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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(116)

2006年07月25日 | 比較
EG105、EG106、EG115の続きです。比較の構文‘as ~ as ・・・’です。今回、ちょっとした変則例です。以下、見ましょう。

(1)John is as old as Tom. (ジョンはトムと同じ年齢だ。)

(1)は、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」で、その述語には‘old’「歳を取った」が使われています。「歳を取った」という意味は、誰にでもわかるとおり、高年齢である、ということですが、(1)でのジョンやトムは、そのような年齢に達しているのでしょうか。

(1)は、もちろん、ジョンとトムが共に80歳といった場合も考えられますが、一方、ジョンとトムが共に10歳といった場合も考えられます。もし、ジョンとトムが共に80歳の場合ならば、これは、‘old’のもつ意味が、そのまま活かされていますが、一方、ジョンとトムが共に10歳の場合ならば、(1)では、‘old’のもつ意味は活かされていない、ということになります。

にもかかわらず、(1)では、ジョンとトムが共に10歳といった場合でも、OKになるわけですから、ちょっと不思議な感じがします。ところで、一般的に、‘old’「歳を取った」の反対の意味を表す表現には、‘young’「若い」があります。

(2)John is as young as Tom. (ジョンとトムは同じくらい若い。)

(2)では、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」に、その述語として‘young’「若い」が使われていますが、「若い」の意味は、もちろん、低年齢であり、その判断に個人差はあっても、一般的に、40歳や50歳、または、それよりも高年齢のヒトが、若い、などとは通常考えられません。

そこで、(2)には、ジョンとトムが共に80歳といった解釈はなく、共に10歳や20歳といった場合など、一般に「若い」と見なされる年齢での解釈になります。つまり、比較の構文‘as ~ as ・・・’の中で、‘young’が使われる場合は、その単語がもつ「若い」という意味が活かされていなければならない、ということになります。

このように、(1)と(2)の差異は、普段、あまり意識されることはないのですが、よくよく考えてみると、これは、ちょっと難しい問題です。と言うのも、一般には、「老いた」と「若い」は正反対の概念だと考えられていますから、単純に考えるならば、(1)と正反対の解釈が(2)になければおかしい、または、(2)と正反対の解釈が(1)になければおかしい、と思ってしまうからです。

しかし、事実として、(1)と(2)の間には、解釈上の不均衡があるわけですから、「老いた」と「若い」の間には、ただ単純に、「正反対」の概念である、とは言えないような何らかの別の概念が存在するように思われます。そこで、以下のような例も併せて考えてみましょう。

(3) a. John is as tall as Tom. (ジョンはトムと同じくらいの背丈だ。)
   b. John is as short as Tom. (ジョンはトムと同じくらい背が低い。)

(4) a. This book is as heavy as that box. (この本は、あの箱と同じくらいの重さだ。)
   b. This book is as light as that box. (この本は、あの箱と同じくらい軽い。)

(5) a. This entrance is as wide as that exit . (この入り口は、あの出口と同じくらいの幅だ。)
   b. This entrance is as narrow as that exit . (この入り口は、あの出口と同じくらい狭い。)

(3a-b)で使われている述語は、‘tall’「背が高い」と‘short’「背が低い」、(4a-b)では、‘heavy’「重い」と‘light’「軽い」、そして、(5a-b)では、‘wide’「広い」と‘narrow’「狭い」というように、いわゆる、正反対の意味となるペアであり、これら各ペアが、‘as ~ as ・・・’の構文で使われています。

(3a-b)~(5a-b)で、正反対の意味をもつ述語の各ペアは、‘as ~ as ・・・’の構文の中で使用されると、(1)と(2)の間にある解釈の関係とほぼ類似した関係をもつことになるのがわかります。つまり、(3a)の‘as tall as’は、ジョンとトムの身長が高くても低くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(3b)の‘as short as’は、ジョンとトムの身長が高い解釈を許さず、両者の身長が低い解釈しか許しません。

(4a)の‘as heavy as’は、本と箱の重さが重くても軽くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(4b)の‘as light as’は、本と箱の重さが重い解釈を許さず、両方とも軽い解釈しか許しません。(5a)の‘as wide as’は、入り口と出口の幅が広くても狭くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(5b)の‘as narrow as’は、入り口と出口の幅が広い解釈を許さず、両方の幅が狭い解釈しか許しません。

このように、正反対の意味を表すとされているペア表現が、比較の構文‘as ~ as ・・・’の中では、正反対と呼べるような関係にならないことは数多く確認できます。そこで、今回見てきた表現の各ペアにおいて、一般法則として言えることは、高い数値をマークする方にのみ中和作用がはたらいている、ということです。

つまり、‘old’「年齢値が高い」、‘tall’「身長の値が高い」、‘heavy’「重さの値が高い」、‘wide’「広さの値が高い」、というように、これらの表現は、数値で表す上での値が、ペアの相方となる表現のカバーし得る数値よりも高いという特徴があり、そのような表現は、‘as ~ as ・・・’の中では、ペアの相方がカバーする数値をもカバーできるように意味的な中和がはたらいている、と言えます。

そこで、高い数値をマークする表現 (‘old’、‘tall’、‘heavy’、‘wide’など) が、そうでない相方表現 (‘young’、‘short’、‘light’、‘narrow’など) を差し置いて、意味的な中和が起こるという、この優位性はどこからもくるものなのか、ということになるわけですが、その前に、これらの表現に関する、ある種の誤解を解く必要がありそうです。

今回出てきた表現は、全て、「メートル」や「キログラム」、といった独特の単位で表すことが可能な表現ですが、その全てが、「無」から「有」へと向かうやり方でしか表現し得ないというところにポイントがあります。つまり、数値ゼロから始まり、10、20、30、・・・、というように数値を伸ばしていく表現方法を取っているわけですね。

そこで、例えば、「背が高い」の反対表現が、「背が低い」であったとして、それを数値で表すとなれば、190cmの反対表現は、140cmである、などと単純な数値上の置きかえは不可能です。というのも、プラス (+) 190という数値の反対を、あえて言うならば、それは、マイナス (-) 190であり、「正」の数に対しては、「負」の数という概念が真の正反対ということになっているからです。

このように、コトバで表現する正反対と、数値上の正反対は、必ずしも一致するとは限りません。ここで、現実離れしていますが、架空の想定として、年齢300歳や400歳まで生きたヒトがいると考えた場合、そのようなヒトは、当然、アタマに「超」が付くほどのお年寄りであることになりますが、これが例え、500歳になろうと、800歳になろうと、それ以上になろうとも、コトバの上では、「老人」として、ひとくくりに表現されることに違いはありません。

一方、若者の場合は、ゼロ歳から始まって、精々30歳手前くらいが常識と考えると、極めて限られた狭い範囲でしか、その表現が許されないということになります。つまり、コトバの表現としては、「若さ」の概念は有限である一方、「老い」の概念は無限なわけですから、これらを正反対の概念というよりも、むしろ、「大 (老い)」の中にある「小 (若さ)」という捉え方の方が、より本質的な捉え方ということになります。

無限の中に位置付けられた有限は、言わば、相対的に、「点」の存在でしかなく、かなり特殊な概念と見なされます。ですので、無限の範囲をカバーする‘old’に対して、決められた範囲しかカバーできない‘young’は特殊な表現であると考えられるわけです。

以上のような考え方からすれば、もちろん、無限の‘tall’に対して、有限の‘short’、無限の‘heavy’に対して、有限の‘light’、無限の‘wide’に対して、有限の‘narrow’というような関係が、やはり並行的に成り立ちます。ですので、‘young’と同じく、‘short’、‘light’、‘heavy’といった表現は、やはり、特殊な表現という位置付けになると考えられます。

ここで、今回の中和作用の優位性に関して結論を述べると、中和作用の効力は、特殊な表現ではなく、一般性の高い表現に優位性がある、ということですね。では、以下のペアも併せて確認しておきましょう。

(6) a. Mary is as beautiful as Susan. (メアリーはスーザンと同じくらい美しい。)
   b. Mary is as ugly as Susan. (メアリーはスーザンと同じくらい不細工だ。)

(6a)の‘as beautiful as ’は、メアリーとスーザンが共に美しいという前提をもつ解釈が一般的です。つまり、‘beautiful’のもつ意味が中和されていません。一方、同様に、(6b)の‘as ugly as’も、メアリーとスーザンが共に醜いという前提をもつ解釈しかなく、その意味が中和されていません。というのも、‘beautiful’「美しい」と‘ugly’「醜い」は、真の正反対表現とされており、かつ、この関係は、もともと数値で表すことも困難だからです。

今回のポイントは、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」は、一見、正反対の意味をもつと思われる、‘old’-‘young’などのペアに対して、一方には意味的な中和作用がはたらくが、他方には、はたらかない、という不公平な意味的変化をもたらす傾向があり、それはどういった要因によるものなのか、ということです。

これは、‘old’「歳を取った」の反意語が、‘young’「若い」であるというようなコトバの上での常識が、数値上の関係で捉え直してみると、実は、正反対の概念であるというよりも、むしろ、「無限」の中に位置付けられる「有限」、つまり、「一般」の中に位置付けられる「特殊」というような関係であり、そういった本質的な関係が見逃されやすいために起こる一種の誤解が原因だったわけです。

今回見たように、比較の構文は、述語として使われる表現の意味に変化をもたらす場合がありますが、その要因を追求するのは容易なことではありません。今回扱った述語は、比較的、精度が高いものの、話者の個人差が出るような述語もあります。機会があったら、また改めて扱ってみたいと思います。

■注: 一見、反例になると思われがちですが、‘My grandfather is as young as my grandmother.’「俺のじいちゃんは、ばあちゃんと同じくらい若いよ。」というような表現がOKになる場合は、もちろん、年齢的な若さ、つまり、数値上の若さ、ではなく、歳の割にはピンピンしているぞ、というような意味で、いわゆる、「健康年齢」や、「精神年齢」といった別次元のものを対象にしている場合ですね。

●関連: EG105EG106EG115

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英語学習法(115)

2006年07月23日 | 比較
EG105、EG106の続きです。比較の構文‘as ~ as ・・・’です。以下、見ましょう。

(1)John is as old as Tom. (ジョンはトムと同じ年齢だ。)
(2)John is not as old as Tom. (ジョンはトムより年下だ。)

(1)は、普通、ジョンとトムの年齢が同じ (‘John’=‘Tom’) であることを表現しています。そこで、(2)ですが、(1)に否定語の‘not’を加えただけです。ですので、単純に考えるならば、(2)は、‘John’≠‘Tom’となり、その結果として、ジョンは、トムより年上 (‘John’>‘Tom’) かも知れないし、または、年下 (‘John’<‘Tom’) かも知れない、という解釈になりそうなものです。

しかし、事実としては、(2)の日本語訳にあるように、ジョンがトムよりも年下 (‘John’<‘Tom’) である解釈しかありません。これは、実は、本来的に、(1)が、‘John’=‘Tom’の関係以外に、‘John’>‘Tom’の関係も潜在的に表し得る、つまり、この解釈をあわせて、トータルで‘John’≧‘Tom’の関係を表し得るからです。 (EG106、参照。)

(3)‘Is John as tall as Tom ?’-‘Yes、in fact John is taller than Tom.’
   (「ジョンはトムと同じ背丈かい?」-「うん、実際は、ジョンの方が高いけど。」)

(4)‘Is John as tall as Tom ?’-‘No、John is shorter than Tom.’
   (「ジョンはトムと同じ背丈かい?」-「いや、ジョンの方が低いね。」)

そこで、(3)と(4)のコントラストですが、英語の場合、比較の構文‘as ~ as ・・・’を、‘yes’や‘no’で答えられる疑問文にして相手にたずねる場合、その答え方に、ある特徴を見出すことができます。まず、(3)のように、ジョンとトムの背丈が同じか、との質問に対して、ジョンの方がトムよりも背が高いことを知っている相手が、‘no’「いいえ」ではなく、‘yes’「はい」と答えても、不自然ではない、という事実があります。

つまり、(3)の疑問文が、もし本当に、「・・・ と同じくらい ~ だ」の意味しか表せないとするならば、それに対して、ジョンとトムの背丈は同じではなく、ジョンの方が高い、という答え方になる以上、質問者の発する疑問文に対しては、否定の答え方、つまり、‘no’で始まる文でなければならないはずです。

にもかかわらず、‘yes’で答えても自然な答え方になるのは、つまり、(3)の疑問文は、純粋に、‘John’=‘Tom’の関係を表しているだけではなく、‘John’>‘Tom’の関係をも表しており、この点、ジョンの方がトムよりも背が高いことを知っている相手にとっては肯定の余地があることになるので、結局、(3)の応答が自然なのは、その疑問文が、‘John’≧‘Tom’の関係を表しているからだ、と言えます。

