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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(09)

2004年12月11日 | 名詞
名詞編です。EG04の続きです。今回、ペアの概念です。以下、見ましょう。

(1)I have a jeans. (×) (私は、ジーンズをもっています。)
(2)I have jeans. (〇) (訳同上)

(1)はアウトで、一方、(2)がOKである、ということなんですが、英語では、「ジーンズ」というものを、どう考えているのか、ということになります。まず、(1)がアウトになるのは、‘jeans’の語尾の‘-s’が、実は、複数形を表す語尾の‘-s’である、ということに原因があるんです。

ですので、実は、日本語の「ジーンズ」は、「ジーン」+「ズ」という成り立ちになっているわけですね。そこで、(2)のように、(1)から、‘a’を外してしまえば、OKになる、ということです。でも、これじゃ、ジーンズを、1着だけで表現するには、‘a jean’にしなきゃならないのか、ということになりますが、そうではありません。

(3)I have a pair of jeans. (〇) (私は、ジーンズを、1着もっています。)
(4)I have two pairs of jeans. (〇) (私は、ジーンズを、2着もっています。)

(3)や(4)のように、英語では、‘a pair of ~’「1対の ~」や、‘two pairs of ~’「2対の ~」、という表現がついて初めて、ジーンズの数が正しく表現できる、ということなんです。日本語としては、ちょっと変な表現なんですが、英語の考え方としては、‘jeans’は、脚が2本あるから、その2本をもって複数と見なす、という発想になるようです。

ですので、英語の場合、もともとが複数形である‘jeans’「ジーンズ」を、ハッキリと、1着、2着と表現するには、「1対」だの、「2対」だのを、逐一、付けたさなければならない、ということになり、ちょっと面倒です。この点に関しては、もう諦めるしかないのですが、しかし、表現方法には、一定の傾向があります。

(5)a pair of earrings (イヤリング (左右両方))
(6)a pair of shoes (クツ (1足))
(7)a pair of socks (靴下 (1足))
(8)a pair of chopsticks (箸 (1ぜん))

(5)~(8)の場合、どれも、(1)の‘a pair of jeans’「ジーンズ1着」と、1つの共通点があります。それは、左右対称で、1つの機能をもつ、ということです。例えば、(5)の複数形‘earrings’場合、単数形‘earring’が、それぞれ、片方を指していて、左右対称となるこれら2つが、1組になって、1つの機能を果たすものになる、ということです。

(6)~(8)の場合も同様で、「クツ」、「靴下」、「箸」は、左右対称となるものが、1組になって、1つの機能を果たすものになります。こういったことから、英語の場合、「左右対称で1つの機能」、という側面があるものは、それを重視した表現方法を好む傾向があります。

そこで、問題は、やはり、その「左右対称で1つの機能」、と見なす境界線はどこにあるのか、ということになりますが、これも、理屈で、どうこう定義できるようなものではなく、イメージ重視という、英語独特の世界観に依存することになります。

(9) a. a shirt (〇) (シャツ (1着))
   b. a pair of shirts (×) (訳同上)

(10) a. a jacket (〇) (上着 (1着))
    b. a pair of jackets (×) (訳同上)

(9a)や(10a)のような、単純な表現がOKで、一方、(9b)や(10b)のような、‘a pair of ~’がアウトですが、しかし、考えようによっては、「シャツ」や「上着」も、左右対称で1つの機能をもつ、と言えます。腕を通す袖が左右対称になって、常についているからですね。

でも、イメージとしては、むしろ、身に付けた際の「胴体」の方に重点を置いている表現であるため、左右1組の袖は、機能の一部ではあっても、「シャツ」や「上着」の象徴的な機能ではない、と見なされるようです。ですので、どの程度、左右対称となっているパーツが、その象徴的な機能とされるか、その重要度がポイントになるようです。

(11)a pair of scissors (ハサミ (1丁))
(12)a pair of glassess (メガネ (1つ))

そこで、(11)と(12)は、(5)~(8)と比べると、ちょっと、使いづらい感じがします。というのも、(5)~(8)の、「イヤリング」、「クツ」、「靴下」、「箸」は、もともと、それぞれのお互いが分離しているペアだからです。一方、(11)と(12)の「ハサミ」や「メガネ」は、日本語では、1つの固体を指す表現なので、もともと、分離不可能なものとして見ています。

しかし、英語の感覚では、(11)の‘scissors’「ハサミ」は、左右対称となる2枚の刃が組み合わさって、1つのハサミとしての機能を成す、という考え方で、単数形の‘scissor’だと、片方の刃しか指せません。一方、(12)の‘glasses’「メガネ」も、左右対称となる単数形‘glass’が、左右対称1組になって、「メガネ」と呼ばれる、1つの機能をもつものになる、ということです。

ですので、ある程度、ペアの感覚がわかりやすい、分離可能なものの場合とは違って、分離不可能な「左右対称で1つの機能」を表す、(11)の「ハサミ」や、(12)の「メガネ」の例は、「ジーンズ」の場合と同じく、日本語と英語の感覚のズレを、端的に示している例と言えます。

今回のポイントは、名詞という品詞に関して、日本語と英語で、表現方法が異なる「ペア」の概念です。とりわけ、英語には、見た目の感じから、ペアのイメージが想起しやすいものに関しては、その左右対称性を、全面に押し出した表現を用いる傾向が強い、ということです。

そして、そういった傾向が、左右で分離不可能なものにまで及んでいる場合は、日本語の感覚からすると、意表を突くものになりやすい、ということですから、攻略のコツは、左右対称で1つの機能を果たすのが特徴だな、と思われそうなものに出くわしたら、それが、複数形を標準とした名詞であるかどうか、意識してみる、ということですね。

●関連: EG04

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英語学習法(08)

2004年12月11日 | 名詞
EG05、EG06、EG07の続きです。物質名詞に関する注意点を、補足説明します。以下、見ましょう。

(1)a brick (〇) (1個のレンガ)
(2)a building in brick (〇) (レンガ作りの建物)

