OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

クリスマスツリー!

2011年12月08日 | ブダペスト旅行2011

夏の頃だったか、母がタンスの奥からクリスマスツリーを引っ張り出して、ベッド脇のテーブルに飾っていた。

「そんなとこに置いてると、落として壊れるよ!」

「それに、なんで季節が違うのに飾ったの?」

私の文句をものともせず、「きれいだからいいじゃない!」と、母は強気だった。

 

次の面会の時、クリスマスツリーは、粉々に砕けて、テーブルの下。

「ま、そんなこともあるさ」と、黙って片付けた。

「どうして壊れたのかしらねぇ?誰かがやったんじゃない?」

「まあ壊れた物は仕方がないわよ」「それより、今年のクリスマスには新しいツリーが買えるよ。ラッキーだわね!」

そんな会話をして、母の気を納めた。

 

クリスマスの時期が来て、いいのを見つけたら買って持っていこうと思いながら、なかなか適当なのと出会わない(一生懸命探したわけでもないけど…)。

そう思いながら、買い物に行ったら、なんとなく良さそうなのを見つけた。

 

 

これ。

クリスマスツリーは木製で、小さなカギにオーナメントを引っかけるようになっている。

サンタとシロクマも木製。

穏やかな顔が気に入った。

 

母の所へ早速持っていき、ツリーを組み立てて、オーナメントを飾ってもらった。

「こっちにこれを飾ると、赤ばっかりになるしねぇ」

「これは、ここの方が可愛いわよね」

あれこれ楽しみながら、ツリーを飾る母は子どものようだった。

 

満足げでしょう?

 

もちろん、ベッドへの昇降に近いこの場所では、また落としてしまうので、よく見える棚の奥に飾った。

「季節感が出ていいわねぇ~」

そうね。

今が12月だということを、これで理解していただければこれ以上のことはない。

まあ、この程度の置物で、そんなことは期待してはいけませんよね。

 

 


クリスティアン・ゲルハーヘル@王子ホール

2011年12月08日 | 趣味(読書・洋裁・音楽・映画)

バリトン好きの私としては聞き逃せないコンサート。

クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)&ゲロルト・フーバー(ピアノ)のマーラーの二夜、2日目です。

 

ゲルハーヘルさん、これよりけっこう太めなおじ様になってました。

2008年の2月に冬の旅を聞いていて、すごくステキだった。

そして、冬の旅を聞いたにもかかわらず、なぜか「水車小屋の娘」のCDを購入。

ドライブの時に聞く頻度はかなり多い。

ステキなリート歌いさんです。

 

さて、マーラーはどうだったかというと、これもけっこうステキ。

プログラムは、こんな感じ。

グスタフ・マーラー:
「大地の歌」より 第2楽章 秋に寂しき者
「最後の7つの歌」
 死んだ鼓手/少年鼓手/私の歌をのぞき見しないで/
 私は快い香りを吸いこんだ/真夜中に/美しさをあなたが愛するなら/
 私はこの世に捨てられて

********** 休憩 **********

「大地の歌」より 第6楽章 告別

 

2008年の感想を読み返してみると、「ピアノが好みじゃない!」と書いているけれど、今日はとてもピアノが好きだった。

もちろんゲルハーヘルさんの声は言うまでもないんだけどね。

 

そして、もう一つステキだったのは、今日の客席。

私がその動静を気にしているバリトンの宮本益光さん、テノールの望月哲也さん、その他にもたくさん歌手の方いらっしゃいました。

「もしかしたら、宮本さんの隣で、ゲルハーヘル聞けたかもなの?」と、思い当たったとたんにときめきました。

残念ながら、席は離れてて、私の方が中央の上席だったけど!

ゲルハーヘルと同じ空気吸ってるだけでも贅沢な気分なのに、それを宮本さんや望月さんとそれを分かち合ってるかと思うと〈もちろんそんなこと思ってるの私だけだなんだけど)、まあなんてステキなんでしょう!

 

というわけで、今年最後の王子ホール、気分の良いコンサートでした。

 

そして、今年もミキモトのクリスマスツリー。

 

 

キラキラ光ってきれい!

