おれおれ日記

平成の快楽主義者な管理者による酒の話、現代美術の話、音楽の話、世間話をただただ垂れ流す日記。

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2013-01-16 12:23:24 | Weblog
大島渚については、初体験は「御法度」だったろうか。
確か、高校時代に映画仲間に薦められて観たのではなかったのか。
「訳の分らなさ」に衝撃を受けた覚えがある。
重要な最後の土方の台詞が聞き取れず、何度も再生した。

その次は「愛のコリーダ」か「戦メリ」か。
「愛のコリーダ」はもうとにかく、その後の俺の人生を変えたのではないだろうか。
大島渚が藤達也に出演交渉をした話などは本当にゾクゾクする。

ヌーベルバーグの頃の作品は一部を除きあまり観ていないし、大島渚の大ファンかと言われれば、違うのかも知れない。
しかし、大島作品で人生を変えられたのは確かだ。

どこかの映画館が大島渚特集を組むことだろう。
「愛のコリーダ」を改めて観にいきたい。

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さて、大島の原点はやはり「怒り」ではないか。
しかも「体制」に対しての。

現在、「体制」は急ピッチで右傾化しており、非常に危ない思想に捉われている。
戦争による「痛み」を知らない世代が、戦争へと突き進んでいく。
まさに懸念されてきた事態だ。

戦争による「痛み」。それは肉体の痛みそのものに他ならない。
うちの祖父はフィリピン・トラック島で左腕に被弾し、海上を身一つで一日中漂った末、救助され負傷兵として収容された。
仮に海上で生きる事を諦めたら、俺は生まれてこなかった。
しかし、戦争がなくても、俺は生まれてこなかった。
偶然か必然かといった机上の空論はどうでもよく、事実だけが厳然としてここにある(では、事実とは何かという哲学及び量子学的な考察は省く)。
なんだか道がそれたが、腕を射抜かれて海上に投げ出される覚悟があるかということだ。木の幹に当たって回転がかかった流れ弾に腹をぶち抜かれ、ズタズタにやられた内蔵を日に晒せるのかという話だ。兵士からの命令で親や兄弟を鍬や鎌や棍棒で殺せるのか、という問題だ。
戦争とはそういうものである。


俺は左よりの考えだが、左派が売国奴だって?冗談を言ってはいけない。
全くその逆であることを知らなければならない。
プロパガンダに惑わされるやつが多くて困る。
戦争に負けて国がなくなったとしたら?アメリカの属国に戻ったりしたら?それこそ売国なんでないの?その危機感はあるの?

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