(1)の‘a brick’「レンガ1個」は、可算名詞です。一方、(2)の‘brick’「レンガ (素材)」は、‘a’がつかない不可算名詞として扱われています。「レンガ」は、一般的に、単一物質から成るものなので、物質名詞として見なされます。

(3)a piece of chalk (〇) (チョーク1本)
(4)a chalk (×) (訳同上)

ここで、「チョーク」ですが、(3)のように、不可算名詞として扱って、OKになり、一方、(4)のように、直接‘a’をつけて、可算名詞として扱うのは、アウトです。これは、‘chalk’を可算名詞として見なすためには、①・一般的に有意義な象徴的役割があるか、そして、②・デザインとしての完結性が感じられるか、といった概念を、同時に満たしていなければならないからです。 (EG05、EG06、EG07、参照。)

そこで、(4)がアウトになるのは、結果として、①はクリアするが、一方、②はクリアしていない、といった判断が一般的で、同時に、①と②を満たしていないことによるものです。‘chalk’が、②をクリアできない理由としては、チョークは、デザイン性のない、常に同じ形状であり、かつ、その切断面が、いかにも、他からの連続性を感じさせてしまい、どうも、デザインとしての完結性に乏しい、といったことにありました。

こういった視点で、今度は、(1)の‘a brick’「レンガ1個」が、OKである事実を考えてみます。すると、果たして、①と②を同時に満たしていると言えるのか、という疑問がわいてきます。まず、「レンガ」は、①の視点からは、複数集まって、建物の壁などを形成するのが本来の役割なので、それ単体では、単なる1パーツに過ぎず、一般的に有意義な象徴的役割があるとは考えられません。

さらに、②の視点からも、「レンガ」は、常に箱型の形状をしていますから、微妙ではありますが、一応、積み重ねて、連結することが前提であることからも、他からの連続性を感じさせるもので、デザインとしての完結性が感じられるようなものとも思えません。

つまり、このような見方をする限り、‘brick’「レンガ」は、①も②も、両方ともクリアできないので、本来ならば、不可算名詞としての扱いを受けたままでなければならない、ということになり、(1)のように、‘a brick’と表現することは、不可能ということになってしまいます。これは、一体、どう考えたらよいのでしょうか。

そこで、改めて、「レンガ」と「チョーク」を比較してみることにします。まず、①の視点ですが、チョークは、それ1本が、黒板に文字を書くなどして、独立した用途を担っているため、1本で使うことが、予め前提になっています。一方、レンガは、その前提からして、もともと、その1個が、全体の中の1パーツとしてつくられたものです。

これを、もう少し詳しく言うと、レンガは、バラバラのパーツ状態が、その目的として、最初から成立している人工物なので、この点、単体で使うことにこそ、意味を見出すチョークとは、根本的に、その本来の在り方が違います。

次に、②の視点ですが、チョークは、前述のとおり、その外観が、ブツ切れ感の強く漂う見た目なので、デザインとしての完結性はありません。一方、レンガも、前述のとおり、積み重ねて、連結することが前提であることからして、他からの連続性を感じさせるもので、デザインとしての完結性が感じられるようなものとは、一見、思えないわけです。

しかし、やはり、レンガのデザインは、チョークと決定的に異なっている点があります。それは、そのデザインは、意図的にある目的を達成するためのものである、ということです。つまり、その箱型の形状には、まさに、積み重ねて連結すること (連続性を感じさせること) が、他ならぬ、デザイン上の意図であり、そこから完成する、いわば、「レンガ模様」こそが、デザインとして成立している、ということです。

こういったことを考慮すると、要するに、「レンガ」は、根本的に、「チョーク」のような物質名詞とは、逆の発想でとらえるべき名詞であり、その概念が、スタート時点で、既に異なっていることが理解できると思います。レンガは、積み重ねて連結するという目的を達成するために、あえて、わざと箱型の形状を選んでいるわけですから、その意図さえ理解できれば、このことが、逆に、①と②を同時にクリアする要件に転じることになります。

レンガ1個は、壁全体の構造の一部になるパーツではあるものの、それが同時に、唯一の本来的な在り方として意図されているのだから、その意図にそって考えるならば、むしろ、そのこと自体が、逆に、①・一般的に有意義な象徴的役割を果たしている、と言えます。

さらに、レンガは、建物の壁になった時点でも、なお、継ぎ目の筋が消されることなく、1つ1つの存在がハッキリとわかるように、わざとデザインの構成要素として、視覚的にも、その個々が存在を主張するように、予め意図されています。ですので、その「レンガ模様」の中で、1個1個のレンガが、②・デザインとしての完結性が感じられる、というのが、一般的なイメージとして認識されていると思われます。

要するに、「レンガ」は、それ単体では、単なる1パーツに過ぎないことが、まさに、①をクリアする理由になってしまいます。さらに、壁として組み上がってからの見た目が、デザインの完結性を感じさせるので、他からの連続性を感じさせる箱型の形状それ自体が、まさにデザインそのもの、ということになり、②をクリアする理由になってしまいます。

ですので、チョークなどのような、単体使用が前提となる物質名詞とは、明らかに、逆発想的とも思える、特殊な視点が必要になるケースだと言えます。

(5)a stone (〇) (石ころ1つ)
(6)stone (〇) (石材)

ちなみに、補足的に、(2)の不可算名詞‘brick’「レンガ素材」の扱いにも、簡単に触れておきます。(5)の可算名詞‘a stone’「石ころ1つ」は、(1)の‘a brick’「レンガ1個」に相当する例ですが、一方、(6)の不可算名詞‘stone’「石材」は、(2)の‘brick’「レンガ素材」というように、並行的な関係として、扱うことができます。

そこで、「レンガ」は、パーツとしての使用が前提であるか否か、という違いはあるものの、一応、「石」の仲間に類する物質名詞だと理解できますね。 (EG05、参照。)

(7)a tile (〇) (タイル、瓦 (かわら) 1枚)
(8)a roof of tile (〇) (瓦屋根)

