「不定詞」と呼ばれるものを扱います。入門編です。以下、見ましょう。
(1)swim (泳ぐ)
(2)to swim (訳同上)
(1)は‘swim’「泳ぐ」という、ただの動詞です。一方、(2)は、「前置詞‘to’+動詞‘swim’」で、‘to swim’になっています。(1)は、原形動詞であり、そのカタチは、別に、「三人称・単数・現在」の‘swims’と変化したりしていませんが、このように、原形のままの姿である動詞を、別名、「原形不定詞」と呼んだりします。
一方、(2)ですが、前置詞‘to’に、原形動詞 (原形不定詞) をくっつけて、「‘to’不定詞」と呼んだりします。‘to’不定詞は、前置詞‘to’の後に、名詞ではなく、例外的に、動詞がくっつくのが特徴で、(2)のようなカタチのままでも、別に非文法的ということではありません。ですので、‘to’の後に原形動詞があったら、それは、‘to’不定詞という、りっぱに文法的なカタチだと思えばよいのです。
(3)to swims (×)
(4)to swam (×)
(5)to swum (×)
(3)~(5)は、全てアウトです。(3)では、‘to’の後に、「三人称・単数・現在」の‘swims’をくっつけたのですが、これがアウト。(4)では、‘to’の後に、‘swim’の過去形‘swam’をくっつけたのですが、これもアウト。そして、(5)では、‘to’の後に、‘swim’の過去分詞‘swum’をくっつけたのですが、これも、やはり、アウトです。
以上から、トータルでわかるのは、不定詞と呼ばれるものは、常に、動詞の原形であるか、または、それに、‘to’がくっついたものであるかの、どちらかでしかなく、それ以外は、あり得ないということです。ですので、結構、不定詞のカタチの可否を判断するのは簡単なんですが、そのカタチが、あまりにも単純すぎて、問題が起こってしまうこともあります。
(6)to swim yesterday (×) (昨日、泳いだ)
(6)はアウトです。問題は、不定詞である‘to swim’に、‘yesterday’を付け足したことで発生したのであろうということは、一目瞭然なんですが、それが何で悪いんだ、という疑問が起こるわけですね。というのも、(4)から明らかなように、もともと、不定詞には過去形が使えないからです。
不定詞は、過去形を使ってはいけない、とされているわけだから、不定詞の場合、(6)のように表現するのは仕方ないことなのではないか、と思えるわけです。しかし、事実上、アウトになるわけですから、不定詞で過去のことを表現するのを諦めるか、または、別の抜け道を模索するかしかありません。
(7)to have swum yesterday (〇) (訳同(6))
そこで、(7)ですが、これはOKです。(7)は、実質的に、アウトである(6)の代替として使われるカタチで、特徴としては、「‘to’+‘have’+過去分詞」で、‘to’の後が、「完了形」と全く同じ姿をしている、ということです。このやり方だと、‘have’が常に動詞の原形であるため、(4)や(6)のような矛盾を引き起こさない、というメリットがあります。
(8)John has swum yesterday. (×) (ジョンは、昨日泳いだ。)
しかし、その一方で、(8)はアウトです。完了形の決まりごととして、よく説明されることですが、完了形は、過去の一点を表す‘yesterday’のような表現とは共起できない、というルールがあります。つまり、(7)は、カタチとしては完了形の姿をしてはいますが、‘yesterday’と共起できるという点において、実質的に、(8)のような完了形とは似て非なるもの、ということになります。
(9)I have studied English since last year. (〇) (私は、昨年から英語を勉強しています。)
(10)to have studied English since last year (〇) (昨年から英語を勉強している)
(9)では、完了形と共起するのが特徴である‘since ~’「~ 以来」を使って、‘since last year’「昨年以来」となっていますが、一方、(10)においても、同様に、「‘to’+‘have’+過去分詞」である、‘to have studied ~’「~ を勉強している」と共に用いても、何の問題もなくOKになります。
つまり、(10)の場合は、「‘to’+‘have’+過去分詞」のカタチで、(7)のように過去のことを表現しているのではなく、(9)と同様に、そのまま完了形として使われていることになります。ですので、結果的には、「‘to’+‘have’+過去分詞」は、「過去形の代替」と「完了形」の2つの表現が可能なカタチである、ということになります。
(11)John may succeed in life. (ジョンは、出世するかも知れない。)
(12)John might succeed in life. (訳同上)
