 「サイフを見つけつつある。」は、OKですが、もともと、「~ しつつある」は、「変化」を含意する表現と共起するものです。例えば、「走りつつある」を、OKにする人でも、この場合、「走り出しつつある」、の解釈に取っているのであり、止まっている状態や、歩いている状態からの、「変化」を含意しています。
■注2 :(7)のグループの動詞は、進行形、「~ ている」、とは適合しませんが、例えば、「死ぬ」、は、「オマエは、もう死んでいる。」、などと、言う場合、当然、進行中の動作の、ある時点に焦点を当てた進行形ではなく、「状態」の解釈になりますので、注意が必要です。
■注3 :「泳ぐのに、3時間かかった。」や、「運転するのに、3時間かかった。」は、アウトである一方、「3時間かけて泳いだ。」や、「3時間かけて運転した。」は、OKにしやすいのですが、この場合は、結局、「3時間、泳いだ。」や、「3時間、運転した。」、と言っているのと同じことなので、「3時間かけて」は、「3時間かかる」と違って、必ずしも、「変化」、を前提とする表現ではありません。
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