OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

水ようかん

2006年08月08日 | 母のこと
夕方には出かける用事があるのでOT園に行けない。
仕方がないので、お昼に訪ねることにし、久しぶりにお寿司屋さんに連れて出た。
母は上機嫌で部屋で待っている。
「さっき係の人が来て『娘さんがお昼ご飯を食べに連れて行ってくれるそうですよ、良かったですね』って教えてくれたのよ!うれしかったわ~」

いつものようにカウンターの前で車椅子に座ってお寿司をいただいた。
母はお茶やお寿司を取ったり、置いたり、カウンターに自在に手が届く。
2ヶ月ほど前にはカウンターに置かれたものに手を伸ばすのが難しく、また、お箸で握りをつかむのも困難な状態だった。
安定剤を辞めたことで、体の動きが格段に良くなっていることに驚かされる。
食欲は普通…かな?(鉄火巻き・白身の握り・赤貝のひも巻き・玉子・お椀など)

食後には少しだけお散歩。
日射しも厳しく、一番暑い時間なので15分ほど歩いて部屋へ戻った。

部屋には見慣れぬ水ようかんの包みが置いてある。
「これ、どうしたの?誰か来て下さったの?」
答えは期待できないと思いながら、一応尋ねてみる。
「昨日、Oさんご夫妻が来てくれたのよ」
フ~ン、覚えているんだ…。
Oさんは父の大学時代の同級生で、同じ会社に勤め、家族ぐるみでずっと仲良くして下さっていた。
父の死後も、あちこち旅行に出かけたり、お食事に行ったり、母の事故の時も色々心配をして下さった。
長い付き合いのお友達に会えてよほど嬉しかったのだろう、母の不確かな記憶にもくっきりと残ったらしい。

水ようかんは箱から出され、一つはベッド脇のテーブルに、残りは紙袋に詰めてある。
「この袋の水ようかんはどうするの?」
「一人じゃこんなに食べられないから、持って帰ってもらおうと思って別にしたのよ」
「じゃあ、冷やしてまた持ってくるわね」
そんな会話の後に。水ようかんの袋をしまった。

しばらくすると、「ここに水ようかんの袋があったんだけど…?」
「あれは、私が預かって…」
同じ問答を4~5回繰り返した後、集会室でTVを見るという母と別れた。
あとで水ようかんの袋を探したりしないかしらと、ちょっと心配。