一方、(4)の場合、‘John’≧‘Tom’の関係を表す疑問文に対して、ジョンの方がトムよりも背が低いことを知っている相手が、その旨を伝える答え方になる場合、つまり、‘John’<‘Tom’の関係を伝える答え方になるわけですから、どうしても、‘John’≧‘Tom’の関係を否定した答え方にならざるを得ないということで、‘no’で始まる答え方になってしまいます。

ここまで見て、比較の構文‘as ~ as ・・・’には、「・・・ と同じくらい ~ だ」の解釈に加えて、「・・・ よりも ~ だ」の解釈もある、ということは明らかなのですが、1つの疑問として、では、なぜ、(1)のような文は、よく学校などで教わるように、「・・・ と同じくらい ~ だ」の解釈の方が一般的なのか、ということになります。

(5)昨日は、パンを食べたよ。それと、野菜、鶏肉、あと、デザートもね。
(6)昨日は、パンを2個食べたよ。それと、もう2個、そして、あと3個ね。

ここで、(5)と(6)のコントラストを考えてみたいと思います。まず、(5)は、極めて自然な日本語ですが、一方、(6)の日本語は、普通、かなりおかしな印象を受けます。というのも、最初にパンを2個食べた、と言っておきながら、そのあと、その数を、わざわざ追加するような言い方になっているからです。

パンの数を、2個、2個、3個と、分けて伝えるよりも、2+2+3=7で、始めから、7個食べたと伝える方が、よほど自然な伝え方になると思います。しかし、一方、(5)のように、食べ物の種類を列挙するような伝え方は、自然ですので、種類と数量の相異にポイントがあるのは確かなようです。

(7)昨日は、あんパンを2個食べたよ。それと、ジャムパン2個、メロンパン3個もね。

そこで、(6)を(7)のように、パンの種類を明らかにして、それぞれ、その数を列挙するような伝え方にしてみると、全く不自然ではなくなります。つまり、種類が違うことが明示されていれば、その数・量を分けて列挙してもおかしくないのですが、一方、同種のものに関しては、その数・量を伝える場合、1つにまとまった総数・総量を伝えなければ、不自然と感じられる傾向があるのです。

これは、ヒトとヒトとのコミュニケーションにおいて、情報伝達する際の暗黙のルール、とでも言うべきものがはたらいている特殊なケースに該当します。よく考えてみれば、(6)などは、本当に、パンを合計7個食べたのならば、トッ散らかった印象はあるものの、別に伝達情報としては、間違ったことを述べているわけではありません。

さらに、(6)で、昨日はパンを2個食べた、とだけ伝えて、残りの5個に関しては何も言わない場合も厳密に言えば、ウソを伝えていることにはならず、少なくともパンを2個は食べた、という解釈にしてもらうつもりで発話するならば、真であり、偽にはならないのです。

この点、(5)も同じで、例えば、フランス料理などをコースで食べた場合、その中に、パンが品目として含まれていれば、昨日はパンを食べた、とだけ伝えて、残りの品目に関して何も言わない場合も、パンを食べたこと自体は、本当のことであり、厳密に言えばウソを伝えていることにはならず、やはり、真であり、偽にはならないので、情報伝達としては間違っていない、ということになります。

ですので、理屈で考えるならば、(5)であろうと、(6)であろうと、同じ問題の中に位置付けられているはずであるにもかかわらず、なぜか、(6)のように、同一種の数・量が、あえて別々に列挙されている場合のみ、その不自然さが、際立ってしまうことから、同一種の数・量を伝える場合、相手は、最初に伝えられた数・量が、イコール、その総数・総量である、という思い込みにつながるような情報伝達上の暗黙の了解があるのです。

ここで、比較の構文‘as ~ as ・・・’にもどって考えてみます。(1)は、その否定文である(2)の解釈を手がかりに、本質的には、‘John’≧‘Tom’を表現し得ることが明らかであるにもかかわらず、普通は、‘John’=‘Tom’の解釈が一般的です。

(8)John is older than Tom. (ジョンはトムよりも年上だ。)

そこで、(8)ですが、(1)は、今回のお話からすると、(8)のような比較の構文と、その意味内容における重複があることは明らかです。つまり、(8)においては、‘John’>‘Tom’の関係が表現されているので、(1)が、本来、表すはずの‘John’≧‘Tom’の関係の中で、‘>’の部分は重複内容になってしまうわけですね。

今回確認した、「情報伝達の原則」という観点からは、明らかにジョンがトムより年上であることを知っている場合、(1)よりも、(8)を発話する方が、情報伝達上は誤解を与えない伝え方になります。これは、(8)の場合、(1)の表す‘≧’の関係から、‘=’の関係が取り除かれる分だけ、話者の知っている情報に忠実な表現になるからですね。

もちろん、明らかにジョンがトムより年上であることを知っている場合でも、(1)を発話したからといって、ウソをついていることにはなりませんが、しかし、(6)を不自然な情報伝達であると見なす、「情報伝達の原則」がありますので、明らかにジョンがトムより年上であることを知っている場合、(1)を発話することは、結果的には、ウソの思い込みを相手に促してしまいます。

要するに、比較の構文にも、「情報伝達の原則」が適用されて、(8)を使わずに、(1)を使うということは、‘-er than ・・・’の構文には含まれず、一方、‘as ~ as ・・・’の構文にのみ含まれる、‘=’の解釈を優先すべきであるという意思表示と取られてしまう、ということなのです。

ところで、「情報伝達の原則」が、比較の構文に摘用される要因は何なのか、という問題があります。というのも、(5)と(6)のコントラストが示すように、「情報伝達の原則」は、適用される場合とそうでない場合があるからです。そこで、比較の構文は、あるものとあるものの相対的な優劣関係を表す構文なので、そこから、一種の「程度」を表現することが前提になるためである、と考えられます。

例えば、ジョンはトムよりも年上である、と述べるならば、それは、具体的な数値を使わないものの、その代わり、トムという基準を据えて、「トムよりは ~」、というように、程度を表すための基準自体は設けることができるため、言わば、数値を用いない独特の程度表現であると言えます。

そこで、「程度」は、もちろん、「種類」ではなく、「数・量」に近い概念なので、「程度」の概念は、「数・量」に摘用される「情報伝達の原則」にとっては、ほぼ共通した概念と見なされるものと思われます。

今回のポイントは、比較の構文‘as ~ as ・・・’が、「・・・ と同じくらい ~ だ」の意味と同時に、「・・・ よりも ~ だ」の意味も表せる、という事実があるにもかかわらず、(1)のような文においては、通常、「・・・ と同じくらい ~ だ」の意味でしか解釈されないのはなぜなのか、という問いです。

それは、今回見た、「情報伝達の原則」という、さらに広い視野から見た、ヒトのコミュニケーション上の原則が、基本的には、「数・量」の伝達において、かなり敏感にはたらいているからであり、それが比較の構文における「程度」表現という性質に合致してしまうためです。

比較の構文は、二者間の優劣関係を表現する際、‘-er than ・・・’の構文と‘as ~ as ・・・’の構文があるため、常に、どちらを選択するのが適切かを考慮しなければならず、言わば、お互いに相補的な均衡関係にあるわけですが、どちらかを選ぶ際に、この「情報伝達の原則」が介入してくる、というわけですね。

今回は、ちょっと難しいルールを扱ってみましたが、一度知ってしまえば、なるほど、そんなことは確かにあるな、と思わせるものですので、ちょっと意識してみると、比較構文の使い方に奥行きが出ると思いますよ。

■注 :(6)のように、同一種の総数を一度に伝えないような伝達の仕方が、自然になるようなケースもあります。例えば、1日の中で、3回食事をした場合、パンを、朝2個、昼2個、夜3個食べた、というような場合です。しかし、(6)は、一般に、そのような前提が了解された上での会話でもない限り、そのような前提は想定しづらく、1回の出来事の中でのこととして解釈されるのが、普通です。

●関連: EG105EG106

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英語学習法(114)

2006年07月22日 | 比較
EG107、EG108、EG113の続きです。比較の構文‘-er than ~’「~ よりも」の中でも、それほど頻繁にお目にかかるものでもないのですが、しかし一方、よく物議をかもし出す傾向のあるものです。以下、見ましょう。

(1)A whale is no more a fish than a horse (is). (鯨は、馬と同様、魚ではない。)
(2)A whale is no less a mammal than a horse (is). (鯨は、馬と同様、哺乳類だ。)

一応、(1)は、‘no more ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ でない」、一方、(2)は、‘no less ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ だ」、などと暗記してしまうことになっているのが一般的です。そして、こういった構文は、その意味の成り立ちに関する説明がとても難しいので、これはこれで仕方のないことです。

こういった構文の大ざっぱな理解としては、‘no more ~ than ・・・’「・・・ よりも ~ ということは決して言えず、結局は、同等に ~ ではないのだ」、というものや、‘no less ~ than ・・・’「・・・ よりも ~ ないとは決して言えず、結局は、同等に ~ なのだ」、といった感じです。

ただ、とてもややこしいのは、(1)と(2)を見てわかるように、‘than’以下で、‘a horse’のみがOKであったり、一方、動詞を補った‘a horse is’がOKであったりする点です。‘than’は前置詞の場合もあれば、一方、接続詞の場合もあるので、両方とも、文法的には問題ないのですが、意味の点からは、ちょっとわかりづらい印象があります。 (‘than’の品詞に関しては、EG109、EG110、参照。)

(3)A horse is a fish. (馬は魚です。)
(4)A horse is a mammal. (馬は哺乳類です。)

そこで、(3)と(4)ですが、まず、(3)は、どう考えても、おかしなことを述べています。一方、(4)は、当然のことを述べています。ここから、(3)をもとに(1)、一方、(4)をもとに(2)を考えることになります。というのも、標準的な比較の構文は、‘than’以下では、不完全なカタチの文がある場合、‘than’よりも前の文における同一的な要素が消去されているもの、と考えられるからです。

(5)馬が魚でないのと同様、鯨も魚ではない。
(6)馬が哺乳類であるのと同様、鯨も哺乳類だ。

そこで、(5)の日本語は(1)、一方、(6)の日本語は(2)に対応した、いわゆる、別バージョンの日本語訳として、一般に知られています。これは、もちろん、(1)と(2)の‘than’以下で、‘a horse is’というように、‘be’動詞が現れることもあることから、(3)や(4)のような文がもとになっていると考えなければ、文法上、説明がつかないからであり、それに何とか対応する日本語訳としては、(5)や(6)のようになるだろう、という発想にもとづくものです。

しかし、(6)の場合はともかく、(5)の場合、今ひとつ納得のいかない点があり、それは、もちろん、「馬が魚でない」の部分です。単純に、(3)をもとにして(1)を考えるならば、なぜ、(5)のように、否定の意味を表す「馬が魚でない」の「~ ない」が、日本語訳に現れるのか、という疑問が常につきまとうわけですね。

確かに、(3)はおかしな事を述べているわけですから、どうしても、常識的に考えれば、それを否定した解釈にでもしなければ、(1)を、すっきりと意味の通る文として捉えることができなくなるわけで、逆に、(3)に否定語がないからといって、そのまま、「馬が魚であるのと同様に ~」などと、文字通りの日本語訳にするわけにはいかないのは明らかです。

これは、とても不思議なことのように思えるのですが、ある1つの観点からは、(3)のような奇妙な文を想定しても、それが許される、と言えるようなケースがあります。まず、以下の文を見ましょう。

(7)John is older than Tom (is). (ジョンは、トムよりも年上だ。)
(8)Tom is old. (トムは歳を取っている。)

(7)は簡単な比較の文ですが、‘than Tom is’の部分から、そのもととなる表現は、どうやら、(8)のような文を想定している、と考えられます。しかし、ここで注意すべきは、(8)の意味が、トムは年齢的に高齢者である、という解釈になる一方で、(7)では、その前提が消滅している、ということです。

つまり、(7)は、ジョンが年上でありさえすれば、トムの年齢はいくつであっても構わない、という極めて相対的な年齢値という解釈に変化しており、‘old’「歳を取っている」のもつ常識的な基準値が、意味を成さなくなるほどにまで広がってしまっている、ということです。

(9)Tom is young. (トムは若い。)

例えば、ジョンが10歳で、一方、トムが8歳だという事実があると、(7)の‘than Tom is’のもととなった文に、(8)を想定することは、やはり、おかしなことを述べているということになり、8歳児に対しては、正しくは、‘old’「高齢な」の真逆を述べる‘young’「若い」を用いた(9)を想定すべきだと考えたくなりますが、比較の構文の中では、もはや、そんなことは問題になりません。