(7)の可算名詞‘a tile’「タイル、瓦1枚」の場合も、「レンガ」の仲間に類する物質名詞です。そして、パーツとしての使用が前提となる点も同じです。特に、「タイル」の場合は、「レンガ」と全く同様の考え方ですが、一方、瓦の場合は、その形状が、ある程度、デザイン性があるので、「レンガ」よりも、わかりやすい例だと思います。もちろん、(8)のように、不可算名詞として、「瓦素材」の意味もあります。

(9)a corn (×) (コーン1粒)
(10)a rice (×) (米1粒)

ここで、(9)の‘a corn’「コーン1粒」も、(10)の‘a rice’「米1粒」も、共にアウトですが、これを、(1)の‘a brick’「レンガ」が、OKであることと、比較してみたいと思います。「コーン1粒」や、「米1粒」は、もちろん、「レンガ1個」とは異なり、その形状が、人工的に意図した目的に基づいて、加工されているわけではありません。

ですので、「レンガ1個」とは、当然、扱いが異なり、ストレートに、①・一般的に有意義な象徴的役割を果たしているか否か、という視点からは、果たしていない、ということになり、可算名詞の扱いがアウトになります。 (EG05、EG06、参照。)

今回のポイントは、物質名詞の「可算・不可算」の境界線の基準となる、①・一般的に有意義な象徴的役割があるか、そして、②・デザインとしての完結性が感じられるか、という視点ですが、これらを境界線に据える際には、ちょっとした注意点が必要になる、ということです。

①と②の基準は、対象となる名詞の、「本来の在り方」を考慮した上で、適用されなければならないので、何も考えずに、①と②を適用してしまうと、場合によっては、今回の‘brick’「レンガ」のように、全く、逆のパターンも発生してしまいます。まあ、何ともややこしいんですが、これも、ヒトの認識の在り方という、極めて心理的な部分を扱った現象なので、仕方ないですよね。

■注 :‘wood’「木材」も、パーツとしての使用が前提となる物質名詞ですが、‘a brick’「レンガ」とは違って、一般的には、‘a wood’として、可算名詞にすると、アウトです。これは、「レンガ」が、常に、箱型である、というイメージが、一般的に定着しているのに対して、一方、「木材」は、様々な形状に加工されるため、独自の形状が、一般に定着していないからだと思われます。

●関連: EG05EG06EG07

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英語学習法(07)

2004年12月11日 | 名詞
EG05、EG06の続きです。「物質名詞」です。以下、見ましょう。

(1)a hair (〇) (髪の毛1本)
(2)hair (〇) (全体の頭髪)

(1)も(2)も、髪の毛を表していますが、それぞれ、表現の対象は異なっていて、(1)の可算名詞‘a hair’の場合、「髪の毛1本」になり、一方、(2)の不可算名詞‘hair’場合は、「頭に生えている髪の毛全体」を指しています。そこで、(1)であろうと、(2)であろうと、どちらも、単一の物質的な感じがしますので、両者には、どのような差があるのか、考える必要があります。

単純に考えるならば、頭髪は、1本1本の髪の毛がたくさん集まることで、でき上がっていると言えますから、複数形にして、‘hairs’だと考えたくなります。しかし、(2)の不可算名詞‘hair’の場合、ただ単に、髪の毛の集合を意味しているわけではありません。

むしろ、頭から生えている、髪全体がひとつのまとまりを成して、そのスタイルが整髪によって整ったり、一方、風になびいて崩れたりなどすることが、頻繁に起こるわけですから、どこか、つかみ所のない様々な形状をもっているような感じが、一般的な認識としてあります。ですので、この「形状不定」という点をとらえて、イメージとしては、頭髪全体が物質的な側面を強く感じさせるものとなっているようです。

では、一方、(1)の可算名詞である方の、‘a hair’「髪の毛1本」の場合はどうか、ということになりますが、髪の毛は、例え、1本であろうとも、単一の物質であることに違いはないので、それを、あえて可算名詞とするには、物質的な側面があまり強く感じられないような要因がどこかにある、と考えなければなりません。

(3)a chocolate (〇) (チョコレート1個)
(4)a chalk (×) (チョーク1本)

(3)の‘a chocolate’「チョコレート1個」はOKですが、一方、(4)の‘a chalk’「チョーク1本」はアウトです。チョコレートもチョークも、同じ物質名詞ですが、「可算・不可算」の扱いには、差があるわけです。これは、デザインとしての完結性がイメージできるかどうかが、ポイントとなっています。

チョコレートは、様々なデザインが工夫されていることが、一般的な認識であり、そのことが、物質感の払拭に一役かっていますが、一方、チョークは、単調なブツ切りの状態が一般的な認識ですので、どうも、デザインの完結性に乏しく、まだまだ物質感が強く漂う外観ということになります。 (EG06、参照。)

(3)と(4)のような差は、デザインの完結性という視点で、一応の説明は可能ですが、このような視点で見た場合、(1)の‘a hair’がOKなのは、デザインとしての完結性があるからだと、果たして言えるのかという疑問がわいてきます。そもそも、一般的には、髪の毛1本に、デザインとしての概念など、入り込む余地はない、と考えるのが普通です。

(5)a pipe (〇) (パイプ)
(6)a ditch (〇) (溝、水路)
(7)a road (〇) (道路)

そこで、(5)~(7)の例ですが、どれも可算名詞です。まず、(5)の「パイプ」の場合は、最も単純で、細長い管が一般的です。(6)の「溝、水路」の場合は、一般的に、やや複雑な構造のものもありますが、やはり細長い形状が特徴的です。(7)の「道路」ともなると、信号があったり、横断歩道があったりと、もっと複雑な感じはありますが、それでも、細長い形状が特徴となっています。

というわけで、これら、(5)~(7)は、それなりの構造をもっているし、また、その機能も、かなり明確なので、その点、物質感には乏しいのですが、イメージ上の共通点はあり、どれも、細長い形状が特徴です。そこから、浮かび上がるイメージとしては、「線」というものがあります。この「線」のイメージは、ヒトの認識上の基本概念の1つとも言えるものです。

(8)a line (1本の線)

