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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(73)

2005年04月09日 | 冠詞
不定冠詞‘a’、‘an’と、定冠詞‘the’のお話です。以下、見ましょう。

(1)I saw a dog. The dog was barking. (1匹のイヌを見た。そのイヌはワンワン吠えていた。)

(1)の‘a dog’「1匹のイヌ」は、初登場の「イヌ」です。しかし、一度、話題に上がったイヌならば、次に続く文では、‘the dog’「そのイヌ」というように、‘the’を付けて表現されます。これは、当たり前のことなんですが、では、初登場とは、どういうことを言うんでしょうか。

(2)This tastes thin. Pass me the salt. (これ、味薄いや。塩取ってよ。)

(2)は、よく使われる食事中の会話表現ですね。食べているものは、ラーメンでも何でもいいんですけど、とにかくハッキリしていることは、食べているものの味が薄い、と言っているだけで、最初から、「塩」のことなんて、話題にしてはいないから、「塩」は、初登場のはずなんですが、(2)にあるように、‘the salt’が使われるんですね。これはなぜなんでしょうか?

(3) a. I forgot to bring my pen. Give me a pen. (〇) 
    (ペン持ってくるの忘れちゃった。ペン貸してよ。)

   b. I forgot to bring my pen. Give me the pen. (〇)
    (ペン持ってくるの忘れちゃった。そのペン貸してよ。)

(3a)の‘a pen’と、(3b)の‘the pen’は両方ともOKです。ただし、発話される状況は、同じではありません。(3a)の場合、話者にとって、貸して欲しいペンが、どこにあるのかは、わかりません。ただ単に、相手に対して、ペンを持っていたら貸して欲しい、と言っているだけです。しかし、一方、(3b)では、話者の目の前に、ペンがあって、それを指して、「そのペン」を貸して、というように、指定しているんですね。

ですので、初登場の場合は、不定冠詞‘a’が付いて、そうでない場合は、定冠詞‘the’が付く、という説明は、あまりよく考えないで、さっと聞き流すと、ちょっとした誤解の原因となるようです。ここで、問題は、何をもって初登場とするのか、ですが、‘the’が付く対象となる名詞は、予め、文になって登場している必要などない、ということなんです。ただ、登場していることが、話題の中で、前提とされているような状況ならば、いきなり、‘the’を付けても、OKなんです。

(4)This is a dog [ which I was looking for _ ]. (これ、[ 私が探していた ] イヌなんです。)
(5)This is the dog [ which I was looking for _ ]. (これが [ 探していた ] イヌなんです。)

(4)と(5)も、違いは、‘a dog’か、‘the dog’か、でしかないんですが、それぞれ、違う状況で発話されるなら、両方ともOKです。日本語も微妙に訳し分けてあるんですが、ニュアンスの違いがわかるでしょうか。まず、(4)の状況を説明すると、あるとき、イヌがいきなり現れて、何だ、このイヌは?と相手が言った(思った)とします。そこで、話者が(4)のように言うのは、自然なんです。

一方、(5)は、「私」が聞き手に、飼いイヌが行方不明になってしまった、ということを、最初から伝えてあるような場合で、聞き手が、予め、「私」がイヌを探していることを知っていた場合ですね。そういった状況で、1匹のイヌがいきなり現れた場合に、(5)のように言うのは、自然なんですね。

というわけで、初登場の概念とは、聞き手に対して、対象とされているものの存在が、最初から前提とされているか否かが、ポイントになるんですね。(4)では、聞き手に対して、「探しているイヌ」のことは、全くの初登場となりますので、‘a dog’と表現するのが自然です。一方、(5)は、聞き手にとって、「探しているイヌ」のことは、既に知っていて、初登場ではないから、‘the dog’と表現するのが自然なんですね。

ここから、(4)と(5)では、それぞれ、全く同じ関係節が使われていることに注意して下さい。関係節は、かかる名詞に対して、意味的な「限定」を加えるはたらきがあるんですけど、あくまでも、それは、「限定」をしているに過ぎず、「特定」をしているわけではないんです。これを、もう少し詳しく言うと、関係節そのものには、「特定」をするはたらきはない、ということなんです。(EG72参照)

(6)This is a pen [ which was used in a conference ].
  (これは [ ある会議で使われた ] ペンです。)
   
(7)This is the pen [ which was used in a conference ].
(8) a. これは [ 会議で使われた ] 唯一のペンです。 (×)
   b. (以前にも、話しましたが) これが、[ ある会議で使われた ] ペンです。 (〇)