(7)は、ジョンとトムが、共に高齢者である場合にも使えるので、その場合は、(7)の‘than Tom is’のもととなる文が、(8)であってもおかしく感じないものの、「事実」として、ジョンが10歳で、一方、トムが8歳であるとなれば、やはり、(8)よりも(9)の方が「事実」に忠実、となるわけです。

そこで、もともと、(3)と(4)のような場合、お互いの事実関係が、不変の真理として予め決まっているケースなので、(8)と(9)の関係のように、どちらが真であるかは事実確認をするまでわからない、といったものではなく、一発で判断できてしまうので、即座に、(3)が奇妙だ、となってしまうだけのことなのです。

しかし、馬が哺乳類であるか魚であるか、そして、トムが高齢者であるか若いか、ということに対する判断は、いずれのケースにせよ、「事実」に照らして判断する、という条件のもとでは、結局、同一の問題なのです。

こういったわけで、比較の構文においては、あるものとあるものの「相対化」という構文自体のもつ性質が原因で、ある表現の本質的な意味を、ある程度、弱めてしまったり、広げてしまったりしてしまうという、言わば、中和作用のようなはたらきがあるようなのです。

そこで、(3)のような文が、比較の構文において、‘than’以下のもとになるような表現としてはどうか、ということになるのですが、(3)は「〇・×」式に客観的な判断が下せる文であるにもかかわらず、これを、相対化のための「程度」表現として捉え直す、という見方になるものと考えられます。

つまり、比較の構文の‘than’以下では、たとえ、どんなに奇妙・極端であろうとも、相対化のためならば、馬が魚であることを、1つの基準として想定しても全く構わないということであり、これは、とにかく、他の例を引き合いに出して、相対的に、鯨がどの程度「魚」としての度合いが低いのかを示せればそれでよい、という発想からくるものと思われます。

哺乳類である馬を、あえて魚であると言える基準にまで「哺乳類度」を下げて、「魚度」を上げてみた場合、鯨がそれを越えられるほどの「魚度」をもっているかといえば、そんなことはなく、結局は、馬と鯨は同等の値であり、そこで、現実にもどった場合、馬は、「哺乳類度・100」であって、「魚度・0」なんだから、その馬と同等とされる鯨だって、「哺乳類度・100」で、「魚度・0」となり、結果的には、共に、魚ではない (哺乳類である)、ということなんですね。

と、まあ、(1)においては、かなりややこしい例を出しに使って比較をしていることになります。しかし、ここでのキモは、要するに、(1)は、ある1つの仮定をしているというに過ぎない、ということです。これを平たく述べると、馬が魚であるという仮定をしたとして、鯨がそれを超えるほどのものではなく、両者は同程度のものだ、というのが、精々直訳に近い解釈になります。

ですので、日本語訳(5)にまつわる疑問、すなわち、「馬が魚でない」の「~ ない」は、一体どこから出てきたものなのか、という問題は、本来、直訳に近いものにしても、もともと、突飛な想定をしている文なんだから、現実にもどった場合の表現に捉え直したものにしましょう、となった際に発生したものです。

比較の構文は、(7)のような単純な文においても、(8)とのコントラストから、よく考えてみれば、それなりに疑問をもつべき注意点があるにもかかわらず、その意味が簡単に理解できてしまうために、その注意点を、ほとんど意識することなく、見逃してしまいがちです。

そこで、(1)のような文に出くわすと、そういった注意点を、改めて根本的なところで考えなければならないハメになってしまいます。(1)は、客観的な表現をも、「程度」の表現に変えてしまった、ある意味、究極の比較構文とも言えますね。

今回のポイントは、比較の構文には、何でこんな日本語訳になったのだろうか、というようなものが存在するということです。(1)は、‘a horse’までで終わる文に関しては、‘no more ~ than ・・・’「・・・ と同様に ~ でない」、というような公式でも、何とかしのげるのですが、‘a horse is’というように、述語動詞まで含んだものもあるため、そこから、どうしても、(3)のような奇妙な文を想定せざるを得ないという、疑問がありました。

そして、さらに、(5)のような日本語訳もあるために、さらに疑問が深まるばかりで、とにかく暗記してしまう以外に道はない、という印象が強い構文でした。これは、(1)のような構文は、その理解に到るまでの道のりが、かなり難解なために、仕方なく起こってしまうことであり、何とか学習者にわかりやすく、公式と呼べるようなレベルのパターン化を考えた場合の苦肉の策であった、ということになります。

この種の構文は、本来なら、他にも言うべきことはまだあるのですが、実用性という点から考えれば、もともとお目にかかれる機会自体が少ないので、あまり深入りするだけの価値は低く、今回の理解のレベルでも、かなり上等な部類に入ってしまいます。否定に関する問題との絡みもありますので、もし機会があったら、また扱ってみることにします。

●関連: EG107EG108EG109EG110EG113

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英語学習法(113)

2006年04月02日 | 比較
EG107、EG108の続きです。比較の構文‘-er than ~’「~ よりも」です。以下、見ましょう。

(1)John is sadder than Tom (is). (ジョンはトムよりも悲しんでいる。)

(1)は、ジョンとトムの悲しみの度合いを、どちらが強いかで比較しています。そこで、‘sadder than ~’「~ よりも悲しい」という比較の構文で、ジョンの悲しみの方が、トムの悲しみよりも強い (‘John>Tom’) という関係を表しています。

ここで、(1)のような比較の構文における注意点ですが、2人の人物に対して、ある共通した1つのことに焦点を当てて比較をしているわけです。つまり、この構文では、異なる別々の人物が登場していることが前提とされています。

(2)John is more sad than angry. (ジョンは、怒っているというよりも、悲しんでいる。)
(3)John is sadder than angry. (×) (訳同上)

ところで、(2)のような比較の構文もあります。その特徴としては、‘sad’「悲しい」が、‘sadder’という比較の活用をしておらず、‘more sad’というように、ただ単に‘more’を付けただけ、というものです。これを‘sadder’にはできないのか、と考えても、(3)がアウトです。

そして、さらに、(2)は、(1)のように、2人の人物における比較ではなく、1人だけの人物の中で比較がなされている、という意味的な違いがあります。(2)の場合で言えば、1人の人物の中での、「悲しみ」と「怒り」の比較であり、そのどちらを取るべきか、というような解釈になっています。

ここで、(2)の解釈について押さえておかなければならないことは、‘sad’「悲しい」と‘angry’「怒っている」の比較の次元が、通常のものとは異なっている、ということです。つまり、ジョンが、悲しんでいる度合いと怒っている度合いとで、どちらが上か、というような解釈にはなっていない、ということです。

これをわかりやすく言うと、(2)では、ジョンは、怒っているのではなく、悲しんでいるのだ、ということを述べているのであって、怒っているという事実はない、ということになります。ですので、ジョンは、怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が上だ、ということを述べているわけではない、ということです。

(4)John is sadder than he is angry. (ジョンは怒ってもいるが、それよりも悲しみの方が大きい。)

もし、ジョンは怒っているという事実もあるが、悲しみの方がより大きい、というような解釈を比較の構文で表現するのであれば、(4)のような文にしなくてはなりません。(4)では、‘more sad’ではなく、‘sadder’が使われているのが特徴です。そして、‘than’以下で、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されていなくてはなりません。 ((3)は、いかなる解釈も許されず、その文自体がアウトであることに注意。)

(5)John is more sad than he is angry.
(6) a. 訳同(2)
   b. 訳同(4)

(5)では、‘more sad’が使われていて、かつ、‘than’以下が、‘he is angry’というように、主語と動詞が、しっかりと表現されています。この場合、解釈は、何と、(6a)のように、怒っているという事実はない、という解釈と、一方、(6b)のように、怒ってもいるが、それよりも悲しんでもいる、という2通りが可能であり、あいまいになります。 (ただし、(6a)の解釈では、(5)よりも、(2)のカタチの方が一般的です。)

(7)John is more sad than he's angry.
(8) a. 訳同(2) (〇)
   b. 訳同(4) (×)

(7)では、(5)と違って、‘than’以下の‘he is’が、‘he's’というように縮約されたカタチになっていますが、すると、その解釈に制限がついてしまい、(2)の解釈はOKのままですが、一方、(4)の解釈が不可能になってしまいます。これは、一体どういうことなんでしょうか。

(9)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he is.’ (〇)
   (「ジョンは教師なんですか?」-「ハイ、そうですよ。」)

(10)‘Is John a teacher ?’-‘Yes、he's.’ (×) (訳同上)

ところで、(9)のように、‘Is John a teacher ?’「ジョンは教師ですか?」、というような疑問文に対して答えるときは、‘Yes、he is.’「はい、そうです」というように、‘he’と‘is’を、それぞれしっかりと分けて発音し、(10)のように縮約するようなカタチにはしません。

これは、英語では、‘Yes、he is a teacher.’から、‘a teacher’が消去されているような場合、つまり、‘be’動詞の直後に本来あるべき表現が消去されているような場合、その‘be’動詞は、ストレスを置くイントネーションで発音され、さもなくば、短縮形で使うことが不可能になるからです。

そこで、どうやら、(9)がOKで、一方、(10)がアウトであるような法則性が、(7)における(4)の解釈を妨げる要因を発見するカギになると考えられます。(7)は、(2)の解釈ならば、‘sad’と‘angry’のどちらが適切であるか、というような、二者択一式の比較になるような解釈なので、結局は、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文のどちらを取るべきか、というような、言わば、文対文の比較になっています。

しかし、一方、(7)を(4)の解釈で考えた場合、それは、‘sad’と‘angry’の二者択一ではなく、お互いの程度の比較ということになってしまい、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という文の比較ではなく、あくまでも、ジョンの‘sad’と‘angry’の程度を比較するという、より小さな単位での比較というに留まってしまいます。

(11)John is sadder than he is very angry. (×)
  (ジョンはとても怒っているが、それよりも悲しみの方が大きい。)

(11)では、(4)の‘angry’に、程度表現の‘very’が加わっていますが、それが原因でアウトになってしまいました。つまり、(4)は、‘than’以下では、あたかも、‘he is angry’が、何ら消去のない文のように見えるのですが、実は、何らかの程度表現が消去されていると考えられ、故に、‘very’のような程度表現が現れるとアウトになるわけです。

つまり、(7)を(4)の解釈にしようとするならば、‘than’以下の‘be’動詞の直後に、本来あるはずの程度表現が消去されていると考えられますので、‘he's’のような縮約は阻止されることになります。ですので、無理に縮約すると、(4)の解釈は不可能ということになります。

しかし、一方、(7)において、(2)の解釈がOKであるという事実からは、‘he is angry’の中で、何も消去は起こっていないと考えられます。これは、もちろん、もともと、‘John is sad’という文と、‘John is angry’という、文対文の二者択一式の比較であるから、程度表現とは無関係であることに起因するものです。

ここで、(2)のような二者択一式の解釈となる比較の構文が、なぜ、‘sadder’というカタチにならず、必ず、‘more sad’というカタチでなければならないのかもわかります。二者択一式の解釈となる比較の構文は、‘sad’の「程度」を問題にしているのではないため、あえて、程度以外の解釈も可能な‘more’を選ぶことになるわけですね。さらに、以下も見ましょう。

(12)John is more an office worker than a teacher. (〇)
  (ジョンは教師というよりも、むしろ、ただの会社員だ。)

(13)John is a more office worker than a teacher. (×) (訳同上)

(12)では、‘more’+‘an office worker’というように、冠詞の付いた名詞表現の前に‘more’が付いていてOKですが、一方、(13)では、冠詞と名詞表現の間に‘more’が入り込んでいて、アウトになっています。ここからも、(2)のような二者択一式の解釈において、‘more sad’が、‘sadder’にならないことが理解できます。

つまり、‘more’は、‘sad’自体を相手にしているのではなく、‘John is sad’という文全体を相手にしているため、‘sad’のみと融合して1つの単語になるようなカタチになるわけにはいかず、他の要素も相手にできるようなカタチを保持しておかなければならない、ということですね。

今回のポイントは、比較とは言っても、様々な比較の在り方があって、そう単純ではない、ということです。「・・・ というよりも、むしろ ~」、というような、「程度」の比較ではなく、「二者択一式」の比較表現は、厳密な意味では、比較とは言えないものの、コトバのもつ雰囲気から発する、言わば、拡大解釈の比較表現と言えるものです。

特に、‘more’のような単語は、単純な程度比較はもとより、それ以外にも独立した他の意味ももっているため、今回扱ったような、二者択一式の比較構文にも利用されます。‘more ~ than ・・・’「・・・ というよりも、むしろ ~」という構文は、よく考えてみると、結構、奥が深いものですよ。