(8)の可算名詞‘a line’「線」は、(抽象名詞ではありますが) その切れ目を意識する必要など、全くない可算名詞で、例え、どこまでも果てしなく続いていたとしても、「1本」という概念でとらえることが許される名詞です。つまり、例え、目には見えなくとも、どこかにたどり着いて、そこが切れ目になっているのだろう、というような、想像をさせる余地があるので、それだけで、可算名詞として、OKなんですね。

この「線」のイメージは、それに近い形状をもったものを表す名詞を、可算名詞として、特化させるはたらきがあります。(5)~(7)の場合は、多少、物質感に乏しい例ですが、別の視点から、よく考えてみると、「パイプ」、「溝」、「道路」といったものは、それが設置されている場所によっては、先がどこまで続いているのかわからないまま、「1本」として、とらえてしまうことがよくあります。

「線」の概念は、細さが感じられ、そして、相対的に長さが感じられる、ということにつきると思われますが、こういった「線」のイメージが強いと、物質感の強い名詞も、それに影響されて、可算名詞となってしまう傾向があります。今度は、ある程度、物質感の強い、他の例も見てみましょう。

(9)a thread (〇) (1本の糸)
(10)a wire (〇) (針金1本)
(11)a tape (〇) (テープ1本)

(9)~(11)の「糸」、「針金」、「テープ」の場合、どれも、単一の物質から成るものですが、しかし、細さと長さが感じられるものですから、「線」ととらえて、「1本」となり、‘a’をともなう可算名詞の扱いを受けます。しかし、これらは、逆に、細さと長さが感じられない形状になった時点で、不可算名詞としての扱いを受けるようになります。

(12)a spool of thread (糸巻き1巻)
(13)a coil of wire (針金1巻)
(14)a roll of tape (テープ1巻)

(12)~(13)の「糸」、「針金」、「テープ」の場合、どれも、巻いた状態になってしまっているので、もはや、「線」のイメージが失われて、単一物質の塊に感じられます。その巻き方は、もちろん、常に一定ではなく、様々な巻き方がありますので、「形状不定」の物質というイメージの変化が現れて、物質感の強さが色濃くなります。ですので、‘a’をともなうことのない、不可算名詞の扱いを受けています。

ところで、この「線」のイメージは、かなり強力な認識概念らしく、①・一般的に有意義な象徴的役割があるか否か、そして、②・デザインとしての完結性が感じられるか否か、といった概念を、簡単に凌駕してしてしまうほどの力があります。 (①については、EG05、②については、EG06、参照。)

例えば、OKである、(1)の‘a hair’「髪の毛1本」の場合、なかなか、①に合致するようなイメージがあるなどとは、想像できませんし、また、既に述べたように、②の概念なども、介入する余地がありませんので、本来ならば、アウトになってしまうところです。しかし、それにもかかわらず、ただ単に、その形状が、細く、長い、と判断されて、「線」のイメージが確定した時点で、一発で可算名詞として、OKになってしまうんですね。

「線」のイメージが、強力な認識概念であることは、(5)~(11)の全ての例で、例え、それがどこかで終わってしまうような、切断された「線」であっても、OKにできる、という事実からも、よく理解できると思います。例えば、(4)の‘a chalk’「チョーク1本」はアウトですが、その原因は、他からの連続性を感じさせるような、ブツ切り感が漂う形状のためで、②のイメージに乏しい、とされたことにあります。

しかし、(5)~(11)の場合、「パイプ」、「溝」、「道路」、などは、どれも、どこかで途切れているのだろう、というようなイメージは、誰でももっているし、一方、「髪の毛」、「針金」、「テープ」などは、ハサミで切り取ってしまえば、まさに、ブツ切り状態にすることが可能です。それでも、なお、細く、長い、という「線」のイメージが漂っていれば、可算名詞として、OKにできるわけです。

こういったことからも、「線」のイメージは、名詞の「可算・不可算」を決定する上では、①や②の概念の、さらに上に位置するような、一段高い上位概念である、と言えます。ヒトは、ある対象を、デザインとしての完結性があるか否かで区別する傾向がある一方で、単純に、「線」として認識できるか否かにも、意識をはたらかせて区別をする、という認識活動を行っているわけですね。

今回のポイントは、デザイン的な完結性とは、全く無縁の概念である、「線」のイメージです。このイメージは、ヒトの認識活動上、非常に重要なウェイトを占めているため、その認識の発現例として、かなり物質的な感じのする名詞をも、可算名詞に変化させてしまう威力があるのがわかりました。ヒトは、基本となる認識概念から、対象をとらえようとする生き物である、というのは、なかなか面白いものですね。

■注 :「チョーク」は、どうやら、細く長い、とは見なされないようなので、①や②の条件をクリアすべき対象になるようです。確かに、実物を見れば、わかるとおり、細いというには、案外、太さがあり、また、長いというには、案外、短いものです。

●関連: EG05EG06

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英語学習法(06)

2004年12月11日 | 名詞
EG05で扱った「物質名詞」の続きです。以下、見ましょう。

(1)a rice (×) (米1粒)
(2)a grape (〇) (ぶどう1粒)

(1)の‘a rice’「米1粒」はアウトで、一方、(2)の‘a grape’「ぶどう1粒」」はOKである、ということですが、お互いに、独自の形状をもつという点は、共通していますし、物質である、という点も共通しています。しかし、その一般的な扱いは、異なっていますので、その基準となる、目を付けるポイントとしては、有意義な象徴的役割が、たやすくイメージできるかどうかにあります。

(3)a grain of rice. (〇) (米1粒)

「米1粒」は、一般的に、有意義な象徴的役割が、たやすくイメージできないようで、むしろ、物質的な側面を強く感じさせると思われていますので、(3)のように、‘a grain of ~’「~ 1粒」として、その粒の単位を、別に表現してやらなければなりません。米は、どちらかというと、たくさんの粒を、十把一絡げにして茶碗に盛る、などというような扱いが普通ですからね。

しかし、一方、ぶどうは、房からちぎって1粒ずつ食べることが一般的ですから、‘a grape’「ぶどう1粒」がOKになります。というわけで、ぶどう1粒と米1粒は、一般的に見方が異なるわけですが、このように考えていくと、以下のような例も、ある程度は合点がいきます。