 

 

 


小さな自己主張

2011年12月06日 | 季節の話題

一年のうちに何度か、宝石のように美しい日に会うことがある。

今日はどんより曇り空だったけれど、昨日はそういう美しい一日だった。

思わずカメラを持ち出して、シャッターを切ったけれど、私の腕で、その美しさが伝えられるかどうか…。

 

前々日まで降っていた冷たい雨のおかげで、モミジが一気に真っ赤に変わった。

 

 

見慣れた景色も、暖色に染まって、青空との対比が本当にきれい。

 

 

春の若葉もきれいだけれど、この季節の木々の美しさは名残りの美という感じで、心を奪われる鮮やかさ。

冬の寒さが訪れる直前の、自然からのプレゼントかもしれない。

 

そんな中でみつけた小さな自己主張。

 

 

これです。

クチナシの生け垣に、こぼれて生えたモミジの木。

普段はひっそりとクチナシに紛れて目立たない。

きっちり四角に刈り込まれて、大勢のクチナシに圧倒されているようなのだけれど。

この季節になると、葉をみごとな赤に染めて、「私はここにいるよ!」と燃え上がる。

 

毎年のことだけれど、この季節になんだかいとおしい小さいモミジ。

クチナシの足元で、こんなにがんばってます。

 


ケアプランの変更

2011年12月05日 | 母のこと

OT園のケアマネージャーが代わった。

そして、その新任のケアマネさんから、母の新しいケアプランについて相談したいとの電話をもらった。

電話というのもなんなので、面会に行ったついでに、直接お目にかかって検討させてもらうことにする。

 

ほぼ毎回変わらないケアプランだけれど、今回変更点が一点。その変更点が私にはひっかかった。

家族が持ち込む食品(おやつ)を、看護師の管理下に置くというのだ。

 

母は糖尿病があるので、確かにカロリーについて多少気を付けねばならない。

「ドクターから、病状に変化があるとは聞いていないけれど、なにか悪化しているとかという事はありますか?」と、尋ねてみる。

そういう事はないらしい。

ただ、私以外にも、あれこれおやつを差し入れしてくれる親戚などもあり、それが気になるのだという。

看護師の立場としては、それを管理する方がいいという結論は正しいのかもしれない。

 

私の立場ではどうだろうか?

間食を管理してもらっても、私としてはとくに困ることもない。

でも、ちょっと引っかかる。

 

母は今、ホームの生活にとても満足し、気持ちも安定している。

「上げ膳据え膳で、本当に楽だわ」と言う。

それでも、私が持っていったお茶にでさえ、「このお茶はおいしいね、ここのお茶は色はいいんだけど、味がないからね」とも言う。

 

持って行ったお菓子は、缶の中に保管して、枕元に置いている。

いつ食べているのだか、毎回必ずなくなっている。

夜中のちょっと口寂しい時にかもしれないし、お食後にちょっと甘いものが欲しくなってかもしれない。

少しずつだけれど、いろいろな種類を入れて置くようにしているのは、「これがいいかしら」とか、「こっちは大好物だから、明日にしよう」とか、「まずこれを食べよう」とか、いろいろ考えるのも楽しいだろうと思うからだ。

 

糖尿病という観点から考えれば、あまり好ましいことではないかもしれないが、母にとって、何かを選択するという場面が残されているのは、このお菓子選びくらいなのだ。

そのお楽しみを簡単に奪ってしまうことがいいのかどうか。

 

私は、ちょっときつめの言葉で、私の考えていることを話した。

勝手な言いぐさと思われたかもしれないけれど、母のために代弁することが出来るのは私一人なのだから、がんばるしかない。

つまり、管理上の簡便さや看護師・介護士の安心感で、老人の残された数少ない楽しみを安易に奪うのはどうなんだろう。

その観点から、もう一度ケアプランを考え直して欲しいと、お願いした。

 

う~ん、難しいなぁ。

でも、よほど病状が悪くなるまでは、私は今の状態を維持したい。

ほどほどのおやつが母の手元にあり、それを母が好きな時に食べるというふうにしておいてあげたい。

 

OT園のケアマネさんも、「家族の方がそんなふうに思っているのは、気付かなかった」「もう一度、看護師・介護士と一緒に検討してみます」と言ってくれた。

その議論の中で、私の主張が理解してもらえるといいんだけど。

母の体をこわすのは私の本意ではないけれど、母の気持ちを大事にもしたい。

ホント、難しいなぁ…。


一足早いお誕生日会

2011年12月04日 | 家族の話題

長男夫婦が夕飯にやってきた。

一足早く、私の誕生祝いを持って。

(いくつになったかって。それはご想像にお任せします。私の年齢を聞いたrico

ちゃん、あんまり数が大きいのでポカンとしてました

 

丸いケーキも、持ってきてくれた。

とても幸せです。

ありがとう!