●関連: EG107EG108

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英語学習法(112)

2006年04月01日 | 比較
EG109、EG110、EG111の続きです。比較構文の共通点です。以下、見ましょう。

(1) a. John has more money than Tom has 10 dollars.
    (ジョンは、トムの10ドルを越える額をもっている。)

   b. John has more money than 10 dollars.
    (ジョンは、10ドルを越える額をもっている。)

(1a)からわかることとして、‘John has money’と‘Tom has 10 dollars’の2つの文が、比較されていると言えます。もちろん、(1a)においては、‘than’以下で、‘Tom has 10 dollars’のような文が続いているので、‘than’は、接続詞ということになります。

しかし、一方、(1b)のような比較の構文も存在し、‘than’以下が、‘10 dollars’のような名詞表現だけなら、‘than’は、前置詞と見なせます。 (ただし、‘than’以下の文に対して消去が行われた結果、名詞表現のみが残ってしまう場合もあるので、その場合は、「‘than’+名詞表現」と言えども、‘than’を接続詞と見なしても構いません。EG110、参照。)

(2)John has more than 10 dollars. (訳同(1b))

しかし、(1b)以外にも、(2)のような表現の仕方があります。実質的には、(1b)も(2)も同じ意味です。恣意的に考えるならば、(1b)から、‘money’を消去してしまえば、(2)のような文をつくり出すことは可能です。ですので、(2)は、(1b)からの変形である、と関連付けて説明したくなります。

(3)John has no more than 10 dollars. (ジョンは、たったの10ドルしかもっていない。)
(4)John has no less than 10 dollars. (ジョンは、10ドルもの額をもっている。)

(3)の‘no more than ~’「たったの ~」や、(4)の‘no less than ~’「~ もの (多くの)」は、よく、慣用表現としてそのまま覚えてしまうことになっていますが、(1b)と(2)を手がかりとして、とりあえずは、‘no more money than’や‘no less money than’といった表現を想定して、そこから‘money’が消去されたと考えれば、一応の説明はつきます。

(5)More than 10 dollars were lost in the gamble. (その賭博で10ドルを越える額が失われた。)

(5)では、‘more than 10 dollars’が主語位置にあり、1つのカタマリと見なされているわけですから、やはり、‘more money than 10 dollars’と同じ解釈でよいと言えます。 (この場合、‘than’は、接続詞ではなく、前置詞としての扱いを受ける以外に選択肢はありません。EG110、参照。)

(6)John more than hates Tom. (ジョンはトムを嫌っている以上のものがある。)

(6)のような文では、(1a-b)のように、‘than’の前に文があるわけではなく、‘John’という名詞と‘more’があるだけで、かつ、‘than’の直後で、‘hates Tom’という、「動詞+目的語」がきており、一見、‘John more than’が、1カタマリの主語かと見当をつけてしまいますが、それでは、‘than’の直後 (‘hate’の前) にあるはずの比較対照要素がありません。

というわけで、‘than’の直後には、何もないということになり、どう見ても、何が消去されているのか見当がつきません。そこで、(6)の日本語訳を見ると、実は、(6)は、‘than hates’の部分の意味が、「嫌っている以上」となっています。ですので、(6)は、その意味からして、明らかに、動詞‘hate’「嫌う」が比較対照要素とされていることだけは、確かなようです。

(7)John can jump better than he can run. (○)
  (ジョンは、走るよりもジャンプの方が得意だ。)

(8)John can jump better than run. (×) (訳同上)

ところで、(7)はOKですが、一方、(8)はアウトです。つまり、‘jump’「ジャンプする」に対して、‘run’「走る」のように、お互いの動詞が比較の対照要素である場合、例え、‘run’以外の他の要素‘he can’が、‘John can’=‘he can’のように同一要素であることから、消去の対象とされる場合であっても、残しておかなければならない、というような制約があります。

そこで、(8)がアウトであるという事実からすると、(6)の‘than’以下では、‘hates Tom’の主語が欠けており、同様にアウトとなっても、別におかしくはないはずですが、事実としてOKなのです。ですので、(7)に関しては、これまでとは考え方を根本的に改めなければなりません。

そこで、(6)では、ただ単に、‘more than’という1つのカタマリが、‘John hates Tom.’という文に割り込んだ、というような考え方が、最も妥当ではないかと思われます。つまり、(6)は、文と文をつないだ状態から派生されて、最終的にでき上がったのではなく、‘more than ~’「~ 以上」という、ワンセットの表現が、もともと存在していて、ただ単に意味の付加を行っているだけ、という考え方です。

(9)John plays baseball as well as Tom.
(10)a. ジョンは、トムと同じくらい野球が上手い。
   b. ジョンは、トムと同じく野球をします。

(9)では、‘as well as ~’という比較の構文が使われていますが、その意味はあいまいであり、(10a-b)のように、2通りの解釈が可能です。まず、(10a)の解釈では、‘well’「上手く」自体がもっている意味が、そのまま活かされています。しかし、一方、(10b)の解釈では、‘well’のもつ意味は消えてしまい、ただ単に、「~ と同じく」といった意味しかもっていません。

(11)John as well as Tom plays baseball well. (訳同(10a))
(12)John as well as Tom plays baseball. (訳同(10b))

そこで、(11)ですが、‘John as well as Tom’「トムと同様にジョンも」の‘well’には、「上手く」の意味が残されていません。その証拠として、文の末尾に、改めて‘well’が用いられて、(10a)と同じ解釈になります。ですので、(12)のように文の末尾に‘well’のない文の解釈は、(10b)と同じものになります。

つまり、(11)のような場合、主語位置に、‘John as well as Tom’という表現があると、それが1つのカタマリと見なされるわけですから、‘well’が動詞‘play’にまで及ぶことができず、当然、‘well’には、副詞としてのはたらきが不可能となり、別の選択肢 (この場合、「~ と同じく」の解釈) があるなら、それを取るより他にない、ということになります。

ですので、やはり、‘as well as ~’は、比較の構文として、「~ と同じくらい上手く」の意味で使う場合もあれば、一方、それとは関係のない、単なる慣用表現として、「~ と同じく」の意味も、別に存在すると考えなければならず、ちょっと紛らわしいと言えます。

(13)John as much as admits his guilt. (ジョンは自分の罪を、事実上、認めている。)
(14)John went as far as Japan. (ジョンは、日本まで行った。)

この種の比較構文からの慣用表現には、(13)の‘as much as ~’「事実上 ~」のように、挿入的に使われるタイプ ((13)の場合、主語と動詞の間に挿入) のものや、一方、(14)の‘as far as ~’「~ まで」のように、本来の表現の代替的な役割をもって使われるタイプ ((14)の場合、‘to’の代用) がありますが、いずれも、‘much’や‘far’がもっている本来の意味がつかみにくいという特徴があります。

(15)As soon as John came、Mary left. (ジョンが来たら、すぐにメアリーは立ち去った。)
(16)As far as I know、John is naive. (私が知る限り、ジョンはバカ正直です。)

(15)の‘as soon as ~’「~ するとすぐに」や、(16)の‘as far as ~’「~ する限り」のように、文と文をつなぐ接続詞としての用法が定着しているものもありますが、いずれにせよ、比較の構文としての特徴は見られず、1つのカタマリとして、別用法と認識すべきものです。

(17)They are more or less the same. (それらは、多かれ少なかれ同じものですよ。)
(18)John has more than two sons. (ジョンは、息子が2人いるだけではない。)

(17)は、‘more or less’「多かれ少なかれ」が、1つのカタマリと見なされます。特徴としては、‘than ~’といった表現をともなうことがないので、この点、やはり、比較の構文とは異なっています。(18)は、‘more than ~’が、「~ より多く」といった意味のみならず、「~ 以外」といった意味ももっていて、息子が3人以上いる、といった解釈もあれば、一方、息子の他に娘もいますよ、といった解釈もあります。

今回のポイントは、‘~ -er than ・・・’や、‘as ~ as ・・・’が用いられている文で、一見、比較の構文のように見えるのですが、実は、単なる慣用表現である場合があり、それらを単純に比較の構文と結び付けて考えることは不可能であるということです。

対策としては、予め、そういった表現を覚えておく以外に方法はなく、慣用表現としての使い方のみのものもあれば、また、比較の構文としても用いる場合もあるものもあって、とてもややこしいのが難点ですが、明らかに比較の構文とは異質な使い方をしている場合は、無理に比較の構文からの派生とは考えたりせずに、ただ単に、比較の表現を借用してきた1カタマリの別構文くらいに考えておくのが正解ということです。

比較の構文は、基本形の理解もさることながら、擬似表現も結構多くて奥が深いものです。

●関連: EG109EG110EG111

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英語学習法(111)

2006年03月31日 | 比較
EG109、EG110の続きです。比較の構文における対比要素‘as ~’と‘than ~’の共通点です。以下、見ましょう。

(1)Tom jumps very high. (〇) (トムは、とても高くジャンプする。)
(2)John jumps as high as Tom (does). (〇) (ジョンは、トムと同じくらい高くジャンプする。)

(1)の文をもとにして、(2)のような比較の構文をつくることができます。後半の‘as’以下では、‘Tom does’の‘Tom’が、主語としてはたらいているので、ちょうど、主語‘John’と、同じ主語同士ということになり、構文的なバランスがとれています。

ここから、接続詞‘as’によって、(1)の文を、(2)の中に、その一部としてつないだ後、動詞句‘jump very high’が消去された、と説明することができます。 (動詞句の消去、および、助動詞‘does’の出現に関しては、EG20、参照。)

(3)The world record jumps very high. (×) (世界記録がとても高くジャンプする。)

(4) a. John jumps as high as the world record does. (×)
    (ジョンのジャンプは世界記録とタイだ。)
   b. John jumps as high as the world record. (〇) (訳同上)

今度は(3)ですが、(3)は、意味不明でアウトです。ですので、当然、(4a)もアウトになるわけですが、一方、(4b)がOKになっています。(4a)は、‘the world record’「世界記録」が主語であることを示す‘does’が後に続いていますが、もちろん、動詞句‘jump very high’などの消去と考えても、(3)がもともとアウトなので、意味がありません。

そこで、(4b)のように、‘does’が続かない‘the world record’だけならば、OKにできるのですが、その理由は、‘as’には、接続詞としての用法以外に、前置詞としての用法もあるからだ、と考えなければなりません。そして、もちろん、接続詞としてだけではなく、前置詞としての用法があることは、‘than’にも共通しています。

(5) a. John jumps higher than Tom does. (〇)
    (ジョンは、トムよりも高くジャンプする。)
   b. John jumps higher than Tom. (〇) (訳同上)

(6) a. John jumps higher than the world record does. (×)
    (ジョンは、世界記録よりも高くジャンプする。)
   b. John jumps higher than the world record. (〇) (訳同上)

(5a-b)は、共にOKです。これは、(5a)の場合、(1)を手がかりにして、「‘than’(接続詞)+‘Tom’(主語)+‘does’(助動詞)」 (動詞句‘jumps very high’の消去) であると考えておけばよく、一方、(5b)の場合、さらに、‘Tom’の後にある助動詞‘does’が消去されていると考えれば、説明がつきます。

しかし、(6a)がアウトである一方、(6b)がOKです。(6a)の場合は、もちろん、アウトである(3)にもとづいた(4a)がアウトになることと理由は同じですが、その一方で、(6b)がOKになるわけですから、これは、もはや、(5a)から(5b)が派生されるようなケースとは同じではありません。

そこで、(6b)は、(6a)から‘does’が消去された、などと考えることはできず、やはり、‘than’も‘as’と同様、前置詞としての選択肢があるケースを認める以外に説明はつかない、という結論になります。

(7)John ate more oranges than Tom bought apples. (〇)
  (ジョンが食べたミカンの数は、トムが買ったリンゴの数より多い。)

(8)More oranges than Tom bought apples were eaten by John. (×)
  (トムが買ったリンゴの数よりも多いミカンが、ジョンによって食べられた。)

(7)と(8)は、共に、「‘than’(接続詞)+‘Tom bought apples’(文)」をもった比較の構文ですが、(7)はOKで、一方、(8)はアウトです。(7)の‘than Tom bought apples’は文の末尾に置かれていますが、一方、(8)の‘than Tom bought apples’は、受身文の主語の一部であり、‘More oranges than Tom bought apples’「トムが買ったリンゴの数よりも多いミカン」という1つのカタマリ (名詞句) となっています。