(4)a sugar (×) (砂糖1粒)
(5)a salt (×) (塩1粒)

(6)a pinch of sugar (〇) (砂糖ひとつまみ)
(7)a spoon of salt (〇) (スプーン1杯の塩)

(4)の‘a sugar’「砂糖1粒」も、(5)の‘a salt’「塩1粒」もアウトです。砂糖や塩の場合も、粒子が細かいものの、米と同様に、液体ではなく固体であり、その1粒1粒が、一応は形状をもっていると言えますが、しかし、あまりにも粒が小さすぎて、やはり、一般的に、その1粒に対して有意義な象徴的役割が、たやすくイメージできません。そこで、むしろ、物質としての側面を強くとらえて、(6)や(7)のように表現するのが、妥当となるわけですね。

ここまでの考えで、とりあえず、一般的に有意義な象徴的役割がイメージしやすいかどうかが、名詞の「可算・不可算」を決定している要因であることは、理解できると思いますが、しかし、実は、このような説明では、まだ不十分であると思われる、結構、身近な反例があります。

(8) a. a chalk (×) (チョーク1本)
   b. a piece of chalk (〇) (訳同上)

(9) a. a paper (×) (紙1枚)
   b. a sheet of paper (〇) (訳同上)

学校で習う際も、強調されることが多いので、よく知られていると思いますが、「チョーク1本」や、「紙1枚」を、(8a)や(9a)のように、ただ単に、‘a’を付けただけで表現すると、アウトです。そこで、(8b)の‘a piece of ~’や、(9b)の‘a sheet of ~’のようにして、表現しなければなりません。

しかし、ここで、簡単にわかるように、「チョーク1本」にせよ、「紙1枚」にせよ、有意義な象徴的役割を果たす状況など、いくらでも想像できますし、また、そういった状況を、特殊なものであり、一般的ではない、などと言って切り捨てることは、いくら何でも無理だと思われます。

チョーク1本は、学校の授業などで、黒板に字を書くという、極めて一般的な用途が定着しており、一方、紙1枚だって、別に、複数枚で使うことが一般的であるにしても、逆に、1枚だけで使うような状況も、同様に一般的と言えるレベルにあると言っても、何ら不自然ではありません。ですので、「チョーク1本」や、「紙1枚」の有意義な象徴的役割をイメージするたやすさは、「米1粒」、「砂糖1粒」、「塩1粒」などのイメージのしにくさとは、雲泥の差があると言えます。

(10) a chocolate (チョコレート1個)
(11) a cup of hot chocolate (カップ1杯のホットチョコレート)
(12) chocolate in powder (粉末状のチョコレート) 

そこで、今度は、‘chocolate’「チョコレート」を考えてみたいと思います。チョコレートには、様々な側面があり、(10)のように、固体である場合もあるし、また、(11)のように、液体である場合もあるし、また、(12)のように、ケーキのトッピング (例えば、ティラミス) などの粉末の状態である場合もあります。

しかし、(10)のように固体の場合のみが、‘a chocolate’「チョコレート1個」のように、直接‘a’をつけて可算名詞として扱えます。チョコレートは、明らかに単一の物質から成るものですが、(8a)の‘a chalk’や、(9a)の‘a paper’がアウトであることとは対照的です。

ですので、(10)の‘a chocolate’のような場合は、物質的な側面が強く感じられないケースに該当する、ということになり、物質的な側面が強く感じられる‘chalk’「チョーク」や‘paper’「紙」とは、決定的に扱いが異なります。

そこで、物質としての側面が強く感じられる「チョーク1本」の場合と、そうではない「チョコレート1個」の場合は、どのように、一般的なイメージの違いがあるのか、ということになりますが、そのポイントは、どうやら、その形状にあると言えそうです。と言うのも、「チョーク1本」の場合、その形状が、常に、単純な棒状であるのに対して、一方、チョコレートの場合は、様々な形状があり、一般的に、1つのデザインとして完結しているものが多いのが特徴です。

具体的には、「チョーク1本」の形状は、その製造過程で、もとはさらに長い棒状だったものが、スパスパと切断されて、手頃なサイズとして、その1本1本ができ上がったような、切断面を簡単にイメージさせるような印象を、色濃く残しています。つまり、デザインとしての完結性が希薄に感じられ、かつ、切りとった一部という、物質的感覚を、なおも保っている形状ということになります。

このことは、「紙1枚」にも当てはまります。やはり、その形状は、その製造過程で、もとはさらに広い面積の紙だったものが、スパスパと切断されて、手頃なサイズとして、その1枚1枚ができ上がったような、切断面を簡単にイメージさせるような印象を、色濃く残しています。やはり、これも、デザインとしての完結性が希薄に感じられ、かつ、切りとった一部という、物質的感覚を、なおも保っている形状ということになります。

(13)a stone (〇) (石ころ1つ)

(13)のような、‘a stone’「石ころ1つ」に関しても、デザインの完結性という点では、「チョコレート1個」と同じ視点でとらえることができます。「石ころ」の形状には、個体差はあるにしても、他から切りとったような、連続性を感じさせる印象はありません。

(14)a bread (×)
(15)a slice of bread (〇) (スライス切り1枚のパン) 
(16)a loaf of bread (〇) (パン1塊)

(14)の‘a bread’「食パン1個」は、アウトです。‘bread’「食パン」は、なかなか難しい部類に入りますが、一般的に、(15)のような、スライス切りした状態で、目にすることが最も多いと思います。これは、当然、外見上からも、切ったような他からの連続性を感じさせる形状になっていますから、デザイン上の完結性は感じられず、‘a slice of ~’「スライス切りの ~」が表現として、妥当ということになります。

一方、(16)のように、まだ、スライス切りされていない状態の大きな塊であるパンはどうかというと、これも不可算で、‘a loaf of ~’「1塊の ~」で表現することになっています。この場合、個体差はあるにせよ、デザインは、(13)の「石ころ」と同じく、連続性を感じさせない完結性があるように思えますので、‘a bread’で表現したい、と考えたくなります。