(6)は、‘a pen’を使っていますが、極めて自然な文で、聞き手に、いきなり、あるペンを差し出して言うような状況です。このとき、差し出された「ペン」のことは、聞き手にとって、全くの初登場となります。

しかし、一方で、‘the pen’を使った(7)は、ちょっと不自然で、無理に解釈すると、(8a)のように、会議で使われた、唯一のペンと言っている解釈がありますが、そんなことは常識的にあり得ません。会議でペンを使うことなど、どこででもあるようなことですからね。ですので、そのような状況が自然になるような世界での発話でない限り、アウトになる解釈です。また、(8b)のような解釈もありますが、この解釈ならば、(8a)よりも、使われる確率は、はるかに高いと言えますが、(6)の自然さには及びません。

(9)This is a pen [ which was used in yesterday's conference ].
(10)a. これは [ 昨日の会議で使われた ] ペン (の中の1本)です。 (〇)
   b. これは [ 昨日会議があったんですが、そこで使われた ] ペンです。 (×)

(11)This is the pen [ which was used in yesterday's conference ]. 
   (これが [ 昨日の会議で使われた ] ペンなのです。)

(9)と(11)は、関係節内の表現を、「ある会議」ではなく、「昨日の会議」としてみましたが、そうすると、今度は、‘the pen’とした(11)の方が、‘a pen ’とした(9)よりも、はるかに自然になります。このとき、注意しなければならないのは、関係節内に、‘yesterday's conference ’「昨日の会議」というような表現があると、話者と聞き手の間に、昨日、会議があった、ということが、既に了解済みであることを、強制するような解釈になる、ということです。

そこで、(9)のように、‘a pen’とすると、(10a)のような、昨日の会議で使われたペンが他にもある、ということを強調しているか、もしくは、昨日、会議があったということ自体、聞き手は知らされていない、という(10b)のような、極めて変な (通常は、あり得ない) 解釈になります。というより、何よりも、例え、(10a)の解釈がOKであったところで、(9)のような文自体が、かろうじてOKにできる、という程度のもので、普通、以下のようにするのが自然です。

(12)This is one of the pens [ which were used in yesterday's conference ]. (訳同(10a))

というわけで、(6)と(11)が、関係節の普通の使い方ということになるんですが、まず、ハッキリと言えるのは、関係節は、意味的に、「限定」をする機能はもっているんですが、「特定」をする機能まではもっていなくて、関係節がかかっている名詞が、意味的に「特定」されるか否かは、(6)と(11)のように、関係節内が表す意味によって、どうとでも変わる、ということですね。

それは、関係節の表す意味自体が、文脈をつくる、と言ってもよく、その関係節がつくった文脈に照らし合わせて、関係節がかかっている名詞も、初登場と解釈されるか否かが決まる、ということです。

さらに、(4)と(5)のような例からは、関係節は、全く文脈をつくらず、かかっている名詞が初登場か否かの決定に関与していない、ということもあるわけです。この場合は、それ以前の状況にたよる、ということになりますので、広い視野で考えると、初登場の可否は、構文的な文法の問題とは一線を画す問題であることがわかると思います。

そして、この延長線上の問題として、(2)のような例があり、なぜ、‘the salt’というように、定冠詞‘the’が使われるのか、という問題があります。もちろん、もう既に、お分かりのように、食卓の上には、塩が置いてあることが多いので、塩は聞き手に取って、既に、その存在が了解済み、と見なされているからですよね。ですので、文として見ると、いきなり、‘the’が使われていて、ギョッとしてしまうんですが、状況としては、塩のことは了解済み、ということで、初登場ではない、ということになるんですね。

今回のポイントは、初登場か否かで、よく問題となる、不定冠詞‘a’と、定冠詞‘the’の使い分けです。定冠詞‘the’を、中学校などで初めて習うときに、わかりやすく理解させるために、どうしても、(1)のような例を使った説明から入っていくので、そこが同時に、誤解を与える原因でもある、という、危うい側面をもっています。

日本語を母語としている人からすれば、こいうった誤解は、ある意味、仕方がない、とも言えるものですが、これは、本質的には、英文法そのものの問題ではない、ということを予め了解していれば、何とか、最低限の理解には達することができますので、ここは、アタマを一度リセットするつもりで、1回も前の文に出てきていないからどう、とか、関係節がどう、とかいった問題からは、スッパリ切り離して、考え直してみることを、是非とも、お薦めします。

●関連: EG72

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英語学習法(72)