つまり、接続詞としての‘than’が後にしたがえる表現は、文の末尾に位置していなければ、OKにできず、名詞にかかることを強制されるような位置に置くことはできない、といった制約があるようです。しかし、前置詞としての‘than’というオプションもあることが、既に証明済みなので、この前置詞‘than’ならばどうか、ということになります。

(9)More oranges than apples were eaten by John. (〇)
  (ジョンによって食べられたミカンの数は、リンゴの数より多い。)

(9)はOKです。‘more oranges than apples’「リンゴよりも多くのミカン」という表現は、主語位置にある1つのカタマリであり、その中の‘than apples’は、(8)にあるような‘than Tom bought apples’とは違って、別に文の末尾に位置している必要など、全くありません。

(10)John ate more oranges than Tom bought _. (〇)
  (ジョンは、トムが買った数より多くのミカンを食べた。)

ところで、比較の構文には、(10)のように、目的語‘oranges’のみが、前半と後半の文での共通した語句であり、かつ、それのみが‘than’以下で表現されないようなものもあります。考え方としては、やはり、「‘than’(接続詞)+‘Tom bought oranges’(文)」のような表現から、‘oranges’の消去があった、というやり方でよいと言えます。ですので、(10)の下線部は、‘oranges’として解釈されるべき空所ということですね。

(11)More oranges [ than Tom bought _ ] were eaten by John. (〇)
  ([ トムが買った数より ] 多くのミカンが、ジョンによって食べられた。)

そこで、(11)ですが、何とOKです。(11)は、(10)にあるような、‘more oranges than Tom bought _’を、主語位置に置いた受身文ですが、これがOKであるとなると、一方で、(8)がアウトであるという事実に対して、ちょっとややこしい話になってきます。

なぜならば、「接続詞‘than’(または‘as’)+文」から、その文の中の要素を消去した結果、(4b)や(6b)といった比較の構文が派生されるわけではなく、むしろ、(4b)や(6b)は、「前置詞‘than’(または‘as’)+名詞」という、全く別の選択肢を取っているからだ、という結論が既に確定しているからです。

そこで、(11)を、再度、考え直してみると、その主語位置の‘than’以下は、あたかも、関係節のような成り立ちになっているのがわかります。つまり、‘than Tom bought _’を、関係代名詞‘than’と、その目的語の空所から成る関係節に見立てて、それが‘more oranges’にかかるようなカタチになっています。 (関係節の基本に関しては、EG24、EG26、参照。)

ここから、どうやら、比較の構文は、名詞 (句) にかかって、1つのカタマリと見なされるようなカタチになる場合は、他の構文と類似的な振る舞い方を許す、という考えが成立しそうです。つまり、「前置詞+名詞」のカタチは、名詞にかかることができるし、一方、関係節も、名詞にかかるカタチですので、比較の構文は、その2つの構文の性質を受け継ぐことが許されている、ということになります。

(12)As many oranges as apples were eaten by John. (〇)
  (リンゴの数と同じだけのミカンが、ジョンによって食べられた。)


(13)a. John ate as many oranges as Tom bought _ . (〇)
    (ジョンは、トムが買った数と同数のミカンを食べた。))

   b. As many oranges [ as Tom bought _ ] were eaten by John. (〇)
    ([ トムが買った数と ] 同数のミカンが、ジョンによって食べられた。)

今度は、‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」の構文です。(12)では、やはり、‘as apples’が、「前置詞+名詞」と見なされて、‘as many oranges’にかかり、 OKになります。そして、(13a)は、目的語‘oranges’のみが、前半と後半の文での共通した語句であり、かつ、それのみが、後半の‘as’以下で表現されていません。

(13a)の場合、「‘as’(接続詞)+‘Tom bought oranges’(文)」のような表現から、下線部で示されているように、‘oranges’の消去があった、という考え方でよいと言えます。ですので、(13a)の下線部は、‘oranges’として解釈されるべき空所です。

(13a)からは、さらに、(13b)が派生可能と思われますが、これは、‘as John bought _’の部分が、関係代名詞‘as’と、その目的語の空所から成る関係節に見立てて、‘as many oranges’にかかるようなカタチになっていることから、偶然に、‘as many oranges [ as Tom bought _ ]’全体で、関係節がかかっている名詞句と見なせます。

今回のポイントは、比較の構文における‘as’や‘than’には、結構、様々な用法があるということです。接続詞としての使い方以外に、「前置詞」としての使い方もあったのですが、そこから、さらに、「関係代名詞」のような使い方もある、ということです。

これら「前置詞」や「関係代名詞」としての使い方は、接続詞としての使い方に不都合があるような場合に、可能な選択肢として機能します。主に、名詞にかかるような環境に置かれた場合は、必然的に、接続詞としての機能は放棄せねばならず、「前置詞」か「関係代名詞」のどちらかの用法を選ぶことになります。

比較の構文は、一通りの可能なカタチを押さえていくだけでも、結構、大変なんですが、今回までのものが一応の基本形となります。あとは、細かい派生を見ていくことになりますが、別の機会にでも。

●関連: EG20EG24EG26EG109EG110

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英語学習法(110)

2006年03月30日 | 比較
EG109の続きです。比較の構文における対比要素‘as ~’と‘than ~’の共通点です。以下、見ましょう。

(1)John plays baseball as well as Tom. (ジョンは、トムと同じくらい野球が上手い。)
(2)John plays baseball as well as basketball. (ジョンは、バスケと同じくらい野球が上手い。)

(1)と(2)は、‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」の構文です。そこで、(1)では、‘John plays baseball’の中の主語‘John’との対比で、やはり、‘Tom’を主語に見立てて、その述語として、‘plays baseball’が、暗黙の了解となっています。

一方、(2)では、‘John plays baseball’の中の目的語‘baseball’「野球」との対比で、やはり、‘basketball’「バスケットボール」を目的語に見立てて、それを支える「主語+動詞」として、‘John plays’が、暗黙の了解となっています。つまり、(1)であれ、(2)であれ、前半の文の同一要素となるものは、後半の‘as ・・・’以下では表現されずに、対比要素となるものだけが表現されています。

(3)John plays baseball better than Tom. (ジョンは、野球がトムよりも上手い。)
(4)John plays baseball better than basketball. (ジョンは、野球がバスケよりも上手い。)

(3)と(4)は、‘~ -er than ・・・’「・・・ よりも ~ だ」の構文です。そこで、(3)では、‘John plays baseball’の中の主語‘John’との対比で、やはり、‘Tom’を主語に見立てて、その述語として、‘plays baseball’が、暗黙の了解となっています。

一方、(4)では、‘John plays baseball’の中の目的語‘baseball’「野球」との対比で、やはり、‘basketball’「バスケットボール」を目的語に見立てて、それを支える「主語+動詞」として、‘John plays’が、暗黙の了解となっています。つまり、(3)と(4)のペアも、前半の文の同一要素となるものは、後半の‘than ・・・’以下では表現されずに、対比要素となるものだけが表現されています。

というわけで、(1)~(4)をトータルで見る限り、‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」の構文と、‘~ -er than ・・・’「・・・ よりも ~ だ」の構文は、かなり類似した振る舞い方をしているのがわかります。

(5)John sells as good cars as Tom.
  (ジョンは、トムと同じくらい、良いクルマを売っている。)

(6)John sells as good cars as Porsches.
  (ジョンは、ポルシェと同じくらい良いクルマを売っている。)

(5)と(6)に関しても、これまで見てきた比較の構文‘as ~ as ・・・’と同様であり、やはり、(5)では、主語‘John’に対して、後半の‘as’の後で対応している表現が、‘Tom’であり、一方、(6)では、目的語‘cars’に対して、後半の‘as’の後で対応している表現が、‘Porsches’となっています。

(7)As good cars as Tom are sold by John. (×)
  (トムと同じくらい、ジョンによって良いクルマが売られている。)

(8)As good cars as Porsches are sold by John. (〇)
  (ポルシェと同じくらい良いクルマが、ジョンによって売られている。)

しかし、(7)と(8)では、その可否にハッキリとした差が出ています。(7)は、(5)からつくった受身文であり、アウトですが、一方、(8)は、(6)からつくった受身文で、OKです。ここでのポイントは、受身文の主語位置は、通常、名詞 (句) という1つのカタマリで占められている、ということです。故に、(7)であろうと、(8)であろうと、‘as good cars as ~’という主語は、1つのカタマリである、と考えられます。

(9)John sells better cars than Tom. (ジョンは、トムよりも、良いクルマを売っている。)
(10)John sells better cars than Porsches. (ジョンは、ポルシェよりも良いクルマを売っている。)

今度は、(9)と(10)ですが、これまで見てきた比較の構文‘~ -er than ・・・’と同様であり、やはり、(9)では、主語‘John’に対して、‘than’の後で対応している表現が、‘Tom’であり、一方、(10)では、目的語‘cars’に対して、‘than’の後で対応している表現が、‘Porsches’となっています。

(11)Better cars than Tom are sold by John. (×)
  (トムより良いクルマが、ジョンによって売られている。)

(12)Better cars than Porsches are sold by John. (〇)
  (ポルシェより良いクルマが、ジョンによって売られている。)

そこで、(11)と(12)でも、やはり、(7)や(8)と同様に、その可否にハッキリとした差が出ています。(11)は、(9)からつくった受身文であり、アウトです。一方、(12)は、(10)からつくった受身文で、OKです。既に述べたとおり、受身文の主語位置は、通常、名詞 (句) という1つのカタマリで占められていますので、(11)と(12)の両方とも、‘better cars than ~’という主語は、1つのカタマリとして見なされます。

つまり、これまでの観察から言えることとして、比較の構文‘as ~ as ・・・’や、‘~ -er than ・・・’は、文法上、1つのカタマリとみなされる表現の中に現れる場合は、その2つの比較要素が適切につり合っていなければならない、というような制約があるようなのです。

ここで、受身文の主語位置が、1つのカタマリである、という前提があると、(8)の‘as good cars as Porsches’「ポルシェと同じくらい良いクルマ」や、(12)の‘better cars than Porsches’「ポルシェよりも良いクルマ」の文法的な成り立ちは、一体どうなっているのか、という疑問が生じてきます。

(13)As good cars are sold by John as Porsches (are). (〇) (訳同(8))

そこで、(13)は、OKです。ポイントは、受身文の主語‘good cars’に合わせるカタチで、後半の‘as’以下でも、‘Porsches’が主語になっているという点です。ですので、その述語の動詞として、‘are’はなくても構わないのですが、現れていても、一向に構いません。

(14)As good cars as they are sold by John. (×)
  (それらと同じくらい良いクルマが、ジョンによって売られている。)

(15)As good cars as them are sold by John. (〇) (訳同上)

そこで、(13)を踏まえて、(14)と(15)のような比較の構文‘as ~ as ・・・’を考えてみます。(14)は、主語位置の‘as ・・・’以下で代名詞‘they’を用いていますが、(13)のような例から類推する限り、主格の代名詞‘they’は、主語‘Porsches’のように、同じ主語で揃っていると見なされますし、かつ、意味的にも、適切な比較要素になり得るので、一見、OKかと思われるのですが、(14)は、何とアウトです。

そのかわり、(14)の‘they’の位置に、(15)のような目的格の代名詞‘them’を用いた場合は、OKになります。ですので、こうなってくると、もはや、比較要素に関して、主語がどうとか、目的語がどう、といったような視点からでは、どうにも解決できないということになってしまいます。

(16)Better cars are sold by John than Porsches (are). (〇) (訳同(12))

(16)は、‘~ -er than ・・・’の構文ですが、これも、OKです。ポイントは、(13)と同様で、受身文の主語‘better cars’に合わせるカタチで、‘than’以下でも、‘Porsches’が主語になっているという点です。ですので、その述語の動詞として、‘are’はなくても構わないのですが、現れていても、一向に構いません。

(17)Better cars than they are sold by John. (×)
  (それらと同じくらい良いクルマが、ジョンによって売られている。)

(18)Better cars than them are sold by John. (〇) (訳同上)

今度は、(16)を踏まえて、‘~ -er than ・・・’の構文を用いた(17)と(18)を考えてみます。この場合も、やはり、主語位置で、‘than ・・・’以下に主格の代名詞‘they’が現れるとアウトになり、一方、目的格の代名詞‘them’が現れると、OKになります。

これまで、比較の構文‘as ~ as ・・・’や、‘~ -er than ・・・’では、後半の‘as’や、‘than’は、「接続詞」として扱うのが妥当ではないか、という見方をしてきたのですが、今回の観察結果を考慮すると、後半の‘as’や、‘than’は、どうやら、ある特定の状況に限り、「前置詞」としての用法も可能なのではないか、という見方が有力になってきます。

(19)John is taller than he is. (〇) (ジョンは、彼より背が高い。)
(20)Who is John taller than _ is ? (×) (ジョンは、誰より背が高いの?)

