地震と原発事故に気をとられている毎日。
姫路の同級生から、友人の死を知らせるメールをもらった。
肺がんだったという。
関東に住む彼女、一昨年の同期会にベリーショートの髪で来ていたと聞いた。
そんなキャラでもないのにねってうわさ話。
「鳩山邸を見学に行こうよ」って言い出して、別の日にみんなをとりまとめて遊びに行ってきたらしい。
どちらかと言えば、自分から誘って仕切るようなタイプではなかったんだけど…。
私は、ちょうど都合が合わず、どちらの日も参加できなかったので、会うことができなかった。
友人から話を聞いて、ちょっとイヤな予感がしたのだけれど、怖くて口に出せないまま、報せを受け取ることになってしまった。
確か、うちの子どもたちよりも年若い子どもがいるといっていたっけ。
まだまだ母として、心を残すことも多かったことだろう。
何ともやりきれない気持ちで、知らせを聞いた。
この知らせを聞いた友人が、広島からメールをくれた。
「東京へ行けば、いつでも会えると思っていたけれど、必ずしもそうではないと知って愕然としています」
「今度会えるまで、必ず元気でいてください」
そんなふうに書いてくれた友人をありがたく思う。
中高時代、誰かの死に接した時、私たちは必ず「めでたし聖寵…」ではじまる天使祝詞という祈りを唱えた。
「めでたし聖寵満ちみてるマリア、主御身と共にまします。
天使の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈りたまえ」
今日は、逝ってしまった彼女のためにこの祈りを唱えたいと思う。