(11)では、助動詞の‘may’「~ かも知れない」が使われ、一方、(12)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、日本語訳は、(11)も(12)も同じで、特に、(12)の過去形‘might’は、単純に、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にはなりません。
この場合、一応、表面上は、(11)も(12)も同じ日本語訳になるとは言っても、実質的には、(11)の場合、ジョンの出世は、事によると、あり得るかも知れない、と言っているのに対し、一方、(12)では、心にもないことだが、天と地がひっくり返るような事態でも起これば、そりゃジョンの出世だってあり得ますわな、と無内容な例えを表現する場合ですから、(11)と(12)は、結構、大きな意味の違いがあります。
しかし、いずれにせよ、(12)の過去形‘might’は、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にならないわけで、だとすれば、どうやって、「~ だったかも知れない」を表現すればよいのか、という問題になります。
(13)John may have succeeded in life. (ジョンは、出世したかも知れない。)
(14)John might have succeeded in life. (訳同上)
(13)では、やはり、助動詞の‘may’が使われ、一方、(14)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、共に、「‘have’+過去分詞」のカタチが後に続いているという共通点があります。そして、どちらも、「~ したかも知れない」という日本語訳にすることができる点も共通しています。
つまり、過去のことを言い表せる部分は、実質的には、「‘have’+過去分詞」のカタチの方が主導権を握っていると思われます。つまり、(11)対(12)と(13)対(14)のコントラストからは、‘may’と‘might’の意味の差は、「現在・過去」の違いではなく、現実的にクリアする可能性のある「条件」であるか、それとも、単なる、途方もない「仮定」であるかの違いでしかない、ということになります。
ここに、‘might’が過去形と呼ばれているが故のトリックが潜んでいます。今回扱わなかった他のケースも総合的に考慮すれば、‘might’を過去形と呼んでも、特に問題はないのですが、少なくとも、(12)と(14)の場合は、過去形という呼び方が、どうしても、正しい判断を曇らせる原因になってしまいます。
ここで、話を不定詞に戻すと、助動詞には、様々なタイプのものがありますが、最も標準的には、‘will’、‘may’、‘must’などのように、後には、動詞の原形しかこれないので、過去形が過去としての意味を成さないような(12)や(14)の場合、「過去形の代替」として、「‘have’+過去分詞」のカタチが登場する、というわけなんですね。 (助動詞のタイプ分けに関しては、EG12、EG13、EG14、参照。)
もちろん、(11)~(14)のように、‘to’が付いていなくても、結局、「‘have’+過去分詞」の‘have’は、原形不定詞という扱いを受けるだけなので、最終的には、不定詞の場合、‘to’不定詞であろうが、原形不定詞であろうが、単純な過去形は存在せず、過去のことを表現する場合は、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチで過去形とする、という定義で決まりです。
今回のポイントは、不定詞の最も基本的な出発点として、不定詞のカタチについてです。英語の動詞は、例外なく、必ず過去形をもっている、という前提があります。そして、不定詞には、「原形不定詞」と「‘to’不定詞」という、2タイプのカタチが存在するものの、いずれも動詞を活用させない、というルールがあります。
動詞を全く活用させないことから、「三人称・単数・現在」や、過去形や、過去分詞といったカタチが定まらず、不定のままなので、「不定詞」という名前で呼ばれるのですが、だからと言って、過去の意味を表現する権利を奪うことまではできないところに、この不定詞の矛盾があったわけです。
ですので、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチを用いることで、結果的に、動詞を活用させることなく、過去の意味を表現できるというアイデアが生まれたわけですが、ハッキリ言ってしまえば、これは、英語においては、種々雑多な意味の表現をまかなう上での、文法上の可能なカタチが貧困であることに起因するものです。
そして、これが同時に、文法上の可能カタチが、比較的、豊かな日本語との相性の悪さの原因でもあり、日本人からすれば、習得の厄介な盲点になっているわけですね。
●関連: EG12、EG13、EG14
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(1)swim (泳ぐ)