(21)Who did John meet Mary before _ came here ? (×)
  (ジョンは、誰がここにくる前に、メアリーに会ったの?)

(19)はOKですが、一方、(20)はアウトです。(20)は、(19)をもとにして、‘than’以下の主語‘he’を疑問詞‘who’に変えて文の先頭に移動させたものですが、これがアウトになるのは、(21)がアウトになる理由と同じで、英語には、「副詞節の中からは、いかなる要素もその外に移動させてはならない」、という移動を妨げるエリアが存在するためです。 ((21)のように、「‘before’+文」の副詞節をつくる場合、‘before’は接続詞と見なされます。なお、(20)や(21)がアウトになる制約については、EG49、参照。)

(22)John is taller than him. (〇) (訳同(19))
(23)Who is John taller than _ ? (〇) (訳同(20))

(24)Who did John go there with _ ? (〇) (ジョンは、誰とそこへ行ったの?)

しかし、その一方で、(22)にあるように、‘than him’といった、目的格のカタチもOKになる、となれば、‘than’を前置詞と見なして、(23)を、OKにすることができます。これは、(24)のように、前置詞‘with ~’の目的語が、疑問詞になって文の先頭に移動しても、OKであることから支持されます。

(25)John cannot be taller than himself is. (×)
  (ジョンが彼自身より背が高いなんて、アリエナイ。)

(26)John cannot be taller than himself. (〇) (訳同上)

(25)はアウトですが、一方、(26)はOKです。英語の再帰代名詞には、「主格を与えられる位置に生じてはならない」、というルールがあり、(25)の‘is’ように、述語となる動詞が後に続くと、その時点で‘himself’が主格をもっていると見なされて、アウトになります。

しかし、一方、(26)のように、述語となる動詞が後に続いていないならば、OKです。これは、(19)の‘than he is’にあるような、「‘than’+主語+動詞」以外のオプションとして、「前置詞‘than’+目的語」があり、‘than himeself’の‘himself’が、前置詞‘than’から直接、目的格を与えられる、とういう選択肢があるからだ、と考えなければ説明がつきません。この文法性は、‘as ~ as ・・・’の構文でも同様です。 (再帰代名詞に関しては、EG95、参照。)

(27)Who is John as tall as _ is ? (×) (ジョンは、誰と同じ背丈なの?)
(28)Who is John as tall as _ ? (〇) (訳同上)

(29)Of course、John is as tall as himself is. (×)
  (ジョンが彼自身と同じ背丈って、そりゃ当然だよ。)
(30)Of course、John is as tall as himself. (〇) (訳同上)

今回のポイントは、これまで、比較の構文‘as ~ as ・・・’や、‘~ -er than ・・・’では、後半の‘as’や、‘than’は、「接続詞」として扱うのが妥当ではないか、という見方をしてきたのですが、それが、「前置詞」として扱わねばならない場合がある、という、ほぼ決定的な証拠が上がったということです。

大ざっぱには、‘as’や、‘than’による比較要素の表現が、文の末尾におかれる場合は、接続詞、前置詞のいずれの用法も共に可能ですが、他の条件によって、接続詞としての用法が不都合を起こすような場合、接続詞の用法は却下され、前置詞としての用法に限られることがある、ということです。

そこで、結論としては、‘as’や、‘than’による比較要素の出現が、文の末尾ではない場合は、常に、前置詞の用法に限られるのか、と言い切れるかというと、実は、そうでもなく、比較の構文には、まだまだ検証が必要な部分が残されています。

比較の構文は、ちょっとした想像をはるかに越えて、かなり手強い側面をもっているのです。またの機会に扱いますので、今回は、これまでということで。

●関連: EG49EG95EG109

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英語学習法(109)

2006年03月28日 | 比較
EG105、EG106、EG107、EG108の続きです。比較の構文‘as ~ as ・・・’と‘-er than ~’の共通点についてです。以下、見ましょう。

(1)ジョンは、トムを、ジャックと同じくらい強く蹴っ飛ばした。

まず、(1)の日本語です。パッと見た感じ、意味は簡単そうですが、しかし、実はそれほど簡単なことでもありません。日本語(1)は、よく考えてみると、その解釈があいまいで、以下のように、2通りの解釈が可能です。

(2)ジョンはトムを蹴ったが、それは、ジャックがトムを蹴ったのと同じくらいの強さだった。
(3)ジョンはトムを蹴ったが、それは、ジャックを蹴ったのと同じくらいの強さだった。

つまり、解釈(2)では、ジョンとジャックが、トムを蹴ったので、結局、2人で1人を蹴った、と言っているのに対し、一方、解釈(3)では、ジョンが、ジャックとトムを蹴ったので、結局、1人で2人を蹴った、と言っているわけですね。そこで、日本語(1)の「ジャックと同じくらい」の部分が、(2)と(3)のような、あいまいな解釈を引き起こす原因となっていることがわかります。

(4)John kicked Tom as strongly as Jack. (訳同(1))

そこで、(4)の英語では、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」が使われていますが、日本語訳としては、(1)と同じです。そして、実は、英語(4)に関しても、日本語(1)と同様に、解釈(2)と(3)が成り立つという、とても不思議な類似性があります。そこから、(4)においても、‘as Jack’の部分が、(2)と(3)のような、あいまいな解釈を引き起こす原因となっていることがわかります。

(5)ジョンは、トムを、ジャックよりも強く蹴っ飛ばした。

今度は、(5)の日本語ですが、「ジャックよりも」の部分に関して、やはり、2通りの解釈が発生します。日本語(5)の場合も、日本語(1)と同じく、ジャックが蹴る側の立場にあるのか、それとも、蹴られる側の立場にあるのか、が解釈の分かれ目となります。

(6)ジョンはトムを蹴ったが、その強さは、ジャックがトムを蹴った時よりも強かった。
(7)ジョンはトムを蹴ったが、その強さは、ジャックを蹴った時よりも強かった。

つまり、日本語における、「・・・ と同じくらい ~ だ」であれ、「・・・ よりも ~ だ」であれ、全く同じ、共通した特徴を示しているわけですね。そして、やはり、英語においても、これと全く共通した特徴が見られます。

(8)John kicked Tom more strongly than Jack. (訳同(5))

(8)の英語でも、やはり、その解釈があいまいであり、(6)である一方、(7)でもある、という事実があります。そこで、一応の考え方としては、(4)の‘as Jack’や、(8)の‘than Jack’について、‘Jack’が、‘kick’「蹴る」という動詞の主語であるか、それとも、目的語であるか、という観点が必要、ということになります。

(9)Jack kicked Tom. (ジャックは、トムを蹴った。)
(10)John kicked Jack. (ジョンは、ジャックを蹴った。)

つまり、(9)の文を前提にして、(4)や(8)を発話すれば、(4)では、解釈が(2)に決まり、(8)では、解釈が(6)に決まります。一方、(10)の文を前提にして、(4)や(8)を発話すれば、(4)では、解釈が(3)に決まり、(8)では、解釈が(7)に決まります。ですので、結構、ややこしい話なんですね。

(11)John kicked Tom as strongly as Jack does. (訳同(2))
(12)John kicked Tom more strongly than Jack does. (訳同(6))

そこで、あいまいな解釈を許す(4)や(8)のような問題を避けるための手段として、(11)や(12)のように、‘Jack’の後に、助動詞‘does’を後続させて、意図的に‘Jack’に主語としての解釈をさせるように仕向ける方法があります。 (助動詞‘does’以下の表現は、「動詞句」の消去によって消えています。EG20、参照。)

このようにすれば、最初から、(11)の解釈は、(2)に決定されますし、一方、(12)の解釈も、(6)に決定されます。そして、(11)の‘as Jack does’や、(12)の‘than Jack does’のようなカタチが、OKである、という事実からは、‘as’(前半の‘as’ではなく、後半の‘as’) や、‘than’が、「接続詞」である、という結論になります。

(13)John wants as many cars as Tom has bicycles. (〇)
  (ジョンが欲しがっているクルマの数は、トムが所有している自転車の数と同数だ。)

(14)John wants more cars than Tom has bicycles. (〇)
  (ジョンが欲しがっているクルマの数は、トムが所有している自転車の数より上だ。)

(13)の‘as’+‘Tom has bicycles’や、(14)の‘than’+‘Tom has bicycles’からも明らかなように、やはり、‘as’や‘than’は、文をつなげるはたらきをもった接続詞である、と断定できるでしょう。

つまり、(4)の‘as Jack’や、(8)の‘than Jack’においては、前半の文で、既に使われている‘kicked Tom’や、‘John kicked’という同一表現の繰り返しを避けるために、(9)をもとにして、主語‘Jack’を残し、‘kicked Tom’が消去されている、または、(10)をもとにして、目的語‘Jack’を残し、‘John kicked’が消去されている、とでも説明されることになるでしょう。

(15)John kicked Tom when Jack kicked him. (〇)
  (ジャックがトムを蹴っ飛ばしたと同時に、ジョンはトムを蹴っ飛ばしたのだ。)

(16)John kicked Tom when Jack _. (×) (訳同上)

しかし、‘as’や‘than’が接続詞である、とは言っても、単純な接続詞というわけにはいきません。(15)は、接続詞‘when ~’「~ とき」が、‘John kicked Tom’と‘Jack kicked him’をつないでいて、当然のこと、OKですが、一方、(16)では、(15)において同一表現である‘kicked Tom’が消去されていて、何とアウトです。

つまり、本来、「接続詞+文」においては、その文の中の要素を、既に出てきたものと同一表現である、という理由で、どんなものでも自由に消去してもよいわけではない、ということなのです。

(17)John is as tall as I (am). (〇) (ジョンは、ボクと同じくらい背が高い。)
(18)John is as tall as me. (〇) (訳同上)

(19)John is taller than I (am). (〇) (ジョンは、ボクよりも背が高い。)
(20)John is taller than me. (〇) (訳同上)

さらに、(17)や(19)のような比較の構文では、‘I (am)’の‘I’が主格なので、前半の‘John is’の‘John’が主格であることに対して、バランスが取れているものの、一方、(18)や(20)のように、いきなり、目的格の‘me’を用いても、OKになるという不思議な現象が起こっています。

そして、(17)や(19)のような主格‘I (am)’は、格式ばった言い方であるため、あまり一般的であるとは言えない一方、(18)や(20)のような目的格‘me’は、(17)や(19)のような主格‘I (am)’よりも、一般に、かなりよく使われているという事実があります。

このように、比較の構文において、比較の対照を示す‘as’や‘than’は、後続する文に対して、特殊な振る舞い方を許す接続詞という点で、かなり、慎重な扱いが必要になってくるのがわかると思います。というよりも、もっとハッキリ言ってしまえば、今回の観察結果からは、‘as’や‘than’が接続詞である、という結論自体が、まだまだ怪しいのではないか、という疑問も、まだ残されています。

今回のポイントは、比較の構文、‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」と、‘~ -er than ・・・’「・・・ よりも ~ だ」における共通した特徴です。比較の構文において、その比較対象を明示するはたらきがある‘as’(前半の‘as’ではなく、後半の‘as’)や‘than’は、共通した特徴をもってはいるものの、どういった分類をすればよいのか、その一般化が、なかなか困難な特殊な性質をもっている、ということを示しました。

また次回も、この問題について扱ってみたいと思います。

●関連: EG20EG105EG106EG107EG108

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英語学習法(108)

2005年11月28日 | 比較
EG107の続きです。比較の構文‘-er than ~’です。以下、見ましょう。

(1)John is more careful than Tom. (ジョンはトムよりも注意深い。)

(1)の文は、‘more’+‘careful’(‘much’→‘more’の変化) の成り立ちになっていますが、文字通り、注意深さという点では、ジョンの方が、トムよりも上であるという関係、つまり、‘John’>‘Tom’の関係を表現しています。

(2)John is less careful than Tom. (ジョンはトムよりも注意深くない。)

今度は(2)ですが、ちょうど、‘more’「より上、より多く」の反対になる表現、‘less’「より下、より少なく」(‘little’→‘less’の変化) を使っています。そこで、(2)の場合、‘less careful’「注意深さが、より下」、と言っているわけですから、注意深さという点では、ジョンは、トムには及ばないという関係、つまり、‘John’<‘Tom’の関係を表現しています。

(3)more than ten girls (女の子10人より上 → 11人以上の女の子)
(4)ten girls or more (= ten or more girls) (10人、または、より上 → 10人以上の女の子)