2005年04月06日 | 冠詞
今回は、英語そのもの、というより、少し概念的なことを扱います。「特定」と呼ばれる概念と、「限定」と呼ばれている概念の違いについてです。以下、見ましょう。

(1)クルマって良いよね。
(2)小さいクルマって良いよね。

(1)の「クルマ」ですが、クルマってたくさんありますね。(1)は、自転車やバイクのことではなく、クルマが良い、と言っているわけですね。そこで、今度は、どんなクルマかを、ちょっと詳しく言おうとすると、(2)のように、「小さいクルマ」となり、良いクルマの対象から、「大きなクルマ」や、「普通サイズのクルマ」は外されてしまいます。

このように、クルマの中から、違う特徴をもったものを除外して、ある特徴に焦点が当てられたものだけを対象とすることを、「限定する」と言います。「限定」は、サイズという特徴だけでなく、色でも、値段でも、速さ、でも構いません。赤いクルマは良い、でも、安いクルマは良い、でも、速いクルマは良い、でも、それらは、「限定」されたクルマ、ということになります。

(3)クルマは赤い。 (×)
(4)このクルマは赤い。 (〇)

(3)は、いきなりアウトですが、一方、(4)は、すんなりOKにできますね。(3)と(4)の違いは、「クルマ」に、「この ~」が付いているか否かの差でしかありません。そこで、「この ~」が、(3)と(4)の命運を分けるカギになっていることは確かなのですが、そこで、(2)の文にあるような、「限定」の概念から、こういった違いは説明できるんでしょうか。

(5)小さいクルマは赤い。 (×)
(6)安いクルマは赤い。 (×)
(7)速いクルマは赤い。 (×)

(4)はOKなのに、(5)~(7)は全てアウトです。この差から、「小さい」、「安い」、「速い」といった表現と、「この ~」は、明らかに、何かが違うということなりますね。じゃ何が違うんだ、ということになるんですが、もうちょっと他の例も観察してみましょう。

(8)[ アメリカ人が乗っている ] クルマは赤い。 (×)
(9)[ ジョンが乗っている ] クルマは赤い。 (〇)

(8)と(9)の文も差が出てしまいました。この場合、「アメリカ人」と「ジョン」の違いしかありません。ここから明らかなのは、どうやら、「クルマ」にかかる表現の、長い・短いは、全く関係なく、もはや、「小さい」、「安い」、「速い」、といった表現と、「この ~」の違い、といった、単体の単語レベルの問題ではない、ということなんです。

そこで、すぐにわかることは、「~ は赤い」という表現の、「~」の部分に、意味的にうまく適合するような表現とそうでないものがあるということです。赤い、ということは、クルマであることの必要条件ではありません。さらに、小さいクルマや、安いクルマや、速いクルマの必要条件でもないし、アメリカ人の乗るクルマ、の必要条件でもない、ということまでは、簡単に気付きますよね。そこで、以下、見ましょう。

(10)血液は赤い。 (〇)
(11)この血液は赤い。 (×)

「この ~」が付かない(10)と、「この ~」が付く(11)のペアは、「この ~」が付かない(3)と、「この ~」が付く(4)のペアと比較すると、「〇・×」の判断が、全く逆になってしまいます。まず、血液は、色に関しては、赤い、ということが必要条件となるものです。ですので、(11)のように言うと、別に、青い血液でもあるのか?とでも言いたくなってしまいますね。一方で、(3)のように言うと、そんなことないだろ、だって、オレのポルシェは白いぜ、と言う人だって、当然、出てきます。

そこで、「この ~」という表現は、実は、何か対象を普通ではないような特別化をするはたらきがある、ということがわかると思います。これをもっと詳しく言うと、「種類」を表すような表現を唯一的なステイタスをもつものに変化させるはたらきがある、ということなんです。

クルマは、赤いということが、クルマであることの必要条件ではないので、色は様々ですが、「このクルマ」と言えば、赤い、ということが許されるように特別化されて、唯一的ステイタスを与えられます。しかし、一方で、血液は、もとから、赤いということが必要条件なので、「この血液」などと特別化して、唯一的ステイタスを与えたならば、赤くはない、といった必要条件ではないようなことを述べなければ、意味がなくなってしまいます。

そして、(8)の「アメリカ人」と(9)の「ジョン」の違いも、実は、同様なのです。「アメリカ人」という表現は、生き物の中で、ヒトという限定された種を表す表現があり、さらにその中で、国籍に基づいた種類分けがなされた表現ですが、そこまで範囲を絞っても、なお、アメリカ人は大勢いますから、「この ~」を付けて、「このアメリカ人」とでも言わなければ、特別化して、唯一的ステイタスを与えられません。