(2)to swim (訳同上)
(1)は‘swim’「泳ぐ」という、ただの動詞です。一方、(2)は、「前置詞‘to’+動詞‘swim’」で、‘to swim’になっています。(1)は、原形動詞であり、そのカタチは、別に、「三人称・単数・現在」の‘swims’と変化したりしていませんが、このように、原形のままの姿である動詞を、別名、「原形不定詞」と呼んだりします。
一方、(2)ですが、前置詞‘to’に、原形動詞 (原形不定詞) をくっつけて、「‘to’不定詞」と呼んだりします。‘to’不定詞は、前置詞‘to’の後に、名詞ではなく、例外的に、動詞がくっつくのが特徴で、(2)のようなカタチのままでも、別に非文法的ということではありません。ですので、‘to’の後に原形動詞があったら、それは、‘to’不定詞という、りっぱに文法的なカタチだと思えばよいのです。
(3)to swims (×)
(4)to swam (×)
(5)to swum (×)
(3)~(5)は、全てアウトです。(3)では、‘to’の後に、「三人称・単数・現在」の‘swims’をくっつけたのですが、これがアウト。(4)では、‘to’の後に、‘swim’の過去形‘swam’をくっつけたのですが、これもアウト。そして、(5)では、‘to’の後に、‘swim’の過去分詞‘swum’をくっつけたのですが、これも、やはり、アウトです。
以上から、トータルでわかるのは、不定詞と呼ばれるものは、常に、動詞の原形であるか、または、それに、‘to’がくっついたものであるかの、どちらかでしかなく、それ以外は、あり得ないということです。ですので、結構、不定詞のカタチの可否を判断するのは簡単なんですが、そのカタチが、あまりにも単純すぎて、問題が起こってしまうこともあります。
(6)to swim yesterday (×) (昨日、泳いだ)
(6)はアウトです。問題は、不定詞である‘to swim’に、‘yesterday’を付け足したことで発生したのであろうということは、一目瞭然なんですが、それが何で悪いんだ、という疑問が起こるわけですね。というのも、(4)から明らかなように、もともと、不定詞には過去形が使えないからです。
不定詞は、過去形を使ってはいけない、とされているわけだから、不定詞の場合、(6)のように表現するのは仕方ないことなのではないか、と思えるわけです。しかし、事実上、アウトになるわけですから、不定詞で過去のことを表現するのを諦めるか、または、別の抜け道を模索するかしかありません。
(7)to have swum yesterday (〇) (訳同(6))
そこで、(7)ですが、これはOKです。(7)は、実質的に、アウトである(6)の代替として使われるカタチで、特徴としては、「‘to’+‘have’+過去分詞」で、‘to’の後が、「完了形」と全く同じ姿をしている、ということです。このやり方だと、‘have’が常に動詞の原形であるため、(4)や(6)のような矛盾を引き起こさない、というメリットがあります。
(8)John has swum yesterday. (×) (ジョンは、昨日泳いだ。)
しかし、その一方で、(8)はアウトです。完了形の決まりごととして、よく説明されることですが、完了形は、過去の一点を表す‘yesterday’のような表現とは共起できない、というルールがあります。つまり、(7)は、カタチとしては完了形の姿をしてはいますが、‘yesterday’と共起できるという点において、実質的に、(8)のような完了形とは似て非なるもの、ということになります。
(9)I have studied English since last year. (〇) (私は、昨年から英語を勉強しています。)
(10)to have studied English since last year (〇) (昨年から英語を勉強している)
(9)では、完了形と共起するのが特徴である‘since ~’「~ 以来」を使って、‘since last year’「昨年以来」となっていますが、一方、(10)においても、同様に、「‘to’+‘have’+過去分詞」である、‘to have studied ~’「~ を勉強している」と共に用いても、何の問題もなくOKになります。
つまり、(10)の場合は、「‘to’+‘have’+過去分詞」のカタチで、(7)のように過去のことを表現しているのではなく、(9)と同様に、そのまま完了形として使われていることになります。ですので、結果的には、「‘to’+‘have’+過去分詞」は、「過去形の代替」と「完了形」の2つの表現が可能なカタチである、ということになります。
(11)John may succeed in life. (ジョンは、出世するかも知れない。)
(12)John might succeed in life. (訳同上)