しかし、「食パン1塊」は、一般的に有意義な象徴的役割、という点では、イメージを欠いています。「食パン」は、スライス切りしない状態で、大きな塊のまま、ガブリと噛みつくようなことは、一般的には、まずありません。ですので、この点、(10)の「チョコレート1個」のように考えるわけにはいきません。

そこで、「食パン」は、一般的に有意義な象徴的役割、という点では、やはり、スライス切りした状態の方で、圧倒的に、そのイメージが浸透していますから、(15)のような、スライス切り状態の方が、主役として認知されているという、特殊なケースに該当します。

つまり、物質名詞が、可算名詞として使われことがOKとなるためには、①・一般に有意義な象徴的役割が感じられるか、という視点に加えて、②・デザインとしての完結性が感じられるか、という2つの条件を、同時に満たしていなければならず、①と②の、どちらかがクリアできない場合、不可算名詞のままでなければならない、ということになります。

今回のポイントは、物質名詞の中でも、よくわかりにくい、「可算・不可算」の境界線を決定する基準の1つの目安です。一般的に、有意義な象徴的役割を果たすと考えられるか否か、という視点に加えて、見た目の印象も、「可算・不可算」の決定に影響を及ぼしている、ということです。それは、デザインとしての完結性があり、他からの連続性を感じさせないような外観をもつ、ということが重要である、ということです。

しかし、このような基準は、結局のところ、主観的なものであることに変わりはありませんから、一応の目安ということ以上に、期待感をもって臨むことは禁物です。ただ、このような視点が身に付いていると、感覚的には、比較的、抵抗感なく、名詞の習得効率は上がっていくと思われますから、まあ、1つ技ということですね。

■注1 :特定の状況に限り、‘a sugar’が、OKになる場合があります。ただし、(4)のように、「1粒」という意味ではなく、「1杯」という意味です。コーヒーに砂糖をいれるような場合、そのような状況は、日常的で、頻繁に起こっていることなので、一般的に、例えば、‘two sugars’「砂糖2杯」、などというような表現が、OKになりやすいようです。

■注2 :「食パン」以外にも、「パン」は、「チョコレート」と同様に、様々な形状があり、デザイン上も、それなりに完結性の感じられるものがありますが、それでも、‘a bread’「パン1個」は、アウトです。というのも、日本語の「パン」と、英語の‘bread’には、認識の差があり、あくまでも、英語の‘bread’は、普通の「食パン」が守備範囲だからです。「パン」は、様々な単語があり、「食パン」以外は、‘a roll’「ロールパン1個」や、‘a bun’「小型の丸パン1個」など、一般的に、別の単語で表現します。


●関連: EG05

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英語学習法(05)

2004年12月11日 | 名詞
EG03では、品詞の中の名詞を扱いました。そこで、EG04からは、名詞編となったわけですが、今回、物質名詞と呼ばれるものについてです。以下、見ましょう。

(1)a water (×) (水)
(2)a glass of water (〇) (コップ1杯の水)

液体である‘water’「水」は、一定の形状をもたず、異なるパーツで構成されているわけでもないので、物質名詞です。そこで、(1)のように、‘a’をつけて、数えられるもの、と見なすことはできませんので、(2)のように、‘a glass of ~’「コップ1杯の ~」を付けたすことで、コップ1杯の形状を表現することになります。

(3)a bottle of water (ボトル1杯の水)
(4)a bucket of water (バケツ1杯の水)
(5)a tub of water (桶1杯の水)

(3)~(5)もまた、(2)と同じ発想にもとづくものです。要は、「水」は一定の形状をもたないものなので、何らかの器に入れた時点で、その器の形状が、数えられる単位としてシフトしている、ということですね。ですので、こういったことが、物質名詞の基本的な性質とは言えますが、一言で物質とは言っても、いろいろあります。果たして、液体であることが、物質名詞の基準と言えるんでしょうか。

(6)a stone (〇) (石ころ1個)
(7)We use stone for the tool. (その道具に (素材として) 石を使う。)

(6)のように、‘a stone’「石ころ」は、数えることができる名詞とされています。確かに、道端に落ちている石は、1個、2個と数えることができます。しかし、一方、異なるパーツで構成されているわけでもない、単一の物質から成るものなので、その点、物質であることに変わりはありません。ただ、あえて、「水」との違いは何かというと、液体ではなく、固体である、ということができます。

そこで、(7)の場合は、‘a stone’となっていなくても、OKです。「石」は固体であっても、削ったりして変形させて、何かの素材に用いることが可能ですから、石という物質を何かの材料とした場合、数えられない名詞に変わってしまうわけですね。この点、固体である「石」だって、「水」と同じ扱いを受けていると言えます。

しかし、(6)と(7)の対比から、固体である場合、「可算・不可算」の基準は、物質であるか否か、というよりも、むしろ、素材としての側面が色濃くあらわれているか否かの方が重要、ということになります。

(8)a river (〇) (1本の川)

じゃ、液体は、どんなときでも不可算かというと、それも怪しいもので、‘river’「川」は、1本、2本と数えますから、‘a river’というのが、正しいんですね。ただ、「川」という表現は、単に液体であることのみが、「川」足り得る要素ではありません。つまり、どこかの土地に発生した、大きな水の流れであることが大事な要素となるので、水だけで、川の定義が成り立っているわけではありません。

(9)a rice (×) (米1粒)
(10)a grain of rice (〇) (訳同上)

(11)a bowl of rice (茶碗1杯のご飯)

今度は、反対に、明らかに固体なのに、数えられない物質名詞です。(9)の‘rice’「米」ですが、米1粒でも、(6)の‘a stone’「石ころ1個」のように、数えることができません。米1粒は、(10)のように、‘a grain of ~’「~ 1粒」を使わなければなりません。「米」も「石」も、どちらも、単一の物質からなり、1つ、2つ、と数えられる形状をもっているのに、それぞれ扱いが違うわけです。

そして、さらに、(11)のように、茶碗につがれた状態でも、‘a bowl of ~’「茶碗1杯の ~」と表現しなくてはなりません。そこで、(2)~(5)の「水」は、一定の形状をもたないので、何らかの器に入れた時点で、その器の形状が、数えられる単位としてシフトしている、と述べましたが、固体である「米」に対する扱いも、まさに、液体である「水」に対する扱いと同じなんですね。