そこで、(3)と(4)ですが、これらのコントラストから、ハッキリわかることは、(3)のように表現した場合、明らかに、女の子が10人の場合は含まれていない、ということです。‘more than ~’は、正確な日本語訳の場合、「~ 以上」とはならず、「~ より上」なわけですから、結局は、女の子11人以上でなければなりません。

ですので、‘more’を使って、女の子10人を含む、「10人以上」を表現したい場合、(4)のように、予め、別に、‘ten’「10」という数字を出した上で、‘~ or more’「~ または、(それより) 上」と表現しなくてはならないわけですね。このような表現のやり方は、日本語の立場からすると、ちょっと意表を突くものだと言えそうです。今度は、否定文を見ましょう。

(5)John is not more careful than Tom. (ジョンは、トムより注意深くない。)
(6)John is not less careful than Tom. (ジョンは、トムより注意深くないということはない。)

(5)は、(1)の否定文であり、一方、(6)は、(2)の否定文です。単純なことですが、‘not’が含まれることによって、(5)における‘John’と‘Tom’の関係は、注意深さという点では、‘more careful’ではない、つまり、「‘John’>‘Tom’ではない」、ということになりますから、結果的には、‘John’≦‘Tom’である、と言っていることになります。

そして、(6)に関しても、同様に単純なことですが、‘not’が含まれることによって、‘John’と‘Tom’の関係は、注意深さという点では、‘less careful’ではない、つまり、「‘John’<‘Tom’ではない」、ということになりますから、結果的には、‘John’≧‘Tom’である、と言っていることになります。

そこで、‘not’が含まれている(5)と(6)で表現されていることを、客観的に言いかえるならば、(5)の場合、精々、ジョンとトムの注意深さは、同等であるか、または、トムの方が上である、と言っているわけです。一方、(6)の場合、精々、ジョンとトムの注意深さは、同等であるか、または、ジョンの方が上である、と言っているわけです。

このことからもわかるように、比較の構文‘-er than ・・・’や、‘more/less ~ than ・・・’を用いた比較の構文は、「同等 (=)」の解釈が含まれておらず、ある点において、お互いの優劣をハッキリとさせる解釈のみしかないのがわかります。これは、‘-er than ・・・’や、‘more/less ~ than ・・・’の最も基本となる概念なので、必ず押さえておかなければならないものです。あと、ややカタチの上での変則例を紹介しておきます。

(7)John is the more careful of the two. (その2人では、ジョンの方が注意深い。)
(8)Mary is the older of the two sisters. (その2人姉妹では、メアリーの方が年上 (姉) だ。)

(7)や(8)にあるように、‘-er’や‘more ~’の後にくるのは、‘than ・・・’と決まっているわけではありません。‘than ・・・’の場合は、「比較の相手」となる、もう片方のみが表現されますが、一方、‘of ・・・’の場合は、「2つの内で」や、「2人の内で」、というような、自分と相手を足し合わせた、2つから成る、「集合」の表現がきます。この‘of ・・・’の後には、2つから成る表現しかこないので、もちろん、‘of the two (~)’とおぼえてしまえばよいわけですね。

あと、(7)や(8)の構文の特徴として、なぜか、‘the more ~’や、‘the -er’のように、‘the’が付きますが、これは、「~ の中で」というような、ある集合の存在が前提となっている状況で、その集合中、「唯一的」とされるものには、‘the’をつける、という一般法則からくるものです。‘two’「2」という最小の集合の中で比較が行われれば、どちらか一方が排除された時点で、必然的に、残りが唯一のものになりますから、‘the’が必要になる、というわけですね。

(9)You study harder. (より頑張って勉強する。)
(10)You become smarter. (より賢くなる。) 

(11)The harder you study _、the smarter you become _.
  (勉強すればするほど、賢くなります。)

今度は(11)ですが、「‘the -er ~’ (前半の文)+‘the -er ・・・’ (後半の文)」のカタチで、「~ すれば、その分だけ・・・だ」、の意味になるものです。(9)の‘harder’に‘the’を付けてから、文の先頭に移動させ、一方、同様に、(10)の‘smarter’に‘the’を付けてから、文の先頭に移動させれば、(11)のような文が完成します。

(12)You become (the) smarter、the harder you study _. (訳同(11))

ところが、(12)のように表現しても、(11)と同じ意味を表すことができます。(12)と(11)を比較して明らかなことは、前半の文と後半の文が入れかわって、順序が逆になっているということです。そして、‘the -er’の移動が、(9)に相当する文 (「~ すれば」の側) でしか起こっていないということです。ちなみに、移動がない方の文では、‘the’は、あってもなくても構いません。

このように、‘the -er’が、片方の文では移動するが、一方、もう片方の文では移動しない、というようなことが起こることで、前半の文と後半の文が入れかわって、順序が逆になっているということを示すことができます。もし、これがないと、「賢くなればなるほど、勉強します」、の意味に取られてしまいますからね。

(13)The sooner、the better. (早ければ、早いほど良い。)
(14)The more、the better. (多ければ、多いほど良い。)

あと、(13)や(14)のように、単独の‘the -er’同士をつないで、「‘the -er’+‘the -er’」のカタチにして使うこともよくやります。複雑な(11)や(12)に比べると、随分と単純なので、このような使い方は、とても便利ですね。

今回のポイントは、比較の構文‘-er than ・・・’の基本的な概念を理解することと、そこから生まれた派生的な構文の一部を紹介した、ということです。今回扱ったようなことも、学校で習うようなことと、大きな違いはありませんが、いずれも、なかなか使用する機会は多いと思われるものです。今回扱った内容以外にも、まだまだ扱うべきことがありますので、またの機会です。

●関連: EG107

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英語学習法(107)

2005年11月26日 | 比較
比較の構文です。今回、基本的なことですが、‘-er than ~’「~ よりも」というカタチについてです。以下、見ましょう。

(1)John is tall. (ジョンは背が高い。)
(2)John is taller than Tom. (ジョンはトムよりも背が高い。)

(1)の‘tall’「背が高い」の語尾に、(2)では、‘-er’というカタチが加わっています。さらに、その後で、‘than Tom’という表現が続いています。この‘-er than ~’のカタチを使って、(2)のように表現することで、「~ よりも」という、英語では、最も一般的に使われる比較の文を表現することができます。ちなみに、‘taller’は、「形容詞+‘-er’」ですが、「副詞+‘-er’」も可能です。

(3)John runs fast. (ジョンは速く走る)
(4)John runs faster than Tom. (ジョンはトムよりも速く走る)

(3)の‘fast’「速く」は、意味的に、動詞‘run’「走る」にかかっています。さらに、‘run’「走る」は、自動詞としての扱いを受けますので、目的語を取らないとされます。ですので、(3)の‘fast’は、もちろん、目的語ではなく、動詞にかかる副詞として使われています。 (EG39、EG40、参照)

そこで、(4)では、「‘fast’+‘-er’→‘faster’」となることに加えて、‘than Tom’を後に続けることで、「トムよりも速く」という表現が可能になります。これだけで、「~ よりも」という、比較の構文が完成するわけですから、かなり簡単な部類に入りますね。ただし、カタチとしては、形容詞や副詞の語尾に‘-er’がつくのではなく、単語の前に‘more’を置いて、‘-er’のかわりにする場合もあるので、この点、注意が必要です。

(5)Mary is more beutiful than Susan. (メアリーはスーザンよりも美しい。)
(6)John drives more carefully than Tom. (ジョンは、トムよりも注意深く運転する。)

ところで、この‘more’ですが、形容詞や副詞の前に置かれるだけでなく、単独で使われる場合もあります。実は、‘more’は、単語しては、原形ではなく、活用形のカタチであり、そのもととなる単語が2つあって、それは、‘many’である場合と、‘much’である場合があります。

(7)John has many books. (ジョンは本をたくさんもっている。)
(8)John has more books than Tom. (ジョンは、トムよりも本を多くもっている。)

(9)John loves baseball very much. (ジョンは、野球をとても愛している。)
(10)John loves baseball more than soccer. (ジョンは、サッカーよりも野球を愛している。)

(7)の‘many books’をもとに、(8)では、‘more books’と変化しています。一方、(9)の‘much’は、(10)では、‘more’と変化しています。あと、注意点ですが、比較の構文‘more’の変化によって、この‘more’の強調をしたい場合、‘very’が使えなくなる、という約束事があります。そこで、「‘many’→‘more’」の変化、「‘much’→‘more’」の変化に対応して、それぞれ、‘many’と‘much’が、‘very’の代わりとなる強調表現にシフトします。

(11)John has very more books than Tom. (×)
  (ジョンは、トムよりも、はるかに本を多くもっている。)
(12)John has many more books than Tom. (○) (訳同上)

(13)John loves baseball very more than soccer. (×)
  (ジョンは、サッカーよりも、はるかに野球を愛している。)
(14)John loves baseball much more than soccer. (○) (訳同上)

(11)では、‘very more ~’がアウトになっていますが、数えられる名詞の複数形‘books’につく‘more’には、その原形である‘many’が、強調表現としてシフトし、(12)にあるように、‘very’の代わりを果たします。一方、(13)でも、‘very more ~’がアウトになっていますが、‘love’「愛する」にかかる‘more’には、その原形である‘much’が、強調表現としてシフトし、(14)にあるように、‘very’の代わりを果たします。

次に、英語の単語が語形変化する際の特徴です。こういった単語の活用には、よくありがちなことですが、比較の構文‘-er’にも、やはり、あの厄介な、いわゆる、不規則変化というものがあります。この場合も、一般的な傾向として言えることですが、よく使われる単語ほど、不規則変化の対象となっています。もちろん、暗記する以外に方法はありませんが、数は、ほんのわずかです。

(15) good (良い) → better (より良い)、 well (よく) → better (よりよく)、
    bad (悪い) → worse (より悪い)、ill (病気の) → worse (より病気の)、
    little (少し)→ less (より少し)、その他

そして、これもよく解説されることですが、語形変化が、比較の意味に応じて、カタチが2種類に分かれることがあります。1つの例として、‘late’「遅い、遅く」は、意味的に、「時間」が遅い場合と、「順序」が遅い場合がありますが、それぞれの意味に応じて、カタチが異なる変化をします。

(16)three years later (その時から見て、3年遅い時期に → それから3年後に)
(17)the latter half of the game (ゲームの順序で後の半分 → ゲームの後半)

(16)では、「‘late’→‘later’」の変化であり、一方、(17)では、「‘late’→‘latter’」の変化となっています。ちなみに、(16)の‘later’の前についている、‘three years’「3年」は、程度の副詞表現であり、‘later’「より遅く」が、どの程度なのかというと、3年という程度で、という意味になります。 (EG40、参照)

今回のポイントは、比較の構文‘-er than ~’「~ よりも」の、最も基本的な理解です。語形変化に重点を置きましたが、概ね、学校などで教わるとおりの理解で、基本的な表現は問題なく使えるようになります。また、続きは次回にやりたいと思います。

■注 :語尾に‘-er’をつけるか、それとも、前に‘more’を置くかは、概ね、音節を目安にするのが、一般的です。3音節以上の単語には、‘more’がつきますが、2音節の単語だと、‘-er’と‘more’の、どちらもあり得るケースが少なくありませんし、これらの選択基準は、個人差もあります。こういった基準を、あえて、感覚的に言うならば、「単語の発音上の長さ」、ということになりますね。

●関連: EG39EG40

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英語学習法(106)

2005年11月16日 | 比較
EG105の続きです。比較の構文‘as ~ as ・・・’です。以下、見ましょう。

(1)John is careful. (ジョンは注意深い)
(2)John is as careful as Tom. (ジョンはトムと同じくらい注意深い。)

(1)をもとにして、(2)のように、‘as Tom’「トムと同じくらい」を、後半に付け足した文をつくります。すると、(2)では、‘careful’の前に、もう1つの‘as’を付け足すことになります。ですので、「・・・ と同じくらい ~ だ」という意味をもった文をつくろうとすると、結果的には、‘as ~ as ・・・’というカタチになります。

(3)John is not as careful as Tom. 
(4) a. ジョンは、トムと同じくらいの注意深さではない。 (×)
   b. ジョンは、トムほどには注意深くない。 (〇)

今度は、(2)に‘not’を加えて、(3)のような否定文にしてみました。そこで、(3)の解釈として、(4a)と(4b)のような日本語訳が候補となりますが、何と、(4a)はアウトで、一方、(4b)がOKである、ということなんです。そこで、(4a)では、ジョンとトムは、同じ程度に注意深い、ということではない、と表現しているわけですね。しかし、一方、(4b)では、注意深さという点では、ジョンはトムには及ばない、と表現しているわけです。