(11)では、助動詞の‘may’「~ かも知れない」が使われ、一方、(12)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、日本語訳は、(11)も(12)も同じで、特に、(12)の過去形‘might’は、単純に、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にはなりません。
この場合、一応、表面上は、(11)も(12)も同じ日本語訳になるとは言っても、実質的には、(11)の場合、ジョンの出世は、事によると、あり得るかも知れない、と言っているのに対し、一方、(12)では、心にもないことだが、天と地がひっくり返るような事態でも起これば、そりゃジョンの出世だってあり得ますわな、と無内容な例えを表現する場合ですから、(11)と(12)は、結構、大きな意味の違いがあります。
しかし、いずれにせよ、(12)の過去形‘might’は、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にならないわけで、だとすれば、どうやって、「~ だったかも知れない」を表現すればよいのか、という問題になります。
(13)John may have succeeded in life. (ジョンは、出世したかも知れない。)
(14)John might have succeeded in life. (訳同上)
(13)では、やはり、助動詞の‘may’が使われ、一方、(14)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、共に、「‘have’+過去分詞」のカタチが後に続いているという共通点があります。そして、どちらも、「~ したかも知れない」という日本語訳にすることができる点も共通しています。
つまり、過去のことを言い表せる部分は、実質的には、「‘have’+過去分詞」のカタチの方が主導権を握っていると思われます。つまり、(11)対(12)と(13)対(14)のコントラストからは、‘may’と‘might’の意味の差は、「現在・過去」の違いではなく、現実的にクリアする可能性のある「条件」であるか、それとも、単なる、途方もない「仮定」であるかの違いでしかない、ということになります。
ここに、‘might’が過去形と呼ばれているが故のトリックが潜んでいます。今回扱わなかった他のケースも総合的に考慮すれば、‘might’を過去形と呼んでも、特に問題はないのですが、少なくとも、(12)と(14)の場合は、過去形という呼び方が、どうしても、正しい判断を曇らせる原因になってしまいます。
ここで、話を不定詞に戻すと、助動詞には、様々なタイプのものがありますが、最も標準的には、‘will’、‘may’、‘must’などのように、後には、動詞の原形しかこれないので、過去形が過去としての意味を成さないような(12)や(14)の場合、「過去形の代替」として、「‘have’+過去分詞」のカタチが登場する、というわけなんですね。 (助動詞のタイプ分けに関しては、EG12、EG13、EG14、参照。)
もちろん、(11)~(14)のように、‘to’が付いていなくても、結局、「‘have’+過去分詞」の‘have’は、原形不定詞という扱いを受けるだけなので、最終的には、不定詞の場合、‘to’不定詞であろうが、原形不定詞であろうが、単純な過去形は存在せず、過去のことを表現する場合は、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチで過去形とする、という定義で決まりです。
今回のポイントは、不定詞の最も基本的な出発点として、不定詞のカタチについてです。英語の動詞は、例外なく、必ず過去形をもっている、という前提があります。そして、不定詞には、「原形不定詞」と「‘to’不定詞」という、2タイプのカタチが存在するものの、いずれも動詞を活用させない、というルールがあります。
動詞を全く活用させないことから、「三人称・単数・現在」や、過去形や、過去分詞といったカタチが定まらず、不定のままなので、「不定詞」という名前で呼ばれるのですが、だからと言って、過去の意味を表現する権利を奪うことまではできないところに、この不定詞の矛盾があったわけです。
ですので、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチを用いることで、結果的に、動詞を活用させることなく、過去の意味を表現できるというアイデアが生まれたわけですが、ハッキリ言ってしまえば、これは、英語においては、種々雑多な意味の表現をまかなう上での、文法上の可能なカタチが貧困であることに起因するものです。
そして、これが同時に、文法上の可能カタチが、比較的、豊かな日本語との相性の悪さの原因でもあり、日本人からすれば、習得の厄介な盲点になっているわけですね。
●関連: EG12、EG13、EG14
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