(12)an ice (×)

(13)a piece of ice (〇) (氷1かけら)
(14)a cube of ice (〇) (氷 (アイスキューブ状で) 1個)

次に、液体である「水」が、固体に変化した「氷」ですが、この点、個体である「石」に近い物質名詞になったと言えます。しかし、「可算・不可算」の基準に、もはや、液体も固体もないわけですから、例え氷であっても、(12)がアウトで、(13)や(14)が、OKであると言われれば、それまでなんですね。

「水」が固体となり、「氷」になっても、なお、「石」よりも「水」に近い扱いを受けているわけです。その原因は何なんでしょうか。それを考える前に、以下のコントラストを見ましょう。

(15)an iceberg (氷山1つ)
(16)a mountain (山1つ)

(15)は、(13)や(14)の氷が、さらに巨大化した、‘an iceberg’「氷山」なんですが、これは、不思議なことに、数えられるんです。物質という観点からは、ただ単に、サイズが巨大な氷という解釈になりますが、一応、「山」を意味する‘-berg’が語尾に付いていますから、その時点で解釈の変化が発生した、ということでしょうか。

(15)との比較で、(16)の‘a mountain’「山」ですが、これも数えることが可能な名詞として扱われています。しかし、「山」も、よく考えてみれば、物質としては、土が大きく隆起した、言わば、巨大な土の塊ですから、そういう観点からは、物質名詞だと考えたくなります。

ただし、「山」も、(8)の「川」と同じように考えれば、ただ単に、巨大な土の塊という側面だけではなく、どこかの土地に発生し、その土地とのつながりをもった大きな土の隆起であるわけですから、土地と関係なしには在りえないという、付加価値的な解釈が、定義上、必要です。

こういった解釈の仕方があると、(15)の「氷山」の場合も、海を土地に例えた、海面からつながる「山」のような付加価値的イメージがないと、単なる巨大な氷という物質のままであり、数えられる名詞の仲間入りはできない、ということになります。ですので、「氷山」にせよ、「山」にせよ、それなりに、固有の特徴づけが得られていることから、単なる氷や土とは、一線を画す名詞となっている、と思われます。

では、(6)の「石ころ」が可算で、一方、(9)の「米粒」が不可算なのは、どういったことに起因するのでしょうか。これに対する1つの考え方は、ヒトにとって、何か有意義な象徴的役割がイメージできるか否か、ということになります。

例えば、石ころは、それを投げつけて、ヒトを傷つけるような描写は、テレビや本などで、よく見かけますので、そういった意味では、石ころは、あたかも、弾丸の1発のように、象徴的、かつ、有意義な扱いを受けるものとして、イメージが定着していると言えますが、一方、米粒は、これぞまさに、米粒の象徴的な扱い、というものを、なかなか想起することができません。つまり、米粒の扱いは、こうだ、と言えるような、一般的扱いが、象徴的に認知されていないのです。

ここで、(12)の‘an ice’「氷」がアウトであることを、改めて考え直すと、どうやら、「氷」には、「石ころ」ほどには、有意義な象徴的役割が、なかなかイメージできない、ということになります。氷は、漠然と、何かを冷やす目的で使われることが多いので、その点、イメージは、あるにはあるのですが、石ころほどには、形状が重視されるポジションにはない、と言えます。

つまり、氷が何かを冷やす形状は様々なので、どんな形状が象徴的かを、ハッキリとイメージできない、ということになり、むしろ、単なる物質としての側面の方が、まだ、なお強いと感じられます。この象徴性の強弱が、決定的に、「氷」と「石ころ」を隔てているものと思われます。

(17)a grape (〇) (ぶどう1粒)
(18)a corn (×) (コーン1粒)

(17)の‘a grape’「ぶどう1粒」はOKですが、一方、(18)の‘a corn’「コーン1粒」はアウトです。物質という観点からは、どちらも同じですし、房からちぎったり、穂軸からかじったりするように、実になるベースが、それぞれにあるという点も同じです。

しかし、通常、ぶどうは、1粒ずつ食べるのが一般的であることからも、その1粒は、有意義な象徴的扱いを一般に受けていることがわかります。一方、コーンの場合は、1粒ずつ食べることが、一般的とまでは見なされていません。むしろ、調理などで、複数の粒を十把一絡げに扱うことの方が一般的です。

以上のことから考えていくと、物質がどうのこうの、という点よりも、むしろ、こういった、一般的な扱いという、イメージから発する視点の方が、「可算・不可算」の基準としては妥当である、ということになります。このように考えていくと、物質であるか否か、による分類では、意外と、「可算・不可算」の基準がハッキリしないことがわかります。

今回のポイントは、物質名詞という名前がついている名詞は、その分類の仕方から、具体的にどんな役割を果たしてくれるのか、という疑問です。残念ながら、今回、観察した少数の例からだけでも、ハッキリとわかるのは、何の役割も果たしていない、ということです。

よく、解説書などに、名詞の分類基準として、「物質名詞」という項目がありますが、これは、ハッキリ言ってしまえば、そういう観点からは、「可算・不可算」が、都合良く説明できる場合もある、という程度のものでしかなく、物質であるか否かを考えていれば、それだけで全て (または、大半) の名詞が説明できるほど、単純なものではありません。

これは、結局のところ、ヒトが感じ取るイメージに起因するもので、その概念が流動的だからです。これが意味するのは、社会的な認知度に比例して、ある名詞に対する「可算・不可算」の基準が、大きく変わってしまう可能性も示唆している、ということです。よく問題になる、飲み物の「ビール」が、‘a glass of beer’「ビール1杯」を標準的とする一方で、‘a beer’もまた、OKになるという事実は、こうした、ヒトの認知的感覚の社会的推移にあるのは、言うまでもありません。