 

ケーキはこれ。

 

 

ricoちゃんが選んでくれたというイチゴのケーキ。

茶色の四角はチョコレート。

 

「おばあちゃん、ろうそくフーするの手伝ってあげるからね、大丈夫だよ!」

「じゃあ、まあ、よろしくお願いします」

ってわけで、張り切ってます。

 

 

ケーキは、チョコレートのプレートが一番魅力的らしい。

 

 

一番にチョコレートから。

そして次にママのを食べて、パパのも取り上げ、「おばあちゃんのまだある?」

「ハイハイ、どうぞ!」

「おじいちゃんのは?」

「あっ、ゴメン!食べちゃったよ~」

「じゃあね、今度はちゃんと残しておいてね!」

チョーやりたい放題の三歳児です。

 

でも、この三歳児、「おじいちゃん、会いたかった~!」って飛びついてぎゅうっと抱きしめたり、「またすぐ来るから、寂しくないよ、待っててね!」って挨拶して帰ったり、おじいちゃん殺し。

夫はこの達者な三歳児に、全敗状態。

「全くおしゃまな奴だなぁ~」と、ぼやいてます。

 

賑やかな家族団らんでくたびれ果てたのは、この子。

 

 

13歳老犬は、三歳児のお相手すると、ほとほと疲れ果てるらしい。

彼らの帰宅後、毛布にへたり込んでおりました。

 

〈追記〉

この日、ricoちゃんが着ていたちゃんちゃんこは、私の弟がくれたプレゼント。

出産にはまだ間があるのに、早々と「こんなの見つけたんだよ。可愛いだろう?」って持ってきてくれた。

ricoが生まれた時には、もう彼はこの世にいなかったから、虫が知らせでもしたんだろうか。

「叔父ちゃんからのプレゼント、今年ちょうどいい大きさになったよ!」と、重宝している様子。

うれしいけれど、実際に会って欲しかったなぁと、ちょっとほろ苦い気持ちもする…。

 

 


肝を冷やす…(反省)

2011年12月02日 | その他いろいろ

先週末は忙しかった!

長男夫婦が来たり、次男のところへ行ったり、料理教室があったり。

そのためにいろんな料理もこしらえたし、バタバタと。

 

そして、その合間にハンガリー語の宿題も。

パソコン使ったり、辞書引いたり、必死でなんとか間に合わせ(結果としては、ズタズタだったけど!)、月曜日には、授業に出かけていった。

 

「週末、何してたの?」という先生の質問に、乏しいハンガリー語を補うべく、カメラにある画像を見せて、「これ、料理教室で作ったのよ」と、先生に説明。

ここまでは、カメラを使った記憶がある。

 

ところが、昨晩、ふと、「カメラはどこ?」と探したが、見つからない。

新しく買ったカメラは、RICOHのCX5。

実は、このカメラ、以前にラスベガスで紛失したものと同じシリーズ。

いや~な気分が胸一杯に広がる。

 

ない!ない!どこにもない!

あちこち探してみるが、見つからない。

そうなると、もう何も手に付かず、(本当はやるべき)夜なべ仕事もほったらかし。

イライラと自分の行動を思い返したり、「私ってなんてダメなんだろう」と落ち込んだり。

 

もしかしたら、ハンガリー語の授業を受けたティールームに落としたのかも。

あわてて、電話番号を調べる。

でも、朝になるまでは、電話も出来ないし。

 

眠ろうとしても、ちっとも眠れない。

目をつぶると、ピンクのカメラケースが目の前に現れる。

明け方3時頃まで、忸怩たる思いを抱えていた。

 

朝、ハタと気付いた!

もしかしたら、車の中?

だって、あの日は帰りに買い物をして、いろいろ荷物も多く、もしかしたらバッグの中から座席に転がり落ちたのかも。

帰宅した時には、もう暗かったから、車内に一つ落とし物をしても気付かないかも。

 

着替えて、車まで走っていきましたよ。

そしたら、あった~

助手席とドアの間に、ピンク色が見えた時はうれしかった~

 

バレないように、もう一度密かに買い直そうか…とその方法まで考えたカメラ紛失事件。

なんとか事なきを得て、無事解決。

とはいえ、私の整理の悪さが原因なので、大いに反省です

一つ一つ、きちんと物事をこなすようにしなくてはと、あらためて心に銘じた事件でした。

(でも、見つかってホントに良かった~