しかし、一方、(9)の「ジョン」は、もとから、唯一的ステイタスを表す表現であり、ヒトという種の中から、即座に唯一的に1人を指すことができます。もちろん、この場合は、「ジョン」という名前の人物が世の中に大勢いる、ということから、即座に、「ジョン」という表現が、種類を表しているということにはなりません。

この場合の「ジョン」は、「くも」という表現が、空に浮かんでいる「雲」や、昆虫の「蜘蛛」を表せるのと同様に、ただ単に、同音異義語として使われているだけなのです。ですので、「ジョン」という名前の人物が大勢いるということを、道路を走っている、「クルマ」という名前の固体が世の中にたくさんあるから、「クルマ」という表現は種類を表す、ということと同列に扱うことはナンセンスであることが、おわかりになると思います。

(12)ジョンは頭が良い。
(13)このジョンは頭が良い。

(12)の「ジョン」は、もちろん、唯一的ステイタスの解釈をもつ「ジョン」ですが、一方、(13)のように、「このジョン」などと言うと、ジョンという名前の人物が複数いることが前提となりますので、「このジョン」の「ジョン」には、唯一的ステイタスをもつ解釈が成り立たなくなります。

これは、「この ~」が付く表現は、もとから、「種類」を表す表現でなければならないので、(13)は、「ジョン」という名前の人物が、例えば、学校のクラスの中で複数いて、その中から唯一的ステイタスを、「この ~」によって与え直す、という解釈でなければアウトになってしまいます。ですので、(13)の「ジョン」は、「人物」ではなく、「名前」という「種類」を表すことになります。

以上から、「この ~」という表現は、「種類」を表す表現を、名前ではなく人物そのものを表す「ジョン」というような表現と同じステイタスにする機能があることがわかったと思います。ここで、「特定」という概念が出てきます。今回は英語の例文が1つも出てきていませんが、まさに、ここまでの理解で、「特定」の基本概念がわかったというレベルに達するのです。

実は、「限定」の概念と、「特定」の概念はつながりがあって、「限定」を推し進めていった最終的なところに「特定」がある、と言っても良く、線引きがなかなか困難な側面があるのですが、「この ~」や「ジョン」といった表現は、それ自体、一発で、「特定」を表せるので、「限定」の概念との比較材料に利用したのです。

(8)と(9)のような文では、カギカッコの表現が、「クルマ」に限定を加えていると言えるのですが、そのカギカッコ内の一部である表現が、「アメリカ人」か「ジョン」かで、カギカッコ全体の表現が、単なる「限定」にとどまるのか、「特定」にまで達するのかが決定されます。つまり、(8)と(9)の場合、カギカッコ内の一部の表現が、カギカッコ全体の意味に影響を与えていると言えます。ということで、「特定」は、本当は、文全体の意味や文脈も考慮しなければならない場合もあるので、その点、事情は厄介です。

今回のポイントは、「特定」の概念をいかにして理解するかです。ある程度わかりやすくするために、「限定」という概念と比較して扱ってみましたが、それは、この種の概念は、誤解が多く、「限定」も「特定」も似たようなものだろうと思っている人が多いからです。

しかし、まず、日本語のレベルでの「特定」の概念がわかっていないと、英語の場合は、もっと表現方法が複雑なので、説明が困難になるのです。例えば、「特定」の概念は、英語の場合、日本語にはない、不定冠詞‘a’や‘an’、定冠詞‘the’の使い方にも関わってきますし、その他の様々な構文にも関わっています。特に、冠詞の使い方は、ここら辺りに理解の難しさが潜んでいますので、まずは、今回、柔軟体操ということで。

■注1 :もちろん、「あの ~」、「その ~」、「これら ~」、「あれら ~」、「それら ~」も、「特定」を表せます。「唯一的」というコトバから、誤解しやすいのですが、「単数・複数」といった概念は唯一性には関係なく、「複数」の概念を排除するものではありません。「これらのクルマは赤い。」の、「これらのクルマ」も、ひとまとめにして、唯一的と考えられます。

■注2 : 「赤い」は、客観的表現ですが、「良い」、「速い」などの主観的表現は、その対象の見方によって判断がどうとでも変わるので、「小さいクルマは速い。」でも、「小さいクルマは遅い。」でも、どちらでもOKになりやすくなります。


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