■注 :(14)の、‘a cube of ice’「氷 (アイスキューブ状で) 1個」の場合も、グラスに入れたりして、飲み物を冷やすこと、といったように、比較的、その用途は、限られており、有意義な象徴的役割が、一般的に認知されていると言えます。しかし、この場合は、‘an ice cube’「アイスキューブ1個」、という表現の方が、先に一般化してしまったために、(14)の表現は、‘an ice cube’とのコントラストを明確にするため、用途よりも、やはり、形状の方に重点を置いた表現として、そのまま、残されることになってしまったようです。

●関連: EG03EG04

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英語学習法(04)

2004年12月11日 | 名詞
EG03の続きです。品詞の中でも、名詞についてです。以下、見ましょう。

(1)I read a book. (私は、本を読む。 (本は1冊))
(2)I read books. (私は、本を読む。 (本は2冊以上))

日本語で名詞と呼べるものは、英語でも、大方、名詞です。しかし、日本語との違いで、ちょっと厄介なのは、逐一、モノであるかないかを気にしながら、(1)の‘a book’「1冊の本」、一方、(2)の‘books’「2冊以上の本」のように、「単数・複数」を考えて、表現しなければならないことです。

(3)I have information. (〇) (私は、情報をもっています。)
(4)I have an information. (×) (訳同上)

しかし、(3)のような場合、‘information’「情報」は、モノではありませんから、(4)のように、‘an information’とやってしまうと、アウトになってしまいます。でも、考えようによっては、「情報」だって、1つ、2つと数えることはあります。つまり、モノではない、という理由で、数えることはない、と断定するのは、間違っていることになります。

(5)I have a piece of information. (私は、情報を1つ、もっています。)
(6)I have two pieces of information. (私は、情報を2つ、もっています。)

だから、(5)や(6)のようにして、‘a piece of ~’「~ 1つ」や、‘two pieces of ~’「~ 2つ」という表現の力を借りて、個数を表してやることになっています。つまり、‘piece’「片、個」を使って、‘a piece’ (単数) または、‘pieces’ (複数) というような、「単数・複数」の概念を、別の単語に任せてシフトしてやる、という発想です。英語は、こういった発想で、名詞の「単数・複数」を表すことを、よくやるコトバです。

(7)a glass of water (コップ1杯の水)
(8)two glasses of water (コップ2杯の水)

(7)では、‘a glass of ~’「コップ1杯の ~」、一方、 (8)では、‘two glasses of ~’「コップ2杯の ~」、というように、「コップ」を単位として、‘a glass’ (単数)や、‘glasses’ (複数)で、「水」を表現しています。しかし、水は、「カタチをもったモノ」ではないにしても、一応、目には見えるし、手で触ったりすることはできるので、完全にモノではない、とは言い切れず、「カタチをもたないモノ」、ぐらいには考えられます。

(9) a piece of chalk (1本のチョーク)
(10)two pieces of chalk (2本のチョーク)

今度は、「チョーク」ですが、チョークも、また、‘a piece of ~’「~ 1つ」や、‘two pieces of ~’「~ 2つ」という表現の力を借りて、本数を表してやることになっています。そこで、何でチョークが?と思われるかもしれませんが、チョークの場合、チョークの素材である粉が、ギュッと固まって、1本のカタチになっている、という発想があるため、イメージとしては、「チョークの素材が加工されたモノ」、と見なしているわけです。

(11) a pen (1本のペン)
(12) two pens (2本のペン)

じゃ、(11)や(12)がOKになる、「ペン」の場合はどうなんだ、ということになりますが、ペンの場合、それ用のパーツを組み立てて、初めて、「ペン」というモノになる、という見方をしますから、逆に、ペンが分解されれば、個々のパーツそれ自体は、ペンではない、ということになり、最終的に完成したものが、ペンという、「カタチをもったモノ」、と見なされます。

(13)a lemon (レモン1個)
(14)tea with lemon (レモンが入った紅茶)
(15)a slice of lemon (レモン一切れ)

(13)の場合、普通に、レモン1個の発想ですが、一方、(14)の場合、レモンが丸々1個入った紅茶、という意味ではなく、レモンの果汁なり、ほぐした実という、「レモン素材」が入っているという発想になります。(15)も、レモンがスライス切りされた時点で、「レモン素材」という方向に、見方が変わっています。

つまり、‘lemon’「レモン」の場合、固体としてのカタチが基準なのか、それとも、素材としての側面が基準なのか、ハッキリしていません。このように、ただ単に、イメージに帰着させて、名詞の「数える・数えない」を決めている側面があるので、理由付けとしては、何となく、それらしく説明することはできますが、結局は、結果論でしかない場合もあります。

今回のポイントは、名詞の数え方にまつわる、日本語と英語の発想のギャップです。日本語と違って、英語には、名詞の「単数・複数」という概念が、常に付きまとうため、その影響の1つとして、今度は、じゃ、数えられる名詞と数えられない名詞の境界線は、一体、どこに求めるのか、という問題が発生してしまいます。

ある程度、ハッキリと、モノだと言えるような場合は、それほど、認識にズレもなく、対応は可能ですが、たまに意表を突くようなものもありますし、カタチの変化にともなって、認識の仕方が、ガラっと変わってしまうケースもあります。

これは、モノである・モノでない、とか、目で見える・見えない、とかいった単純な発想では処理できない問題で、個々の単語から連想されやすい、「イメージでとらえる」、という、より抽象的な、異質の概念がはたらいているからです。このため、ある程度は慣れが必要であり、日本語の感覚からは、如何ともしがたいものがあります。

とりあえず、後付け的な説明は、いくらでも可能ですが、説明されても、ハア、そうですか、としか言えない側面があるのも事実ですので、まずは、こういった事実を受け入れるだけの度量があるかないかが、キモとなります。

■注 :名詞の分類の仕方としては、「美」、「理由」、「情報」、などといった、目では見えなない、「概念」、を表す名詞を、「抽象名詞」、と呼びます。一方、固体として表すことが不可能な、「水」、「ワイン」、「ガス」などや、一方、固体ではあっても、常に、一定の形状で認識されない、「肉」、「土」、「雪」などを、「物質名詞」、と呼びます。しかし、こういった分類が、「可算・不可算」の、絶対的な基準、というわけではありません。

●関連: EG03

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