これは、比較の構文‘as ~ as ・・・’における、ちょっとした盲点と言えそうです。そもそも、単純に考えるならば、「同等 (=)」の否定は、ただ単に、「同等ではない (≠)」ということですから、(4a)のような解釈は、しごく真っ当なもので、真面目に考えれば、(4a)がアウトになるはずはない、と考えたくなります。

つまり、(4a)が表す意味は、ジョンとトム、それぞれの注意深さは同等ではないと言っているだけで、要は、ジョンの方がトムより注意深い (‘John’>‘Tom’) かも知れないし、または、その逆で、トムの方がジョンより注意深い (‘John’<‘Tom’) かも知れない、ということになり、結局、単純に、「同等ではない (≠)」と述べるのみにとどまる解釈です。

その一方で、(4b)がOKになっていますが、こちらの解釈は、明らかに、トムの方がジョンよりも注意深い (‘John’<‘Tom’)、という、お互いの優劣がハッキリする解釈になっています。この(3)において、(4a)がアウトになり、(4b)がOKになる解釈の妥当性は、通常の否定文の解釈という観点からは、明らかに、「言い過ぎ」となるものです。と言いますのも、‘not’が独自にもっている否定の役割は、まさに、文そのものを否定するだけ、というものだからです。 (‘not’の基本的な役割については、EG32、EG36、参照)

ですので、ここは、どうやら発想そのものの転換が必要になりそうです。つまり、比較の構文‘as ~ as ・・・’は、実は、一般的に教わるような、「同等 (=)」解釈のみが許されるわけではない、という考え方です。では、以下を見ましょう。

(5)John is as careful as any boy.
(6) a. ジョンは、いかなる男の子とも同じくらい注意深い。 (×)
   b. ジョンは、いかなる男の子よりも注意深い。 (〇)

(5)に対する解釈としては、(6a)がアウトで、(6b)がOKとなります。そこで、(5)は、常識的に考えれば、可能な解釈が、多少わかりやすいと思います。つまり、(6a)のように、ジョンは誰と比べても同じ程度に注意深い、と考える場合、すなわち、ジョン以外の男の子が、全て同等の注意深さをもっているという、常識的にあり得ない状況を想定しなければ、(6a)の解釈など成立するはずがありません。しかし、普通、ヒトの注意深さなど、千差万別で、差があるのが当たり前ですから、(6a)の解釈は常識的にあり得ません。

しかし、それにもかかわらず、英語として、(5)はOKの文なんです。これは、もちろん、可能な解釈として、(6b)がOKだからで、つまり、お互いの優劣がハッキリする解釈です。ここで、もし、比較の構文‘as ~ as ・・・’が、「・・・ と同じくらい ~」の解釈しか許さないとガッチリ決められている構文ならば、(6b)の解釈もアウトになるハズなので、そもそも、(5)のような英語そのものが、意味不明でアウトでなければなりません。

ですので、ここで結論として言えることは、比較の構文‘as ~ as ・・・’は、「・・・ と同じくらい ~」の解釈に加えて、実は、「・・・ よりも ~」の解釈もある、ということなんです。つまり、(5)の場合、常識から考えて、必然的に、(6a)の可能性は消えてしまいますので、その時点で、(6b)の解釈が浮上してきたもの、と考えられるわけですね。

そこで、この観点から、もう一度、(3)を考えると、実は、‘not’は、「・・・ と同じくらい ~ (‘John’=‘Tom’)」の解釈に加えて、「・・・ よりも ~ (‘John’>‘Tom’)」の解釈をも、同時に否定しているということになります。つまり、(4a)の解釈では、「・・・ と同じくらい ~ (‘John’=‘Tom’)」の解釈が消えただけなので、それだけでは、「言い足りない」、ということになってしまいます。

ですので、そこから、さらに、「・・・ よりも ~ (‘John’>‘Tom’)」の解釈をも消さなければなりません。すると、結果的に、‘John’<‘Tom’となる解釈しか残されていませんので、結局は、(4b)の解釈が、正しい (より正確な) 表現ということになります。つまり、(3)に対して、(4b)の解釈が正しくなる原因は、もともと、否定語‘not’の問題ではなく、比較の構文‘as ~ as ・・・’固有の問題だったわけですね。

今回のポイントは、比較の構文‘as ~ as ・・・’がもっている固有の意味は、実は、一般的な認識とズレがあるということです。‘as ~ as ・・・’を、「・・・ と同じくらい ~ 」である、とガッチリと固めて暗記してしまうことは、本来の‘as ~ as ・・・’の概念からすると、派生的な構文の解釈に関して、矛盾を引き起こしてしまう場合があるため、危険ですらあります。

しかし、ここで、また新たな1つの疑問が生じます。比較の構文‘as ~ as ・・・’を使った(2)の文は、なぜ、「・・・ と同じくらい ~ 」、という日本語訳のままでOKなのか、ということです。今回のお話からすると、(2)の日本語訳は、「ジョンはトムと同等、あるいは、トムよりも注意深い」、となってもよいハズなのに、(2)のような日本語訳は、むしろ定番となっているではないか、という疑問が残るわけですが、この問題は別の機会に扱いたいと思います。

■注 :(3)において、(4a)の解釈が、OKになる場合があります。ただし、この場合、文の「真・偽」を問題にしているのではなく、「ジョンは、トムと同じくらいか、あるいは、それ以上の注意深さだ、という言い方程度では不適切だ。」、というような、「適・不適」を問題にする意味になる場合で、特徴としては、前の方の‘as’にストレスを置いて、強く発音します。ですので、この解釈に限り、(3)のあとに、‘He is much more careful than Tom.’「彼は、トムより、はるかに注意深い (というのが適切だ)。」、というような表現を続けても、矛盾していることにはなりません。

●関連: EG32EG36EG105

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英語学習法(105)

2005年11月12日 | 比較
比較の構文についてです。‘as ~ as ・・・’という構文の基本です。以下、見ましょう。

(1)John is as tall as Tom. (ジョンは、背の高さがトムと同じくらいだ。)

(1)は、‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい、~ だ」という表現が用いられて、‘John’と‘Tom’の背丈が同じだ、という解釈になるもので、中学校くらいで習う構文です。ですので、比較的、英語の構文としては、簡単な部類に入るものとして理解されています。

(2)John looks as old as Tom. (ジョンは、トムと同じくらいの年齢に見える。)
(3)Mary is as pretty as Susan. (メアリーは、スーザンと同じくらい、カワイイ。)
(4)This car is as fast as an airplane. (このクルマは、飛行機と同じくらい速いぞ。)

(2)~(4)を見たって、全て同様に、‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい、~ だ」、という公式で当てはめて考えれば、OKですね。ですので、この‘as ~ as ・・・’を覚えて使いこなすのは、こんな感じで使っている分には、全く問題ないので、とても使いやすい表現だと言えます。

(5)John runs as fast as Tom. (ジョンは、トムと同じくらい速く走る。)
(6)Mary cooks as well as Susan. (メアリーは、スーザンと同じくらい料理が上手い。)

(5)や(6)も、同じ‘as ~ as ・・・’を使って、「・・・ と同じくらい、~ だ」、を表現していますから、その点、(1)~(4)と同じ部類に入る表現ですが、しかし、(5)や(6)のような表現は、ちょっとだけ、(1)~(4)とは、違うと言えそうな点があります。

それは、「形容詞」と「副詞」という品詞の違いです。(1)~(4)では、‘as ~ as ・・・’の‘~’の部分には、形容詞‘tall’「背が高い」、‘old’「老いた」、‘pretty’「かわいい」、‘fast’「速い」が含まれていますが、一方、(5)と(6)の‘as ~ as ・・・’の‘~’の部分には、副詞‘fast’「速く」、‘well’「上手に」が含まれています。

ですので、形容詞や副詞といった表現が、この2つの‘as’の間に挟まれて、「‘as’+形容詞+‘as’」や、「‘as’+副詞+‘as’」のカタチで、「・・・ と同じくらい、~ だ」、を表現している、と言えますね。

(7)John has books as many as Tom. (×) (ジョンはトムと同じくらい本をもっている。)
(8)John has as many books as Tom. (〇) (訳同上)

ところが、(7)はアウトで、一方、(8)はOKということです。(7)のような間違いは、よく文法の解説書でも指摘されているものです。‘as ~ as ・・・’の公式を覚えていて、‘~’の部分には、形容詞か副詞のどちらかしか入らない、と無意識のうちに決め込んでいるヒトには、ありがちな間違いだからですね。

OKである(8)の‘as many books as’には、‘many books’という「形容詞+名詞」のカタチが含まれています。このあたりから、‘as ~ as ・・・’の公式は、どうやら、使い方にコツが要りそうだな、ということがわかり始めます。そこで、以下のような文を見ましょう。

(9)John has books many. (×) (ジョンは、たくさん本をもっている。)
(10)John has many books. (〇) (訳同上)

(9)はアウトで、一方、(10)はOKですが、これらの文を、もとにして考えなければ、‘as ~ as ・・・’の公式は使いこなせない、ということなんです。つまり、OKである、(10)の‘many books’を出発点にして、それを、‘as’と‘as’で挟んでやらなければならない、ということですね。

そこで、(9)がアウトになるのは、‘many ~’が、「たくさんの ~」という意味で、名詞にかかる表現だからです。‘many’を副詞として解釈して、例えば、‘has’のような動詞にかかると考え、「たくさんもっている」としても、英語がこのような表現を許容しないコトバなので、勝手に想像をはたらかせて、(9)のような文をつくることは不可能です。

しかし、辞書などでは、‘as many as ~’「~ と同じくらい多く」、という表現は見られますので、単純に、この表現があると、どうしても、(7)のような文をつくってしまいたくなるんですね。これは、日本語の類推から出発するならば、ごく自然なプロセスでつくられる誤った英語です。

まず、(7)の、日本語訳を、「トムと同じくらい」+「ジョンは、本をもっている」という、2つに切ってから、英語を組み立てるやり方をやってしまうので、どうしても、‘John has books.’の方を独立した文として、先につくってから、後で、‘as many as Tom’を付け足したくなります。ですので、(7)のような誤った英語が多く見受けられるのは、それなりに秩序だった手順を踏んでいる、言わば、規則性のある間違い、ということになります。

この規則性のある間違いは、‘as ~ as ・・・’が、単純に、「公式」と呼べるほどには、熟成された体をなしていないことに原因があるもので、ここから、前の‘as’と、後の‘as’は、それぞれ、独立した役割をもっていると考えることから出発する必要があります。

まず、覚え方としては、①・前の‘as’は必ず、「程度」や「数量」を表し得る表現の前にくっつく、そして、②・後の‘as’は、何と比べられているのかを、ハッキリと明示する役割をもっている、と言えます。ですので、まず、2つの‘as’を、それぞれ、一度、切り離して考え直すことが必要です。

この2つの‘as’が、それぞれ独立したものである、という考えがあると、まず、順序としては、(10)のような文が先にあって、あとから、前半の‘as’を、①にしたがって、‘many books’の前に付け足す、という作業になると思います。普通、誤って、(9)のような文を先に思いつくということは、まずありませんからね。この考え方の順序は、(7)のような間違いを防ぐ上では、かなり有効です。

あとは、後半の‘as’を、何と比較されているのかを、ハッキリと明示するために、‘as Tom’のようにして、付け足すだけです。こうすれば、(8)のような正しい文をつくることはあっても、(7)のような誤った文をつくることはなくなるはずです。

今回のポイントは、とても簡単なことですが、比較の構文‘as ~ as ・・・’の基本的な考え方です。‘as ~ as ・・・’の構文は、よく、セットにして習うだけで終わってしまうことが多いので、単純な文をつくる際には、使いやすく便利な印象があるんですが、だからと言って、ガッチリ固めて暗記しているだけで、構文を組み立てる方法までは知らないとなれば、結局、まともに使えないことがわかったと思います。

今回の基本的な考えがあると、様々な他の派生構文の理解にも、スムーズにつながっていきますので、まずは、柔軟体操です。

■注 :‘as ~ as ・・・’は、あえて、品詞は何か、と問われれば、前半の‘as’が副詞で、後半の‘as’が接続詞、ということになりますが、とりあえず、一応の目安という程度に理解しておいた方がよいと思われます。英語では、‘as’の用法は多様なので、分類しても、ややこしくなるだけで、意味がない場合が多いからです。‘as many as ・・・’という構文では、‘many’の品詞は、一応、名詞になりますが、だとすると、前半の‘as’は、名詞にかかる「副詞」という、奇妙な分類を受けることになります。ですので、①のように、前の‘as’は必ず、「程度」や「数量」を表し得る表現の前にくっつく、とした方が、本質をとらえた一般化だと思われます。

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